ニーハオ春庭「西安・秦始皇帝陵」
2007/08/28 火
ニーハオ春庭中国通信>西安・秦始皇帝陵
秦始皇陵墓内で見つかった500箇所の墓に葬られている人は、殉死者というより、おそらく、陵墓の建設に従事した人々のものだろうと推測されています。陵墓内部の秘密を守るために、陵墓建設に関わった人は、建設終了と同時に墓域内に閉じこめられたのではないか。
志願して皇帝に殉じた人もいたことでしょう。
陪葬墓から出土した人骨のひとつは、ペルシャ系のDNAと同じ特徴を持つ男性の骨と分かったのだそうです。はたして、この人は、皇帝に恩義を感じて殉死した人だったのか、陵墓を設計する技術者で、秘密を守るために無理矢理、陪葬者とされたのか。
足が弱い妹は、陵墓を見に階段を上るのはやめておくというので、待っていてもらい、姪とふたりで階段上って陵墓を見にいきました。
汗をかきかき階段を上りきると、ボランティアの人が「ぬれおしぼり」を用意し、無料で貸し出していました。ありがたく汗をぬぐいました。
中国観光地で、このような「無料サービス」を受けたのは初めてだったので、さすが始皇帝!と思いました。伊達に2300年も眠っちゃいないってとこかな。
広い陵墓の区域を見渡したのですが、どこに始皇帝が埋められている場所なのかはよくわかりません。
案内板はありますが、あまりに広くて、見比べても、どれがどこにあたるのやら。
副葬抗の兵馬俑発掘は、この30年間に体系的に研究と発掘が進められ、大きな成果を上げました。しかし、始皇帝の墓そのものについて、政府は、保存の方法がきちんと確立するまで、急な発掘はしない、と決めています。
日本の明日香村で、保存方法をきちんとこうじないまま発掘したため古墳内部にカビが生えてしまい、キトラ古墳などの貴重な壁画が失われてしまったのを考えると、発見されたからただちに掘り出すばかりがよいとは言えないことがわかります。
中国4千年の歴史を考えれば、10年20年早く発掘したって、いいことありません。あせらず悠久の構えでやるのがいいんじゃないでしょうか。
ALA中国より始皇帝陵
http://china.alaworld.com/modules.php?name=My_eGallery&do=showpic&pid=2000&orderby=hitsD
始皇帝陵の広場では、この時代の戦闘と踊りを再現したイベントが行われていました。
兵士の服装や武器などは兵馬俑から再現できます。芸人の俑から、美女たちの衣装が再現されているのもしれません。
私には秦時代の衣装と唐時代の衣装の区別などつかないのですが、美しい服装の女性達がゆったりと踊り、兵士たちは行軍と擬闘を演じました。
イベントをゆっくり見ていたせいで、タクシーの運転手は「午後3時までの拘束時間だから、もう、戻らないと3時までに市内に帰れない」と言い出しました。
最初は3時までなんてことは言わず、ただ、主な観光地を回って200元」と言っていたのに、話が変わってきました。
たぶん、運転手は「時間延長するから、割増金をだしてほしい」と、言いたかったのでしょう。
兵馬俑博物館の見学がまだ残っています。
兵馬俑を見ないで戻ったのでは、西安に来た甲斐がありませんから、「あとは、バスでもどるから、兵馬俑博物館前で私たちをおろして帰っていいよ」ということにしました。
運転手にとっては、3時前に市内に戻って200元もらうよりも、時間延長して割増金を稼いだほうがよかったのかもしれません。
愛想のよい運転手でしたから、最後までおつきあい願ったほうがいいか、ちょっと迷いましたが、私は、最初に「3時まで」と言わずに途中から「3時までの拘束時間」と言い出したことが気に入らず、もうタクシーはいいや、と感じました。
兵馬俑は、時間をかけてゆっくり見たい。
ツアー客の兵馬俑博物館の滞在時間は1時間くらいと聞きますが、一日たっぷり見ていてもいいくらいです。数千体にのぼる兵士俑の顔、ひとつとして同じ顔はないのだそうですから。
<つづく>
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2007年08月29日
ニーハオ春庭[西安・司馬遷と始皇帝]
2007/08/29 水
ニーハオ春庭中国通信>西安・司馬遷と始皇帝
歴史書に書かれている始皇帝陵は。
漢時代の『漢書』にも、北魏時代の『水経注』にも、始皇帝墓はもはや残されていないと記されています。
三国志で知られる項羽が秦二世皇帝を攻め滅ぼしたときに始皇帝陵を破壊したと。
これらの歴史書は、始皇帝が死んだのち、600年くらいしてからの記述です。
始皇帝の時代に一番近い記述は、司馬遷の『史記』です。
司馬遷が生まれた紀元前145年は、始皇帝が薨去した紀元前210年から55年たったとき。
第二次大戦後62年たった今も、戦争の記憶を語り継ぐ人がいるのですから、今より短命だった紀元前とはいっても、きっと司馬遷の周囲に始皇帝時代のことを語り伝えることのできる人がいたのではないかと思います。
司馬家は、歴史を司る家柄でしたから、きっとそのへんの資料をあつめていたのではないかと想像されます。
陵墓建設は、始皇帝没後も続けられており、項羽が秦の二世皇帝子嬰を滅ぼしたことを「現代史」として記憶する人が、司馬遷の周囲に残っていたと思われます。
司馬遷は『秦本紀』と『秦始皇本紀』の二本立てで詳しく記述しています。
始皇帝の風貌については、「鋭く高い鼻、目はつりあがって切れ長、鷹のように突き出た胸、やま犬のような声」と描写しています。始皇帝その人を見た者が、司馬遷の周囲にいたのではないか、と思えるような描き方です。
始皇帝陵について、司馬遷は、「始皇帝は地下に生前の暮らしをそっくり再現する地下宮殿をつくり、町を守る城壁も、近衛師団も、山や川までもが、地下に作られていた」と記述しています。
この近衛師団が、8000体の兵馬俑でしょう。
では、川は?この川には水銀が流れ、盗掘にやってくる者は、この水銀の川に阻まれ、さらには、自動的に発射される装置によって射抜かれ、誰一人皇帝の墓には近づけない、、、、と。
その記述が正確であったことが実証されたのは、実に『史記』が書かれてから2000年後のこと。2003年のリモートセンシングによる科学的調査によります。
あたり一帯の水銀の濃度が異常に高いこともわかりました。地下宮殿の広さは東西170M、南北50M、高さ15Mの大宮殿であったこともわかりました。
広大だったと伝えられた陵墓が完全に地下に隠れたものになっていたため、『漢書』などで、項羽が全部破壊し、盗掘してしまったので、現存していない、と書かれたのです。
しかし、始皇帝墓は実在していました。
盗掘しようとしたものは確かにいました。盗掘のための穴が掘られていた。けれど、陵墓まで到達できた盗掘穴はなかった。みな、地下軍団に阻まれたか、何一つ盗み出すことはできませんでした。
エジプトのピラミッドがほとんど盗掘されていることを考えると、「絶対に盗掘させないぞ」という始皇帝の執念が感じられます。
司馬遷の記述が正確なものであったことはわかりましたが、陵墓の発掘は、保存方法の確立まで延期されたため、それ以上のことはまだわかっていません。
始皇帝陵墓リモートセンシング探査に先立つ30年前。1974年、井戸を掘ろうとした農民たちが偶然に発見した兵馬俑。
秦の始皇帝陵墓の副葬坑の発掘は、世界中の人を驚かせました。
兵馬俑博物館は、第一号、二号、三号の兵馬俑坑を、体育館のような広い建物のなかに納め、そっくり保存してあります。
最も有名な馬車俑を展示する館を入れて4つの博物館から構成されています。
入場料90元。入場するときは「高っ」とおもったけれど、見終わったら90元という中国物価にすれば割高な入場料も納得できる規模でした。
<つづく>
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2007年08月31日
ニーハオ春庭「西安・兵馬俑博物館」
2007/08/31 金
ニーハオ春庭中国通信>西安・兵馬俑博物館
第一号兵馬俑坑の面積は134260㎡あり、その中には、武士陶俑500体、木造戦車18台、陶馬百匹余が出土。
兵士陶俑の高さは実物と同じくらいで、平均高さ1.8m。同じ顔をしたものが一体もないというのがすごい!
発掘現場をそのまま残してあり、発掘途中のようす、出土した兵馬俑を並べているところなどを見ることができます。
兵馬俑は、1987年に世界遺産に指定されています。
妹は、群馬県立歴史博物館で兵馬俑展が開催されたとき、歴史好きな父が行きたがったので、いっしょに見にいっています。
ちょうど20年前1987年の特別展「中国陜西省文物展」です。世界遺産に指定されたときだったので、歴史大好きの父にとっては、何をおいても見にいきたかったのでしょう。
妹は、「あのときは、兵馬俑っていっても何も興味がなくって、ただおじいちゃんが見たいっていうから連れて行ってあげただけだったけれど、本物の兵馬俑坑はこんなすごいもんだったんだねぇ」と、しみじみ。
私の歴史好きは父親ゆずり。文学好きは母の血を受け継ぎ、演劇好きは母方の祖父に繋がっています。
ほんとに、亡父に見せてやったら、どんなにか大興奮だったでしょう。連れてきてやりたかったなあ。
第二号坑の面積は約6000㎡。
陶俑と陶馬は合計1300体余、戦車が89両あり、歩兵、騎兵、戦車もある。
第三号坑の面積は約376㎡で、他のふたつに比べて小規模ですが、ここには、地下の大軍を統師する指揮部が埋められていました。
武士俑68体、戦車1両陶馬4匹。
三号坑の軍陣配列は全体として秦の軍隊の編成の縮図であるといいます。
馬車の展示館。1980年に発掘された、馬車を特別に展示しています。
彩色あざやかな四頭立て馬車は、最も有名で、兵馬俑といえばこの写真が使われる。
現在も兵馬俑坑は、引き続き研究と発掘が行われています。
全体で8000体と言われている兵馬俑も、さらに発掘すればするほど、新しい発見物がでてくる。
21世紀中に全体像があきらかになるかどうか。
みんなに配るおみやげとして「兵馬俑キーホルダー」を買いました。2000年も始皇帝を守ってきたので、守りの力がとても強いんだよ、というみやげ屋のおばちゃんの売り言葉を信じて、まとめ買い。
「自分のためのおみやげ」として、『秦の始皇帝の地下軍団ー世界の八番目の奇跡』という写真集を買いました。日本語版も韓国語版も売っていました。
『偽満州絵はがき集成写真集』なども買いましたが、翻訳の日本語の文章がへんなところが多かった。でも、『秦の始皇帝の地下軍団』の中国語版の翻訳、なかなかしっかりしたよい日本語になっていました。兵馬俑の記念として楽しめそうです。
リンクは人民日報の兵馬俑のスライドショウ
http://j.people.com.cn/cehua/20050525/home.files/frame.htm
<つづく>
2007/09/02 日
ニーハオ春庭中国通信>西安・公共トイレと足浴マッサージ
タクシーを帰してしまい、バスで市内に戻ることに。
バス停、わかるかなあ、と心配しながら兵馬俑博物館を出てきましたが、駐車場の前、306路線のバス停留所、すぐにわかりました。
路線バスなので西安鉄道駅前まで90分もかかりましたが、ひとり7元(安っ!)
