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ぽかぽか春庭「2024年3月目次」

2024-03-31 00:00:01 | エッセイ、コラム

春風に吹かれて

20240331

ぽかぽか春庭2024年3月目次

0302 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>文字表記と語彙(1)翻訳新漢語
0303 文字表記と語彙(2)和製漢語
0305 文字表記と語彙(3)中国的漢字ふりがな
0307 文字表記と語彙(4)博士的愛情算式
0310 文字表記と語彙(5)掃墓節
 
0312 ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2023拾遺(1)村居正之ー歴史を刻む 悠久の青ー展 in 郷さくら美術館
 
0312  ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記 (1)楽友交響楽団コンサート in ミューザ川崎シンフォニーホール
0314 2024二十四節季日記3月(2)三波春夫生誕100周年特別企画メモリアルコンサート  in NHKホール
 

0316 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(1)お楽しめるです

0317 2024にほんごでどづぞ(2)変わるのがことば

0319 2024にほんごでどづぞ(3)日本語も変わるきていることばだからこそ変化する

0321 2024にほんごでどづぞ(4)ギャル語訳ハルはあけぼの

0323 2024にほんごでどづぞ(5)生きていることばだからこそ変化する①

0234 2024にほんごでどづぞ(6)生きていることばだからこそ変化する②

0326 2024にほんごでどづぞ(7)変わる変われば変わります

0328 2024にほんごでどづぞ(8)動詞の用法も変わる②

0330 2024にほんごでどづぞ(9)動詞も変わる③

 

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ぽかぽか春庭「動詞も変わる③」

2024-03-30 12:00:01 | エッセイ、コラム

2024030

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(8)動詞も変わる③

 春庭日本語コラムの再録をつづけています。

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2005/01/14(金)
「ニッポニアニッポン語>動詞の用法も変わる④」

 ことばに変化があり、それを大半の人が受け入れるなら、新語法として定着する。変化の流れは、その語を使用する人々の意識によって決まる。
 「ラ抜きなんて正しい日本語じゃない」と、いくら正統日本語を主張する人がいようと、流れは止められなかった。受身形と可能形を区別できたほうが、便利だったから。
 「ラ抜き可能形」の発生と定着は、まさに現在自分が生きて生活している間の変化。目の前で起こり、進行していった動詞の形の変化だった。このような言語変化を観察できて、「ありがたい」こと。

 「動詞命令形+名詞」という複合語について「これは正統な複合語じゃない」と、いくら糾弾しても、使う人々が「あ、この表現はぴったりだな」と感じれば、定着する。「押しつけられても、こんな表現は使いたくない」と、大多数の人が感じたのなら、別のことばに置きかわる。
 「外来語を減らしましょう」の指導のもと、「日帰り介護」と言い換えられたデイケア。
 今、街のなかに「デイケアセンター」は見かけるが、「日帰り介護中心」という看板を掲げた施設を、私は見たことがない。

 「命令形動詞+名詞」複合語がさらにふえるのかどうかは、今の段階ではわからないけれど、人々が「この表現はうまいこと言葉の中身を表わしていて、ぴったりだ」と感じれば、さらなる変化が起こるににちがいない。
 禁煙用タバコ「ヤメロたばこ」とか、学校の読書指導で無理矢理読まされる「読め本」など、ありえる?それともアリエネー?

  「振り込め詐欺」は「まあ、これでいいんじゃない」と感じる人が多ければ定着する。この語を使いたくない人は「最初はオレオレ詐欺と呼ばれていた、被害者にお金を振り込ませる手口の詐欺」と言えばすむ。ちょっと長いけど。

2005/01/15(土)
「ニッポニアニッポン語>新しい動詞ボキャブラリ」

 動詞語彙の変化について。 
 「言葉はどんどん変化する」ということのついでに、新しい動詞語彙について。
 新しくふえた動詞は、外来語からの転用が多いが、もとからある語を省略した動詞や、元の語を変化させた動詞もある。

 「○○する」という言い方なら、「ゲットする」「ダッシュする」「プレイする」など、いくらでも動詞にできる。活用は「する」と同じ。日本語教育では第3グループ動詞。(国文法でいうサ行変格活用、サ変)。
 「げっとする」は、20代10代以下の世代に定着し「手に入れる」という語などより多く使われている。「ポケモン、ゲットする」あたりから流行しだした語が、10年ほどで定着した。
 「~する」という言い方の動詞は、今後もどんどん増えていくだろう。

 「さぼる」「だぶる」のように、定着し辞書に「俗語」として搭載されている語もある。こちらは、第一グループ動詞(国文法のラ行五段活用動詞)

 若者は、「さぼる」を、元からある日本語だと思って「今日、授業さぼった」という。すでに俗語ですらなく、「日本語」として定着している。「さぼる」を使わず、「授業をなまけた」「授業を遊びのためにやすんだ」などと言う若者は皆無だろう。英語由来のカタカナ動詞が多いなか、「さぼる」はフランス語由来。
 「彼は高校時代に留年している」ということは「彼、高校だぶってる」のように言う。

サボる:仕事や授業など、決められた課業をしないですごす>サボタージュ(フランス語sabotage)から
ダブる:同じものが二つある。留年して、同じ学年に二年続けて在籍する>ダブル(double)から
トラブる:何らかのもめ事が起こる。こまった事態に陥る>トラブル(trouble)から
ググる/グーグる:検索サイトを使用して調べる>インターネット検索googleから
パニクる:混乱状態の中で、驚き慌てて冷静な行動ができない>パニックから
ネグる:意図的に無視して傷つける>ネグレクトから
パクる:他人が作った作品をまねする
コクる:好きな相手に自分の気持ちを告白する
テンパる:もう一歩で物事が成就する前の、余裕のない緊張した状態になる>テンパイ(麻雀用語)から

 これから流行し、定着するかもしれないラ行第1グループ動詞。
ブログる:インターネットに日記を書き込む
ロムる:ネットに書かれている文章を(コメントなどを残さずに)読む専門
コラボる:共同作業、共同事業をする>コラボレーションから

 私はまだ、耳にしたことがないが、関西では若者が「笑う」とは別の語として使い分けているという「笑ける」という語。あきれはてたりしらけたりして、いう言葉も見つからず、笑うしかないというときに使うそうだ。「笑う」と「しらける」の合体語だろうか。
「そんなこと言うなんて、なんてこった。もう笑ける」
 「お笑い」やテレビから発生した語は、若い世代への浸透速度が速い。また、関西発生の語が全国に広まるのも早い。私の周囲で「笑ける」という語を聞くのも、まもなくかもしれない。

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 20240330

 2003年にブログをはじめてから、2003年中は読んだ本について書きました。2004年から日本語学と日本語教育について書き続けて20年。コラムの再録を続けてきて、まあなんとも20年間、くりかえし同じことを描き続けてきたものだと思います。日本語教育にかかわることから引退しましたが、日本語母語話者である限り、日本語からは離れることはないわけですから、今後も日本語について考え、書いていきたいと思います。

 また、再録がつづくかもしれませんが、思い出に生きるようになるのが、老人の特権です。

<おわり>

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ぽかぽか春庭「動詞の用法も変わる②」

2024-03-28 12:00:01 | エッセイ、コラム

20240328

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(10)動詞の用法も変わる②

 春庭日本語コラムを再録しています。

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2005/01/12(水)
「ニッポニアニッポン語>動詞の用法も変わる②」

 湯を飲むための茶碗は「湯飲み茶碗」。人が飲む水は「飲み水」といい、「飲む~」という表現は「赤ちゃんが飲む水」「毎晩飲むビール」などの形で用いられていた。
 液状の水剤も固形の錠剤やカプセル粉薬も、口から飲む薬は「飲み薬」。「飲む薬」ではなかった。

 広告などでは、いつも人目をひく新鮮な語が次々を登場する。
 固形ヨーグルトに対して液体ヨーグルトが発売されたとき「飲みヨーグルト」ではなく「飲むヨーグルト」として発売され、今では「液状ヨーグルト」などと言う人はあまりいない。「飲むヨーグルトが好き」など、一般的な表現になっている。 
 ヨーグルトに関しては固形ヨーグルトに対して、液状ヨーグルトは「飲みヨーグルト」ではなく、「飲むヨーグルトが好き」という表現が選ばれた。

