2012/01/17
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(5)テレビに浸かる
いろんな楽しみを見いだしている若い世代に比べ、私は、テレビが娯楽の王様だった時代に育った者であり「一億総白痴化」と揶揄された世代で、いまだに「家族そろっての娯楽はテレビ」という「三丁目の夕日」型の習慣を守っているわが家です。一家四人、昭和生まれですし、全員、時代の波には乗れない方。
正月は箱根駅でのテレビ応援で盛り上がりました。うちのテレビスポーツ観戦は、冬はフィギュアスケートと駅伝、マラソン。夏は競泳を見るのがメインです。
家族みな、チームプレイは苦手なので、サッカーや野球などは、ワールドカップとかオリンピック決勝など以外はあまり見ませんが、今年はロンドンオリンピックもあるので、夏休みはテレビ漬けかも。私は、フィギュア男子フリーも水泳も、応援ポイントは「イケメンかどうか!」です。
イケメンの定義はそれぞれで、好みは異なるけど、「腐女子」方面には疎い私も、ボーイズラブ系美少年は好きです。ジャニーズ系もフィギュアスケート美少年もイイワァ。
フィギュアスケートのジョニー・ウイアー。世界中にファンクラブがあり、世界各地のスケート大会中継で「ジョニ~、こっち向いてぇ~」という日本語の叫び声が聞こえるのも、さもありなんと思っていたけれど、この子はほんとにボーイズラブ系だよな、と思っていた。
ロシア好きで知られるジョニー、2012年1月、同性婚が法的に認められているニューヨークで、ロシア系の男性と結婚したと報道されました。ジョニー、おめでとう!!
(NYでは、2011年7月に同性婚承認の法案成立)
子どもの頃からのロシア好きという好みが、こういう形で人生に結びつくってのも、人生いろいろです。相手の男性は、1歳年上の28歳。法律関係の人というヴィクター・ボロノフ。ジョニーにとって「ずっと探していた理想の男性」なんだそうで、めでたしめでたし。私だって理想の男性を探したけれど、結果は、、、、人それぞれですね。
日本は、スポーツ選手や芸能人に多いというセクシャルマイノリティも、なかなかカミングアウトできない環境です。人気が仕事に直結してしまう芸能人だとそうもいかない場合があるのでしょうが、スポーツ選手はどんな成績を残すかがすべてなのですから、偽装結婚なんぞしないで、ジョニーのように堂々と人生を開いてほしいです。
藤本隆宏も、水泳選手から芸能界への転身という選択を貫いたように、これからも自分自身を貫いてほしいです。
競泳の解説者かキャスターとして藤本隆宏が出たら、いっそう観戦に熱が入るのにな。競泳の中継をとった局、お願いします。藤本は「BS朝日テレビ2007、2009世界水泳」で「解説者」として、出演したことがあります。ロンドン競泳ではメインキャスターになってほしい。
NHK大河ドラマのほか、毎期、わが家は週に4、5本の連続ドラマを見ます。ドラマを選ぶのは、チャンネル権を手放さない娘。去年は、『それでも生きている』『家政婦のミタ』などを見ました。録画し、CMは飛ばしながら見る、という視聴習慣が続いています。今期、見ると決めたイケメンは、月曜日松本潤&瑛太。木曜日山ピーと岡田将生、金曜日松岡昌宏、土曜日山田涼介、日曜日松山ケンイチと本木雅弘。
NHKBSなどで日本映画史の傑作がまだまだ続けて放映されるのも楽しみ。
「西欧知識人家庭では、テレビ好きは知性が低いっていう評価をするらしいから、留学生の前であんまりテレビが好きって言わないほうがいいよ」とは言われているのだけど、日本のテレビドラマとアニメは、日本の文化です。西欧知識人にどう思われようと、今年もテレビドラマを見てイケメンにうっとりしますし、Qサマなんぞのクイズ番組見て、へぇと思った解答をすぐに忘れて、「ナイナイごち」とか「帰れま10」とか料理食べる系バラエティ見て美味そうだの高いだの言って、「運動神経ない芸人」なんぞを見て笑って、「ザ・マンザイ」見て「シンスケいなくても、日本のお笑い界なんとかなりそう」と思ったり、テレビウォッチングも忙しい。ほんと知性低いって評価されそうなラインナップだけど、いいさ、遊びをせんとや生まれたんだから。
<つづく>
08:08 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2012年01月18日
ぽかぽか春庭「世界の文化を楽しむ」
2012/01/18
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(6)世界の文化を楽しむ
「遊びをせんとや生まれけむ」の春庭ながら、仕事はまじめにこなしております。といっても、仕事でも楽しむことは忘れておりません。
1月6日に、留学生初級日本語クラス、新年最初の授業で、春庭クラス恒例の「Show & Tell」をしました。それぞれの国の文化について、ものを示しながら、日本語で説明をする、という授業です。
トルコの学生は、世界遺産「ヒエラポリス-パムッカレ」の写真を見せていっしょうけんめい説明しました。ヒエラポリスは、古代の都市名。2世紀頃のローマ帝国の遺跡があります。パムッカレとはトルコ語で「綿」という意味だそうです。綿のような白い岩が不思議な景観を作り上げています。石灰華段丘からなる丘陵地。
http://labaq.com/archives/51296331.html
しかし、「その白いのは、ほんとうの綿ですか」という他の学生からの質問に、トルコのネブさんは、「いいえ、綿じゃありません」「saltですか」「いいえ、塩ではありません」と言ったものの、日本語の「石灰岩」という単語を知らず、「Caveにも同じのがあります」と言ってあとが続かなかった。彼の言うCaveとは、鍾乳洞のことを言っているのだという見当はついたのだけれど、私は、鍾乳洞Stalactite caveという単語も、「炭酸カルシウム」「石灰」というのを英語でなんていうのかも忘れてしまい、説明できませんでした。
タイの学生は、ドリアンについて説明し、フライドドリアンチップスをクラスの皆に配って試食。インドネシアのダーさんは、アンクルンを借りてきて、どのような楽器か、音を出しながら説明しました。私も久しぶりにアンクルンのひとつを鳴らしてみました。
アンクルンの演奏で「上を向いて歩こう」
http://www.youtube.com/watch?v=KCm23TZhiFQ
インドネシア男子学生は、バティック染めのシャツを見せながら伝統のろうけつ染めを紹介しました。きちんと発表原稿を作ってきたワンさんは、メモを見ながら「バティック(ジャワ更紗)というのは、インドネシア語で、"点"を意味する、tik,titikと、"沢山"を意味するbayaから合成されたてbatikということばになりました」と教えてくれました。ろうけつ染めの蝋を垂らす点。それがたくさんつらなって、模様を描き出す。へぇ、バティックはいろいろ見てきたけれど、語源は知らなかった。早速メモ、メモ。
手書き手染め、型プリント機械染めなど、いろいろな「バティック」があります。ジャワ島、カリマンタン島など、島ごとに異なる独自の模様があることも説明してくれました。
中国のリーさんは、中国大晦日の飾り文字「福」の字をなぜ逆さまにして飾るのか説明。
「福がやってくる」という意味の中国語「福到来」と「福が倒れた」という意味の「福倒了」は、似た発音になるため、福を倒して逆さまにしておけば、福がやってくる、と中国人は考える、という発表でした。
このことは、私も中国に行ったときに聞いていたので、他の国の留学生に補足説明。ようは、発音が同じということによる掛詞、シャレのわけで、日本にも同じような言葉遊びや修辞法があることを教えました。
最後に私からのShow & Tell。祝い袋とお年玉袋を見せて、日本人がお金をプレゼントするときの習慣について説明。次に、日本語も「福到来」と同じように、シャレが好きです、と話し、御縁と五円は同じ発音だと、説明しました。そして、お年玉袋にリボンを結んだ五円玉を入れて、「これで、私とみなさんのゴエンがつながりました」と、全員にプレゼント。日本語でじょうずに話せたことのご褒美をあげてShow & Tellの授業をおひらきにしました。
今年もたくさんの留学生といろいろなゴエンが結ばれ、いろいろな言葉を得ることができるだろうと楽しみです。
あなたとのゴエンも続きますように。あ、私にプレゼントしてくださるなら、五円玉でなく、五万ドルほど用立てていただけると、ありがたい。アハッ、インドネシアの五万ルピアなら、貸してくださると。でも、五万ルピアだと500円玉一個分。これではバティックのシャツも買えませぬ。
とにもかくにも、福が到来しますように。2012年は、1月23日が旧暦の元日です。
<つづく>
07:02 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2012年01月20日
ぽかぽか春庭「写真美術館散歩」
2012/01/20
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(7)写真美術館散歩
私の散歩、長い距離動き回るときは自転車散歩です。去年は、水元公園まで2時間かけて自転車で走り、菖蒲を見てきました。電車で出かけて、公園や庭園を散歩するのも好き。今年もバラやツツジ、紫陽花、菖蒲、あちこちの花を見て歩くつもりです。美術館散歩、博物館散歩は、招待券が手に入り次第なので、いつどこに行くとも決まっていません。
1月2日、東京写真美術館へ。箱根駅伝を往路ゴールを見てから出かけ、6時の閉館まで、楽しく歩きました。正月2日の写真美術館は、どのフロアも無料公開です。無料、大好き。
3F「ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」。イギリス、ドイツ、フランスで19世紀後半から20世紀前半に展開した社会記録写真(ソーシャル・ドキュメンタリー)を展示。写真家たちは、町に出て、産業革命後の急激なヨーロッパの変化を写し取りました。写真そのものが過渡期の技術であり、さまざまな技法が試みられた中、トーマス・アナン、ジョン・トムソン、ビル・ブラント、ブラッサイ、ウジェーヌ・アジェ、アウグスト・ザンダー、ハインリッヒ・ツィレらが、消えゆく街角、貧民街の生活風景など、失われていく歴史の一コマを記録しました。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1448.html
ヨーロッパの街の表情、そして人々のようす。なにげない街角の記録が、激動の時代の歴史をしっかりと表現していることに心惹かれました。
2F「日本の新進作家展vol.10写真の飛躍」
私にはわからない様々な撮影技術現像技術を駆使して、写真の新しい表現をしている若い写真作家たち。多重露光、露出、コラージュなどの技法。ロビーのテレビモニターでは、出品作家のうち一番若い1982年生まれの西野壮平が、写真によるコラージュ作品を完成させるまでを録画し、流していました。都市をうつした写真を大きな画面に並べていき、ひとつの都市のイメージコラージュを作り上げるという作品です。モノクロで写した都市の写真。それを並べて「Diorama Map」を作り上げる。
