比較的こぎれいなバスもたまには通る。
自転車に乗るにもロンジー姿で。運動するときもロンジー。短くたくし上げてまたで挟みます。
20130322
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ヤンゴンの暑季(4)ヤンゴンバス通勤その1
私の通勤経路。ライン地区の宿舎からレーダンの大学まで、4kmほどの道のりです。
タクシーでは、ライン地区を抜けてからピー通りに出るまでが1キロ。ピー通りに出るまで1kmの道のりなのに、渋滞がずっと続くので、1キロに15分20分かかる。
ピー通りに出てから大学までの3キロくらい道のりも、時間帯によって渋滞しだいで15分から20分くらいかかる。4kmの移動に最長45分かかったことがあります。歩けば4km1時間くらいですから、歩いたほうがいいというのは、日本での健康話。当地では、雨期は激しいスコール雨が突然くるので歩けなかったし、今は暑くて歩けない。帽子をかぶって日傘を差しても、日なたを1時間歩いたら、日射病で倒れます。連日最高気温41度。こんなに暑いのは記録的ということです。
徒歩&バス利用の道は、MICTパークを通り抜けてインセイン通りのタンラン停留所とレーダン停留所間を乗り降りします。
朝、タンランバス停まで10分ほどの徒歩。教員宿舎となりのMICTパークの中を通り抜けます。パークの入り口を守る守衛さん達と顔なじみになり、ミンガラバーの挨拶をかわします。
MICTパークにはキョウセラなどの日本企業も入っているのですが、日本人駐在員たちは守衛さん達とあいさつをかわしたりしないし、徒歩通勤などしないので、顔を見知ることもない。
私は「チャマー、セヤマー、ヤンゴンタッカドゥー。チャマー、ナメーガ ドクターHALバァ。ジャパンルーミョー」と、自己紹介だけはミャンマー語で言いました。これしか言えないので。日本だと気恥ずかしくて、名乗りに「HALハカセです」なんて言えません。バカセかパカセと、冗談を言うのがせいぜいです。が、当地では「ハカセ」の威力は大きいですから、ズダ袋下げて、よれよれのズボン履いて歩いていても、あやしい人物ではない、という自己アピールのひとつです。
12月の子犬誕生直後、子犬がまだ人に寄ってきたころ。狂犬病や皮膚病などがこわいので、「犬、こわ~い」と日本語で言うと、守衛さん達は「しっ、シッ」と、犬たちを追い立てて、私の周りにこないようにしてくれたり、みな親切です。
犬は3ヶ月で育ち、人間に近づいてもいいことはない、ということを学習した犬だけが生き残っています。それでも野犬天国に変わりはないヤンゴン市内です。
残飯を犬に与えれば動物愛護の功徳をほどこしたことになり、来世のステージがよくなる、という思想が変わらない限り、ヤンゴンの野犬は減らない。野犬に残飯を与える人は、犬への狂犬病注射代も支払うこと、というキャンペーンを張るべきです。もっとも、人間への予防注射だって完全ではない国です。子供への予防接種として「結核(BCG)、ジフテリア・破傷風・百日咳、ポリオ、麻疹、インフルエンザb型菌(Hib)感染症、B型肝炎」がありますが、接種履行率は不明。田舎へいけばいくほど、予防注射の習慣はないと思います。まして犬においてをや。
MICTパークのフードコートの前を通ります。昨年10月~12月に開店したYKKOやオリエンタルフードなどの有名レストラン、コンビニのCity-Expressが入っています。このフードコート開店で、宿舎の買い物食べ物環境は、劇的変化。ヤンゴン砂漠と言われていたMICTパーク内が一気に小オアシスつきになりました。
道ではなく、どうして店の前のテラス席の間を通るかというと、軒下テラス席は日陰だからです。12月と1月は、日陰をとおれば、汗ばまずにバス停まで歩けました。3月の今は、日陰でも歩けば汗をかきます。
しかし、当地の人々の汗腺は、寒い季節のある日本人とは異なっているようで、汗だくの人はあまりいません。逆に12月1月に朝夕が23~25度くらいになって、私には快適だったとき、みな寒い寒いと言ってセーターを着込んでいる人も多く見かけました。25度でセーターって、それほど寒さに弱く暑さに強い人々です。
バス停では、「スーレー、スーレー」「レーダン、レーダン」という車掌の声が聞こえたら乗り込みます。路線バスですが、バス番号はあてになりません。路線番号とバスの路線表示は一致してない方が多いから。人々は、基本、車掌の声でバスを選びます。
