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ぽかぽか春庭「ダンス仲間と新年会」

2025-01-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250121
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記1月(1)ダンス仲間と新年会

 Aダンスィングは1984年から続き、2024年も文化センター祭でジャズダンスを発表しました。ミサイルママをはじめ70代のダンサーたちはすてきな踊りを披露しました。


 水曜日午前中のAダンスに参加できない仕事を持つ人たちで、分派の「Sダンスィング」を立ち上げました。2015年から2019年までジャズダンスレッスンと発表会参加を続けましたが、メンバー減少によってサークルが維持できなくなり、解散。

 それ以後も年に1度はいっしょにAダンスィングの発表を見に集まり、発表後のお茶とおしゃべりで交流してきました。しかし、2024年の発表会のあと、メンバーは時間がとれなくて、会っていませんでした。私とミサイルママはランチを2度ごいっしょする機会がありましたが。
 今もAダンスの指導を続けているミワコ先生から「しばらく会えていないからSダンス元メンバーに会いたい」とお話があり、ミサイルママが幹事になって時間を合わせてくれました。

 駅からちょっと歩くカフェが見つからずに、私は30分も遅刻。しかし、サラダとパスタのランチをとりながら、おしゃべりがつづき、何度もがん手術を経ても今もダンス指導ヨガ指導を続けていミワコ先生が相変わらずがんばっていらっしゃるようす、長年認知症のご主人を介護し見送ったトモ子さんも、読み聞かせの会などで活動しているようすなど、近況を披露しあいました。

 私の「年金では生きていけない」といういつもの愚痴も、娘の懸賞応募が、1月中には日比谷おカフェランチと東急キャピタルホテルビュッフェが当たったこと、大阪万博チケットも当たったことなどのニュースとともに伝えるとそれほどみじめったらしくはならずに受け取ってもらえたようで、「e-Naちゃんも元気そうでよかった」と思ってもらえました。

 みな同じように年をとってきたので、健康診断したら身長が2センチ縮んでいた、いや私は3センチ、など年寄りあるある話もでましたが、みな、ジャズダンスで体幹を鍛えてきたので、背筋まっすぐ、シャンとしているのはなによりです。

 元気で生き抜き、また会いましょう、とのことばでおひらきにしました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本の言葉遊びや知恵選ぶ」

2025-01-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250119
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(5)日本の言葉遊びや知恵選ぶ

 2011年の春庭コラム再録です。
~~~~~~~~~~~
2011/01/31
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(5)日本の言葉遊びや知恵選ぶ

 昭和のいろは歌つづき。
「新『濡燕』」(茨城・西浦紫峰)
お江戸街唄風そよろ 青柳けぶりほんに澄む 三味の音締へつばくらも 恋ゆゑ濡れてゐるわいな
(おえどまちうたかぜそよろ あをやぎけぶりほんにすむ さみのねじめへつばくらも こひゆゑぬれてゐるわいな)

「勧進帳」(滋賀・石川芳雄)1952年に、ようやく占領下から独立した日本、伝統の勧進帳も上演できるようになりました。
源九郎義経ぞ 早めて参る安宅関 弁慶ほろり声を呑む 落ち得ぬわれに夕陽さす
(みなもとくらうよしつねぞ はやめてまゐるあたかせき べんけいほろりこゑをのむ おちえぬわれにゆふひさす)

「盆踊り」(福井県・巌教也) 
今宵寝られじ 盆踊り おけさ揃へや 輪も丸く 粋な浴衣の娘笑み 笛に合わせつ手打ちゐぬ
こよひねられじ ぼんをどり おけさそろへや わもまるく いきなゆかたのむすめゑみ ふえにあわせつてうちゐぬ

「名画礼賛」(東京・島しげる)
セザンヌ ゴオグ モネエ マチス ユトリロ ピカソ ターナの景色に余は惚れて 平和生む絵をみつめゐる 
(せざんぬ ごおぐ もねえ まちす ゆとりろ ぴかそ たあなのけしきによはほれて へいわうむゑをみつめゐる)

 昭和41年の週刊読売が公募した新「いろは歌」。
「水無月」(東京・西紋士郎)
去年植ゑし花紫陽花よ 梅雨やまず縁の傍に 今日開き濡れて色めく 面輪折り見せねと賞むる
(こぞうゑしはなあぢさゐよ つゆやまずえんのかたへに けふひらきぬれていろめく おもわをりみせねとほむる)

「雪の花嫁」(奈良・久保道夫)
雪のふるさとお嫁入り 田舎畦道 馬連れて 藁屋根を抜け田圃越え 葉末に白く陽も添へむ
(ゆきのふるさとおよめいり ゐなかあぜみち うまつれて わらやねをぬけたんぼこえ はずゑにしろくひもそへむ)
「芭蕉」(東京・塚本春雄)
名も不易 奥の細道 馬と絵師 座寄せ和す囲炉裏 旅に病んで眠らぬを あはれ何処へ夢駈ける
(なもふえき おくのほそみち うまとゑし ざよせわすゐろり たびにやんでねむらぬを あはれいづこへゆめかける)

 では、最後に、春庭第4作。お題は「新作いろは歌を詠む」
日本の言葉遊びや 知恵選ぶ 色受けゐれる 句を詠みぬ 仮名文字 溜させ 胸へ揺りて 置き回す
にっぽんのことばあそびや ちゑ えらぶ いろうけゐれる くをよみぬ かなもじ ためさせ むねへ ゆりて おきまわす        

 いかがでしょうか。世に流布する傑作「いろは歌」の見事な出来 に比べると、春庭作はちと見劣りがしますが、回文を作るのもいろは歌を作るのも、お金のいらない頭の体操。これで惚け防止ができると思えば、日本語のことば遊び、なぞかけでも川柳でも、どんどん挑戦してみてください。

 なぞかけ、ととのいました!「いろは歌とかけまして、正月に一滴のビールも屠蘇も飲まず、ことば遊びですごした春庭と解く」その心は「ゑひもせす 酔いもせず」
 あ、あのですね。いろは歌の最後は、「あさきゆめみし ゑひもせす」なのでして、と、なぞかけの心を解説する野暮天。つまり「ゑひもせす」は、これで「日本語いろは」はおしまい、ってことで、、、、
~~~~~~~~~~
20250119
 貧乏は相変わらずなれど、2024年持病のほかは、足の指骨折とコロナ罹患のみで過ごせました。2025年も皆々様に感謝しつつすごしてまいりたいと存じます。



