KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

戦争の記憶

2016年08月16日 | 俳句
天気 曇のち雨

萩の花が目立ち始めて、植物の世界は秋へ向かっている。けれど、台風が近いせいで蒸し暑くて体調は最悪。

昨日の続きのような話。
戦争を記憶する者もだんだん少なくなって、私の年代が辛うじて幼少時のうろ覚えの恐怖や飢えがある程度。そんな中で、今も元気な俳人金子兜太氏、97歳。
昨日の朝刊に、澤地久枝さんの談話があって、彼女も86歳。戦争を肌で感じた年代。で、その中に兜太氏の句が引用されていた。

 水脈の果て炎天の墓標を置きて去る  兜太

氏は、東大卒業後に日本銀行に入ってすぐ徴兵されて、主計中尉としてトラック島(今のミクロネシア諸島のひとつ)に派兵された。主計将校とはいえ、悲惨な戦争体験をした人だ。
詳しいことは、わが師の聞き書きで作られた2年前のこの本に本人の談話が載っている。


兜太氏は、戦争体験があればこそ、戦争を否定しそれを俳句で実践し、東大~日銀というエリートコースに居ながら俳人として生き抜いて出世もせずに勤めあげた。
戦争がどんなに醜いものか、氏の証言を読むとよく解る。若い人たちへ残したい戦争の記憶のひとつ、とも思う。

という兜太氏とわが主宰は、句風は全く違うけれどとても仲良くて、3年前の7月に主宰の句碑が兜太氏の故郷・秩父に建立されたときの除幕式に出席してくださった。
その時の写真。コンデジで撮ったのに良く撮れている、と我ながら。


秩父は山に囲まれていて、冬は寒く夏は暑い。この日も猛暑になっていて、我々参加者は帽子を被ったり日傘を差してお二人を囲んでいた。
が、93歳の兜太氏は、写真のとおりの無帽でかんかん照りの来賓席に座り、また、長い祝辞を披露された。私は近くに居て、日傘を差しかけたくなった。汗だくなのにきっちりとスーツを着ておられて。何だか恐縮してしまった。
その時、さすがに南方の戦地を生きぬいた方だ、と妙な感心をしていたことを覚えている。

話はそれたけれど、この時期、戦争を知らぬ人でも、そんな悲惨な過去が日本にあったことを思い出して欲しい。
飛行機の轟音で目を覚ましたら防空壕の暗闇・・幼児の最初の記憶が恐怖から始まる私には、少しだけ戦争を語ることが出来る。

戦争の記憶の音や雲の峰  KUMI
コメント (4)
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