ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県小松島市、立江町若松「四国八十八ヶ所 第19番・立江寺(たつえじ)」です!!

2024-07-22 18:39:09 | 四国八十八霊場
 立江町若松地区は、小松島市役所の南約5kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR徳島線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約4.7kmの信号を右(南)に入ると、県道28号阿南小松島線です

 約500mでJR牟岐線の踏切を渡って、約800mで立江寺山門前です

 立江寺駐車場は少し南東側の右です

 駐車場入り口から立江寺の土塀が見えます

 立江寺山門(仁王門)ですが、仁王様は入院中です

 高野山真言宗 橋池山 摩尼院「別格本山 立江寺」の寺号標です

 日本遺産プレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第29番札所 立江寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第19番札所の立江寺は、橋池山(きょうちさん)と号する真言宗寺院で、行基が光明皇后の安産を祈願して小さな地蔵菩薩を刻み本尊とし、弘法大師がこの像を紛失を恐れ、6尺の地蔵菩薩を刻んで本尊をここに納めたと伝える。 

 第十九番立江寺の標柱です

 略縁起説明版です
   四国第19番霊場四国の関所 高野山真言宗 別格本山
     立江寺略縁起
 当山は、人皇第45代聖武天皇の勅願寺にして、天平年間に行基菩薩が光明皇后の御安産の念持仏として勅命により、閻浮檀金をもって一寸八分の本尊「延命地蔵尊」ーーー世に是を子安の地蔵尊称し奉るーーーをお作りになり、伽藍を建立開基されました。
 伽藍建立の地を卜とするにあたり、一羽の白鷺が何処ともなく飛び来たり、九ツ橋(現在の白鷺橋)の上にとまり、行基菩薩に仏天の暗示として霊域を示したと伝えられています。
 弘仁6年(815)に弘法大師にが、四国霊場御開創のおり、当山に御留錫なされ、一寸八分の小像のみにては後世に紛失のおそれありとして、自ら一刀三礼6尺の大像を刻まれ、小像をそのお胸に秘蔵安置され「立江寺」と号し、第19番の霊場とされました。
 なお、当山は元、清水奥谷山麓(現在地より西へ500m、現在の立江寺奥の院)にあった巨刹でしたが、天正年間に長曽我部の兵火にあい、御本尊を残して灰燼に帰しましたが、当時の藩主蜂須賀家の初代蓬庵公の御信仰が篤く、現在の地に移転再興され、世に「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と称され、西国巡礼御詠歌集に高野山・善光寺などとならんでとりあげられている程、全国の善男、善女の信仰の篤い名刹です。
 また「四国のお関所」として四国八十八ヶ所の根本道場としても有名であります。
   本尊 延命地蔵菩薩(伝行基菩薩作)
   脇仏 不動明王
   脇仏 毘沙門天
   国指定重要文化財 釈迦三尊画像
   寺宝 肉付鐘の緒
 昭和49年10月28日未明、不慮の火災により本堂ほか諸堂を焼失しましたが、有縁の皆様方からの奏楽6億3000万円の浄財により、昭和52年12月3日落慶いたしました。
 本尊「延命地蔵尊」寺宝の「肉付鐘の緒」は焼失をまぬがれ京都国宝修理所に於いてみごとに修復いたしました。

 毘沙門堂です

 お地蔵様です

 手水舎です

 庚申堂です


 本堂です

 お大師様です

 大師堂です

 納経所へ寄って

 次へ行きましょう





 2024・6・10・14・30

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徳島県小松島市、田野町恩山寺谷「 四国八十八ヶ所第18番・恩山寺(おんざんじ) 」です!!

2024-07-21 18:33:45 | 四国八十八霊場
 田野町恩山寺谷地区は、小松島市役所の南西約3kmのところ

 小松島市役所北側の「小松島市南小松島」信号を西北西へ、県道178号線を進みます

 約600mで信号を左(南南西)へ、県道33号線でがJR牟岐線の踏切を越える県道216号線となります

 約1.1kmで「⇐室戸・国道55号線」の標識に従って、時差式信号を左(南東)へ、徳島南バイパスです

 約400mでコーヒー店前の信号を右(南西)へ、県道136号線です、すぐ先の一時停止に「⇐恩山寺」の案内板です

 約500mで「18番札所恩山寺⇒」の標識に従って斜め右(南西)へ


 約300mで赤い欄干の橋の先右手に「恩山寺」の山門(仁王門)です

 寺号標です

 坂道を進んで駐車場に入りました

 お大師様です

 恩山寺境内入口です

 「四国第18番 恩山寺」寺号標です

 参道石段を上がります

 日本遺産のプレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第18番札所 恩山寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第18番札所の恩山寺は、母養山(ぼようざん)と号する真言宗寺院で、弘法大師の母が当寺を訪ねたものの女人禁制であったので、大師が7日間祈念し、当寺に母を迎え入れたと伝える。
 唐木ビランジュはその記念に植えられたという。

 手水舎です

 こちらにもお大師様です

 石段を上がります

 お地蔵さまです

 鐘楼です

 塑像が並んでいます

 本堂です

 ソテツの大木です

 大師堂です

 では、納経所に寄って次へ行きましょう

 



 2024・6・10・13・00
 
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徳島県徳島市、国府町井戸北屋敷「四国八十八ヶ所第17番・井戸寺(いどじ)」です!!

2024-07-19 18:47:01 | 四国八十八霊場
 国府町井戸北屋敷地区は、徳島市役所の西北西約7km、徳島市役所国府支所の北北東約2kmのところ

 徳島市役所国府支所を北へ出て、県道29号徳島環状線を東へ

 約500mで「⇐17番札所井戸寺1.7km」の標識に従って左(北)へ

 道成りに約1.2kmで「井戸寺専用駐車場直進100m」の案内板がありますので更に北へ

 右(東)へ入ると、井戸寺北側の広い駐車場に入りました

 東側の通路を通って南側から山門です、徳島藩10代藩主だった、蜂須賀重喜の隠居屋敷(旧徳島藩大谷別邸移築表門)だそうです

 真言宗善通寺派の瑠璃山 真福院「別格本山 井戸寺」の寺号標です

 四国第十七番井戸寺です

 手水舎です

 六画形の建物は「大悲殿」の額の懸かる護摩堂です
 護摩堂の本尊は不動明王・阿波四国三十三番霊場結願所の本尊は国宝(重要文化財)十一面観音です

 境内には「井戸村正心小学校」が境内に置かれていたのですね

 日限大師です

 井戸寺の名前の下となった井戸の由来です
   日限大師(おもかげの井戸の由来)
 当寺のこの井戸は、むかし弘法大師四国霊場御開創の時この附近の水が濁水なのをあわれみ、錫杖で一夜のうちに井戸を掘られたところ清水湧出し、大師一夜建立の井戸で有名になり、寺号を井戸寺と名付けられた。
 当寺御詠歌を「おもかげをうつしてみれば井戸の水、むすべばむねのあかやおちなむ」と大師自らこの井戸におもかげをうつされた。
 日を限って心願をかけると直にご利益を蒙るという、依って世に日限大師と言われ霊験あらたかなり。

 弁財天です

 お地蔵様です

 鐘楼です

 本堂です

 お大師様です

 光明殿です

 縁起説明版です
   井戸寺縁起
 当山は40代天武天皇御勅願、白鳳2年(西暦673年)の御開基なり。
 元瑠璃山妙照寺と号し、弘仁6年(西暦815年)春、弘法大師42才の御時、四国八十八ヶ所霊場御開創の砌、しばらく御留錫あって、一刀三礼にて御丈8尺余の十一面観世音菩薩(一木一体の御作、旧国宝)を御彫刻なされ、当地方濁水なるをあわれみ給ひ、大師みずから錫杖にて一夜のうちに井戸を掘り清水涌出す。
 おもかげを写し、石に御影を彫刻した御尊像あり。日を限って警願すれば直に御利益多く、世に日限大師として名高し。
 当山御詠歌に「おもかげをうつしてみれば井戸の水、むすべばむねのあかやおちなむ」と、その後寺号を井戸寺、附近を井戸村と名付けられたり。
 当山御本尊七佛薬師如来7躯は、全国唯一にして七難即滅・七福即生・開運厄除・難病平易の霊験あらたかにして、護摩堂不動明王は、除災交通安全の守護あらたかなり。
 当山大門は蜂須賀重喜・大谷別邸の門を寄進されて有名なり。

 大師堂です、手前左の小さな白い建物は「通夜堂」で、お遍路さんは無料で宿泊できる宿坊です。

 では、納経所に寄って

 次へ行きましょう





 2024・6・10・10・35
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徳島県徳島市、国府町観音寺「四国八十八ヶ所第16番・観音寺(かんおんじ)」です!!

