春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2016年2月目次」

2016-02-28 00:00:01 | エッセイ、コラム


2016/02/28
ミンガラ春庭2016年2月目次

0202 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記1月(1)おばあちゃん
0203 2016十六夜さまよい日記1月(2)おばあちゃんの葬儀
0204 2016十六夜さまよい日記1月(3)姑ユキ子の生涯
0206 2016十六夜さまよい日記1月(4)さらに続く悲しみ
0207 2016十六夜さまよい日記1月(5)納骨

0209 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(1)2003年の姑誕生日
0210 2003三色七味日記2月(2)2003年の個人面談
0211 2003三色七味日記2月(3)観劇「ゴンザーゴ殺し」
0213 2003三色七味日記2月(4)2003年の嫁姑
0216 2003三色七味日記2月(5)2003年のアメリカンコーヒー
0216 2003三色七味日記2月(6)2003年の歌の練習
0217 2003三色七味日記2月(7)2003年の友人合格

0218 ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン日記2月(1)福祉と現世来世
0220 2016ヤンゴン日記2月(2)市内美化と現世来世
0221 2016ヤンゴン日記2月(3)職人仕事と前世来世
0223 2016ヤンゴン日記2月(4)悉皆成仏と現世来世
0224 2016ヤンゴン日記2月(5)悉皆成仏と現世来世その2
0225 2016ヤンゴン日記2月(6)ミャンマー商売と現世来世
0227 2016ヤンゴン日記2月(7)最後の一周現世来世
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ミンガラ春庭「最後の一周現世来世」

2016-02-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160227
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記2月(7)最後の一周現世来世

 人生を山登りにたとえたり、マラソンにたとえたり。マラソンで42.195kmを走って来て、最後のトラック一周でうしろから来た走者に追い抜かれたりします。私の人生、追い抜かれるのはまったく気にしていません。ゆっくりマラソン、完走できればらっき~!!人生が登山であるなら、低山をゆっくりのぼり、景色を見たり、花の写真をとったり、ゆっくり下ればそれでよし。早さを競うクロスカントリーでも高さを競うのでもなく、100名山のいくつ登れたかの数を競うこともない。

 今回のヤンゴン赴任、昨年の8月から、赴任先大学にこれまでなかった日本語授業を確立させようと、奮闘してきました。昨年、私が赴任するまでに2人の先生が先行赴任してくれていたのですが、ふたりとも「2ヶ月だけの臨時の仕事」でした。春休みの期間、あるいは夏休みの期間の「半分旅行気分」での赴任でしたから、楽しかった思い出だけ残った、と言って帰国しました。

 私は、「この大学に日本語教育を定着させる」という課題を背負っての、長期赴任のつもりでしたから、週末、土日には家に仕事を持ち帰って、ひたすら授業準備をするなど、仕事ひとすじの暮らしを8月9月と続け、12月に新学期が始まったときも、新学期立ち上げがうまくいくように、1月は順調に授業がすすむように、仕事を続けました。

 なんとか軌道に乗ってきた2月、ようやく旅行する余裕ができて、土日には女子校時代のクラスメートやっちゃんとバガン仏教遺跡群へ旅行したり、チャイティヨー寺院(ゴールデンロック、岩の上に丸い岩が乗っかっていて、落っこちそうな上に仏塔が建っている。やっちゃんの一番の希望旅行地)へ行ったりできました。バガンは一泊、チャイティーヨーはタクシーチャーターの日帰り弾丸旅行です。
 私が授業をやっている間、やっちゃんはひとりで大学内を散歩したり、日本語が少し話せる女子学生といっしょに買い物にでかけたりしてすごし、10日間のミャンマー旅行を大いに楽しんで帰りました。

 私も、やっちゃんが来緬してくれて、はじめて旅に出かける気持ちになったのです。すばらしかったバガンの眺望、のちほどご報告。チャイティーヨーは、丸一日、ぐったりしてすごしました。旅の前日やっちゃんと日本料理の店に行き、お高い店だからと信用して食べた生野菜にあたって下痢。やっちゃんはミャンマーの清潔度を頭から信用していないので、生野菜は決して食べない用心深さで無事でした。下痢でふらふらの身体で日帰り弾丸観光のチャイティーヨーの印象は最悪です。

 やっちゃんと民族村にも行ってみました。ネット評判記などに、「テーマパークとしてはちゃち」と書かれているとおり、もうちょっとなんとかしないと、目のこえた外国人客はよべないなあ、という場所でした。ここものちほどご報告。

 南アフリカ、マラウイ、カナダ、アメリカ、カナダ、ロシアなど世界旅行を重ねてきたやっちゃん。今年1月にはクロアチア旅行に行ってきたのだって。そんな旅慣れたやっちゃんのミャンマー感想。「いい国で、これからの発展が楽しみだけれど、お寺の中を必ず裸足で歩かせるのだと、外国人観光客は呼べない。お寺の参道にゴミが落ちていて、歩くと足の裏が真っ黒になるようじゃ、清潔好きの人はこない。町にも田舎にもあふれているごみをなんとかしないと、世界遺産登録もできない」

 仏塔や景色の美しさ、人々の人情の穏やかさはすばらしいけれど、観光開発にはまだまだ課題が大きい、というのが、世界旅行評論家やっちゃんのことばでした。
 私は、3月上旬の授業も終えて報告書などの書類を書いたら仕事は終わりです。少しのんびりしつつ、ミャンマー各地の旅行を楽しみたいと思っています。

 ヤンゴン勤務も、最後の一周にかかった、というところ。完走したいです。
 仕事をまっとうして、少しでもこの国の日本語教育に貢献できたとすれば、私の来世はきっと「よい人」として生まれかわるに違いない。
 もし蜻蛉蚯蚓オケラに生まれたとしても、よい蚯蚓です。農地の土を肥やし豊かにする蚯蚓でしょう。みんなみんな生きているんだ、ともだちなんだ。私は悉皆成仏を信じます。

<おわり>
 
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ミンガラ春庭「ミャンマー商売と現世来世」

2016-02-25 00:00:00 | エッセイ、コラム
20160225
ミンガラ春庭ミャンマーだより>2016ヤンゴン日記2月(6)ミャンマー商売と現世来世 

 ヤンゴンの日常、相変わらずです。
 1月27日-31日の一時帰国で日本生活の快適さにひたって、1月31日夕方にヤンゴンへ戻ると、さっそく宿舎は1月31日夜、断水。2月1日断水と電気ショートによる蛍光灯全滅。でも、3日後には修理して蛍光管を取り替えてくれたので、これはヤンゴン修理情報に寄れば、最速のほうと思います。部屋が暗くなくなって、よかった、よかった。

 大学のトイレ、天井を這う水道管からシャワーのように漏水。
 最初からトイレタンクは故障していて、洗面器で水汲んで流す方式なのだけれど、天井からの漏水で、強制的シャワー付きトイレになっていました。トイレ使っている間に服がびしょぬれになるのもいやだし、傘さしてトイレに入るのもなあ。

 でも、乙武さんだったかの名言。「五体不満足は不便ではあっても不幸ではない」。
 そりゃ、乙武さんのように才能に恵まれた障害者だから言えることだ、という反発も承知していますが、彼の信条になぞらえて言えば、「ヤンゴンの生活の不自由さは、不便ではあっても不幸ではない」。ヤンゴンの人々は、停電も断水も日常生活の一コマとして、不便ではあってもみな幸福そうに暮らしています。よき来世を信じて安心して暮らしているからです。

 しかしなあ。来世のない私は、ひたすら現世で水は不安無く使いたい、電気は半日一日の途切れなく使いたい。たぶん、こういう煩悩抱えているから、やたらに不便に出会う。
 
 ミャンマーの人々、家の中教室の中お寺の参道から寺の中、すべて裸足です。家の中の清潔度は家庭によってさまざまでしょうが、教室の中お寺の中、裸足で歩けば、たちまち足の裏は真っ黒に汚れます。町の中は、ゴミの山があちこちに堆積、ペットボトルやビニール袋は散乱。川の中はゴミ捨て場。店の人は店の前をほうきで掃くけれど、はいたゴミは道に出す。または溝に掃き出す。道ばたを流れる溝は、いつもゴミがいっぱいで、臭いがあります。
 
 それでも、人々は純真で他人をだますようなことをしない、と思ってきましたが、10日間のミャンマー滞在を終えて日本に帰った友人やっちゃんからのメール。ミャンマー最大の観光地バガン仏教遺跡群の町にある漆塗り工房で買った漆塗り製品、包み紙をあけてみたら、注文品とは別のものが入っていたという報告です。ひとつ25US$2500円25000チャットのお椀、漆塗りというだけでなく、中は馬のしっぽの毛を編んで作った、ということでやっちゃんは気に入ったのです。木工のお椀もいいけれど、馬好きのやっちゃんとしては、「馬のしっぽの毛」で作ったお椀、と言うところに価値があったのです。「あれほどの店構えなのに、だまされてがっかりです」と、楽しかったミャンマー旅行の思い出が暗転してしまったかなしさを伝えてきました。

 私も、これまでミャンマーの人は仏罰をおそれて決して人をだましたりしないと思っていたので、びっくりぎょうてん。
 3月にもまたバガン遺跡に行くので、買った店に行って抗議しようと思います。もし、店主が知らぬ存ぜぬを通すなら、「地球の歩き方」に投書して、店の名をはっきり書き、この店では漆塗り製品を買うなキャンペーンをするから、と、言ってやります。
 やっちゃんも不愉快だったでしょうが、私もやっちゃんと同じくらいショックです。とうとうミャンマーの観光地も、アジアアフリカでよく耳にする「客とみればだましにかかる」商売になってきたのか、という気持ち。

 こちらでは、口コミ情報の威力がまだ知られていない。facebookなどに一度情報が流れれば、店がつぶれてしまうくらいの影響力があること、まだ理解していない田舎の人が多い。

 バックパッカー御用達だった「東京ゲストハウス」。日本人オーナーは、「南京虫が出た」とか「シャワー室を覗かれた」などの苦情を言う客に「うちの評判を悪くするようなことを言う客は泊めない」と、追い出すことで有名。でも、ネットにその情報が流れて、日本人客は激減。それでもつぶれたようすもないのは、日本人以外の客には「トーキョー」ということばが魅力的なのでしょう。

 漆塗りなどは、何度も重ね塗りするところに価値があり、昨年の朝ドラ「まれ」に登場した輪島塗などでも、その作業の緻密さ綿密さに感嘆しました。(ドラマは、脚本がつまらないので、半分みたところで見るのをやめてしまったけれど)
 何度重ね塗りをしたか、などは、外側からだけではわかりません。その店を信用するかどうかにかかっています。何十年もつづく店は、客の信用が厚い、ということ。老舗とはそういう信用によってなりたつものでしょう。

 やっちゃんがだまされたバガンの漆塗り「Golden Cuckoo Lacquerware 」は、バガンでも有名店のほうだし、私としては、店ぐるみで客をだましているとは思えないのですが。
 そもそも「Golden Cuckoo Lacquerware 」の店は、店の奥にさらに店がありました。一般観光客は、見た目はきれいだけれど、重ね塗りなどしていない、インスタント漆塗りの製品を並べてある店に案内されます。観光客は見た目がきれいなら買っていき、少しでもやすいみやげ物をもとめる。

 奥にある店は、本物の漆塗り製品を求める人の為の店で、こちらの製品にはカッコウ鳥のロゴがついている。土産品にはロゴがついていません。おなじように見える製品でも、3~5倍の値段の開きがあります。やっちゃんは、ちゃんとしたほうの漆塗りを買って、ひとつ25US$というそれなりの金額を払ったのに、注文品と別物が包まれていた。残念な手口です。これは店の人を信用してしまったやっちゃんのミス。目の前で現品を包装させずに、奥へ入って包装してきたものを、中身を確認せずに受け取ってしまったのは、やっちゃんが店を信用してしまったため。アジアアフリカではよくある手口です。包装する場合、必ず目の前で包ませてうけとらなければいけない。

 私はやっちゃんの買い物につきあわず、店の奥の工房をずっと見学していて、お金と買い物のやりとりを見ていなかった。これは私のミス。南アフリカとマラウィに旅行したことがあるやっちゃんなので、だまされないコツはわかっていると思ってしまった。

 漆塗りでUS$25ドルのお椀というのは、日本では信じられない安さです。輪島塗はおわん一客で25万円~100万円ですから。ゴールデンカッコーでも、奥の本物漆器は確かに小さいものでも100ドル200ドル、大きい物は千ドルしてました。25ドルは格安、お買い得と思ってしまったのがアダとなりました。ロゴ入りでない観光客用の漆器なら、25ドルは普通の値段。ロゴ入りの漆器を選んだやっちゃんに「お買い得です」と言って安い値段を提示し、奥へ入ってロゴ入りでない安出来のものを包んで渡したのでしょう。
 やっちゃん、買い物につきあわないでごめんね。でも、だました人は、きっと来世はゴキブリです。
 それに、わたしもだまされた。