日が当たるバス停に人はおらず、人々は、木陰で待っている
黄緑色Tシャツの背中を見せている車掌。行き先をどなりながら、腹をかいているようです。
比較的こぎれいな、ぼろくない小型バス
朝7-8時台のバスは、乗客の胸と腹がくっつきあう、ギューギューのものすごい混みようなので、私は数回の利用であきらめました。現在は9-10時台のバスで、人と人のあいだに数センチくらい隙間ができるくらいなので、わたしにも乗っていられます。
バスは、基本ぼろぼろです。座席のカバーは汚れ放題のうえ、破れているのはフツー。
以下の写真は、12時-13時に撮影したものなので、乗客の間にゆとりがあり、立っている人がいないバスもありますが、これは、ぎゅーぎゅーのバスでは写真がとれないので、すきすきのバスで撮影したのです。
乗客はみな親切ですが、乗客マナーとして老人に席をゆずるのを見ることは、めったにありません。次の停留所で降りる人が立つとき、まわりを見渡して「次にここがあくよ」と、教える人はいますが、自分の席を譲ることはしません。唯一席を譲られる人、お坊様です。ミャンマーでは、バスの一番先頭の席はお坊さん優先席。お坊さんが乗ってきたら、一番先頭の席は必ずお坊さんに譲ります。
ヤンゴンのバスは急停止急発進急な路線変更は「常態」だし、動いている途中のバスへの飛び乗り飛び降りもみなフツーにやっています。また、停留所の付近に止められないとき、停留所のはるか手前で、後ろから車がどんどんやってくるのに、道路際でない、真ん中の車線で降ろされることもあります。一応、車掌は手で後続の車をストップさせて、車の間を「ここをすり抜けて歩道に行け」と、補助してくれるのですが、こわいです。
こんな危険な思いまでしてどうしてバス通勤するかというと、タクシーに乗るときはエアコンつけてもらい快適ですが、一人です。バスには中流以下の人々が乗り込み、人々といっしょになる面白さがあります。
現在のヤンゴンで、人々は公共の場でも遠慮無くケータイの着信音を響かせて、みな大声で話します。マナーモードにする習慣は根付いていないので、クラシックコンサート会場でも遠慮無く着信音があちこちで鳴り響いたということですから、バスの中で遠慮するはずもありません。しかし、外国人のおばさんが乗り込んできて、へんてこりんな発音で「レーダン」とか「タンラン」というので、みなが注目していて、急発進によろけたりすると、周り中の人が手をさしのべてくれて、ミャンマーの人はほんとうに親切だと思います。
レーダンの最初には、鼻から息を出す「H」の音がつくのです。タンランのTも有気音なので、私の発音では伝わらないこともあります。私が「タンラン」というと車掌は「たンラン?」と正しい発音で聞き返すので、うなずけば解決。
タクシーは目線が低くなりますが、バスに立って乗車していると、タクシーより高い目線で町を見ていけるのもバスの利点のひとつ。「あれ、インセイン通りのこんなところに日本語学校があったんだな」など、タクシーだと目に入らないビルの3階に目がいったりします。
以下の店のなにがおもしろかったかというと。
OMOTOという店の名に、「おもと」とひらがなが書いてあるのは正解だけれど、カタカナ表記は、いったい何が言いたい?「ロモ」は読めるけれど、ロモの前の「巾」は何の意味だか。「ソム」は読めるけれど、そのあとの「ウ」みたいのは、なんだろう。
バス停まで10分歩き、レーダンバス停に着いてから大学事務室まで10分歩きます。朝、時間ぎりぎりに宿舎を出ることになって、その時間がない、と感じるときタクシーを使い、帰りはよほど疲れているときタクシーにしますが、1月と2月の上旬下旬通勤はほとんどバスでした。2月中旬と3月上旬は友人と家族を連れての通勤もしたので、ほとんどタクシー移動でしたが。
この横断歩道橋が見えたら降りる準備。出入り口ドアのそばに行っていないと降りられなくなる。
交差点を挟むレーダン停留所は、交差点の手前で下ろされるのか、右折してから下ろされるのか、交差点を通り過ぎてだいぶ走ってから降りるのか、だいぶ違います。しかし、とにかく車掌に「レーダン、レーダン」と言って200チャット20円を渡しておけば、車掌なり乗客なりが「ここで降りるんだよ」と、教えてくれます。
<つづく>