<おわり>
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ぽかぽか春庭「舞姫を森鴎外は捨てゆきぬ」

2025-01-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240118
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(4)闇夜へ消えた骨無しソロモン
 
 2011年の春庭コラム再録です。
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2011/01/29
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(3)舞姫を森鴎外は捨てゆきぬ 

 春庭第2作目のいろは歌。
 色とりどりの衣装をつけた舞姫が部屋の中に立ち、熱に浮かれて歌って行く様子です。平安文学に出てくる五節の舞姫を想像するもよし、江戸の浮世で舞う浮かれ女を連想してもよし。

 花の輪で、青白緑紫も 匂ほふ舞姫 部屋立ちぬ 為せる 熱よぞ 浮かれ世間を行く声す
 はなの わて あお しろ みとり むらさきも にほふ まいひめ へや たちぬ なせる ねつよそ うかれ せけんを ゆくこえす 

 ちょっと上手くなってきたので、調子にのってきました。
 舞姫という語が出てきたので、森鴎外を連想して、第3作。擬古文で書かれた明治文学の香りがします。と、思ったけれど、最後のつじつま合わせアナグラムがちと苦しい。擬古文がそうであるように、仮名遣いがでたらめになっています。

 捨てられたエリスは寝つけぬ夜を地図をながめて過ごします。日本の地図はまっさらなまま、二人を隔てる国境を越えて恋人のいる地へ分け入ることもできません。
「舞姫を 森鴎外は 捨て行きぬ ゑくぼへ 涙の跡 誘ふ 夜 寝れやせん 白地図に 越え分けらむ」
まゐひめを もりおうがいは すてゆきぬ ゑくぼへ なみだの あと さそふ よる ねれやせん しろちづに こえわけらむ  

 鴎外を追ってたった一人で船旅を続けて、ドイツから日本までやってきたエリス。
 エリス=アリス・ヴィーゲルト説もあり、エリスのモデルに定説はありません。エリス=アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトという説もNHKドキュメンタリーで知られるようになりました。この説では、実在のエリスは、ドイツに戻って結婚しました。生存している孫の証言では、エリスは若き日の恋人森林太郎のことは一言も語らなかったそうです。エリスの孫の話は、NHK「鴎外の恋人~百二十年後の真実~」というドキュメンタリーで放送されました。

 エリスのモデルとなった女性の本名が、「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」だというのも、鴎外は、次女に杏奴(あんぬ)、三男に類(るい)という名をつけたことからも納得されます。母に引き裂かれた初恋の人を、どうしても忘れることができなかったのでしょうね。家督を弟にゆずって、異国の地からやってきた恋人と結婚する道もありえたのに、恋よりも母親をとった明治の男、森鴎外。捨てられたエリスが幸福な生涯をおくったのだろうと推測できて、ちょっとは鴎外を許してもいいかって気分になりました。

 エリスのモデルとなった女性の名前を書き残さなかった鴎外。名前を伝えるのはなかなか難しい。古代の「いろはうた」は作者が伝わっていません。
 しかし、近世以降では作者名も伝わっています。

 江戸時代に作られた「いろは歌」
「藤尾勾當の歌」、正月に歌うにふさわしい、めでたそうな歌。
春頃植えし相生の 根松行くゑ匂ふなり 齢を末や重ねらむ 君も千歳ぞめでたけれ
(はるごろうえしあいおゐの ねまつゆくゑにほふなり よわひをすへやかさねらむ きみもちとせぞめでたけれ)

 細井廣澤による「君臣歌」。こちらも君臣一族栄える目出度い歌。
君臣親子夫婦に兄弟群れぬ 井鑿り田植えて末繁る 天地栄え世を侘びそ 舟の櫓縄
(きみまくら おやこいもせにえとむれぬ ゐほりたうえてすゑしげる あめつちさかえよをわびそ ふねのろなは)

「五言律詩体 寒梅」
えならぬ香り閨訪れ 池は鴛鴦 庭の梅 色添ふ朝 粉雪散る宵 まだ鶯 見えもせで
(えならぬかほりねやおとづれ ゐけはおし にわのむめ いろそふあさ こゆきちるよべ まだうぐひす みえもせで)

 江戸期国文学の大家、本居宣長の「田植歌」。(宣長の息子は、ぽかぽか春庭が名を借りている本居春庭です)。お父さんの宣長さんは、国学の大家。「もののあはれ」や「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」と日本の心を詠んだ宣長さん、いろは歌でもさすがに「稲よ真穂に栄えぬ」と、目出度そうに詠んでいます。田植えときの雨乞いに使えそうな寿歌です。