やっぱり、私は行き帰りともバスにしたかった。
タクシーで、目的地まで一目さん、というより、いろんな人といっしょに乗り合わせて、次はどんな停留所なのかなと思いながら進んでいくのが好き。
バスのなかで、中国語が聞き取れなくても、乗客同士のおしゃべりを聞いているのが楽しい。
西安駅前の公共トイレで、私の聞き取りが悪いために、またまた一悶着。
トイレ代の5角を払い、おばさんの前においてあるティッシュをひとつもらおうとしました。おばさん「ごちゃごちゃ、、、、」と、怒る。
私は「トイレのお金を払え」と言われたのだと思い、「今、3人分払ったじゃないの」と、言い返しました。おばちゃん、さらに「ごちゃごちゃ、、、」と、怒る。私も怒って、「いいよ、もうこのトイレ使わない」と、駅前の別の公共トイレへ。
お金を払い、ティッシュをもらおうとすると、今度は係りのおっちゃんが「ごちゃごちゃ、、、、」と、怒る。
「えっえっ、お金払ったのに」と、私。
妹が、「ねぇ、そのティッシュ、別料金なんじゃないの?」と、言い出しました。
えっ、済南の観光地では、5角を払うとちり紙をつけてくれたのに。きたないトイレで水も流れなかったけれど、5角は紙代かと思って払ってきた。
西安では、トイレ代5角と紙代は別料金なのでした。な~んだ、「払え」って怒られたのは、ティッシュペーパー代金だったのね。
妹、私の聞き取り能力にすっかり不信の念。スンマヘン、中国語わかんなくて。
てんやわんやで、なんとかトイレをすませました。
ホテルに戻ると、妹はまたまた「足が疲れたから、マッサージ頼みたいけれど、今度は足だけにしておく」と、2階へ降りて足マッサージを受けることにしました。
私と姪もついていったので、マネジャーは、ちょっと困った。マッサージ技術を持っている人は、その時店内にふたりしかいなかったから。
そう言ってくれれば、私は別段マッサージしてもしなくてもいいのだから、妹にゆずって、客室に戻っていたのに、下手な筆談でも、まったく日本語が通じないよりマシだからと、私もいっしょにいることにしたため、ひとりマッサージ担当者が不足してしまった。
私と姪には、地味な若い女性と30代後半の女性が担当になりました。
妹の足を担当することになった子は、ミニスカートから赤いパンティをチラチラさせ、胸の谷間を大胆にえぐっている衣装の、厚化粧ギャル。
あれ、この子、ちゃんとマッサージできるのかしら、と思っていたら、途中でやたらにケータイが鳴り、マッサージしている時間より、ケータイに出て中断している時間のほうが長い。
20分くらいすると、妹はカンカンになってしまい、「いいかげんにして!もう、あんたやんなくっていいよ。そんなふうにただなでていたって、ちっともマッサージ効果なんかないから。男性ならそういうおさすりでも喜ぶ人いるだろうけれど、あたしはそんな胸の谷間見せられたって、お金払わないから!」と、日本語で怒り出した。
結局、姪の足を担当していた若い女性が、姪の分が終わってから、妹の足をやり直すことになりました。
「前の人が20分やったから、あなた残りの40分やって」と、お願いし、今度は「この子は、ちゃんとツボを心得ているし、リンパ液の流れも理解している。ちゃんとマッサージの研修を受けている子だ」と、妹も納得。
<つづく>
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2007年09月03日
ニーハオ春庭「西安・おみやげいっぱい」
2007/09/03 月
ニーハオ春庭中国通信>西安・おみやげいっぱい
足浴マッサージ、ひとり60分40元。3人分の支払いのほか、姪と妹の両方をやってくれた子にチップをはずんでやりました。
支払いが終わっても、妹は「男性専門しかやったことない子を、ほんとうに足が痛い人のマッサージに差し向けるマネージャーが悪い!」と、怒りがおさまりません。
妹は、小さいときから身体が弱く、今もしょっちゅうマッサージや整体のお世話になっています。妹にではなく、私のところに赤パンティの小姐が来たのなら、私はマッサージしてもしなくてもたいしてちがわないのだから、きっと「マッサージしている時間よりケータイでおしゃべりしている時間のほうが長いなあ」と思っただけで、マッサージの技術を持っていないことを気にせずにおわったかもしれません。
マッサージについてよく勉強していて、ツボだとか、リンパの流れだとか知っている妹の担当になったことが、彼女の不運でした。
最後にお会計をするとき、フロントのソファに寝そべって化粧直しに余念ない彼女、そっぽ向いて「あたしの胸の谷間に感激しない客なんて客じゃないわ!」って雰囲気でした。
「日本だったら、これだけ客を怒らせたら、マネージャーがあの子にとにかく頭をさげさせて、マネジャーもおわびのヒトコトをいうところだけれど、ここは日本じゃないから、みんな平気な顔してるわね。日本だったら、インターネットで書き込みしてやれるのに」と、妹がいうので、書いておきます。
中国でマッサージを受けるとき、ほんとうにマッサージできるのか、胸の谷間をちらちらさせながら、さするだけの子なのか、よく確かめてから依頼しませう。
アハッ、もちろん赤パンティの彼女のほうを指名したいって方もいますよね。
8月6日午前中、デパート文商大厦で買い物。妹は西安特産のお茶やお菓子を買い込みました。中国食品バッシングが起きている最中だからと、食料品の買い込みは少なくしたというのですが、それでもNPO法人の仲間といっしょにお茶を飲むときのお茶菓子とか、いろいろ買い込みます。
午後3時半の便で大連に戻る予定だったのですが、飛行機が遅れました。
中国語わからない3人だからと、国内便なのに、国際線と同じように2時間前には飛行場につく用心をしていたので、飛行機に乗り込むまで3時間以上も西安咸陽国際空港で「何もできない時間」をとられました。
おまけに、なぜ飛行機が遅れているのか、これからどうなるのか、という説明が中国語だけなので、英語ができるという係員に「Please explain it to me. What's happen」と、聞いても、「O.K. O.K.」というだけで、何がOKなのか、さっぱり要領を得ません。
中国語の聞き取りがさっぱりできない私に、妹は「半年も中国にいて、よくそんだけ中国語できないまま暮らせたわね」というのですが、はい、暮らしてきてしまいました。
ま、こんなことで、私が買った「ニセ青石」、妹が受けた「おさすりマッサージ」「どうして飛行機がおくれているのか、さっぱりわからんちん」と、珍道中は続きましたが、無事、大連行きの飛行機に乗り込み、ドタバタ西安旅行も、「楽しかったあ」と、終わりになりました。
三千年の歴史を胸につめ、西安料理を腹につめて、飛行機は大連へ。
華清宮のけだるそうだったコスプレ楊貴妃さんも、青石売りのおばちゃんも、マッサージの赤パンティ小姐も、みんな元気でネー。
<西安おわり大連へ>
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2007/09/04 火
ニーハオ春庭中国通信>大連賓館スィート宿泊&ひとり75円の夕食
8月3日夜に大連賓館に泊まったとき、「次は、中山広場が見下ろせる部屋にしてください」と、注文しておきました。
それで、8月6日夜と7日夜は、広場側のスィートルームに宿泊できました。
ツインベッドの寝室と、ソファセットや飾り棚などあるゆったりした居間の二部屋。東京2DK団地の我が家より広い。
貧乏性のわたくし、中国に来て、スィートに泊まるのは、はじめてでございます。
居間のほうにエキストラベッドをいれてトリプルルームにしてしまうところが、やっぱりちょっと貧乏性。「こんなに広い部屋なのに、これと別にシングルルームをとるなんて、もったいない」と、考えるところが庶民です。
8月6日の晩。西安からの飛行機が大幅に遅れて大連に到着しました。
私たちを「大連星海広場ビール祭」に案内しようと待っていてくれたハンさんも、あきらめて家に戻ったところ。
晩ご飯を食べに大連賓館の海鮮レストランへ行ったのですが、遅い時間で、もうレストランは閉まっていました。
大連賓館の海鮮レストランでは3人で600元(9000円)くらいの予算でした。これでも、日本の中華海鮮料理店の値段からすれば、「安い!」と、妹は言っていたのです。
どこでもいいから、近場で食べようと、町をぶらぶら歩いて、目の前に並んだ料理の中から好きなのを指定して皿に盛りつけてもらう式の大衆食堂へ入りました。
私はいつもこの方式の「指さし中国語」で、不自由なく食べてきました。
料理3皿、スープ、饅頭などをとって会計をしたら、3人分で15元でした。ひとり分日本円にすると75円。姪が「安っ!」と、びっくり。
なんのなんの、私はいつもこんな程度で食べてきた。
私の教え子たちの職業は大学教師ですから、中国社会階層では上層に属しています。食の安全や栄養に関心が深い。それで、よく忠告してくれました。
「先生は、安い食堂で食べないほうがいいです。安い油をつかった料理を食べると、おなかをこわします」
でも、私のおなかが調子悪かったのは、中国に着いてすぐの3月だけ。
あとは、どんな安食堂だろうと、田舎のこぎたない食堂だろうと、鉄の胃袋で消化してきました。
大衆食堂3人で15元の料理だって、特別まずいわけでもなく、おいしい中華料理です。たぶん、最高級の食用油とかは使っていないだろうけれど。
料理油の品質の話は日本でも報道されていて、妹も知ってはいましたが、まあ、1回くらいの食事で身体を悪くすることもないでしょう。
それに、もし中国の安食堂で食事し続けている人々が、品質の悪い食用油によって健康被害を受けるようなことが事実としてあるのなら、それは、国の機関がきちんと対処すべきこと。
(段ボール入り肉饅はねつ造ということで決着がつきましたが)
自分たちだけは安全な食料品を「私たちはお金があるから高くても安全なものを食べますワ、オホホ」と食べればすむことなのでしょうか。
「どんな安い食べ物をとっている貧乏人でも健康によい安全なものを食べる」のは、人として当然の権利と思うのですが。
「ひとり5元75円で夕食を食べたって、自慢しようっと。友達へのみやげ話ができた」と、妹も大喜び。
宿泊はスイートルームに泊まって、夕食は一人前5元ってところが、とってもアンバランスで、話としてはおもしろい。
大連の夜、スィートルームの寝心地は?