 やっちゃんといっしょに行った民族村。歩いて回りたいやっちゃんと、自転車で回りたい私は別行動をとりました。
 テーマパーク民族村は、ミャンマーの代表的な民族の家を園内に建てて、民芸品や衣装などを売っています。1000チャット100円で民族衣装を着て写真をとるサービスも。
 細かく分ければ300にも分けられるというミャンマーの少数民族。村ごとに違うことばを話す、と言われています。北部のコーカン族は中国の雲南省の人々に近いことばを話すし、南部ではタイ語に近いことばを話します。

 家も基本は高床式ですが、民族ごとに微妙に違っています。壁は竹を編んでつくるか、バナナの葉を編むか、屋根はなんで葺くか、など。さて、その家のひとつでロンジーを買いました。モン族伝統模様の木綿生地と、男性ロンジー用のチェック柄。息子へのおみやげです。しかし、家に帰って広げてみると、明らかに幅が足りない。男性用は、輪に縫って、両側から幅寄せして中央でしばる。幅寄せができないくらい、せまい生地でした。がっかりです。値段は市内の店で売っているより高かったから、まさか不良品を売っているとは思わず、確かめずに買ってしまいました。布地をその場で広げずに、ビニール袋のラッピングに入れたまま買ってしまったのです。

 幅を狭くしておけば、同じ値段でも安上がりに売ることができる。民族村など何度もいくところではありませんから、外国人観光客とみると、幅が狭い布地を売ったところで、もどってくることはない。売っているほうにしてみると、だましたつもりはありません。ロンジーを仕立てる場合、幅をどれほどにするかは、客の注文にもよりますから。着付けられないほど狭い幅のものを売ったとしても、仏罰は受けません。

 観光客相手には、これからこういう商売のやり方がたは、これから観光が盛んになるにつれて、どんどん増えて狡猾になっていくことでしょう。これは発展途上国が観光化したときに、どこでも起こったことです。

 これから観光産業が発達するにつれて、ミャンマーにさまざまな問題が発生することは間違いない。それに対して、法整備などはまだまだおいついていません。3月に政権交代が行われるのは確実ですが、その先、しばらくは経済発展、産業開発が最優先されるだろうと思います。観光が産業として整備されるのはその先。
 観光が産業としてきちんとミャンマーの中に位置づけられるまでには、まだまだ日にちがかかると思います。

 みな、うまいこと仏罰にはあたらないようにしながら、じょうずに金儲けをして、せっせとお寺に寄進することでしょう。でもねー、私に不良品売りつけたおばはん、来世は蝿だとおもっているからね~。

<つづく>  
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ミンガラ春庭「悉皆成仏と現世来世その2」

2016-02-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160224
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記(5)悉皆成仏と現世来世その2

 何度でもネタにして、恐縮ですが、うれしかったので、もう一度。
 私が新聞に投稿した短歌、初投稿初入選しました。「汝が性のつたなさを泣け」と、泣いているヤンゴンでの、たったひとつの「よい出来事」なので、何度でも使い回しさせていただきます。日本の産業廃棄物チキンカツの再利用よりは、ずっとマシなネタ再利用。

 その短歌「やはらかき口笛のやうな家守鳴くヤンゴン教員宿舎の夜に」のネタもとのヤモリくん。壁や天井を這っているのは何度も見かけたのですが、カメラを向けるとそそっと姿を隠してしまい、なかなか写真をとることが出来ませんでした。

 1月末に、小さなヤモリが床近くの壁に姿を見せました。とても小さいので、もしかしたら生まれたてだったのかもしれません。色も薄かったし。
 近づくと、「死んだふり」をしているつもりなのか、動かなくなりました。こりゃ都合いいと、写真撮りました。大きさがわかるように、絵葉書をそばに置いてとったのです。絵葉書は9×12cmくらい。でも、絵葉書といっしょの写真がフォルダの中にみつからない。そのうち出てくるとは思うけれど。



 ヤモリは、家守と書くように、日本でも益虫の扱いだろうと思います。ヤンゴンでも、蚊や蝿を退治してくれる益虫なので、ホテルの部屋にもいましたし、教員宿舎の私のへやにも、2匹は住みついていて、恋の鳴き交わしなのか縄張り争いなのか、ピュー、ヒューとよく鳴いていました。

 こうして小さなチビヤモリ君を見ると、あの恋の鳴き声の結果生まれてきた新世代なのか、とも思います。

 新短歌出来マシタ。
・恋を鳴くヤモリとヤモリの恋実り、チビヤモリくんが部屋に現る<春庭

 チビヤモリ君、ヤンゴンのヤモリ、通称「ヤンヤン」中国名「洋洋」と命名。ヤモリとしては名付けられてもうれしくはないだろうが、人からすると、名付けとは個体識別のはじめなり。

 8月9月に、野犬の遠吠え合戦が激しかったのも、12月の出産ブームから見ると、ヨメ獲得の争奪戦遠吠えだったのか。
 ヤンゴンの野犬遠吠え高々と太古の闇のオホカミを呼ぶ<春庭

 洗濯室にはネズミも走る。
 猫いらずしかけられて死んだ鼠には、「汝の性の拙さを泣け」と言ってあげましょう。悉皆成仏。
・洗濯室を縦横無尽に駆け回る鼠よネズミ根のクニへ行け<春庭

 昔つくった動物短歌。
・イナ否と泣く猿のいてキョ虚虚虚と鳴く鳥もいて雨林の滅亡<春庭

 人間の伐採過多で滅亡する熱帯雨林よ、「汝の性の拙さを泣け」、、、、しつこいか。使い回しも3度まで。

 ヤンゴン市郊外にあるテーマパーク「民族村」で飼われていたシカ。


 バガンの仏教遺跡群のなかをもくもくと馬車をひき、働く馬。けなげです。


<つづく>
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ミンガラ春庭「悉皆成仏と現世来世」

2016-02-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160223
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記(4)悉皆成仏と現世来世

 草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という仏教思想は、お釈迦様が直接述べたことばではありません。
 悉皆成仏とは、『涅槃経』に出てくる言葉です。

 釈迦の入滅を叙述した涅槃経。ミャンマー、タイなどに伝わった上座部仏教ではパーリ語で書かれた『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)があります。この中には、悉皆成仏の思想はありません。

 中国に伝わった大乗仏教は、上座部仏教とは教えが異なってきます。5~6世紀ころに成立した『大般涅槃経』になると、如来常住、一切衆生悉有仏性、常楽我浄、一闡提成仏(いっせんだいじょうぶつ)という4つの基本理念が述べられ、ことに一切衆生有仏性は、空海らが日本に伝え、真言宗、天台宗以後の日本仏教の基本的な考え方になりました。

 空海は、中国長春で密教を学んで帰国すると、『吽字義』のなかで、「草木也成。何況有情」として、草木でも成仏する。ゆえに、心のある生きものが成仏しないわけはないという考えを伝えました。
 天台宗の最澄は「木石仏性」と述べて、非情のものにも仏性があると言いました。非情とは、心がないもの、有情(心あるもの)の対語です。

 鎌倉仏教でも、曹洞宗の道元は草木や瓦礫を含めたこの世界一切をまるごと仏性の表れといい、真宗の親鸞は、『唯信鈔文意』に「仏性すなはち如来なり。この如来微塵世界にみちみちてまします。すなはち、一切群生海のこころにみちたまえるなり。草木国土ことごとくみな成仏すととけり」と、書きました。

 このように、日本仏教でいうところの「悉皆成仏、すべてのものに仏性がある」という心象は、多くの場面で現れます。
 春庭は「フランダースの犬論」の中で、西洋社会キリスト教思想との相違について述べたことがありました。教会の奥深くにしまわれていたキリストの絵を見たネロは、雪の中に出ると、愛犬パトラッシュとともに、天使たちに迎えられ、天高くのぼっていきます。おそらく、天国へ行ったのです。

 この「フランダースの犬最終回」場面は、「何度見ても泣けるシーン」として、ファンの心をつかんでいます。ところが、キリスト教の神学では、霊性有する人間が、霊を持たない犬といっしょに天使に迎えられるなどということは、あってはならないことで、自分に似せて人間を創造した神に対する不敬です。神が人に与えた霊性を侮辱することになるのです。
 しかし、日本的感性では、ネロとパトラッシュは、死んでもいっしょ、ともに空へのぼっていくのでなければ、泣けない。犬は、大切な心の友です。

 大乗仏教のとくに日本で発達した悉皆成仏思想。
 上座部仏教のミャンマーでは、犬もハエも草も仏性があるなんて、誰も考えていません。でも、ヤンゴン市内、どこにでも犬がいる。

 ヤンゴンの犬。なぜゆえこれほどの盛大繁殖?
 12月に着任したころ、犬のお産シーズンで、どこに行っても、わらわらと犬の子があふれていました。一匹の雌犬は、10匹くらいの子犬を産んでいます。

 道ばたに、道の真ん中にも犬は当然の顔して寝そべっています。


 12月は、母親のお乳を求めてキャンキャン泣いていた子犬たち、1月になると、残飯獲得競争に乗りだします。見ていると、どんどんやせてくる子犬がいます。おそらく、生まれたときのなんらかの差で、兄弟たちに比べると発達が悪く、残飯にありつく率が低いのだろうと思います。

 人々の日常に、野犬に残飯を与えることが浸透しています。道ばたの露店食堂周辺、大学カンティーン周辺、ホテル周辺、私の宿舎、宿舎のとなりのMICTパーク。およそ残飯が出るところには、どこにでも野犬がいます。

 親犬たちは、人間に近づいてもいいことはないのを知っているから、あまり近づいてこないのでいいのですが、子犬たちは、人間をまだよく理解していないので、歩いていると近づいてきます。子犬のうちはかわいのですが、なでたりは禁物。狂犬病の予防注射をしていないからです。万が一にでも、狂犬病の持ち主に噛まれたら一大事。子犬といえども、どれがキャリアかわからない。
 狂犬病は発症後死亡率が高い病気ですが、一番の予防策は、予防注射よりも、やたらに動物に近づかないこと。
 ああ、それなのに、子犬はどんどんこちらに近づこうとします。

 かわいいなあと思いますが、子犬が近づいてきたら逃げます。


 なぜ、人々は食堂の残飯でも、家の食べ残しでも犬に与えるか。そうすると、生き物を愛護した功徳で、来世のステージが、今よりよくなるからです。池の鯉、小鳥などでも同じ。とくに、寺の周辺では、籠の鳥を一羽100チャット出して何羽か買い、空へ離してやると、放生の功徳を積んだことになるので、みな小鳥を空に放っています。(それをまた捕まえてきて籠に入れるのは、子供達のこづかい稼ぎ)

 生き物を殺すなんぞは、殺生戒を犯すことになり、せっかく積んできた功徳が消えてしまいます。蚊も鼠も、自分で殺したりはしません。では、ハエや蚊はどうするか。蚊がぶ~んと飛んできたとき、手でバチンと打ってたたけば、殺生です。しかし、虫取りエアゾールを部屋に噴霧したとき、直接蚊を殺したことにはなりません。エアゾールの空気の中に自由に飛んできた蚊が悪いのです。エアゾールの中に飛んできた蚊は、前世でよほど悪いことをしたので蚊に生まれてきて、今また仏罰を受けて、エアゾール噴霧の中に入ってしまったのです。ゆえに、これは人間自身の殺生ではなく、ホトケが決めた蚊の運命です。なんて都合良い仏罰でしょう。

 「だから、おまえも、しっかり勉強していい給料がもらえる人になれば、お寺にたくさん寄進ができるよ、まちがっても、来世に蚊や蝿に生まれ変わったりしないように」と、さとされて、学生達、みな一生懸命勉強します。せっかく大学生というよい身分に生まれてきたのに、来世がハエじゃ、がっかりです。

 私が「来世、ゴキブリでもサルでもなんでもよろしい」と思っていられるのも、悉皆成仏、ハエだって雑草だって成仏する、と思っていられるからかもしれません。

 「来世、よりステージの高い人間に生まれ変われますように」と、現世でせっせとお寺に寄付をする生活と、「まあ、ハエに生まれ変わっても、成仏するだろうよ」と、食堂のテーブルに鉢を持って回ってくる小坊主の鉢に100チャットの小銭もいれてやらない生活、どちらも「どう生きるのが幸福か」という深遠なる哲学を含んでいるのであり、、、、って、私がケチなだけじゃん。100チャット札、200チャット札はバスの乗り賃のために溜めているのよね。むろん、1000チャット5000チャット札だって寄進しないけど。

