KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

敗戦日

2016年08月15日 | お散歩写真
天気 曇がち

終戦日・敗戦日・終戦忌・敗戦忌・・・・色々と呼び方はあるけれど、俳句にするときはその句の内容で使うことにしている。

どうにも落ち込みがちな気分を少しは上向きにしなくては、と、久しぶりに武蔵国分寺薬師堂へお詣りに。我が家から薬師堂へは裏から入ることになるので、消防署の脇を通る。
半旗が掲げられていて、裏庭では署員が訓練に余念がない。

お詣りした帰路、その消防署の脇にある公園(お寺の土地?)の忠魂碑がふと気になった。いつも横目で見て通っているだけで、よく見たことがない。人生の半分以上をこの地で過ごしているのに・・「忠魂」の文字が、どうにも暗い戦争を思わせて(私は、思想的には右翼でも左翼でもないけれど)


裏へ回って解ったこと。古びた左の碑は、大正14年建立の文字が読めた。碑に彫られた名は、第一次大戦の戦死者だろうか。古くなっていて解らなかった。
真ん中の「忠魂碑」は、大正何年かに建てられたようだ。裏に個人名はない。
そして右の黒く写ってしまったのは「慰霊碑」、昭和31年に太平洋戦争の戦死者の慰霊のため、町(今は市になっている)が建てたもの。おびただしい名が刻まれていて、東京郊外の小さな町でも戦死者がこんなに・・と、心が傷んだ。

その碑のおもてをもう一度見たら・・


「慰霊碑」の文字の左下に「鳩山一郎」とあってびっくり。よく見ると、慰霊碑の文字の揮毫をしたのが鳩山一郎だったのだ。多分、当時の総理大臣、そして、自民党の創設者、平和主義者でもあった。と、そのくらいの知識は私も古い人間だから知っている。当時の町長が依頼して書いてもらったのだろうか?
町を挙げて平和を願い、二度と戦死者を出したくない思いでこの慰霊碑を作ったに違いない。

でも、です。「忠魂碑」と真ん中にあって、その脇に立つというのは、ちょっと違和感がある。だから、私はあまり近寄らなかった。多くの市民も、戦争礼賛に見える忠魂碑だから近づきにくかったのではないだろうか。・・と、私の推測。
終戦日の今日だけでも、お花を供えたくなった(無論、今日もその前には何もない)。
市役所さん、ちょっと考えても良いのでは? とはいえ、忠魂碑、は今の時代にはねえ・・

慰霊碑のうしろの昏さ敗戦日  KUMI
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする