KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

いのち

2018年08月30日 | 暮らしのつぶやき
天気 晴


猛暑まではいかないものの、暑さがまた戻った。もうこうなると秋は来ないと覚悟した方がいいのかも。
写真は去年の10月の昭和記念公園のもの。10月が待ち遠しい。

毎日、厭なニュースばかりが続く中で、気になって仕方のないのが岐阜の老人病院で入院患者が熱中症で亡くなった、という話。院長のしどろもどろから、その病院のありようが解る。
エアコンが故障していたのに、患者が文句を言わなかった? 
言えないのです、もう意識のない病人ばかりの大部屋だったのです。だから、エアコンのない部屋から他へ移すこともしなかったのです。

2年前の8月、姉を看取った病院も同じような患者ばかりの部屋だった。
その2月に大学病院で脳腫瘍と診断され、若ければ手術も考えるが80歳過ぎでは成功の保証なない、と言われた。本人はまだ意識も思考力もあって、手術はしたくないと言い、延命治療もしたくない、と。何しろ、点滴もその入院で生まれて初めて、というくらいで病気慣れしていないから、手術が怖かったのだろう。
ともかく、大学病院での治療も限界となり、3ヶ月過ぎたら転院せねばならず、GW明けに末期の患者を受け入れる病院を探し当てた。大学病院よりも我が家から近いし、病院も設備が整っていた。看護体制も良さそうなので即決。ただし、相当の入院費用が必要だった。かなりぜいたくな最期を迎えさせることが出来たのも、姉から預かった通帳の普通預金が相当額残っていて、半年以上はそのお金と年金でまかなえる、と計算出来たからだ。入院した時、ドクターは「いつ命が絶えてもおかしくない病状」と言ったこともあり、何年も入院、ということはないと思った。入院時は車椅子に乗れた姉も、一ヶ月もたたないうちに意識すら薄れていき、最後の1ヶ月くらいは殆ど眠っていた。

経済的に余裕があれば、そうした病院へ入院させることも出来る。でも、保険診療の医療費だけしか払えない人や生活保護受給者は、エアコンもないような病院でガマンすることになるのだろう。
経済格差は、命の最後までつきまとう。
だからといって、病院が患者を熱中症にするなど、許せるものではない。
・・8月は厭なことばかりが思い出される。それに追い打ちのような事件だった。

耳鳴りの耳聴きとむるつくつくし  KUMI
コメント (2)
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