 私は、生ゴミを宿舎のバケツに捨てます。バケツを掃除する人、どうやら、私が入れた焼き魚やフライドチキンの骨なんぞは、野犬に与えているらしい。これって、間接的動物愛護の功徳?いや、クドク積まれていないだろうなあ。せめて、蚊はバチンと手でたたかずに、蚊取り線香を焚くだけにします。自由に飛べるのに、蚊取り線香の煙の中に入ってきたのは、蚊の運命であって、私の殺生じゃありませぬ。
 わが線香の煙の中に入り込んでしまった蚊よ、オノレの運命のつたなさを泣け。ほら、芭蕉さんも、野ざらし紀行に登場する捨て子に「ただこれ天にして、汝が性(さが)の拙さを泣け」と言ってますし。

 わたしもねぇ、停電断水の町で、野犬におびえる生活をしている自分の運命を泣きつつ、蚊取り線香に火をつけますから、、、、ただこれ天にして、汝が性の拙さを泣いております、、、、わったっしは、泣いていますベッドの上で。byりりぃ。思い出す歌がいちいち古い、、、って、古いバーサンですから。

ヤンゴンの蝿蚊蚯蚓に霊あらず、悉皆成仏せぬがかなしきby春庭

<つづく>
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ミンガラ春庭「職人仕事と現世来世」

2016-02-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160221
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記(3)職人仕事と前世来世

 当地では、米を作る、漆塗りの器を作るなど、物を作る労働はそれなりに価値があると見なされるけれど、維持保守点検の仕事は、何も生み出さないゆえ、尊敬の対象になっていないようなのです。

 清掃は生み出すものがなく価値が低いゆえ、身分の高い人は決して掃除などしない。私も、オフィス内をほうきで掃くときなど、学生に見られないように、ということを教わりました。大学の先生は身分が高いはずなのに、掃除なんぞやっているようじゃ、あまりたいした人物ではない、とみなされるから。

 ビルのメンテナンス、これも物を生み出さないので、仕事のうちに入らない。たいていの古いビルの外壁は、雨期の間にカビが生え、黒く汚れています。外壁の壁がきれいなのは築1,2年の間だけで、たいていは汚れるに任されています。きれいなのは、ビル管理会社などが管理している日本や韓国系企業ビルだけ。

 職人仕事というのも、日本と感覚が違うように思います。
 布地を買ってロンジーに仕立ててもらったときのこと。ある先生に紹介してもらったミシン屋に絹の仕立てを頼みました。インドネシアから輸入のバティック柄、1着分8000チャット800円と、タイからの輸入シルク1着分50000チャット5千円。当地にしてみれば、シルクは高い買い物です。

 絹だから、ちゃんとした仕立てにしたかったのですが、できあがったのを見ると、腰紐は、絹に化繊を継ぎ足し、しかも思いっきり違う色と柄が継ぎ足されています。ロンジーの上にブラウスを着て、腰紐は見えなくなるのだから、何色でもいい、という感覚。
 縫い目は、日本ならミシン習い始めの中学生でもこんな曲がりくねった縫い方だと、家庭科不可になる、と思うような、くねくねした縫い目。
 がっかりでした。

ミシンを持っている、ということが重要なのであって、「まっすぐな縫い目が作れる」ということは仕立屋の技術の内に入っていない。ミシンを借りて、自分で縫ったほうがマシでした。お裁縫不得意だったけれど、少なくとも私はミシンでまっすぐ縫える。

 左官屋もしかり。宿舎に引っ越すまで泊まっていたホテルでもそうでしたが、私の宿舎でも、水が排水溝に流れるように作られていない。シャワーを使うたびに、シャワーコーナーから水が外にあふれます。

 宿舎の木製の机、安食堂の木製テーブル、ほとんどは足の長さがそろっていないので、何か足の下に詰め込まないとガタピシします。
 ドア枠とドアの形が揃っていないので、すき間が大きく、蚊は遠慮なしに入ってきます。ドアを作る人の考え方では「ドア枠にパッキンをはれば、ドアとのすき間がなくなる」
 はい、パッキン張りました。

 これらも、清掃が功徳に入らないのと同じこと。職人仕事をきちんと仕上げる、というのは、ホトケの功徳のうちには入っていないから、命じられたことを形だけ仕上げればOKなのです。

 現代の日本で、宮大工の技術と誇りはたいしたものだと、感心していますが、宮大工だけでなく、どの仕事であれ、みな、仕事を得たら、懸命にその仕事をまっとうしたいと考える。たとえば、ビルの窓ふき。ビルの窓清掃で「拭き残し」なんぞしたら、仕事を完了したことになりません。レストランで汚れが残っているようなコップを客に出したら、その客は二度と来ません。
 
 アジア出身の新聞奨学生を受け入れた日本のある新聞販売代理店の店主「最初のうち、彼らは、100軒の受け持ち配達区域を回って、95軒配れば、すごい出来だと思っているから、5軒のミスを指摘されても、悪いとも思わない。100軒配達を任されたら、100軒全部に配ばらなければならないのだ、一軒でも配達ミスがあったら、再配達し、どんな罵声を浴びせられようと、おわびのことばをいうのだ、ということを身に染みさせるのに、苦労した」と。

 ヤンゴンで日系企業への人材紹介を行っている会社の経営者に、話を聞く機会を得ました。
 「日本語検定試験1級や2級をとった、という一見優秀な人材を派遣したとしても、語学達者なだけで使い物にならない人が多い。指示待ち命令待ち以外の動き方をしたことがないので、「仕事を現場で覚えていき、日本のビジネスのやり方を身につけていく」ということができない。同じくらいの優秀さなら、ミャンマー語できない日本人学生でも働いているうちに、ビジネスのやり方を身につけて、自分で判断して動けるようになるけれど、当地の社員は、命令されたことをこなす以上のことを覚えようとしない。結局、使う方も、命じたことだけやらせることになり、仕事の能力が上がらないから給料もあがらない、他の日本人社員が仕事を覚えて給与も上がっていくのを知ると、日本人だけ優遇すると思って不満をもち、他社への転職をしていくけれど、他社に職を得たとしても、また同じこと」

 この話を聞いて、学生の優秀さに問題があるのでない、と思いました。幼い頃から暗記だけが優秀さを決める基準で、自分で考えようとしても点数にならないような教育を受けてきていれば、「自分で判断して行動する」なんてことは論外になります。

 これから、この国の「働き方」が変わっていくでしょうか。「自分で考え、判断する」という教育が導入されるまでに20年、その教育によって人が育つまでに20年、実際に社会を動かせるようになるまでに20年。

 この国の発展を見たいと思っているのですが、現状では海外企業の餌食にされるだけのような気がします。
 中国の経済解放改革で、「一部の政権トップや軍幹部だけが最初の利権を独占し、大多数の人々は貧しいままに捨て置かれて、貧富の差が拡大した」ようなことにならないように、願っています。

 アウンサンスーチーさんは賢い人であり、信念の強い人ですが、彼女ひとりのカリスマ性でなんとかできたのは、2015年11月の選挙まで。3月の政権交代からが、正念場です。

 どうか、3月以後、民主化の成果があがりますように。町がきれいになりますように。学生が自分で考える頭を持ちますように。

<つづく>
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ミンガラ春庭「市内美化と現世来世」

2016-02-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160220
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記2月(2)市内美化と現世来世

 いつも通勤バスが通るインセイン通りに、イスラム教の礼拝堂があります。ビルのなかにあるので、これも「モスク」と言ってよいのかどうか知らないのですが、たぶん、これもモスク。ヒンズー寺院もモスクの近くのビルの中。ビルの前にはお供えの果物籠と花が並んでいます。そして、ハトの餌売りバーサンがいつも座っていて、お参りに来た人は、エサをやるのがたぶん、功徳になるのだろうけれど、いつもハトが群がっています。大学近くになると「觀音廟」と漢字で書かれた門があります。中に入ったことないのですあ、たぶん、中華系の人のための仏教寺院と思います。

 そして、町ごとに上座仏教の仏塔があります。どんな貧民街でも、ちゃんとお寺があるのです。どんな貧民でも、一生懸命働いて金箔を買い求め、仏塔や仏像に金箔を貼ることが大きな功徳になるので、たいていの仏塔がキンピカです。一番御利益も多そうなシェタゴンパゴダなどは、何世紀にもわたって金箔が貼られてきて、一説には金の重さは数万トンとか。むろん、削り取ってやろうなんていうのは仏罰必定。来世はゴキブリです。
 現在、ゴールデンロックとして知られている名所、チャイティヨーパヤーの金箔は張り替え修理中。この落ちそうで落ちない岩、金箔を貼ると御利益絶大なのですが、女性は金箔を貼ることが出来ない。男性に頼んで、代わりに貼ってもらうことしかできないので、御利益は薄め。

 ミャンマーの人々の生き方にとって、一番大事なことは、現世で善行を積み重ね、ホトケの功徳によって来世によりよいステージに生まれ変わることです。
 高徳の僧侶に生まれ変わるのが一番望ましく、僧になってさらに徳をつめば、来世では輪廻転生から解脱してお釈迦様のおわす極楽でずっと安穏に過ごせるのですから、スゴロクでいうところの「あがり」です。それまでには何世にもわたって輪廻転生を繰り返す。功徳を積んでおかないと、来世に孤児や身体障害となるかもしれず、そうなるとスゴロクなら「振り出しにもどる」みたいなことになってしまいます。もっとこわいのは、仏罰を受けて人間に生まれ変われないこと。来世、ハエや蚊になってしまったら、もう、あがりの目はありません。

 上座仏教徒にとって善行を積むことが最優先なので、ひったくり、スリなどの犯罪は街中ではほとんど起こりません。たまにそんな事件が起こると、仏教徒は「あれは、イスラム教徒かヒンズー教徒が起こした事件だろう」なんて噂するので、宗教同士の軋轢も生じますが、たいていは、日常生活ではどの宗教の人もおだやかに平和に暮らしたいと願っているのです。

 僧侶の托鉢の列を待ち、僧の持つ鉢に毎日ごはんを入れること、誕生日やよいことがあったら、必ずお寺に寄進をすること、誕生日じゃなくても、よいことなくても、お寺に寄進すること、これが一番の功徳です。

 そのかわり、功徳にならないことは、めったに人々は行いません。
たとえば、「町の中に、ごみをポイ捨てしないこと」なんていうのは、功徳のうちに入っていませんから、みな、遠慮なく道ばたにゴミを捨て、町の中の川は、ビニール袋に入ったゴミが投げ捨てられています。道沿いの溝は、全体ゴミ捨て場で、いつでもにおいがあり、どんより汚れた水がけだるそうに流れています。ときに流れず、よどんだり、あふれたり。たまにどぶさらいをする人もいますが、さらったドロは溝のとなりに積んでおくだけなので、雨でふったら元どおり。

 昨年2015年12月12日(だったと思う)に、ヤンゴン大学構内を清掃している学生を見かけました。おや、めずらしい、学生が清掃作業など行うってのは、めったにあることじゃありません。新聞に載せるのか、腕に腕章を巻いた人が写真を撮っている人もいるので、報道に値することなのでしょう。

 学生に「誰かに清掃を命じられたのですか」とたずねてみました。当地で、だれかに命じられないことを、自発的にやるなんてことは考えられませんから。学生のこたえは、「いえ、学生達が自発的にやっているのです」というのです。へえ、めずらしいことがあるもんだ、やっぱりNLD国民民主連盟が政権とると人々の意識も変わるのかなと、一瞬思いました。

 しかし、学生が清掃作業をしたのを見たのは、その12月12日一回だけでした。学生は「自発的にやっている」と言っていましたが、清掃に参加するしないは確かに学生の自発的な意志によってでしょうが、清掃運動のもとは、やはりアウンサンスーチーさんの一言でした。女史が「町の美化運動」を提唱したのだそうです。

 新聞に報道されるようなときには清掃活動に参加した学生も、NLDの美化キャンペーンが終われば、掃除なんぞいっさいしません。そもそも、学生というのは「清掃作業をするような身分じゃない」と、学生も学生の親も思っているからです。
 大学構内に清掃作業員はいるけれど、学生から見たらその人々は「前世の行いがあまり良くなかったから、現世で清掃という仕事をしている。自分は前世の行いがよかったから、現世で大学生という高い身分を獲得している」と考えているのです。

 お寺にも清掃作業をする下働きはいるけれど、僧侶は清掃作業などいっさいしません。清掃は、徳の高くない人がやること。その点、掃除も料理も修業のうちに入る日本の寺とは大きく違います。
 どちらかというと、ヒンズー教のカースト制度に近い感じを受けます。
 アウンサンスーチーさんが号令したからと、町の美化運動に参加した人たち。その後、自発的に清掃を行っているかというと、皆無です。

