20180520
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>死ぬ前、死んだあと(1)リメンバーミーの死者の国&アレブリヘス考
退職した大学の留学生コース。毎期コースも終わりに近づくころに、日本語音声表現として日本語初級の学習者に「私の国と国の文化紹介」という日本語スピーチ発表をさせるのが、私にとって楽しみにひとつになっていました。
あいうえおから教え始めた学生が、半年たってまだおぼつかない日本語力であっても、懸命に自分の国について述べ、自分の国の文化をクラスメートの前で発表する。学生にとって、日本語という関門をクリアしての発表を終えると、自信もつき、自国への誇りもいっそう高まるので、とてもよい時間を過ごすことができました。
その中で、メキシコからの留学生が発表してくれた「死者の日」について、私から学生に伝えた発表へのコメントは「日本にもお盆という死者を迎える大切な行事があります。亡くなった人と家族のきずなは、世界中どこでも特別なものですね」
留学生へのコメントでは「日本のお盆も死者を家に迎える行事なので同じですね」と言いましたが、お盆と「死者の日」はかなり違います。
キリスト教(カトリック)では、人間は死んだ後、煉獄へ行くとされます。煉獄で罪が清められると天国へ行ける。煉獄での清めの期間は決まっていませんが、生きている人間が教会でミサに出て死者への祈りをささげれば、その功徳によってお清め期間が短くなるという、「カトリックでミサを受けることの重要度」を増すための考え方が11世紀ごろに広まりました。
クリュニー修道院の院長オディロ (962–1048)は、信者のひとりから悪魔が話したということばを伝え聞きました。悪魔が「死者のために祈る人がいると、死者の魂が早く天国へいってしまうから不愉快だ」といったのだそうです。
オディロは、すべての聖人の日11月1日と翌日の11月2日を死者の日と定め、死者の霊魂のために祈りを捧げるミサをはじめました。この新しい宗教行事は、キリスト教圏に広がり定着していきました。ミサへのご供物も増えて、カトリックにとっては都合よし。(すべての聖人の日の前日が、すべての悪霊が騒ぐハロウィーンの日。日本ではこちらが仮装バーティの大騒ぎとして定着)
スペインの植民地政策によってキリスト教を受け入れた南米の人々は、もともとの土俗宗教に「頭骸骨など死者の骨を身近におき、死者のかたみと共に生活する」という習慣がありました。この土着の宗教習俗がカトリックの「煉獄でお清め完了を願うミサ」と習合して定着し、南米を中心にした「死者の日」の宗教行事ができあがりました。現在メキシコでもっとも盛んに行われています。
毎年11月1日、2日、メキシコほか南米諸地域では死者を家に迎え入れ、楽しく共にすごすのだ、と留学生はメキシコの「死者の日」について紹介していました。
家族親戚がつどい、死者を偲びながら歌ったり踊ったり、食べたり飲んだり、にぎやかに過ごすので、クリスマスよりも楽しい、とのことでした。クリスマスはイエス様の誕生日だから、イエスをはばかってあまり羽目を外すことはできないけれど、死者の日は心置きなく酔っぱらうこともできると。
西欧カトリックでは「煉獄の死者のために祈る日」というものだけれど、メキシコでの死後の世界は、「死者は死後も楽しい暮らしをしている」というイメージである、ということでした。
ディズニーピクサーの映画『CoCoリメンバーミー』は、このメキシコの「死者の日」をモチーフにしたCGアニメーション映画です。

道に敷かれているのは、黄色いマリーゴールド(センジュ菊)の花びら。メキシコで死者の日に町中に飾られる花です。
佛教のお盆について。
