20231125
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩冬支度(3)戦争だから結婚しよう by mumuko in 写真美術館
結婚式に招待された。
招待状を書いているのはItoさん。花嫁に当たるであろうウクライナのスライドスクリーンの上に花嫁ベール飾られています。結婚相手は夢無子?展示室に入った時点では、私は夢無子が男性か女性かも知らなかった。たぶん、どちらに思われてもかまわないのだろうと思います。結婚式は、男と女があげるものでもない時代だし。招待状には、平服でかまわないし御祝儀もいらないと書いてあるので、会場に入っていく。暗幕で仕切られた暗い展示室。
第一展示室の奥の暗幕の中で、夢無子の作品がスライド上映されていました。Ito氏の結婚招待状によると、夢無子はウクライナの戦場から帰国後、ウクライナ滞在前とは変わったのだそう。たった一人でカバンひとつで世界中を放浪してきた夢無子が、戦場を見たのち「人とのつながり」を求めるようになったと。それでタイトル「戦争だから結婚しよう」
第2面側の飾りつけ。花嫁のヘアドレスがモニターを飾っている。
夢無子は、1988年中国生まれ。現在は日本国籍で活動するアーティスト。世界60カ国以上をスーツケースひとつで放浪した写真などの作品により、さまざまな賞を得る。
夢無子が放浪した国、2022年の滞在国がウクライナ。ウクライナもホテルに泊まったりはできず、爆撃によって家族がいなくなった半壊の家屋などに寝泊まりしてきました。
暗幕内の展示室中央に向かい合わせのスクリーンが2面設置されています。観覧者は第1室第2室の壁前のベンチで、スライド写真を眺め夢無子の日記文章を読みます。1面は夢無子が2022年5月6月にウクライナ・キイウほかの街に滞在した記録。2面は2022年9月-11月の2度目のウクライナ。これまでに世界各地70ヵ国を放浪したという夢無子ですが、さすがに「戦場」に出かけるのは初めてです。
キイウは、戦場であるけれど全住民が退避したわけではない。18歳以上64歳以下の男性は、徴兵予備員として国外出国は禁止されています。生活者が残っている都市でもある。夢無子は、破壊された家や公園を撮影し、戦場lで営まれる「日常生活」を撮影しました。
日本にも「戦場カメラマン」と呼ばれる撮影者がいて、世界の紛争地を命がけで撮影してきました。戦場で攻撃を受け亡くなった女性ジャーナリストもいました。そんな中、なぜあえてウクライナに乗り込んだのか。夢無子は写真スライド上映の解説として日記文章をスライドにはさんでいました。
2022年2月24日、ウクライナ戦争が始まった。
戦争って何? 戦争の中にいる人々どう生きている?
SNSでNetflixのように戦争を見るより、
やはり自分の五感で戦争を理解したいと思って、
2022年5月の頭、ウクライナに向かった。
五感で理解したいって!
戦争を肌身で感じたわけでもないのに、安全なSNSなどで「ウクライナかわいそう」とか「戦争反対」とか叫ぶ人々にうんざりして、夢無子はウクライナ行きを決意する。
「世の中でアーティストができること、自由に生きることだ」と言って。(youtube夢無子インタビューNo.2より)
夢無子は、ウクライナに武器を運ぶボランティアの活動家を紹介されました。武器運搬車両で、ポーランドからウクライナに向かう。ガソリンは1時間並んで20リットルくらいしか手に入らない。ガス欠で道端に立ち往生。ウクライナから脱出する車のガソリンを少しだけ分けてもらい、それがなくなるまで走る。またガス欠になると「もらいガソリン」して走る。
5月5日ウクライナ入国。
走っても走ってもガソリンスタンドは全部空なんだ。
そして周りの木がなぜか全部お墓に見えてくる。
月の光がすごく立派だ!