 雨降れば堰ぜきを越ゆる水分けて 諸人康く下り立ち 植ゑしその群苗 稲よ真穂に栄えぬ
(あめふればゐぜきをこゆるみづわけて もろひとやすくおりたち うゑしそのむらなへ いなよまほにさかえぬ)
~~~~~~~~~~~
20250118
 2024年の大河ドラマで、史実とは異なるだろうけれど、王朝絵巻として楽しく見たシーンがあります。のちの藤式部(ドラマでの幼名まひろ)が五節の舞に選ばれて、貴人いならぶ前の雅楽舞台で舞ったシーンです。史実であるなら、紫式部日記に書き残さずにはおられなかったでしょうが、謙虚をよそおいつつ自慢しいの紫式部日記に記録はありません。一条天皇から「日本紀の局」と呼ばれたって話はしっかり書き残しているけれど。

「光る君 五節舞う 舞台 誉めはやす 常より 禄を さし上げぬ 
 我も なにぞ 踊らん 故」   
 ひかるきみ こせちまう ふたい ほめはやす つねより ろくを さしあけぬ われも なにそ おとらん ゆへ         

 いつもより多めの禄(褒美)を得た舞姫は、得意満面だったでしょう。光君が与えた禄は、扇か脱いだ衣でしょうか。光君も舞の名人ですから、みずから舞うのもご愛敬。青海波の舞をひとさしなりと。

 五節の舞姫


 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「いろは歌 粗朶火燃え散る囲炉裡辺に」

2025-01-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250116
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>いろは歌(日本語音節と音節文字)(3)粗朶火燃え散る囲炉裡辺に

 2011年の春庭コラム再録です。
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2011/01/30
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(4)粗朶火燃え散る 囲炉裡辺に

 明治時代に「萬朝報」が行った「現代いろは歌」公募には1万首もの応募があったそうです。そのうちの優秀作第一席が埼玉県児玉郡青柳村・坂本百治郎の作った「鳥鳴く声す」です。坂本百次郎は数学教師だったそうで、アナグラムを考えるのが得意だったのかもしれません。「とりなくこえす」は、小学校の壁にも張り出されて、児童が「ひらがな」を覚えるために教育用としても使われたそうです。

「鳥啼く声す 夢覚せ 見よ明け渡る東を 空色栄えて沖つ辺に 帆船群れ居ぬ 靄の中」という1位に対して、第19席になったのは、「粗朶火燃え散る」の歌。「鳥鳴く声す」が、明治の世にふさわしい勇ましくて明るい雰囲気を出しているのに対して、「粗朶火燃え散る」は、世の文明開化のかけ声とは裏腹な明治の庶民の現実を歌い、身に染みます。実際の社会はこのようなものだったのでしょうけれど、第1席に比べると19席とは評価が低い。私は、「粗朶火燃え散る」のほうが詩情があっていいように思います。明治の貧窮問答歌といった趣です。

粗朶火燃え散る 囲炉裡辺に 賤の夜寒を 嘆く見ゆ 女子弟飢ゑて 顔痩せぬ 哀れ着い寝ん藁衾
そたびもえちる ゐろりべに しづのよさむを なげくみゆ めこおとうゑて かほやせぬ あはれきいねん わらぶすま   

 18席となったのは、東京・萬年昭明の作。「あめつちの詞」のように、名詞を並べるタイプで、氏姓を並べています。明治の世になって、民百姓も苗字をつけることになった社会を詠んでいます。

八十氏増して、大江・布留・櫻井・權田・長谷・楡木・餌守・犬飼・根津・夢野・小室・和気など算み能へず
(やそうじまして、おほえ ふる さくらい ごんだ はせ にれぎ ゑもり いぬかひ ねづ ゆめの をむろ わけなどよみあへず)

 1952(昭和27)年に週刊朝日が公募した「新いろは歌」。明治の和歌調文語体に比べて、口語体の「いろは」が増えていきます。戦後復興に燃える明るい歌が多くなっています。

「ビールを飲めば」(大阪府貝塚市・西本翔蔵)
ビールをぐっと飲み干せば 青いロマンス胸に燃え 歌声柔わし霧濡れて 幸夢かなへ夜更け空
びゐるをぐつとのみほせば あおいろまんすむねにもえ うたごゑやわしきりぬれて さちゆめかなへよふけぞら       

「夢を語らん」(東京都・露木竹夫)  
笑くぼせつない君とゐる 優しさより添ふ胸の間に 日ごろ思へば忘れ得ぬ 夢を語らんうちあけて
ゑくぼせつないきみとゐる やさしさよりそふむねのまに ひごろおもへばわすれえぬ ゆめをかたらんうちあけて

「花売娘」(徳島・宇山千代枝)
ネオン揺れる頃笑って 今日街にゐた花売娘 青い瞳燃え やさしの靨へ風そよぎぬ
(ねおんゆれるころわらって けふまちにゐたはなうりむすめ あをいひとみもえ やさしのゑくぼへかぜそよぎぬ)

「ああ広島」(宮城・中川弘)敗戦後7年目に、平和を願う心が表されています。
あはれわが夜毎夢見る 失せ亡ぶ邑の衢や 末思ひ冱えゐて寝ぬに な作りそ原子兵器を
(あはれわがよごとゆめみる うせほろぶむらのちまたや すゑおもひさえゐていぬに なつくりそげんしへいきを)

 まあ、どれもなんて上手なんでしょう。日本語の言葉遊び、奥が深いです。
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20250116
 2024年1月、娘が懸賞に当たり、2度もディズニーリゾート招待をたのしみました。3月の北海道エスコンフィールドお食事券、9月の大阪USJ2日券も娘の懸賞当選。なんだかんだで楽しくお出かけした2024年でした。

 春庭2025年新作。ディズニーエレクトリカルパレードのラプンツェルでいろは歌。コソ泥フリン・ライダーは、塔の屋根で 泣くラプンツェルの声を聞いて会おうとがんばる。ラプンツェルもコリンのために髪を下ろす。

 地も 這へと 吠ゆ 我 呼びぬ ラプンツェル 泣く声 聞いた  
 真屋根に 娘 髪の毛を おろし そろりと 居させて 会う  
 ちも はへと ほゆ われ よひぬ らふんつえる なく こゑ きいた 
 まやねに むすめ かみのけを おろし そろりと ゐさせて あう 

エレクトリカルパレードのラプンツェル

<つづく>
        
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ぽかぽか春庭「いろは歌 闇夜へ消えた骨無しソロモン」

2025-01-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240114
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>いろは歌(日本語音節と音節文字)(2)闇夜へ消えた骨無しソロモン

 2011年の春庭コラム再録です。
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2011/01/28
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(2)闇夜へ消えた骨無しソロモン

 日本語音声学の授業で、これらの「いろは歌」のいくつかを紹介して世界の言語からみて、日本語は音節数が少ない言葉であること、115というごく少ない音節を用いて森羅万象を表す単語が成立すること、などを解説します。

 私自身は「いろは歌」を作ってみたことはなかったのですが、2010年後期クラスの中に、「自分もいろは歌を作ってみた」と、メールレポートに書いてきた学生がいました。
 こばやし君の作、ふたつ。
 闇夜へ消えた骨なしソロモンは、我と姫に荒らさせて、王家ゆかりの古く濃い真土を盗む
 やみよへ きえた ほねなし そろもんは われと ひめに あらさせて おうけゆかりの ふるく こい まつちを ぬすむ

姫は三重県へ移る。世話焼きな姉からの細く良い竿と濡れた百合を澄まして風呂に持ち込む
 ひめは みえけんへ うつる せわやきな あねからの ほそくよい さおと ぬれた ゆりを すまして ふろにもちこむ

 なるほど、ちゃんと意味の通ったいろは歌になっています。「闇夜へ」は、ソロモン王の時代の墓盗人の物語を思い浮かべることができるし、「姫は三重県へ」は、姉から世話して貰ったモノを持ち込んだ風呂場の光景が浮かびます。え?「細く良い竿と濡れた百合」って、もしかして何かの比喩になってる?と、授業中にコバヤシ君に尋ねることはしませんでした。ただ、単語をを並べてみたらこうなっただけでしょう。

 こばやし君は、「いろは歌を作るコツ」も発表しました。この「コツ」の説明で、「日本語学」も受講したこばやし君は、品詞についての春庭講義をよく覚えていることもわかりました。
1) よく使われる助詞「は」「か(が)」「を」「の」「に」はとっておく。
2) 動詞の終止「る」、中止「て」過去「た」もとっておく
3) 形容詞の終止「い」中止「く」もとっておく
4) それ以外の仮名を組み合わせて単語をつくり、それを並べて意味が通るようにする。

 私は、自分で回文を作りますが、いろは歌を作ったことがなかったのでいたく感心し、「日本語のモーラ」についての発表もよい出来で欠席なしだったコバヤシ君には「A+」の成績をつけました。
 「A+(優)」の成績をあげたコバヤシ君の気持ち、舞い上がっているでしょう。親御さんにもよい成績を自慢したいでしょうね。コバヤシ君に「いろは歌作るコツ」を教わったので、初めて春庭作のいろは歌を試みました。先生に「優」を貰って親に披露しているコバヤシ君のようすを詠みました。ゑとゐは抜かしたので、ちと難しい。
 
 「誉められ舞い上がる気持ち、察したよ 品述べて 優増え、胸張り親に「見ろ」と、消せぬ名を濃く添わす」
 ほめられ、まいあがるきもち、さつしたよ ひんのべて ゆう ふえ むね はり おやに みろと けせぬ なを こく そわす

 どうも、コバヤシ君の作品のほうが、一枚上手です。まだまだいろは歌修行中の春庭ですが、頭の体操になりました。皆様も、惚け防止頭の体操として、ぜひいろは歌に挑戦してみて下さい。

