2014/01/28
ぽかぽか春庭@アート散歩>明治の館、大正のお屋敷、昭和の邸宅(9)旧千葉常五郎邸-ミュージアム1999ロアラブッシュ
東京大空襲に焼け残った明治~昭和前期の近代建築。保存にはいろいろな苦労がつきものですが、大きく3つの保存のありかたが考えられます。
ひとつは、テーマパーク型。古い建物を解体したうえで、明治村や江戸東京たてもの園、府中郷土の森博物館などの、建築を集めた博物館に復元移築する方法。
もうひとつは、元の場所にそのまま保存し、博物館、美術館などに改築して転用保存する方法。最後に、古い家にそのまま住み続ける方法。
三番目の方法には、持ち主のよほどの覚悟が必要です。文化財指定を受けると、改築などにさまざまな制約があり、居住者にとってはあまり快適な住まいではなくなるし、公開して見学者を迎え入れるのも、なかなかたいへんなことです。古い建物の維持管理には潤沢な資金も必要になります。
ヨーロッパなどでは、古い城館に手を入れて、ホテルやレストランとして使用する例があります。日本の近代洋風建築のなかにも、個人住宅をそのまま美術館に改装した高崎市美術館(旧井上房一郎邸)や、原美術館(旧原邦造邸)」などもあります。渋谷区渋谷にある結婚式場兼レストランのミュージアム1999ロアラブッシュも、現役で営業している近代建築のひとつです。
レストラン・ロアラブッシュ、エントランス
多くのサイトでこの洋館レストランを取り上げていますが、レストランのパンフレットをそのまま引用しているところが多く、きちんとした検証しているところが少ないように思います。
私もさいしょにレストランの案内を見たときには、資産家の息子と公爵令嬢が結婚する際に建てられた家、という説明を鵜呑みにしましたが、レストランまで出かけてパンフレットをもらったら、「旧男爵家の建てた邸宅」と書いてあったので、あれ、おかしいな、と気づきました。
結婚式場の案内パンフレットには「その昔 旧男爵家が子息の婚姻の際に贅を尽くして築いたもの」と書かれています。しかし、この家の持ち主が男爵であったというのは、誤りです。
レストランの案内パンフレットのほうには「この洋館はもともと、ある資産家が公爵令嬢と結婚する息子への祝いに建てた邸宅」と書かれています。こちらのほうが、史実に近いですが、それでも「話を盛っている」。公爵ではないです。
この家に住んだ新婚の夫婦は、夫、千葉常五郎(1911(明治44)-1998(平成10))。妻、鍋島京子(1913~没年不明、生きているなら百歳)
鍋島京子は、子爵・鍋島直庸(1879-1962)の娘です。
京子の父鍋島直庸は、父、子爵鍋島直虎(1879-1962)母、松平清子(伯爵松平茂昭(直廉)の子息。
鍋島京子が、公爵令嬢と書かれているのは、佐賀藩の殿様であった侯爵鍋島直大と混同している上、鍋島直大も公爵ではなく、侯爵です。また、鍋島直庸を佐賀藩主と書いてあるのも誤り。佐賀藩主は鍋島直大で、鍋島直庸は、肥前小城藩7万石の殿様でした。
千葉常五郎を「旧男爵家」としているレストラン側の説明ですが、誤りです。千葉家は、資産家ではあったにちがいないけれど、男爵ではありません。この豪華な洋館が建てられたおり、近隣の人たちの間に「華族様のお屋敷か」「男爵家の邸宅だそうだ」という噂がたったという伝説が、もっともらしく伝えられたもので、日本の華族は公侯伯子男、すべて家名がわかっています。1869(明治2)年の最初の427家の華族から1947年に華族制度が廃止され1011家が爵位廃止されるまでの、すべての家の記録があるからです。
鍋島京子と結婚した千葉常五郎は、千葉直五郎の息子。常五郎は、米国アーマスト大学卒業後、1933(昭和8)年に帰国して、鍋島京子と結婚。渋谷の家は、大正末年に起工し、昭和7年に竣工したということなので、まさに、新帰朝の息子の結婚に合わせて建てられたのだと思います。アーマスト大学は、新島襄が卒業した大学です。千葉常五郎が卒業したのが確かかどうかは、卒業生名簿を当たればいいのですが、確認していません。
入り口反対側から
千葉常五郎は、戦後、ゴルフボール製作をはじめて、成功をおさめたという起業家です。
常五郎の父親の千葉直五郎(1888-1970)は、明治の実業家。池貝鉄工所監査役などをつとめました。直五郎の兄の千葉松兵衛(ちばまつべい)は、江戸時代から代々続いた煙草屋を大きく発展させて日本三大煙草王と呼ばれるような大企業にした上で、煙草業が官営化される際に大金で売り抜け大資産家となった人です。
レストランは、1981年から会員制クラブとして営業をはじめたと、レストランのパンフレットに書いてあります。当主の千葉常五郎の没年が1998年とすると、その翌年には一般のレストランに改装したのだろうと思います。ミュージアム1999というネーミングは、千葉常五郎の没年の翌年に改装開店したことを示唆しています。これも、確認した情報ではありませんけれど。春庭が追跡できたところは、以上です。
つまるところ、レストランのパンフレットに書かれていることの2点は、誤情報です。「この館の当主であった千葉家は男爵家ではない」「千葉常五郎夫人の京子は公爵家令嬢ではなく、子爵家令嬢」というふたつの点で誤った情報を掲載し、多くの人がそのまま引用している、ということです。誤情報がネットで拡散していくのがよくわかります。
ほんとうを言うと、レストランの持ち主が、元男爵だろうと公爵だろうとどっちでもいいようなもんです。爵位なんぞをありがたがったりしない、誰もが平等な世の中を望んできたのですから。ただ、こういうレストランパンフレットなどに「爵位をありがたがる」ような宣伝文句が書いてあると、へそ曲がりな性分がついつい鎌首もたげる。(爵位なんぞとは無縁の庶民のひがみっていうと、そのとおりかもしれないですけれど)
1959年の皇太子妃(現・皇后)お輿入れの際に、ある元皇族は、「爵位もない平民から皇室に入るなんて世も末だ」と、日記に憤懣やるかたなしと記述しました。
今でも、まだまだ爵位という「人に等級をつけ、身分の上下を尊ぶ人々」はいるんだなあと感じたことでした。
「公爵家令嬢が嫁入りする際に建てられた男爵邸宅」というと、なんだか立派そうに思える、という庶民感覚を宣伝に利用した、と言えばそれまでです。一種のファンタジーですね。
ほんとうは、2月15日にここでランチしようと思ったのですが、この日は、あいにくと結婚式が入っているので、ランチ営業はなしという案内嬢の説明でした。残念。またの機会に。
入り口まえのライオンレリーフの口から水が流れていました。
入り口の中側の階段
入り口のホール奥
建物としては、爵位があろうとなかろうと、とてもすてきな邸宅です。
設計・黒川仁三、施工・竹中工務店という点、まだ確かめていません。
黒川仁三が黒川紀章の父親だというのも、ロアラブッシュ紹介のサイトにこぞって書かれていることなのですが、黒川紀章の父親は、同じ建築家でも、黒川巳喜(1905(明治33)-1994(平成6)と思うので、このへんもきちんと調べてみなければなりません。いずれにせよ、レストランの宣伝パンフレットを鵜呑みにしてはいけませんね。
(注記:2016/03/23 千葉弘氏のコメントにより、一部分削除)
<つづく>