 この町を美化するのに、ひとつよい方法があります。
 仏教のトップ高僧が「町の中をきれいにすることは、仏への功徳のひとつであり、ゴミをひとつ拾って片づければ、来世のステージがひとつよくなる」と、発表することです。金箔をお寺に納めるだけが功徳じゃない、町をきれいにしても功徳が積める、と知れば、この町はきっと仏塔以上にぴかぴかになる。

<つづく>
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ミンガラ春庭「福祉と現世来世」

2016-02-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160218
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン暮らし2月(1)福祉と現世来世

 ミャンマー、人々は寺に寄進をすれば来世がよくなるので、せっせとお寺に寄付をします。毎朝の托鉢にごはんやおかずを鉢僧の鉢の中にいれてさしあげます。誕生日など節目節目には、まとまったお金を寺に寄進します。生まれてきて今の生活があるのは仏のおかげなので、誕生日には感謝をこめてお寺に寄進するのです。(周囲の人々にも、誕生日の人は感謝をこめてプレゼントを贈る。誕生日の人が皆からプレゼントを受け取るのではありません)

 どんなに困っても、とりあえず寺にかけこめば、寺の下働きなどで生きていける。孤児などもしかり。しかし、下働きもできない場合、町角に座ってものごいをする。町の人々はけっこう乞食の鉢にも100チャット10円、200チャット20円のおさつを入れています。(当地にコインなし)
 足がない人など、身体が不自由な人が多い。

 人々は小銭をものごいの鉢に入れてあげているけれど、決して彼らに同情はしないし、政府が福祉政策でかれらを救うべきだ、とも考えていません。どんな知識人教養人でも、「かれらが現世で身体が不自由になり乞食ををしているのは、前世の行いが悪かったからだ」と、見なしているからです。現世での自分の立場は、前世での行いの可否により、現世の行いが来世のステージを決める、この考え方は、日本の人が「太陽は東から昇り西に沈む」や「昼は太陽が照らし、夜は月が照らす」と考えているのと同じくらい、絶対確実の思想です。

 前世があっての現世の生活であり、現世の行いが来世を決める、という考えがあまりにも浸透しているため、「現世で乞食なっているのは、前世の行いによる」というのを、だれも疑ったりしません。乞食に小銭をあげるのは、かれらに同情してではなく「自分の来世が少しでもよくなるために、現世でよいことをしておく」というためにするのです。乞食にあげるよりも、お寺にあげるほうがずっと来世には「効き目」があるのですが。

 お寺は日常の托鉢のほか、さまざまな寄進を受けるので、どんな場末の寺でも、けっこうな金持ちです。高僧になると、ベンツでもキャデラックでも持っているといいます。
 で、その高僧は、寺で働く下働きの人に対して「おまえらは、前世での行いが悪かったから今下働きをしているのであって、私は前世の行いがホトケのめがねにかなったから、今こうしてエライ坊さまになったのだ」と、見なしていて、自分の徳を彼らに分けてやろうなどとはつゆほども考えません。せっせとパーリ語のお経を読むことが自分のやるべきことであって、下働きの人に親切にすることは、高僧のやるべきことじゃないからです。

 寺が、寄進された財産財物を世のため人のために使うとしたら、たとえば寺子屋の開設です。ミャンマーは世界でもGNPの低い国のひとつですが、国民の識字率は世界の発展途上国の中では抜群に高い。これは、お寺が開いている無料の寺子屋で、貧乏な人でも文字をまなぶことができるからです。サイカー(自転車タクシー)の運転手でも、タバコ1本5円で売る場末の露店商でも、熱心に新聞を読んでいます。

 また、孤児を寺の下働きとして受け入れるので、孤児が路頭に迷うことはめったにありません。そのかわり、孤児に対してお坊さん達は「この子らは親を失ったかわいそうな子供だ」なんぞと思ったりせず、「おまえらが孤児になったのは、前世の行いが悪かったから」と、こき使うのです。まあ、それでも孤児が飢えることはない。

 年をとって病気になり、働けなくなっても、「ああ、私は前世の行いが悪かったために今病気になり、こうしてひとりで死んでいくのだ」と考えて、少しでもお寺に寄付をして、来世がよくなるように願うのです。

 したがって、この国の福祉政策というのは、政権が変わっても、当分は寺任せが続くのではないかと思います。
 私からみると納得できない考え方なのですが、当地の人にとっては、「前世来世の因果応報」が絶対の真実。私が「太陽は東からのぼる」というのを疑うことなく受け入れているのと同じことで、「いや、南半球では、1月2月が夏で7月8月が冬だ。それは南半球では太陽は西からのぼるからだよ」と聞かされても、信じないのと同じです。(子供のころ、大学生だった叔父にこう言い聞かされてすっかりだまされ、南半球では西から太陽が昇ると信じていたんですけれど、今はね)

 当地で「前世も来世もない」と言っても、だれも信じないでしょう。宇宙研究者でも、遺伝子研究者でも。

 ある調査によると、日本の若い世代で、輪廻転生を信じている人、4割いるそうです。そういう若者には「オメーラ、来世でハエに生まれ変わらないように、現世でせっせと善行をつみなさいよ」と、言ってあげましょう。
 私は、来世がハエでもよい。私は輪廻転生というのは、遺伝子の継続のことだと思っています。私の前世はネアンデルタール人であってもよいし、来世が乞食であってもいい。でもね、私、現世ではけっこう善行つんでいるんじゃないかしら。主観的には、だけど。あ、当地のお寺に寄進をしたのは、ダラの孤児学校を経営しているお寺に1万チャット千円を寄付したときだけだから、まだ善行たりないか。
 
 さて、日本の現世の福祉政策です。 
 介護保険適用、見直しが始まりましたね。私が介護を受けるころには、保険認定を受けても、「あんたは、口ばっかり達者だけれど、とにかく口は達者なのだから、歩けなくても手が使えなくても、耳が遠くなってほとんど聞こえないといっても、介護保険の適用はありません」とか言われそうです。でも、みながそういう政府がよいと思っているなら、この国はそうなっていくのでしょう。まあ、私の場合、文句と愚痴の口はいつまで達者なのか、と思っていますけど、今でも耳はそうとう遠くなっています。1万ヘルツの音は聞こえません。

 京都では、40代の姉弟が相次いで家の中でなくなっていたのが発見された、というニュースをネットで見ました。死因が確認できないほどの遺体の状態であったとか。

 わが娘、30代になったのだけれど、身体が丈夫ではありません。息子もアラサーになったけれど、まだ自立には至らず、ふたりの10年後20年後を思うと、京都の姉弟の不幸がひとごととは思えません。
 京都の姉弟が福祉窓口に相談したとき、福祉の職員は「みなりもきちんとしていて、生活に困窮しているとは思えなかった」という理由で手をさしのべず、「仕事をさがせ」と言っただけで見放したのだそうです。悲しい国だなあ。

 将来の娘息子へのアドバイスとしては、「福祉窓口に行くときはできるだけみすぼらしい服装でいくように」ということになるのでしょうか。
 娘が今の私の服装をみたら「ハハなら、今のそのかっこうで、じゅうぶんにみすぼらしいからOKだね」と、言うでしょう。はい、おっしゃるとおり、インセイン通りの服屋で3900チャット390円で買った中国製のパジャマズボンのようなのを履いてバス通勤しています。

 授業中はロンジーという当地の伝統的な腰巻きスタイルに着替えるので、行き帰りの衣装コンセプトは、バス通勤に楽、ということだけ。にしても、日本なら福祉窓口で十分に同情をかえそうな身なりです。準備万端です。なにしろ、内閣支持率が50%越えた、というニュースをみましたから、今から準備おこたりなしに超したことはない。 

 中古車というより、日本で廃車になったのが輸入されているバス。バス停4つ分(4kmくらい)乗って200チャット20円です。ものすごいキッタネーおんぼろのバスですが、乗っている人たちのロンジースタイルは、シャンとしたのもあり、よれよれもあり。よれよれ度では、わたしも負けていない。

 町のロンジー屋。年にカンケーなく、みな鮮やかな色合いを好みます。

 
 HALのお寺参りスタイル。授業の時と寺参りはロンジーで。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の友人合格」

2016-02-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160217
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(7)2003年の友人合格

 2003三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/26 水 晴れ
日常茶飯事典>合格のしらせ

 午前中Aダンス。午後、歯医者。

 ゆりちゃんからのメール。早稲田に合格。娘はさっそくお祝いの電話をかける。
 仲良し四人組のうち、光ちゃんは去年慶応に現役合格して、今年はゆりちゃんが早稲田合格。あとはあいちゃんが合格できれば、みんなでお祝いにいっしょにお出かけするという。あいちゃんの朗報をきけるといいが。

 あいちゃんは、家にいるとついつい、試験の結果を気にして、親子げんかになってしまうというので、夕べも家へ来て、夜までずっとヒメといっしょに過ごした。

 昨日、図書館から帰ると、あいちゃんが来ていた。いっしょに夕ご飯を食べ、ゲームをして、夜9時に帰る。
 入試発表を待つ間、母一人娘一人の家にいると、暗くなる、というあいちゃんの気持ちもわかる。お母さんは娘が1年間予備校でがんばったことはわかっていても、つい愚痴を言いたくなる。今年合格できなくとも2浪はさせられない。いったい全部落ちたらどうするのか、という不安と愚痴を娘にぶつけるしかない。あいちゃんも不安。滑り止めに受けたところを落ちてしまったので、あとがない。で、うちでささやかな夕食を食べ、ゲームをして、少しは気づまりでない時間をもてたのならよかった。

 あいちゃんがいるとは知らずに図書館から帰ってきて、あいちゃんが「いっしょに食べていく」と言い出すとも思わないで夕食の準備にかかったので、何のごちそうもない。いつもの夕食。メニューは、じゃがいもポタージュ、大根と三枚肉の角煮、ツナともやしのサラダ、白菜のつけもの(スーパーのビニール袋入りのもの)。デザートは買い置きの杏仁豆腐。お客さんが来ているのだから、もう一品ふやそうかということもせず、まったくいつものままの一汁二菜。

 それでもジャガイモを裏ごしして生クリームを入れて作ったポタージュは、ちょっと気取ってレストラン風にスープボールをお皿にのせて出す。「気取っても、どうせ中味は知れているんだから。第一、ポタージュと角煮っていう献立がミスマッチで、うちらしい」とヒメは笑う。しかし、ヒメは「うん、おいしい」とポタージュも角煮もおかわりをして、あいちゃんの2倍の量を食べる。

 あいちゃんの体も細いが、あいちゃんのお母さんもやせている。150㎝の私より小柄な身長だが、ときどき40キロを切ってしまうのだという。わぉ、40キロだなんて、私は小学校のときの体重だ。高校入学から大学卒業までは、ずっと43キロだった。今は、、、。やせねば。

本日のねたみ:体重40キロの人

2003/02/27 木 晴れ
日常茶飯事典>ぐうたら母と勉強しない中学生

 今朝、早起きしたわけでもないのに、おひるごろ眠くなって12時から3時まで昼寝をしてしまった。どうも気がぬけた春休みでいかんね。『日本語教授法』のテキスト書きをやってしまおうと思っているのに、はかどらない。部屋の片づけ、本の整理なども山のようにあるのに。

 学校から帰った息子に「期末試験の勉強を1時間してからでなければ、ゲームは禁止。ゲームやりたければ、なんでもいいから期末試験の勉強をせよ」と申し渡すと、ふてくされて寝てしまった。
 まったく、どうしてそれほど勉強したくないのか、反抗期なのかと、息子の気持ちはわからない。

 村長ホームページ掲示板を見ると、なんだかんだ言いながらも、皆期末勉強に取り組み始めたようすで「血の日曜日って何」とか、期末関係質問に答え合う書き込みもある。息子だけ「まったく勉強する気のない中学生」なんだろうか。

 高校になったら、赤点とったら進級できない。下級生といっしょにもう1年やりなおすくらいなら、退学を選びそうな息子。
 どうするんだ、と今からもきしても始まらないのだが。母親というのはこんなふうに、しなくてもいい心配をあれこれ作っては嘆く存在なのだろう。
 
本日のねたみ:よその子はちゃんと勉強してる


2003/02/28 金 晴れ 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ロードオブザりング2』

 『ロードオブザリング2』を見に行く。サンシャインシネマ。22日夜のテレビ『世界不思議発見』でニュージーランドロケなどのメイキングを見たので、特撮シーンの作り方はわかっていたが、やはりすごいもんだなあ、と画面を見る。そのかわり、人間描写は『旅の仲間』に比べて希薄。サムが精神的に成長したなあ、というのがみどころか?