~~~~~~~~~
20250114
 白馬の王子様が、落とした靴を持って探しにきてくれますように。と毎年思って早70年。あ、靴落としたことなかった。落としてもいない靴にギューギュー足つめこもうとして、「私こそがしんでれら」と主張するつもり。食うや食わずの貧乏ダイエットながら、死んで、、、、、いません。2025年もよろしく。

 春庭新作シンデレラいろは歌。
 シンデレラ 夢見た靴履き 裾も 散る 胸合わせ 踊ろう  
 誇り増え 迷いの 日へ 何をか 避けぬや  
 しんてれら ゆめ みた くつはき すそも ちる むねあわせ おとろう
 ほこり ふえ まよいの ひへ なにをか さけぬ  
   


<つづく>
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ぽかぽか春庭「いろは歌(日本語音節と音節文字)鳥鳴く声す夢さませ」

2025-01-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240112
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>いろは歌(日本語音節と音節文字)(1)鳥鳴く声す夢さませ

 2011年の春庭コラム再録です。
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2011/01/26
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(1)鳥鳴く声す夢さませ

 日本語学や日本語音声学の授業で、春庭が日本語音節の話をするときに毎回出すクイズがあります。学生に日本語の音節に気づかせるためのクイズです。カフェコラムでもたびたび同様の出題をしているから、またあれか、と思いつつ読んで下さい。

 問題「以下の詩句を読み、かつ音読して、日本語の発音について気づいたことを述べよ」
鳥啼く声す 夢覚せ/見よ明け渡る 東を/空色栄えて 沖つ辺に/帆船群れ居ぬ 靄の中
とりなくこゑす ゆめさませ /みよあけわたる ひんがしを/そらいろはえて おきつべに/ほふねむれゐぬ もやのうち

声に出して読んでも、何も気づけない人にヒント
「いろは歌」
いろは歌を知らない人に、さらなるヒント
色は匂へど 散りぬるを/我が世誰ぞ 常ならん/有為の奥山 今日越えて/浅き夢見じ 酔ひもせず
いろはにほへと ちりぬるを/わかよたれそ つねならむ/うゐのおくやま けふこえて/あさきゆめみし ゑひもせす

さらなるヒント 「あめつちの詞」
「天地星空 山川峰谷 雲霧室苔 人犬上末 硫黄猿榎枝馴居」
あめつちほしそら やまかはみねたに くもきりむろこけ ひといぬうへすゑ ゆわさるおふせよ えのえをなれいて

解答
 「鳥なく声す」は明治時代の公募によって作成された「現代いろは歌」です。
「いろは歌」は平安初期に成立した「47の仮名文字を一度だけつかって作られた詩句」のうち、もっとも広く知られたものです。
 いろは歌では「え」「ゑ」、「い」「ゐ」の仮名文字が表記されていることから、「e」「we」、「i」「wi」の発音が別々であったこと、「お」「を」のふたつの仮名文字があることから「o」「wo」の発音が別々であったことがわかります。
 「あめつちの詞」は、いろは歌成立以前に用いられていた仮名文字練習用の歌です。時代が古いので、「え」が2度出てきます。これは、古代の発音では、「e」「ye」を区別していたことを表しています。

 日本語の発音は「子音」+「母音」を一組として発声されます。これを開音節といいます。
 開音節ひとつにひとつの文字があてられています。これを音節文字といいます。この音節文字は漢字から作られ、漢字の一部分をとったものを片仮名、漢字の草書をさらに簡略にした字を平仮名と呼びます。

