20241208
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩木枯らし吹いても(2)アレック・ソス 部屋についての部屋 in 写真美術館
11月の第3水曜日は東京写真美術館を観覧しました。2Fアレック・ソス「部屋についての部屋」地下1F「巨匠が撮った高峰秀子」3F「現在地のまなざし」
写真美術館の口上
アレック・ソス(1969-、アメリカ・ミネソタ州生まれ)は、国際的な写真家集団、マグナム・フォトの正会員であり、生まれ育ったアメリカ中西部などを題材とした、写真で物語を紡ぎだすような作品で、世界的に高い評価を受けてきました。
本展「部屋についての部屋(A Room of Rooms)」には、初めて出版されたシリーズであり、初期を代表する〈Sleeping by the Mississippi〉から、今秋刊行の最新作〈Advice for Young Artists〉まで出品されます。30年に及ぶソスの歩みを単に振り返るのではなく、選ばれた出品作品のほぼすべてが屋内で撮影されているように、「部屋」をテーマにこれまでのソスの作品を編み直す、当館独自の試みとなります。
出品作品のひとつに〈I Know How Furiously Your Heart is Beating〉というシリーズがあります。アメリカの詩人、ウォレス・スティーヴンズ(1879-1955)の詩「灰色の部屋(Gray Room)」の一節からタイトルがとられた本作は、2019年に同名の写真集としてまとめられ、ソスのキャリアにおいてひとつの転換点となっています。初期からソスはアメリカ国内を車で旅し、風景や出会った人々を大判カメラで撮影してきましたが、本作ではそうしたロードトリップのスタイルではなく、舞踏家・振付家のアンナ・ハルプリン(1920-2021)や、小説家のハニヤ・ヤナギハラ(1974-)など世界各地にさまざまな人々を訪ね、その人が日々を過ごす部屋の中で、ポートレイトや個人的な持ち物を撮影しています。すなわち、部屋とそこに暮らす人をテーマとするこのシリーズが、本展を生み出すきっかけとなりました。
〈I Know How Furiously Your Heart is Beating〉では、静謐な空間で被写体から醸し出される親密さが大きな魅力となっています。「どれだけ激しくあなたの心臓が鼓動しているのか知っている」というタイトルは、その瞬間を写し留めたソスの胸中だけではなく、展示室というひとつの部屋の中で、作品と対峙するわたしたちの心の内までをも言い表しているかのようです。
「ポートレイトや風景、静物などを定期的に撮影しているが、最も親しみを感じるのは室内の写真だ」と作家は述べています。ソスの作品に登場するさまざまな部屋や、その空間にたたずむ人々に意識を向けることで、果たして何が見えてくるのか。展覧会と写真集共に多くの支持を得る作家の表現の魅力を探ります。
2Fのソスの写真、すべて撮影OKでした。写真展示ではめずらしい措置です。絵画展よりも、若い人や外国の方の観覧者も多く、ソスの写真の前でカップルが写真を撮り合ったりしていました。いろいろ管理が難しい面があるでしょうが、作品に親しんでもらうこと、大事だと思います。
写真で表現したいことは作家によってそれぞれで、作品の前でおしゃべりされるのも嫌だ、と感じるアーティストもいるのも理解できます。真剣に対峙すべき画像の前で笑っておしゃべりしている二人連れを蹴とばしたいときが、私にもありました。思い出す例。ユージン・スミスが撮影した水俣病患者の歪んだ体がおかしい、と笑う二人組の若い女性。胎児のうちに水銀に冒された女の子の写真。ねじれた体を写真にさらす勇気を持った親御さんは、水俣病を知ってもらいたい、という決意を持っていたことでしょう。何の先入観もなしに見るというのも一つ鑑賞の方法ですが、写されている背景を少しは知っておくべきじゃないかと、これは昭和育ち婆さんの感覚。
しかし、ソスは今回の展示で、「観覧者の先入観を排するため」写真にキャプションをつけていません。写真には数字のみが記されていました。まず観覧者に見たままを受け取ってほしいから、と、作品出品目録を渡してくれた受付の人の説明。会場の写真には番号のみ付されています。
