東日本大震災
春庭と家族にけがはありません。棚が倒れたとき、頭をうちましたが、たんこぶ程度です。
春庭の自室と廊下は、本棚が倒れ、大量の本が堆積しています。
台所では食器棚のガラス戸が割れ、食器が落下。コップ、皿などが割れて散乱しました。
ガラス類は片付けましたが、大量の本が1メートルの高さで部屋中に堆積しているので、整理にはしばらくかかります。
当分更新を停止します。
皆様のご無事をおいのりし、被災された方にこころよりお見舞い申し上げます。
14:06 コメント(7) ページのトップへ
2011年03月22日
ぽかぽか春庭「漁師アトムさんの無事祈る」
2011/03/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(1)漁師アトムさんの無事祈る
東北関東大震災。被災した皆様、原発から避難中の方々、お見舞い申し上げます。愛する人を失った方へ、ことばがありません。
東京のわが家も本棚が倒れ、6畳間が数千冊の本で埋め尽くされてから11日。静岡地震のときだったか、本の下敷きになって亡くなった女性がいて、私の行く末もそんなものかと覚悟はしていました。わが家の場合、天災プラス人災でした。
去年上階からの漏水事故があり、家具を全て取り出して畳の入れ替えをした際、本棚など家具の出し入れを業者に頼みました。「家具は転倒防止の金具で止めてあります。再びへやに戻したとき、その金具留めもきちんと現状復帰してください」と依頼していたのですが、業者は時間に追われ目に見えるところだけ留めたのみで、現状復帰ではありませんでした。転倒止め金具にねじ釘を2本留めるべきところ1本だけで、まったく留めてないところもありました。揺れによってそれらのクギがすべて抜け落ち、本棚が頭の上に降ってきたのです。天井まで届く本箱にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた本。畳に散乱したのを見ると、狭い部屋によくもこれほどの本があったものだと我ながらあきれると同時に、業者がいいかげんな家具設置をしたことを点検しないまま放置したのは自分の落ち度だったと反省しています。
幸い本棚がぶつかった私の石頭にはたんこぶができたくらいで、痛みや腫れも1週間でおさまりました。数日間、めまいがしてゆらゆら揺れるような気持ちが続いたので、打ち所が悪かったのかと心配しましたが、息子にも同じような症状があり、新聞の解説を読むと「地震酔い」というもので、三半規管のバランスが悪くなりストレスや不安から揺れる感覚が続いているのだとわかりました。
風邪の咳も悪化したので、1週間は何もせずただ寝ていました。
ようやく片付けをはじめ、積み重なった本の下になっていたパソコンを取り出しました。メール連絡だけは息子のパソコンを借りて必要最低限してきたのですが、自分のパソコンが救出でき、一番最初にしたことは、被災者安否情報を確認することでした。南三陸町の漁師さん。ブログハンドルネームは漁師アトムさんです。
宮城県南三陸町。町の人口18000人のうち半数9000人以上の安否がいまだに不明というニュースが続き、なんとかアトムさんの消息を知りたいとテレビの安否情報も気をつけてきました。しかし、手掛かりはありません。電話などの公的な安否情報を利用するのはご家族親戚の方が優先であって、私のようなブログファンにすぎない者は控えるべきであろうと、心配ながらただ祈るのみでした。しかし、ネット情報の中にアトムさんの情報はみつかりません。
漁師アトムさんは、南三陸町に家族と暮らし、八戸漁港で漁師として30年間働いてきた人です。体調のこともあり、昨年12月いっぱいで30年続けた船を下り、2011年は心機一転の年でした。私はアトムさんの秋刀魚漁、サワラ漁などの記録を楽しみに読ませていただいてきた「漁師アトムブログファン」のひとりでした。
ただのファンにすぎない私に、アトムさんは大漁の秋刀魚のお裾分けをしてくださいました。大きな発泡スチロール箱いっぱいに秋刀魚を詰めて冷蔵宅配便で東京まで送り届けてくれたのです。自家製ヒラキを作ったり、圧力鍋いっぱい煮物作ったりして、おいしくいただきました。
漁師アトムブログhttp://atom128-2.blogzine.jp/
地震から9日目に、壊れた家の中から80才のおばあさんと孫の青年が救出された、というニュースがありました。希望です。アトムさんも必ずどこかで救出を待っているのではないかと思います。
アトムさん、どうぞご無事で
01:04 コメント(5) ページのトップへ
2011年03月23日
ぽかぽか春庭「元気だせ」
2011/03/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(3)元気だせ
火葬場が間に合わないので、震災で亡くなった方々の土葬が行われたというニュースを見ました。亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、「今ある命」のありがたさをかみしめています。なんとしても、この命を自分のためだけでなく、人々のために役立てたいと思いますが、今私にできることは今ここで生き抜くこと。
4月からの仕事については、出講先によっては授業開始時期を延期するかもしれず、予定が立ちませんが、若い世代の育成に力を注ぐことが、私にできる社会への恩返しだと思っています。
これまで「ちょっとコワモテで親しみにくい」と感じていた松山千春ですが、今回の地震に関して、次のようなメッセージを出したそうです。
知恵があるやつは知恵を出そう
力があるやつは力を出そう
金があるやつは金を出そう
自分は何も出せないよ
というやつは元気を出せ
BY 松山千春
「軽いお笑いタレント」としてテレビの中で見て来た江頭2:50は、放射能を恐れて物流関係者が入らなくなったいわき市に、自らトラックを運転して支援物資を運びこんだそうです。事務所の活動とは別に一人で行動し、物資を受け取った人のツイッター情報で、この話が伝わりました。
