ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県袋井市、村松「油山寺の天狗杉根株」です!!

2025-02-01 18:31:26 | 文化財・寺社
 村松地区は、袋井市役所の北北東約4kmのところ

 袋井市役所北側の「袋井市役所前」信号を東北東へ、県道413号線です

 国道1号の袋井高架橋を潜った約1.3kmの「久津部」信号を左(北北西)へ、角に「目の霊山 油山寺入口」の大きな立て看板が建っています

 ここから前回の続きです

 醫王山油山寺境内案内図です、今回は直ぐ先にの「宝生殿・方丈」までとしました
   「世をてらす るりの光の ともしびは 油のやまの 峰のつきかげ」
     油山寺略縁起
 当山は今を去る1300年の昔、行基菩薩により開山された真言密教の古刹である。
 境内にあるるりの滝が昔は油の滝であったところより油山寺と名付けられた。
 山頂の本堂ご本尊薬師如来は、行基菩薩の御作であり、諸病平癒特に目に霊験あらたかに信仰され、100年の今日まで目の霊山として全国の方々から親しまれている。
 天平勝宝元年(749)46代孝謙天皇は当山で眼病全快され祈願所と定まる、鎌倉時代には源頼朝公が三重塔、又、室町時代には今川義元公が厨子宮殿を建立する。
 徳川家康以来歴代将軍の尊信厚く、七堂伽藍は全山に盛観をきわめたが、戦国の兵乱、廃仏毀釈等幾多の変遷をへて今日に至った。
 本坊宝生殿(祈祷所)には身代り厄除不動明王がまつられ、一山の守護神である軍善坊大権現は本堂内陣に安置され足腰にご利益があり「健足の神」として崇め信仰されている。
 境内50町歩は山谷にとみ、西側山中、大師山には四国八十八ヶ所霊場、又公園より東側観音山には西国三十三観音霊場が安置されている。
 翆岩より落ちる浄水「るりの滝」は千年一日として絶えることなく信者の心身を清める行場であり、岩窟には御滝不動明王が奉安されている。
 三重塔には大日如来、広大な境内には弘法大師、開運大黒天、厄除観世音、地蔵菩薩、光明稲荷大明神、金龍弁財天、茶祖栄西禅師等諸天善神がまつられ、全山曼荼羅の霊地である。
 国指定重要文化財3点、県指定文化財3点、天然記念物等は県下寺院一を誇っている。
 春の新緑と野鳥の歌声、秋は名月に宝塔と紅葉の美しさは名所と謳われている。
 大自然の静けさ、み仏のめぐみに抱かれ、身と心の静養にい一日ゆっくり御参拝下さい。
     文化財
 国指定重要文化財  薬師如来厨子(室町の名作、今川義元公寄進)、三重塔(桃山の三名塔、源頼朝公創建・慶長16年再建)、山門付鯱一対(元掛川城大手二の門・太田備中守寄進)
 県指定文化財    薬師本堂付棟札(源頼朝公創建・元文3年再建)、書院(元横須賀城内書院・西尾隠岐守寄進・書院茶屋・元禄12年建立)、方丈(元代官屋敷建物移築・宝暦14年建立)
     天然記念物
 御霊杉(幹が松、枝葉が杉)弘法大師有縁の霊木日本唯一、天狗杉根(元天然記念物樹齢1000年)礼拝門下にあり、大念珠(元天然記念物・槇の木樹齢1000年)長さ120m、重さ250kg、方丈宝生殿書院を通し掛けられており見ることが出来る。。