5月8日。Kyivから車で30分のIropinという町にに行く。曇り→晴れ
雨のように爆弾が下りて来た。
殺された人々、
闘い続けた一般人たち、
穴だらけの大地、
残された猫と人形、
冷蔵庫に残された食べ物、
全てが割れて、
全てがあの瞬間で止まった。
いや違う
死体を探し続けるポリスマンがいた。
家族をお墓に入れているお婆さんがいた。
買い物しに行く高校生がいた。
ボランティアをし始めた女の子がいた。
血まみれの家を片付けているお姉さんがいた。
でも。人類。
何をやっているだろう。©mumuko
戦争の中にも生活は続く。戦争の中の日常
夜中の2時3時にミサイル爆撃注意報のサイレンが鳴る。鳴ったって逃げるところがないから、あきらめて寝ている。もし、自分が寝ている建物が攻撃されたら、これでおしまいだと思いながら。
夢無子は、破壊されつくされた家の残骸や公園に落ちたミサイルの跡やたくさんの死体を写真に撮り、爆撃の合間に広場で踊る人々の写真を撮る。
5月28日(土)Peremoha 晴れ
ミサイルのいちばんの問題は
大量なカケラが飛ぶ。
穴だらけになる。
雨も風も家に入ってくる。
一つ小さな村でも1200軒くらいの
屋根を直さないといけないんだ。
たくさんの破壊された家々や公園。
地下のジャガイモ倉庫に隠れて一か月閉じこもっていた家族が地上に出てみると、「家はがれきになっていた」と、この家のおねーさんは笑う。笑うっきゃない。
6月3日、夢無子はウクライナからポーランドに戻る。その後の3か月間、夢無子は日本で「金を稼ぐための仕事=ハイブランドのCM」撮影をして資金を得る。(youtubeで語っていたこと)
9月25日、同じルートでポーランドからウクライナに入国。
第2面のスライドは、9月から11月までのウクライナ滞在記録です。
まとめきれない戦争の記憶を抱えて、2022年9月25日、夢無子はふたたびキイウに入国。第2回目の記録は第2面のスライドに投影され、1回目よりもさらに建物は破壊され、がれきは山となっている。種から油をとるためのウクライナ特産のひまわりは、収穫されることなく「ひまわりの死体」となって畑で黒く立ち枯れている。
《戦争だから、結婚しよう!(第二章)》2022-23 年 ©mumuko
夢無子は、ハルコフ出身の映像作家アリーナと行動を共にする。ハルコフはロシアに一番近く、一番先に爆撃を受けた町。アリーナはハルコフ脱出後、家族を案じながらもふるさとに戻れなかった。線路保全責任者としてハルコフにとどまっている父親をたずねる決意をしたのは、夢無子がいっしょに行きたいと言ったからだ。残っていたアリーナの祖母と共に森に入って、きのこをとる。きのこは家族が2日間生き延びる食糧になる。おばあちゃんは一番ロシアに近い場所で鼻歌を歌いながら残っている小麦粉とジャガイモで料理をする。
安全なところでカメラを回し「昨日ミサイルの攻撃がありました」などとジャーナリストが報告しているのを「戦場からの報告」として、私たちは毎日消費しています。でも、本当にウクライナの戦場を見てきた夢無子をマスコミがとりあげたのを、少なくとも私は知らない。気づかなかっただけかもしれないけど。
youtubeに、2023年春に夢無子インタビューがある。インタビュアーいつきに応じてウクライナの体験を語り、撮ってきた映像がでてくる。(25分)
いつきは、戦争帰りの夢無子の顔つきも変わったと言う。とんがって生きていた夢無子に、人に関わりたい、と言う気持ちがでてきたことで顔つきも変わったのかもしれない。
写真美術館のスクリーンでは読むだけでせいいっぱいだけれど、youtubeは一時停止できるから、夢無子の言葉を書き留めることができる。©mumuko だから、もしかしたら、ここに書き留めたmumukoの文章、著作権違反かも。
夢無子はウクライナに出かける前のインタビューで、1988年に生まれたと述べている。天安門事件を経てどんどん自由が失われていく国に居場所がなくなり、世界を放浪してきた。アマゾンで現地民といっしょに暮らしたりして、現在の国籍は日本だけれど、たぶん「自由人」と言うパスポートがあるならそれで世界を歩くのだろう。
夢無子は、自分をアーティストとして規定することさえ居心地悪いみたいだ。これからも自由人としてさまざまな活動をしていくだろうことをwatchingしていきます。
「見る前に跳べ」の5人の新進写真家のうち、一番好きなのは、夢無子でした。ほんとに跳んでウクライナに入り、見たことを報告している夢無子。どうやって応援したらいいのかわからないけれど、応援します。
<おわり>