そうですよね。いつまでも落ち込んでいないで、せめて元気ぐらいださなければ、せっかくある命だから。
それぞれの立場でそれぞれの人が、人を元気づけたり自分が元気になったりしています。
mackychanさん、conparu さん、コメントをありがとうございました。「息子の卒業式」は3/30に再掲載します。
<つづく>
16:04 コメント(2) ページのトップへ
2011年03月24日
ぽかぽか春庭「原発レベル5」
2011/03/24
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(4)原発レベル5
福島産茨城産の牛乳を飲むな、ほうれん草を食べるなという指示が出されました。また、東京の水道水から規定以上の放射線が検出され、乳児幼児には水道水を飲ませないようにという指示が出されました。未来ある子供は守らなければなりません。でも、わが家は成人だけですから、スーパーへ水のペットボトル買い占めに走る人を横目に、水道水を飲み続けます。
「これで健康被害がおきても、それは福島の原発から電気を供給して貰っていた東京の人が共に負うべき賦課だ」と考えます。また、原発反対運動をしておらず、福島原発からの電力供給を受けて電気の恩恵を消費してきた東京都民は、放射能被害を受けても仕方がないと覚悟すべきだと思います。
具体的な反対行動をとってこなかったのは、私もいっしょ。私は広瀬隆の著作を読んで、原発については「アブナイ」という認識をしつつ、それでも反対運動に身を投じてきたのではないのですから、もっと罪は重い。数々の原発事故を隠蔽してきた東電役員と同じくらい重い。
原子力発電所から送電される電気を使うということは、「万が一事故が起きて放射線漏れがあったとき、その被害を受ける可能性がある、ということを覚悟の上で電気供給を受けるべきだ」と、「原発反対運動」を続けてきた友人に言われたことがあります。それが現実のこととなった、ということ。
私は「太陽熱や地熱発電、潮力利用などの自然エネルギー利用の発電に切り替えていくべきだ」という考えに賛成しながらも、現実生活では原発からの電気供給を受けてきたのですから、「万が一事故が起きたときに原発推進政府や電力会社に文句を言っちゃならない、国民は東電にだまされた、なんて言ってはならない」中の一人です。何も考えずに電気を消費し喜んでだまされてきたのは自分たちではないか。
私がこれまで原発に関して読んできたのは、主として広瀬隆の著作です。広瀬の「そんなに絶対安全な原発なら、東京で使う電力は、東京の埋め立て地に原発を建てて発電したら、送電線による無駄な電気を消耗することもない。東京に原発を!」という主張に、私もそれはもっともなことだと思いました。東京で消費する電力を、福島や新潟の原発によって供給されてきた私たち。(東京電力の総出力6300万kWのうち、福島第一原発500万kW、福島第二原発440万kW)。
現場で命をかけてメルトダウンを防ぐ冷却放水作業に携わっている方々にはほんとうに頭が下がります。一方、本社の会議室などに安全に座り続ける東電役員には、全員現場に立ち会って下さいと言いたい。
各地の原発で数年ごとにおこる事故を電力会社がひたすら隠蔽し「日本の高い技術で何段階にも守られている原発は絶対に安全」と言い続けてきたことに対して、「日本では本当に放射能漏れ事故が自分の身に迫らない限り、本気で原発について考えようとする人は増えないだろう」という絶望も感じてきました。原発反対者がどれほど危険を訴えても、「日本の科学技術を信じられない非国民」扱いを受けるだけでした。
東京電力が隠蔽改竄してきた原発事故は、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の原子炉計13基地などで、29件にのぼります。1980年代後半から1990年代にかけて自主点検記録が改竄され、部品のひび割れを隠すなどしてきました。
電力会社は原発事故を隠蔽し、「反対運動をしている人々は科学というものがわからない原始人」と揶揄し排斥してきました。
今回の福島原発放射能漏れ、関東一円に放射線が漏れている、という事態に至って、原発を告発してきた人々の言説が、ようやく一般にも注目されるようになりました。momosuke2seiさんがカフェ日記にリンクしてくださった平井憲夫の「原発がどんなものか知ってほしい」も、原発推進派原発安全神話信奉派の人々から手ひどい中傷を受け続けてきました。平井さんを「嘘つき」と決めつけている論調もあります。
平井さんは原発内で配管の仕事をして20年働きました。被爆の影響でガンを発症し、命をかけて原発内の現実を書きつづった人です。ただし、原発の現場は知っていても理論家ではないから、原発のすべてを学者のように理路整然と「科学的に」述べているわけではない。
平井さんが97年に被爆を原因とするガンで亡くなったあとも、この文章はネット内に流布し続け、現在はfacebookによって世界に広がっています。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
平井さんの論調に対しては、原発事故が現実になった現在でも、「科学的でない」と批判を浴びせている人々も多い。
私は専門家ではないから、平井さんの文章のどこが事実に基づくことで、どこに記述の誤りがあり、どの考え方が現実の原発の実際の稼働と合わなかったのか検証することはできません。重要なのは、平井さんが指摘した通りの事故が実際に起こり、放射能が現実に漏れているということです。二重三重に守られているはずの安全装置はすべて働かず、チェルノブイリ事故を上回る被害の危険は、まだまだ予断を許しません。
明日は、これまでに起きていた福島原発の事故と東電の事故隠蔽について。
<つづく>
10:04 コメント(5) ページのトップへ
2011年03月25日
ぽかぽか春庭「福島原発3号機爆発の動画」
2011/03/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(4)福島原発3号機爆発の動画
3月12日に福島第一原発1号機で爆発が発生したのに続いて、3月14日11時01分福島第一原発3号機が爆発しました。水素爆発する瞬間のリアルな動画が福島中央テレビ(FCT)のニュース番組などで放映されました。しかし、私は、NHKニュースや新聞で、リアルタイムの爆発映像を見た記憶がありません。爆発後の煙が収まった頃の衛生写真などを見た記憶はありますが、爆発瞬間の映像はNHKでは放映されなかったように思います。私が動転していて見逃した可能性もありますが、どなたかNHKニュース3月14日11時過ぎ、またお昼のニュースで3号機爆発の動画を見たでしょうか。ずっと震災ニュースを見ていた私ですが、3月14日に日本のニュースで見た記憶がないので、私だけが見逃したのか、福島中央テレビ以外のニュースでも放映されたのか、わからないのでいるのです。福島中央テレビでは放映できた爆発映像が、なぜNHKニュースでは画面になかったのでしょうか。
以下の動画は、福島原発3号機水素爆発の瞬間を捉えた映像です。世界中の人が唖然としてこの映像を見たのに、日本の人々には煙が収まった後の衛星写真が公開されたのみでした。
イギリスのスカイニュースで放映。
http://www.youtube.com/watch?v=T_N-wNFSGyQ&feature=related
福島中央テレビのニュース
http://www.youtube.com/watch?v=2bPi6aHmd88
人々の間にパニックが起こるのを防ぐためにNHKなどでは放映が禁止された、という説もあります。ネット情報なので、本当かどうかの裏もとっていない情報ですが、確かに、この映像を見れば、30km圏内屋内待避なんて悠長なことを言っているわけにはいかず、アメリカがいうように、80km圏100km圏の人も必死で逃げ出したくなる迫力です。隠したくなる側の事情もあったのでしょう。これまでも事故はずっと隠蔽されてきたのですから。
過去に出来した福島第一原発(F1)第二(F2)の事故。
(レベル2相当以上の事故)
1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故(日本初の臨界事故)
1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所3号機事故 (原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した事故。レベル2。
1990年9月9日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故。主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
2010年 06月17日午後、第一原発2号機であわやメルトダウンの事故が発生。東京電力は事実経過を明らかにしておらず、真相は闇の中。レベル不明。
これまで起きた原発の事故。隠蔽されてきた事故のうち内部告発などで公表されたものだけが記録に残されているのですが、ここにあげたほかに事故はまだまだあったでしょう。 平井さんは97年に亡くなるまで、福島原発でレベル2以上の事故が起こることを懸念していました。現在はレベル5の段階です。(レベル6に上方修正。スリーマイル島原発以上の被害拡大必至)
もはや原発が「絶対安全」と主張できる人はいないでしょう。しかし安全神話が崩れたあと、私たちはどう考えどう行動していくのかが重要です。
<つづく>
00:27 コメント(3) ページのトップへ
2011年03月26日
ぽかぽか春庭「安全神話の人災」
2011/03/26
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(5)安全神話の人災
福島原発の事故はすでにレベル6に達し、スリーマイル島原発以上の被害に及ぶことが懸念されています。
「想定外の地震だから、予定以上の津波だったから仕方がない」と「安全神話」を担いできた学者はいいわけをはじめています。「想定外」ってなんでしょう。「どんなことがあっても安全」と、電力会社は言っていたではないですか。
福島原発の「津波想定」が5メートル以下のものでしかなく、これではとうてい大津波には対処できず事故が必死であることはすでに90年代に専門家によって指摘されていたことでした。明治時代1896年、2万人が亡くなった三陸沖大地震では38mの大津波が来たのに、福島原発の備えは明らかに不足でした。しかし東電は「大津波を起こす地震など千年に一度のことだし、そんな大津波対策をするには費用がかかりすぎる」として、対策をあと延ばしにしていました。確かにマクニチュード9.0という大地震は、推定9世紀と1500年に起きただけでしたから、「そんな大地震はめったに起こるはずがない」ことでした。しかし千年に一度が今年3月11日だったのです。
電源復旧活動に当たっていた作業員に3人の被爆者がでました。案の定その方たちは東電社員ではなく、協力会社すなわち下請けの人でした。被爆被害についてどのような説明を与えられていたのか知りませんが、命をかけて作業をしていた人が下請け作業員だったということ、何かやりきれません。防御服や靴などの安全対策も不完全だったようです。被爆により2~8シーベルトの放射線を浴びたとのことですが、過去の例でいうと5シーベルトの被爆では半数が死亡。3人の被爆者のうち1人か2人は死に至る恐れがあります。
福島第一は1970年代に建設された日本で最も古い原発の1つです。3号機はウランとプルトニウムを混合したMOX燃料を使用しており、最も危険。万が一、圧力容器が爆発した場合、ウラン燃料よりも危険性が高い。3号機は炉心が一部融解し、大爆発一歩手前です。まだメルトダウンの危険が去ったわけではありません。放射線は今も出つづけており、すでに「以後、人が住むことのできない地域」も生まれています。
老朽化が著しいポンコツ原発を地震大国で使い続けるには無理があった。しかし、東電は福島原発を使い続けた。利益優先だから。