釈迦の入滅後100年ほどは、死者や遺骨に仏教出家者がかかわることはありませんでした。入滅のさいに釈迦は弟子(アーナンダ)にそのように遺言したからです。仏教は出家者のさとりのためにあり、葬送儀礼のためのものではありませんでした。
日本に仏教が伝わったのは、釈迦入滅(紀元前383年前後。諸説あり)後、千年近くたってから。伝わった時点で、中国の道教などと習合していましたし、日本伝来後は土俗神道や修験道と習合して、釈迦の原始仏教とは大きく異なる宗教になったという説に賛成。
葬送儀礼でも、仏教伝来以前の死者を弔い供養するやり方が現代まで続いています。お釈迦様の遺言「佛教者は葬式にかかわってはいけない」を守っている僧侶は日本には数少ないでしょうね。
お盆の起源は諸説あり、確実なことはわかっていませんが、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事である、という点は納得できます。
以下、主な内容は、死者の国への考察と、メキシコの精霊動物についての考察ですが、映画ストーリーのネタばれを含むので、未見の方ご注意を。
映画『リメンバーミー』では、この世の家族が死者を忘れずにいて写真を祭壇に飾ってくれないと、死者たちは死後の世界からこの世に戻ることができない、ということが重要な決まりになっていました。
死者の国の出入国管理所で、生者の国で死者の写真を飾ってあるかどうか、厳しくチェックされます。
主人公の少年ミゲルは、伝説の大歌手エルネスト・デラクルスのギターを盗んだために死者の国に飛ばされます。死者の持ち物やご供物を盗んだ者は死者の国に飛ばされる、という「死者の国ルール」があるからです。ミゲルは歌のコンテストに出るために、どうしてもギターが必要だったので、デラクルスの廟にあるギターに手をかけたのです。生者の国に戻るには、死者の国にいるご先祖からの許しをもらわねばなりません。
ミゲルのご先祖、ひいひいばあちゃんのママイメルダは、ミゲルを許すでしょうか。
ママイメルダの娘である、ママココは、ミゲルのひいばあちゃん。100歳近い一族の重鎮ですが、最近とみに弱ってきており、生者の国にとどまるのもあとわずか。ママココの娘であるママリヴェラ(ミゲルのばあちゃん)は、ミゲルが音楽に興味をもっていることを叱り、ミゲルがコンテストに出ようと手作りギターをひくことも許しません。一家にとって、音楽はタブー。娘のママココや妻を捨てて音楽に没頭したママココの父親は、一族にとっていまだに許しがたい人物なのです。
ミゲルが死者の国で行動をともにするヘクター。家族に写真を飾ってもらえないので、毎年「死者の日」になっても、生者の国に帰れません。ヘクターは、生者の国に残してきたひとり娘が自分を覚えていてくれることを望んでいます。
ヘクターが生者の国に戻れないという死者の国ルールを見て私が感じたのは。
「残されたものが死者を思い出すよすが」として写真が使われているとすると。写真術発明以前の人々、西洋なら1839年のダゲレオタイプ発明以前、日本だと1854年以前の人々は、生者の国に戻れないことになってしまうのではないのか、という心配が生じます。
その点日本仏教だと、位牌だろうと生前使っていた品物だろうと、なんでもいいし、墓石に名前がなくたって、そのご先祖をだれも思い出さなくても、死者は生者の国に戻ってこられるから、パスポート制限なしってことね。
子供には、写真のない世など考えられないのだし、これでいいのだとは思います。
ヘクターが生者の国に戻れなかった理由をつけるため、子供にもわかるようにするには、やはり具体的な「モノ」が必要だったんだろうと納得して、写真術発明以前のことは不問にしました。
死者の国(カトリックなら煉獄に当たる)は、華麗でキラキラした美しいところ。死者は骸骨になっているけれど、陽気に歌って暮らしています。
ピクサーアニメーターのイメージだと、死後の世界はこんな色合い