 働きつづける蜂は「働き蜂」。その造語法でいくと、自動的に動き続けて、歩行者が歩かなくてもよい舗道は「動き舗道」となるはずだが、広まったのは「動く舗道」。「東京駅で京葉線に乗り換えるとき、動く舗道を使った」などという。

 動詞を修飾語として用いるのに、「飲み水」「振り込み先」など「マス形動詞+名詞」が一番多く、人目を引く表現として基本形(注1)を修飾語にした「飲むヨーグルト」「動く舗道」がある。

 さらに、今回、新表現として「振り込め詐欺」が出てきた。動詞命令形を修飾語にした名詞。
 なじみのない表現が出てくれば、必ず「こんな言い方は日本語にはない。この表現は日本語を破壊するものだ」という意見が出される。2005/01/05の朝日新聞投書欄にさっそく掲載されていた。

 「取り込み詐欺」という名詞はOK。連用形+名詞だから。投書氏は「なりすまし詐欺」がよかったと、広島県警の造語例に賛成する。しかし、「なりすまし詐欺」では、従来の「有栖川宮になりすました祝儀金詐取事件」とか、「エリザベス女王のいとこになりすました結婚詐欺」などとの違いがわかりにくい。 

 投書氏は「動詞の命令形と名詞の組み合わせで複合語ができるなどという前例を作らないでもらいたい」と、日本語破壊をなげく。

 しかし、言語表現というのは、常に破壊と変化が作り上げるものなのだ。清少納言が枕草子の中で「近頃のことばづかいの乱れはひどい」と嘆き、古代バビロニアの粘土板に「最近のワカイモンの言葉はなっていない」と憤慨した文章があるように、太古の昔から、「この新しい表現は、私が知っている正統な言葉からみると、乱れている」という年長者のなげきに出会わない言語はないのだ。<つづく>
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もんじゃ(文蛇)の足跡
 古典日本語文法の上二段下二段活用カ変サ変の動詞。「終止形」「連体形」は、別々の形だった。(例: 水、器に溢(あふ)る。溢(あふ)るる水。人、老ゆ。老ゆる人。)五段、一段動詞の連体終止形は古典日本語でも同形。

 しかし、現代日本語ではこのふたつの形に区別はないので、日本語教育では終止形連体形ふたつをいっしょにして「基本形」または「辞書形」として扱う。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「変わる変われば変わります 」

2024-03-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240326

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(7)変わる変われば変わります 

 春庭のコラム、日本語について書いたものが多く、くりかえし同じことを主張しています。「変わっていくのがことば」ということです、

 3月中は、過去ログ再録を続けています。今から19年前の2005年の「変わりゆく日本語」も、同じことをくだくだと述べています。変わりゆく日本語という主張に対して、自分の文体も主張もさっぱり変わり映えがないことを自覚しつつの再録です。

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2005/01/11(火)
「ニッポニアニッポン語>動詞の用法も変わる①」

 昨年暮れのこと。商店街の屋台で焼き鳥を買った。
 客はそれぞれ「うち、レバーとハツ5本ずつ」などと注文して、寒風ふきぬける通りで焼き上がるのを待っている。焼き鳥屋のおばちゃんは、待ち時間サービスのつもりか、愛想良くおしゃべりを続ける。

 「いやぁ、うちにもついに来たんよ。ほら、あのオレオレっての。娘が交通事故を起こしたって、男が電話してきてね。娘、電話で泣いてんのよ。うひゃぁ、って、おろおろしてたらさ、そこに娘が帰ってきたの。
 あ、オレオレじゃなくて、振り込みって名前になったの?え、振り込め詐欺?なんだかわかんないけど、とにかく娘がちょうどよく帰ってこなかったら、ひっかかってたよ」

 実害がなかったせいか、「流行におくれることなく、世間の話題に入れた」というノリで、おばちゃんは「振り込め詐欺未遂事件」を語る。
 「オレオレ詐欺」から「振り込め詐欺」に名称変更して、ますます手口は巧妙になっているらしい。正式な裁判所の小額訴訟制度を堂々と利用した新手の手法も出てきた。お気をつけください。
   
 手口が巧妙化するテンポにあわせて「振り込め詐欺」という名称も一般に浸透してきたようだ。しかし、詐欺には引っかからなくても、この名称に引っかかった人もいる。
 私も最初耳にしたとき「おっ!」と思った。人目をひく、新しい語法だったから。
 何が新しかったかというと。

 詐欺を修飾する「振り込め」は「振り込む」という動詞の命令形(仮定形も同形)だ。詐欺犯が振り込み先の銀行通帳を指定する。「どこそこ支店の何番へ振り込め」と命じて、まんまと振り込ませる。
 この詐欺のやり方がぴったり表現されていたせいか、新しい語法が耳目を集めたせいか、新名称の浸透速度は速い。

 他の語を修飾するために動詞が用いられるとき、もっとも一般的な活用形は連用形(日本語教育では「マス形masu-form」として扱う)がくる。
 動詞の連用形(マス形)は、「行き帰り」「ブラブラ歩き」など、そのままの形で名詞として用いられる(連用形名詞)。修飾語としても連用形名詞が使われる。

 新年に提出した動詞「走る」「笑う」「書く」を例に挙げれば。
 「幅跳び」をするとき、助走をつけて走って跳躍するのは「走り幅跳び」。「走る幅跳び」「走れ幅跳び」とは言わない。
 簡単な使われ仕事に走り回ることやそれを行う人は「走り使い」。笑いだしたら止まらない人を「笑い上戸」。面白い話は「笑い話」。新年に初めて筆を用いるのは「書き初め」漢字を書く順番は「書き順」。「この順番通りに書け」と、漢字を教える先生が命令しても「書け順」とは言わない。

 今回の詐欺事件。「オレオレ!オレだよ」と、家族知人になりすます手口が巧妙化した。最終的に、犯人は「○○銀行に振り込め!」と命じる。そこで「振り込め詐欺」と命名された。
 以下、この「振り込め詐欺」という名称についての賛否両論を解説し、日本語教師春庭はこの造語法に反対はしないことを述べる。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「生きていることばだからこそ変化する②」

2024-03-24 12:00:01 | エッセイ、コラム

20240324

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(7)生きていることばだからこそ変化する②

 春庭の日本語コラム再録を続けています。

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2005/02/23(水)
「ニッポニアニッポン語>生きていることばだからこそ変化する②」

 「あからさま」と同根の「あからしま風」、どんな風がふくか想像してください。
 語源がわかっていれば、さっと吹く風、はやて、暴風、の意味と想像できるけれど、もう「あからさま」の意味が変化しているし、わからない。

 「懇しい(あからしい)」という言葉が、現代日本語の辞書のなかに見あたらないとしても、現代人は何も不自由していない。「あわれ」の意味が変化してしまっても、特別困りはしない。

 01/29のテレビ番組「日本人は日本語を知らない」では、60%以上の人が「役不足」を「その仕事をするためには、自分の力は不足している」という意味だと思っている、と紹介されていた。

 元の意味は「自分の実力より役目が軽くて不満なこと」「自分の力を十分に発揮できるようなよい役目ではないこと」を意味したのだが、誤解のほうが半数を超えれば、こちらが定着していくだろう。

 たいていは前後の発言から推理できるので、そう混乱はないはずだが。たまに困るのは、過渡期に両方の意味が流通している場合。
 「役不足」を「役目に対して力が不足」なのか、「役目が軽すぎて不満」なのか、どちらの意味でつかっているのか、判断できないときもある。

 「このたび、PTA副会長をおおせつかりました。役不足ではありますが、これからの1年間、努めさせていただきます」などの挨拶の場合、ほとんどは、「力不足」のつもりで使っていると推測される。しかし中には「ほんとうは会長をやりたかったのに、副会長では不服」という本音をしのばせている人も、いるかもしれない。

 未来の人々は、「役不足」の意味が、元の意味の「自分の実力より役目が軽くて不満」から、最初の意味とまったく正反対の「その仕事をするためには、自分の力は不足している」という意味に変化しても、新しい意味を使いこなしていけばいいだけであって、何も不自由はしない。