今回の展示作品とは違うものだけれど、こんな作品
http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/gallery/2005/sohei_nishino/index.html
B1F「映像をめぐる冒険vol.4見えない世界のみつめ方」
出品作家の鳴川肇さんが会場にいて、自作の「地球儀と同じ縮尺で正確な面積のまま標示される平面地図」の作成方法について、説明していました。「AuthaGraph World Map」という投影技法で、球体から多面体へ、多面体から正四角錐へと地図を投影していき、正四角錐を展開すると、縮尺がゆがまない地図ができあがる、という方法です。一般の地図のメルカトル図法などだと、極地に近づくほど面積が大きくなってしまう欠点がありますが、それを是正する画期的な平面地図です。
私たちが住む地球の姿への意識のありよう。天動説であったころから、地動説へ。20世紀後半から、衛星写真、月から捉えた地球の写真などで、地球が青い星だというイメージは、完全に人々の脳裏に埋め込まれたのだけれど、それまでの人類のイメージの形成で、どのように地球が捉えられてきたか、天動説の本などが展示されていました。
1969年に、アポロ11号によって撮影された「地球の出」の写真。私たちがほんとうに丸いひとつの星の上に住んでいることを強烈に印象づけた1枚の写真でした。
「見ること」は、写真を撮ることや絵を描くことに比べ受動的に感じられるかも知れません。でも、「見る」という行為の能動性は、人間の心理をそっくり変えてしまうくらい強いものでもあります。
今年は上野の東京都美術館がリニューアルオープンするし、美術館歩き、いろいろ楽しめそうです。次回から東京国立博物館「清明上河図」にたどり着くまでの4時間待ちについて。
<つづく>
07:10 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2012年01月21日
ぽかぽか春庭「博物館で列に並ぶ」
2012/01/21
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(8)博物館で列に並ぶ
たいていの場合、美術館を歩くのは招待券をもらったときに限る。自分でお金を出して入館料払うのは、よほどのとき。で、正月2日から公開の「清明上河図」を見ようかどうか迷っていたのも、招待券が手に入れられそうにないので、さて、1500円という私にしてみれば高いチケットを買うかどうか迷った10日間。えい、清水の舞台、、、、、というほどは高くないが、2階の屋根くらいから飛び降りて、チケット購入。買ったからには朝早くから夕方までたっぷり時間をとって見ようと、13日金曜日の朝、9時半には家を出ました。この日は、センター試験準備日休講で、平日に休みがとれ、平日だから空いているかも、と思って出かけたのです。
ところが、10時開館と思った東京国立博物館は9時半にオープンしていて、10時ちょいすぎに正門に着いたときには、すでに長い列が平成館から本館前まで伸びていました。
平日の10時だというのに、世の中、こんなにも閑そうなじいさんばあさんがいるんだ!と感心する。
若い人はほとんど見かけない。そりゃそうね。働いているか学校へ行っているか。ヒマなのは爺さん婆さん。たまに白いダウンやら煉瓦色のコートがいるけれど、爺さん婆さん達は、黒っぽいコートやらダークグレイ、焦げ茶などが多いので、全体的に黒々とした列で、冬の寒さがいっそう増す気がする。そういう私も、ユニクロの黒いウルトラライトダウンの上に焦げ茶のコートを重ね着するという完全防備の冬支度バーサンです。このユニクロウルトラライトダウン、電車の一車両に5人は見かける。私は去年買えなくて、元日の特売で買いました。くすん、また柳井正を儲けさせてしまった。
「平成館の入り口に達するまで50分待ち。入館したあと、「清明上河図」の前にたどり着くまでには、さらに180分待ち」と、列をさばく係の看板に書いてあります。どうしようかと迷いました。いつもなら「こんなに混んでいるんなら、別の日にまた来よう」とか思うところですが、なにせ、1500円払ってしまったので、「これをムダにしてなるものか」と、貧乏性が言う。はい、おとなしく並びました。3時間。
平成館に入るまで40分。このときはバッグに入っていた山田風太郎の『あと千回の晩飯』を読んでいました。面白い。でも、もう後半ですから、2時間もたたないうちに読み終わりそう。読み終わっちゃったら、あとの時間、どうやってヒマ潰そうか。夫婦連れは仲よさそうに語り合っているし、友達と二人連れのおばちゃん組は賑やかにおしゃべりしている。こういうとき、おひとり様は本がないと困ってしまう。列に並んでいる人のウォッチングも3時間も続けたら飽きてしまう。
列が動いたので、読み終わりそうな文庫をバッグにしまって入館し、「清明上河図」観覧の列に加わりました。
北京の故宮博物院に行ったことあるけれど、「清明上河図」は、中国の人だってめったに見ることが出来ない秘宝中の秘宝。これを逃したら、一生のうちに見ることができないだろうと思うから、おとなしく並びました。
1階ラウンジに2人ずつ並ぶという列、私はひとりだから、もう一人70代くらいの白髪の女性と組になりました。
私が文庫本を読んでいると、彼女は小さなスケッチブックに、スケッチをしている。列の移動のとき、ちらっと覗くと、ささっと書いているけれどなかなかうまい。「お上手ですね、絵をやっていらっしゃるんですか」と声をかけてみたところ、それから怒濤の彼女のおしゃべりが続き、3時間飽きることなく列に並んでいられました。
<つづく>
10:32 コメント(0) 編集 ページのトップへ
2012年01月22日
ぽかぽか春庭「博物館で待ち続ける」
2012/01/22
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(9)博物館で待ち続ける
清明上河図を見るための、3時間待ちの列。
いっしょに並ぶ70代とお見受けした女性、見学待ち行列に並んで、おしゃべりが続きました。「あのね、私、八王子市の絵画教室に入って水墨画習ってるの。初級中級ときて、上級はもう2回くりかえしたんだけれど、毎回教室の人気が高くて抽選だから、もう、応募しても、初めての人が優勢みたいで、はずれちゃったの。中国から来たとてもすばらしい先生で、リー先生、ムサビでも教えているの。こうやってこんなふうに身体使って筆動かすので、そりゃもうすばらしい絵なんです」と、先生自慢をする。
「そうですか。私も中国に行っていたころずいぶん水墨画も見ましたけれど、故宮博物院でも清明上河図は展示していなかったので、今回はとても期待して見にきました。ご自身で水墨画習っていらっしゃるなら、私のような素人とは違って、深い見方がおできになるでしょうから、いろいろ教えていただきたいです」と、話を向ける。
彼女が名前と電話番号のメモをくれたので、私も名刺を渡しました。Oさんというお名前。
Oさんは「ほら、これは、私の絵に5歳の孫が色をつけたんですけれど、とても色づかいがいいでしょう」と、別のスケッチブックを開いた。「あら、お上手ですね、お孫さん、絵がお好きなら、先が楽しみですね」と、見せてもらう。
純真なこどものころは伸びやかな線を描き、こだわりのない色づかいができるのに、大人になると自由な絵心が消えてしまう、など、彼女の話が続きます。彼女の娘さんは西日暮里に住んでいて、上野に来るときなどは娘の家で一泊し、それから美術館巡りをするのだそうです。
「もう、私、認知症が始まったみたいなので、、、、」とOさんが言うので、「そんなことないでしょう、しっかりお話なさっているし、こうして元気に絵を見たり描いたりなさっているのですもの。私のほうこそ、物忘れが多くて、今日も東博は9時半オープンっていうのを忘れちゃって、ほかの美術館のように10時オープンだと思って来たら、この行列だもの、ちゃんと開館時間を覚えていなかったこっちが悪いんですけど」
長い待ち時間でしたが、彼女はしゃべりっぱなし。
Oさんは、1937(昭和12)年生まれというので、今は75歳。小柄な身体ですが、元気いっぱいに見えます。
「すっと仕事を持っていたんですけど、娘がね、年をとったらいつまでも仕事していないで、好きなことだけしたほうがいいって勧めてくれたので、こうして美術館に来たりしているんです」
「いいですねぇ、私はまだまだ仕事を続けなければ食べていけないので。今日はたまたま休みになってので、平日に来られたけれど、平日で3時間待ちなら、土日はもっとすごいでしょうね」
彼女は若い頃、絵を志していたけれど、結婚後は絵はあきらめて、家事育児のほか、時間にしばられずに仕事ができるフリーの速記者として雑誌のインタビュー速記をしていたのだそうです。「速記1級なんて、すごいじゃないですか。私の夫、新聞記者の仕事に必要だろうからって速記を習ったって言っていましたけれど、2級とるのがせいいっぱいで、1級はよほどすごい人じゃないと合格しないって言っていましたよ」
速記1級がむずかしい専門職なのだ、ということを知っている人間に出会えて気分よくしたとみえ、速記者時代の話を続けてしてくれました。
<つづく>
00:57 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2012年01月24日
ぽかぽか春庭「無限ループ話を聞く」
2012/01/24
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(10)無限ループ話を聞く
Oさんが尋ねるので、私が読んでいた文庫は山田風太郎のエッセイだと言うと、「あら、その作家は知らないけれど、私、作家に会ったことあるわ。ほら、日本沈没とかの、あら、誰だったかしら」「日本沈没は小松左京だと思いますけど。昨年亡くなりましたよね」「そうそう、その人。私会ったことあるのよ。雑誌の仕事でインタビューに行ったの。話の内容は全部忘れたけれど、つりズボンのベルトのところをこうやって伸ばして話していたの覚えているわ」と、「私が会った有名人」シリーズがはじまりました。
「あと、あの人、だれだっけ、芸術は爆発だ、の人」「岡本太郎ですか」「そうそう、あの人の講演会にも行ったわ。若い女の人といっしょにいたっけ」「その人はたぶん、岡本敏子さんでしょうね」「そうそう、思い出した。お母さんたち相手の講演会で、岡本太郎さんは、子どもは子どもの気持ちのままに自由に絵を描けばいいって言ってた」
そのほか、大江健三郎や松下幸之助のインタビューも速記記録したとのこと。
「松下さんはね、四畳半で奥さんと明日食べる米がないって泣いていたこともあるってお話してました」というので、「ええ、私も『神様の女房』ってドラマ見ましたよ。常盤貴子が松下むめのやってましたね」
「そうそう、女優さんにもいろいろ会った。女優の三田佳子は芸能人には珍しく、時間をきちんと守る人だったわ。高千穂ひずるはプロ野球関係の人がおとうさんだったわね、色の白い人でした。山本富士子はね、一番ツンとした人でした」