 左手に「筆塚」です

 稲荷神社入口に並ぶ鳥居です

 すぐ上の奥に稲荷社です

 天狗森の自然林の説明版です
   油山寺 天狗森谷の自然林
 太平洋を北上する黒潮が日本列島の西南岸を洗うため、静岡県はその影響をうけて気候はまことに温暖で住みよい所である。
 この様な土地柄だけに、縄文文化・弥生の古い時代から人間が住みついて生活を始め、それが集落となり、時代の移り変わりと共に次第に発達して村落が形成されて、中世以降は交通路が発達するに伴い、散在していた村落は増大し、街道筋には宿場町が軒を連ねるようになり更に、幾かの宿場町が連なり合って今日の様な都市となり、最近では東海道メガロポリスと云う言葉さへ聞かれる様になった。
 人類の繁栄には、多かれ少なかれ開発と云う美名のもとに、自然破壊が行われている昨今であった。美林が耕作地と変わり、市街地なり、工場が建ち並ぶようになり、自然は徐々に後退し余儀なくされている。
 では自然とはどんな姿をしているのか、日本列島に例をとって考察してみよう。
 皆さんが九州の鹿児島から北海道の推南まで汽車で旅行したとすると、鹿児島本線、山陽本線、東海道を通って東北本線の仙台までの間の車窓から見られる景色は、ツバキ、クス、タブの木、カシ、シイ等の林である。
 これら樹林の樹木は、葉の表面は光沢をもち一年中葉が青々としているので、常緑広葉樹林(別名照葉樹林)とよばれている。
 仙台をすぎ北海道の南部までの間は、ブナ、ミズナラ、ハルニレ、イタヤカエデ、サワグルミ等の冬には落葉して裸となり、夏には緑の葉をつける、落葉広葉樹林(別名夏緑林)が続く。更にこれより北に進むとトド松、エゾ松などの林が車窓をすぎるようになる。これを亜寒帯針葉樹林よんでいる。
 この様に北へ向かって進むと、温度が低くなるので、自然の姿が変わってくる。亦これと同じような変化が平担地から高山の登ると見られる。
 そこで眼を静岡県の平坦地に向けてみると、常緑広葉樹の林が展開する自然の姿であることが判ったと思う。平坦地に生活する人間が数も多く、開発も極度に進んでいるため、自然の姿のみられる林は殆ど無いと云っても過言ではない。
 これより右奥へ進み、切り割をすぎると深い谷、いわゆる天狗谷の林は典型的の姿を残している。県内では数少ない自然林である。
 林の中所々、杉、桧が見られるが、これは昔植えたもので、その後放置され、自然の推移し任されたもので、シイ、カシタブの木、ミミズバイ等の常緑広葉樹が周囲から侵入し天然林となったものである。
 これらは静岡県内では最も古い常緑広葉樹林の一つとして貴重な存在である。
     昭和57年1月  静岡県文化財審議委員 元静大教授 斎藤全生先生  文責 当山 

 礼拝門手前です

 天狗杉堂に「天狗杉の根株」です

 東側から見ました

 案内板です
   天狗杉(元、天然記念物)
 樹齢1100年、天狗杉の根です。
 当山守護神、軍善大権現(足腰の神)由縁の霊木です。
 木にふれ、霊験をいただいて下さい。

 向かい側(東側)にお地蔵様と手水鉢です

 急な参道石段の上に「礼拝門」です

 礼拝門説明版です
   礼拝門の由来
     郷土の恩人、気賀大人の功績
 気賀の庄屋気賀林は、文化7年(1810)引佐郡気賀に生まれ、大原野三方原台地を大茶園に開拓せんと、明治2年(1869)浜松奉行の許可を得て、開拓御用係を命ぜられ、録を失った士族800戸を移住し、金原明善を副長として茶園の開墾にあたられた。
 大人には壮年より3大念願があった。(1)三方原開拓(2)浜名湖から浜松への運河(3)気賀から長野への林道である。
 常に社会福祉教育の振興、寺社公共への献金につくされた。
 明治10年(1877)明治天皇行幸の砌、特志によって拝謁と恩賜の栄に浴す。
 明治16年(1882)4月病に伏し、23日遂に昇天された、時に70有3。大人の功績は永く青史に耀き、万人の鏡として崇敬追慕される由因がある。
     門の移築について
 先覚者気賀林大人が気賀より三方原に居を移されるのは、明治6年(1875)65歳であった。専から三方原開拓、士族の救済の教育につくされた。
 滅後残された門は、永年風雪に腐朽甚だしく倒壊寸前のところ、昭和58年曾孫気賀祥太郎殿の寄進を戴き、十方信者の協力により当山聖域に移築、生まれ変わって礼拝門となり両目を一新した。 
     御寄進の功徳
 先賢大人の偉業を永久に称え、日々追善につとめ曾孫気賀祥太郎殿の御寄進に深く感謝し、末永く門の愛護保存につとめます。
 屋根棟上阿吽の龍と16大菩薩は陶芸家大橋邦齊、貞華、優喜、三社共同の除災与楽、二世安穏の悲願をこめ丹精傑作の御寄進でります。
 正面の額は天然記念物庄園の松、渥美愛次殿の寄贈なり。
     昭和58年稔極月吉祥日   油山寺 貫主敬白

 礼拝門を入ると左手に「がん封じの観音堂」です

 右手の社務所前にはソテツの大木です

 方丈と宝生殿です

 まだまだ油山寺の3分の1も見ていませんが、今回の目的は三重県の最初の取材ですので、静岡県内では時間を節約します

 では、戻って次へ行きましょう

 

 2025・1・23・10・50

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