1号機2号機6号機はアメリカのゼネラルエレクトリック社製です。GE社製の原発には欠陥が多いことがこれまでにも指摘されてきました。しかし、アメリカの原子力産業とパイプを持つ自民党政権は、しっぽを振って原子力発電を推進してきました。
プルサーマルは和製英語です。熱中性子によってプルトニウムを核分裂させるMOX燃料。万が一にも炉心融解に至れば、中性子が拡散するため、人体への被害ははるかに大きく、放射能が半分まで減る半減期は、プルトニウム239の場合約2万4000年もかかるのだそうです。
プルサーマル利用すると、事故が発生する可能性が飛躍的に高まり、再処理によって核廃棄物は却って増える、原子炉の運転や停止を行う制御棒やホウ酸の効きが低下する、などの数々の問題点が指摘されてきました。しかし東電は「絶対に安全だ」と言い続けて福島原発を運用してきました。
原発に疑問を呈した佐藤栄佐久に収賄嫌疑をかけて辞職させ、佐藤雄平現知事(渡部恒三議員の甥)が当選。プルサーマル導入を決定し、その補助金60億円を福島県にもたしたことを「手柄」にしていました。
原発の問題について詳しく知りたい人は西尾漠さんの著作を参照してください。西尾さんは、私の知人が関わっていた「反原発新聞」の編集長をしていたジャーナリストで、大地震が起きたときの原発の危険性をずっと警告し続けてきた人です。
日本電気協会から出版されている『やっぱり原子力』という本には、「いま運転中の原子力発電所は、その地域で考えられている最大の地震に襲われても安全な状態を保つように作られている」と書かれています。この本を書いた新保新吾さん飯高季雄さん、ぜひ福島原発の現場に立ち会ってください。行って、「貞観年間に起きた大津波のような千年に一度の災害がなければ、安全の予定でしたが、千年に一度の大津波が来たから爆発しちゃいました」と、次の本を書いて下さい。
「人間の作り出す科学を過信し、自然の力を見くびるとどんな結果になるか」ということを実感したら、「御用記事」の本を書いたことに少しは悔いがでるでしょうか。
今回の原発事故は、「大津波が来たら福島原発は危ない」という警告を無視し続けた東電による人災です。
「非常時だからみな節電せよ」と東電からのお知らせが届きました。わが家は冬場はもともとエアコンを使いません。11日以来、石油ストーブも封印して、被災地に雪降るようすを見ながら、いっさいの暖房を使いませんでした。冷え込む夜もあったけれど、一家3人でダウンコートを着込み、肩寄せ合ってすごしました。水もこれまで通り水道水を使います。
もしも放射能による健康被害が出て働くこともできなくなったら、歴代東電社長と原発推進派議員の家を順番に乞食行脚して過ごします。高い給料を得てきた彼らは、原発の危険な仕事を下請け業者や季節出稼ぎ労働者にさせ、所内被爆を隠蔽し使い捨てにしてきました。仕事ができなくなった私を養うくらいのことをしてもいいでしょう。
大震災から半月たっても、余震が続く中、私は地震酔いの症状が止まりません。
症状そのものについては新聞などで報道されたので、理解はできました。余震で気分が悪くなったり、地震が起きていないのにめまいやふらつきを感じたりするのが「地震酔い」。今回の大震災では東北で避難生活をしている人は特にですが、関東圏でも地震酔いの続く人が多いとか。乗り物酔いと同じで、目で見た視覚情報と平衡感覚がずれた状態になると、気分が悪くなったり、めまいを感じたりするのですが、ストレスなど心理的な要因が大きいそうです。
私も、少しの揺れでもとても不安に感じたり、揺れていないのにめまいのようにフラフラすることが続いています。心身丈夫なことだけが取り柄と思って来たのに、今回の震災の影響はズシンと心にきたようです。
津波や原発で被害を受けた方々に比べれば、部屋の本棚が倒壊したくらいは、何でもない、がんばって片付けなければと心では思うのですが、なかなか手が付けられない。避難経路確保のため玄関前に積み上がった本を捨て、トイレの出入りにドアが開かないと困るから、トイレ前に山になった本をお風呂の浴槽にぶち込み、さて、それからはとんと片付けがはかどりません。
ぼうっとテレビで被災のニュースを見ているだけだったり、横になって本の世界に逃避したりの時間が多くなっていました。これまで3時間も4時間もテレビを見続けることはなかったのに、BSで「グレートサミット」とか「ダーウィンがきた」とか、テレビの前に座りっぱなしで見ているので、自分でも変だと感じています。地震アパシー、または原発事故アパシーとでもいうのでしょうか。
ひとつには、我が部屋の本棚倒壊が、昨年の漏水事故後の業者まかせの後片付けで、地震対策の家具転倒防止の現状復帰をきちんと点検しなかったという「防災対策の怠り」によって起きた人災であるということが堪えています。目の前に迫っている仕事の準備や博士論文執筆のほうを優先させてしまい、安全対策の確認が十分になされていませんでした。
福島原発事故も、地震と津波による天災を受けたのが直接の原因であるのと同時に、これまで大津波対策を怠り、数々の事故を隠蔽してきた東電の奢りによる人災だと思います。
最低限、これから私がすべきこと。エネルギー政策の転換を政府に要求し、原発推進派であった議員の態度を見極める選挙行動を訴えていくこと。私自身は過去原発推進派議員に投票したことはありませんでしたが、自分自身の地元の議員がこれまでどういう政策に賛成し反対してきたのか、今後ともチェックする必要があります。
また、直近の選挙で言えば、「今回の震災は天罰だ」と発言した現職東京都知事を絶対に当選させたくありません。
今回の福島原発の事故はおいおいと検証がなされるでしょうが、絶対に隠蔽させてはなりません。すべてを国民の前に明らかにすることが今後のためです。
人が築き上げてきた文明が、最後の崩壊を迎える前に、私たちがやるべきことは何か、もう一度考える春なのだろうと感じます。
<おわり>
春庭と家族にけがはありません。棚が倒れたとき、頭をうちましたが、たんこぶ程度です。
春庭の自室と廊下は、本棚が倒れ、大量の本が堆積しています。
