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ニーハオ春庭中国日記「一元バスツアー」

2011-10-22 16:15:00 | 日記

2007/07/04 水
ニーハオ春庭中国通信>1元バスツアー・見知らぬ村へ

 1元バスに乗って市内を巡る、ひとりツアーを続けています。

 3月4月は、仕事が終わって帰宅する5時半には薄暗くなってきて、夕食を食べに出るともう真っ暗だったので、1元バスツアーも、週末、日が明るいうちにしかできませんでした。
 しかし、日が延び、北国の夏、夏至の前後は8時近くまで明るいのです。週末だけでなく仕事が終わってからバスに乗って一回りすることができるようになりました。

 1元バスツアー。
 5時半に宿舎に着いて、6時に夕食を食べに出ます。
 バス停から、どこへいくのかわからずにバスに乗って、終点で食事、また折り返してバスでもどってくる。宿舎に着く8時ごろまで、外はまだ明るい、という夕食ツアーです。

 車窓を流れていく街並を眺めているだけで、楽しく過ごすことができましたが、そろそろ、だいたいの町並みは「あ、ここは前に通ったことがあるな、見覚えがある」ということが多くなり、「どこへいくかわからないドキドキ」は少なくなりました。

 6月末、明日は中間試験、という日。試験の準備は済んでいるし、翌日の授業準備に追われて夜遅くまで仕事を続けることもないので、気分はのんびりしていました。

 124路線のバスに乗車。
 車内の停留所表を見ると、いつもより停留所の数が多いので、どこまでいくのかなあと思いながら乗っていました。
 終点は「大屯」。大きい村?

 7時。まだ明るいから大丈夫。途中で下りてしまうと、帰りのバスに乗りはぐれる心配もあるから、とにかく終点まで行って、このバスで折り返して市内に戻るのが一番確実。
 だんだんあたりは暗くなって来ました。まだバスは走り続けています。7時半。
 
 あたりは田園地帯になり、畑が広がっています。
 いったいどこまで来たのやら。
 いくつかの村に寄りながら、やっと終点に着いたときには8時すぎ。もう暗くなっていました。

 バスを下りた所の横の広場では、東北地方名物の「ヤンガー( 秧歌)」という盆踊りのような踊りのお囃子がにぎやかに聞こえてきました。ヤンガーの音楽は、チャルメラの種類の笛がメインで、太鼓や鉦がリズムをとります。
 次々に変わるリズムに合わせて、赤やピンクの派手な色あいでひらひらした大きな扇子と、くるくる回す独特な布を手に持って、年配の人たちが輪になって踊っています。

 バスの運転手に、「このまま乗っていて、市内に戻りたいが、出発時間は何時?」と尋ねました。
 バス出発まで時間があるなら、ヤンガーを見物して時間をつぶそうと思い、戻りの時間を確かめておこうと思ったのです。

 ところが。
 バスの運転手の返事は「これは、もう戻らないよ。明日の始発まで、もう市内に戻るバスはない」

 あらま、こりゃたいへん。  

<つづく>


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2007年07月05日


ニーハオ春庭「1元バスツアー・村の広場]
2007/07/05 木
ニーハオ春庭中国通信>1元バスツアー・村の広場

 見知らぬ村で。
 明日のバスの始発は、朝5時20分。始発に乗れば、仕事に穴をあけることのない時間には、市内に戻れる。
 
 バスの運転手にこの村に泊まるところはあるか聞いてみた。
 「大酒店(ホテル)没有(メイヨー=ない。旅店(旅館)没有」
 あらら。

 「でも、向かいにある浴池(銭湯)、あそこの二階に泊まれる」
 なんだ、泊まれるところがあるんじゃないの。

 バスの終点前に「浴池」があります。浴池は、公衆浴場。ただし、湯船はなく、シャワーが並んでいるだけ。13年前に、中国の公衆浴場はどんなところかと思って、一度だけシャワーを浴びたことがありました。
 村の浴池。そこの2階に宿泊スペースがあるという。
 バス停留所をはさんで、通りの向こう側に浴池があり、その反対側が「公安=警察の交番」です。