私は、村の一泊10元のフロ屋でもぐっすり眠れる「3分間目をつむっていれば寝つく」人なので、スイートだからって、寝心地が特に変わるってこともなく、、、、。ばたんキュー。
昔は、スイートルームっていうのは、新婚さんが泊まる「あま~いお部屋」と思いこんでいました。sweetじゃなくて、「ひと続き」の意味の suite のことだって知ったのは、甘い新婚時代なんぞとうに過ぎ去った頃。
新婚時代にはスイートなんぞ泊まったことがありませんでしたが、せめて、甘いもん食べてる夢でも見ましょう。
リンクは大連賓館HP日本語ページ http://www.dl-hotel.com/jp/index.htm
<つづく>
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2007年09月05日
ニーハオ春庭「大連老虎極地海洋動物館の座席」
2007/09/05 水
ニーハオ春庭中国通信>大連老虎極地海洋動物館の座席
7日は、友人のハンさんの案内で、午前中は東海公園から星海公園への海岸通りドライブ。
緑ゆたかな海辺、そして海際の山の中の道をタクシーで走りました。
大連老虎灘海洋公園では、中国でここしかいないという「白い鯨」のショウへ案内してもらいました。
2002年4月に開園した「老虎灘極地海洋動物館」の目玉、アシカと白鯨のショウです。鯨といってもそんなに大きい種類ではありません。かわいい感じ。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.ln.xinhuanet.com/xwzx/2006-10/20/content_8302716.htm
http://www.tbs.co.jp/chainavi/oa20060722.html
開園以来、4回ここで遊んだというハンさんが「こんなに混んでいるのは初めて」という混みようでした。
立ち見覚悟で最後尾に立っていたら、すぐ前のベンチにすわっていた外人ふたりが、予定の集合時間になってしまったらしく、立ち去りました。
外人がふたり去ったあきスペースに、中国人女性といっしょにすわったら、右側に座っていたロシア語でしゃべっているおばさんに「あっちいけ」のジェスチャーをされました。
自分の座っている隣が空いたのだから、自分に権利があると言いたいらしい。おばさんは、私を押しのけて自分の息子(中学生くらい)を呼んで座らせようとしました。
一瞬腰を上げそうになりましたが、「ここは中国、自己主張しなくちゃ」と思い直して、「私は目の前に空いたスペースに座ったんです。あなたの隣の席だからといってあなたに所有権があるわけないので、私はこのまま座っていますよ」と、「日本語で」主張し、どきませんでした。
息子もむりやりロシアママの隣に座ったから、ふたり分のスペースに三人で座ることになりました。きつっ!
中国人女性は、「きつくなった」と中国語で文句をいう。そんなこと私に言われても、、、、。
私も、日本にいれば、ずうずうしさにかけてかなりなもんのオバハンですが、どうも中国語やロシア語のまくし立てに、日本語オバハンの主張は、分が悪いみたい。
ショウを見ながらも、この「異文化体験」について考察。日本語教師だからネ。
日本の「場所取り」文化の比較考察。
満員の電車の中で、座席にすわっていた人が立って下車した場合、そのすぐ目の前に立っていた人に座る権利が回ってきたと、皆が思っている。だから、目の前に立っていた人は、下車する人がドアへと向かう頃合いをみはからい、下車する人のじゃまにならないタイミングで座席に腰を下ろす。
ところが、このタイミングをみはからっている間に、私の隣に立っていた人がちゃっかりすわってしまう場合がある。
「違うわよ、私は、満員の中、下車する人のじゃまにならないように、脇に寄っていたのであって、座りたくないという意味じゃなかったんです」と、私は心の中で思うのに、斜め隣に立っていたオバハン(オッサン)は、知らん顔で座ってしまったあと。
「あんた、目の前の席に座らないようだから、私、すわったのよ」と、いう顔で、デンと座ってしまったら、もう、私は立ち続けるしかない。
「ああ、下車する人が出やすいように、脇によけるんじゃなかった、自分の目の前の座席を確保するように身体を動かせばよかった」なんて、毎度の後悔。
「ほんま、脇から私の座席とるなんて、ずうずうしいオバハン(オッサン)やなあ」と、通勤の間中腹を立てている。
でも、この「目の前に空いた座席は私のもの、という暗黙の了解」は、どうして皆の「暗黙の了解になっているんだろうなあ」と思います。
また、プールサイドやディズニーランドのパレードコース、花火見物の河川敷、などで、「ビニールシートしいてある敷地は自分たち家族のもの」という「暗黙の了解」も、面白いなあと思います。
何も敷いていないで、立っているだけでは、いくら「ここ、あとから私の家族が来る分のスペースです」と、言っても、どんどん人が入ってきて侵略されてしまう。
ところが、ビニールシート一枚ひろげてあれば、その一枚の領地には人がはいってこない。
映画館で、座席を立ってトイレにいく場合、座席の上にハンカチ一枚でも文庫本一冊でもおいてからトイレに立つ。
このハンカチ一枚は「この座席は私のものですよ」という印。あとから来た人は、たとえ百円ショップで買った安物ハンカチであっても、それをどけてその席に座ることはしない。
これなども、「物がおいてある座席を横取りしない」という暗黙の了解事項が全員になされているから成り立つ社会常識になる。
「持ち主を知らなくても、物があったら、他人の物に手をつけてはならない」という社会の了解事項が守られているからです。
でも、「ハンカチがおいてあろうと、そんなものはどけてしまってよい」という社会常識の国もあるだろうし、ビニールシートなんぞ、「領有宣言にはなりえない」という地域もあるに違いない。
この、ビニールシートやハンカチ一枚が「領有宣言」になるというのは、たとえ百円のものでも、それをどけたりしたら、「他人のものに手をつけた」という盗人になるという社会常識があるからでしょう。
これとはちがう常識の社会もあると思います。
道に落ちているものは、「不必要なもの」ではなく、「誰かが落としたもの」だから、交番に届けなければならない、ということを、親からいやというほどしつけられているから、子供でも「道におちているものは、警察に届ける」という社会常識となる。
ある地域では「置き引き」と見なされている行為が、「放棄された物をいただくだけ」という意識で持ち去られる地域もあるでしょう。
「持ち主の手を離れて、そこに置かれている荷物は、持ち主不明=不必要な品物となる」と考える人もいるんじゃないかな。
ちょっとでも手を離したら、そのカバンは「放棄された落とし物、不必要なもの」と、みなされてしまう。
「砂漠や野原の真ん中に落ちているものは、だれかが放棄したものだから、見つけた人が再利用してやったほうがいい」という地域の常識が拡大解釈されて、「手が放れている品物は放棄された物」と考えれば、置き引きは犯罪ではなくなるってこともあるだろうなあ。
ハンカチ一枚くらいじゃ、「その座席は私のもの」にはならない地域もあるということを知ってはいたけれど、大連の白鯨ショウで、「隣の席があいたら、私のもの」と「目の前の座席が空いたら私の席」の、権利のぶつかりあいでは、まあ、私のほうが「ちょっと押され気味」ながら、引き分けにおわりました。
<つづく>
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2007年09月06日
ニーハオ春庭「大連老虎極地海洋動物館の白鯨ショウ」
2007/09/06 木
ニーハオ春庭中国通信>大連老虎極地海洋動物館の白鯨ショウ
きちきち座席でみた白い鯨。
リズムに合わせて身体をゆすったり、観客の中から選ばれた女性の顔にキスしたり、飼育員のイケメンおにいさん(山本耕一似)が白鯨の背の上に立ち、プールを一周したり、なかなか愛嬌がありました。
次はイルカショウ。男の子がフラフープするのと競争で鼻先で輪を回したり、鼻でボールをついたり輪くぐりをしたり。
数字の足し算引き算、ほんとうに計算ができるみたいに、「5+2は?」「4-1は?」などの飼育員の合図でイルカがボードを鼻先で押す。
子供達は、本当にイルカが計算できると思って、「イー、アール、サン、スー、ウー、リュー、チー」と、大声でイルカがボードを押すのに合わせて声を張り上げて数を数えています。
「10ー1」の計算で、イルカが11回ボードを押してしまったときには、「あ~あ、まちがえちゃった」と残念がる声。「ちがうよ、足し算じゃないよ、引き算だよ」と、あちこちからイルカに教えてあげようとするかわいい声があがります。みんな、算数とくいなんだね。
飼育員が「ほら、これは引き算だろ、もう一度ちゃんと計算して」と、言うと、イルカは、次は9回ボードを押しました。なかなか芸が細かい。
サンシャイン、品川、油壺水族館などで、イルカやアシカのショウを見てきましたが、こんなに観客が大喜びでノリノリになるのを見るのはなかなかないことなので、きつきつ座席でも楽しかったです。
昼ご飯は、星海広場わきの上海料理の店。
食べたことのないもの、というコンセプトで「鶏の足料理」などを注文。妹と姪、興味しんしんでこわごわ鶏の足にかじりついてみましたが、、、、、、、コラーゲンたっぷりといわれても、はあ、やっぱり見た目でいまひとつ食欲わかない、という感想でした。
四川料理や上海料理は、日ごろ食べ慣れた東北料理とはまた違う食材や味付けがあり、中華料理、北から南まで、幅広い。
大連でも、海鮮料理、東北料理、上海料理、いろんな味を楽しめて、「中国食べ歩き旅行」の私と妹には、またまた「ダイエットは来年から」の日々です。
<大連おわり 北京へ(北京篇は9月中旬より掲載します。次回から「へいわのうた」シリーズ)>
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2007/09/14 金
ニーハオ春庭中国通信>北京南苑空港
春庭の中国滞在報告、最後の滞在地は北京でした。
8月8日、妹と姪を大連空港で見送りました。ふたりは成田へ。
6日間の旅で軽装のふたりに、私のスーツケースを持ち帰ってもらいました。
一番大きな荷物が減って、北京でのひとり歩きも、少しは身軽な気持ち。
公用旅券での旅、最初に文部科学省に届け出た「北京から帰国」が、変更不可と言われました。しかたなく大連から妹といっしょに帰国するのをあきらめ、私は北京へ。
妹と姪が国際線ロビーに入った1時間あと、私は国内線で北京へ。
スーツケースが減っても、私の荷物は、キャリーカートバッグ、ボストンバック。パソコンバック。
衣類や本などは、7月中に段ボール箱3箱に詰め、船便で日本へ送ったのですが、手で運びたいものだけでも、半年分の荷物となると、ずいぶんな量です。