 消えていくことば、新しい言い方に入れ替わることば、新しく生まれてくることば、ことばは生活と共に生々流転する。語彙も文法も。

 消えつつある、過渡期のことば。
 相撲で黒星が続いた力士の成績を「たどんが並んでいる」と言ったら、「たどんって何?」と、聞き返された。

 私たちは日常生活でもはや「炭団(たどん)」を使わなくなった。「たどんってどういう意味かわかる?」と聞いてみると、若い世代の人は、「たどん」を知らないという。「たどん」という言葉を知っていても、実際に見たことはない。

  炭の屑などを土や澱粉質で練り固めた炭団は、鎌倉時代以降広く用いられ、庶民の燃料となってきた。しかし、生活の中から消えたものの名前は、「生活語」として日常で口にすることはなくなる。辞書、百科事典や博物館に残っているのみの語となり、生きた日常用語ではなくなっていく。 

物があっても、言葉が消えることもある。
 「ぶんまわし」という道具を使ったことある人、いますか?、今は「ぶんまわし」と呼ぶのは、宮大工などの職人さんだけになっている。円を描く器具のこと。

 私が学校で円を書いたときはすでに「コンパス」と呼ばれていて、「明日の算数でコンパスを使う」ということはあっても「ぶんまわしで円を書く」とは言わなかった。
 学校では、「ぶんまわし」という呼び方を採用せず、外来語の「コンパス」を使っていたからだ。「ぶんまわし」という器具があることを知ったのは、大人になってからだった。

 物だけでなく、行事や行為がなくなれば、関連することばが消えていく。
 天秤棒に荷を下げて運んだり、駕籠に人を乗せて運ぶという行為がなくなった。すると、天秤や駕籠をかつぐのに疲れたとき、駕籠の棒を息杖(いきづえ)で支え、休むことを意味する「肩す」という動詞(サ変)は消えて、誰もこの言葉を使わなくなる。
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20240324
 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「生きていることばだからこそ変化する」

2024-03-23 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240324

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(7)生きていることばだからこそ変化する

 春庭の日本語コラム再録を続けています。

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2005/02/22(火)
「ニッポニアニッポン語>生きていることばだからこそ変化する①」

 「動詞、形容詞の変化」「挨拶語の変化」「漢字の読み方の変化」など、言葉の変化についての話題を続けています。

投稿者:c********** (2005 1/22 13:26)まっこと、まっこと!!言葉はいつの世でも、「生きている」。つまり必要がなくなった「言葉」も「言い回し」も絶えてしまうのは、ごく自然なことなんですね・・・・。
 と、いうコメント感想のとおり、ことばは消えたり変わったり。生まれたり絶えたりして世につれ人につれていく。私たちは、なくなっていく言葉を惜しんだり、変わる言葉をなげいたりするけれど、未来のことばについては、未来の人にまかせるしかない。

 江戸から明治へ。近代にどっと新語がふえた。
 標準語や言文一致文体確立前の明治期には「行きませんかった」などの文末表現も登場し、擬古文や漢文読み下しなどの文体から新しい表現方法への模索が続いた。
 標準語や、言文一致文体が成立して百年。

 江戸時代までに消えてしまった言葉はたくさんある。現代人は日常生活でそれらの語や用法を使用せずとも不自由ないように、未来の人は、私たちが現在話していることばがどのように変化しようと、それをそのまま受け入れる。

 文字の読み方や書き方、言葉の意味内容は、言葉が生きている限り、ゆれ動き変化していく。
 「フツーに」という副詞に、若い世代が新たな意味を付け加えて使用している例を紹介した。(05/01/29)
 「私は使わない」という人、それでいいと思います。自分の語感をたいせつに。
 ただし、言葉は社会の共通財産だから、「じぶんだけのことばの使い方」で「自分だけの語感」だと、社会共通コードとはならない。現在流通している語彙、意味でないと通じなくなることは当然。「フツーにおいしい」の言い方が、定着したあと、「そのおいしさは、たいしたレベルじゃない」と判断したら、発話者の意識とずれてしまう場合もある。

 自分の語感で話すといっても、「ヨン様に心ひかれる」とというつもりで「ヨン様って、あわれねぇ」と発言したとしても、聞き手はそのように受け取ってくれない。
 平安時代の「あわれ」という言葉には含まれていた「賛嘆、賞賛の気持ち」「心ひかれる、愛情」という意味が消え去り「気の毒、みじめでかわいそう」という意味だけが残った。
 生きている言葉は、今生きて使われているようにしか機能しない。

 古語辞典には載っているが、現代では使われないことば。ことばは残っているが、意味する内容がすっかり変わってしまったものも多い。また、生活の中で使わなったものは、そのものを表わすことばも日常会話から消えてしまう。

 口語では消えてしまい、人々が話すときには使われなくなったことばの意味用法も、文章や辞典に残っていれば、ことばの歴史をひもとき、楽しむことができる。

 たとえば。「あからさま」という言葉は生き残り、私たちも使っている。
 「人の私生活をあからさまに書く記事なんて読みたくない」など。「つつみ隠さずはっきりと」「露骨に」の意味。

 しかし、「あからさま」のもともとの意味の「ちょっとの間」「さしあたって」「仮初めにも」という使い方は消えた。
 また、「あからさま」の「あから」と語根は同じと思われる「懇し(あからし)」=痛切である、ひどい、という形容詞も消えた。
 
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 20240323
 
 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「ギャル語枕草子」

2024-03-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240321

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(4)ギャル語訳ハルはあけぼの

 春庭の過去コラムの中で、「人気記事」として閲覧回数の多い記事のひとつが「ギャル語訳枕草子」です。

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2012/07/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>未来日本語(2)ギャル語訳『春はあけぼの』

 現在私たちがつかっていることばの大半が、何年か前、何十年か前、何百年か前には、その時代の年寄り達が「とうてい受け入れらぬ」と拒絶していた「新語」なのです。
 まあ、年寄りの楽しみとしては、どの語が将来の日本語として残るのか、それを見極めることくらいでしょうか。

 なんでも賭け事にするロンドンブックメーカーでは、すでに「将来の日本語」のオッズなんぞが決められているのかも。「2200年、日本語の使用者は、数家族。この家族の一員に選ばれると、伝統芸能保持者として日本語朗読の家業をつがなければならない。他の日本人は全員英語を使用」という未来、オッズはいくつかしら、なんてね。

 日本語そのものが残るかどうかという瀬戸際ですが、各地方言はというと、すでにレッドゾーンに来ている地方語もある。
 標準語の普及によって、各地で純粋方言を話す若者はいなくなり、新たに「新方言」が生まれているという調査は、井上史雄らによって報告されています。
 また、「なんちゃってホーゲン」「方言コスプレ」として、いろんな地域の方言をおもしろおかしくとりまぜながら、若者言葉にしていっている、という現象もあります。

 ともあれ、各地の言語文化、方言も私たちの大切な「文化遺産」だ、という春庭の講義を受けた地方出身の学生は、にわかに方言のおもしろさにめざめ、演習発表で「方言訳古典」を披露しました。
 以下、新潟弁訳の「春はあけぼの」です。(2012年6月の授業での新潟出身の学生が発表したものですが、彼自身の訳ではなく、方言変換サイトがあるのだそうです)

「春は朝げ。だんだんしーろなってくる山のてっこ、ちっと明ーるなって、紫みとーの雲が ほーそくたなびいてるがん」

 では、以下、春庭の超翻訳。
 21世紀ギャル語風訳の「枕草子・春はあけぼの」と、元ヤン風訳の「夏目漱石・我が輩は猫である」。
 春庭訳は、あまり面白くない。春庭は、20世紀近代教養主義の中で生い育ちましたので、そうはぶっとべない。22世紀には、もっとぶっ飛んだ日本語になっているだろと思いますが、21世紀ギャル語の「春はあけぼの」の試み。

ギャル語「春はあけぼの」
 春ってゆーかー、アケボノがよくなくなくね?つーかさ、なにげに白っぽくなってくみたいなー山際とかー、ちっと明るくなってぇ。でさー、紫っぽくなった雲が細くなって超たなびいてるのとかあ、ありえなくね?超ウケルー。