 この、「公安」市内の街角ところどころで見かけましたが、これまで道を尋ねるために利用したこともありませんでした。中国語で道順を説明されても、わからないから。
 泊まるところがあって、公安がある。ちょっと安心して、それならと、広場の 秧歌(ヤンガー)を見に行きました。

 普段も、宿舎の近所でヤンガー踊りを見かけます。
 繁華街の銀行の前のちょっとした広場で、毎夜20~30人くらいのおじいさんおばあさんが集まって踊っている。赤や青の派手な民族衣装を着たり、ズボンにTシャツの普段着に扇子だけ派手な色のを持っていたり、服装はそれぞれ。

 村のヤンガーもひらひら扇子や布をくるくる回すのは同じ。でも、服装は普段着の人が多く、民族衣装を着ている人は少数派。

 広場の中央でヤンガー、その周りに見物人。その外側には、炭火の四角いコンロの上に網をのせ、網焼きを食べさせる露天の店がずらりと並んでいます。それぞれなじみ客があるらしく、客がコンロを取り囲んで腰掛けに座っています。

 おばさん、たまに若い娘が、網焼き係り。おじさんは、ビール出したり、お金受け取ったり、離れて座っている人のところへ焼き上がった串を運んだり。

 豚のしっぽ、茄子、じゃがいも、ピーマン、鶏の頭、鶏卵などを串にさして炭火の網にのせ、焼いています。煙がもうもうと上がっている。
 みな、ビールを片手に焼き上がった茄子や肉をほおばっています。

 おばさんのコンロの前へ。試しにじゃがいもをひと串頼んでみました。5角(1元の半分、7円くらい)
 2本と言えばよかったかな。でも、ちょいと衛生面が心配な露天だから、肉系はやめたほうが無難。腹をこわしても、病院がある村かどうか、わからない。旅館がないくらいだから、病院もないかも。そのかわり、薬局は交番のとなりにありました。

<つづく>
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2007年07月06日


ニーハオ春庭「1元バスツアー・風呂屋に泊まる」
2007/07/06 金
ニーハオ春庭中国通信>1元バスツアー・風呂屋に泊まる

 8時半にヤンガーが終わったので、交番へ行ってみました。
 交番の看板は、「富峰鎮派出所」
 おまわりさんは、非番のようで、制服を着ている人は見かけません。でも、交番の中にいるのだから、一応警察官でしょ、と思って、泊まる場所について聞いてみました。
 
 「向かいの浴池に泊まれる」と、お巡りさん。
 うん、それは知っている。

 運転手に聞いて、すぐにひとりで宿泊交渉に出かけてもよかったのですが、私のカタコト中国語と筆談の交渉では、すぐに中国語が話せない外国人だということが、分かってしまいます。
 お巡りさんに浴池の宿泊についてわざわざ尋ねてみたのは、お巡りさんに、浴池へ連れて行ってもらおうとしてのこと。

 日本は、世界の中でもっとも安全な国で、女性がひとり旅をし、ひとりで宿に泊まる時、心配なことはありません。しかし、そうでない国も多い。

 中国は、アジアの中で、安全な国のほうです。他のアジアの国では、安宿に宿泊した場合、日本人とわかったら、持ち物を抜き取られたり、宿賃を3倍請求されたりということもあると聞きますが、中国では、旅行者が誘拐などの事件に巻き込まれたという話はまれです。スリや置き引きはいますが、それは、日本も同じ。

 盗難は、バスの中でも道ばたでも、よくあります。同僚のひとりがバスで財布を取られてしまったし、にぎやかな街角で、いきなりバックを引っ張られて、あやうく取られそうになった、という、同僚の体験談も聞いています。
 どの国にも、悪い人は必ずいるし、いい人もいる。

 危険な事件がまれとは言っても、どこで何がおこるかわかりません。
 個人旅行者にとって、常に安全に対する自己責任が必要なのはいうまでもありません。
 最初に交番へ寄ったのは、万が一の場合を考えて、私がこうしてこの村に来たことを、警察官に知らせるためです。

