20150829
ミンガラ春庭ミャンマー通信>ヤンゴン8月日記(3)ヤンゴンのバス、ヤンゴンのサイカー
ヤンゴン市内移動の足は、第一にタクシーです。教員宿舎から大学までの通勤、片道は3kmほどですが、タクシーでおよそ2000チャット200円。大学から市の中心部であるダウンタウンまでが3000~4000チャット(交渉しだい)。
日本に比べると安いので、重宝はしていますが、問題はものすごい渋滞。3kmの移動に45分かかったことがありました。大学に向かう道、インセインロードを行くか、ピーロードを行くかの選択肢があるのですが、どちらも通勤時間帯はノロノロ運転が続きます。
渋滞の中、冷房なしのタクシーにあたってしまうと、排気ガスと熱気に耐えながらの通勤となります。
もうひとつの足が、バスです。日本製、韓国製、中国製などの中古車、中古というより、廃車になったものを再利用しているおんぼろバスが、庶民の足。
行き先を叫んで乗客に知らせる車掌と、お金を集める車掌がいます。
このバス↓はとてもすいている。たいていは、背中側にも腹側にもびったり人がくっつきあっている状態で乗っている。
入り口にいる車掌は、バス停にくると大声で、止まっていくバス停の名を連呼する。バス停に描いてあるミャンマー文字が私には、読めないので、この車掌の声は重要情報。
宿舎から大学まで3kmの間にバス停が4つあります。大学に向かうときは、車掌が叫んでいる行き先の中に、「レーダン、レーダン」ということばが聞こえたら乗り込むのですが、同じレーダンでも、停車位置が異なり、大学からはるか離れた場所に止まるバスだと、停留所からかなり歩いて戻らなければならない。大学に近いほうのレーダンなのか、遠い方なのか、私には区別がつかないので、大学行きのとき、ひとりで乗ったことはありません。
帰りは、車掌が叫ぶ停留所名に「タンラン」というのが聞こえたら乗り込みます。乗り込んでいる最中にも発車する荒っぽい運転なので、気をつけないと。急発進、急停車は、ヤンゴンバスの常識です。
下車するバス停は、同じところでとまるので、「ブリティッシュインターナショナルスクール」の校舎が見えたら降りる用意をする、ということだけ気をつける。ただし、混んでいるバスだと、どんどん奥に詰め込まれてしまい、降りたい停留所が近づいても、出口に行けないので要注意。できるだけ空いていそうなバスを選んで乗ったつもりが、途中から混み混みにってしまったこともあります。
比較的きれいなバス。タンラン停留所で。
「タンラン」が近づいてきたので、降りようとして、「タンラン、タンラン」と、降りる意志があることを大声で言っていたら、車掌が大笑いして、「この客は、停留所のはるか手前からタンランタンランって、騒いでいる」というようなことを言って、バス中の乗客も笑いました。外国人が乗ることは少ないバスなので、外人が乗ったというだけで面白かったのかもしれません。
停留所4つめで降りるのに、200チャット20円だったこともあり、100チャット10円だったこともある。車掌の裁量次第みたい。
バスの車体は、たいてい埃まみれで、横に書いてある中国語やハングルの文字も読めなくなっています。たまにきれいなバスが来ると、「春日市コミュニティバス」なんていう文字が読めたりします。漢字や平仮名は、こちらの人には絵と同じだから、塗装などし直さないで、そのまま使っているのです。お店の車なども、水のボトルを運んでいる車に「岩田寝具店」などと書いてあったりします。
タンラン停留所に止まる春日市コミュニティバス「やよい号」
タンラン停留所からは、宿舎まで歩くと15分~20分くらい。でも、日盛りのなかを歩くのも、雨の中を歩くのも消耗します。思いの外、体力が無くなっていた老体を考えて、タンラン停留所にたまり場があるサイカーに乗ります。
サイカーは、英語のside carから来ている語で、自転車のわきに前向きと後ろ向きのふたつの座席をつけて、一人300チャット30円くらいの値段で1kmを走ってくれます。
一度女性客と同じ方向だからと相乗りになり、後ろ向きの座席に乗ったのですが、後ろから追い抜きしようとするタクシーや乗用車が、すぐ目の前まで迫るので、すごくこわかった。前の座席なら追い抜きタクシーも、脇をすり抜けるだけだから、危険度はいっしょでもこわくない。
サイカーは、メインロードの通行は禁じられているので、横道や路地を走ります。バス停の近くにはたいていサイカーたまり場があります。