速記者としてインタビューに立ち会ってきたけれど、速記録を文字に起こして、雑誌社に送ればそれで仕事は終わりなので、記録も何もとっていないといいます。「あら、もったいない。会った方達の印象を一行の記録でもいいから、お孫さんに残しておあげになったらよろしいじゃありませんか」と話す。
「清明上河図」の展示室が見えてきて、180分待ちの列もようやく終わりになると思った頃、「やっと清明上河図に対面できますね」と私が言うと、彼女の話は「あのね、私、八王子市の絵画教室に入って水墨画習っているの。初級中級ときて、上級はもう2回くりかえしたんだけれど、毎回教室の人気が高くてね。抽選だから、初めての人が優先みたいで、私は、はずれちゃったの。中国から来たとてもすばらしい先生で、ムサビでも教えているんだけど、リー先生、こうやってこんなふうに子どもみたいに自由に身体使って筆動かして、、そりゃもうすばらしい絵なんです」と、列に並び始めたころの話題にループしました。
それまでたびたび「私、認知症もはじまっていて」というのを、「元気なお年寄りジョーク」だと思っていたのですが、まさか、話が最初に戻るとは。
「うちの5歳になる孫、私のスケッチに色を塗ってくれるんですけど、この色づかいは、大人にはとても出せないもので、、、、」と、孫の自慢話もループ。
おお、これがお年寄りの無限ループ話か。
どこかの老人ホームへ行って傾聴ボランティアしようかしら、なんて、気軽に考えたことを反省しました。同じ話が2度繰り返されただけでびっくりしているんだもの。4度でも5度でもにこやかに相づちをうって同じ話を聞くというボランティアは、とてもできそうにない。年寄りの無限ループ話を傾聴するのは、姑の昔話だけにしておいたほうがよさそうです。
<つづく>
00:01 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2012年01月25日
ぽかぽか春庭「清明上河図を見る」
2012/01/25
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(11)清明上河図を見る
東博平成館2階の第2展示室。中に入ると、まだまだ列はぎっしり続く。拡大された清明上河図が貼ってある壁に沿ってのろのろ進む。係員はひっきりなしに「立ち止まらないでください。一歩ずつ前へ進んで下さい」と声を張り上げています。
拡大図を見ながら、いっしょに列に並んだOさんと「すごい筆使いですね」と、そろそろと進みました。清明上河図の拡大絵が見えるようになったら、Oさんの話は「上河図」のことになったので、無限ループかと思った思い出話が終わって、ちょっとほっとしました。
本物を見る前に、拡大図で細かいところまでよくわかって面白かったです。図版ではあまりよくわからないところも、細々と見て取れました。
いよいよガラスケースに入った清明上河図の本物。
私は館内係員が「前の方に続いて、一歩ずつおすすみください」とガナるので、前の人に続いてすすみましたが、私の後ろにいるはずのOさんは、すすもうとせず、私とOさんの間に隙間ができました。振り返ってOさんを見ると、涙ぐんでいます。
ずっと見たいと願っていた絵を見ることができて、もうこの絵を見るのはこれで最後かもしれない、そんな感慨いっぱいの目でした。間がどんどん開いても、Oさんは前にすすもうとしないので、私はOさんから離れて、一足先に展示会場を出ました。Oさん、係員に追い立てられるまで、見入っていたことでしょう。
会場を一歩出てしまうと逆行はできず、もう一度見たい人は、1階ロビーの待ち列最後尾に行ってくださいとのこと。さすがに、もう一度3時間も待つ気にはなれない。
Oさん、もう会うことはないのでしょうね。「昔のことは思い出すけれど、きのう今日のことはすぐ忘れちゃうのよ」と言っていたとおりに、私と会っておしゃべりしたことも、明日には忘れてしまうのでしょう。明日は明日で、Oさんは出会った人に無限ループで孫の話をしているのかも。
ケースの中の絵をじっくり見ることもできずに、追い立てられるように会場を出てしまい、3時間待って、絵を見ていられた時間は10分ほどです。
「清明上河図」本物を見た、という感慨だけ残して、絵の細かいところは、図版でもう一度見ようと、図録購入。2500円。入場料の1500円とあわせて4000円。一日の行楽費としては、私としては大盤振る舞いです。まあ、まだ正月気分ということで、自分にお年玉。
第2展示室の書をざっと見て出ると、2時になっていました。朝ご飯食べずに来たので、さすがにおなかがすきました。休館中の東洋館にある精養軒のレストランで「広島牡蠣フライ定食」1300円を食べてから、ふたたび平成館へ。
朝方は180分待ちの看板が出ていましたが、午後は210分待ちの標示。みんなそんなに清明上河図が見たいのか、と、思ったら、1月8日の朝、日曜美術館で特集が組まれ紹介されたところだったのだそうです。善男善女は、テレビで紹介されれば、押すな押すなで列に並ぶ。まあ、私も並んだ「ヒマそーなバーサン」のひとりです。これなら、1500円のチケットに躊躇せず、1月5日見ればよかった。5日は、世間では仕事が始まっていて、私はまだ冬休みだったから。平日に見ることができて、ジーサンバーサンたちは、テレビを見て押しかける前で、13日ほどは混んでいなかったろう。
第2展示室の「故宮博物院の至宝」を見ました。清王朝第6代皇帝乾隆帝(けんりゅうてい、1711-1799)の遺物などを中心に、皇帝衣装や宝物が並んでいます。『蒼穹の昴』を去年見たところだし、興味深く見てまわりました。
「清明上河図」一生に一度かも知れず、見ることができてよかったです。お話をきかせてくださった元速記者、八王子のOさんにも、出会えて良かったです。
これからも美術館博物館散歩、絵との出会い、人との出会いを楽しみにして歩きまわります。
<つづく>
09:29 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2012年01月27日
ぽかぽか春庭「ことばを知る」
2012/01/27
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(12)ことばを知る
春庭の言語文化トリビア知識。あれこれ気づいてそのときは「おもしろ~い」と思うのですが、知ったそばから忘れてしまうので、また同じこと知るとまた「おもしろ~い」と何度でも楽しめます。今年最初のことばの新知識。忘れないうちにメモしておきます。
日本語の音読み、訓読みについて。
日本には「yama」という言葉があり、同じ意味を表す中国の文字「山」が伝えられたとき、「san」という古代中国(南方地方の呉)の発音とともに、日本語の意味を表す「yama」とも発音することにした。これが訓読み。「花」は、Kaという古代中国発音と同じ意味の日本語、hanaとも発音する。(現代中国語では山はshan、花はfaと発音)。
「紙」という文字の音読みは「シ」。訓読みは「カミ」と教わったので、留学生の漢字教育でもそのように説明してきました。しかし、中西進『日本文学と漢詩』を読んだら、中西は違う説明をしていました。
カミKamiは、中国語「Kam」が、日本的な発音に変化したもの、というのが中西説。すなわち、訓読みのように見える「かみ」も、もとは中国語由来の発音だ、というのです。
「紙」は、音読みはシ。中国では、文字を書く媒体を「簡kam」と表記した。同じ文字を書く媒体として輸入された紙も、日本では同様にkamと認識された。
以下、春庭の補足。
紙が発明される前は、インドではバイタラヨウの葉の表面をとがったもので傷をつけて文字を表し、中国でも最初は骨、継いで竹を薄く切ったものや木の皮などに文字を書き付けていました。
kamとは、漢字で書けば「簡」であり、文字を書くために、竹を薄く切って並べたもの。竹と竹を繋いで、間に隙間がある。それが「竹プラス間=簡」
古代の日本には文字がなく、それを書き付けるための木の皮も竹の薄片も必要なかった。大陸または半島から、日本に文字が直接入ってきたのは、金印を受けた九州の「倭の奴国王」や卑弥呼のころ。古墳時代になると、呪符としての文字が太刀や道鏡、土器などに刻まれるようになった、つまり土器の表面をひっかいて(かいて)文字の形を刻んだ。けれど、日本語として刻まれたのではなく、あくまでも呪力を持つ記号として。
日本で初めて文字が刻まれたとき、それは土器に棒か何かのとがったもので、土器の表面をひっかいたものであったろう。だから、「かく」という語は、もともと「ひっかく、とがったもので傷をつけて印づける」ことであったろう。
文字を書く媒体として「簡」が大陸からもたらされたとき、日本には文字を書くための媒体はなく、それを表すことばもなかったから、そのまま取り入れ「kam」という発音が伝わりました。しかし、日本語は開音節(必ず母音で終わる発音)であるため、kaは発音できるが、古代の人はmを単独の音として発音できず、iを付け加えてKamiとなった。
以上が、Kamiと言う語の由来、中西進説。
まとめると、「もともと日本には、簡も紙もなかった。簡が輸入されたとき、kamがkamiになって日本語に定着した。紙が輸入されたとき、書記媒体という意味から、同じようにkamiと発音した」。
モノが外国から入ってきたとき、外来の語がそのまま日本語になるのは、今も同じ。テレビジョンは、電波映像受像器という翻訳漢語ではなく、日本人に発音しやすいように「テレビ」として受け入れ、パーソナル・コンピュータは、「個人用電気高速演算機」と漢語翻訳せず発音しやすい「パソコン」となる。(中国語は「个人电脑gèrén diànnǎo 」と翻訳した)。
「紙カミ」は、もともと中国語、という中西の説、腑に落ちました。
<つづく>
07:03 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2012年01月28日
ぽかぽか春庭「ことばを楽しむ」
2012/01/28
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(13)ことばを楽しむ
中西進は、日本には文字がなかったのだから、書かれた文章もなかったと考えました。中国語「文」が文字を連ねてまとまった事柄を表すものとして日本に輸入されたとき、文bumが日本語的発音になったものが文fumiだというのが中西説。
以下、春庭補足。中国語の「文bum」が輸入されたとき、古代日本語の発音でpumとして取り入れ、mは単独発音できないので母音を付け加えpumiとなった。pの発音は奈良時代以後、fの発音に変化したのでfumi。
m、b、pは、発音が移動し合う音です。(いずれも口唇音。samuiサムイとsabuiサブイはどちらも「寒い」を表す)。日本語では同じ「文」が古代中国語発音のままbumとも発音し、また、その変化形の「fumi」も使われているのです。(現代中国語で「文」はwenと発音します。韓国朝鮮語ではmun)。