大連発北京行き飛行機は、北京首都国際空港ではなく、北京南苑空港という小さな空港につきました。
長年、軍が使用してきた空港で、2005年に民間利用が許可になったので、旅客用の設備などはありません。
妹たちの成田行きが出たあとの一番早い北京行きということで、選んだ便でしたが、なんでも人と違うことをしてみたい私には、よい経験でした。っていうかちょっと痛い経験になりましたが。
南苑空港の写真 個人ブログより http://4travel.jp/traveler/nh155/album/10170810/
私が買った北京地図には、「軍関連」の施設が掲載されておらず、この南苑空港が北京市のどのあたりにあるのか、まったくわからずに空港に到着しました。
荷物受け取りはプレハブの中で。
プレハブの外に、リムジンバスとタクシーが客待ちしています。
リムジンバスに乗り込もうとしたら、あんちゃんが話しかけてきました。
「どこまで」
「牡丹賓館」
「このバスは西単が終点だから、牡丹賓館までいかないよ。タクシーにしなよ」
「タクシーは、高いからヤダ」
「150元でいくよ」
「ウェー、高っ。リムジンバスは20元でしょ」
西単からもう一度タクシーに乗り換えるのも、荷物が多いのでたいへんと思ったので、あんちゃんのタクシーに乗車。乗り込んでみたら、メーターもついていなくて正規のタクシーじゃなかった。しまった、とおもったけれど、もうおそい。
北京首都国際空港から市内天安門までは31km、タクシー70~90元程度なのに対して、南苑空港から天安門まではたったの13km。距離は二分の一。
でも、このあんちゃんは、どこをどう回ったのか、1時間もぐるぐる運転していて、高速道路にも入り、牡丹賓館の前で「高速代は別だから」と、130元要求しました。
南苑空港から牡丹賓館まで、たかだか20kmほどの距離を、渋滞もないのにどう走りまわったら60分の運転時間になったのやら。北京の町を見物ドライブしたと思えばいいのでしょうが、あいにく、タクシーに乗り込んだら眠くなってうとうとしていたのでした。
うとうとしている間、ぐるぐるとどこやらを走り回っていた、、、、。
ひとり旅、油断禁物、うたた寝厳禁です。
大連ですられたお金は、完全な犯罪なのに、「私がうすぼんやりしていたから」と、あきらめがつくのに、北京のタクシーのほうは、「ぼられた」という感じが強い。南苑空港から市内までの料金を知らずに乗り込んだ自分が悪いのであって、ちゃんと調べておかなかったことが悔しいのです。
正直なタクシー運転手も多いのでしょうが、このようなボッタクリを取り締まらないと、来年の北京オリンピックで、観光客から中国への不信感が強まるのかも。
各空港のタクシー乗り場には、大きく、「市内まで約80元」「天安門まで30元」というような掲示をしておくといいのではないかしら。
オリンピック見物の方、首都国際航空から市内までは、高速代いれても80~100元ですからね。300元とか、要求するタクシーには乗り込まないようにね。
旅行客にいやな気分を与えたら、オリンピックで国威発揚をはかる政府の意気込みも諸国からのお客さんに伝わらないのではないかと思います。
市民マナーの向上が叫ばれ、意識改革が呼びかけられているさなか、「ごみを路上に捨てないようにしようキャンペーン」とか、「行列をきちんと作って、割り込みしないようにしよう」とか、いろいろ言われていますが、「ぼったくりタクシー追放」というのも、北京ですすめてほしいです。
<つづく>
11:11 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2007年09月15日
ニーハオ春庭「北京の鼓楼」
2007/09/15 土
ニーハオ春庭中国通信>北京の鼓楼
かって、鼓楼の太鼓、鐘楼の鐘によって市中に時刻を知らせていたのは、北京も西安も同じ。
今回の北京の街あるき、私の「ランドマーク」は鼓楼でした。
2007年の北京、見ておきたいところは、天安門でも万里の長城でもありません。
「取り壊される前の故同(フートン)」が、今回の北京旅行の目的地域。故同は、北京の「下町路地」です。
北京の鼓楼の東側には鼓楼東大街、西側には鼓楼西大街。シンプルです。
池袋西口にあるのが東武、東口にあるのが西武デパートというよりずっとわかりやすく、迷わずにすむネーミング。
北京故同あるきの途中、鼓楼(入場料20元)に上って、市中を眺めました。高いところに上るのは、大好きです。高さは46,7メートル。
鼓楼の入場口から73段の急な階段があります。
エレベーターをつけてほしいなあ、なんて思いながら、ふうふうと休み休み登りました。
いや、だから、ほら、バリアフリーの時代だし。足腰弱い人も身体の不自由な人も、お年寄りも、歴史的建造物を鑑賞できたほうがいいでしょ。
エレベーター、私のためじゃなくて、お年寄りのためですから。って、私も年寄りでしたね、、、、、、。眉毛にも白髪を1本見つけました、ぐすん。
上りきったところに、24個の大太鼓が展示されています。
太鼓の打ち手は、水時計によって正確な時刻を知り、太鼓の音によって、市内に住む人々に時刻を知らせていました。
(現在の鼓楼に展示されている水時計は複製品です)
鼓楼では、30分ごとに太鼓の演奏が行われます。
私は12時半の演奏を聴きました。
昔は、24人の打ち手が108回太鼓をうち鳴らしたということですが、私が見たときは、7人か8人くらいだったように思います。
108回うち鳴らすのは、1年12ヶ月、24節季、72候の「12+24+72」の合計数が108だからですって。
日本の除夜の鐘を鳴らして煩悩を打ち散らす108回という数の由来には、諸説あるのだけれど、六根清浄の六(目耳口鼻身意)×2(浄・染=きれいと汚い)×3(良・悪・平)×3(前世・現世・来世)6×2×3×3=108なんだって。
なんかこじつけっぽい気がする。
だんぜん12+24+72というほうが、いい。なぜならば。
私、かけ算は苦手。計算よわいです。足し算なら、12+24+72くらいは指折り数えればなんとか計算でできる。だから、足し算の方に賛成。
リズムにのって、勇壮にうち鳴らされる太鼓、なかなか見事な演奏でした。
打楽器演奏、大好きです。和太鼓もパンソリの太鼓もアフリカントーキングドラムも。
鼓楼のテラスから地上を見下ろす。
鼓楼の北側には鐘楼があります。鼓楼と鐘楼の間は広い駐車場になっており、たくさんの観光バスが出入りし、また、故同めぐりを勧誘する輪タクが駐車しています。
その広場にピンクのひらひら扇を持ったおばさんたちが並び、東北のヤンガーのような歌と踊りの披露がはじまりました。
観光客がいっしょに扇をもって踊りに加わっています。ブラックアメリカンらしい数人、楽しそうに扇をふっているのが、鼓楼北側の展望所から眺められます。
鼓楼の周囲は、古い故同が集中しており、上から眺めると、故同の家々、四合院の屋根が見渡せます。あちこちに壊された故同のがれき山も見えます。
リンクは中国国際放送局HP http://japanese.cri.cn/304/2006/08/20/1@71356.htm
<つづく>
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2007年09月16日
ニーハオ春庭「鼓楼近辺・浦安ラーメン」
2007/09/16 日
ニーハオ春庭中国通信>鼓楼近辺・浦安ラーメン
8月9日、鼓楼の周囲の故同めぐり、鼓楼を中心にしたおかげで、方向音痴の私でも迷わずにすみました。
でも、帰りのバス停は見つけにくかった。
バス路線がたくさんあるので、バス停は路線ごとに違う場所にあります。同じ「鼓楼前」というバス停でも、路線によってバス停は離れています。
鼓楼東大街を、バス停を探して歩いていたときのこと。
「浦安」と書かれた看板が目に入りました。漢字には「うらやす」とふりがながあります。入り口にはカタカナで「ラーメン」と書いた暖簾が下がっています。
思わず入ってしまいました。
もうすぐ日本にかえるのだから、今更「日式ラーメン」を食べなくてもいいと、思ったのですが、食べたいと言うより、どんな店なのか見たくて。
崇文門大路の「あじせんラーメン」でも食べてみたけれど、特別感激の味でもなかったので、もう日式ラーメンはいいや、と思ったところだったのに。
「あじせん」は、熊本に本拠地があるチェーン店。北京に何店ものチェーン店があります。
「浦安ラーメン」は、北京ガイド雑誌のラーメン特集号に掲載されたといい、若いご主人胡さんがその雑誌をみせてくれました。
私が入ったのは、平日の午後4時前という中途半端な時間だったので、先客はひとり。私のあとに二組のカップル、という程度の客数だったけれど、夕食時は、雑誌効果もあって、北京駐在の日本人などにはなかなか人気の店らしい。
雑誌記事によると。
ご主人は、千葉県浦安で留学生活をおくり、その間ずっとラーメン屋でアルバイトをつづけた。大学卒業後、中国に帰国後、「本格的な日式ラーメン屋の普及」をめざして、老北京と呼ばれる一帯、すなわち鼓楼近辺に店をかまえた。
本当は、日本人駐在員が多い地域に店を出したかったけれど、昨今の地価や店の賃貸料高騰で、とても借りられない。そこで、発想を逆転して、昔ながらの北京の下町故同が多いこの鼓楼周辺に店を借りたら、かえってそれがよかったといいます。
2時過ぎにおそい昼ご飯を食べたので、浦安ラーメンに入ったときはおなかはいっぱい。杏仁豆腐だけを注文しました。
でも、ご主人の話をきいて、雑誌を見せてもらっているうちに、やっぱりラーメン食べておこうという気になり、チャーシューメンを注文。
おなかいっぱいで食べたわりには、おいしく食べられました。
北京在住、貿易関係の仕事をしている方のブログにある浦安ラーメンのチャーシューメン
http://plaza.rakuten.co.jp/motobeijing/diary/20070709/
ラーメン一杯で20元(約300円)。中国ではちょい高級なたべもの。
蘭州ラーメンや朝鮮冷麺、北京で食べても5元10元の店はいくらでもあるから、20元の日式ラーメンを食べる層は限られてしまうかもしれないけれど、ご主人「日式ラーメン普及」がんばってね。
日本でアルバイトしながら留学していたときくと、それだけで応援したくなります。
北京駐在員さん、北京の大学で中国語や中国文化などを学んでいる日本人留学生さん、輪タクで故同見物をしている観光客のみなさん、おなかがすいたら、ぜひ浦安ラーメンをどうぞ。
北京で学ぶ日本人留学生のブログより
http://blog.goo.ne.jp/zuoteng-_-qie/e/d214d3f8699497a126268abc8c400f97
<つづく>
2007/08/28 火
ニーハオ春庭中国通信>西安・秦始皇帝陵
秦始皇陵墓内で見つかった500箇所の墓に葬られている人は、殉死者というより、おそらく、陵墓の建設に従事した人々のものだろうと推測されています。陵墓内部の秘密を守るために、陵墓建設に関わった人は、建設終了と同時に墓域内に閉じこめられたのではないか。