台所では食器棚のガラス戸が割れ、食器が落下。コップ、皿などが割れて散乱しました。
ガラス類は片付けましたが、大量の本が1メートルの高さで部屋中に堆積しているので、整理にはしばらくかかります。
当分更新を停止します。
皆様のご無事をおいのりし、被災された方にこころよりお見舞い申し上げます。
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2011年03月22日
ぽかぽか春庭「漁師アトムさんの無事祈る」
2011/03/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(1)漁師アトムさんの無事祈る
東北関東大震災。被災した皆様、原発から避難中の方々、お見舞い申し上げます。愛する人を失った方へ、ことばがありません。
東京のわが家も本棚が倒れ、6畳間が数千冊の本で埋め尽くされてから11日。静岡地震のときだったか、本の下敷きになって亡くなった女性がいて、私の行く末もそんなものかと覚悟はしていました。わが家の場合、天災プラス人災でした。
去年上階からの漏水事故があり、家具を全て取り出して畳の入れ替えをした際、本棚など家具の出し入れを業者に頼みました。「家具は転倒防止の金具で止めてあります。再びへやに戻したとき、その金具留めもきちんと現状復帰してください」と依頼していたのですが、業者は時間に追われ目に見えるところだけ留めたのみで、現状復帰ではありませんでした。転倒止め金具にねじ釘を2本留めるべきところ1本だけで、まったく留めてないところもありました。揺れによってそれらのクギがすべて抜け落ち、本棚が頭の上に降ってきたのです。天井まで届く本箱にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた本。畳に散乱したのを見ると、狭い部屋によくもこれほどの本があったものだと我ながらあきれると同時に、業者がいいかげんな家具設置をしたことを点検しないまま放置したのは自分の落ち度だったと反省しています。
幸い本棚がぶつかった私の石頭にはたんこぶができたくらいで、痛みや腫れも1週間でおさまりました。数日間、めまいがしてゆらゆら揺れるような気持ちが続いたので、打ち所が悪かったのかと心配しましたが、息子にも同じような症状があり、新聞の解説を読むと「地震酔い」というもので、三半規管のバランスが悪くなりストレスや不安から揺れる感覚が続いているのだとわかりました。
風邪の咳も悪化したので、1週間は何もせずただ寝ていました。
ようやく片付けをはじめ、積み重なった本の下になっていたパソコンを取り出しました。メール連絡だけは息子のパソコンを借りて必要最低限してきたのですが、自分のパソコンが救出でき、一番最初にしたことは、被災者安否情報を確認することでした。南三陸町の漁師さん。ブログハンドルネームは漁師アトムさんです。
宮城県南三陸町。町の人口18000人のうち半数9000人以上の安否がいまだに不明というニュースが続き、なんとかアトムさんの消息を知りたいとテレビの安否情報も気をつけてきました。しかし、手掛かりはありません。電話などの公的な安否情報を利用するのはご家族親戚の方が優先であって、私のようなブログファンにすぎない者は控えるべきであろうと、心配ながらただ祈るのみでした。しかし、ネット情報の中にアトムさんの情報はみつかりません。
漁師アトムさんは、南三陸町に家族と暮らし、八戸漁港で漁師として30年間働いてきた人です。体調のこともあり、昨年12月いっぱいで30年続けた船を下り、2011年は心機一転の年でした。私はアトムさんの秋刀魚漁、サワラ漁などの記録を楽しみに読ませていただいてきた「漁師アトムブログファン」のひとりでした。
ただのファンにすぎない私に、アトムさんは大漁の秋刀魚のお裾分けをしてくださいました。大きな発泡スチロール箱いっぱいに秋刀魚を詰めて冷蔵宅配便で東京まで送り届けてくれたのです。自家製ヒラキを作ったり、圧力鍋いっぱい煮物作ったりして、おいしくいただきました。
漁師アトムブログhttp://atom128-2.blogzine.jp/
地震から9日目に、壊れた家の中から80才のおばあさんと孫の青年が救出された、というニュースがありました。希望です。アトムさんも必ずどこかで救出を待っているのではないかと思います。
アトムさん、どうぞご無事で
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2011年03月23日
ぽかぽか春庭「元気だせ」
2011/03/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(3)元気だせ
火葬場が間に合わないので、震災で亡くなった方々の土葬が行われたというニュースを見ました。亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、「今ある命」のありがたさをかみしめています。なんとしても、この命を自分のためだけでなく、人々のために役立てたいと思いますが、今私にできることは今ここで生き抜くこと。
4月からの仕事については、出講先によっては授業開始時期を延期するかもしれず、予定が立ちませんが、若い世代の育成に力を注ぐことが、私にできる社会への恩返しだと思っています。
これまで「ちょっとコワモテで親しみにくい」と感じていた松山千春ですが、今回の地震に関して、次のようなメッセージを出したそうです。
知恵があるやつは知恵を出そう
力があるやつは力を出そう
金があるやつは金を出そう
自分は何も出せないよ
というやつは元気を出せ
BY 松山千春
「軽いお笑いタレント」としてテレビの中で見て来た江頭2:50は、放射能を恐れて物流関係者が入らなくなったいわき市に、自らトラックを運転して支援物資を運びこんだそうです。事務所の活動とは別に一人で行動し、物資を受け取った人のツイッター情報で、この話が伝わりました。
そうですよね。いつまでも落ち込んでいないで、せめて元気ぐらいださなければ、せっかくある命だから。
