KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

八月十五日

2013年08月15日 | お散歩写真
天気 晴夕方曇

11時から太極拳のレッスンで近くの市の施設へ。帰路、暑いのでちょっと遠回りをして片蔭のある道を選んだら、舗道に1本だけ咲いている丈の高い向日葵が祈るかたちに頭を垂れていた。
そう、今日は終戦記念日。そして、若くして海に散った義弟の忌日。祷りの日なので大抵は家で過ごす。高校野球を見ながら。

終戦から68年。もう戦争を知っている人も少なくなってきた。「二度と戦争はごめんだ」と心から言える人が少なくなったということは、かなり怖い。私の年代が、その恐ろしさと辛さの断片を知っている最後になるのだろう。

終戦の日のことは、少しだけ覚えている。疎開先の母の遠縁の農家、庭先に大人が集まっていて、縁側に置いたラジオの前に頭を垂れて何かを聞いていた。その音も覚えてはいないけれど、私に鮮明なのは、自分の丈と同じくらいに育った庭の百日草。
そして、暑い日だった。不機嫌な大人たちにかまってもらえない何かを感じて、百日草を眺めていたことだけは良く覚えている。
その日から、飛行機の爆音が絶えて防空壕へ逃げることもなくなった訳で。
房総半島だったから、東京を爆撃するB29の通り道の下に住んでいたことになる。今は「トラウマ」という便利な呼び名になっているが、私は飛行機の爆音に今でもドキッとする。ことに戦闘機の轟音には心臓がどきどきしてくる。
もっと恐ろしい目に遭った人を思えばどうということもないこと。それでも、戦争も戦後の飢えや貧しさも、は二度と体験したくない。

一片の雲もなき朝終戦日  KUMI
コメント
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