志願して皇帝に殉じた人もいたことでしょう。
陪葬墓から出土した人骨のひとつは、ペルシャ系のDNAと同じ特徴を持つ男性の骨と分かったのだそうです。はたして、この人は、皇帝に恩義を感じて殉死した人だったのか、陵墓を設計する技術者で、秘密を守るために無理矢理、陪葬者とされたのか。
足が弱い妹は、陵墓を見に階段を上るのはやめておくというので、待っていてもらい、姪とふたりで階段上って陵墓を見にいきました。
汗をかきかき階段を上りきると、ボランティアの人が「ぬれおしぼり」を用意し、無料で貸し出していました。ありがたく汗をぬぐいました。
中国観光地で、このような「無料サービス」を受けたのは初めてだったので、さすが始皇帝!と思いました。伊達に2300年も眠っちゃいないってとこかな。
広い陵墓の区域を見渡したのですが、どこに始皇帝が埋められている場所なのかはよくわかりません。
案内板はありますが、あまりに広くて、見比べても、どれがどこにあたるのやら。
副葬抗の兵馬俑発掘は、この30年間に体系的に研究と発掘が進められ、大きな成果を上げました。しかし、始皇帝の墓そのものについて、政府は、保存の方法がきちんと確立するまで、急な発掘はしない、と決めています。
日本の明日香村で、保存方法をきちんとこうじないまま発掘したため古墳内部にカビが生えてしまい、キトラ古墳などの貴重な壁画が失われてしまったのを考えると、発見されたからただちに掘り出すばかりがよいとは言えないことがわかります。
中国4千年の歴史を考えれば、10年20年早く発掘したって、いいことありません。あせらず悠久の構えでやるのがいいんじゃないでしょうか。
ALA中国より始皇帝陵
http://china.alaworld.com/modules.php?name=My_eGallery&do=showpic&pid=2000&orderby=hitsD
始皇帝陵の広場では、この時代の戦闘と踊りを再現したイベントが行われていました。
兵士の服装や武器などは兵馬俑から再現できます。芸人の俑から、美女たちの衣装が再現されているのもしれません。
私には秦時代の衣装と唐時代の衣装の区別などつかないのですが、美しい服装の女性達がゆったりと踊り、兵士たちは行軍と擬闘を演じました。
イベントをゆっくり見ていたせいで、タクシーの運転手は「午後3時までの拘束時間だから、もう、戻らないと3時までに市内に帰れない」と言い出しました。
最初は3時までなんてことは言わず、ただ、主な観光地を回って200元」と言っていたのに、話が変わってきました。
たぶん、運転手は「時間延長するから、割増金をだしてほしい」と、言いたかったのでしょう。
兵馬俑博物館の見学がまだ残っています。
兵馬俑を見ないで戻ったのでは、西安に来た甲斐がありませんから、「あとは、バスでもどるから、兵馬俑博物館前で私たちをおろして帰っていいよ」ということにしました。
運転手にとっては、3時前に市内に戻って200元もらうよりも、時間延長して割増金を稼いだほうがよかったのかもしれません。
愛想のよい運転手でしたから、最後までおつきあい願ったほうがいいか、ちょっと迷いましたが、私は、最初に「3時まで」と言わずに途中から「3時までの拘束時間」と言い出したことが気に入らず、もうタクシーはいいや、と感じました。
兵馬俑は、時間をかけてゆっくり見たい。
ツアー客の兵馬俑博物館の滞在時間は1時間くらいと聞きますが、一日たっぷり見ていてもいいくらいです。数千体にのぼる兵士俑の顔、ひとつとして同じ顔はないのだそうですから。
<つづく>
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2007年08月29日
ニーハオ春庭[西安・司馬遷と始皇帝]
2007/08/29 水
ニーハオ春庭中国通信>西安・司馬遷と始皇帝
歴史書に書かれている始皇帝陵は。
漢時代の『漢書』にも、北魏時代の『水経注』にも、始皇帝墓はもはや残されていないと記されています。
三国志で知られる項羽が秦二世皇帝を攻め滅ぼしたときに始皇帝陵を破壊したと。
これらの歴史書は、始皇帝が死んだのち、600年くらいしてからの記述です。
始皇帝の時代に一番近い記述は、司馬遷の『史記』です。
司馬遷が生まれた紀元前145年は、始皇帝が薨去した紀元前210年から55年たったとき。
第二次大戦後62年たった今も、戦争の記憶を語り継ぐ人がいるのですから、今より短命だった紀元前とはいっても、きっと司馬遷の周囲に始皇帝時代のことを語り伝えることのできる人がいたのではないかと思います。
司馬家は、歴史を司る家柄でしたから、きっとそのへんの資料をあつめていたのではないかと想像されます。
陵墓建設は、始皇帝没後も続けられており、項羽が秦の二世皇帝子嬰を滅ぼしたことを「現代史」として記憶する人が、司馬遷の周囲に残っていたと思われます。
司馬遷は『秦本紀』と『秦始皇本紀』の二本立てで詳しく記述しています。
始皇帝の風貌については、「鋭く高い鼻、目はつりあがって切れ長、鷹のように突き出た胸、やま犬のような声」と描写しています。始皇帝その人を見た者が、司馬遷の周囲にいたのではないか、と思えるような描き方です。
始皇帝陵について、司馬遷は、「始皇帝は地下に生前の暮らしをそっくり再現する地下宮殿をつくり、町を守る城壁も、近衛師団も、山や川までもが、地下に作られていた」と記述しています。
この近衛師団が、8000体の兵馬俑でしょう。
では、川は?この川には水銀が流れ、盗掘にやってくる者は、この水銀の川に阻まれ、さらには、自動的に発射される装置によって射抜かれ、誰一人皇帝の墓には近づけない、、、、と。
その記述が正確であったことが実証されたのは、実に『史記』が書かれてから2000年後のこと。2003年のリモートセンシングによる科学的調査によります。
あたり一帯の水銀の濃度が異常に高いこともわかりました。地下宮殿の広さは東西170M、南北50M、高さ15Mの大宮殿であったこともわかりました。
広大だったと伝えられた陵墓が完全に地下に隠れたものになっていたため、『漢書』などで、項羽が全部破壊し、盗掘してしまったので、現存していない、と書かれたのです。
しかし、始皇帝墓は実在していました。
盗掘しようとしたものは確かにいました。盗掘のための穴が掘られていた。けれど、陵墓まで到達できた盗掘穴はなかった。みな、地下軍団に阻まれたか、何一つ盗み出すことはできませんでした。
エジプトのピラミッドがほとんど盗掘されていることを考えると、「絶対に盗掘させないぞ」という始皇帝の執念が感じられます。
司馬遷の記述が正確なものであったことはわかりましたが、陵墓の発掘は、保存方法の確立まで延期されたため、それ以上のことはまだわかっていません。
始皇帝陵墓リモートセンシング探査に先立つ30年前。1974年、井戸を掘ろうとした農民たちが偶然に発見した兵馬俑。
秦の始皇帝陵墓の副葬坑の発掘は、世界中の人を驚かせました。
兵馬俑博物館は、第一号、二号、三号の兵馬俑坑を、体育館のような広い建物のなかに納め、そっくり保存してあります。
最も有名な馬車俑を展示する館を入れて4つの博物館から構成されています。
入場料90元。入場するときは「高っ」とおもったけれど、見終わったら90元という中国物価にすれば割高な入場料も納得できる規模でした。
<つづく>
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2007年08月31日
ニーハオ春庭「西安・兵馬俑博物館」
2007/08/31 金
ニーハオ春庭中国通信>西安・兵馬俑博物館
第一号兵馬俑坑の面積は134260㎡あり、その中には、武士陶俑500体、木造戦車18台、陶馬百匹余が出土。
兵士陶俑の高さは実物と同じくらいで、平均高さ1.8m。同じ顔をしたものが一体もないというのがすごい!
発掘現場をそのまま残してあり、発掘途中のようす、出土した兵馬俑を並べているところなどを見ることができます。
兵馬俑は、1987年に世界遺産に指定されています。
妹は、群馬県立歴史博物館で兵馬俑展が開催されたとき、歴史好きな父が行きたがったので、いっしょに見にいっています。
ちょうど20年前1987年の特別展「中国陜西省文物展」です。世界遺産に指定されたときだったので、歴史大好きの父にとっては、何をおいても見にいきたかったのでしょう。
妹は、「あのときは、兵馬俑っていっても何も興味がなくって、ただおじいちゃんが見たいっていうから連れて行ってあげただけだったけれど、本物の兵馬俑坑はこんなすごいもんだったんだねぇ」と、しみじみ。
私の歴史好きは父親ゆずり。文学好きは母の血を受け継ぎ、演劇好きは母方の祖父に繋がっています。
ほんとに、亡父に見せてやったら、どんなにか大興奮だったでしょう。連れてきてやりたかったなあ。
第二号坑の面積は約6000㎡。
陶俑と陶馬は合計1300体余、戦車が89両あり、歩兵、騎兵、戦車もある。
第三号坑の面積は約376㎡で、他のふたつに比べて小規模ですが、ここには、地下の大軍を統師する指揮部が埋められていました。
武士俑68体、戦車1両陶馬4匹。
三号坑の軍陣配列は全体として秦の軍隊の編成の縮図であるといいます。
馬車の展示館。1980年に発掘された、馬車を特別に展示しています。
彩色あざやかな四頭立て馬車は、最も有名で、兵馬俑といえばこの写真が使われる。
現在も兵馬俑坑は、引き続き研究と発掘が行われています。
全体で8000体と言われている兵馬俑も、さらに発掘すればするほど、新しい発見物がでてくる。
21世紀中に全体像があきらかになるかどうか。
みんなに配るおみやげとして「兵馬俑キーホルダー」を買いました。2000年も始皇帝を守ってきたので、守りの力がとても強いんだよ、というみやげ屋のおばちゃんの売り言葉を信じて、まとめ買い。
「自分のためのおみやげ」として、『秦の始皇帝の地下軍団ー世界の八番目の奇跡』という写真集を買いました。日本語版も韓国語版も売っていました。
『偽満州絵はがき集成写真集』なども買いましたが、翻訳の日本語の文章がへんなところが多かった。でも、『秦の始皇帝の地下軍団』の中国語版の翻訳、なかなかしっかりしたよい日本語になっていました。兵馬俑の記念として楽しめそうです。
リンクは人民日報の兵馬俑のスライドショウ
http://j.people.com.cn/cehua/20050525/home.files/frame.htm
<つづく>
2007/09/02 日
ニーハオ春庭中国通信>西安・公共トイレと足浴マッサージ
タクシーを帰してしまい、バスで市内に戻ることに。
バス停、わかるかなあ、と心配しながら兵馬俑博物館を出てきましたが、駐車場の前、306路線のバス停留所、すぐにわかりました。
路線バスなので西安鉄道駅前まで90分もかかりましたが、ひとり7元(安っ!)