 平仮名の手習いのために作られたのが、あめつちの詞やいろは歌です。
 いつの時代にもこの「日本語の仮名を一度だけつかって作る詩句」に挑戦する人がいて、傑作も数多く生み出されてきました。
~~~~~~~~
20250112
 江戸時代の手習いに欠かせなかったいろは歌も、今やこどもが知らない「むかしことば」になっています。お正月にはいろはかるたで遊び、いろはを子供に教え込みましょう。かわりに、孫にAIの使い方でも習ってください。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「レオレオー二展 in 板橋区立美術館」

2025-01-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250111
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩新しい冬(3)レオレオー二展 in 板橋区立美術館

 絵本の原画展などが開催されるたびに、行ってみたいとおもったのだけれど、板橋区立美術館はアクセスが悪いところにあり、成増駅、高島平駅、新高島平駅から、1時間に1本か2本というバスで行くしかない。忙しい時にバスを1時間待つのはつらかったけれど、仕事をやめ今は「忙しくない身」になったので、待つのは覚悟で新高島駅へ。地域バスが2分前に出たばかり。駅前のスーパーに入るかランチ店に入るか迷ったけれど、ランチは注文してから食べられるまでの時間がわからないので、スーパーで買い物をして次のバスまで40分ほど時間をつぶす。

 地域バスを板橋区立美術館前で下車。近くの乗蓮寺に「東京大仏」があります。先に板橋の東京大仏で初詣。テレビ番組などで紹介されたらしく、三が日はたいへんな混みようだったそうです。
 板橋区立美術館前にバス停があり、高島平駅からくれば歩かずに済むことがわかりましたが、大仏には遠くなるので、今回は初詣もできてちょうどよかった。

 1階のラウンジは飲食可能とあります。スーパーで買ってきたランチパック、シュークリーム、甘栗、バナナと家から持ってきたコーヒーでお昼ご飯。少し休むために、レクチャールームに流れていたレオレオーニの紹介ビデオを見ました。30分ほど。

 レオ・レオーニは、絵本『スイミー』で知られています。1977年から光村図書出版が発行する小学校2年生用の国語教科書に載録されています。光村出版の教科書は教師用指導書が懇切丁寧で、全国の国語教科書採択率が60%を占めています。つまり日本で1970年代以後の生まれで小学校教育を受けた日本人の半数以上が スイミーを知っているのです。ただし、初期の教科書はレオレオーニの挿絵ではなかった。今は教科書や出版されている絵本もレオーニの絵です。

 赤い小魚の中で、一匹だけ黒い色に生まれたスイミー。泳ぐのが得意だったために巨大なマグロに仲間が襲われたときも素早く泳いで逃げました。新しい仲間に出会い、小さな体ばらばらでは対抗できないマグロに、固まって一匹の大きな体になることを決め、黒いスイミーは目玉の役割を果たします。

 アニメも作られ、レオーニ作の絵本の中でも抜群の知名度です。

 今回の展示では、レオーニの画家としての出発点である商業美術、ポスターや商品広告なども展示され、画業の全貌がわかる展示になっていました。
 私はスイミーのほかに知っていた作品はごく少なかったのですが、絵本を読める部屋があったので、ソファでゆっくり読むことができました。

 今回の展示は、レオ・レオーニの絵本原画を中心に、レオーニが影響を受けた画家の絵も見ることができました。生まれ育った家の壁にあったシャガールの絵などを見て育ちました。

板橋区立美術館の口上
 小さなさかなのお話『スイミー』、青と黄の抽象的な形がストーリーを織りなす物語『あおくんときいろちゃん』。 これらは、刊行から60年以上たってなお愛され続けるレオ・レオーニ (Leo Lionni 1910-1999) の絵本です。レオーニは、20世紀のイタリアやアメリカにおいて、絵画、デザイン、絵本など多彩な分野で活躍しました。本展は、レオーニの生涯にわたる制作活動と、影響関係にあったアーティストたちを併せて紹介するものです。
 1910年にオランダで生まれ、幼少期から豊かなヨーロッパ文化を享受して成長したレオーニは、青年期にはイタリアでブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari 1907-1998)をはじめとする多くのアーティストや文化人と交流し、影響を与え合いました。1939年にアメリカへと渡り、アートディレクターとして活躍する一方、絵画の制作にも打ち込みます。後半生はイタリアとアメリカを往来しながら画家、彫刻家、そして絵本作家として多数の作品を生みだしました。
 板橋区立美術館はレオーニ氏本人の協力により 1996年に日本初のレオ・レオーニ展を開催しました。氏の逝去後はご遺族との交流は続き、それが2020年に開催した「だれも知らないレオ・レオーニ展」での多数の初公開作品の紹介に繋がりました。また、後に約70点もの作品をご寄贈いただいています。当館にとって3度目のレオ・レオーニ展となる本展では、これまでの交流の積み重ねや長年にわたる調査研究を通して明らかになったレオーニの活動の全貌を、20世紀の文化史の大きな流れの中から検証します。

展示構成
第1章 アムステルダム シャガールのある家
レオーニは1910年にアムステルダム近郊で生まれ、芸術的にとても恵まれた環境で育ちました。レオーニの少年時代を、当時の思い出や写真とともに紹介します。
第 2 章 ジェノヴァからミラノへ 1930 年代の第二次未来派芸術運動と印刷メディア
レオーニは幼少期からオランダ、ベルギー、イタリアと移住を繰り返します。イタリアでは、ブルーノ・ムナーリをはじめとする未来派のアーティストたちと一時活動をともにします。その後、広告・出版文化が華やぐミラノで、ソール・スタインバーグをはじめとするアーティストや文化人と関わりながら、イラストやデザインの分野で活動するようになりました。
ここでは、イタリアにおけるアーティストたちとの交流を、作品や同時代の印刷物などからひも解きます。
第3章 ニューヨーク アートディレクター時代
1939年に渡米したレオーニは、ビジネス雑誌『フォーチュン』やCBS放送、MoMA、オリヴェッティ社などの仕事を手がけ、アメリカ屈指のアートディレクターになっていきます。一方で絵画制作にも注力し、1947年には初の個展を開催しました。そして1959年、レオーニは初の絵本となる『あおちゃんときいろちゃん』を出版します。