それぞれの立場でそれぞれの人が、人を元気づけたり自分が元気になったりしています。
mackychanさん、conparu さん、コメントをありがとうございました。「息子の卒業式」は3/30に再掲載します。
<つづく>
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2011年03月24日
ぽかぽか春庭「原発レベル5」
2011/03/24
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(4)原発レベル5
福島産茨城産の牛乳を飲むな、ほうれん草を食べるなという指示が出されました。また、東京の水道水から規定以上の放射線が検出され、乳児幼児には水道水を飲ませないようにという指示が出されました。未来ある子供は守らなければなりません。でも、わが家は成人だけですから、スーパーへ水のペットボトル買い占めに走る人を横目に、水道水を飲み続けます。
「これで健康被害がおきても、それは福島の原発から電気を供給して貰っていた東京の人が共に負うべき賦課だ」と考えます。また、原発反対運動をしておらず、福島原発からの電力供給を受けて電気の恩恵を消費してきた東京都民は、放射能被害を受けても仕方がないと覚悟すべきだと思います。
具体的な反対行動をとってこなかったのは、私もいっしょ。私は広瀬隆の著作を読んで、原発については「アブナイ」という認識をしつつ、それでも反対運動に身を投じてきたのではないのですから、もっと罪は重い。数々の原発事故を隠蔽してきた東電役員と同じくらい重い。
原子力発電所から送電される電気を使うということは、「万が一事故が起きて放射線漏れがあったとき、その被害を受ける可能性がある、ということを覚悟の上で電気供給を受けるべきだ」と、「原発反対運動」を続けてきた友人に言われたことがあります。それが現実のこととなった、ということ。
私は「太陽熱や地熱発電、潮力利用などの自然エネルギー利用の発電に切り替えていくべきだ」という考えに賛成しながらも、現実生活では原発からの電気供給を受けてきたのですから、「万が一事故が起きたときに原発推進政府や電力会社に文句を言っちゃならない、国民は東電にだまされた、なんて言ってはならない」中の一人です。何も考えずに電気を消費し喜んでだまされてきたのは自分たちではないか。
私がこれまで原発に関して読んできたのは、主として広瀬隆の著作です。広瀬の「そんなに絶対安全な原発なら、東京で使う電力は、東京の埋め立て地に原発を建てて発電したら、送電線による無駄な電気を消耗することもない。東京に原発を!」という主張に、私もそれはもっともなことだと思いました。東京で消費する電力を、福島や新潟の原発によって供給されてきた私たち。(東京電力の総出力6300万kWのうち、福島第一原発500万kW、福島第二原発440万kW)。
現場で命をかけてメルトダウンを防ぐ冷却放水作業に携わっている方々にはほんとうに頭が下がります。一方、本社の会議室などに安全に座り続ける東電役員には、全員現場に立ち会って下さいと言いたい。
各地の原発で数年ごとにおこる事故を電力会社がひたすら隠蔽し「日本の高い技術で何段階にも守られている原発は絶対に安全」と言い続けてきたことに対して、「日本では本当に放射能漏れ事故が自分の身に迫らない限り、本気で原発について考えようとする人は増えないだろう」という絶望も感じてきました。原発反対者がどれほど危険を訴えても、「日本の科学技術を信じられない非国民」扱いを受けるだけでした。
東京電力が隠蔽改竄してきた原発事故は、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の原子炉計13基地などで、29件にのぼります。1980年代後半から1990年代にかけて自主点検記録が改竄され、部品のひび割れを隠すなどしてきました。
電力会社は原発事故を隠蔽し、「反対運動をしている人々は科学というものがわからない原始人」と揶揄し排斥してきました。
今回の福島原発放射能漏れ、関東一円に放射線が漏れている、という事態に至って、原発を告発してきた人々の言説が、ようやく一般にも注目されるようになりました。momosuke2seiさんがカフェ日記にリンクしてくださった平井憲夫の「原発がどんなものか知ってほしい」も、原発推進派原発安全神話信奉派の人々から手ひどい中傷を受け続けてきました。平井さんを「嘘つき」と決めつけている論調もあります。
平井さんは原発内で配管の仕事をして20年働きました。被爆の影響でガンを発症し、命をかけて原発内の現実を書きつづった人です。ただし、原発の現場は知っていても理論家ではないから、原発のすべてを学者のように理路整然と「科学的に」述べているわけではない。
平井さんが97年に被爆を原因とするガンで亡くなったあとも、この文章はネット内に流布し続け、現在はfacebookによって世界に広がっています。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
平井さんの論調に対しては、原発事故が現実になった現在でも、「科学的でない」と批判を浴びせている人々も多い。
私は専門家ではないから、平井さんの文章のどこが事実に基づくことで、どこに記述の誤りがあり、どの考え方が現実の原発の実際の稼働と合わなかったのか検証することはできません。重要なのは、平井さんが指摘した通りの事故が実際に起こり、放射能が現実に漏れているということです。二重三重に守られているはずの安全装置はすべて働かず、チェルノブイリ事故を上回る被害の危険は、まだまだ予断を許しません。
明日は、これまでに起きていた福島原発の事故と東電の事故隠蔽について。
<つづく>
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2011年03月25日
ぽかぽか春庭「福島原発3号機爆発の動画」
2011/03/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(4)福島原発3号機爆発の動画