ルー語&スギちゃん風「夏は夜」
 へい、ユー、サマーはナイトだぜぃ!ムーンナイトはオフコース。ダークナイトは、モアテンションあげあげぇ。ほ、ほ、ほたるがフライアンドフライ。ワン オア ツーが、ツイートしながら光ってるぜぃ、ワイルドだぜぃ。雨なんかふるっつうのも、ワイルドだぜぇ。 

元ヤンキー風「我が輩は猫である」
 ジブン、ネコッす。なまえってか、まだねーよ。どこでシャバに出たかとかシカトっす。何かこう、うすっくれぇジメーっとしたとこでニャーニャー泣いてた事だけのこってるっす。ジブン、ここでショッパナ、人間にガンつけたんっすけど、あとで聞くとそいつら、セイガクっつう人間中で超カスなヤツラだったつうか、このセイガクっつうのは、時々ジブンらをつかまえて煮て食うらしっす。オィーッス。喧嘩上等。

 こうなると英語のほうがわかりやすい、というお方も出てくると思うので、参考までに。

春アケその1 In spring it is the dawn that is most beautiful. As the light creeps over the hills, their outlines are dyed a faint red and wisps of purplish cloud trail over them. (Ivan Morris)

春アケその2 In spring, at dawn, the dark mass of the mountain lightens little by little at t
he edge and slowly the blue mists float away. How lovely. (Nobuko Kobayashi)

猫その1 I am a cat. As yet I have no name. I've no idea where I was born. All I remember is that I was miaowing in a dampish dark place when, for the first time, I saw a human being.

 ここで言っておきたいのは、猫が「我が輩」と自称するニュアンスは、「I am a cat.」という訳では永遠に出ない、ということ。日本語は日本語なので。
 I am a cat.では「私は猫です」という意味しかない。まだしも「ジブン、猫っす」のほうが、猫ごときが「我が輩」を自称としている虚勢を出していると思うが如何。

 最後に、1978年に出た、橋本治の「桃尻語訳枕草子」から。もはや、以下の訳そのものが古典です。

春って曙よ!
だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!

夏は夜よね。月の夜はモチロン!闇夜もねエ・・・・・・。
蛍がいっぱい飛びかってるの。あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりボーッと光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵ね。

秋は夕暮れね。

 夕日がさして山の端にすごーく近くなったとこにさ、鳥が寝るとこに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛び急いでくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵!日が沈みきっちゃって、風の音や虫の音なんか、もう・・・たまんないわねッ!

冬はつとめて(早朝)よ。雪が降ったのなんか、たまんないわ!
霜がすんごく白いのも。
あと、そうじゃなくっても、すっごく寒いんで火なんか急いでおこして、炭の火持って歩いてくのも、すっごく”らしい”の。
昼になってさ、あったかくダレてけばさ、火鉢の火だって白い灰ばかりになって、ダサイのッ!

 平成ギャル語訳に比べれば、桃尻語訳のなんと典雅で格調高いとおもわれるのではないでしょうか。

 ギャル語でも方言でもいい。日本語、生き延びてほしいです。
 小生、完爾として22世紀の日本語を待ち、あまんじて其を受容するに忍びがたきをしのび、耐え難きを耐えんとす。敬具。
 はは、22世紀には生きちゃいないが。

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20240321

 平安時代を舞台にした大河ドラマ「光る君へ」、毎週見ています。史実離れのロマンス先行も、物語を色濃いものにするためと、楽しんでいます。

 枕草紙の作者、清少納言を演じるファーストサマーウイカもなかなかのキャスティング。サマーを嘉して「夏は夜」を令和ギャル語で。

てゆーか、夏は夜、エモいっつーの。月の夜、レベチ。闇夜のブラックもハオ好かわちぃ。ほたる、キャパい、爆イケ密で~す。いっコにコが、ぱお~とフライングも、とーとい。雨なんか降ってるの、ギャルみ深~い。知らんけど」

 この令和ギャル語も、来年あたりにはたちまち古ぼける日本語の運命。知らんけど。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「日本語も変わる法律も変わる」

2024-03-19 00:01:01 | エッセイ、コラム

20240319

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(3)日本語も変わる法律も変わる

 日本語について書いてきた過去ログの再掲載を続けています。

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2010/05/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>日本語でどづぞ2(1)サヌい氏は存在するか

 自分が書いたことを訂正しなければならないとき、単純な誤変換などでは訂正したあと、いちいち「訂正した」という記述は残していません。しかし、本論の主旨に関わる記述で間違いに気づきとき、訂正するときは、文末に「○○という理由で、△△を××に訂正」という注記は入れなければならない。
 訂正する必要はないと感じるけれど、訂正ではなく注記を入れておきたいことも生じます。

 映画『デイアフタートゥモロー』の中の東京が災害に見舞われるシーンで、お店の入り口が鳥居であったり、バイク屋の看板に「オートツョップ」と書かれていたりすることの違和感から、これはハリウッドが見よう見まねで作り上げたセットの東京だから、このような違和感が生じるのだ、という感想を述べたことがあります。
 
 店名の看板文字が「サヌい」となっていたことにも違和感を感じました。日本人名の表記で、漢字、平仮名、片仮名それぞれの表記があります。選挙用ポスターの人名表記など、書きやすさを重視して、漢字と平仮名を併用することもあります。しかし、平仮名とカタカナを混用するのは、名前のほうには見たことがあるけれど、苗字ではあまり見たことがありません。名前ではたとえば「マサゑ」とか「ツね子」なんていうのも私の母の世代まではありました。

 でも、店の名の看板に「サヌい」とあるのに違和感を感じたのは、日本語表記で語尾の「い」をそれだけ平仮名で表記した場合、「この語は形容詞である」という感覚になるからです。「サムい」「マルい」「ヌクい」「カタい」「ヤバい」など。
 店の名として「讃井」「さぬい」「サヌイ」ならば、違和感はありません。「さぬい」は名詞や人名と感じることもできる。しかし「サヌい」と書いてあると、この「サヌい」は、形容詞であると私は感じてしまったのです。「サヌい」なんていう形容詞は見たことありません。だから、店の看板の文字として違和感を覚えました。

 さて、「サヌい」への違和感と、その訂正についてです。たぶん、片仮名と平仮名を混ぜた「サヌい」も戸籍表記上、現在では認められないことはない、と思います。したがって、私が「サヌい」なんていう苗字が店の名として看板に書かれることはない、と感じたことは、間違いでしょう。しかし、私が違和感を感じたことも事実であって、これは訂正する必要はないと思います。私の違和感は、「日本人の苗字は、漢字またはひらがな、カタカナによって表記され、漢字かな交ぜ書きの姓や平仮名カタカナ交ぜ書きの姓はないとは言えないが、少数である」という一般的な見方によるものでありました。

 「苗字の表記には、漢字を用いる」という規定は、つい最近まで行政指導として存在しました。以前は、外国人が日本に帰化するとき姓名を日本風に直すよう指導され、それが義務ではなかったものの、漢字表記のほうが帰化申請が通り安いとされていました。現在はその指導もなくなり、カタカナの姓でもOKです。(使用漢字は日本漢字の常用漢字と人名漢字の範囲内に限られているので、中国簡体字などを使うことはできません)。

010/05/26
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>日本語でどづぞ2(2)孫と侍

 トンガ王国出身のラグビー選手ルアタンギ・バツベイ(Luatangi Vatuvei)は日本国籍帰化後の戸籍名をカタカナ表記そのまま、ルアタンギという姓にしました。名前は「侍バツベイ(さむらいバツベイ)」です。ラストサムライにあこがれて日本に留学したことから、「侍」を名前に加えました。かって私が出講していた大学の出身ですが、スポーツ特待生で別学科。私の日本語クラスには在籍したことがなかったのは残念。怪我のため2009年にラグビーの一線からはいなくなりましたが、日本の戸籍名に「ルアタンギ」という新しい姓を加えた侍バツベイさん、これからも日本国民として活躍してほしいです。
 両親の国籍のふたつを持ち、成人後に国籍を選ぶ人もいます。野球選手のダルビッシュ有は2008年に日本国籍を選び、母親の旧姓によって戸籍を作り「東本有(ひがしもとゆう)」となりました。野球選手名の登録ではダルビッシュのままですが。
 