やっぱり、私は行き帰りともバスにしたかった。
タクシーで、目的地まで一目さん、というより、いろんな人といっしょに乗り合わせて、次はどんな停留所なのかなと思いながら進んでいくのが好き。
バスのなかで、中国語が聞き取れなくても、乗客同士のおしゃべりを聞いているのが楽しい。
西安駅前の公共トイレで、私の聞き取りが悪いために、またまた一悶着。
トイレ代の5角を払い、おばさんの前においてあるティッシュをひとつもらおうとしました。おばさん「ごちゃごちゃ、、、、」と、怒る。
私は「トイレのお金を払え」と言われたのだと思い、「今、3人分払ったじゃないの」と、言い返しました。おばちゃん、さらに「ごちゃごちゃ、、、」と、怒る。私も怒って、「いいよ、もうこのトイレ使わない」と、駅前の別の公共トイレへ。
お金を払い、ティッシュをもらおうとすると、今度は係りのおっちゃんが「ごちゃごちゃ、、、、」と、怒る。
「えっえっ、お金払ったのに」と、私。
妹が、「ねぇ、そのティッシュ、別料金なんじゃないの?」と、言い出しました。
えっ、済南の観光地では、5角を払うとちり紙をつけてくれたのに。きたないトイレで水も流れなかったけれど、5角は紙代かと思って払ってきた。
西安では、トイレ代5角と紙代は別料金なのでした。な~んだ、「払え」って怒られたのは、ティッシュペーパー代金だったのね。
妹、私の聞き取り能力にすっかり不信の念。スンマヘン、中国語わかんなくて。
てんやわんやで、なんとかトイレをすませました。
ホテルに戻ると、妹はまたまた「足が疲れたから、マッサージ頼みたいけれど、今度は足だけにしておく」と、2階へ降りて足マッサージを受けることにしました。
私と姪もついていったので、マネジャーは、ちょっと困った。マッサージ技術を持っている人は、その時店内にふたりしかいなかったから。
そう言ってくれれば、私は別段マッサージしてもしなくてもいいのだから、妹にゆずって、客室に戻っていたのに、下手な筆談でも、まったく日本語が通じないよりマシだからと、私もいっしょにいることにしたため、ひとりマッサージ担当者が不足してしまった。
私と姪には、地味な若い女性と30代後半の女性が担当になりました。
妹の足を担当することになった子は、ミニスカートから赤いパンティをチラチラさせ、胸の谷間を大胆にえぐっている衣装の、厚化粧ギャル。
あれ、この子、ちゃんとマッサージできるのかしら、と思っていたら、途中でやたらにケータイが鳴り、マッサージしている時間より、ケータイに出て中断している時間のほうが長い。
20分くらいすると、妹はカンカンになってしまい、「いいかげんにして!もう、あんたやんなくっていいよ。そんなふうにただなでていたって、ちっともマッサージ効果なんかないから。男性ならそういうおさすりでも喜ぶ人いるだろうけれど、あたしはそんな胸の谷間見せられたって、お金払わないから!」と、日本語で怒り出した。
結局、姪の足を担当していた若い女性が、姪の分が終わってから、妹の足をやり直すことになりました。
「前の人が20分やったから、あなた残りの40分やって」と、お願いし、今度は「この子は、ちゃんとツボを心得ているし、リンパ液の流れも理解している。ちゃんとマッサージの研修を受けている子だ」と、妹も納得。
<つづく>
00:10 コメント(5) 編集 ページのトップへ
2007年09月03日
ニーハオ春庭「西安・おみやげいっぱい」
2007/09/03 月
ニーハオ春庭中国通信>西安・おみやげいっぱい
足浴マッサージ、ひとり60分40元。3人分の支払いのほか、姪と妹の両方をやってくれた子にチップをはずんでやりました。
支払いが終わっても、妹は「男性専門しかやったことない子を、ほんとうに足が痛い人のマッサージに差し向けるマネージャーが悪い!」と、怒りがおさまりません。
妹は、小さいときから身体が弱く、今もしょっちゅうマッサージや整体のお世話になっています。妹にではなく、私のところに赤パンティの小姐が来たのなら、私はマッサージしてもしなくてもたいしてちがわないのだから、きっと「マッサージしている時間よりケータイでおしゃべりしている時間のほうが長いなあ」と思っただけで、マッサージの技術を持っていないことを気にせずにおわったかもしれません。
マッサージについてよく勉強していて、ツボだとか、リンパの流れだとか知っている妹の担当になったことが、彼女の不運でした。
最後にお会計をするとき、フロントのソファに寝そべって化粧直しに余念ない彼女、そっぽ向いて「あたしの胸の谷間に感激しない客なんて客じゃないわ!」って雰囲気でした。
「日本だったら、これだけ客を怒らせたら、マネージャーがあの子にとにかく頭をさげさせて、マネジャーもおわびのヒトコトをいうところだけれど、ここは日本じゃないから、みんな平気な顔してるわね。日本だったら、インターネットで書き込みしてやれるのに」と、妹がいうので、書いておきます。
中国でマッサージを受けるとき、ほんとうにマッサージできるのか、胸の谷間をちらちらさせながら、さするだけの子なのか、よく確かめてから依頼しませう。
アハッ、もちろん赤パンティの彼女のほうを指名したいって方もいますよね。
8月6日午前中、デパート文商大厦で買い物。妹は西安特産のお茶やお菓子を買い込みました。中国食品バッシングが起きている最中だからと、食料品の買い込みは少なくしたというのですが、それでもNPO法人の仲間といっしょにお茶を飲むときのお茶菓子とか、いろいろ買い込みます。
午後3時半の便で大連に戻る予定だったのですが、飛行機が遅れました。
中国語わからない3人だからと、国内便なのに、国際線と同じように2時間前には飛行場につく用心をしていたので、飛行機に乗り込むまで3時間以上も西安咸陽国際空港で「何もできない時間」をとられました。
おまけに、なぜ飛行機が遅れているのか、これからどうなるのか、という説明が中国語だけなので、英語ができるという係員に「Please explain it to me. What's happen」と、聞いても、「O.K. O.K.」というだけで、何がOKなのか、さっぱり要領を得ません。
中国語の聞き取りがさっぱりできない私に、妹は「半年も中国にいて、よくそんだけ中国語できないまま暮らせたわね」というのですが、はい、暮らしてきてしまいました。
ま、こんなことで、私が買った「ニセ青石」、妹が受けた「おさすりマッサージ」「どうして飛行機がおくれているのか、さっぱりわからんちん」と、珍道中は続きましたが、無事、大連行きの飛行機に乗り込み、ドタバタ西安旅行も、「楽しかったあ」と、終わりになりました。
三千年の歴史を胸につめ、西安料理を腹につめて、飛行機は大連へ。
華清宮のけだるそうだったコスプレ楊貴妃さんも、青石売りのおばちゃんも、マッサージの赤パンティ小姐も、みんな元気でネー。
<西安おわり大連へ>
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2007/09/04 火
ニーハオ春庭中国通信>大連賓館スィート宿泊&ひとり75円の夕食
8月3日夜に大連賓館に泊まったとき、「次は、中山広場が見下ろせる部屋にしてください」と、注文しておきました。
それで、8月6日夜と7日夜は、広場側のスィートルームに宿泊できました。
ツインベッドの寝室と、ソファセットや飾り棚などあるゆったりした居間の二部屋。東京2DK団地の我が家より広い。
貧乏性のわたくし、中国に来て、スィートに泊まるのは、はじめてでございます。
居間のほうにエキストラベッドをいれてトリプルルームにしてしまうところが、やっぱりちょっと貧乏性。「こんなに広い部屋なのに、これと別にシングルルームをとるなんて、もったいない」と、考えるところが庶民です。
8月6日の晩。西安からの飛行機が大幅に遅れて大連に到着しました。
私たちを「大連星海広場ビール祭」に案内しようと待っていてくれたハンさんも、あきらめて家に戻ったところ。
晩ご飯を食べに大連賓館の海鮮レストランへ行ったのですが、遅い時間で、もうレストランは閉まっていました。
大連賓館の海鮮レストランでは3人で600元(9000円)くらいの予算でした。これでも、日本の中華海鮮料理店の値段からすれば、「安い!」と、妹は言っていたのです。
どこでもいいから、近場で食べようと、町をぶらぶら歩いて、目の前に並んだ料理の中から好きなのを指定して皿に盛りつけてもらう式の大衆食堂へ入りました。
私はいつもこの方式の「指さし中国語」で、不自由なく食べてきました。
料理3皿、スープ、饅頭などをとって会計をしたら、3人分で15元でした。ひとり分日本円にすると75円。姪が「安っ!」と、びっくり。
なんのなんの、私はいつもこんな程度で食べてきた。
私の教え子たちの職業は大学教師ですから、中国社会階層では上層に属しています。食の安全や栄養に関心が深い。それで、よく忠告してくれました。
「先生は、安い食堂で食べないほうがいいです。安い油をつかった料理を食べると、おなかをこわします」
でも、私のおなかが調子悪かったのは、中国に着いてすぐの3月だけ。
あとは、どんな安食堂だろうと、田舎のこぎたない食堂だろうと、鉄の胃袋で消化してきました。
大衆食堂3人で15元の料理だって、特別まずいわけでもなく、おいしい中華料理です。たぶん、最高級の食用油とかは使っていないだろうけれど。
料理油の品質の話は日本でも報道されていて、妹も知ってはいましたが、まあ、1回くらいの食事で身体を悪くすることもないでしょう。
それに、もし中国の安食堂で食事し続けている人々が、品質の悪い食用油によって健康被害を受けるようなことが事実としてあるのなら、それは、国の機関がきちんと対処すべきこと。
(段ボール入り肉饅はねつ造ということで決着がつきましたが)
自分たちだけは安全な食料品を「私たちはお金があるから高くても安全なものを食べますワ、オホホ」と食べればすむことなのでしょうか。
「どんな安い食べ物をとっている貧乏人でも健康によい安全なものを食べる」のは、人として当然の権利と思うのですが。
「ひとり5元75円で夕食を食べたって、自慢しようっと。友達へのみやげ話ができた」と、妹も大喜び。
宿泊はスイートルームに泊まって、夕食は一人前5元ってところが、とってもアンバランスで、話としてはおもしろい。
大連の夜、スィートルームの寝心地は?