3月12日に福島第一原発1号機で爆発が発生したのに続いて、3月14日11時01分福島第一原発3号機が爆発しました。水素爆発する瞬間のリアルな動画が福島中央テレビ(FCT)のニュース番組などで放映されました。しかし、私は、NHKニュースや新聞で、リアルタイムの爆発映像を見た記憶がありません。爆発後の煙が収まった頃の衛生写真などを見た記憶はありますが、爆発瞬間の映像はNHKでは放映されなかったように思います。私が動転していて見逃した可能性もありますが、どなたかNHKニュース3月14日11時過ぎ、またお昼のニュースで3号機爆発の動画を見たでしょうか。ずっと震災ニュースを見ていた私ですが、3月14日に日本のニュースで見た記憶がないので、私だけが見逃したのか、福島中央テレビ以外のニュースでも放映されたのか、わからないのでいるのです。福島中央テレビでは放映できた爆発映像が、なぜNHKニュースでは画面になかったのでしょうか。
以下の動画は、福島原発3号機水素爆発の瞬間を捉えた映像です。世界中の人が唖然としてこの映像を見たのに、日本の人々には煙が収まった後の衛星写真が公開されたのみでした。
イギリスのスカイニュースで放映。
http://www.youtube.com/watch?v=T_N-wNFSGyQ&feature=related
福島中央テレビのニュース
http://www.youtube.com/watch?v=2bPi6aHmd88
人々の間にパニックが起こるのを防ぐためにNHKなどでは放映が禁止された、という説もあります。ネット情報なので、本当かどうかの裏もとっていない情報ですが、確かに、この映像を見れば、30km圏内屋内待避なんて悠長なことを言っているわけにはいかず、アメリカがいうように、80km圏100km圏の人も必死で逃げ出したくなる迫力です。隠したくなる側の事情もあったのでしょう。これまでも事故はずっと隠蔽されてきたのですから。
過去に出来した福島第一原発(F1)第二(F2)の事故。
(レベル2相当以上の事故)
1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故(日本初の臨界事故)
1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所3号機事故 (原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した事故。レベル2。
1990年9月9日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故。主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
2010年 06月17日午後、第一原発2号機であわやメルトダウンの事故が発生。東京電力は事実経過を明らかにしておらず、真相は闇の中。レベル不明。
これまで起きた原発の事故。隠蔽されてきた事故のうち内部告発などで公表されたものだけが記録に残されているのですが、ここにあげたほかに事故はまだまだあったでしょう。 平井さんは97年に亡くなるまで、福島原発でレベル2以上の事故が起こることを懸念していました。現在はレベル5の段階です。(レベル6に上方修正。スリーマイル島原発以上の被害拡大必至)
もはや原発が「絶対安全」と主張できる人はいないでしょう。しかし安全神話が崩れたあと、私たちはどう考えどう行動していくのかが重要です。
<つづく>
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2011年03月26日
ぽかぽか春庭「安全神話の人災」
2011/03/26
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年3月>黙す春(5)安全神話の人災
福島原発の事故はすでにレベル6に達し、スリーマイル島原発以上の被害に及ぶことが懸念されています。
「想定外の地震だから、予定以上の津波だったから仕方がない」と「安全神話」を担いできた学者はいいわけをはじめています。「想定外」ってなんでしょう。「どんなことがあっても安全」と、電力会社は言っていたではないですか。
福島原発の「津波想定」が5メートル以下のものでしかなく、これではとうてい大津波には対処できず事故が必死であることはすでに90年代に専門家によって指摘されていたことでした。明治時代1896年、2万人が亡くなった三陸沖大地震では38mの大津波が来たのに、福島原発の備えは明らかに不足でした。しかし東電は「大津波を起こす地震など千年に一度のことだし、そんな大津波対策をするには費用がかかりすぎる」として、対策をあと延ばしにしていました。確かにマクニチュード9.0という大地震は、推定9世紀と1500年に起きただけでしたから、「そんな大地震はめったに起こるはずがない」ことでした。しかし千年に一度が今年3月11日だったのです。
電源復旧活動に当たっていた作業員に3人の被爆者がでました。案の定その方たちは東電社員ではなく、協力会社すなわち下請けの人でした。被爆被害についてどのような説明を与えられていたのか知りませんが、命をかけて作業をしていた人が下請け作業員だったということ、何かやりきれません。防御服や靴などの安全対策も不完全だったようです。被爆により2~8シーベルトの放射線を浴びたとのことですが、過去の例でいうと5シーベルトの被爆では半数が死亡。3人の被爆者のうち1人か2人は死に至る恐れがあります。
福島第一は1970年代に建設された日本で最も古い原発の1つです。3号機はウランとプルトニウムを混合したMOX燃料を使用しており、最も危険。万が一、圧力容器が爆発した場合、ウラン燃料よりも危険性が高い。3号機は炉心が一部融解し、大爆発一歩手前です。まだメルトダウンの危険が去ったわけではありません。放射線は今も出つづけており、すでに「以後、人が住むことのできない地域」も生まれています。