 かっては、国籍変更の帰化申請時に、「姓は、既存の日本人の姓のなかから選ぶ」という行政指導ありました。あくまでも指導であって義務ではなかったですが、法務局は新しい姓を記載することに慎重でした。ソフトバンクの孫正義は、帰化申請をしたとき、「孫は日本人の苗字にない」という理由で、既存の姓を選ぶよう指導を受けました。そこで彼はまず、家庭裁判所へ妻の姓の変更希望を届けさせました。奥さんは規定通りの手続きを経て旧姓の苗字から「孫」という苗字に変更しました。その次に「日本人が有する既存の姓」となった「孫」で帰化申請を出し、法律に則って「孫」という苗字が認められたのです。

 日本人帰化申請も時代の要請で変化があったように、日本語表記もこれから変わっていく部分もあると思います。「てふてふ」という歴史的仮名遣い、現代表記では「ちょうちょう」と書く。私の変化予想のひとつは、平仮名の長音表記が、カタカナと同じ「ー」になる、というものです。「おかーさん」「おねーさん」などの平仮名長音表記がメールの中などでは若者に使われているので、やがてはこれが標準表記になるという予想。当たるかな?

 侍バツベイさんにとって、きっと『ラストサムライ』は、日本そのものに思えたことでしょう。2003年公開の『ラストサムライ』あたりだと、日本人俳優やスタッフががんばって、「アメリカ的思いこみの日本」像をずいぶんと訂正して撮影に臨んだというエピソードが伝わっています。

 しかし、1987年公開のラストエンペラーだと、満州皇帝溥儀の弟溥潔の妻嵯峨浩の着物姿がなんともだらしない。妊婦姿ということなのだけれど、前あわせがダラ~としていて、とても人前に出られる着物姿ではなかった。髪型も変。江戸時代の浮世絵の花魁の結髪をさらに崩したようなおかしな後ろ姿でした。ヘアメイク担当者は、日本の浮世絵を参照しながら「これぞ日本女性の髪」と思って鬘を作ったのかも知れませんが、華族出身の皇弟の妻が花魁の髪型をすることは、ありえない。

 『デイアフタートゥモロー』で感じた東京シーンへの違和感、ハリウッド映画ではよくあること。映画『ラストエンペラー』の衣装やメイクで、私には嵯峨浩の奇妙な結髪が気になったけれど、中国清朝の宮廷を知る人々にとっては、あんなのはあり得ない、と感じる衣装や髪型もたくさんあったことでしょう。今見ているテレビドラマ『蒼穹の昴』では、清朝時代の満州族宮廷の時代考証がかなり史実に近く、きちんとなされている感じがするので、『ラストエンペラー』の宮廷人たちの衣装やヘアスタイルが、これは、きっと「西洋から見た中国清朝なのだろう」とわかるようになりました。

 日本の時代劇でも、元禄時代の話なのに、女性の髪型が文化文政時代以後に流行した結髪だったり、ということはよくあることなので、そんなに目くじら立てることもないのかもしれませんが、映画の中に描かれる各国の文化、それぞれの国で「これは、我が国のようすとは違うぞ」と、感じられ、その国に人にとっては違和感が残るものなのでしょう。春庭カフェコラムでも、映画『ビルマの竪琴』のビルマ僧の僧衣がタイ仏教の僧衣であり、ビルマの人々には違和感を感じさせるものであったことを書きました。

 『デイアフタートゥモロー』の東京シーンで、店の前に立つ鳥居に違和感を感じたことを述べましたが、大阪のウェブ友toukuroさんから、「ビルの前に立つ鳥居」の写真をみせていただきました。ほんとうにビルの入り口に立っている鳥居です。少し離れたところにある神社の参道だったところに、あとからビルが建ったのではないかということですが、ビルを建てるとき、石造りの鳥居があって建築の邪魔になったのではないかと思うのですが、罰があたりそうで、撤去できなかったのか、鳥居をくぐってビルに入っていく人々、毎日どんな気分でしょうか。「日本珍景百選」というのがあったら、推薦したい写真です。

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20240319

 「日本国籍を持つ日本人の苗字には漢字を用いる」というかたくなな方針が変化したことを述べました。

 日本の法律の中で、変わるほうに賛成しているもののひとつが、「結婚した男女が同じ苗字を名乗らなければならない」という法律です。結婚したら夫の苗字になる男女のほうが圧倒的に多い現代の日本ですが、結婚前の姓を名乗ることで、職業上の不利益をこうむってしまう人々などが、法改正を求めましたが、今回も却下されました。

 夫の姓になりたい人はなったらいいし、妻の姓と同じになりたい人も同じ。ただ、結婚しても姓を変えたくない人に、変えない権利を認めよう、というだけのこと。

 ついでにいうと、結婚を「男女」に限っている現行の法律も、変えてほしい法のひとつです。

 多様性ということば。、「布地面積の狭い衣装を着けたダンサーに口移しでチップを渡したパーティの言い訳にも多様性」と言い出した昨今の「多様性」の一般化にもかかわらず、結婚だけが多様性を受け入れていないのは、残念しごく。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「変わるのがことば」

2024-03-17 12:00:01 | エッセイ、コラム

20240317

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(2)変わるのがことば

 昨日の「楽しめるです」のコラムでも、今は誤用とされる日本語もどんどん変化が進むことを紹介しました。50年前には「絶対に不可」とされたら抜き可能形が、今は辞書も認め、10代では100%、30代でも90%は出れる見れるを使っている。私の世代70代でようやく50%。

 千年前に清少納言が「ちかごろのワケーもんの日本語は間違っている」と嘆いたのと同じように、近頃の日本語は!と嘆く人々もまだまだ多い。

 春庭が再三、言ってきたこと。自分の育つ前に変化が終了している「間違った日本語」は間違っていると思わずに使い、自分が正しいと教えられた日本語が変化していこうとすると抵抗する、と。

 「楽しめるです」「このラーメン、まずみが強まるです」も、皆が使えば日本語教科書の例文にもなる。

 以下、過去ログの中から、日本語の変化についての再掲載を続けます。何度も同じ内容を繰り返していますが、覚えている人はすっとばせばいいだけのこと。春庭コラムのなかでも、「ギャル語で読む枕草紙」は、需要があって、「人気記事」という検索でたどりついたコラムの閲覧回数が多かった記事の一覧にたびたび登場する。人気といったところで、辺境の宣伝のされていない記事のことだから、たいした数ではないが、興味を持った人が、春庭コラムにたどり着いてくれるのはうれしいこと。