漢字の音読み、訓読み、このような基礎的なことでも、新しいことを知ると、とても面白く感じます。
さて、「文fumi」には強いつもりの春庭、数字に弱い。
漢字クイズをしていて、最後まで解けなかった熟語が「二一天作五」でした。「二一」と「作五」の間に「天」を入れるのができなかったのです。
和語にも漢字熟語にも強いと自負していたのに、やはり、まだまだ修行が足りません。
「二一天作の五」とは、算盤用語。
小学校の算数授業で算盤を習ったとき、足し算引き算はなんとか覚えたのだけれど、かけ算割り算はさっぱり指も頭も動かなかった。
だから、割り算のことばである「二一天作の五」も思い出せなかった。
珠算での割算九九。10を2で割るとき、十の位の一の珠をはらい、桁の上の珠を一つおろして五とおく運算をしながら「二一天作の五」と唱えるのでした。
この用語から、「物を半分ずつに分けること」や単純に「計算、勘定」のことを「じゃ、今日の飲み代は二一天作の五でいきましょうや」などと、言ったものらしい。
今年も、忘れていたことば、新しいことば、どんなことばに出会えるでしょうか。テレビのクイズバラエティ番組をよく見ていて、そのとき知らない言葉があると、へぇ、知らなかった、と感心するのだけれど、すぐに忘れてしまう。メモをしておけばいいのに、このテレビを見終わったらメモしようと思っているうちに忘れてしまう。まあ、その程度の新知識だけれど、自分では「数字には弱いけれどことばには強い」つもりでいるので、せっせと知らない言葉をコレクションしていきたいと思います。
<つづく>
09:20 コメント(0) 編集 ページのトップへ
2012年01月29日
ぽかぽか春庭「絵はがきをセッチョウする」
2012/01/29
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(15)絵はがきをセッチョウする
子どものころ、本を読んでいたりすると夢中になってしまい、家の手伝いを忘れてしまうこともありました。私の分担は薪割りと風呂焚き。家の手伝いが疎かになったりするとよく父が「自分のことばっかりセッチョウしてないで、うちのことちゃんとやれ」と怒ったものでした。自分ではあまりこの「セッチョウする」という語を使ったことがないまま大人になり、東京ではさっぱり聞かない語になったので、群馬方言だろうと思っていましたが、確認することもないままになっていました。先日ふと気になって調べてみました。
群馬弁と共通語彙が多い埼玉県秩父地方の方言にも「せっちょうする=世話する」という意味の語があり、関東甲信地方で使われていることがわかりました。
・千葉銚子せっちょー:いたずら。『支度』の意味もある。
・群馬・長野せっちょー:面倒、おせっかい、世話。
など。
大辞泉、大辞林などに、古語の「せっしょうする」の語が変化したもの、折檻打擲(せっかんちょうちゃく)という語が略されたもの、という説がありました。
「殺生せっしょう」から「せっちょう」になった、と言う説は、発音変化としてはわかるのですが、意味から言うと、ちょっと違う気もします。「こき使う→世話をする」という意味変化が起きたのかどうか。
小学館デジタル大辞泉「せっちょう(する)」:
「せっしょう(殺生)」の音変化か。「折檻打擲(せっかんちょうちゃく)」の略とも》責め苛(さいな)むこと。こき使うこと。「ねぢ上げ、ねぢ上げ―す」〈浄・天神記〉
三省堂大辞林「せっちょう」:
「せっしょう(殺生)」の転か〕いじめさいなむこと。また、こき使うこと。(用例)余の女郎どもを―せい/浄瑠璃・傾城酒呑童子」
柳田国男は、方言周圏論で「方言は、古語をゆかりとするいにしえのことばの地方残存だ」と述べました。方言周圏論からいうと、「セッチョウ」も現在は方言だけれど、古語から由来している、ということになります。
父に「自分のことばっかりセッチョウしてないで、家の手伝いを先にしろ」と叱られても、なかなか腰があがらなかったように、今、春庭は「期末の成績をつける」ことをやらなければならないのに、そちらにはなかなか取りかかれず、自分のことばっかりセッチョウしています。
今しているのは「絵はがきセッチョウ」です。
2011年4月から始めた、春庭アートプロジェクト「Also I'm still alive. To:青い鳥」。
九州福岡で暮らす青い鳥ちるちるさんあてに、葉書を送り続けるシリーズです。ちるちるさんは、2008年に体調改善のための手術後、突然首から下が動かなくなるというアクシデントがあり、それ以来不自由な生活を続けています。ヘルパーさんや妹さんの介護を受けてリハビリを続け、「足の指が動いた」「左手が動いた」と、努力の毎日です。
私には、ちるちるさんの体調がよくなるよう祈ることしかできません。祈りのひとつの形として、葉書を三日に一枚、一ヶ月に10枚送ることを始めました。
美術館へ行っても、観光地へ行っても、「ちるちるさんに送る葉書、どれにしよう」と選ぶのが楽しみのひとつ。雑誌のグラビアや美術館のチラシなどからきれいな写真や絵を切り抜いて、手作り絵はがきをこしらえるのも、いろいろな切り取り方で楽しめます。
絵を切り抜いて、白い紙と貼り合わせて葉書を作る時間、文を考えて、下手な字ですが、一字一字祈りを込めて書く時間、そのとき流れる時間が私とちるちるさんとの絆を綯うひとときなのだと思っています。
はがきの文は、そのときそのときに心に浮かんだことをちゃらっと書いて、何を書いたかすぐに忘れてしまうので、もしかしたら、同じようなことを繰り返して書いている場合があるかも。
でも、同じことを書いたとしても、それはおばあちゃんが繰り返す昔話と同じ。同じことを何度でも語りたいから何度でも書くのです。
<つづく>
00:36 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2012年01月31日
ぽかぽか春庭「絵はがきを出す」
2012/01/31
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(15)絵はがきを出す
1月30日付けで、青い鳥ちるちるさんに送った絵はがきが100枚になりました。
もともと「チルチルさんのリハビリがうまく進むよう、お百度踏んで、お祈りしたい」と思ったお百度踏みの代わりの絵はがきだったので、100枚で最初のお百度の目的は達成されました。これからも私なりのお百度踏みは続けて行きます。
昨年は、毎月のテーマを決めて、たとえば、4月「花」、7月「山」8月「海」10月「紅葉」12月「クリスマス」など、時節にあった絵柄を選ぶようにしていました。今年からは、年ごとのカラーを決めて、1年の色合いを統一させた上で各月の時節にあわせた絵柄を選ぶようにして、ちょっと凝ってきました。
今年は辰年なので、「青龍」。2012年のテーマカラーは青です。すでに、12月の分まで120枚、青を基調にした絵はがきが選んであります。来年2013巳年は「黄色」が基調。2012午年「茶とオレンジ」2015ひつじ年「緑」2016申年「赤」2017酉年「紫とピンク」2018戌年再び「青」。約800枚の絵はがきが、年ごと月ごとに10枚ずつセットになって段ボール箱に入っています。
「もう、絵はがきが2018年の分まで用意できている」と年末の葉書に書いたら、ちるちるさんは「あはは、そんなに長生きしてないよ」とメールをくれました。返信をくださって、申し訳ないです。昨日30日には、コメントもいただきました。
~~~~~~~~
投稿者:chiruchiru77 2012-01-30 19:55
はるさん、いつも、手紙ありがとう!あったか~い文章は、すごくいいです。
ほんとうに、励まされます。
手が動くようになったら、一番に何がしたい?と聞かれ、「鼻くそいじり~」と言ってたのを、妹が書き残していました。その念願が、叶いましたよ~~!!
みなさん、励ましてくださって、どうも、ありがとう!
もとに戻るまではと、必死でリハビリ がんばっています。
~~~~~~~
ちるちるさん、手が動かせてほんとによかった。
正月休みの間も、テレビ見ながらせっせと絵はがき作りをして、葉書はどんどん増えています。三日に1枚出しても、毎日葉書が増えますから、品切れになることはないでしょう。
「8年間出し続ける絵はがきがある」と思うだけで、年と共に萎えがちな生きる気力が奮い立ち「これからも一生懸命生きて、ちるちるさんに毎日の報告をしなくちゃ」と思えるのです。
2011年12月に広島大学ペスタロッチー教育省を受賞なさった高谷清さん。74歳の今日まで、重症心身障害児の治療と教育のために尽くしてこられた方です。前びわこ学園医療福祉センター草津園長。著書の『重い障害を生きるということ』(岩波新書)に書かれている言葉が新聞に紹介されていました。
「体を自由に動かせない彼らは、人類の障害を引き受けて戦う戦士」
尊いことばだと思います。
体を自由に動かせない環境で一生懸命に生き、詩を作り続けるちるちるさんは、私にとって、「生きていく戦士」です。
ちるちるさん、長生きしてね。私はせっせと駄文の葉書を送ります。ちるちるさんとの絆は、私にとっては生きる希望のひとつです。
長生きしてくれないと困ります。10枚セットの絵葉書が、出番を待っています。
さて、もう一人については、格別長生きを願っていたわけでもないのですが、「太く短く生きる」なんて、本人が若い頃宣言していたのとは違って、どうやらまた腐れ縁が続きそう。本日、我が不肖の連れ合い、還暦を迎えます。う~、おめでたい。
<おわり>
02:07 コメント(4) 編集 ページのトップへ
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(5)テレビに浸かる
いろんな楽しみを見いだしている若い世代に比べ、私は、テレビが娯楽の王様だった時代に育った者であり「一億総白痴化」と揶揄された世代で、いまだに「家族そろっての娯楽はテレビ」という「三丁目の夕日」型の習慣を守っているわが家です。一家四人、昭和生まれですし、全員、時代の波には乗れない方。
正月は箱根駅でのテレビ応援で盛り上がりました。うちのテレビスポーツ観戦は、冬はフィギュアスケートと駅伝、マラソン。夏は競泳を見るのがメインです。
家族みな、チームプレイは苦手なので、サッカーや野球などは、ワールドカップとかオリンピック決勝など以外はあまり見ませんが、今年はロンドンオリンピックもあるので、夏休みはテレビ漬けかも。私は、フィギュア男子フリーも水泳も、応援ポイントは「イケメンかどうか!」です。
イケメンの定義はそれぞれで、好みは異なるけど、「腐女子」方面には疎い私も、ボーイズラブ系美少年は好きです。ジャニーズ系もフィギュアスケート美少年もイイワァ。
フィギュアスケートのジョニー・ウイアー。世界中にファンクラブがあり、世界各地のスケート大会中継で「ジョニ~、こっち向いてぇ~」という日本語の叫び声が聞こえるのも、さもありなんと思っていたけれど、この子はほんとにボーイズラブ系だよな、と思っていた。
ロシア好きで知られるジョニー、2012年1月、同性婚が法的に認められているニューヨークで、ロシア系の男性と結婚したと報道されました。ジョニー、おめでとう!!