 ちょっと夕食を食べに出た、という姿ですから、パスポートはむろんのこと、仕事先からもらった工作証(身分証明書)も、宿舎に置いてきており、私がどこの誰かを証明するものは、何もありません。万が一の場合、私がここにいることを、誰にも知らせていないのでは、身元証明がありません。

 お巡りさんに、私が日本人であること、市内の大学で教師として働いていることなどを告げ、浴池に泊まりたいと、話しました。

 お巡りさんが浴池までいっしょに行って、フロントのおばちゃんと交渉してくれました。単純な思いこみかもしれませんが、お巡りさんが私を連れてきてくれたことで、盗難に遭う可能性も減ったような気がします。

 宿泊料、銭湯こみで10元(150円)。
 30年近く前に、ケニアで泊まった宿が一泊500円くらいの所だったことがありますが、私の「安宿記録」を更新しました。

<つづく>
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2007年07月09日


ニーハオ春庭「あか抜けた宿泊」
2007/07/07 土
ニーハオ春庭中国通信>1元バスツアー・あか抜けた宿泊
 
 村の風呂屋宿泊。
 フロントで、小さな石けん、薄いタオル。使い捨ての小さなパンティをもらいました。
ペナペナ化繊のバスローブとロッカーの南京錠は貸与。

 風呂場係りのおばさんが、私の南京錠の番号をチェックして、ここに服をいれろ、と示します。ロッカーに服を入れ、南京錠をかけて、鍵は腕にブレスレットのようにはめておく。

 シャワー室は、15畳くらいの部屋の三方の壁にシャワーが取り付けてあります。
 先客が3人。おばさんひとりと、若い娘二人組。自宅にシャワーや風呂の設備がない家が多いので、市内でも浴池は、街角ごとにあります。

 先客、悠々と念入りに体をこすっています。友人の調査では、夏でも蒸し暑くない東北地方、シャワーを浴びるのは夏でも3~4日に一回、冬は一週間に1回程度の「浴池行き」が平均なのだとか。
 
もらった石けんでチャッチャッと汗を流したあと、2階へ。
 泊まるスペースは、大部屋を低い板で仕切り、一人分の寝床スペースを区切っています。日本で言うなら、山谷の木賃宿か、終夜営業ネットカフェか。

 1階フロントから、日本人には個室を用意するよう連絡があったらしい。お巡りさんのおかげかな?
 2階フロントのとなりの宿直事務室のような部屋。ベッドと事務机がある。
 ドアの鍵が壊れているのがなんだけれど、ま、大丈夫でしょう。どこでも眠れるのが特技。

 外がいつまでもがやがやしていたけれど、いつの間にか眠ってしまい、朝5時前に目が覚めました。いつもの起床時刻です。

 5時20分の始発に乗り、市内に戻りました。来るときは知らずに、1元払っただけで乗り続けてしまったのですが、帰りは、料金を確かめると3元でした。来るときの分、自己申告しようかなと思いましたが、運転手が違う人だし、事情を中国語で説明するのもたいへんだし、ま、今回はいいかなと、3元だけ払いました。

 今回の風呂屋泊まり、何事もなく無事に専家公寓(外国人専門家宿舎)まで戻れましたが、あまり人に大声で吹聴できる体験ではありません。(と、言いつつ、こうして書いているんですけど、小声でこっそり書いた文章だということにして)
 万が一の場合、事件事故に巻き込まれてもしかたがない、という覚悟をもちつつ、それでも地元の中に入って過ごしてみたい人にだけ、「こんなお泊まりもありますよ」と、お知らせ。

 う~ん、昔の山谷界隈簡易宿泊所に泊まったことある人だったら、ここでも眠れる。あるいは、アジアアフリカ旅行バックパッカー御用達の安宿に泊まったことがある人なら。
 星のついてないホテルには泊まったことがないって人には絶対無理。って言っても、星つきホテルに宿泊している人は、風呂屋の2階に泊まろうなんて気は起こさないよね。