 では、しばらく採録を続けます。

 いくら「日本語もへんかする」と言い聞かせても、がんとして夫は自分自身が学んできた「正しい日本語」以外に認めようとしない、と嘆いておられる夫人へのコメント返信です。

~~~~~~~~~~~~~ 

「正しい日本語」という考え方で教育を受けてきたであろうお連れ合い様、教わった「正しさ」を信じて日本語を使っていけばよろしいかと思います。変化したことばを受け入れなくても、十分に社会生活はおくれます。

ただし、「ワカゾーのことばづかいが気に入らない」と言い出したときは、「あなたも、田園をでんねんと発音せずにでんえんと言っているでしょう。むかしの発音通りならでんねんですよ。稟議をひんぎといわずにりんぎと言っているでしょう。昔のとおりにひんぎといったほうがいいですよ」と突っ込んであげると、若者の言葉遣いに怒り心頭で血圧が上がったりしないのではないかと思います。

ひとつの正しさ、ひとつの正義を教え込まれるのが、お連れ合い様の受けた教育と思われます。
多様な考え方があること、さまざまな意見があることを勘案していたら、全員一致でことにあたらなければならない職場は成り立ちません。全員がひとつの正義で統一されます。

警察でも消防でも、お連れ合い様が長年働いてきた職場でも、「全員一致でひとつの正しさを信じる」という訓練をうけます。

鬼畜英米という教育を受けたとき、日本人ほぼ全員にとって、イギリス人とアメリカ人は鬼でした。
でも、1945年以後、アメリカ人は鬼ではなくて、日本のよきパートナーと教えられるようになりました。
社会思想も時代によって変わります。ことばも変わります。

財務省では、必要な書類をかくすことが正義でした。オーム真理教では、サリンをまくことが正義でした。

私は、「ひとつの正義」に統一されない社会、ひとつの「正しい日本語」にまとまらない言語のほうが生きやすいですが、ひとつの正しさに拠って生きるのも生き方のひとつです。(2018-06-06)

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20240317

 「多様性」ということばがもてはやされるようになったのは、ここ10年ほど。ほんの5,6年前から「日常語」としても用いられるようになる前は、かなり「意識高い系」の語彙でした。

 それが、国会の「自民党パーティ券キックバック裏金作り」で、議員たちが雁首揃えて、「私は関知していない」だの「最初に知っていたら止めていた」だの、しょうもない言い訳を並べるのに対して、若手議員が「言い訳も多様性の時代」とか評したそうで、「多様性」も、ここまで「意識低い系」の使われ方をするまでに、世間様に認知されたことばになったのかと、新しく世に広まった語の「浸透のしかた」を観察している日本語観察者としては、感慨深い。と思ったのですが、早とちり。多様性の言い訳は、自民党議員が集ったパーティに布地面積が極小の衣装のダンサーにチップを口移しで渡したことを言い訳するのに、多様性という語をつかったとのこと。

 日本語の変遷、これからも観察して「楽しめるです」

<つづく>

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ぽかぽか春庭「お楽しめるです」

2024-03-16 12:00:01 | エッセイ、コラム

20240316

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024にほんごでどづぞ(1)お楽しめるです            

 

 2023年3月に日本語学校を退職して、若い世代とふれあう時間がまったくなくなったこと、仕事をやめて残念に思うことのひとつです。

 若い留学生がけんめいに日本語を学び、巣立っていく姿は、送り出す者の心にも新しいエネルギーを残していってくれるものでした。

 学生の作文添削は、日本語上達のために必要なことでしたが、誤用日本語というのは、文法的な誤用にしろ、語彙の誤用にしろ、ああ、日本語を母語としない人には、このような思い違いが生じるものなのだ、という気づきを得る貴重な機会でした。

 

 そんな機会が減った日常生活の中で、先週川崎駅前の町中華の店に入ったところ、席のわきに店の人が貼った日本語が目に入り、楽しくなりました。店の人は、おそらく全員が中国語話者。阿里山という店名からみて、台湾出身の店主さんや従業員の方が多く、たぶん、長く日本で生活してきて日本語にも自信を持っている方と思われます。日本語に来て日が浅かったり、日本語に自信がないときは、つてを頼って日本語話者に添削を依頼する。それが、自作の日本語を店に張り出したのは、添削など必要ないと思うほど日本の生活に慣れているからだろうと推測しました。

 

 文面は「晩酌小皿と種類豊富お酒をお楽しめるです」

 文末にていねいな気持ちを持って「です」を付け加えるのは、日本語学習者にはよくある誤用です。 走るです、飲むです、など動詞の終止形にていねいな気持ちで「です」をつけるのも、アルアルです。「楽しめる」という語彙は、初級では出てきません。楽しい、楽しいです、はでてきますが。

 「楽しめる」という楽しむという動詞の可能形を知っているということは、かなり日本語が上達した人だと思われます。でも、ついつい動詞終止形だけだと丁寧じゃない感じがしてしまう。そこで「楽しめるです」。日本語の丁寧語の知識があるから、おビールおジュースと同じように「お楽しめるです」と、丁寧に言う。

 日本語は年々変化しています。今年75歳の高貴幸齢者になる世代にとっては、子供のころあれほど厳しくいましめられた「ラ抜き可能形」食べれる寝れるが、いまや辞書にも載る「ふつうの日本語」になっているなんて、世の移り変わり日本語の変化の速さにびっくり。局アナ代表安住紳一郎役員待遇氏は、「新げん文不一致」のすすめを提唱したことがあります。書き言葉では「信じられる」と書いて、話し言葉では「信じれる」と発音する。

 たぶん、動詞終止形に「です」をつけるていねい表現も、ラインなどのネット日本語ではもう普遍的なのかもしれません。飲むです、寝るです、やめるです。

 少し前に、「おもしろみ」「あかみ」などの「み」をつけて形容詞を名詞にする用法が、「不味い→まずみ」「つらい→つらみ」など、これまで「さ」をつけるだけで「み」はつけることはなかったイ形容詞やナ形容詞(形容動詞)にも「み」がつけられるようになったことを報告しました。いま、ネットではごく普通の日本語になっているようです。

  これから先の日本語、おおいに「お楽しめる」です。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「三波春夫生誕100周年特別企画メモリアルコンサート  in NHKホール」

2024-03-14 12:00:01 | エッセイ、コラム

20240314

ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記3月(2)三波春夫生誕100周年特別企画メモリアルコンサート  in NHKホール

 懸賞生活を続けている娘。3月も野菜セットやTシャツなどさまざまに当選していますが、13日は当選したNHKホールで開催された演歌祭に出かけてきました。

 渋谷から公園通りを歩いてNHKホールへ。14時半開演と思ったので、14時に着きました。びっくり。じいさんばあさんが大挙して長蛇の列。自由席なので、早めについてよい席を確保したいのだろうと思って列に並びました。30分ほど折れ曲がりじぐざく進んでいく列に並んでいて、当日券、当日清算券引換所という入り口が目に入りました。当選ご招待の引換ハガキは、娘が持ってきます。ご招待の座席は指定なので、娘は指定席なら開演までに入ればいいのだから、そんなに急いでいくことはないので、あとから行く、というので、娘が来るまで、待っていることにしました。私は14時開場14時半開演と思い込んでいたので、14時に入場してトイレに行ったりして開演を待とうと思ったのです。しかし、14時半開場15時開演でした。

 当日券売り場のポスターを見てびっくり第2弾。「三波春夫生誕100周年特別企画メモリアルコンサート」という公演で、五木ひろし三山ひろし辰巳ゆうと市川由紀乃出演という演歌のコンサートでした。全席指定席10000円という値段にもびっくりしましたが、70歳以上のサンクス席は2000円。たぶん、こちらは自由席なので、早く入場したほうが、よい席を得られるので、ジジババは開演1時間も前に並んでいたのでしょう。ほとんどの人が70歳以上じゃないか、と思うほどの年齢層です。2000円で五木ひろしや三山ひろしが生で見られるなら、1時間前に並ぶのも楽しみのうち。

 娘は三波春夫の名前は知っていましたが、全盛期リアルタイムでテレビなどで見た記憶はありません。ただ、東京五輪音頭や万博の歌が流れるとき、テレビに映し出される映像を見たことがあるだけ。集まっているジジババたちも、どれほど三波ファンがいたかはわかりません。74歳の私でも、三波春夫はすでに過去の歌手のひとりでしたから。五木ひろしや三山ひろしの現役ファンは集まっているだろうと思いました。1階席は、そろいの法被をきたり、ペンライトを持った人々が席を埋めています。この人たちはファンクラブ先行販売で、1階のよい席を確保している。

 私と娘の席は、2階最前列でした。双眼鏡持参を忘れたので、顔が小さくしか見えないのがざんねんでしたが、見やすい席でした。

 第1部は、三波春夫の代表作「長編歌謡浪曲」から忠臣蔵。市川由紀乃三山ひろし辰巳ゆうとが、かわるがわる、浪曲&語りと、歌謡浪曲を交互に忠臣蔵ストーリーを進めていく。五木ひろしは、赤穂城明け渡しのあと、250人の藩士のうち残った50人に語り掛ける場面、本懐遂げた後、「あっぱれであった」とこれから切腹になる浪士を誉める場面の2度出演しただけで、歌謡浪曲は、三山ひろしと辰巳ゆうとふたりの「あっぱれ」なステージでした。

 「南部坂雪の別れ」も「赤垣源蔵徳利の別れ」も知らない娘も、おぼろげにあらすじを聞き覚えた忠臣蔵をたよりに楽しめたと言います。

 第二部歌謡ショウ「熱唱オンステージスペシャル」では、三波春夫のヒット曲集と、出演歌手それぞれの新曲披露。12日大阪から生放送の「うたこん」で初めて聞いた五木ひろし歌唱の「越の国」も、聞いて、福井県敦賀まで延伸の新幹線に一度乗ってみたいと思いました。

 フィナーレ終了後、拍手なりやまぬ中、客電がつかないので、慣れている人は、カーテンコールとアンコールがあると思って席を立たずにいたのですが、コンサートに慣れていないジジババは幕が下りると席を立ってぞろぞろ出口に向かいます。暗いままもう一度幕が上がると、通路に出た客は、立ち止まる。座っている客たちから、「座ってください」と声がかかる。娘も目の前に立ったままアンコールを見ようとする客に、たまらず「座ってください」と、声を掛けました。うろうろしていた客も落ち着いて、アンコールは「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を五木三山辰巳の三人で、最後は市川と東京リキシャも加わって歌い上げました。

 娘はヒカリエで買い物をするというので、ヒカリエ6階のパスタ屋に先に入って待っている。

 私はチキンとねぎの和風パスタ、娘はカルボナーラセットを食べて帰りました。

<おわり>

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ぽかぽか春庭「楽友交響楽団コンサート in ミューザ川崎シンフォニーホール」

2024-03-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
 
20240312
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記 (1)楽友交響楽団コンサート in ミューザ川崎シンフォニーホール
 
 3月9日、はじめて川崎駅にあるミューザ川崎シンフォニーホールへ行きました。娘は、早起きできないから、母先に行って自由席の席を確保しておいてね、私は開演ぎりぎりに到着するから、というので、一人ででかけました。いつも初めてのところではたいてい迷って、反対方向に出
しまいます。12時15分から「招待ハガキと入場券のひきかえ」が始まるというのに、11時15分にはミューザ川崎についてしまいました。川崎駅2階からミューザ川崎までロードができていたからです。迷いようがない。1時間も早いので、しかたがないので、1階のサイゼリアでミネストローネとドリンクで時間をつぶしました。久しぶりのサイゼリア。娘といっしょだと「ざわざわ落ち着かない感じがいっぱいのレストランだから、きらい」というので、ひとりのときでもないと入れません。私はワンコインで時間つぶせる店、好きです。楽友
 
ミューザ川崎シンフォニーホール
 
 ミューザ川崎シンフォニーホールに初めて入りました。中央の演奏スペースをぐるりと取り巻いて客席が設置されています。オーケストラの後ろから見る機会などなかったから、うしろの席もいいかなと思ったのですが、2階席の一番前、斜め右側に二人分の席を確保しました。
 娘がほんとうに開演ぎりぎりにつきました。
 北区北とぴあの1階ロビーに移動式の小型のパイプオルガンがあり、月に1度無料の演奏があります。引っ越ししてからなかなかパイプオルガンがあり、今回はオルガン演奏もあるので、楽しみでした。
 楽友交響楽団は、アマチュアのオーケストラですが、30年くらいまえから私が「東京でいちばんうまいアマチュアオーケストラ」と思って聞いてきた腕のいいオーケストラです。日本甘ユアオーケストラ連盟に加盟している団体が140、加盟していない団体は、東京だけで500以上あるという交響楽団大国です。
 芸大、桐朋などの音楽大学以外のオーケストラで、東大慶応早稲田などのオーケストラはプロ並みに上手ですし都民オーケストラもハイレベル。その中でも、私は、楽友会をひいきにしていて、行けるときはハガキ招待券を利用して楽しんできました。 
 クラッシックコンサートの観客は、じじばばばかりで、若い人はごく少ない。文楽とか浪曲とか、若い人は見聞きしない伝統芸のひとつになりつつあります。
~~~~~~~~~~~