本章では、アメリカでのアートディレクターとしての仕事をベン・シャーン、ムナーリ、スタインバーグ、カルダーらとの交流の軌跡とともに紹介します。また、1940 年代後半からの油彩画もあわせて展示します。
第4章 イタリアでの制作
アーティストとしての活動に集中しようと、1961年、イタリアにもどったレオーニは、アメリカ時代から続く「想像肖像」シリーズや「プロフィール」シリーズ、「平行植物」シリーズ、「黒いテーブル」シリーズなど、さまざまなテーマに意欲的に取り組みました。晩年はパーキンソン病のため制作にも困難が伴いましたが、作ることへの熱意が失せることはなく、病のため震えてしまう線をも効果的に用いた「鳥」シリーズが最後の作品となりました。
本章では、イタリアに移住してから制作された作品を紹介します。ブロンズ彫刻《プロジェクト:幻想の庭》や「鳥」シリーズなど、見ごたえのある作品が並びます。
第5章 レオの絵本づくり
1959年に初めての絵本を出版してから、自分自身の物語を絵で表現できる絵本との出会いにより、レオーニは作り手として新たなスタートを切りました。ほぼ1年に1冊のペースで制作を続け、絵と文章をともに手掛けた物語絵本は27冊にのぼります。本章では、30年以上におよぶレオーニの絵本づくりの軌跡を振り返ります。そこにはデザイナーやアーティストとしての活動の積み重ねも映し出されています。また、レオーニの多彩な技法や描き方が見られる、絵本原画の一部もご紹介します。

 絵本コーナーにあった「ねずみのフレデリック」のお話。働き者のねずみたちの間で、歌ったりぶらぶらしたり。ぶらぶらしているんじゃなくて、「日の光を集めているんだ」「色をあつめているんだ」という言い訳に働き者ねずみたちもあきれてしまいます。食べ物も不足した冬、つらい仲間たちにフレデリックはこれまで集めていた「日の光」や「豊かな色」を思い出させることばを分けます。怠け者と思われていたフレデリックは、ねずみたちの心を温かくする詩人でした。生きていくためには、食べ物も寒さを防ぐものも必要だけれど、心を満たすものも必要だったのです。


 商業美術の面でも活躍したレオ・レオーニ。ユネスコのポスターも展示されていました。
 

 板橋区立美術館は、長年レオ・レオーニと交流をもち、レオーニの死後も遺族から作品の寄贈を受けるなど、収集を続けてきました。ちょっと足場の悪い立地の館ですが、高島駅からのバス便もわかったので、また来たいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「そこに光が降りてくる」

2025-01-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250111
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩新しい冬(4)そこに光が降りてくる

 2024年納めの第3水曜シルバーディ無料美術館は、庭園美術館の「そこに光が降りてくる」展へ。もともとガラスと鉄の室内装飾が美しい旧朝香宮邸で、ラジエーターカバーの鉄の意匠、香水塔やエントランスのガラス壁などの美しいデザインが邸宅内にありましたが、この鉄とガラスのやかたの中に、女性作家ふたりが作品を並べました。

 庭園美術館の口上
降り注ぐ太陽の光、おだやかな温もりを感じさせる日だまり、暗闇の中に差し込む月明かり…
私たちは生きている間に、さまざまな光との邂逅を重ねています。
本展は、現代美術の第一線で活躍を続ける二人の作家、青木野枝と三嶋りつ惠が、当館の各所に作品を配置し、新たな視点でアール・デコの装飾空間を照らし出す企画です。
青木は鉄を用いて空間に線を描くような彫刻で表現の地平を切り拓き、三嶋は無色透明のガラス作品を通して場のエネルギーを掬い取り光に変換してきました。
二人が使用する“鉄”と“ガラス”という素材は、悠久の時を経て今日に伝えられた自然の恵みであると同時に、会場である旧朝香宮邸を彩る装飾として、シャンデリアやレリーフ、扉上のタンパン等にも多用されています。二人は幾度となくこの場所を訪れ、1930年代の装飾空間との対話を重ねて、本展のために一期一会の展示プランを作り上げました。
ともに創作に火を用い、熱く輝く炎によって、素材に生命を吹き込んできた青木野枝と三嶋りつ惠。そのプリミティブな力を宿したフォルムは、自然のもつエネルギーや循環を想起させ、見る者に驚きと気づきをもたらし、私たちを取り巻く世界を新たな光で包み込みます。
みどころHighlights
1.光に対して特別な想いを抱いてきた二人の現代作家による大型インスタレーション
精力的な活動を続ける二人の女性作家が、本展のために特別に作品を準備し、展示を構成します。
青木野枝は、重い素材とされる鉄に向き合い、鉄を溶断する時にあらわれる内部の「透明な光」から様々なインスピレーションを得てきました。一方、三嶋りつ惠は、私たちの身の周りに溢れる光の表情に心を寄せて、自身のガラス作品を通して「光の輪郭」を描き出そうと試みてきました。
光に対する意識や向き合い方は異なる二人ですが、光に思いを馳せて生み出された作品が、陰影に富んだ空間に広がります。昼は自然光が差し込み、夕暮れには温かな室内照明が灯る。時間ごとに、季節ごとに、絶えず変化する展示風景をぜひご鑑賞ください。
2.アール・デコの館を舞台に、時を超えて響き合う“鉄”と“ガラス”
庭園美術館本館の最初の住人である朝香宮夫妻は、フランスで目にしたアール・デコの様式美に魅了され、その精華を取り入れた自邸を1933年に完成させました。それこそが、本展の舞台となる朝香宮邸です。各室ごとに様々な素材を用いた装飾性豊かな朝香宮邸の空間で、アール・デコの造形のエッセンスを雄弁に物語るのが、鉄とガラスという二つの素材です。
フランスのアーティストであるルネ・ラリックやレイモン・シュブらが手がけた歴史的な装飾空間に、青木野枝と三嶋りつ惠の鉄とガラスの作品が作家自身の手によって配置され、時を超えた特別な競演が実現します。
3.二人の作家の今を見つめる
展覧会では生まれたばかりの新作も公開されます。また本展用に収録した作家インタビューや、作家が撮影した写真イメージ、制作工程が分かる映像や資料も併せてご紹介します。私たちと同じ時代に生きる二人の作家は、今、何を想い、何を見つめているのでしょうか。二人の日々の眼差しを通して、創作の息吹をお伝えします。

 三崎りつ恵のことば
 私のガラスは無色透明です。そして回りの光や色をとらえて解き放つのです 
 私の作品の本当のコンセプトはガラスではなく、光なのです

三崎りつ恵「香」2024       「宇宙の雫」2022
  
「光の海」2024
 

 
「光の陽」


青木野枝のことば