(NYでは、2011年7月に同性婚承認の法案成立)
子どもの頃からのロシア好きという好みが、こういう形で人生に結びつくってのも、人生いろいろです。相手の男性は、1歳年上の28歳。法律関係の人というヴィクター・ボロノフ。ジョニーにとって「ずっと探していた理想の男性」なんだそうで、めでたしめでたし。私だって理想の男性を探したけれど、結果は、、、、人それぞれですね。
日本は、スポーツ選手や芸能人に多いというセクシャルマイノリティも、なかなかカミングアウトできない環境です。人気が仕事に直結してしまう芸能人だとそうもいかない場合があるのでしょうが、スポーツ選手はどんな成績を残すかがすべてなのですから、偽装結婚なんぞしないで、ジョニーのように堂々と人生を開いてほしいです。
藤本隆宏も、水泳選手から芸能界への転身という選択を貫いたように、これからも自分自身を貫いてほしいです。
競泳の解説者かキャスターとして藤本隆宏が出たら、いっそう観戦に熱が入るのにな。競泳の中継をとった局、お願いします。藤本は「BS朝日テレビ2007、2009世界水泳」で「解説者」として、出演したことがあります。ロンドン競泳ではメインキャスターになってほしい。
NHK大河ドラマのほか、毎期、わが家は週に4、5本の連続ドラマを見ます。ドラマを選ぶのは、チャンネル権を手放さない娘。去年は、『それでも生きている』『家政婦のミタ』などを見ました。録画し、CMは飛ばしながら見る、という視聴習慣が続いています。今期、見ると決めたイケメンは、月曜日松本潤&瑛太。木曜日山ピーと岡田将生、金曜日松岡昌宏、土曜日山田涼介、日曜日松山ケンイチと本木雅弘。
NHKBSなどで日本映画史の傑作がまだまだ続けて放映されるのも楽しみ。
「西欧知識人家庭では、テレビ好きは知性が低いっていう評価をするらしいから、留学生の前であんまりテレビが好きって言わないほうがいいよ」とは言われているのだけど、日本のテレビドラマとアニメは、日本の文化です。西欧知識人にどう思われようと、今年もテレビドラマを見てイケメンにうっとりしますし、Qサマなんぞのクイズ番組見て、へぇと思った解答をすぐに忘れて、「ナイナイごち」とか「帰れま10」とか料理食べる系バラエティ見て美味そうだの高いだの言って、「運動神経ない芸人」なんぞを見て笑って、「ザ・マンザイ」見て「シンスケいなくても、日本のお笑い界なんとかなりそう」と思ったり、テレビウォッチングも忙しい。ほんと知性低いって評価されそうなラインナップだけど、いいさ、遊びをせんとや生まれたんだから。
<つづく>
08:08 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2012年01月18日
ぽかぽか春庭「世界の文化を楽しむ」
2012/01/18
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(6)世界の文化を楽しむ
「遊びをせんとや生まれけむ」の春庭ながら、仕事はまじめにこなしております。といっても、仕事でも楽しむことは忘れておりません。
1月6日に、留学生初級日本語クラス、新年最初の授業で、春庭クラス恒例の「Show & Tell」をしました。それぞれの国の文化について、ものを示しながら、日本語で説明をする、という授業です。
トルコの学生は、世界遺産「ヒエラポリス-パムッカレ」の写真を見せていっしょうけんめい説明しました。ヒエラポリスは、古代の都市名。2世紀頃のローマ帝国の遺跡があります。パムッカレとはトルコ語で「綿」という意味だそうです。綿のような白い岩が不思議な景観を作り上げています。石灰華段丘からなる丘陵地。
http://labaq.com/archives/51296331.html
しかし、「その白いのは、ほんとうの綿ですか」という他の学生からの質問に、トルコのネブさんは、「いいえ、綿じゃありません」「saltですか」「いいえ、塩ではありません」と言ったものの、日本語の「石灰岩」という単語を知らず、「Caveにも同じのがあります」と言ってあとが続かなかった。彼の言うCaveとは、鍾乳洞のことを言っているのだという見当はついたのだけれど、私は、鍾乳洞Stalactite caveという単語も、「炭酸カルシウム」「石灰」というのを英語でなんていうのかも忘れてしまい、説明できませんでした。
タイの学生は、ドリアンについて説明し、フライドドリアンチップスをクラスの皆に配って試食。インドネシアのダーさんは、アンクルンを借りてきて、どのような楽器か、音を出しながら説明しました。私も久しぶりにアンクルンのひとつを鳴らしてみました。
アンクルンの演奏で「上を向いて歩こう」
http://www.youtube.com/watch?v=KCm23TZhiFQ
インドネシア男子学生は、バティック染めのシャツを見せながら伝統のろうけつ染めを紹介しました。きちんと発表原稿を作ってきたワンさんは、メモを見ながら「バティック(ジャワ更紗)というのは、インドネシア語で、"点"を意味する、tik,titikと、"沢山"を意味するbayaから合成されたてbatikということばになりました」と教えてくれました。ろうけつ染めの蝋を垂らす点。それがたくさんつらなって、模様を描き出す。へぇ、バティックはいろいろ見てきたけれど、語源は知らなかった。早速メモ、メモ。
手書き手染め、型プリント機械染めなど、いろいろな「バティック」があります。ジャワ島、カリマンタン島など、島ごとに異なる独自の模様があることも説明してくれました。
中国のリーさんは、中国大晦日の飾り文字「福」の字をなぜ逆さまにして飾るのか説明。
「福がやってくる」という意味の中国語「福到来」と「福が倒れた」という意味の「福倒了」は、似た発音になるため、福を倒して逆さまにしておけば、福がやってくる、と中国人は考える、という発表でした。
このことは、私も中国に行ったときに聞いていたので、他の国の留学生に補足説明。ようは、発音が同じということによる掛詞、シャレのわけで、日本にも同じような言葉遊びや修辞法があることを教えました。
最後に私からのShow & Tell。祝い袋とお年玉袋を見せて、日本人がお金をプレゼントするときの習慣について説明。次に、日本語も「福到来」と同じように、シャレが好きです、と話し、御縁と五円は同じ発音だと、説明しました。そして、お年玉袋にリボンを結んだ五円玉を入れて、「これで、私とみなさんのゴエンがつながりました」と、全員にプレゼント。日本語でじょうずに話せたことのご褒美をあげてShow & Tellの授業をおひらきにしました。
今年もたくさんの留学生といろいろなゴエンが結ばれ、いろいろな言葉を得ることができるだろうと楽しみです。
あなたとのゴエンも続きますように。あ、私にプレゼントしてくださるなら、五円玉でなく、五万ドルほど用立てていただけると、ありがたい。アハッ、インドネシアの五万ルピアなら、貸してくださると。でも、五万ルピアだと500円玉一個分。これではバティックのシャツも買えませぬ。
とにもかくにも、福が到来しますように。2012年は、1月23日が旧暦の元日です。
<つづく>
07:02 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2012年01月20日
ぽかぽか春庭「写真美術館散歩」
2012/01/20
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(7)写真美術館散歩
私の散歩、長い距離動き回るときは自転車散歩です。去年は、水元公園まで2時間かけて自転車で走り、菖蒲を見てきました。電車で出かけて、公園や庭園を散歩するのも好き。今年もバラやツツジ、紫陽花、菖蒲、あちこちの花を見て歩くつもりです。美術館散歩、博物館散歩は、招待券が手に入り次第なので、いつどこに行くとも決まっていません。
1月2日、東京写真美術館へ。箱根駅伝を往路ゴールを見てから出かけ、6時の閉館まで、楽しく歩きました。正月2日の写真美術館は、どのフロアも無料公開です。無料、大好き。
3F「ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」。イギリス、ドイツ、フランスで19世紀後半から20世紀前半に展開した社会記録写真(ソーシャル・ドキュメンタリー)を展示。写真家たちは、町に出て、産業革命後の急激なヨーロッパの変化を写し取りました。写真そのものが過渡期の技術であり、さまざまな技法が試みられた中、トーマス・アナン、ジョン・トムソン、ビル・ブラント、ブラッサイ、ウジェーヌ・アジェ、アウグスト・ザンダー、ハインリッヒ・ツィレらが、消えゆく街角、貧民街の生活風景など、失われていく歴史の一コマを記録しました。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1448.html
ヨーロッパの街の表情、そして人々のようす。なにげない街角の記録が、激動の時代の歴史をしっかりと表現していることに心惹かれました。
2F「日本の新進作家展vol.10写真の飛躍」
私にはわからない様々な撮影技術現像技術を駆使して、写真の新しい表現をしている若い写真作家たち。多重露光、露出、コラージュなどの技法。ロビーのテレビモニターでは、出品作家のうち一番若い1982年生まれの西野壮平が、写真によるコラージュ作品を完成させるまでを録画し、流していました。都市をうつした写真を大きな画面に並べていき、ひとつの都市のイメージコラージュを作り上げるという作品です。モノクロで写した都市の写真。それを並べて「Diorama Map」を作り上げる。
今回の展示作品とは違うものだけれど、こんな作品
http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/gallery/2005/sohei_nishino/index.html
B1F「映像をめぐる冒険vol.4見えない世界のみつめ方」
出品作家の鳴川肇さんが会場にいて、自作の「地球儀と同じ縮尺で正確な面積のまま標示される平面地図」の作成方法について、説明していました。「AuthaGraph World Map」という投影技法で、球体から多面体へ、多面体から正四角錐へと地図を投影していき、正四角錐を展開すると、縮尺がゆがまない地図ができあがる、という方法です。一般の地図のメルカトル図法などだと、極地に近づくほど面積が大きくなってしまう欠点がありますが、それを是正する画期的な平面地図です。