2024年3月9(土) 第116回定期演奏会

指揮:橘 直貴  オルガン:梅干野 安未

ヴェルディ   歌劇「ナブッコ」序曲          

エルガー    独創主題による変奏曲(エニグマ変奏曲)

サン=サーンス  交響曲第3番“オルガン付き”

(アンコール)  エルガー/愛の挨拶

 娘は、2階の右側で演奏者に対して斜めになる席で見ていたら、三半規管の具合が悪くなって、気持ちが悪くなり、オルガンの前に移動しました。オーケストラを裏から見るのは初めてで、興味深かったと言います。また、オルガンのすぐ前なので、音が大迫力で響いたそう。

 オーケストラ裏側の席、オルガン前の席にお相撲さんがいるのに気づきました。川崎出身の友風関じゃないかと推察しましたが、遠目なので、確認できません。一人で座っていらした。大相撲の関取でクラシック好きといえば友風関だろうと思ったのですが、友風関は大阪場所に出場中。え、それじゃあのお相撲さんはだれ?

 娘と町中華の店「阿里城」に入り、私は鶏肉野菜いため、娘はあんかけ焼きそばを食べて帰りました。

 

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ぽかぽか春庭「村居正之ー歴史を刻む 悠久の青ー展 in 郷さくら美術館」

2024-03-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

 「月照」をメインにした展示チラシ

20240310
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2023拾遺(1)村居正之ー歴史を刻む 悠久の青ー展 in 郷さくら美術館

 ぐるっとパス利用期間も残り少なくなったころ、12月13日、郷さくら美術館へ出かけました。
 「村井正之・歴史を刻む悠久の青」展。私は現存画家の日本画に縁遠いので初めて見る作家でした。

 郷さくら美術館の口上
 このたび郷さくら美術館では、郷さくら美術館特別展「村居正之の世界—歴史を刻む 悠久の青—」を開催いたします。日本画家・村居正之は、現代日本画壇を代表する作家の一人です。村居正之は、1947年京都府に生まれました。京都市立日吉ヶ丘高校を卒業した後、1968年に画塾である青塔社へ入塾、池田遙邨・池田道夫に師事します。1971年には第3回日展に初入選。青塔社展や日展を中心に作品を発表し、早くからその実力が認められました。現在では日展の理事や日本藝術院会員を務め、大阪芸術大学、金沢美術工芸大学では後進の指導に力を注いでいます。
 本展は、村居正之が1992年から現在まで約30年にわたって制作してきた「ギリシャ・シリーズ」をご紹介いたします。村居正之は、天然の岩絵具の中でも特に群青色に魅了され、独自の深みのある青色を表現し、その色づかいは「青い墨絵」と評されています。ギリシャ文明の遺跡や建築の情感あふれる作品の数々。悠久の時を越えて描かれた青い世界をご堪能ください。
村井正之略歴
1947年 京都府生まれ。
1966年 京都市立日吉ヶ丘高等学校美術工芸コース日本画科卒業 
1968年 青塔社に入塾 池田遙邨に師事 
2014年 大阪芸術大学美術学科学科長就任
2016年 新日春会設立総会において運営委員に選出される
2018年 第5回日展で文部科学大臣賞受賞
2020年 財団法人林宗毅博士文教基金会(台湾)の文化賞受賞
    令和元年度第76回日本藝術院賞恩賜賞受賞 日本藝術院会員に就任
2022年 画業55年 日本藝術院会員就任記念「村居正之作品展~歴史を刻む 日本画の輝き~」開催 
 

 という、錚々たる画歴の、功成り名遂げた日本画家のひとりです。日本芸術院会員とか言われるとちょっと引いてしまう癖のある「ひがみ美術好き」のHAL。「生存中に栄誉栄典を受けてお幸せな画家の絵」、ええ、ええ、芸術院会員の絵は超高く売れてリッチな画家人生をおくっているんでしょうよ、という斜め視線で入っていきました。入り口を入った第1展示室には、毎回の並べ方通り、大作がずらり。群青色の大画面に囲まれて、大量の青い顔料に圧倒されました。この群青色は青い石を砕き、画家自身が岩絵の具を作るそうです。
 2階3階も全館松居正之作品。印象的な青と白でした。