 一番わかりやすいのはゴクリ。「いいスメアゴル」が出ているときの卑屈で臆病な顔、ゴクリのときの邪悪で卑怯な顔、それを交互に出しながらフロドに従うか裏切るか一人問答をする。
 たいていに人はだれでも「善人悪人」両方を身内に養っているから、この、弱っちいくせにこすずるいゴクリに「自分は一番似ている」と思わざるをえない。
 灰色から白になってよみがえったガンダルフにも、ハンサムで強くて運もあるアラルゴンも、自分とは遠いキャラクターで、ゴクリが一番身近とはね。

 たぶん、ブッシュジュニアは「絶対に自分はアラルゴンだ」と言い張るようなキャラなんだろうなあ。そして「サルマン=フセインをやっつけるのは全人類を救う使命だ」と思っているのかも。

 おなかがすいたので、回転寿司で食べて帰る。娘と息子は、「お母さんだけ寿司食べて、ずるい。今日の夕食はピザをとる」と言うので、「弟くんが勉強したらピザをとる」という情けない交換条件を出した。
 ピザハットの1000円割引チケットを使ってバーベキューチキンLサイズを頼む。息子、15分間歴史の教科書を読んだ。勉強時間持続、15分!

 私は親から「子供が勉強するのなんか当然のことなんだから、どんないい成績をとったからって、ご褒美など出す筋合いはない」と、毎度いわれながらも、ただただ、お母さんの喜ぶ顔を見たいから、100点のテスト学年最高点のテストを持ち帰ったのに。
 普段はまったく予習も復習もしなかったが、試験前1週間は集中して一日4,5時間は勉強した。当時は試験前にそれくらい勉強するのは当然とされていた。

 ピザと引き替えに「期末試験勉強をしろ」と強制するのも情けないし、たった15分歴史の教科書を眺めて「勉強終了!」という息子も、ああナサケなし。

本日のひがみ:スメアゴルがおともだち


<おわり>
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20160217
 娘は、自己推薦でストレート合格して大学1年生。一浪した親友達の入試合否に一喜一憂していた時期でした。ひとりは念願の私立大に合格し、体育健康管理について学ぶことになりました。
 2015年にばったりスーパーであったゆりちゃんママの話では、役所の体育教育行政の仕事をしているとか。もう一人のあいちゃんは、結局本命も滑り止めも落ち、親が許さないというので、親元を出て二浪することに。娘は自分の奨学金をそっくりあいちゃんに「自立してアパートを借りる資金」として貸しました。私は、金銭の貸し借りは友情を失うよと、アドバイスましたが、娘は「友達のために何かしたい」と思い詰めていて、聞く耳もたず。あいちゃんとは、結局、音信不通になっています。

 私は、相変わらずの貧乏ヒマなし生活。夫は相変わらず貧乏自己チュー生活。ほんと、12年たってみても、ショーモナイ一家のショーモナイ日常でした。
 それでも、ショーモナイなりに生きて居るのですから、生きてるだけで丸儲け。55歳で死んでしまった母の分も54歳で死んでしまった姉の分も、100歳まで生きると行っていたのに90歳で死んでしまった姑の分も、私は全部引き受けて、120歳まで人間ウォッチングを続けます。

 これにて2003年三色七味日記の再録はおひらきです。

<おわり> 
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ぽかぽか春庭「2003年の歌の練習」

2016-02-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160216
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(4)2003年の歌の練習

 2003三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/24 月 雨のち雪
日常茶飯事典>期末試験勉強は「歌の練習」

 息子、遅刻すれすれに登校。帰ってくるまで「学校でどうしているやら」と心配だったが、帰宅するや、たちまち「少しは期末試験の勉強をしなさいよ。」と言いたくなる。すると「明日音楽の試験があるから、歌の練習をする」という。

 2曲課題曲が出されていて、音楽室で二人一組でメロディパートとコーラスパートを歌う。出席番号5番のイックンが6番の息子のパートナー。
 「イックンがせっかくメールで曲名を知らせてくれたのに、歌えなかったら迷惑かけることになるんじゃないの」「いや、パートナーが歌えなくても、自分のパートをひとりでどんどん歌っていいことになっているから、いいんだ」と言う。

 で、歌の練習をするから、ほかの勉強はできないといいつつ、歌の練習もせず、村長に借りてきたゲームソフトを娘といっしょにやって、テレビを見て終わり。

本日のうらみ:独唱体制の男声二重唱

 
2003/02/25 火 晴れ
アンドロメダM31接続詞>2典

 午後、図書館へ行き、『月刊言語』など1階ソファで読む。

 午前中『2典』をチェックした。『言語』にも2チャンネル用語の紹介欄があった。
 村長ページの掲示板などに頻出する2チャンネル用語の意味を、私がとりちがえて受け取っていないかの確認のために「2チャン用語解説ページ」を見たんだけど、娘や息子に見つかると「そんなものまでチェックしてお暇だね」と言われそう。

 そこで「日本語の専門家として、常に流行語新出語死語造語を調べるのも仕事のうちなんである」と言い訳を用意しておいたのだが、『言語』でも言及されているってことは、「うん、私が2典を読んだのも、ただの暇つぶしじゃないって、言っていいのね」って気になってしまう。

 そうそう、権威のお墨付きに弱いのである。自分一人でやっていると思うと、こそこそ人に見られはせぬかと用心し、権威もやっているとなれば、「ほうら、私の言語感覚は、まちがっていないじゃない」ってなもんである。

 実際2典の造語感覚は、なかなか面白く、新方言の発信地として、若者言葉研究者やら方言研究家も常時観察すべき言語世界と思う。この新言語世界が、一ネットヒッキーの発信からはじまったというのが、ますますネット社会っぽくてよろしい。お役所でもなく、大学アカデミズムでもなく、ただ、ネット好きだったひとつのパソコンから、「新語造語発信地」「言いたい放題掲示板」の言語空間が広がる。

 ただし、掲示板に書かれている内容は、ずし~んと重たい不満分子の不満のはけ口、才能なく平凡な人生を送るしかない欲求不満士のための不平ごみ箱という内容が多い。
 人の悪口を言い合うための井戸端会議という機能以外に、何かを発信できるようにするのが、巨大化した量を質に変えていく方向じゃないかと思うが、元締めのヒロユキは、これだけのアクセスに対して、これからの方向をどうしようとしているのか。
 私がのぞいたのは、言語学板や社会学フェミ板くらいなものだが、上野千鶴子の悪口スレやら日本語教育学会悪口スレやら。我が指導教官の名は「女房は優秀だが、ダンナはユルイ」なんて書き込まれているし。

 まあ、ここでやり玉に挙がるのは有名税と思って「放置プレイ」なんだろうか。中には小谷野もてないサンのように、自分の悪口が書かれているサイト全部に「削除要請」を出してバカにされる結果にもなるから、ほっておくのが一番なんだろう。世間に名をさらすからには、さらされるのは覚悟の上。

 それにしても、「おとた刑」というのが「四肢切断の刑罰」の符号というのは行き過ぎではないかと感じてしまう、私の言語感覚が古いのか。ギャグというより、7億円も印税稼いだ身障者に対する、才能なき健常者のいやがらせにしか見えない。「乙武君のさわやか笑顔が、本当に苦しんでいる障害者の悲惨さを隠してしまう」という阿子さんの批判なら、心して聞くことができるけど、「おとた刑」では気分悪いだけ。

 平日の図書館の閲覧ソファにいると、強烈な臭いに呼吸困難になるため、長居はできなかった。ホームレスらしきおっさん方がソファで、本を抱えて気持ちよさそうに居眠りしているからである。本を持っていないと、係りの人に「ここで眠らないでください」と言われてしまう。本を持っていれば「寝ないでください」と言われたときに、パチッと目を開け「なんだよ、読んでいるんだよう」と言える。

 中に、本当に熱心に読んでいる人がいる。何をそんなに熱心に読んでいるのかと思ったら、電話帳。イェローページだったので、びっくり。ちゃんとページをめくって、文字列数字列を目で追っているのだ。何か仕事に必要で、本当に電話番号を探しているおっさんだったのか。
 芥川の『河童』のラストに出てくる、電話帳を読みながら朗々と文を朗読するシーンを思い出してしまい、もしかして、電話番号を読みながら、あのおっさんの頭の中にはすごい哲学問答なんかが展開しているのかもしれないと、真剣にページを繰るおっさんを見つめてしまった。

本日のそねみ:電話帳を熱心に読める読書術

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20160216
 ヤンゴンでの仕事も、残り1ヶ月半になり、前期終了のめども立ってきました。ああ、これまで年末年始もなく、週末土日は家で授業資料(パワーポイントスライド)を作るという生活をしてきて、どこにも旅行もしたことなく、映画も見ずコンサーともなく、仕事ひとすじの生活でしたから、後半はゆったり楽しく過ごしたいと思っています。

 2月は女子高校のクラスメートやっちゃんがヤンゴンでいっしょにすごします。やっちゃんは高校理科教師を退職してもう6年間年金暮らしを続けていますが、1月には東欧クロアチアを旅してきたというし、海外旅行を楽しんでいます。ふだんは、毎朝、馬術競技を大学生に教えています。国民年金しかない私からみたら、夢のようなリタイア生活。でも、私が中学校国語教師を3年でやめてしまったのは、自分自身の選択だから、しかたないけれどね。

 やっちゃんと、ヤンゴンのあちこち、そしてバガン仏教遺跡群への旅行、のちほどご報告いたします。
 3月には、娘と息子も来ることになっています。娘が夫もいっしょに行くかどうか誘ったら、「数年に1度くらいの忙しい時期なので、行きたくはあるが、行けない」ということでした。息子は、パスポートをきらしてしまっていたので、パスポート取得から旅行準備をはじめなければならず、「めんどうくさい」と、早くも旅行気分なえています。娘息子との旅は、やっちゃんといっしょの旅とはまた違う趣があるだろうと、楽しみにしています。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のアメリカンコーヒー」

2016-02-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160216
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月>2003年のアメリカンコーヒー

 2003三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/21 金 晴れ
日常茶飯事典>アメリカンコーヒー

 西新宿ヒルトンホテル2階のランチバイキングを1時すぎから2時まで食べてから、都庁にパスポートを取りに行く。また、45階の展望台へ。今日はこの前より晴れていたので、房総半島の山や丹沢の山並みが見え、うっすらと富士山の頂上も見えた。息子は記憶に残るようになってから、都庁展望台に登ったのは初めて。

 展望台の喫茶店の椅子が空いていなかったので、1階の喫茶店でお茶。目の前でウェイトレスが作るのを見る。私が頼んだアメリカンコーヒーは、普通のホットコーヒーにお湯を入れて薄めただけ。娘たちが頼んだアイスミルクティは、紙パックの紅茶をそそぎ、紙パックの牛乳を足して混ぜ合わせただけ。「ま、家ではそうやって作るけど、喫茶店は、ちゃんと葉っぱの紅茶を湧かして、ちゃんと作っているんじゃないかなっていう幻想が裏切られた」という。今時、バカ高い値段をとるフレンチレストランだって、レトルトパックの料理を出すのだと言うから、250円のお湯でうすめたコーヒーに文句は言えない。

本日のつらみ:お湯でうすめりゃアメリカンコーヒー


2003/02/22 土 曇り
日常茶飯事典>子供に教える日常茶飯事

 娘が夫から頼まれた「一周忌のお知らせ」をワープロで作るのに、葉書作成ファイルに往復葉書のひな形がないとか、往復葉書の印刷がわからないから教えてというので、面倒だから私が作ってしまった。娘が「お母さんはそうやって子供がやろうとしていることにシャシャリ出て、先回りして自分でやっちゃうから子供が自立しないんだよ」と思っていることは承知だが。

 姉は蜜柑に料理を教えるのを面倒がり、「教えるより自分がさっさと作ってしまった方早い」という方式でやってきた。確かに、姉と同じくらいに手早くおいしい料理を作れるよう仕込むのは容易ではない。

 「教えておかないと蜜柑ひとりの家庭になったときに困るよ」と、姉には言っていたが、蜜柑は「ずっとママに寄生するからいいよ。パラサイトシングルではなく、パラサイト4人のこぶつき」とすましていた。

 姉亡き今、蜜柑は4人の子供たちの朝ご飯にマックのハンバーガーを食べさせるような食生活をしているらしい。
 作る気になれば、蜜柑も一通りは見よう見まねながら作れるようになったらしいけど、毎朝毎夕、料理を作る気力やる気が欠けている。

 朝ご飯とお弁当はレンジでチン料理、の私も似たようなものだが。私は飲み物はティーバックを湧かして作るけど、蜜柑は飲み物も全部ペットボトル。お金がかかってしょうがない生活。