説明がほしい人は、目録の番号と写真を照らし合わせながら進んでいく人もいました。私は最初に写真だけを見て一巡し、次は4階の図書室でソスの写真集をながめ、気になった写真の記憶を確認しながらもう一度room1からroom6へと、ほぼ年代順に配置された展示を見ました。
目録の解説:番号、2 タイトル「Surf Ballroom」 撮影年1999
room1には、ソスの最初期の写真集「sleeping by the Mississipi」と、パリのファッション誌のための写真「Paris/Minnesota」から室内写真の抜粋。
室内で撮影された「撮影されるものの内面を写したい」ということですから、見る者が先入観なしに被写体の心と向き合うことを、ソスもねがっていたのではないかと思います。室内でポーズをとるさまざまな年齢や社会的な立場の人々。どちらかといえばあまりゆとりのあるハッピーな感じがしない雰囲気の人が多いように感じました。それらの被写体はソスのカメラの前で、楽しそうな雰囲気を出していない。
入り口の自動ドアが開くと、正面に2枚の大きなインクジェッドプリントのパネル。
「クリスタル」 「Crystal」撮影場所, Easter, New Orleans, Louisiana 2002
白いワードローブの前のベッド。ベッドカバーはディズニープリンセスの柄。金髪の女性が帽子をかぶってピンクのワンピースを着ています。ディズニーランドには、なりきりプリンセスのかわいい服を着た女性をよく見かけますが、このピンクワンピースの女性も「白馬の王子はきっと来る」と待っているのでしょうか。待ちくたびれたのか、女性の表情は悲しそうです。ソスは女性の豊齢線をきちっと写し取っています。
たぶん照明の当て具合で豊齢線は見えにくくなるはずですが、ソスは「4」という番号のほかは何も情報を観覧者に与えていません。「見たままを感じて」ということですけれど、私は「待ち続ける矜持の哀しみ」を感じました。編み物をしているとか、歌っているとか、なにか動いている人だと違って見えるでしょうけれど、ベッドに腰かけてじっとカメラをみすえています。「I'm sorry,but he will be not come .」と声をかけるべきでしょうか。希望の王子は来ないのを知っているのに、黙って彼女のほうれい線を見つめる意地悪。
ユリの花を髪に飾って、町の家並がプリントされたベッドカバーに顔を寄せている少女もとても悲しそうで、見る人は思わず少女に寄り添い、「だいじょうぶ、心配ないよ」と声をかけたくなります。
「Herman's Bed Kenner,Louisiana」2002
Room2は、シリーズ「Niagara」「Looking for Love」からの初期作品抜粋。
「トンネル02」「トンネル03」「トンネル05」2004
北京には有名な観光地がたくさんあるのに、ソスが撮ったのは、毛沢東時代に掘られたという地下トンネル。核戦争後に生き残ることをめざして掘られた地下アパートだ。2024年の現在もなお、劣悪な環境でも住み続ける人々がいる。外国人は住民の撮影は禁じられており、ソスの写真も、暗いトンネルだけの画面。
Room3は、「Dog day Bogota」「Broken Manual」「Song book」から。
「2007-10z10006」2007
誰も住まなくなった廃墟の壁に、「I love my Dad Tony I wish He loved me」と幼い文字で書き残されています。父と子が今も愛しあっていますように。
「Untitled05」2003
Dog days とは「めちゃ暑い日々」という意味なんだって。大犬座のシリウスが太陽と共に上ってくる期間、北半球では真夏になる。犬の日のころ、ソスは南米コロンビアから養子を迎えるために暑さの中、2か月間ボゴタに住みました。
ありったけのぬいぐるみを吊るしてポーズをとる少女は、「犬の日」の日々をどうすごしているのでしょう。顔つきは南米にもともと住んでいた人々の系統の少女。ソス夫妻の養女に迎えられた幼子をうらやんでいる顔なのか、暑さにうんざりしている顔なのか。
Room4 「Paris/Minnesota」「Tokyo」から
「ピエール・ベルジュ&イヴサンローラン基金Moujik Ⅳ(ロシア農民4)」2007
ロシア革命以前のロシア農民をmoujikと呼ぶらしいのだけれど、なぜmoujikなのか、まったくわからない。椅子の上のイヌのこと?