私たちが住む地球の姿への意識のありよう。天動説であったころから、地動説へ。20世紀後半から、衛星写真、月から捉えた地球の写真などで、地球が青い星だというイメージは、完全に人々の脳裏に埋め込まれたのだけれど、それまでの人類のイメージの形成で、どのように地球が捉えられてきたか、天動説の本などが展示されていました。
1969年に、アポロ11号によって撮影された「地球の出」の写真。私たちがほんとうに丸いひとつの星の上に住んでいることを強烈に印象づけた1枚の写真でした。
「見ること」は、写真を撮ることや絵を描くことに比べ受動的に感じられるかも知れません。でも、「見る」という行為の能動性は、人間の心理をそっくり変えてしまうくらい強いものでもあります。
今年は上野の東京都美術館がリニューアルオープンするし、美術館歩き、いろいろ楽しめそうです。次回から東京国立博物館「清明上河図」にたどり着くまでの4時間待ちについて。
<つづく>
07:10 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2012年01月21日
ぽかぽか春庭「博物館で列に並ぶ」
2012/01/21
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(8)博物館で列に並ぶ
たいていの場合、美術館を歩くのは招待券をもらったときに限る。自分でお金を出して入館料払うのは、よほどのとき。で、正月2日から公開の「清明上河図」を見ようかどうか迷っていたのも、招待券が手に入れられそうにないので、さて、1500円という私にしてみれば高いチケットを買うかどうか迷った10日間。えい、清水の舞台、、、、、というほどは高くないが、2階の屋根くらいから飛び降りて、チケット購入。買ったからには朝早くから夕方までたっぷり時間をとって見ようと、13日金曜日の朝、9時半には家を出ました。この日は、センター試験準備日休講で、平日に休みがとれ、平日だから空いているかも、と思って出かけたのです。
ところが、10時開館と思った東京国立博物館は9時半にオープンしていて、10時ちょいすぎに正門に着いたときには、すでに長い列が平成館から本館前まで伸びていました。
平日の10時だというのに、世の中、こんなにも閑そうなじいさんばあさんがいるんだ!と感心する。
若い人はほとんど見かけない。そりゃそうね。働いているか学校へ行っているか。ヒマなのは爺さん婆さん。たまに白いダウンやら煉瓦色のコートがいるけれど、爺さん婆さん達は、黒っぽいコートやらダークグレイ、焦げ茶などが多いので、全体的に黒々とした列で、冬の寒さがいっそう増す気がする。そういう私も、ユニクロの黒いウルトラライトダウンの上に焦げ茶のコートを重ね着するという完全防備の冬支度バーサンです。このユニクロウルトラライトダウン、電車の一車両に5人は見かける。私は去年買えなくて、元日の特売で買いました。くすん、また柳井正を儲けさせてしまった。
「平成館の入り口に達するまで50分待ち。入館したあと、「清明上河図」の前にたどり着くまでには、さらに180分待ち」と、列をさばく係の看板に書いてあります。どうしようかと迷いました。いつもなら「こんなに混んでいるんなら、別の日にまた来よう」とか思うところですが、なにせ、1500円払ってしまったので、「これをムダにしてなるものか」と、貧乏性が言う。はい、おとなしく並びました。3時間。
平成館に入るまで40分。このときはバッグに入っていた山田風太郎の『あと千回の晩飯』を読んでいました。面白い。でも、もう後半ですから、2時間もたたないうちに読み終わりそう。読み終わっちゃったら、あとの時間、どうやってヒマ潰そうか。夫婦連れは仲よさそうに語り合っているし、友達と二人連れのおばちゃん組は賑やかにおしゃべりしている。こういうとき、おひとり様は本がないと困ってしまう。列に並んでいる人のウォッチングも3時間も続けたら飽きてしまう。
列が動いたので、読み終わりそうな文庫をバッグにしまって入館し、「清明上河図」観覧の列に加わりました。
北京の故宮博物院に行ったことあるけれど、「清明上河図」は、中国の人だってめったに見ることが出来ない秘宝中の秘宝。これを逃したら、一生のうちに見ることができないだろうと思うから、おとなしく並びました。
1階ラウンジに2人ずつ並ぶという列、私はひとりだから、もう一人70代くらいの白髪の女性と組になりました。
私が文庫本を読んでいると、彼女は小さなスケッチブックに、スケッチをしている。列の移動のとき、ちらっと覗くと、ささっと書いているけれどなかなかうまい。「お上手ですね、絵をやっていらっしゃるんですか」と声をかけてみたところ、それから怒濤の彼女のおしゃべりが続き、3時間飽きることなく列に並んでいられました。
<つづく>
10:32 コメント(0) 編集 ページのトップへ
2012年01月22日
ぽかぽか春庭「博物館で待ち続ける」
2012/01/22
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(9)博物館で待ち続ける
清明上河図を見るための、3時間待ちの列。
いっしょに並ぶ70代とお見受けした女性、見学待ち行列に並んで、おしゃべりが続きました。「あのね、私、八王子市の絵画教室に入って水墨画習ってるの。初級中級ときて、上級はもう2回くりかえしたんだけれど、毎回教室の人気が高くて抽選だから、もう、応募しても、初めての人が優勢みたいで、はずれちゃったの。中国から来たとてもすばらしい先生で、リー先生、ムサビでも教えているの。こうやってこんなふうに身体使って筆動かすので、そりゃもうすばらしい絵なんです」と、先生自慢をする。
「そうですか。私も中国に行っていたころずいぶん水墨画も見ましたけれど、故宮博物院でも清明上河図は展示していなかったので、今回はとても期待して見にきました。ご自身で水墨画習っていらっしゃるなら、私のような素人とは違って、深い見方がおできになるでしょうから、いろいろ教えていただきたいです」と、話を向ける。
彼女が名前と電話番号のメモをくれたので、私も名刺を渡しました。Oさんというお名前。
Oさんは「ほら、これは、私の絵に5歳の孫が色をつけたんですけれど、とても色づかいがいいでしょう」と、別のスケッチブックを開いた。「あら、お上手ですね、お孫さん、絵がお好きなら、先が楽しみですね」と、見せてもらう。
純真なこどものころは伸びやかな線を描き、こだわりのない色づかいができるのに、大人になると自由な絵心が消えてしまう、など、彼女の話が続きます。彼女の娘さんは西日暮里に住んでいて、上野に来るときなどは娘の家で一泊し、それから美術館巡りをするのだそうです。
「もう、私、認知症が始まったみたいなので、、、、」とOさんが言うので、「そんなことないでしょう、しっかりお話なさっているし、こうして元気に絵を見たり描いたりなさっているのですもの。私のほうこそ、物忘れが多くて、今日も東博は9時半オープンっていうのを忘れちゃって、ほかの美術館のように10時オープンだと思って来たら、この行列だもの、ちゃんと開館時間を覚えていなかったこっちが悪いんですけど」
長い待ち時間でしたが、彼女はしゃべりっぱなし。
Oさんは、1937(昭和12)年生まれというので、今は75歳。小柄な身体ですが、元気いっぱいに見えます。
「すっと仕事を持っていたんですけど、娘がね、年をとったらいつまでも仕事していないで、好きなことだけしたほうがいいって勧めてくれたので、こうして美術館に来たりしているんです」
「いいですねぇ、私はまだまだ仕事を続けなければ食べていけないので。今日はたまたま休みになってので、平日に来られたけれど、平日で3時間待ちなら、土日はもっとすごいでしょうね」
彼女は若い頃、絵を志していたけれど、結婚後は絵はあきらめて、家事育児のほか、時間にしばられずに仕事ができるフリーの速記者として雑誌のインタビュー速記をしていたのだそうです。「速記1級なんて、すごいじゃないですか。私の夫、新聞記者の仕事に必要だろうからって速記を習ったって言っていましたけれど、2級とるのがせいいっぱいで、1級はよほどすごい人じゃないと合格しないって言っていましたよ」
速記1級がむずかしい専門職なのだ、ということを知っている人間に出会えて気分よくしたとみえ、速記者時代の話を続けてしてくれました。
<つづく>
00:57 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2012年01月24日
ぽかぽか春庭「無限ループ話を聞く」
2012/01/24
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(10)無限ループ話を聞く
Oさんが尋ねるので、私が読んでいた文庫は山田風太郎のエッセイだと言うと、「あら、その作家は知らないけれど、私、作家に会ったことあるわ。ほら、日本沈没とかの、あら、誰だったかしら」「日本沈没は小松左京だと思いますけど。昨年亡くなりましたよね」「そうそう、その人。私会ったことあるのよ。雑誌の仕事でインタビューに行ったの。話の内容は全部忘れたけれど、つりズボンのベルトのところをこうやって伸ばして話していたの覚えているわ」と、「私が会った有名人」シリーズがはじまりました。
「あと、あの人、だれだっけ、芸術は爆発だ、の人」「岡本太郎ですか」「そうそう、あの人の講演会にも行ったわ。若い女の人といっしょにいたっけ」「その人はたぶん、岡本敏子さんでしょうね」「そうそう、思い出した。お母さんたち相手の講演会で、岡本太郎さんは、子どもは子どもの気持ちのままに自由に絵を描けばいいって言ってた」
そのほか、大江健三郎や松下幸之助のインタビューも速記記録したとのこと。
「松下さんはね、四畳半で奥さんと明日食べる米がないって泣いていたこともあるってお話してました」というので、「ええ、私も『神様の女房』ってドラマ見ましたよ。常盤貴子が松下むめのやってましたね」
「そうそう、女優さんにもいろいろ会った。女優の三田佳子は芸能人には珍しく、時間をきちんと守る人だったわ。高千穂ひずるはプロ野球関係の人がおとうさんだったわね、色の白い人でした。山本富士子はね、一番ツンとした人でした」