 私の場合、ワープロに向かうのは、どんな文字どんな文章を打ち込むのであれ、少しも気にならず、おっくうにもならず、ちゃっちゃと打ち込める。話すスピードと同じ早さ、考えるスピードと同じ早さで書いていける。
 それが、料理となると、子供がいなかったら、というか、起きたときから「今日、夕ご飯の献立、何?」と気にする大食いグルメ娘がいなかったら、たちまち料理をしようという気が失せる。
 息子とふたりだけの夕食はたいていインスタントラーメンだ。卵肉野菜たっぷりの自称栄養満点ラーメンで、カップ麺じゃないだけましと思うが。

 娘は、夫の事務所に一周忌の葉書プリントを持って行く。「事務所のコピー機でコピーし、宛名はおばあちゃんが自分で書くことにして、お父さんが夕方届けることになった」という。

 雨の中、事務所から戻るとすぐ、あいちゃんの家で「なべパーティ」をすると言って出かける。
 「ゆりちゃんはお豆腐を持っていくと言っていたけど、うちの冷蔵庫に何かなべの材料になりそうなものある?」と言うが、冷蔵庫からっぽ。
 娘が昨日作っておばあちゃんの家に届けた、芋羊羹風スィートポテトの残りがあったので、持っていく。なぜ芋羊羹風になったのかというと、生クリームを買っておいたのに、入れるのを忘れたから。小学校からずっとあいちゃんゆりちゃんとの友情は続く。ありがたい友達だ。
 ふたりとも一浪の今回はあとがなく、二浪は親が許さない。

本日のよしみ:小学校1年生からよしみを通じて13年の友


2003/02/23 日 曇りのち小雨 
日常茶飯事典>不登校中はケーキ作りに没頭

 娘はリンゴバターケーキを作る。スポンジケーキが好きでない娘、焼き菓子はマドレーヌやバターケーキが得意。「混ぜるだけ、簡単でおいしい」というが、煮りんごを作り、バターをホイップし、粉を混ぜ込み、私にはとてもできない作業。娘は「何も考えなくてもできる」というのだが。

 娘が不登校の1年半、ケーキ作りをすることが娘の「学校へ行かない生活」を救った。息子はゲーム以外にすることないから、どうしよう。

 水泳部のイックンから期末試験の範囲を知らせるメール。
 息子は、「その気になったときは、リーダーのホームズを読むのも面白いと感じるんだけど、その気にならないときは、英文を目で追っても、少しも頭に入らない」という。3学期の英語リーダー「ホームズ探偵シリーズ赤毛連盟」を読むように言ったところ、2~3行読んで「もう、だめ」と本を放り出す。

本日のつらみ:ホームズ読みたきゃ、翻訳があると言い張る息子

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20160214
 教員宿舎隣の敷地の、MICT(Myanmar Information Communication Technology)パーク。食堂の店が並ぶ中、「King Cafe from Tokyo」という店が私のお気に入り。喫茶店ランキングは、ヤンゴン市内第3位に入賞したのですが、まだまだ日本人にも知られていない店です。

 仕事がえりに、ときどきこのキングカフェのコーヒーを飲んでかえります。タクシーで帰ると、直接教員宿舎の門前に着くので、MICTパークの中を通りませんから、コーヒーは自室でインスタントを飲む。バスで帰ったときは、タクシー代200円とバス代20円の差、180円がコーヒー代になります。アメリカンは150円、カプチーノなどは230円。
 ミャンマー・バリスタ大会で、11店参加中の5位になったバリスタさんがコーヒーを入れてくれます。

 残念なのは、食事提供は5時くらいには終わっているので、ゆうがた、この店のごはんを食べることができないこと。私がMICTパークを通るのは、6時から7時の間くらいだからです。もう、食事の部は片付けが終わっています。料理上手な奥さん、ミャンマーごはんも、和食もとてもおいしい。

 土曜日の昼に、ランチデリバリーをしてくれます。おかずとごはんで2000チャット200円。MICTパーク食堂の並びの他の店は、平均1500チャットのランチです。フードコート内の、YKKO麵店や、オリエンタルフード店(中華)などは、冷房付きなので2500~5000チャットの品揃えですが、冷房なしのふきさらし食堂での2000チャットは、コーヒーや炊飯に、水道水でなくボトルの清浄水を使っていることとか、細かい材料の差を知っている人でないと、単純には「高め」です。だから、お客も、この店の経営方針を知っている常連中心になり、店の経営は「損はしていないけれど、まだまだもうけを出すにはいたっていない」と、オーナーの皆川さんは話しています。

 皆川さんの奥さんは、ミャンマー人ですが、子供の頃からの日本生活で、日本での生活のほうが長い。料理もミャンマー料理のだけでなく、日本料理も得意です。
 先日は「試作品の、牛肉たたきです。食べて見てください」と、「試作品の味感想モニター値段、材料費にも足りない1000チャット100円」で提供してもらいました。
 私の感想は「牛肉にやわらかさ、味付け、逸品です。私個人の要望では、タマネギが好きなので、もっとタマネギ多めでもいい。メニュウには、『牛たたき・ネギだく希望OK』で、どうでしょう」

 皆川さんの、「ミャンマーでの志」が、実を結び、「ヤンゴン1位のカフェ」になっていくよう、春庭はキングカフェを応援しています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の嫁姑」

2016-02-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160213
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(4)2003年の嫁姑

 2003年三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/15 土 晴れ
日常茶飯事典>テルメア

 昨日の修了パーティで、気分は春休み。

 もうずいぶん前から歯が痛くて、噛むと痛む。冷たいものがしみるので、行かなければと思っていた歯医者。やっと今日診察してもらった。
 右下が歯槽膿漏になっていた。年を取ると、どうしても歯茎が萎縮し、歯との隙間に黴菌が入り込む。それが化のうしたのだという。歯の丈夫さが自慢だったのに、歯槽膿漏と聞いて一気に年を感じた。化膿したところの膿を出し、抗生剤をつめる。

 たぶん、身体中の見えない部分あちこちが痛んでいるのだろう。見えない部分だから気がつかないだけで、確実に老化は進んでいく。

 クローン羊ドリーは、一般羊の2倍老化が早くて寿命は半分だったらしい。テルメアが短くなっていく速度が速かったのか、もともと体細胞を取り出した親羊のテルメアが半分に減っていて、そこからスタートしたので、残りが半分しかなかったのか。

 私はあと50年は人間ウォッチングしたいのだから、せいぜい、歯も体も気を付けるべし。

 娘と息子はジョイポリスに遊びに行った。ジョイポリス、フジテレビ展望台、観覧車など、お台場の遊び場をひとまわりして「楽しかった」と帰宅。

本日のうらみ:老化の歯茎

2003/02/17 月 晴れ
日常茶飯事典>グリーンセンター散歩

 11時から歯科。今日は歯石を削っただけ。

 お天気も悪くないし、娘の提案でどこか散歩に行くことに。グリーンセンターへ行くことにした。

  道案内が何もないので、市立医療センターの中を通って東口から入場できることにまったく気づかず、すごい遠回りをして正門まで歩いた。まあ、歩くことが目的だから、グリーンセンターの中を歩くのも周りを歩くのも同じというわけ。

 私は、蜜柑が1歳になったときに姉、アヤ伯母といっしょに薔薇を見に来たことがある。ほぼ30年ぶり。娘は小学校3年生か4年生のとき、地域の行事遠足できたことがある。
息子は初めて。
 温室をのぞいたり、子供広場で滑り台をしたり。娘は息子にいっしょに滑り台をしようと誘ったが、息子は「いいよ」とやらない。中学生くらいだと一番「子供のやることはやりたくない」気分?

 芝生広場で少しだけフリスビーをやったが、風があるので、うまくとばない。
 「じゃ、アイススケート場に行ってみよう」と正門から出ようとしたが、スケート場は4時で終了だった。

 帰りはバスで。ブックオフなどに寄って、息子はゲーム攻略本を買う。私は3冊200円で岩波3版国語、角川漢和、研究社英和中辞典を買う。岩波国語、今持っているのは4版だが、前に使っていたのは2版。3版を見たことがなかったので、ちょうどよかった。漢和は特に必要なかったが、3冊200円なのでついで。辞書が好き。

本日の負け惜しみ:三冊200円の古辞書を読んで、3年は楽しめる


2003/02/18 火 曇り 
日常茶飯事典>キャラクター小説

 娘は事務所に手伝いに行く。

 『キャラクター小説の作り方』を買った。新書のコーナーにも、新刊本のコーナーでも、台に2列平積みの扱いである。これまでの「小説の書き方」のたぐいが、「言文一致以後の近代小説」を小説の手本としていることに、ものたりなく思っていた「ぼくだって書きたい」というニーズを見事にとらえたのか。
 大塚英志の評論を面白くよんできたが、マンガの原作や「キャラクター小説」を書いていたのは知らなかった。

 ゲームノベライズや、テレビドラマノベライズの文体がひどいので、大芸術家、純文学作家でなくて、ノベライズする職人仕事の質がもう少し上がってほしいと思っていた。この本で若い書き手の文章が上達できるなら、けっこうなことだ。

本日のねたみ:わたしだって書きたい


2003/02/20 木 曇りのち晴れ
日常茶飯事典>嫁姑

 昨日、保護者懇談会のあと、姑の家へ行った。2月18日に義姉の長女が、姑の家から、大学近くのアパートへ引っ越しして姑の一人暮らしがはじまったからだ。

 舅がなくなったあと、義姉長女が大学入学で上京してきて同居してくれたので、姑の安否はおまかせになってしまった。今年は義姉の長女に続いて次女も上京して、アパートを借りていっしょに住むことになった。姑は、結婚以来、はじめて一人暮らしをすることになった。

 姑はこの前、息子の文化祭にいっしょに行ったときから一段を老い込んだ感じがした。5時すぎまで、去年の3月から1年間、孫の世話をするのがどんなに大変だったかという愚痴を聞く。

 娘と息子が結婚し家を離れてから二十年間、舅と姑二人だけの老人世帯だったので、若い人といっしょに住む感覚がなく、自分の価値観をすべてにあてはめようとするので、お互いにたいへんだっただろう。

 義姉の娘は大学へ行くために、朝7時半に家を出る。その前に「ちゃんと栄養のあるものを食べさせなければ。孫といっても、嫁に出した娘の子だから、他家からの大切な預かり子。病気にでもしたら、向こうのお姑さんに申し訳が立たないから」と、姑は4時半ころ一度目をさます。もう一度寝ると寝過ごすからと、起きて布団の中で待っている。

 姑は、6時までには朝ご飯を作り、孫が起きてくるのを待っている。義姉の娘は前夜のアルバイトで疲れているから、ぎりぎりまで寝ていたい。おばあちゃんが何度も起こしに来るのがうざったい。やっとぎりぎりに起きても食欲はないし、ごはんとみそ汁の「ニッポンの正しい朝食」を食べるより、ぎりぎりまで寝ていて、途中コンビニでおにぎりでも買って食べた方がよほどいい。それで「ばあちゃんの朝ご飯」はパス。夜はバイトで12時過ぎまで帰らない。

 おばあちゃんは8時前にはふとんに入るが、「若い娘が夜中まで帰らないなんて」と心配しながらカタッと物音がすると目が覚めて安眠できない。バイトしている方は、毎日「もっと早く帰れるバイトが見つかればいいのにねえ」なんて愚痴を聞かされるのが、いやでたまらない。お互いにストレス貯めまくり。という1年間だったようだ。

  「しばらくは一人でのんびり暮らしたい」という。本当に78歳の老人を一人暮らしさせておいて大丈夫だろうか。
 毎日いっしょにいるのはたいへんだろうが、もっと姑といっしょにすごす時間をふやさないと。
 とにかくこの20年間、「嫁」らしきことは何もしてこなかった。

本日のなやみ:「妻になったのであって、嫁になったのではない」と言えたのは20年前、今では「嫁ではあっても妻じゃない」

 
<つづく>

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20160213
 嫁姑問題は、いつの時代にもあったことですが、私は「個人主義」の姑のおかげで、「我が家の家風は」とか「おいえのために、どうこう」とか、一度も言われたことがありませんでした。

 姑の「寝たきりになって、ひとりでは暮らせなくなるまではひとりでくらす」という希望で、夜は夫が姑の家に泊まり、週末は娘息子がいっしょにすごす、という晩年のパターンのなか、ヨメは月に一度ほどの「ごきげんうかがい」だけでしたが、姑は、ご近所さんにも「自慢の嫁」と吹聴してくれて、ありがたいことでした。私がときおり留学生をつれて姑の家に行き「東京の庶民は、こういう小さい家で暮らしている」という見本に、家の紹介をするときも、にこにこと留学生の世話をしてくれました。