2024-07-19 12:30:15 | 四国八十八霊場
 国府町観音寺地区は、徳島市役所の西約8km、徳島市役所国府支所の西約1kmのところ

 徳島市役所国府支所西側の道路を北へ出て、県道29号線を西へ進みます

 約1.1kmで左(南)へ、国道192号線です

 約300mの 「⇐16番札所・観音寺0.2km」の標識に従って信号を左(東)へ

 細い道路を進むと山門手前(納経所前)の駐車場に車を止める事が出来ました(山門東側には広い駐車場があります)

 山門です

 日本遺産のプレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第16番札所 観音寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。 
 第16番札所の観音寺は、光燿山(こうようざん)千手院と号する真言宗寺院で、寺伝によれば聖武天皇の勅願によって創建され、のちに弘法大師が訪れて本尊の千手観音とと脇侍の不動明王・毘沙門天像を刻んで安置したという。

 手水舎です

 お大師様です

 宝篋印塔です

 本堂です

 大師堂です、前の境内では20人ほどの小学生が講師の四国遍路に関する話を聞いていました

 夜泣地蔵と石塔です


 では、納経所に寄って次へ行きましょう





 2024・6・10・10・05
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徳島県徳島市、国府町矢野「四国八十八ヶ所第15番・ 国分寺」です!!

2024-07-19 06:30:50 | 四国八十八霊場
 国府町矢野地区は、徳島市役所の西約km、徳島市役所国府支所の南西約2kmのところ

 徳島市役所国府支所をを北へ出て、県道29号線を西へ進みます

 約1.1kmで左(南)へ、国道192号線です

 約1.8kmで「15番札所国分寺⇒」の標識がありすので、交差点を右(西)へ入ります

 集落の中を約100mで変形十字路を斜め右(北西)へ進むと、三叉路に「⇐第15番札所国分寺」の案内板が有ります

 また「国分寺⇒」の案内板が出ていますので右(北)へ、国分寺参道です

 山門です

 山門東側に駐車場があります

 「聖武天皇勅願所 四国第十五番 曹洞宗国分寺」です

 説明版です
   徳島県指定文化財 史跡
     阿波国分寺跡
       1953年(昭和28年)7月21日指定
 国分寺(金光明四天王護国之寺)は、741年(天平13)に聖武天皇の勅旨により、国分尼寺とともに全国に建立された官立の寺院である。
 阿波国分寺跡は、1978年度以降の発掘調査で、金堂から延びると想定される回廊跡や築地塀跡、寺域を区画する溝などが確認されたことから、かつては西に塔を配し、金堂、講堂などが一直線上に並ぶ「東大寺式伽藍配置」を有し、現在の国分寺を中心とした方2町(約218m四方)におよぶ範囲に存在していたと考えられている。
 現在境内の隅に残る塔心礎は、寺の南西側の「塔ノ本」の字名が残る水田の中から出土したものと伝わるものでり、周辺地域には東門、西門、北門、坊などの字名が今の残っている。
 発掘調査で出土した遺物の一部は、徳島市立考古資料館に収蔵・展示されている。
     徳島県教育委員会・徳島市教育委員会  

 日本遺産のプレートです
   日本遺産「四国遍路」
   四国霊場第15番札所 国分寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。 
 第5番札所の国分寺は、薬王山金色院と号する曹洞宗寺院。聖武天皇が国ごとに建立を命じた国分寺の一つで、寛保元年(1741)に再興され、曹洞宗に改宗。本堂は禅宗仏殿の典型的な建築で、彫刻を各所に配して華やかに飾る。  

 御堂です

 七重塔の礎石と綺麗に刈り込まれたイブキのようです

 手水です

 鐘楼です

 宝篋印塔です

 本堂瑠璃殿です

 大師堂です

 明王堂には「烏慧沙摩明王」が祀られているようです

 明王堂右手の権現堂です、瑜伽大権現・秋葉大権現・白山大権現・大聖歓喜天が祀られているようです

 では、納経所によって次へ行きましょう




 2024・6・10・9・40
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徳島県徳島市、国府町延命「四国八十八ヶ所第14番・常楽寺(じょうらくじ)」です!!