 風呂屋だけに、私は、あか抜けたいい女になって、一皮むけたと思っているんですけれど、、、、、   

<1元バスツアーつづく>
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2007年07月11日


ニーハオ春庭「中国的村めぐり」
2007/07/11 水
ニーハオ春庭中国通信>村めぐり

 中国では、国→省→市→県、となっており、県は、市より小さい行政単位です。
 東京に23の区と、三鷹市などの市、大島町などの町、檜原村などの村があるように、今、私の住んでいる省都の市の行政区画は、7つの区、3つの市、ひとつの県を含んでいます。
 区や県、市の中に、さらに「鎮」という村が含まれます。

 私が住んでいるのは、市の中心地の「区」部ですが、区の行政区域のなかにも、さらに、鎮などがあります。
 風呂屋にとまった富峰鎮大屯は、朝陽工業開発区のなかの村です。

 市内を巡るバスは1元だけれど、郊外の村へ行くバス(郊線)は、3~5元だということがわかって、いくつかの村へ行って見ました。

 123路線は、市の北側へ向かいます。
 終着は焼鍋嶺(シャオグォリン)という村。1時間くらいバスにのって、料金は5元。(75円)
 道路は、ところどころ舗装が剥がれていたり、穴ぼこがあちこちにあったりして、のろのろ運転のことも多かった。だから、60分走っていたといっても、市の中心部からは30キロくらいしか離れていないのではないかと思います。正確なところはわかりません。こちらで買った地図には縮尺や1cmが何キロにあたるのかのスケールがついていないので。

 乗客は、市内で買い物をしたのか、売り物を村に持って帰るのか、大きな袋をかかえて乗り込んでいます。

 市内、北のはしにある「監獄」の前を通りすぎると、あとは、街道筋にときどき小さな集落が見えるだけで、どこまでいっても、トウモロコシ畑。
 町に売りにくる葱や茄子を作っている畑もあるのだろうけれど、とにかく、目に入るのは、全部トウモロコシ。どの畑の苗も50センチくらいに伸びたところです。
 
 トウモロコシ=玉米(ユイミー)は、東北地方の主食のひとつ。
 大連の友人ハンさんは、「子どものころ、毎日毎日玉米のおかゆで飽き飽きしていたから、大人になってからしばらくは食べたいと思わなかった」と言っていました。
 日本のように、粒がぎっしり並んだまま茹でたり焼いたりして食べることもありますが、小さな粒に刻んでお粥にしたり、粉に挽いて饅頭(マントウ)や麺にしたり。

 トウモロコシ畑の中のでこぼこ道、道の両側に並木が続いています。
 日本では田舎道の両側が並木になっているのは、昔の街道筋が松並木になっているくらいで、並木といえば都市の光景が多い。
 畑の中の道に並木がずっとつづく光景。バスで走っていくと、木と木の間から広がる緑のじゅうたんが心地よい。緑豊かな景色をのんびり楽しんで眺めていました。

<つづく>


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2007年07月12日


ニーハオ春庭「焼鍋嶺村」
2007/07/12 木
ニーハオ春庭中国通信>焼鍋嶺村

 焼鍋嶺の村に近づくと、雨が降ってきて、終点停留所に着いたらどしゃぶり。5月6月、2ヶ月間も雨が降らなかったのに、私が村に来たら、大雨だなんて。
 私はトウモロコシ畑に恵みの雨をもたらす雨女かも。

 筆談用のボールペンを忘れてきたことに気づき、まずは停留所前の食品雑貨店に入りました。

 小さな手帳を出して、手で書くマネをし、「我想買鉛筆(ウォーシャンマイチァンビー)」と言ってみる。おばちゃん、ボールペンを出してくる。お、私の中国語、通じてるよ。書く物を買いたがっていることが伝わった。
 って、ノートに手で書くマネをしていたら、消しゴムやちり紙は出してこないよね。

「ヅィガ(これ)、ドゥオシャオチェン(多少銭=いくら?)」
「ウーマオ。あんた、見かけない顔だね。どこの人?雲南人?」

「おや、ウーマオ、5角か。おつりもらうの面倒だな。2本買えばよかった」と、思う間もなく、おばちゃんは、5角コインをボールペンといっしょにこちらに渡してくれました。
 1元は、正式にはイーユェンと言いますが、日常会話では「イークヮイ」。1角は「イーマオ」と呼ばれています。5角は「ウーマオ」