 留学生がおみやげにくれた民族衣装の布をまとって、姑といっしょに撮りました。
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ぽかぽか春庭「2003年の観劇『ゴンザーゴ殺し』」

2016-02-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160211
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(3)観劇「ゴンザーゴ殺し」

 2003年三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/11 火 曇りときどき小雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ゴンザーゴ殺し』

 阿子さんと待ち合わせして、千石の三百人劇場で昴の『ゴンザーゴ殺し』を見た。

 芝居は、ハムレットの中に出てくる旅の一座がメインになり、ハムレットの依頼で、王殺しの芝居を上演するというストーリー。権力と旅芸人。拷問があり、最後は座長とその妻は絞首刑という刑が決まるが、権力の転換により運命は一転して「宮廷附属劇場」に取り立てられる。

 ブルガリアの劇作家の作品という。最後のシーンで、照明効果により壁が牢獄の鉄格子のようにみえる。宮廷劇場に取り立てられるという運命の転換があったとしても、結局は権力の手の中の牢獄で呻吟するしかない人々の運命を暗示しているという演出。イヤホーン音声では、はっきりと「牢屋の格子を思わせる照明があたっている」と解説が入るが、見た目だけだと、受け取る人によって、牢屋の格子にも見えるが、ただの垣根にも見えるので、演出家が込めた「体制がどう変化しようともこの世はどこも牢獄」というブルガリアの共産主義体制から資本主義体制へ移行したあとの社会変化への批評が観客に伝わったかどうかは不明。

 芝居後のトークショウでは、ベテラン俳優と演出家によるトーク、台本の翻訳者による感想などを聞くことができた。
 なぜ、ハムレットと王妃と王の声だけ録音にして、顔を出さない演出にしたのか、という質問に、演出家は「自分自身の顔を持つ一般の人に対して、この世で一般の人とは異なる役割を演じている王、王妃、王子なので、この芝居では、自分の顔を持たない人として、顔を見せず、声も録音で演じた」という説明があった。それを聞くまで、なぜ聞き取りにくい録音テープで言うのか、あまり意図がわからなかった。
 この世におけるロールを演じているという点では、ハムレットもホレーショも旅芸人も同じような気がするが、たぶん世襲によって生まれたときからロールが決められていて、自分で選ぶことができないという点が、一般人と異なるという解釈なのだろう。

 彼らにも自分の役割を選ばせてあげましょうよ。世襲社長が引き継いだ会社はたいてい傾く。国だってジョンイル王子程度のプリンスじゃ、傾いちまう。ニューカマープリンセスは自分の運命を自分で選ぶことができるだろうか。ロールに縛られることなく、名前の通りに愛を選び取れる人生をおくらせてあげましょうね。

 視覚障害者のためのイヤホンサービスも体験した。どんな説明が入っているのか聞いておけば、あとで、阿子さんに、舞台装置の説明などをするときに、イヤホンの説明と重複しないですむ。
 歌舞伎の解説に比べてあっさりしたおとなしい解説だった。私はもっと細かく役者の衣裳や動きを逐一伝えているのかと思っていた。
 想像力の乏しい私には、目をとじてイヤホン解説と役者の声だけでこの舞台を観賞したら、半分も理解できなかったろうと思う。阿子さんは「ああ、おもしろかった。舞台はいいよねぇ」と楽しんだようすだったが。

 息子は、午後、夫の事務所手伝い。渋谷へメッセンジャー2件で3000円稼いできた。
我が家の王子様はゲームソフト代稼ぐためには、せっせとアルバイトしなければならない。いいことだ。

本日のつらみ:To buy or not to buy. That is not question. Work hard!


2003/02/12 水 晴れ
日常茶飯事典>パスポート申請

 午前中Aダンス。

 午後、娘ととサンシャインワールドインポートにあるパスポートセンターに行く。いよいよ娘と息子のパスポートを取ることにしたのだ。
 書類を書き込んだところで、代理出願には本人の署名と身分証明書が必要とわかり、ジュンク堂でお茶を飲みながら、息子が下校してくるのを待つことになった。ジュンク堂の「ティールームサービス券」が2枚あったので。
 娘は統計学の本を探す。

 途中、娘はあいちゃんからのメールを受け取り、あいちゃんが大変なので、先に帰って慰めて来るという。滑り止めのつもりで受けたところが不合格となったため、とてもナーバスになっているので、あいちゃんの家まで行ってくるという。
 娘にとっては、あいちゃんの受験を支えることが今の自分を支えることのひとつになっているのだと思う。今、娘にはほかに関心をむけていることや心配事がないようなので。

 息子と池袋東口で待ち合わせして、サンシャインに向かったが、途中で、息子は生徒手帳を携行していないという。それで、パスポートセンターに行くのは無駄だから、と帰ることになった。

 帰りに東急ハンズペットコーナーで兎を見た。
 どの子もとてもかわいらしく、うちの捨てウサギはまったくもってブサイクな兎であるという結論。
 でも、「じゃ、こっちのかわいいウサギと、タイムと取り替える?」と聞くと、見た目はブサイクでもやはりうちのタイムはかわいい、という。客観的に見てタイムが「見た目がブサイク」というのは確か。でも、かわいらしい兎たちを見て、どんなに見た目が悪くとも、身びいきでみれば「うちの子が一番かわいい」という「親ばか心理」が、息子も理解できた。
 「ね、いくら自分の子がバカだと思っても、我が子が一番かわいいっていう親の気持ちがわかったでしょ」

 中学では目立たない存在であっても、私には最高の大事な息子なのだ。息子は明日から高校入試日になる。教室内に荷物を置いてきてはいけないため、リュックサックに教科書ノート全部を詰め込んで持ち帰った。「重いよ」と文句を言いながら歩く。

 娘とお茶ケーキを食べたので、息子にも「何か食べる?」と聞いたのだが、「重いから早く帰りたい」というので、何も食べないで帰った。

本日のひがみ:血統書つきではない我が家のペット、娘、息子


2003/02/13 木 晴れ
日常茶飯事典>都庁でパスポート申請

 昨日、サンシャインでパスポートが出願できなかったので、今日は娘は東京都庁へ行く。
 パスポートセンターで提出しようとしたら、今度は一家の名前が書いてある保険証が必要だという。それで、今回もだめになった。さらに娘の写真は顔が小さいので撮り直しと言われた。

 そういうこと、昨日のうちに全部教えてくれれば、今日は全部用意したのに。
 45階の展望台で外を眺めてお茶とケーキ。

本日のうらみ:昨日は写真のことなど、一言もいってくれなかった


2003/02/14 金 晴れ
日常茶飯事典>パスポート申請3度目

 午前中、もう一度都庁へ。今回はやっとパスポート申し込みができた。

 午後、スピーチ発表会と会議。5時半から駅前の居酒屋で「コース修了パーティ」
 学生とも今日でお別れ。沖縄へ赴任するスディさんともお別れ。

本日のひがみ:私もいきたい南の島


2003/02/16 日 曇りのち雨のち雪
日常茶飯事典>日常生活円滑進行不全症

 娘は姑宅へ。姑、夫、娘の三人で、3月の舅一周忌の相談。

 私は交換留学生成績表を郵送しに、スーパー前のポストまで雨の中を歩く。スーパーででトイレットペーパーを買って、店に忘れてきた。家のドアノブを回したら、手に持っていないのに気づき、また雨の中取りに戻った。一日に一回はドジをしないと、毎日が進まないのも困ったものだ。

 パスポートセンターに3回も通ってようやくパスポート申請ができた話など、娘が夫にしたら、またまた「どうしてきちんとしたことが何もできないのか」と夫は言うだろう。私だって、たかがパスポート申請で2回も失敗するとは思わなかった。

 ここまでくると、この徹底した事務処理能力のなさ、日常生活円滑遂行不全症とでもいうものが「芸」のうちなのではないかという気もしてくる。

本日のつらみ:買った品物を店に置き忘れるのは日常茶飯事


<つづく>
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20160211
 視覚障害医者と図書館朗読ボランティアとして始まった、阿子さんとのおつきあいも、四半世紀を超えました。
 昨年12月に大阪の阿子さんから手紙がきている、と娘がメールに添付しておくってくれました。
 阿子さんは、8歳までは弱視ながらうっすら目が見えたので、ひらがなを覚えました。その記憶によって、晴眼者にはひらがなを書いてくれるのです。点字をならったけれど、点字一覧表と突き合わせでなければ読めない私のために、いっしょうけんめい仮名文字で書いたクリスマスレターをくれました。
 2015年はいっしょに出かけることができなかったけれど、2016年は、またいっしょにお芝居を見に行きたいです。

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ぽかぽか春庭「2003年の個人面談」

2016-02-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160210
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(2)2003年の個人面談

2003年三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/06 木 晴れ
日常茶飯事典>個人面談「入学試験の成績」

 午後、3時35分から、個人面談。朝から気にしていたのに、結局遅刻しそうになって、駅からタクシー。先生が5分くらい遅くなったので、かろうじてセーフ。
 「クラス内で仲良くやっていますよ。笑顔も多いです。欠席が多いので、最初はクラスになじめないとか、そういう理由があるのかと心配していましたが、体が弱いというので、まあ、この先体を丈夫にすればやっていけるでしょう」と、先生談。

 成績がふるわないことについては「入試のときの成績はたいへん立派なものだったんですよ」という「ヒミツのハナシ」を教えてくれた。息子は、中学120名の入学者のうち、補欠の20人よりは上だろうが、正規合格者の中では一番下の成績だったのだろうと、家中で思いこんでいた。ほかの受験者は、小さいときから大手進学塾へ行っていたのに、我が家の息子は、近所の小さな塾のたった3人のクラスで、のんびりすごして、受験をきめたのは6年生になってからのことだったのだから。
 しかし、先生の話では、どうやらかなりいい成績で合格したらしい。でも、その後の家庭自主勉強ができていないので、成績下がりっぱなし。

 入学後、家では1分だって勉強したことがない。「だけど、僕は小学校のときから、家では1分も勉強していない。学校の宿題は、ほかの子が課題をやっている間に、宿題に出そうなところを全部先にやってしまったし、塾の宿題も、クラスの人が問題を解いている間、僕は時間が余るから、宿題を済ませていた。家で勉強しないのは、前からなんだから、今更変えられない」というのだが、小学校と中学校はちがうだろう。

 「先生から、家庭学習をきちんとするよう、お話していただけるとありがたいのですが」という、母親がよく言う台詞を私が言わなければならないなんて、まあ、残念。

 残念だから、ジュンク堂で本を1万円分衝動買いする。新書『ゲーム脳』は、2つのクラスが弁論大会のテーマに選んでいたので、息子に読ませようと思って買った。あと、島本理生の『リトルバイリトル』など。

本日のつらみ:ストレス解消の本、衝動買い

2003/02/07 金 晴れ
ニッポニア教師日誌>教員研修レポート発表会

 金曜日、授業最終日。午前中1コマ1組の会話。午後は、教育学部で、去年の教員研修生の最終レポート発表会に出席。韓国の4人組は、日本語が一段と上手になっていて、発表の内容も興味深いものであった。

 ヒイさん『テレビCMを通じたメディアリテラシー教育について』、ジュンさん『ストーリーテリングの方法を用いた小学校低学年のための英語指導』、スンさん『日本におけるキムチの消費実態についての考察』、マサちゃん『小学校美術教育における情報通信技術活用』
 ジュンさんは、自作の絵本を紹介し、英語教育の方法を発表。マサちゃんは折り紙とパソコンを使って、美術教育を行う方法を発表。

 ブルネイの二人組は、相変わらずあまり日本語が上手ではなかったが、なんとか最終レポートをまとめ上げて、教員研修をまっとうできたことが立派。フィさん『小学校の国語学科での読書の教授方法と学習方法の原理』、リアさん『日本における知的障害をもつ児童のための小学校体育教育と我が国への適用可能性』、タイのパトは『コンピュータ活用による数学学習への動機付けに関する研究』という内容。パトとブルネイ二人組は、日本語ゼロスタート組。よくここまで、たどり着いたと思う。

 韓国4人組は、日本語既習能力が留学生センター日本語研修コース始まって以来の高い能力で入ってきた。これまでは、日本語能力試験1級をとっていれば、センターの基礎日本語学習を免除していたのだが、この4人は「日本語能力をもっと高めたい」という強い希望があって、この4人とブラジルの日系人を加えて上級クラスを作った。

 教員研修生が教育学部へ行ってしまうと、教育学部独自に日本語学習を行うから、留学生センターはタッチしない。最終レポート発表会も、センターの授業があるので、出席したこともなかった。しかし、今回は午後の読解授業の韓国3人組がこの発表会をきくため、ジョとシンだけ読解授業をすることもできないので、私たちも発表会に出席することになった。とても面白かったから、来年の発表会も出るチャンスがあるといいと思う。