速記者としてインタビューに立ち会ってきたけれど、速記録を文字に起こして、雑誌社に送ればそれで仕事は終わりなので、記録も何もとっていないといいます。「あら、もったいない。会った方達の印象を一行の記録でもいいから、お孫さんに残しておあげになったらよろしいじゃありませんか」と話す。
「清明上河図」の展示室が見えてきて、180分待ちの列もようやく終わりになると思った頃、「やっと清明上河図に対面できますね」と私が言うと、彼女の話は「あのね、私、八王子市の絵画教室に入って水墨画習っているの。初級中級ときて、上級はもう2回くりかえしたんだけれど、毎回教室の人気が高くてね。抽選だから、初めての人が優先みたいで、私は、はずれちゃったの。中国から来たとてもすばらしい先生で、ムサビでも教えているんだけど、リー先生、こうやってこんなふうに子どもみたいに自由に身体使って筆動かして、、そりゃもうすばらしい絵なんです」と、列に並び始めたころの話題にループしました。
それまでたびたび「私、認知症もはじまっていて」というのを、「元気なお年寄りジョーク」だと思っていたのですが、まさか、話が最初に戻るとは。
「うちの5歳になる孫、私のスケッチに色を塗ってくれるんですけど、この色づかいは、大人にはとても出せないもので、、、、」と、孫の自慢話もループ。
おお、これがお年寄りの無限ループ話か。
どこかの老人ホームへ行って傾聴ボランティアしようかしら、なんて、気軽に考えたことを反省しました。同じ話が2度繰り返されただけでびっくりしているんだもの。4度でも5度でもにこやかに相づちをうって同じ話を聞くというボランティアは、とてもできそうにない。年寄りの無限ループ話を傾聴するのは、姑の昔話だけにしておいたほうがよさそうです。
<つづく>
00:01 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2012年01月25日
ぽかぽか春庭「清明上河図を見る」
2012/01/25
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(11)清明上河図を見る
東博平成館2階の第2展示室。中に入ると、まだまだ列はぎっしり続く。拡大された清明上河図が貼ってある壁に沿ってのろのろ進む。係員はひっきりなしに「立ち止まらないでください。一歩ずつ前へ進んで下さい」と声を張り上げています。
拡大図を見ながら、いっしょに列に並んだOさんと「すごい筆使いですね」と、そろそろと進みました。清明上河図の拡大絵が見えるようになったら、Oさんの話は「上河図」のことになったので、無限ループかと思った思い出話が終わって、ちょっとほっとしました。
本物を見る前に、拡大図で細かいところまでよくわかって面白かったです。図版ではあまりよくわからないところも、細々と見て取れました。
いよいよガラスケースに入った清明上河図の本物。
私は館内係員が「前の方に続いて、一歩ずつおすすみください」とガナるので、前の人に続いてすすみましたが、私の後ろにいるはずのOさんは、すすもうとせず、私とOさんの間に隙間ができました。振り返ってOさんを見ると、涙ぐんでいます。
ずっと見たいと願っていた絵を見ることができて、もうこの絵を見るのはこれで最後かもしれない、そんな感慨いっぱいの目でした。間がどんどん開いても、Oさんは前にすすもうとしないので、私はOさんから離れて、一足先に展示会場を出ました。Oさん、係員に追い立てられるまで、見入っていたことでしょう。
会場を一歩出てしまうと逆行はできず、もう一度見たい人は、1階ロビーの待ち列最後尾に行ってくださいとのこと。さすがに、もう一度3時間も待つ気にはなれない。
Oさん、もう会うことはないのでしょうね。「昔のことは思い出すけれど、きのう今日のことはすぐ忘れちゃうのよ」と言っていたとおりに、私と会っておしゃべりしたことも、明日には忘れてしまうのでしょう。明日は明日で、Oさんは出会った人に無限ループで孫の話をしているのかも。
ケースの中の絵をじっくり見ることもできずに、追い立てられるように会場を出てしまい、3時間待って、絵を見ていられた時間は10分ほどです。
「清明上河図」本物を見た、という感慨だけ残して、絵の細かいところは、図版でもう一度見ようと、図録購入。2500円。入場料の1500円とあわせて4000円。一日の行楽費としては、私としては大盤振る舞いです。まあ、まだ正月気分ということで、自分にお年玉。
第2展示室の書をざっと見て出ると、2時になっていました。朝ご飯食べずに来たので、さすがにおなかがすきました。休館中の東洋館にある精養軒のレストランで「広島牡蠣フライ定食」1300円を食べてから、ふたたび平成館へ。
朝方は180分待ちの看板が出ていましたが、午後は210分待ちの標示。みんなそんなに清明上河図が見たいのか、と、思ったら、1月8日の朝、日曜美術館で特集が組まれ紹介されたところだったのだそうです。善男善女は、テレビで紹介されれば、押すな押すなで列に並ぶ。まあ、私も並んだ「ヒマそーなバーサン」のひとりです。これなら、1500円のチケットに躊躇せず、1月5日見ればよかった。5日は、世間では仕事が始まっていて、私はまだ冬休みだったから。平日に見ることができて、ジーサンバーサンたちは、テレビを見て押しかける前で、13日ほどは混んでいなかったろう。
第2展示室の「故宮博物院の至宝」を見ました。清王朝第6代皇帝乾隆帝(けんりゅうてい、1711-1799)の遺物などを中心に、皇帝衣装や宝物が並んでいます。『蒼穹の昴』を去年見たところだし、興味深く見てまわりました。
「清明上河図」一生に一度かも知れず、見ることができてよかったです。お話をきかせてくださった元速記者、八王子のOさんにも、出会えて良かったです。
これからも美術館博物館散歩、絵との出会い、人との出会いを楽しみにして歩きまわります。
<つづく>
09:29 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2012年01月27日
ぽかぽか春庭「ことばを知る」
2012/01/27
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(12)ことばを知る
春庭の言語文化トリビア知識。あれこれ気づいてそのときは「おもしろ~い」と思うのですが、知ったそばから忘れてしまうので、また同じこと知るとまた「おもしろ~い」と何度でも楽しめます。今年最初のことばの新知識。忘れないうちにメモしておきます。
日本語の音読み、訓読みについて。
日本には「yama」という言葉があり、同じ意味を表す中国の文字「山」が伝えられたとき、「san」という古代中国(南方地方の呉)の発音とともに、日本語の意味を表す「yama」とも発音することにした。これが訓読み。「花」は、Kaという古代中国発音と同じ意味の日本語、hanaとも発音する。(現代中国語では山はshan、花はfaと発音)。
「紙」という文字の音読みは「シ」。訓読みは「カミ」と教わったので、留学生の漢字教育でもそのように説明してきました。しかし、中西進『日本文学と漢詩』を読んだら、中西は違う説明をしていました。
カミKamiは、中国語「Kam」が、日本的な発音に変化したもの、というのが中西説。すなわち、訓読みのように見える「かみ」も、もとは中国語由来の発音だ、というのです。
「紙」は、音読みはシ。中国では、文字を書く媒体を「簡kam」と表記した。同じ文字を書く媒体として輸入された紙も、日本では同様にkamと認識された。
以下、春庭の補足。
紙が発明される前は、インドではバイタラヨウの葉の表面をとがったもので傷をつけて文字を表し、中国でも最初は骨、継いで竹を薄く切ったものや木の皮などに文字を書き付けていました。
kamとは、漢字で書けば「簡」であり、文字を書くために、竹を薄く切って並べたもの。竹と竹を繋いで、間に隙間がある。それが「竹プラス間=簡」
古代の日本には文字がなく、それを書き付けるための木の皮も竹の薄片も必要なかった。大陸または半島から、日本に文字が直接入ってきたのは、金印を受けた九州の「倭の奴国王」や卑弥呼のころ。古墳時代になると、呪符としての文字が太刀や道鏡、土器などに刻まれるようになった、つまり土器の表面をひっかいて(かいて)文字の形を刻んだ。けれど、日本語として刻まれたのではなく、あくまでも呪力を持つ記号として。
日本で初めて文字が刻まれたとき、それは土器に棒か何かのとがったもので、土器の表面をひっかいたものであったろう。だから、「かく」という語は、もともと「ひっかく、とがったもので傷をつけて印づける」ことであったろう。
文字を書く媒体として「簡」が大陸からもたらされたとき、日本には文字を書くための媒体はなく、それを表すことばもなかったから、そのまま取り入れ「kam」という発音が伝わりました。しかし、日本語は開音節(必ず母音で終わる発音)であるため、kaは発音できるが、古代の人はmを単独の音として発音できず、iを付け加えてKamiとなった。
以上が、Kamiと言う語の由来、中西進説。
まとめると、「もともと日本には、簡も紙もなかった。簡が輸入されたとき、kamがkamiになって日本語に定着した。紙が輸入されたとき、書記媒体という意味から、同じようにkamiと発音した」。
モノが外国から入ってきたとき、外来の語がそのまま日本語になるのは、今も同じ。テレビジョンは、電波映像受像器という翻訳漢語ではなく、日本人に発音しやすいように「テレビ」として受け入れ、パーソナル・コンピュータは、「個人用電気高速演算機」と漢語翻訳せず発音しやすい「パソコン」となる。(中国語は「个人电脑gèrén diànnǎo 」と翻訳した)。
「紙カミ」は、もともと中国語、という中西の説、腑に落ちました。
<つづく>
07:03 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2012年01月28日
ぽかぽか春庭「ことばを楽しむ」
2012/01/28
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(13)ことばを楽しむ