 このあたりの方言では、標準語で「ヂェ(これ)」と言うところを「ヅィ」といいます。
 でも、私の発音は下手で、標準語とも違っているし、方言としてもへんな発音なので、「あんたは雲南人か」と、聞かれたりします。「雲南省の少数民族出身で、普通話(プートンファ=標準語)が下手な人なのだろう」と思われているのかもしれません。

 昔は、はるか南の雲南省の人間がこのあたりに来ることはまれだったので、雲南人ではなく南方人(ナンファンレン)か、と尋ねられたものでしたが、最近は、台湾人か、と言われたり、雲南人と言われたりします。
 私の発音は南方系に近いのでしょうが、とにかく言える言葉は、ニーハオ、シエシエ、ドゥオシャオチェン?

 ボールペン1本購入し、ま、これで筆談ができると、2軒あるうちの片方の食堂に入りました。
 バス停留所前の店は、この食料雑貨店のほか、食堂が2軒、ガソリンスタンド1軒。それで全部。

 メニューを見て、指さし注文。並んだ漢字から料理や食材が想像できるものもあるけれど、何が出てくるのか、まったく見当がつかないものもあります。
 見知らぬ料理名をひとつ注文してみる。ちょっと冒険。それから、これまでに何度か注文したことがあって、無難な食べ物であることが分かっているものをひとつ注文。

 「ヅィガ、ターラー(大辣)マ?我不要大辣」一応、辛い食べ物が苦手なことは言っておかないと。唐辛子で真っ赤っかな料理が出てきたら食べられない。

 ちょこっと口を開けば、たちまち「よそ者」であることがばれてしまう。「あんたは雲南から来たのか?」
 また、「雲南人」かい?どうして、ここらの人は、「発音がへんな人なら雲南人」と思うのか。どうしようかと思ったけれど「我是、日本人(リーベンレン)」と正直に言いました。
 
 「この村に来て、この食堂でごはんを注文する初めての日本人」になるのかもしれないと思うと、ちょっと緊張。
 私が出会ったほとんどの人は、日本人に対し好意的で、私自身がいやな思いをしたことはないけれど、東北地方には、まだ先の戦争の痛みを抱えた人々も多く残っているし、日本人は嫌いと公言する人もいる。
 反日運動が吹き荒れたころとは違うといっても、日本人と表明したあとは、ちょっと緊張する。

「へー、日本から来たの?仕事?」
「中国に来たのは仕事だけれど、今日は仕事の日じゃないから、旅行だよ」
「ひとりで旅行?誰かに会うために来たの?」
「会う人はいない。ここでご飯食べたら、またもとのところへ帰るの」

 わざわざ辺鄙な田舎にご飯を食べにきた、へんな人だと思われたでしょうね。でも、昼ご飯夕ご飯を食べるために出かけてくるのが、私の1元バスツアー。

<つづく>
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2007年07月13日


ニーハオ春庭「村の食堂」
2007/07/13 金
ニーハオ春庭中国通信>村の食堂

 村の食堂のおばちゃん「おかずは、地三鮮と鍋包肉だね。あいよ、わかった。主食はどうする?米飯も饅頭(マントウ)もあるよ」
 このあたりでは、おかずプラス主食の米飯、饅頭、水餃子などを注文するのが標準。

 米飯は、日本の米とは違うので、私にはちょっとボソボソに思えます。米飯はおいしいと思えず、たいてい水餃子を主食にする。餃子は、日本では「おかず」ですが、中国では主食。
 
 マントウは、小麦やトウモロコシの粉をこねて、平たい円形やまん丸、俵型など、さまざまな形にしたパンのようなもの。日本の肉まんのように、肉餡が入っているものもありますが、これも主食のうち。日本でいえば、「かやく混ぜご飯」みたいなもの。

