KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

百日草

2016年08月14日 | 暮らしのつぶやき
天気 曇がち

涼しさを感じる日々が続き、今年は猛暑がもう来ないかも、と思いたくなる。
この時期は、若くして逝った義弟・甥二人の忌日が相次いでいて、おまけに終戦日ということもあって心楽しめることがまずない。おまけに今年は姉のこともあるし。

先月、吟行句会で行った「生田研究所資料館」で、戦中の日本軍の毒薬研究など負の遺産を見る羽目になった。
一気に自分自身の戦争の記憶やら、軍人でもないのに戦犯に「させられた」父のことやらを思い出した。
その資料館前のベンチに座っていたら、足元に蟻が近づいてくる。何やら、蟻の体よりも大きな翅を運んだり。

戦争は飢うることなり蟻の列  KUMI

そこで、こんな句が出来てしまった。子供にとって戦争と戦後は飢えと貧しさの思い出ばかりなのだ。同じ年代の人とその当時の話になると「貧乏自慢」になっていたりする。
私はといえば、飢えていたつもりが、母の実家の村に疎開し、海の幸・山の幸に恵まれて東京育ちの夫に較べるとあまり飢えてはいなかったらしい。

終戦日になると思い出すのは、百日草。
玉音放送のあった時、疎開先の遠縁の農家の縁側に置いたラジオの前に大人たちが集まっていた。
何だか解らない音に退屈して、私は庭の百日草の中に居た。自分の丈よりも高いような百日草が、たくさん咲いていた(今は、ジニアと呼ばれて丈が低い)。
大人たちがいつになく神妙にじっとしていた背中と、百日草と。私には、それだけが当日の思い出。

今日は涼しいうちに公園にでも百日草(ジニア)を見に行こうと思ったのに、オリンピックが見たくてやめてしまった。オリンピックと高校野球を見て運動不足になる・・妙なこと。

百日草玉音放送聴きしこと  KUMI 


コメント (2)
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