中西進は、日本には文字がなかったのだから、書かれた文章もなかったと考えました。中国語「文」が文字を連ねてまとまった事柄を表すものとして日本に輸入されたとき、文bumが日本語的発音になったものが文fumiだというのが中西説。
以下、春庭補足。中国語の「文bum」が輸入されたとき、古代日本語の発音でpumとして取り入れ、mは単独発音できないので母音を付け加えpumiとなった。pの発音は奈良時代以後、fの発音に変化したのでfumi。
m、b、pは、発音が移動し合う音です。(いずれも口唇音。samuiサムイとsabuiサブイはどちらも「寒い」を表す)。日本語では同じ「文」が古代中国語発音のままbumとも発音し、また、その変化形の「fumi」も使われているのです。(現代中国語で「文」はwenと発音します。韓国朝鮮語ではmun)。
漢字の音読み、訓読み、このような基礎的なことでも、新しいことを知ると、とても面白く感じます。
さて、「文fumi」には強いつもりの春庭、数字に弱い。
漢字クイズをしていて、最後まで解けなかった熟語が「二一天作五」でした。「二一」と「作五」の間に「天」を入れるのができなかったのです。
和語にも漢字熟語にも強いと自負していたのに、やはり、まだまだ修行が足りません。
「二一天作の五」とは、算盤用語。
小学校の算数授業で算盤を習ったとき、足し算引き算はなんとか覚えたのだけれど、かけ算割り算はさっぱり指も頭も動かなかった。
だから、割り算のことばである「二一天作の五」も思い出せなかった。
珠算での割算九九。10を2で割るとき、十の位の一の珠をはらい、桁の上の珠を一つおろして五とおく運算をしながら「二一天作の五」と唱えるのでした。
この用語から、「物を半分ずつに分けること」や単純に「計算、勘定」のことを「じゃ、今日の飲み代は二一天作の五でいきましょうや」などと、言ったものらしい。
今年も、忘れていたことば、新しいことば、どんなことばに出会えるでしょうか。テレビのクイズバラエティ番組をよく見ていて、そのとき知らない言葉があると、へぇ、知らなかった、と感心するのだけれど、すぐに忘れてしまう。メモをしておけばいいのに、このテレビを見終わったらメモしようと思っているうちに忘れてしまう。まあ、その程度の新知識だけれど、自分では「数字には弱いけれどことばには強い」つもりでいるので、せっせと知らない言葉をコレクションしていきたいと思います。
<つづく>
09:20 コメント(0) 編集 ページのトップへ
2012年01月29日
ぽかぽか春庭「絵はがきをセッチョウする」
2012/01/29
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(15)絵はがきをセッチョウする
子どものころ、本を読んでいたりすると夢中になってしまい、家の手伝いを忘れてしまうこともありました。私の分担は薪割りと風呂焚き。家の手伝いが疎かになったりするとよく父が「自分のことばっかりセッチョウしてないで、うちのことちゃんとやれ」と怒ったものでした。自分ではあまりこの「セッチョウする」という語を使ったことがないまま大人になり、東京ではさっぱり聞かない語になったので、群馬方言だろうと思っていましたが、確認することもないままになっていました。先日ふと気になって調べてみました。
群馬弁と共通語彙が多い埼玉県秩父地方の方言にも「せっちょうする=世話する」という意味の語があり、関東甲信地方で使われていることがわかりました。
・千葉銚子せっちょー:いたずら。『支度』の意味もある。
・群馬・長野せっちょー:面倒、おせっかい、世話。
など。
大辞泉、大辞林などに、古語の「せっしょうする」の語が変化したもの、折檻打擲(せっかんちょうちゃく)という語が略されたもの、という説がありました。
「殺生せっしょう」から「せっちょう」になった、と言う説は、発音変化としてはわかるのですが、意味から言うと、ちょっと違う気もします。「こき使う→世話をする」という意味変化が起きたのかどうか。
小学館デジタル大辞泉「せっちょう(する)」:
「せっしょう(殺生)」の音変化か。「折檻打擲(せっかんちょうちゃく)」の略とも》責め苛(さいな)むこと。こき使うこと。「ねぢ上げ、ねぢ上げ―す」〈浄・天神記〉
三省堂大辞林「せっちょう」:
「せっしょう(殺生)」の転か〕いじめさいなむこと。また、こき使うこと。(用例)余の女郎どもを―せい/浄瑠璃・傾城酒呑童子」
柳田国男は、方言周圏論で「方言は、古語をゆかりとするいにしえのことばの地方残存だ」と述べました。方言周圏論からいうと、「セッチョウ」も現在は方言だけれど、古語から由来している、ということになります。
父に「自分のことばっかりセッチョウしてないで、家の手伝いを先にしろ」と叱られても、なかなか腰があがらなかったように、今、春庭は「期末の成績をつける」ことをやらなければならないのに、そちらにはなかなか取りかかれず、自分のことばっかりセッチョウしています。
今しているのは「絵はがきセッチョウ」です。
2011年4月から始めた、春庭アートプロジェクト「Also I'm still alive. To:青い鳥」。
九州福岡で暮らす青い鳥ちるちるさんあてに、葉書を送り続けるシリーズです。ちるちるさんは、2008年に体調改善のための手術後、突然首から下が動かなくなるというアクシデントがあり、それ以来不自由な生活を続けています。ヘルパーさんや妹さんの介護を受けてリハビリを続け、「足の指が動いた」「左手が動いた」と、努力の毎日です。
私には、ちるちるさんの体調がよくなるよう祈ることしかできません。祈りのひとつの形として、葉書を三日に一枚、一ヶ月に10枚送ることを始めました。
美術館へ行っても、観光地へ行っても、「ちるちるさんに送る葉書、どれにしよう」と選ぶのが楽しみのひとつ。雑誌のグラビアや美術館のチラシなどからきれいな写真や絵を切り抜いて、手作り絵はがきをこしらえるのも、いろいろな切り取り方で楽しめます。
絵を切り抜いて、白い紙と貼り合わせて葉書を作る時間、文を考えて、下手な字ですが、一字一字祈りを込めて書く時間、そのとき流れる時間が私とちるちるさんとの絆を綯うひとときなのだと思っています。
はがきの文は、そのときそのときに心に浮かんだことをちゃらっと書いて、何を書いたかすぐに忘れてしまうので、もしかしたら、同じようなことを繰り返して書いている場合があるかも。
でも、同じことを書いたとしても、それはおばあちゃんが繰り返す昔話と同じ。同じことを何度でも語りたいから何度でも書くのです。
<つづく>
00:36 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2012年01月31日
ぽかぽか春庭「絵はがきを出す」
2012/01/31
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(15)絵はがきを出す
1月30日付けで、青い鳥ちるちるさんに送った絵はがきが100枚になりました。
もともと「チルチルさんのリハビリがうまく進むよう、お百度踏んで、お祈りしたい」と思ったお百度踏みの代わりの絵はがきだったので、100枚で最初のお百度の目的は達成されました。これからも私なりのお百度踏みは続けて行きます。
昨年は、毎月のテーマを決めて、たとえば、4月「花」、7月「山」8月「海」10月「紅葉」12月「クリスマス」など、時節にあった絵柄を選ぶようにしていました。今年からは、年ごとのカラーを決めて、1年の色合いを統一させた上で各月の時節にあわせた絵柄を選ぶようにして、ちょっと凝ってきました。
今年は辰年なので、「青龍」。2012年のテーマカラーは青です。すでに、12月の分まで120枚、青を基調にした絵はがきが選んであります。来年2013巳年は「黄色」が基調。2012午年「茶とオレンジ」2015ひつじ年「緑」2016申年「赤」2017酉年「紫とピンク」2018戌年再び「青」。約800枚の絵はがきが、年ごと月ごとに10枚ずつセットになって段ボール箱に入っています。
「もう、絵はがきが2018年の分まで用意できている」と年末の葉書に書いたら、ちるちるさんは「あはは、そんなに長生きしてないよ」とメールをくれました。返信をくださって、申し訳ないです。昨日30日には、コメントもいただきました。
~~~~~~~~
投稿者:chiruchiru77 2012-01-30 19:55
はるさん、いつも、手紙ありがとう!あったか~い文章は、すごくいいです。
ほんとうに、励まされます。
手が動くようになったら、一番に何がしたい?と聞かれ、「鼻くそいじり~」と言ってたのを、妹が書き残していました。その念願が、叶いましたよ~~!!
みなさん、励ましてくださって、どうも、ありがとう!
もとに戻るまではと、必死でリハビリ がんばっています。
~~~~~~~
ちるちるさん、手が動かせてほんとによかった。
正月休みの間も、テレビ見ながらせっせと絵はがき作りをして、葉書はどんどん増えています。三日に1枚出しても、毎日葉書が増えますから、品切れになることはないでしょう。
「8年間出し続ける絵はがきがある」と思うだけで、年と共に萎えがちな生きる気力が奮い立ち「これからも一生懸命生きて、ちるちるさんに毎日の報告をしなくちゃ」と思えるのです。
2011年12月に広島大学ペスタロッチー教育省を受賞なさった高谷清さん。74歳の今日まで、重症心身障害児の治療と教育のために尽くしてこられた方です。前びわこ学園医療福祉センター草津園長。著書の『重い障害を生きるということ』(岩波新書)に書かれている言葉が新聞に紹介されていました。
「体を自由に動かせない彼らは、人類の障害を引き受けて戦う戦士」
尊いことばだと思います。
体を自由に動かせない環境で一生懸命に生き、詩を作り続けるちるちるさんは、私にとって、「生きていく戦士」です。
ちるちるさん、長生きしてね。私はせっせと駄文の葉書を送ります。ちるちるさんとの絆は、私にとっては生きる希望のひとつです。
長生きしてくれないと困ります。10枚セットの絵葉書が、出番を待っています。
さて、もう一人については、格別長生きを願っていたわけでもないのですが、「太く短く生きる」なんて、本人が若い頃宣言していたのとは違って、どうやらまた腐れ縁が続きそう。本日、我が不肖の連れ合い、還暦を迎えます。う~、おめでたい。
<おわり>
02:07 コメント(4) 編集 ページのトップへ