天気 晴
もう30年になる・・とは信じがたいけれど、確かに30年前の災害だった。
その翌年の夏休み、神戸に少しは寄与出来るかも、と高校野球の開会式の甲子園と姫路城見物のため、三宮駅前のホテルを予約した。もう一泊したかったが、甲子園が始まるのでその関係者のためにどのホテルも満室。仕方なく、二泊で、という慌ただしい日程になった。それでも姫路城へ行き、高校野球の開会式と一試合を観て、神戸の街を観光することは出来た。初めて行った訳ではないので六甲は省略した。奮発した神戸牛のステーキがとっても美味しかったのを覚えている。
あれから30年・・東日本大震災があり、能登の地震があり、日本はますます災害大国になってしまい、異常気象続きで地球も壊れていくようになって・・
最近、大災害が起きると、高齢者施設は一体どうなったのだろう、と考えてしまう。東日本は昼間だったが、神戸は早朝だった。こういう施設は夜勤者は居ても、たった二人で何十人もの動けない人の世話をすることが出来る訳がなく。悲惨な現場が見えてきてしまう・・などと想像しない方がいいかも。ここだって、火の手が襲ってきても今の私ならベランダにさえ出られれば外へ逃げることが出来る。ここの建物は新しいし、まず倒壊の心配はない。
でも、認知症の人の危険対策でベランダには出られないようになっている。
イヤですよ、火だるまになるのは・・すぐに開けてくれるのかしらん?
朝から震災のニュースなど見たせいか久しぶりに真面目になり、YouTubeで老人専門医の認知症の話を見る気になった。今まであれこれと「勉強」させてもらったが、今日は「重度認知症は介護するな」え?と思う見出しなので見る気になった。
認知症の進行症状を5段階に分けて、色々と説明があり、最後に行きついた症状の段階ではもう「何もしない」ことが、介護者にはいちばんの方策なのだという。
あ~解かる解かる。体の苦痛は介護する必要はあるけれど、その他の本人の要求などはそれこそテキトウに「はいはい、わかりました、大変だったわね、そうね、やっておきますよ」と愛情を持って対処すればいい・・本人は要求したことを数分後には忘れるのだし、介護者が家族だったら、真面目に対応していると疲れてしまう・・ほっておいたからと、進行が早まることもない・・何もしない介護。
食堂へ行けば、また、耳の遠い認知症の人たちとの付き合いが始まる。10日以上も彼女たちから解放されて解ったことは、私にとっては彼女たちとの毎日がストレスになっていた、ということ。元気に対応出来た頃はまだしも、最近は一段階上の大きな声を出すのが疲れる。相手は普通の声なのだから余計腹が立ってくる。
彼女たちはまだ最終段階の症状ではないので、テキトウに交わして無言とはいかない。無言を貫くのもストレスになるし。事務所でそんな愚痴を言えば、「席を替えましょうか」となるけれど・・あのね、認知症でなくて耳が正常な女性って、入所者に殆ど居ないでしょ。男性は、品のない人ばかりだからまっぴらです。
皆さん、介護有料老人ホームには、重度の認知症になるまで入所しない方がいいですよ。ここは、「サービス付高齢者住宅」だったのに、途中から「介護ホーム」に変更されてしまった。
その方が経営上は楽なのだろう。
どこまでも青き凍て空祷りの日 KUMI
30年で私が思い出しますのは、福岡の自宅で寝込んでいたお袋が、阪神淡路大震災の発生を知り、姉に私の安否を尋ね、姉が「大丈夫だ」と伝えたら安心したのか、ぐっすり寝入ったそうです。
その2日後の19日には、お袋が亡くなったという連絡
が入り、確か銀行からもスムーズに預金がおろされず、新幹線も在来線も姫路より東は止まっているので車で姫路まで行き、夜、誰も居なくなった有料駐車場に博多の葬式為にしばらく戻りませんとメモを置きやっと新幹線に飛び乗りが出来たことを思い出します。
KUMIさんの神戸行きは、以前にお聞きしましたね。
大震災直後の神戸には警視庁ほかの他府県からのパトカーも多数走っていました。
三宮周辺のビルのビルの損壊もご覧になったことでしょうね。
私は昼夜兼行でデパートの解体、復興の大突貫工事場にも入りました。
姫路城、高校野球の開会式、試合、神戸の街見学に
神戸牛のステーキは良かったですね。
上のデパート竣工の後の大復興工事には東京本社から応援が駆けつけてましたが、彼らが神戸牛のステーキに喜んでいたのを思い出します。
>東日本大震災があり、能登の地震があり・・・
その間の熊本地震では、ブログ交友先の方がご高齢の母に奥さんと共にマイカーで数日寝泊まりされていたこともブログで詳しく記されていました。
日本は南海トラフや首都圏直下型地震でも起ころうものなら壊滅的ですね。
>最近、大災害が起きると、高齢者施設は一体どうなったのだろう、と考えてしまう。
そうですね~。
>・・・たった二人で何十人もの動けない人の世話をすることが出来る訳がなく。
大震災が起こったら施設勤務者も先ず、自分の家庭のインフラに救護対策が終わってからでないと施設に駆けつけないでしょうし・・・。
>でも、認知症の人の危険対策でベランダには出られないようになっている。
非常時の鍵の解錠方法はないのですか?
救急隊員でも首都圏直下型地震が発生しても一度に首都圏全域に手が回るわけではないですよね。
>今日は「重度認知症は介護するな」え?と思う見出しなので見る気になった。
そういうことですか!
>・・・もう「何もしない」ことが、介護者にはいちばんの方策なのだという。
なるほどですね。
>「はいはい、わかりました、大変だったわね、そうね、やっておきますよ」と愛情を持って対処すればいい・・本人は要求したことを数分後には忘れるのだし、・・・
とても勉強になります。
最近、家族の介護疲れの人の事件をよく耳にしますね。
>・・・私にとっては彼女たちとの毎日がストレスになっていた、ということ。
そうでしょうね。
私の高齢者大学でお世話になった方の年賀状に「もう耳が遠くて会話は出来ませんがウォーキングの途中にでも顔を出して下さい」と書いてあったので、億劫ですが昨日訪ねてみました。
すると、昨日が91歳の誕生日だそうで、私が大声で話すと15%くらいは通じたのでほっとしました。
その方は頭は全く呆けてはいません。
>無言を貫くのもストレスになるし。事務所でそんな愚痴を言えば、「席を替えましょうか」となるけれど・・
いやいや、上記の後段も頭の痛いことばかりが並んでいますね。
>・・・途中から「介護ホーム」に変更されてしまった。
あらあら、それが現在の世間一般なのでしょうかね。
今日の記事も、私にはとても参考になりました。
「どこまでも青き凍て空祷りの日 KUMI」
本当に青空でも平穏無事だけを祷りたい日々です。
有難うございました。