本日のほねみ:骨身をおしまず、日本語と教育学の修得につとめた留学生に拍手



2003/02/08 土 晴れ、夜雨 
日常茶飯事典>中学生のチャット「死刑制度是か非か」

 息子、1時から4時まで、チャット。「タイピングが遅いから、やっと自分の意見を打ち込んで送信すると、もうみんなの話題は先に進んでるんだよ」と嘆く。
 でも、私にしてみれば、中学生がパソコンチャットで、友達と「死刑制度」について意見を交わしあうということができるだけでも驚き。ネットチャットの続きは9日、駅前のマックで、リアルチャット。

本日のひがみ:中学生もチャッと

2003/02/09 日 晴れ
日常茶飯事典>死刑制度論議

 息子は10時すぎに出かける。弁論大会の原稿まとめを7人でやった。
 息子の死刑廃止論は力及ばず、「結局のところ、刑とは国家による国民管理方法のひとつであるからして、国家のありかたが変化しない以上、刑法も変わらない」という結論に持ち込まれそうと言う。

 裁判官や検事、弁護士の息子たち、キャリア官僚の息子たちがうじゃうじゃいるクラスだから、国家側思考が強いのかもしれません。
 アムネスティについては、だれかが「あの、どこから金をもらっているかわからん、あやしげないかがわしげな団体」と評していたというし、「'90フォーラム」なんか、クラス内ミニ法曹軍団からみると極左団体かもしれない。

本日のひがみ:裁判官の息子、弁護士の息子たちにまじって、肩身をせまくするなかれ、「父さんは倒産しそう零細会社」社長令息

 
2003/02/10 月 晴れ
ニッポニア教師日誌>スピーチ発表会

 月曜日授業最終日。午前中、漢字とビデオ。

 午後、スピーチ発表会。ちょっと前まで、スピーチの工夫といえば、写真やポスターを展示したり、本を紹介したり、実物を持ち込むことが多かったが、前回今回と、パワーポイントが大活躍。自分の国を紹介するにも、趣味について述べるにも、パワーポイントから液晶スクリーンに映し出すのが一番てっとり早い。プレゼンテーションにパワーポイントがなくてはならないものになってしまった。

 羊子先生から、柿実さんへのおくやみをいただき恐縮。「私も姉と仲良くしているおかげで寂しくないので、姉がいなくなったらと思うと、ほんとうにお姉さまを亡くされたお気持ちが胸にせまります」と。

本日の負け惜しみ:パワーポイントは使えないが、試験の山カン出題予想ポイントは、けっこう当たったものでした


<つづく>
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20160210
 息子が中学校になんとか通学できたのはこの頃まででした。
 行きの地下鉄の中で気分が悪くなって以来、地下鉄に乗ると体調が悪くなる、今思えば、パニック障害だったのだろうと思います。中学3年生の1年間は、さみだれ登校、行ったり行かなかったり。中高一貫校なので高校にはエスカレーター進学できたけれど、高校での授業は一日も受けずに、押し入れの中に引きこもり。ゲームをして1年半すごしたのち、16歳の夏休み、高校卒業資格認定試験を受けて、全科目一発合格。そのまま押し入れでゲームをしてすごす生活1年半。
 17歳の冬にセンター試験を受けて、センター試験の成績だけで合否判断してくれるふたつの私立大学に合格。中学2年までしか学校に行っていないのに、東京の23区内の大学に現役合格しただけでもありがたいと思ったのですが、説得がたいへんだったのは、おばあちゃん。
 同学年40人×4クラス、160名の高校卒業生のうち100名は東大に進学するという高校で、姑は我が孫も当然東大に進学すると思っていました。「近所の私大に行く」と決めたことを納得させるのに一苦労でした。高校3年間を押し入れに引きこもってすごしたこと、姑には内緒にしていましたから。ときおり姑の家に顔を出してご機嫌伺いさえしていれば、姑は孫の教育は私にまかせてくれたので。

 姑が納得したのは、大学卒業式のとき。卒業生総代となったことを告げ、牛尾にはなれなかったが、鶏頭にはなったと、知って以後。大学院進学後は、孫息子の博士号授与式に出席することを楽しみにしていたのでした。

 息子、おばあちゃんに博士号ディプロマを見せてやれなかったことが心残りで、「おばあちゃんに約束したから、いい論文を書く」と、決意したのですが、なかなか論文ははかどりません。
 娘は自己評価が高い性格で、どんなことがあっても、自分自身の価値を信じています。太っていることさえ「私は今のこの体型が好き」と言うのです。ところが息子は、押し入れで3年間過ごして以来、自己評価が極端に低いのです。古新聞おきばに捨ててあった論文草稿を読んで、私には及びもつかない立派な論文になっていると思うのに、息子は「こんなんじゃ、ダメだ」と、言います。修士時代のレポートのひとつが評価されて、紀要論文集に掲載され、先生方からの評価が高かったときも、「これじゃ、まだダメ」と、自己評価がひくい。

 息子は、博士課程3年目のことし、論文提出はしない、と決めて、「博士課程単位取得退学」にするか、このまま博士課程4年目に突入するか悩んでいましたが、自分自身で退学を選択しました。3月の卒業式や追い出しコンパにも出席するそうです。さきゆきまったく決まっていない中での退学ですが、本人が決めたことなので、見守るだけ。
 
 息子には「あなたにはあなたの価値がある」と言ってやりたいのですが、彼にとって「母の励まし」も、プレッシャーのひとつになるかと思うと、うかつに声もかけられない。
 いつまでたっても、子離れできない母親の存在が、彼の一番のストレスなのかも。  
コメント (6)
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ぽかぽか春庭「2003年の姑誕生日」

2016-02-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160209
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(1)2003年の姑誕生日

2003年三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/01 土 晴れ
日常茶飯事典>ぐうたらディ

 朝6時にいつもの通り目が覚め、新聞を読んでいるうちに眠くなって「今日から息子は土日と入試休講5連休だし、朝のお弁当作りから解放されてのんびりしよう」と思ってもう一度寝てしまった。起きたら10時半だった。それから一日中ぐうたら。

本日のつらみ:毎日二度寝ができる幸福を味わいたい


2003/02/02 日 晴れ
アンドロメダ31M接続詞>村長ホームページ

 郵便局へ行ったほか、ネットサーフィンをして遊ぶ。

 わたしが息子のクラスメート通称村長のホームページを毎日チェックしていることが息子にばれたので、もういちいちグーグルで検索してから呼び出すのをやめて、お気に入りに登録した。息子のお気に入り登録しないで、わたしのにいれたら「なんでだよ」といわれたが、これからも毎日読むから、わたしのところでいいの、と言う。

 息子同級生リンクのパソコン達人たちは、ちゃんと自分のサイトがどのパソコンから見られているかを解析している。掲示板に「担任がgogoリンクサイトをを毎日チェックしているから、サイトオーナーは要注意」という伝言が出ていた。そりゃ、先生なら生徒の頁を毎日チェックするだろな。
 村長の掲示板、おばかでおもしろいし。

本日のひがみ:中学生にも作れるホームページ

2003/02/03 月 晴れ 
日常茶飯事典>姑誕生日
 漢字、作文2コマ。
 息子は姑の家へ。娘が作ったカップケーキと、私からのお祝いお包みを誕生日プレゼントとして届ける。姑は78歳に。本当は去年喜寿だった。喜寿の祝いは舅のホスピス看病でそれどころじゃなかったから、この次は八十の傘寿。皆でお祝いができるといいが。夫は自分の親なのに、「パス」するだろうか。こどもや私には冷たいが、自分の両親と姉にはやさしいので、案外傘寿の祝いには賛成するかも。
 私のはもちろん、子供達の誕生日も、結婚以来、一度としていっしょに祝ったことがない。そのくせ自分の誕生日を子供達が忘れていたりするとさびしそうな顔をする。まったく身勝手なやつだ。
本日のうらみ:釣った魚に餌をやらない主義の夫

2003/02/04 火 晴れ 
日常茶飯事典>アメリカキルト展
 漢字、会話2コマ。
 東西線日本橋で降りて「また、失敗した。銀座三越へ行くつもりで、いつも三越は日本橋だと思って降りてしまう」と思って、日本橋から銀座三越まで歩いた。銀座三越の入り口案内所で聞いたら「当店の和のキルト展は昨日で終了。日本橋店でアメリカンキルト展を開催中」と言われ、銀座から三越前まで地下鉄で戻る。どうしていつも、目的地に道を間違えずに着くことができないのか、本当に不思議。ま、ばかなだけだけど。

 日本橋三越でアメリカキルト展。
 針と布の手仕事は本当にすてき。一針一針の手仕事に、毎度毎度見るたびに感動する。煙草の包装に使っていたリボンをたくさん集めて縫い継いであるキルト、大勢の女達が共同で縫い上げたキルト。女達は針を動かしながら、思い出を語ったり、次の選挙について意見を交わしたり、戦争へ行く男達について話したりしたのだろう。映画『キルトに綴る愛』を思い出す。
本日のつらみ:和のキルト展も見たかった

2003/02/05 水 晴れ
日常茶飯事典>Aダンス新年会
 午前中Aダンス。お昼はAダンス新年会。駅前の春寿司で。
 おすしと茶碗蒸しのランチで、今年の発表曲などを決めた。私は去年に引き続き、副代表。代表が出られないときだけ会議に出ればいい。あとは、ワープロ係り。

 ランチのおしゃべり。皆自分の人生の山あり谷あり悲喜こもごもを泣きながら笑って話す。
 Sさんは、テレビ番組のプロデューサーをしているご主人と別れ話になっているという話。もともと家庭生活に向かなかったご主人、7年間家に帰ってこなかったときもあり、ここ5年間は自宅に戻っていたが、また出ていった。
 もう子供たちも成長したので、子供のために父親の帰りを待つという必要もないから、今度こそ離婚したいという。離婚経験者で、子供の成長後、新しい恋人とラブラブ中のミサイルママは「思い切って新しい人生を始めることも必要」と言う。

 次男が事件にあい、『話を聞いてください』という、少年殺人事件被害者の家族の声を集めた本に、手記を書いたさくらさん。せめて長男は幸福になってほしいと結婚式の準備に余念がなかったのに、結婚式の8日前になって、先方から婚約破棄をもうし出された。話しながら「今でも思い出すと悔しくて悲しくて」と涙を拭く。
 霧子さんは、長年父親の介護を続けてきたが、先週お葬式を済ませたという。

 ランチのあと、駅前でお茶を飲みながら、おしゃべり会。私は先生の前の席になったので、もっぱら先生の話を拝聴。バリの話など。
 先生の姪の息子さんが開成とラサールに合格したのだけれど、現住所が山奥なので、開成はあきらめてラサールの寮に入ることに決めたそう。
 「姪は、うちで世話を引き受けてくれればと思って、東京の開成を受けたのだろうけど、うちも年寄りを抱えていて、とても中学生の世話をする余裕もないので、断った」という。
 「中学生で寮生活していけるのかしら」と先生は心配そうだったけれど、大丈夫でしょう。ピーターは、ラサールの寮に入ったけれどいやけがさして逃げだし、東京のゲイバーで働いていたところをスカウトされたというが。ま、だいたいの子は逃げもせずおとなしく東大をめざすのでしょう。
本日のそねみ:悲喜こもごもの女の人生。私の人生、悲否こもごも


<つづく>
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20160209
 2月4日の舅誕生日、2月7日の姑誕生日をいつもいっしょに祝ってきましたが、2003年の誕生日からは、姑ひとりのお祝いになりました。

 今年2016年の姑誕生日2月7日。
 娘と息子は姑の家で「バーチャン誕生日」をしたとメールがきました。大すきだけれど、「お医者さんから制限されている」と、姑は甘い物をがまんしていました。「よくなったら食べるね」と姑が言っていた草餅やプリンなど甘い物を「もう、がまんしないで思いっきり食べてね」と、お仏壇に供えたそうです。お医者さんが禁じたのをきちんと守って、糖分は代替甘味料、塩分なし、タンパク質控えめ、という味けのない特別食を食べていた姑。「これはこれなりにおいしい」と、娘には言っていたそうですが、娘が特別食用ゼリーを食べて見たら「おもいっきしまずかった」
 今は、好きなものを好きなだけ食べているだろうと思います。舅も饅頭やようかんが大好きで、姑に隠れて食べていたくらいですから、ふたりのお茶のみ話もはずんでいることでしょう。

 2014年、近所のフランス料理屋での誕生日ランチ。デザートプレートの写真です。
コメント (2)
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