 最初にその作品を見るのは私lさくひんがその場に置かれないとみえないものがある。それを見たくてつくっている
「ふりそそぐもの朝香宮邸Ⅰ」2024 「ふりそそぐもの朝香宮邸Ⅱ」2024
  

「ふりそそぐもの赤」2024
 

 鉄のオブジェクトとガラスを比べるとどうしても、私はガラスのほうが好きなんだけれど、青木野枝のオブジェ、鉄輪のリズムが心地よかったです。
 

 みなさまの新しい年に光が降りそそぎますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「現在地のまなざし展 in 写真美術館」

2025-01-07 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250107
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩新しい冬(1)現在地のまなざし展 in 写真美術館

 お正月の無料美術館散歩は、写真美術館へ。2024年11月第3水曜日に写真美術館観覧したおり、アレック・ソス展高峰秀子展といっしょに「現在地のまなざし展」をひとまわりしました。でも、3つの展示の最後だったので、駆け足観覧で、正月無料日にもう一度見ることができてよかったです。
 アレック・ソス展、今回は雅楽のついでに同じ2階でささっと見たのに対し、3階をゆっくりまわり、やはり前回より面白く見ることができました。

 写真美術館の口上
 「日本の新進作家」展は、写真・映像の可能性に挑戦する創造的精神を支援し、将来性のある作家を発掘するために、新しい創造活動の展開の場として2002年より継続して開催しています。21回目となる本展では、社会、環境、人と人との関係性を自身の立ち位置から問い直し、写真を通して世界の断片を提示する5 名の作家たちの試みを紹介します。
 私たちは、これまで当たり前と感じていた価値観が揺らぐような数々の出来事に直面し、変化のある時代に生きています。写真表現も、技術の進歩と普及、表現手法の多様化にともない、その環境は激変しています。本展の出品作家たちは自身の感性にしたがって世界と向き合い、独自の視点で思考を深めて作品として提示します。生物や日用品など身のまわりにあるささやかな存在に目を向けて、時間を留める手法として写真を扱う大田黒衣美、自身が暮らす土地の仮設的とも言える変化を止めない風景を、淡々と観察し、記録し続けるかんのさゆり、ドキュメンタリーの視点と虚実を混ぜたイメージで現実をあぶりだす千賀健史、一般的な概念にとらわれず個と個の距離と関係性を切り取る金川晋吾、かつて誰かが見た光景を通じて、見るものが持つ記憶を喚起させる原田裕規。表現する手法として写真を選びとり、しなやかなまなざしで現実をとらえる作家たちの作品は、現在を生きる私たちにいつもとはすこし異なる角度から世界を見る視点を与えてくれます。5 名の作家たちの多様な試みを通して、今日の、そしてこれからのまなざしの可能性を改めて見つめる契機となることでしょう。
出品作家
大田黒衣美|Otaguro Emi
かんのさゆり|Kanno Sayuri
千賀健史|Chiga Kenji
金川晋吾|Kanagawa Shingo
原田裕規|Harada Yuki

 前回写美ささっと観覧で一番印象に残ったのは、千賀健史の「特殊詐欺の
加害者側」の報道写真を、水溶紙にプリントするなどの加工をほどこされた顔写真。「見えない犯罪」と呼ばれる犯行に関わった詐欺犯のぼやけた顔。現代社会を写す写真に思えました。

 2025年1月2日の写美で一番印象に残ったのは、かんのさゆりの「New Standard Landscape」でした。前回見たときも、「立ち入り禁止 富岡町役場」という立て看板を見て、ああ、原発で住めなくなった町ね、という感想で通りすぎました。
 立ち入り禁止           復旧途上の寸断された道路(?)
 

 前回も「住むことを放棄された家々」を眺めていたのに、「ささっと観覧」で、一軒一軒をじっと見つめることはしなかった。宮城県仙台市名取市石巻市などの「今はだれもいない家」の姿が、ずらりと並んだ「新しい普遍の光景」。「無人の家の羅列」の恐ろしさが直接迫ってきました。放射能の危険を感じて「子育てすべき土地じゃない」と放棄されたのか、「津波など届かない安全な土地」への移転を決めたのか。
 一軒一軒に家族の営みがあり、愛しい日々の歴史があったであろうに。津波と原発は、これらの家を「放棄された家」にしました。


 かんのさゆりの「New Standard Landscape」は、東日本大震災後の三陸~福島を2016~2024風景写真です。変化した光景もあるし、変わらない光景もある。
 
 ↑の写真の中には、保護ガラス面に映る私の姿が中央に見えます。私がこれらの光景の中に身を置くことはなかったし、これからもないのだけれど、私は、これらの「放棄された家の光景」を思い続けなければならない、と写真家の主張が感じられました。変化し続ける光景ではあるけれど、2011年から変わることのできなかった光景もあると思い続けること。

 11月にはそれほど身にしみなかった光景が、1月2日にしみたのは、1月1日に能登の先端にある珠洲市のニュースを見たからでしょう。珠洲市では、倒壊した家の片付けもままならないと報じられていました。交通も復旧していない土地では、ボランティアも自衛隊も活動が制限されるためだそうです。
 何事も経済がどう回るのかが優先されるこの国では、関西の経済拠点であった神戸市が素早く復旧し、三陸鉄道や漁港などを有する太平洋側も徐々に復旧したのに比べて、珠洲市の復興はまだまだ時間がかかる、という報道でした。

 会場の外のテーブルにヴァナキュラー写真の山がおいてありました。価値のないゴミとなった写真。
 3階会場の外に原田裕規の作品「写真の山」が展示されていました。原田裕規が「ゴミとして捨てられていた写真」を集めたものです。正月などで写されたのか、晴れ着の一族集合写真、夫婦の旅行写真、結婚式の宴会写真、、、、、、。どのような経緯で捨てられたのかはわかりませんが、今は「ゴミ」です。 
 写真館などで撮影された、今となっては誰も欲しがらない結婚式の写真や幼稚園の卒業式写真などがごちゃごちゃと置かれていました。スマホひとつあれば、だれでも簡単にきれいな画像が撮れる現代。
 
 捨てられた膨大な写真の数々。だれかが誰かのために、愛をこめて撮影した一枚かもしれないけれど、今はゴミ。
 私の写真もいつかはゴミだろうけれど、私がここにいたという記憶のために出しておきます。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「新年写真美術館雅楽」