2015年、東京で過ごしたソスは、新宿のホテルパークハイアットの部屋に、インターネットで探した人々を招き、室内撮影しました。ホテルを一歩でれば、新宿の街を行きかう人々を撮影することがそれほど難しいことではなかったでしょうに、なぜソトはホテルの室内での撮影を望んだのか、ソト展の開幕前プレスインタビューで、だれも突っ込んでいないので、外の真意はわかりません。
「パークハイアットホテル 鏡」2015 「サリ」2015
高層ホテルから眼下を望み、手に持った鏡にも遠くの市街が映り込む。ソトは、東京の街をにぎりしめたかったのか。
「サリ」は、襟に日本と書かれた和服風衣装を身に着けているが、日本人からみたら異形。ソトは「ロスト・イン・ランスレーション」にインスピレーションを得たとかで、「外国人の目に映る二ホン」すなわち日本人には日本に思えないイメージを作り出したかったのでしょう。
写真撮影OKの今回の展示。展示保護のガラスがはめ込まれていると、灯りが映り込んでしまい、なかなか思うような画像に撮れません。観覧者がうつりこまないよう、灯りが入らないようにするのは素人には無理。たったひとつ映り込んで新しい画像になったと思う写真がありました。パークハイアットホテルのセルフポートレートです。ホテル窓外の夜景に、ベッドに寝転がる自分の姿が映り込み、夜景の星空の中に浮かび上がるような幻想的な写真になりました。そして、今回の展示では、画面の保護ガラスに後ろの写真が写りこみ、三重の像が重なるのです。夜景とソスとソスが撮った写真。ロストイントランスレーションが重なる。
「ホテルパークハイアット セルフポートレート」2015
Room5 写真集「I Know How Furiously Your Heart is Beating」はアメリカの詩人ウォレス・スティーヴンズ(1879〜1955)の詩「灰色の部屋(GrayRoom)」の一節「あなたの鼓動がどれほど早いか知っている」からタイトルがとられました。
「Anna, Kentfield, California」2017
アンナ・ハルプリン(1920-2021 )は、ポストモダンダンスを牽引したダンサー、舞踊教育者。1950年代から既存のマーサグラハムやカニンガムを踏襲するモダンダンスと決別し、ダンスコミュニティを運営しました。70年代にガンを患い、その治癒の過程を経験することが、ダンスコミュニティ存続に役立ちました。アンナは、2021年に100歳で亡くなるまでダンスとともに生きました。
ソトの肖像写真。わざわざガラスの向こうにアンナが座っています。ガラスの反射やゆがみが、92歳のアンナの独特の姿を伝えています。欧米の老女肖像は、白雪姫の毒りんごばあさんのように見えてしまうことが多いのですが、アンナは「不思議の国」」の雰囲気を保って、踊り出すかも、って思えます。また角度を変えて眺めると、死んでミイラになっているのかも、、、、って。」
土方巽や田中泯とか、ダンサーの写真はどれも好きだけれど、ダンサーとして現役で踊っていたころのアンナをまったく知らないのに、アンナの肖像、ソトが撮影した肖像の中で一番好きかも。
Room6 一番新しいシリーズ2019「A Pound of Pictures」
机の上にごみの山のように置かれたヴァナキュラー写真と呼ばれる作家性のない(芸術性から遠いがらくた写真)の1ポンド475gの写真の山を見つめるソスの目。
「ティムとバネッサ」2019
2022-2024にソスが美術学校で撮影した作品「Advice for young Artists」。石膏像や静物画用のオブジェ。
「形の分析」2023 「静物Ⅱ」2024
「プラスチック・アートクラブ」2019
座る男性モデルのデッサンをする若い女性たち。カメラの焦点は奥に座る男性(全裸?)に合っている。カメラはガラス越しに撮影しているようですが、真ん前にいるデッサンしている女性の前に反射具合の異なる四角い窓(?)が開いている。ガラスの向こうのスケッチ画面もぼけているからよくわからないけど、どう見てもモデルの男性像のリアルなスケッチではなく抽象画に思えます。
なぜソトは、全体のガラスと真ん中部分のぼかし方が異なるような写し方にしたのでしょうか。照度を暗くすれば、奥域まで焦点を合わせて撮影ができると教わりました。F値を絞り込んで撮影すると、被写界深度は深くなり手前から奥までピントが合うと、私に一眼レフカメラのお下がりをくれたギンコ叔父さんが説明してくれました。今はもっぱらコンパクトカメラ愛用なので、被写界深度なんぞとは無縁ですが、ソトは奥の裸男性にだけピントを合わせている。ソトは、「若いアーティストへのアドヴァイス」としてこの「プラスチック・アートクラブ」をどのようなアドヴァイスとして表現したのでしょうか。アーティストではない私にはわかりませんが、アートを志す若い人はきっとソトの表現によいアドヴァイスをもらっているのでしょう。
さて、ソト作品の美術館展示は2022年の神奈川県立美術館葉山で、日本で最初の展覧会が開催されました。葉山美術館は写真専門の美術館ではありません。東京写真美術館、完全に「あと追い」になりました。葉山でのソト展がどれくらい前から準備が始まったのかはわかりませんが、TOP美術館学芸員は「しまった!」とは思わなかったのでしょうか。
最初の写真集から編年体的に展示していた葉山に比べ、「部屋」という切り口を出して編集したTOPの担当学芸員の手腕もあるけれど、素人としては、なぜ写真専門のTOPが葉山美術館に後れを取ったのかと思います。
TOPは個人作品の展示は、2017年「総合開館20周年記念ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館」以来7年ぶりです。私は、2017年の「2017報道写真展」を観覧しているのに、同時開催だったダヤニータ・シンの展示を見ていません。おそらく報道写真展のほうはご招待観覧券をもらったかなにかで見たのに、シンの展示にお金を払って見る気になれなかったのだろうと思います。貧しい!
ダヤニータ・シン以来の単独の写真家展になるアレック・ソト展。写真美術館としては久しぶりの個人作品の展示、第3水曜日のありがたい無料観覧日でした。
ソトがホテルパークハイアットで写した一枚はアートになり、下の一枚はヴァナキュラーがらくたになります。
<つづく>