子供にこの死者の国を見せたら、死ぬことはつらく悲しいことではなく、別の次元の世界へ行くことだというイメージが伝わっていいと思います。
重要な死者の国ルールその2。死者をだれも思い出さなくなると、この死後の国からも消えてしまう。「死者の国」から消えたあとに行く所は、神のおわす天国なんでしょうけれど、映画ではそこは描かれません。キラキラ死者の国から消えてしまうと、もう生者の国に戻れない、ってことになっている。ヘクターはそれを恐れています。もし、死者の国からいなくなったら、最愛の娘が死者の国に来た時に再会できなくなってしまうから。
もうひとつ、アニメ的な映像処理について。
死者の国の住人は皆がいこつ。しかも、目だけは生前のように見えるものが残されています。土葬したら目はいちばん先に土に溶けると思うけれど。メキシコで祭壇に飾られるしゃれこうべには目はついていませんが、ま、これはこれでいいかも。がいこつたち、かわいらしくアニメ化されているし。
土葬の地域では生前の骨のまま形が残ります。沖縄など東南アジアの葬送儀礼では、土葬して骨になったあと、洗骨して本墓にいれます。
日本本土の火葬土葬は紆余曲折ありましたが、現在の都市部では火葬しないと埋葬許可はでません。
お釈迦様は「私の死後は火葬するように」と遺言したと大般涅槃経その他のお経に書かれているので、仏教地域では死後「荼毘にふす」火葬が基本です。
火葬の遺骨は焼けてバラバラになる。焼かれた骨で死者の国で暮らすには、バラバラの骨を再構築しなきゃならぬ。リコンストラクションですな。お釈迦様の遺骨(舎利)なんか、少しずつ分けられて、釈迦入滅200年後は8万か所に分配。再組立ても難しい。釈迦はカトリックじゃないから、再構築も必要ないでしょうが、煉獄に行くことを信じている人だと、遺骨を灰にして海やら森に散骨した場合には、さらに再組立ては難しそうです。どうせ再構築されるのなら、私は骨姿じゃなくて、生前の姿をちょいと美化した絵姿でも描いて偲んでほしい。
というようなことは吹っ飛ばして、『CoCoリメンバーミー』の画面は美しいし、歌は楽しいし、大人も子供もいっしょに楽しめる映画でした。吹き替え版を見ましたが、ミゲル役石橋陽彩(いしばしひいろ)も、ママイメルダ役松雪泰子も歌が上手でした。
最近の西欧キリスト教圏の意識変化を感じたのは。
ディズニー映画がキリスト教圏以外の異文化を描くとき、ウォルトディズニー(1901-1966)が制作部門を握っていた間は、どうしても「非西欧文明は、西欧よりも遅れた文化」という意識が画面にありました。ウォルトには、生前から白人至上主義者という非難が寄せられていました。ウォルトは共産主義者と黒人と同性愛者が大嫌いでした。
しかし、現在のアニメでは、従来の西欧社会とは異なる世界観、宗教観も積極的に取り入れているのではないかと思います。「リメンバーミー」でもそうです。
たとえば、メキシコの民間信仰では、メキシコ原産の毛のない犬(ヘアレスドッグ・原語ショロイツクインツレ)は、死んだ人を死者の国に導く犬と考えられています。
ミゲルの愛犬ダンテ(地獄煉獄天国巡りの『神曲』を書いた作家の名をもつことで象徴されています)も、ミゲルとともに死者の国へ赴くことができ、ミゲルを救った功徳により、霊を持つ動物「アレブリヘスAlebrijes」になることができました。
アレブリヘスとしてのダンテ
アレブリヘスはメキシコのペドロ・リナーレス(Pedro Linares 1906‐1992)が、創作したものです。リナーレス30歳のときに瀕死の病の床で見た夢に現れた生き物の姿を、張り子人形にして表現したものです。
リナーレスの人形は現代アートとして世界中の美術館博物館に収蔵されました。
そののち、オアハカの木彫り職人たちがリナーレスと同じような人形を木彫りで作るようになり、現在では、メキシコオアハカ地方の民芸木彫り人形としてポピュラーなお土産品となっています。また、お祭りのパレードのフロートにのせる人形としても大人気。