私は、村の一泊10元のフロ屋でもぐっすり眠れる「3分間目をつむっていれば寝つく」人なので、スイートだからって、寝心地が特に変わるってこともなく、、、、。ばたんキュー。
昔は、スイートルームっていうのは、新婚さんが泊まる「あま~いお部屋」と思いこんでいました。sweetじゃなくて、「ひと続き」の意味の suite のことだって知ったのは、甘い新婚時代なんぞとうに過ぎ去った頃。
新婚時代にはスイートなんぞ泊まったことがありませんでしたが、せめて、甘いもん食べてる夢でも見ましょう。
リンクは大連賓館HP日本語ページ http://www.dl-hotel.com/jp/index.htm
<つづく>
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2007年09月05日
ニーハオ春庭「大連老虎極地海洋動物館の座席」
2007/09/05 水
ニーハオ春庭中国通信>大連老虎極地海洋動物館の座席
7日は、友人のハンさんの案内で、午前中は東海公園から星海公園への海岸通りドライブ。
緑ゆたかな海辺、そして海際の山の中の道をタクシーで走りました。
大連老虎灘海洋公園では、中国でここしかいないという「白い鯨」のショウへ案内してもらいました。
2002年4月に開園した「老虎灘極地海洋動物館」の目玉、アシカと白鯨のショウです。鯨といってもそんなに大きい種類ではありません。かわいい感じ。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.ln.xinhuanet.com/xwzx/2006-10/20/content_8302716.htm
http://www.tbs.co.jp/chainavi/oa20060722.html
開園以来、4回ここで遊んだというハンさんが「こんなに混んでいるのは初めて」という混みようでした。
立ち見覚悟で最後尾に立っていたら、すぐ前のベンチにすわっていた外人ふたりが、予定の集合時間になってしまったらしく、立ち去りました。
外人がふたり去ったあきスペースに、中国人女性といっしょにすわったら、右側に座っていたロシア語でしゃべっているおばさんに「あっちいけ」のジェスチャーをされました。
自分の座っている隣が空いたのだから、自分に権利があると言いたいらしい。おばさんは、私を押しのけて自分の息子(中学生くらい)を呼んで座らせようとしました。
一瞬腰を上げそうになりましたが、「ここは中国、自己主張しなくちゃ」と思い直して、「私は目の前に空いたスペースに座ったんです。あなたの隣の席だからといってあなたに所有権があるわけないので、私はこのまま座っていますよ」と、「日本語で」主張し、どきませんでした。
息子もむりやりロシアママの隣に座ったから、ふたり分のスペースに三人で座ることになりました。きつっ!
中国人女性は、「きつくなった」と中国語で文句をいう。そんなこと私に言われても、、、、。
私も、日本にいれば、ずうずうしさにかけてかなりなもんのオバハンですが、どうも中国語やロシア語のまくし立てに、日本語オバハンの主張は、分が悪いみたい。
ショウを見ながらも、この「異文化体験」について考察。日本語教師だからネ。
日本の「場所取り」文化の比較考察。
満員の電車の中で、座席にすわっていた人が立って下車した場合、そのすぐ目の前に立っていた人に座る権利が回ってきたと、皆が思っている。だから、目の前に立っていた人は、下車する人がドアへと向かう頃合いをみはからい、下車する人のじゃまにならないタイミングで座席に腰を下ろす。
ところが、このタイミングをみはからっている間に、私の隣に立っていた人がちゃっかりすわってしまう場合がある。
「違うわよ、私は、満員の中、下車する人のじゃまにならないように、脇に寄っていたのであって、座りたくないという意味じゃなかったんです」と、私は心の中で思うのに、斜め隣に立っていたオバハン(オッサン)は、知らん顔で座ってしまったあと。
「あんた、目の前の席に座らないようだから、私、すわったのよ」と、いう顔で、デンと座ってしまったら、もう、私は立ち続けるしかない。
「ああ、下車する人が出やすいように、脇によけるんじゃなかった、自分の目の前の座席を確保するように身体を動かせばよかった」なんて、毎度の後悔。
「ほんま、脇から私の座席とるなんて、ずうずうしいオバハン(オッサン)やなあ」と、通勤の間中腹を立てている。
でも、この「目の前に空いた座席は私のもの、という暗黙の了解」は、どうして皆の「暗黙の了解になっているんだろうなあ」と思います。
また、プールサイドやディズニーランドのパレードコース、花火見物の河川敷、などで、「ビニールシートしいてある敷地は自分たち家族のもの」という「暗黙の了解」も、面白いなあと思います。
何も敷いていないで、立っているだけでは、いくら「ここ、あとから私の家族が来る分のスペースです」と、言っても、どんどん人が入ってきて侵略されてしまう。
ところが、ビニールシート一枚ひろげてあれば、その一枚の領地には人がはいってこない。
映画館で、座席を立ってトイレにいく場合、座席の上にハンカチ一枚でも文庫本一冊でもおいてからトイレに立つ。
このハンカチ一枚は「この座席は私のものですよ」という印。あとから来た人は、たとえ百円ショップで買った安物ハンカチであっても、それをどけてその席に座ることはしない。
これなども、「物がおいてある座席を横取りしない」という暗黙の了解事項が全員になされているから成り立つ社会常識になる。
「持ち主を知らなくても、物があったら、他人の物に手をつけてはならない」という社会の了解事項が守られているからです。
でも、「ハンカチがおいてあろうと、そんなものはどけてしまってよい」という社会常識の国もあるだろうし、ビニールシートなんぞ、「領有宣言にはなりえない」という地域もあるに違いない。
この、ビニールシートやハンカチ一枚が「領有宣言」になるというのは、たとえ百円のものでも、それをどけたりしたら、「他人のものに手をつけた」という盗人になるという社会常識があるからでしょう。
これとはちがう常識の社会もあると思います。
道に落ちているものは、「不必要なもの」ではなく、「誰かが落としたもの」だから、交番に届けなければならない、ということを、親からいやというほどしつけられているから、子供でも「道におちているものは、警察に届ける」という社会常識となる。
ある地域では「置き引き」と見なされている行為が、「放棄された物をいただくだけ」という意識で持ち去られる地域もあるでしょう。
「持ち主の手を離れて、そこに置かれている荷物は、持ち主不明=不必要な品物となる」と考える人もいるんじゃないかな。
ちょっとでも手を離したら、そのカバンは「放棄された落とし物、不必要なもの」と、みなされてしまう。
「砂漠や野原の真ん中に落ちているものは、だれかが放棄したものだから、見つけた人が再利用してやったほうがいい」という地域の常識が拡大解釈されて、「手が放れている品物は放棄された物」と考えれば、置き引きは犯罪ではなくなるってこともあるだろうなあ。
ハンカチ一枚くらいじゃ、「その座席は私のもの」にはならない地域もあるということを知ってはいたけれど、大連の白鯨ショウで、「隣の席があいたら、私のもの」と「目の前の座席が空いたら私の席」の、権利のぶつかりあいでは、まあ、私のほうが「ちょっと押され気味」ながら、引き分けにおわりました。
<つづく>
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2007年09月06日
ニーハオ春庭「大連老虎極地海洋動物館の白鯨ショウ」
2007/09/06 木
ニーハオ春庭中国通信>大連老虎極地海洋動物館の白鯨ショウ
きちきち座席でみた白い鯨。
リズムに合わせて身体をゆすったり、観客の中から選ばれた女性の顔にキスしたり、飼育員のイケメンおにいさん(山本耕一似)が白鯨の背の上に立ち、プールを一周したり、なかなか愛嬌がありました。
次はイルカショウ。男の子がフラフープするのと競争で鼻先で輪を回したり、鼻でボールをついたり輪くぐりをしたり。
数字の足し算引き算、ほんとうに計算ができるみたいに、「5+2は?」「4-1は?」などの飼育員の合図でイルカがボードを鼻先で押す。
子供達は、本当にイルカが計算できると思って、「イー、アール、サン、スー、ウー、リュー、チー」と、大声でイルカがボードを押すのに合わせて声を張り上げて数を数えています。
「10ー1」の計算で、イルカが11回ボードを押してしまったときには、「あ~あ、まちがえちゃった」と残念がる声。「ちがうよ、足し算じゃないよ、引き算だよ」と、あちこちからイルカに教えてあげようとするかわいい声があがります。みんな、算数とくいなんだね。
飼育員が「ほら、これは引き算だろ、もう一度ちゃんと計算して」と、言うと、イルカは、次は9回ボードを押しました。なかなか芸が細かい。
サンシャイン、品川、油壺水族館などで、イルカやアシカのショウを見てきましたが、こんなに観客が大喜びでノリノリになるのを見るのはなかなかないことなので、きつきつ座席でも楽しかったです。
昼ご飯は、星海広場わきの上海料理の店。
食べたことのないもの、というコンセプトで「鶏の足料理」などを注文。妹と姪、興味しんしんでこわごわ鶏の足にかじりついてみましたが、、、、、、、コラーゲンたっぷりといわれても、はあ、やっぱり見た目でいまひとつ食欲わかない、という感想でした。
四川料理や上海料理は、日ごろ食べ慣れた東北料理とはまた違う食材や味付けがあり、中華料理、北から南まで、幅広い。
大連でも、海鮮料理、東北料理、上海料理、いろんな味を楽しめて、「中国食べ歩き旅行」の私と妹には、またまた「ダイエットは来年から」の日々です。
<大連おわり 北京へ(北京篇は9月中旬より掲載します。次回から「へいわのうた」シリーズ)>
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2007/09/14 金
ニーハオ春庭中国通信>北京南苑空港
春庭の中国滞在報告、最後の滞在地は北京でした。
8月8日、妹と姪を大連空港で見送りました。ふたりは成田へ。
6日間の旅で軽装のふたりに、私のスーツケースを持ち帰ってもらいました。
一番大きな荷物が減って、北京でのひとり歩きも、少しは身軽な気持ち。
公用旅券での旅、最初に文部科学省に届け出た「北京から帰国」が、変更不可と言われました。しかたなく大連から妹といっしょに帰国するのをあきらめ、私は北京へ。
妹と姪が国際線ロビーに入った1時間あと、私は国内線で北京へ。
スーツケースが減っても、私の荷物は、キャリーカートバッグ、ボストンバック。パソコンバック。