 また、小豆の甘煮が入っているのもあり、これは日本のまんじゅうの原型になったもの。さまざまな種類がある饅頭(マントウ)のうち、日本ではこの小豆甘煮入りだけが「まんじゅう」として広まったのです。
 中国の人が、日本で饅頭という文字を見て「主食」として買ってみたら、甘い餡が入っているものばかりで、おかずといっしょに食べるものがなくて困るかもしれません。

 注文してから料理ができるまでの間、雨も小やみになってきたので、「厠所 在 那里?(トイレ、どこ)」と、たずねました。
 「この店にはないよ。向かいのガソリンスタンドにあるから、連れて行ってあげる」

 店の人が連れて行ってくれたガソリンスタンドの裏手。
 裏庭が菜園になっていて、じゃがいもや葱が植えてある。畑のすみっこが厠所。
 4角に棒を立て、板を打ち付けて囲ってある。地面に穴を掘って踏み板を渡した、昔ながらの作り。穴は深くないから、人様の残したものが、おしりに届きそうに盛り上がっている。う~、ごはん前に来るんじゃなかった。

 とは、言っても、来てしまったからには、利用しなければなるまい。板を並べたドアを一応閉め、目をつぶって用を足す。
 次に、店の人も利用する。見事にドアは開けっ放し。私がドア前に立っていても平気。
 ドアなしトイレを利用する人、老いも若きも恥ずかしいとはだれも思っていない。

 「日本の温泉では、皆が人前で裸になるでしょう。知らない人の前に裸をさらして恥ずかしくないの? 」と、逆に聞かれたことがある。
 「う~ん、温泉に入るのは慣れているからね」
 「中国の人は、ドアがないトイレに、慣れているんだよ」

 そうだよね。恥ずかしいという感情は「これは恥ずかしいことだ」と、教わったことに対して恥ずかしいのだもの。
 中国の小学校のトイレ。
 十分な数はないトイレを、大勢の子どもが順番に利用するため、もともとドアを設けてていないところが多く、顔を次の人が順番に並んで待っている方に、おしりを奥に向けてしゃがむ。次の順番の人を目の前にして用をたす。みんなそうしているから、温泉で裸になるのと同じで、恥ずかしいなんて言ってはいられない。

 食堂に戻って、茄子(チエズ)の炒め物を食べました。
 写真を撮るとき、日本で「いちに、さん、はい、チーズ」と、笑顔を作るところを、ここらでは、「イーアルサン、チエズ」と言います。ナスは笑顔のもと。
 笑顔を作りながら、茄子、おいしくいただきました。
 
 雨もやんで、薄暗くなってきた村のトウモロコシ畑の中を、元きたデコボコ道、バスでトロトロと戻りました。

<おわり>

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2007年07月14日


ニーハオ春庭「新立城水庫」
2007/07/14 土
ニーハオ春庭中国通信>伊通河の新立城水庫

 村めぐり。
 長距離バスで、ちょっと遠出してみました。
 と、いっても、予定をたてて出かけたのではなく、たまたま長距離バスが止まったのを見て、乗り込んでみたのです。

 バスのフロントガラスに、行き先が伊通と書いてありました。
 地図を頭に思い浮かべて、それほど遠くでないことを思い出したので、いつもの「行きあたりばったりツアー」開始。
 行き先の伊通(イートン)鎮は、「伊通満族自治県」中心地で、80キロほど離れたところの町です。

 長距離バス、500km、800km先まで行くことは当たり前。でも、そんな遠くまでいくバスだったら、日帰りで戻れなくなります。80kmは、日帰りコースにちょうどいい。
 高速道路利用料金込みの高速バス代15元。約90分。

 満族(満州族)は、東北地方を中心に住んでいます。
 遼寧省の瀋陽市には、満族の首長から、清朝の皇帝となった愛新覚羅(アイシンギョロ)一族の最初の宮殿があり、13年前に見学したことがあります。今回行ってみようとおもいついた伊通には、そんな名所はなく、ただ、満族が多数集まっている自治県の町、というだけです。

 満州族自治県といっても、特別変わった町ではありません。
 満州族は、漢族でない少数民族の中では人口1千万人を越え、最大の少数民族なのですが、満州族が清朝を立てて以来、漢族と同化していて、話す言葉も皆、中国語=漢語(ハンユエ)です。