2025-01-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240105
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記新年(3)写真美術館雅楽

 毎年の正月無料美術館めぐり。
 恵比寿の空はまさしく「雲ひとつない」


 2025年正月は、6年ぶりに写真美術館で雅楽演奏がありました。2018年お正月に聴いて以来、コロナがおさまってきても中止されていた雅楽演奏、復活はうれしいです。

 TOP名物の正月雅楽は、コロナ禍により中止という理由もありましたが、雅楽演奏に参加なさっていた金子隆一さんがクモ膜下出血により2021年に73歳で旅立たれたことが大きな理由だったと思います。金子さんは、写真史研究者(兼、寺院住職)。開館準備から。写真美術館キュレーターとして関わりさまざまな展覧会やイベントを実現し、また橘雅友会の一員として活動されてきました。2024年も演奏は中止。もうこのまま雅楽演奏はないのかなあと残念に思っていたので、復活した雅楽演奏、13時と15時と2回聞きました。


 鳳笙:下宮高純は、元からのメンバーです。篳篥:柏木理 龍笛:纐纈拓也の若いおふたりが新メンバー。下宮さんが新メンバーを「若くてイケメンのふたり」と紹介なさっていましたが、ほんとにイケメン。ただし、2025年の今だとルッキズム紹介はコンプラアウトよね。イケメンなことは見ればわかるから、いわずもがなでありました。 

 曲目は毎度おなじみの越殿楽、萬歳楽のほか、新世界から「遠き山に日は落ちて」(昔の音楽教科書の表記は越天楽だったが、正式な雅楽は殿なのかしら)
 美しい音色。悠久みやびな調べに、観客の中には眠りを誘われていた人もいたのは、平和な世のありがたさ顕現か。戦争さ中の新年を迎えた地域もあるなあ。初詣にもいかない私にとって、このみやびな調べを身にまとうことが新年めでたさのキモですから、ことほぎ言祝ぎ。雅楽復活にご尽力された方々、ありがとうございました。

 葫芦絲(フルス)という中国雲南省の民族楽器の紹介もありました。少数民族タイ族のことばではPii Lam dao。
 音量増幅のために葫芦ひょうたんがとりつけあるリード楽器で、鳳笙と篳篥 の両方の特色を兼ねています。

 13時の回では下宮さんが、15時には纐纈さんが演奏してきかせてくれました。よい音色でした。 
 

 みやびな演奏を聞いて、みなみな様の1年をことほぎましたから、さあ、今年も無料美術館めぐり、がんばろ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「新年めでたい」

2025-01-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250104
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記新年(2)新年めでたい

 一夜飾りはよくないと親に言われていたので、30日に正月飾りを手作りし、玄関にかけました。


 ネットに出ていた「保育園児と作る正月飾り」のページを参考に。しめ縄のかわりは、包装用パッキン紙をしぼってねじって作りました。少々不細工な出来ですが、気はこころ。赤い実は庭のナンテン。2025年の難を転じる難転です。
 
 2日、正月無料美術館へ。
 2日と4日タカ氏は透析の日なので、3日に正月祝い膳を出す。娘が作ったきんとんなどタカ氏の好みのおせちを皿に並べました。若いころのタカ氏は、奈良での記者時代、2か月間同じ店で毎晩おでん定食を食べたというけれど、おでん好きというより、単に壁のお品書きをながめて毎日決めるのがめんどうだった、というだけのこと。で、私も何かお正月用に特別なメニューなんて考えるのもめんどうだから、おでん。煮込めばごちそう。ただし、腎臓透析を正月中も受けねばならないタカ氏は昔のようにたくさんは食べられない。水分補給の量が決められているので、のどが渇くような濃い味には作れない。だしはしみているけれど、薄味。3日、おでんをつつきながら娘といっしょにテレビ観戦箱根駅伝してタカ氏の正月は終わり。夜型のふたりは朝早くなどおきられないので、録画ですけど。今年娘母校は予選落ちなので、それほど熱は入っていない。今年こそ首位奪還と願っていたけれど、タカ氏母校は及ばず。

 娘からのお年賀は、銀座鈴屋の甘納豆。好きな甘納豆も普段は糖分を気にして節制しているので、正月くらいはという娘の心遣いです。少しずついただきます。
 

・新しき年のはじめに弥栄の甘豆ほおばり良き日々祈る 春庭 

 2013年拾遺
新年に
・芋も好き餅も好きなり今朝の春体重計を新調せむとて(虚子の本歌取り春庭)
・年立つや自転車でいくシャッター街大売り出しはまだ先のこと(春庭)
・正月の番組に笑う声のして団地の窓は同じ形ぞ(春庭)
・元旦の厚き新聞広げては、電子ブックの広告を見る(春庭)
・街歩きの果てジュピターの輝ける1月の空希望はあるか(春庭)
・蓬髪のままに迎えし新年よ今年は彗星めぐる年とふ(春庭)
・初風は団地広場に凧をあげベランダに立つ蓬髪に吹く(春庭)
・初日記未知のページの白(ブランク)の希望という名の行間数える(春庭) 
成人式の日
・被布の裏は緋色なりしや乙女らはさざめきあいて夜行バス待つ(春庭)

<つづく>

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ぽかぽか春庭「謹賀新年」

2025-01-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250102
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記新年(1)謹賀新年

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 
 2025年の日記もよしなしごとをぐだぐだと述べてまいりますが、1年間の日記のテーマは「二十五条」です。

 第二十五条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 
 第二十五条が述べているように、すべての国民、とりわけ高貴幸齢者の生活が健康で文化的であるよう、毎日を過ごしていきます。
 すべての生活部面について社会福祉、社会保障、公衆衛生、学びを必要とする人への教育の充実、私たちの幸福な環境が増進しているか、注目していきたいです。

渓斎英泉「胆松に白蛇 」


<つづく>
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