老朽化が著しいポンコツ原発を地震大国で使い続けるには無理があった。しかし、東電は福島原発を使い続けた。利益優先だから。
1号機2号機6号機はアメリカのゼネラルエレクトリック社製です。GE社製の原発には欠陥が多いことがこれまでにも指摘されてきました。しかし、アメリカの原子力産業とパイプを持つ自民党政権は、しっぽを振って原子力発電を推進してきました。
プルサーマルは和製英語です。熱中性子によってプルトニウムを核分裂させるMOX燃料。万が一にも炉心融解に至れば、中性子が拡散するため、人体への被害ははるかに大きく、放射能が半分まで減る半減期は、プルトニウム239の場合約2万4000年もかかるのだそうです。
プルサーマル利用すると、事故が発生する可能性が飛躍的に高まり、再処理によって核廃棄物は却って増える、原子炉の運転や停止を行う制御棒やホウ酸の効きが低下する、などの数々の問題点が指摘されてきました。しかし東電は「絶対に安全だ」と言い続けて福島原発を運用してきました。
原発に疑問を呈した佐藤栄佐久に収賄嫌疑をかけて辞職させ、佐藤雄平現知事(渡部恒三議員の甥)が当選。プルサーマル導入を決定し、その補助金60億円を福島県にもたしたことを「手柄」にしていました。
原発の問題について詳しく知りたい人は西尾漠さんの著作を参照してください。西尾さんは、私の知人が関わっていた「反原発新聞」の編集長をしていたジャーナリストで、大地震が起きたときの原発の危険性をずっと警告し続けてきた人です。
日本電気協会から出版されている『やっぱり原子力』という本には、「いま運転中の原子力発電所は、その地域で考えられている最大の地震に襲われても安全な状態を保つように作られている」と書かれています。この本を書いた新保新吾さん飯高季雄さん、ぜひ福島原発の現場に立ち会ってください。行って、「貞観年間に起きた大津波のような千年に一度の災害がなければ、安全の予定でしたが、千年に一度の大津波が来たから爆発しちゃいました」と、次の本を書いて下さい。
「人間の作り出す科学を過信し、自然の力を見くびるとどんな結果になるか」ということを実感したら、「御用記事」の本を書いたことに少しは悔いがでるでしょうか。
今回の原発事故は、「大津波が来たら福島原発は危ない」という警告を無視し続けた東電による人災です。
「非常時だからみな節電せよ」と東電からのお知らせが届きました。わが家は冬場はもともとエアコンを使いません。11日以来、石油ストーブも封印して、被災地に雪降るようすを見ながら、いっさいの暖房を使いませんでした。冷え込む夜もあったけれど、一家3人でダウンコートを着込み、肩寄せ合ってすごしました。水もこれまで通り水道水を使います。
もしも放射能による健康被害が出て働くこともできなくなったら、歴代東電社長と原発推進派議員の家を順番に乞食行脚して過ごします。高い給料を得てきた彼らは、原発の危険な仕事を下請け業者や季節出稼ぎ労働者にさせ、所内被爆を隠蔽し使い捨てにしてきました。仕事ができなくなった私を養うくらいのことをしてもいいでしょう。
大震災から半月たっても、余震が続く中、私は地震酔いの症状が止まりません。
症状そのものについては新聞などで報道されたので、理解はできました。余震で気分が悪くなったり、地震が起きていないのにめまいやふらつきを感じたりするのが「地震酔い」。今回の大震災では東北で避難生活をしている人は特にですが、関東圏でも地震酔いの続く人が多いとか。乗り物酔いと同じで、目で見た視覚情報と平衡感覚がずれた状態になると、気分が悪くなったり、めまいを感じたりするのですが、ストレスなど心理的な要因が大きいそうです。
私も、少しの揺れでもとても不安に感じたり、揺れていないのにめまいのようにフラフラすることが続いています。心身丈夫なことだけが取り柄と思って来たのに、今回の震災の影響はズシンと心にきたようです。
津波や原発で被害を受けた方々に比べれば、部屋の本棚が倒壊したくらいは、何でもない、がんばって片付けなければと心では思うのですが、なかなか手が付けられない。避難経路確保のため玄関前に積み上がった本を捨て、トイレの出入りにドアが開かないと困るから、トイレ前に山になった本をお風呂の浴槽にぶち込み、さて、それからはとんと片付けがはかどりません。
ぼうっとテレビで被災のニュースを見ているだけだったり、横になって本の世界に逃避したりの時間が多くなっていました。これまで3時間も4時間もテレビを見続けることはなかったのに、BSで「グレートサミット」とか「ダーウィンがきた」とか、テレビの前に座りっぱなしで見ているので、自分でも変だと感じています。地震アパシー、または原発事故アパシーとでもいうのでしょうか。
ひとつには、我が部屋の本棚倒壊が、昨年の漏水事故後の業者まかせの後片付けで、地震対策の家具転倒防止の現状復帰をきちんと点検しなかったという「防災対策の怠り」によって起きた人災であるということが堪えています。目の前に迫っている仕事の準備や博士論文執筆のほうを優先させてしまい、安全対策の確認が十分になされていませんでした。
福島原発事故も、地震と津波による天災を受けたのが直接の原因であるのと同時に、これまで大津波対策を怠り、数々の事故を隠蔽してきた東電の奢りによる人災だと思います。
最低限、これから私がすべきこと。エネルギー政策の転換を政府に要求し、原発推進派であった議員の態度を見極める選挙行動を訴えていくこと。私自身は過去原発推進派議員に投票したことはありませんでしたが、自分自身の地元の議員がこれまでどういう政策に賛成し反対してきたのか、今後ともチェックする必要があります。
また、直近の選挙で言えば、「今回の震災は天罰だ」と発言した現職東京都知事を絶対に当選させたくありません。
今回の福島原発の事故はおいおいと検証がなされるでしょうが、絶対に隠蔽させてはなりません。すべてを国民の前に明らかにすることが今後のためです。
人が築き上げてきた文明が、最後の崩壊を迎える前に、私たちがやるべきことは何か、もう一度考える春なのだろうと感じます。
<おわり>