 「満州語」は、すでに死語になっていて、日常生活で満州語を使う人はほとんどおらず、モンゴル文字から改良された満州文字を読み書きする人も、研究者以外にはいません。
 満族出身の清朝皇帝ラストエンペラー溥儀も、満州語を儀礼的に習いはしましたが、日常生活ではすべて漢語でした。

 伊通へは、伊通河に沿って南下します。伊通河の途中、広い湖が見えました。湖の周りは灌漑が行き届くせいか、田植えのすんだ田圃が広がっています。
 この湖、実は人工湖で、伊通河を堰き止めて作られた、水資源確保のための湖です。

 名前は、「新立城水庫」といい、私の住む町の水、四分の一は、この人工湖から取水しています。
 13年前に、半年間暮らしたときには、水不足で、しょっちゅう断水騒ぎがありましたが、現在水不足が改善されたのは、この人工湖のおかげ。
 1970平方キロ、貯水量は5.92億立法メートルだそうですが、数字を言われても実感わかないので、写真をみてください。海のように水平線のかなたがかすむ湖です。

 日本語サイトで「新立城水庫」について言及している唯一のサイト。鳥取県から交流派遣された人が取った写真が、サイト画面の下のほうにあります。 
 http://www.pref.tottori.jp/kokusai/koryu/trend/2006/0607.html

<つづく>
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2007年07月15日


ニーハオ春庭「満族の町の床屋」
2007/07/15 日
ニーハオ春庭中国通信>満族の町の床屋

 伊通鎮は、満族(満州族)自治県(人口46万人)の中心地なのですが、要するに田舎町です。通りの両側に店が並んでいて、通りを抜ければ、あとは何もなし。
 見物するような名所もなく、町をぶらぶらすれば、見学おわり。

 私の住む町と違うところは、タクシーの車種。
 私が普段利用している中国で一番安いという初乗り5元のタクシー、第一汽車製造のジェッタ(捷達)という臙脂色の車が大多数。

 伊通のタクシーは、オート三輪。後ろに座席用のいすをとりつけて、ビニールの幌をかけた乗り物です。市内1元(15円)。

 夏は風通しがよいだろうが、冬は寒そう。あのビニールで雨はふせげるのかしら。オート三輪にのって町をひとまわりしようと思いながら歩いていたら、ほんのちょっと町をぶらぶらしただけで、突然雨が降り出しました。
 しかたがないので、軒先に入りました。そこは床屋の軒先。隣は風呂屋。風呂屋は富嶺鎮で入ったので、雨宿りがてら床屋で髪を切ることにしました。

 「我要剪髪」だけ言って、あとは手真似で髪を切るジェスチャー。店の人、うんうん、と納得のようす。分かってもらえたらしい。鏡の前のいすをすすめられたので、はい、ヘアカット、大丈夫よね、、座りました。

 そしたら、いきなり頭にシャンプーを振りかけられた。水とシャンプーを交互に振りかけながら、頭をごしごし。
 美容院では、シャンプー台に仰向けに寝てシャンプーします。
 日本でも、床屋では、このように洗髪しているのを見たことはあるのですが、これまで私は一度も床屋でシャンプーしたことがありませんでした。
 鏡の前の椅子に座ったままのシャンプーは初めてだったので、びっくりしました。

 いすから流しへ行き、お湯をじゃーじゃーかけられて、すすぎ。
 うん、中国に来て、こんなシャンプーしたことも、初めてのいい経験だなあ。カットが少しくらい下手でも、とにかく、シャンプーとカットで5元(75円)だ、文句も言えまい。

 シャンプーは若いオネーサンでしたが、カットはおばさん。
 シャギーを入れたり、段カットしたりというような面倒なものでなく、私のはただのオカッパ。ボブスタイルというものなので、失敗はないだろうと思うものの、まあ、失敗しても「もともと、ヘアスタイルの善し悪しで見栄えが変わるほどの顔でもなし」と、おまかせ。
 