2024-07-18 18:30:11 | 四国八十八霊場
 国府町延命地区は、徳島市役所の西南西約9km、徳島市役所国府支所の南南西約3kmのところ

 徳島市役所国府支所をを北へ出て、県道29号線を西へ進みます

 約1.1kmで左(南)へ、国道192号線です

 約2kmで「14番札所 常楽寺⇒」の標識に従って斜め右(南)へ、国道の側道です

 道成に約200mの「常楽寺⇒」の案内板を西へ、集落の中を進みます

 約300mで左(南西)へ、直ぐ鳥居脇に「常楽寺第一駐車場」の案内板が有りますが、坂道を上るように直進します

 間も無く常楽寺の参道石段が右手に見えます

 すぐ先の墓地前に車を止めさせて頂きました

 「四国のみち 常楽寺周辺」の遍路道案内図です、大日寺から2.7km、国分寺まで800mです

 常楽寺参道です

 「四国第十四番常楽寺」の寺号標です、山号は「盛寿山」です

 自然石に石段です

 石段をを上がります

 更に上がります

 境内に上がると岩盤が露出しています

 手水舎です

 鐘楼です

 弘法大師様です



 仏塔や仏像が並びます

 本堂前の大木です

 南側から、枯れた幹をツタが覆っています

 境内西端に東南東向きに本堂です

 手前の大師堂は南南西向きです

 

 では、納経所に寄って次へ行きましょう





 2024・6・10・9・10 
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徳島県徳島市、一宮町西丁「四国八十八ヶ所第13番・ 大日寺」です!!

2024-07-18 12:37:00 | 四国八十八霊場
 一宮町西丁地区は、徳島市役所の西南西約10km、徳島市役所入田支所の東南東約2kmのところ

 徳島市役所入田支所東側に道路を南へ、約200mの入田郵便局前丁字路を左(東)へ、県道21号神山鮎喰線です

 道成りに約2kmで県道右手に「大日寺」駐車場の看板が出ていますので、車を止めさせて頂きました

 「四国三十三観音霊場」案内図です、大日寺は観音霊場の第5番に指定されています

 大日寺までは約200mです、歩いて行きましょう

 南南西向きの大日寺山門です

 日本遺産のプレートです
 日本遺産「四国遍路」
   四国霊場第13番札所 大日寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第13番札所の大日寺は、大栗山と号す真言宗寺院で、弘法大師が当地で大日如来像を刻んで本尊としたと伝えられているが、今は十一面観世音像が本尊として祀られている。

 山門東側の県道沿いに鐘楼です

 山門を入ると正面に観音様です

 本堂は左(西側)ですので、まずは手水舎です

 お地蔵様です

 慈母観音様です

 地蔵堂です

 東南東向きに本堂です

 大師堂は山門入った右手に西北西向きです
 
 では、納経所に寄って記入して頂きました

 納経所で「和菓子」を頂きましたよ

 大日寺向かい側には「阿波国一之宮 一宮神社」「一宮城跡」があります、一宮城説明版です
   県指定史跡 一宮城跡
 一宮城は暦応元(1338)年、小笠原(一宮)長宗による築城とされ、鮎喰川の清流を前に臨み、背後には重畳たる山岳が控える県内最大級の山城跡である。
 一宮氏の山城として整備されたが、天正10(1582)年長宗我部元親の侵攻を受け、また、天正13(1585)年、豊臣秀吉の四国征伐時には、鮎喰川を挟んだ辰ヶ山に陣を構えたとされる豊臣秀長と長宗我部元親との攻防の舞台となった。
 同年、豊臣秀吉の命により阿波に封ぜられた蜂須賀家政は、一宮城を居城としたが、翌年、徳島城に移ると、徳島城の支城(阿波九城の一つ)として、家臣の益田長行に守城させた。
 元和元(1615)年の徳川幕府の一国一城令によって、寛永15(1638)年廃城となった。
 現在、標高144mの山頂の本丸を取り巻くように、明神丸・才蔵丸・小倉丸・椎ノ丸・水ノ手丸などの曲輪、堀や土塁が遺存し、南北朝時代から戦国時代にかけての山城の荒々しさと、それを守っていた当時の武士の剛健な気風をしのばせる。
 現地点から約600mで本丸跡に至る。また、山麓の寄神社周辺は「御殿居」と呼ばれ、城主の居館跡であるとの伝承が残っている。
    平成21年3月   徳島市教育委員会・一宮城跡保勝

 *阿波国一之宮は、鳴門市大麻町の「大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)」と、元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町、大日寺から南西に約15km)の二つが阿波国一之宮であったが、上一宮大粟神社が参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらが一之宮となったと伝えられているそうです。


 では、次へ行きましょう


 2024・6・10・8・30
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徳島県神山町、下分地中「四国八十八ヶ所第12番・焼山寺(しょうさんじ)」です!!