運転手と交渉して値段を決めるのはタクシーと同じ。タンランと外国人教員宿舎の間は、だいたい300チャット30円くらい。3月に来たときサイカーに乗って、デコボコ穴のある悪路を漕ぐ運転手に、こんな重労働させちゃって悪いなあなんて思いながら3000チャット300円を払ったのですが、今思うと、あれは完全にぼられていたのだから、悪いなんて思って損した。
タンランのサイカーたまり場
座席の黒いごみ袋は、座席クッションです。雨期だから、雨しのぎに包んである。
次の客をだれが引き受けるかは、順番がきまっているらしく、みな、のんびりと客待ちをしています。
すっかり暗くなってしまってから、帰宅したことがありました。
大学から歩いてバス停へ。宿舎最寄りのタンランまでバス200チャット、サイカー300チャット合計500チャット50円ですから、タクシー代2000チャット200円に対して、150円の節約、と思ったのですが、「安物買いの銭失い」でした。
暗い道、目印が見えなくなって、どこが宿舎の門なのか、気づかないうちに宿舎前を通りすぎてしまったのです。
サイカーの運転手に「ここで降りろ」と言われても、自分の宿舎の目の前でなければ、どこをどう帰っていいのやらわかりません。
ワーワー言って、大学外国人教員宿舎まで行ってほしいと頼んでも、サイカー運転手には英語わからず、とても困りました。
とにかく下ろされちゃったので、道行く人に尋ねると、もっと先だろうというので、先にしばらく歩くと、どんどん物寂しい道になっていきます。これはおかしいと思って、また引き返し、向かい側から歩いてくる二人連れの男性に尋ねても、やはり大学宿舎のことは知らないのです。でも、ふたりは、「とにかく、もとの場所まで戻ったほうがいい」と、いっしょに歩いてくれました。
二人が行こうとしていた道を逆に戻るのですから、申し訳ないと思ったのですが、しばらく話しているうちに、くねくねとしなを作りながら聞き取りにくいブロークン英語を話す二人組が、タイではけっこう見かける種類の人たちらしいとわかってきました。日本に行きたい、とも話す二人、新宿二丁目あたりなら、人気者になるのかも。
サイカーを下ろされた場所に戻ったので、ふたりにお礼を言って別れました。タクシーが止まっていたので、とにかく元来た道を戻れば、宿舎の門が見つかるかもしれないと思いました。運転手はアイフォンの地図を出して、しばらくこのあたりの検索をしていましたが、地図にも大学宿舎なんて出ていません。「とにかく、戻ろう」と、タクシーに乗り込んで100メートルも行かないうちに、宿舎の門が見えました。
なんのことはない、いつも乗り降りしているMICTパーク「In」の門ではなく、「Out」の門の前で下ろされてしまっただけで、もうわからなくなって、パニックになってしまっただけでした。
宿舎の地域の目印として教わった「Myanmar Information and Communication Technology Park」という情報先端企業の集合地。その入り口前に宿舎の門があるのです。街灯もない中、100m離れたパーク出口の前に下ろされただけで、違う場所に来てしまったとあわてていただけだったのです。
朝や昼間は「In」という入り口の看板で検討をつけていたのに、夜なので目印がわからなくなっていたのでした。
慣れない土地、何があろうと、明るいうちに戻るべきだと肝に銘じました。
ヤンゴンは、治安のよい町で、外国の都会に多いというスリやひったくりも聞いたことないし、外国人が強盗被害にあった、という事件もきこえてこないのだけれど、用心にこしたことはない。
「ミャンマー人の親切心にご注意を」と、旅行ガイドブックに書かれている国民性も実感しました。道を聞かれたりした場合、「知らない、わからない」と答えるのは不親切なことと思っている彼らは、とりあえず「あっちだろう」なんて教えてしまうから、注意するように、と書かれていました。最初に教えてもらった方向にどんどん進んだら、な~んもないところに行ってしまうのだ、と、休日昼間に歩いて見てわかりました。
アイフォンで検索してくれた運転手には、100mの移動ですけれど、1000チャット100円を払いました。最初からタクシーに乗って帰ったほうがよかった。
方向音痴は若い頃からの得意技で、迷子になるのは常のことなんですけれど、慣れない土地での迷子は、こりごりです。
36年前、ナイロビの町で迷子になり、道案内してくれた人とうっかり結婚してしまったのが、わたしの迷子人生の最初の失敗の巻でしたけれど、この老体になっての迷子は、さすがに「徘徊老人、迷い人のおしらせ」になってしまうだろう。
<つづく>