 おばさん、はさみに集中してくれればいいのに、やはり「どこから来たのか、何しに来たのか」と、見なれない客に質問をしてくる。その程度の受け答えはできるけれど、早口で複雑なこと聞かれても、答えられない。
 あとで、紙に書いて筆談するから、複雑な質問はしないでよ。きまった文型しか言えないのだから。

<つづく>
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2007年07月16日


ニーハオ春庭「伊通のオート三輪タクシー」
2007/07/16 月
ニーハオ春庭中国通信>伊通のオート三輪タクシー

 中国、田舎町の床屋。
 ここでも「あんた、雲南人か」だった。よほど、私の顔は、雲南省のどこかの少数民族と同じ顔立ちだと見えるのか。みんなで「雲南人か」と、聞く。それとも、「どこのだれだか分からない人」という意味で「雲南人」と言われるのだろうか。

 ものすごく熱いブローが吹きかけられた。「很熱(ヘンルゥァ)、熱いよぅ!」
 私の発音が悪いせいか、雲南人にとってこれくらいじゃ熱いうちに入らないと思っているのか、おばちゃん、気にせずブローを続ける。っく~、5元だからって、やけどしちゃたまらん。それでも一応終わりました。

 合わせ鏡でヘアスタイルを確認し、ま、こんなもんだろうと「とてもいい。很好(ヘンハオ)」と言いました。

 昔、夫が私に「どんなヘアスタイルをしても似合う女性と、どんなヘアスタイルしても代わり映えしない女性は、どんなヘアスタイルをしてもいいのだ。だから、あなたは、どんなヘアスタイルをしてもいい」と、言ったことを思い出しながら、支払い5元。
 ええ、もちろん私は、どんなヘアスタイルしても~~の方ですとも。く~っ!

 ヘアカットは終わっても、雨がやみそうもない。
 おばさんは、片隅のソファを勧めてくれて、あれこれ聞いてくる。「ウォーシーリーベンレン我是日本人」ま、言えるのはこれくらい。あとは、筆談。

 隣の風呂屋と中がつながっていて、風呂屋とセットで髪を切りにくるようだ。風呂屋の1階にいた人たちが、皆床屋に移動してきた。「めずらしい日本人」を見物に。

 たぶん、この床屋に入った唯一の日本人でしょう。というか、日中国交回復後、この伊通鎮に何人の日本人が来たことがあるのやら。

 雨はますます強くなってきました。よくよく私は雨女?
 これでは町歩きもできないし、帰るしかないかな。

 床屋のおばさんも、風呂屋から私を見物に来ている人たちも、くちぐちに、帰るなら、オート三輪タクシーで、長距離バス駅まで行くとよい、駅までなら1元だから、といいます。よし、雨のなか、バス発着駅まで行くとするか。

 オート三輪を停めて乗り込んだ。
 行き先をいう発音が悪いから、2元取られた。
 いつもなら、「1元のはずだろ、おっちゃん、ボルんじゃないよ!なめんなよ!」と、ケンカするところ(金額だけ中国語、あとは日本語で)なんだけれど、雨だし、隣町だし、おとなしく「よそ者料金」2倍を払いました。2倍といっても、15円のところが30円になった、というだけなんですけれど。

 長距離バス、もう人が乗り込んでいます。
 バスの隣では、白タクが「10元でいくよ」と客引きしている。長距離バスの15元より安いけれど、途中で「高速道路代金50元」とか言うのかもしれないから、やめておく。

 建物の中の窓口で切符を買いました。11元。あれ?来るときは15元だったのに、帰りは安い、と思ったのだけれど、バスのなかで、車掌に「これは高速道路代がついてない」と、言われて、5元払った。あれ?合計16元だ。なんだかよくわからんが、元来た道を戻りました。

 あとで調べると、午後4時半発の長距離高速バス、これを逃したら、またまた「泊まり」になってしまうところでした。
 オート三輪タクシーのおっちゃんとやりあって時間をかけていたら、乗り遅れるところだったので、2倍料金をおとなしく払った甲斐があったというわけです。

 今回の村めぐり、満族の町だけに、満足満足。
 ~くー、寒いダシャレかな。床屋のブローは熱かったのだけれど。

<おわり> 
コメント
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