「輝く」2015
            
「輝く夜」2002
 

「悠」2021            「雨」2008
 


「リンドス黎明」          「リンドス」1998 
 

「白い教会」1998         「光」2011
 

「岬へ」1998            「月」1998
 

  「メテオラ夕映」1998           

第二展示室              
 

入口のパネル

 今回のギリシャローマの遺跡シリーズのほか、さまざまな画題で芸術院賞大賞を受賞なさるまでになった大家の日本画、青く染められて中目黒駅まで戻りました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「掃墓節」

2024-03-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240310
ぽかぽか春庭言葉の知恵の輪>春庭文字表記(8)掃墓節

 春庭アーカイブ。2009年に中国で仕事をしました。中国赴任中にブログUPした漢字話の再録です。
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2009/04/07
ニーハオ春庭中国通信>日本語でどづぞ(2)掃墓節

 当地の寒さはだいぶ薄らいできました。氷が溶ければ「もう暖かい」と感じる地元の人たちの中には、昼中はコートを脱いで歩く人も出てきました。私も、昼うちはダウンコートを脱いでオーバーになりましたが、陽が落ちて以後はまだまだ冷えるので、ダウンコートです。

 日本はもう桜満開でしょうね。娘からのメールでは、住まいの五丁目団地に咲いた桜の画像が届きました。「父、弟と、これからおばあちゃんの家へ行くところ」という文面に添付されていたものです。
 「留守中、おばあちゃんのこと、よろしくね」と、娘に頼んできたのを、ちゃんとやってくれているみたいで、ほっとしています。「母親の世話はヨメまかせ」の夫を連れだして、いっしょにおばあちゃんの家へ行くことになったのは娘の手腕です。私が夫に「自分の母親なんだから、ちっとはおかあさんのところに顔をだしなさいよ」と言っても「仕事が忙しい」を錦の御旗にするのみなので。

 さて、清明節(せいめいせつqīng míng jíe,)は、二十四節気の1つ清明を祝う日です。太陽黄経が15度になる4月5日前後に当たりますが、中国では4月5日を清明節として6日月曜日まで三連休になりました。

 これは、去年からはじまった休日です。2007年にはこの休日は実施されておらず、そのかわり五一節(メーデー休暇)が5日間ありました。去年、北京オリンピックとのかねあいという意味もあったのか、休暇が4月と5月に振り分けられたのです。

 清明節の日から穀雨までの期間全体を「清明の季節」と呼びます。草芽が伸び花が咲き、万物が清々しく明るい季節。緑の若草を踏んで春の到来を感じるため、「踏青節」とも言います。

 中国では、この春先の季節に家族みんなで祖先の墓へ行き、線香をあげ祖先を供養します。そのため、清明節のことを「掃墓節=お墓を清める節句」とも言います。お墓を清めたらお供え物をして、紙で作ったお金や飾りを燃やして先祖を弔います。
 多くの中国人が先祖の墓参りをする掃墓節。テレビでは、お墓参りに関するニュースが流れました。最近、何かと雪解けムードの台湾との交流ニュース。国民党とともに台湾に移住した人々が、大陸に残されている先祖の墓にお参りした、というニュースもありました。
 日本のことはめったにニュースになりませんが、京都にある周恩来の石碑に集まった人々のようすが報道されていました。墓への参拝ではありませんが、これも清明節にふさわしい「故人を偲ぶ」ニュースとして報道されたのでしょう。

 清明節さいしょの土曜日4月4日、私は「寝てよう日」でした。いつものように早起きをして、お昼過ぎに眠くなったので、夕方まで昼寝しました。ゆっくり疲れをとることができました。

 連休中に行きたいと思っていた所は集安市。バスに8時間乗り続けて行かねばなりませんが、古代史ファンにはおなじみの古代高句麗の王、好太王の石碑があり、世界遺産となっています。朝鮮族が多く住む地域の、北朝鮮との国境付近にあり、世界遺産登録時には、石碑の所有をめぐって北朝鮮とひと悶着あったみたいです。歴史的には古代朝鮮、高句麗の王だった好太王ですが、現在は鴨緑川を国境とするので、石碑は中国領土内に存在しています。

 当地の中国人に聞いても「好太王?広開土王?知らないなあ」というのです。この世界遺産を訪問するのは、古代史好きの日本人ツアーか、韓国人ツアーの一行がほとんで、中国人はあまり訪れないようです。
 暖かくなったら、ぜひ行ってみたい世界遺産です。

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20240309
 中国を旅した中でも、行くことができてよかった、と思える地のひとつが集安市の好太王碑です。思い出せばついこの間のことのように思いますが、もう15年も前のことになります。どんどん年をとりますが、思い出はいつまでも色あせないのがありがたいところ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「博士的愛情算式」

2024-03-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240307
ぽかぽか張る庭ことばの知恵の輪>春庭文字表記(4)博士的愛情算式

 春庭アーカイブです。
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009/04/15
ニーハオ春庭ニッポニアニッポン語教室>漢字の国からニーハオマ?(11)博士的愛情算式

 以上、今回のテーマ、中国語と日本語で意味が異なる漢語のリスト、日本語学習をする中国人にも、中国語を習う日本人にとっても、間違いやすい語を掲載しました。(手紙、愛人、工作のように、中国語と日本語で意味が異なる語彙については何度もUPしてきましたが、今回は割愛) 

 日本と中国ことばのちがい、挨拶語の微妙なちがいについて。
 学生達、廊下ですれ違うときの挨拶ことばとして、教師にむかって「センセー!」と言います。これは、中国挨拶文化では、教師に向かって「老師ラオシー!」と呼びかけるのが、朝でも昼でも夜でも共通の挨拶語として通用しているからで、老師をそのまま「センセー」と、日本語に置き換えているのです。
 中国ではそれで挨拶用語になるけれど、日本の大学で教師にむかって「センセー」と呼びかけたら、教師は質問でもあるから声をかけたのかと思うだろう、と、そのうち教えておかなければなりません。

 挨拶語、「ニーハオ你好」は、いつでも使えると思っていました。「你好」を直訳すれば「あなたの調子は好調ですか」という問いかけです。挨拶のこたえは「ハオ!好!調子いいですよ」となります。そのため、毎日顔を合わせていて、調子がいいことがわかっている人に、毎日「調子は好調か」と質問するのはやや不自然になる、と最近になって知りました。調子が悪ければ「你好ニーハオ」の返事は「不好ブーハオ」です。

 日本語では、正午過ぎに起きてきたような人が、家族にむかって、もう朝ではないからと「こんにちは」と挨拶するのは不自然になります。挨拶用語も使うべき時と場所がある。相手の調子が「好ハオ」であることがわかっている場合なら、「ニーハオ」ではなく、朝なら「早上好」「你早ニーザオ」また、相手が教師なら「老師!」と呼びかけるほうが自然だと、教えて貰いました。
 
 では、日本語と中国語の違いについて、一語。
4-19愛情
 日本語(あいじょう)--日本語の「愛情」は広い「愛」の意味で使われている。学生に対する教師の愛情、父親と娘の間の愛情、犬への愛情など、愛する対象は誰でもよい。
 中国語(àiqíng)--男女間の愛情関係。恋愛、ロマンス

 小川洋子『博士の愛した数式』をフランス語訳すると「La Formule Preferee du Professeur」で、「愛した」は「愛好した」という語に翻訳されています。「プロフェッサーの愛好した数式」という訳です。
 しかし中国語翻訳書では、漢語を並べて「博士的愛情算式」というタイトルです。日本人が中国語を学習する場合の「中国語学習用教材」として発行された中国語読み物で、日本人を対象とする本だから、このタイトルでよいとしてつけられたのかもしれません。しかし、中国人がこのタイトルを見たら、博士は人間の女性に興味がなくて、数式と恋愛するような「数学フェティシズム」男性に思えるかもしれません。

 私の場合?もちろん見目良き男性へも愛情を感じますが、何より愛しているのはやっぱり「食べること」ですね。3月に紹介した緑豆餅、すっかりファンになり、よく買って食べています。「春庭的愛情緑豆餅」

 4月15日、中国に赴任して一ヶ月たったところです。春庭的愛情の深さによって、体重が、、、、、不好(ブーハオ)、、

<つづく>
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