衣類や本などは、7月中に段ボール箱3箱に詰め、船便で日本へ送ったのですが、手で運びたいものだけでも、半年分の荷物となると、ずいぶんな量です。
大連発北京行き飛行機は、北京首都国際空港ではなく、北京南苑空港という小さな空港につきました。
長年、軍が使用してきた空港で、2005年に民間利用が許可になったので、旅客用の設備などはありません。
妹たちの成田行きが出たあとの一番早い北京行きということで、選んだ便でしたが、なんでも人と違うことをしてみたい私には、よい経験でした。っていうかちょっと痛い経験になりましたが。
南苑空港の写真 個人ブログより http://4travel.jp/traveler/nh155/album/10170810/
私が買った北京地図には、「軍関連」の施設が掲載されておらず、この南苑空港が北京市のどのあたりにあるのか、まったくわからずに空港に到着しました。
荷物受け取りはプレハブの中で。
プレハブの外に、リムジンバスとタクシーが客待ちしています。
リムジンバスに乗り込もうとしたら、あんちゃんが話しかけてきました。
「どこまで」
「牡丹賓館」
「このバスは西単が終点だから、牡丹賓館までいかないよ。タクシーにしなよ」
「タクシーは、高いからヤダ」
「150元でいくよ」
「ウェー、高っ。リムジンバスは20元でしょ」
西単からもう一度タクシーに乗り換えるのも、荷物が多いのでたいへんと思ったので、あんちゃんのタクシーに乗車。乗り込んでみたら、メーターもついていなくて正規のタクシーじゃなかった。しまった、とおもったけれど、もうおそい。
北京首都国際空港から市内天安門までは31km、タクシー70~90元程度なのに対して、南苑空港から天安門まではたったの13km。距離は二分の一。
でも、このあんちゃんは、どこをどう回ったのか、1時間もぐるぐる運転していて、高速道路にも入り、牡丹賓館の前で「高速代は別だから」と、130元要求しました。
南苑空港から牡丹賓館まで、たかだか20kmほどの距離を、渋滞もないのにどう走りまわったら60分の運転時間になったのやら。北京の町を見物ドライブしたと思えばいいのでしょうが、あいにく、タクシーに乗り込んだら眠くなってうとうとしていたのでした。
うとうとしている間、ぐるぐるとどこやらを走り回っていた、、、、。
ひとり旅、油断禁物、うたた寝厳禁です。
大連ですられたお金は、完全な犯罪なのに、「私がうすぼんやりしていたから」と、あきらめがつくのに、北京のタクシーのほうは、「ぼられた」という感じが強い。南苑空港から市内までの料金を知らずに乗り込んだ自分が悪いのであって、ちゃんと調べておかなかったことが悔しいのです。
正直なタクシー運転手も多いのでしょうが、このようなボッタクリを取り締まらないと、来年の北京オリンピックで、観光客から中国への不信感が強まるのかも。
各空港のタクシー乗り場には、大きく、「市内まで約80元」「天安門まで30元」というような掲示をしておくといいのではないかしら。
オリンピック見物の方、首都国際航空から市内までは、高速代いれても80~100元ですからね。300元とか、要求するタクシーには乗り込まないようにね。
旅行客にいやな気分を与えたら、オリンピックで国威発揚をはかる政府の意気込みも諸国からのお客さんに伝わらないのではないかと思います。
市民マナーの向上が叫ばれ、意識改革が呼びかけられているさなか、「ごみを路上に捨てないようにしようキャンペーン」とか、「行列をきちんと作って、割り込みしないようにしよう」とか、いろいろ言われていますが、「ぼったくりタクシー追放」というのも、北京ですすめてほしいです。
<つづく>
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2007年09月15日
ニーハオ春庭「北京の鼓楼」
2007/09/15 土
ニーハオ春庭中国通信>北京の鼓楼
かって、鼓楼の太鼓、鐘楼の鐘によって市中に時刻を知らせていたのは、北京も西安も同じ。
今回の北京の街あるき、私の「ランドマーク」は鼓楼でした。
2007年の北京、見ておきたいところは、天安門でも万里の長城でもありません。
「取り壊される前の故同(フートン)」が、今回の北京旅行の目的地域。故同は、北京の「下町路地」です。
北京の鼓楼の東側には鼓楼東大街、西側には鼓楼西大街。シンプルです。
池袋西口にあるのが東武、東口にあるのが西武デパートというよりずっとわかりやすく、迷わずにすむネーミング。
北京故同あるきの途中、鼓楼(入場料20元)に上って、市中を眺めました。高いところに上るのは、大好きです。高さは46,7メートル。
鼓楼の入場口から73段の急な階段があります。
エレベーターをつけてほしいなあ、なんて思いながら、ふうふうと休み休み登りました。
いや、だから、ほら、バリアフリーの時代だし。足腰弱い人も身体の不自由な人も、お年寄りも、歴史的建造物を鑑賞できたほうがいいでしょ。
エレベーター、私のためじゃなくて、お年寄りのためですから。って、私も年寄りでしたね、、、、、、。眉毛にも白髪を1本見つけました、ぐすん。
上りきったところに、24個の大太鼓が展示されています。
太鼓の打ち手は、水時計によって正確な時刻を知り、太鼓の音によって、市内に住む人々に時刻を知らせていました。
(現在の鼓楼に展示されている水時計は複製品です)
鼓楼では、30分ごとに太鼓の演奏が行われます。
私は12時半の演奏を聴きました。
昔は、24人の打ち手が108回太鼓をうち鳴らしたということですが、私が見たときは、7人か8人くらいだったように思います。
108回うち鳴らすのは、1年12ヶ月、24節季、72候の「12+24+72」の合計数が108だからですって。
日本の除夜の鐘を鳴らして煩悩を打ち散らす108回という数の由来には、諸説あるのだけれど、六根清浄の六(目耳口鼻身意)×2(浄・染=きれいと汚い)×3(良・悪・平)×3(前世・現世・来世)6×2×3×3=108なんだって。
なんかこじつけっぽい気がする。
だんぜん12+24+72というほうが、いい。なぜならば。
私、かけ算は苦手。計算よわいです。足し算なら、12+24+72くらいは指折り数えればなんとか計算でできる。だから、足し算の方に賛成。
リズムにのって、勇壮にうち鳴らされる太鼓、なかなか見事な演奏でした。
打楽器演奏、大好きです。和太鼓もパンソリの太鼓もアフリカントーキングドラムも。
鼓楼のテラスから地上を見下ろす。
鼓楼の北側には鐘楼があります。鼓楼と鐘楼の間は広い駐車場になっており、たくさんの観光バスが出入りし、また、故同めぐりを勧誘する輪タクが駐車しています。
その広場にピンクのひらひら扇を持ったおばさんたちが並び、東北のヤンガーのような歌と踊りの披露がはじまりました。
観光客がいっしょに扇をもって踊りに加わっています。ブラックアメリカンらしい数人、楽しそうに扇をふっているのが、鼓楼北側の展望所から眺められます。
鼓楼の周囲は、古い故同が集中しており、上から眺めると、故同の家々、四合院の屋根が見渡せます。あちこちに壊された故同のがれき山も見えます。
リンクは中国国際放送局HP http://japanese.cri.cn/304/2006/08/20/1@71356.htm
<つづく>
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2007年09月16日
ニーハオ春庭「鼓楼近辺・浦安ラーメン」
2007/09/16 日
ニーハオ春庭中国通信>鼓楼近辺・浦安ラーメン
8月9日、鼓楼の周囲の故同めぐり、鼓楼を中心にしたおかげで、方向音痴の私でも迷わずにすみました。
でも、帰りのバス停は見つけにくかった。
バス路線がたくさんあるので、バス停は路線ごとに違う場所にあります。同じ「鼓楼前」というバス停でも、路線によってバス停は離れています。
鼓楼東大街を、バス停を探して歩いていたときのこと。
「浦安」と書かれた看板が目に入りました。漢字には「うらやす」とふりがながあります。入り口にはカタカナで「ラーメン」と書いた暖簾が下がっています。
思わず入ってしまいました。
もうすぐ日本にかえるのだから、今更「日式ラーメン」を食べなくてもいいと、思ったのですが、食べたいと言うより、どんな店なのか見たくて。
崇文門大路の「あじせんラーメン」でも食べてみたけれど、特別感激の味でもなかったので、もう日式ラーメンはいいや、と思ったところだったのに。
「あじせん」は、熊本に本拠地があるチェーン店。北京に何店ものチェーン店があります。
「浦安ラーメン」は、北京ガイド雑誌のラーメン特集号に掲載されたといい、若いご主人胡さんがその雑誌をみせてくれました。
私が入ったのは、平日の午後4時前という中途半端な時間だったので、先客はひとり。私のあとに二組のカップル、という程度の客数だったけれど、夕食時は、雑誌効果もあって、北京駐在の日本人などにはなかなか人気の店らしい。
雑誌記事によると。
ご主人は、千葉県浦安で留学生活をおくり、その間ずっとラーメン屋でアルバイトをつづけた。大学卒業後、中国に帰国後、「本格的な日式ラーメン屋の普及」をめざして、老北京と呼ばれる一帯、すなわち鼓楼近辺に店をかまえた。
本当は、日本人駐在員が多い地域に店を出したかったけれど、昨今の地価や店の賃貸料高騰で、とても借りられない。そこで、発想を逆転して、昔ながらの北京の下町故同が多いこの鼓楼周辺に店を借りたら、かえってそれがよかったといいます。
2時過ぎにおそい昼ご飯を食べたので、浦安ラーメンに入ったときはおなかはいっぱい。杏仁豆腐だけを注文しました。
でも、ご主人の話をきいて、雑誌を見せてもらっているうちに、やっぱりラーメン食べておこうという気になり、チャーシューメンを注文。
おなかいっぱいで食べたわりには、おいしく食べられました。
北京在住、貿易関係の仕事をしている方のブログにある浦安ラーメンのチャーシューメン
http://plaza.rakuten.co.jp/motobeijing/diary/20070709/
ラーメン一杯で20元(約300円)。中国ではちょい高級なたべもの。
蘭州ラーメンや朝鮮冷麺、北京で食べても5元10元の店はいくらでもあるから、20元の日式ラーメンを食べる層は限られてしまうかもしれないけれど、ご主人「日式ラーメン普及」がんばってね。
日本でアルバイトしながら留学していたときくと、それだけで応援したくなります。
北京駐在員さん、北京の大学で中国語や中国文化などを学んでいる日本人留学生さん、輪タクで故同見物をしている観光客のみなさん、おなかがすいたら、ぜひ浦安ラーメンをどうぞ。
北京で学ぶ日本人留学生のブログより
http://blog.goo.ne.jp/zuoteng-_-qie/e/d214d3f8699497a126268abc8c400f97
<つづく>