大阪の国立民族学博物館所蔵リナーレスのアレブリヘス。
リナーレスのアレブリヘス・オリジナルデザインはパブリックドメインとなっているそうですが、その場合オリジナルに敬意を持っていない改変はだめ、というメキシコ政府の方針らしい。
リナーレスのデザインをまんまパクったっぽいオアハカ土産物木彫のアレブリヘス。このみやげ品、オリジナルに比べるとちょいヘタレな感じ。
木彫りのアレブリヘスバッファロー
『リメンバーミー』で大活躍のアレブリヘス(ジャガー、バッファローとコンドルのミックスか)
もともと、メキシコと中南米北西部(メソアメリカ地域)では、動物の精霊が民間信仰に存在していました。人には霊(トナル)が備わっており、表の霊に対して裏の霊は「ナワル」と呼ばれます。なかでも、変身する能力を持つとされた妖術師や魔女(シャーマン)が鳥獣に変身した後の姿は、鮮やかな色彩を持っています。
古代アステカ神話に伝わる神テスカトリポカ神の裏の精霊のひとつはジャガーのナワル、テペヨリョトルまたはテペヨリョトリ(Tepeyollotli)です。
メキシコのペドロ・リナーレスの夢に現れたのも、このナワルだったのだと思います。
夢の中で、ナワルは「アレブリヘ」と声を出していましたので、リナーレスはこの霊を持つ姿をアレブリヘス(複数形)と呼びました。
リナーレスの「人の顔を持つカラフルな動物の姿」は、メキシコの人々の心をとらえました。オアハカでは木彫や陶器でアレブリヘスが作られるようになり、おみやげの一大産業になっています。
もともとは死者の日とはかかわりなかったアレブリヘスですが、リナーレスが瀕死の状態からよみがえったこともあり、「リメンバーミー」では死者の国の精霊動物としてミゲルの前に現れます。
アレブリヘスを、死者の国の精霊動物にしたのはピクサーによるアレンジですが、メキシコの人々もこのアレンジを納得しました。メキシコでも『Coco』が大ヒットしたのは、ディズニーピクサーがアレブリヘスに敬意をもって描いていると思ったからこそ。へたれみやげ品のほうのアレブリヘスだったらちょっとね。
このように、キリスト教とは異なる中南米の民間信仰であるナワル(アレブリヘス)を、キリスト教と共存するものとして描いているのは、21世紀の大きな変化ではないかと思います。唯一神以外の宗教を否定してきた考え方がようやく多文化へと開かれてきたと感じます。
25年前に私が日本語教育にかかわった初めのころ「留学生に、私は無宗教ですと絶対に言ってはなりません。人格を疑われてしまうから」と忠告を受け、私は自己紹介では「Zen-buddhist禅宗です」と言ってきました。(家族が曹洞宗のお寺に葬られているというだけで、私自身を禅仏教徒と言えるのか、というのは別として)
しかし、最近の西洋社会からの留学生、みずから「無宗教です」と自己紹介する人も増えてきたのです。
キリスト教社会が唯一絶対のものではなくなってきたからこその、アレブリヘス受け入れなのかなあと感慨深いものがあります。
私の個人的意見では、ピクサーによるアレブリヘスのイメージ造形ヒントとなったのは、リナーレスの張り子人形よりも、ポケモンだったのではないかと考えます。
たとえば、炎帝
印象派やゴッホなどポストインプレッショニストと、浮世絵の影響関係は、最近のジャポニスム研究のメインテーマだけれど、きっと将来のアニメ研究家は、ピクサーアレブリヘスとポケモンの比較研究なんてやりだすだろうと思います。
ラストシーン、ヘクターは、死者の国で離れ離れの妻とよりを戻し、娘と3人手をつなぐことができました。生者の国の家族のもとに戻ったミゲルは、家族の絆を大事にして、ご先祖様から受け継いだ音楽の才能を存分に発揮できました。
めでたしめでたし。
<つづく>