2024-07-12 12:58:18 | 四国八十八霊場
 下分地中地区は、神山町役場の北西約5kmのところ

 焼山寺は焼山寺山(標高938m)の北東斜面上の標高700m付近です

 遍路道は、11番藤井寺から山越えをして、一度南の焼山寺まで行ってから、又徳島市の13番大日寺へ戻ります

 神山町役場の北側の道路を東へ出て、約200mの信号を左(北西)へ、国道439号線です

 約1.1kmの交差点に「12番焼山寺⇒」の案内板に従って右(北)へ、県道43号線チェリーロードです

 間も無く「鮎喰川」を渡って「左右内谷川」に沿うように、坂道を上って行きます

 約3.5kmで「⇐12番勝山寺5km」の標識に従って左(西)へ

 道成りに4.9kmの細い道路を対向車に注意しながら進むと広い駐車場に入りました

 案内図です、境内の様子を覚えて行きましょう

 参道入口の布袋様です

 参道を進みます

 右側斜面に鬼子母神堂です

 更に進むと

 お不動様です

 お不動様の背面に観音様です

 寝釈迦像です

 文殊菩薩です

 普賢菩薩です

 地蔵菩薩です

 弥勒菩薩です

 薬師如来です

 観世音菩薩です

 勢至菩薩は木の陰に成っていました

 阿弥陀如来です

 阿閦如来です

 更に参道を進みます

 大日如来です

 本堂まで後110mです

 しかしここから南東向きの参道石段を上ります

 山門の仁王門です

 仁王門の前に「四国第12番霊場 焼山寺」の寺号標です

 説明版です
   焼山寺縁起
 本寺は弘仁5年(815年)弘法大師の開基にかかり、摩盧山正寿院焼山寺と言う。本堂に虚空蔵菩薩を祀り、大師堂には弘法大師の御像が安置されている。
 その昔、この山一帯は毒蛇の棲む魔城で、しばしば大雨を降らし、或は大風を起こし、また諸作物を害するなど災いをなし、附近の人民を虐げていた。
 大師は、かかる魔境をこそ仏法鎮護の霊域とすべきであると山を登られた。大師の開創を恐れた魔性共は全山を火焔としして聖者の行を阻み妨げたが、大師は恐れず印を契んで敢然と登られるや、不思議と劫火は見る見る消え衰え、大師の法力により天変地異あとを絶ち、楽土と甦った。
 そこで山中に一宇を建立して、焼け山の寺と名づけ給うた。故に山号を摩盧山と呼んだ。摩盧とは梵語で水輪の意、すなわち火伏せに因んだ山号である。
 今も尚、山上に毒蛇を封じたと称せられる岩窟があり、その岩頭に三面大黒天を刻んで建立したと伝えられ、三面大黒天は現在、寺内に安置され、日本三体の一つとして其の霊験は遠近に聞こえている。
 境内には国主蜂須賀公より寄進せられたる霊鐘あり。また、正中2年(1325年)には、後醍醐天皇御宇霊跡として、清浄の地たること上聞に達し、国家鎮護のため勅願の御綸旨を下され、今、寺宝として保存されている。
 これより1km登れば海抜930mの奥の院に至る。その附近には、護摩壇、求聞持の窟、せり割り岩、閼伽の水、五葉の丸、杖立の峰など、大師ゆかりの遺跡、名勝が数多くある。
     昭和63年11月10日 謹写
       奉納 鴨島町 久米衛

 弘法大師様です

 手水舎です

 鐘楼です

 鐘の由来説明版です
   鐘の由来
 本寺の鐘は松平阿波の守忠英朝臣(蜂須賀二代目藩主)大壇主となられ、慶安2年(1649年)2月23日(今より330余年前)寄進されたものである。
 当時、蜂須賀公は二つの鐘を造り、一つを本寺に、いま一つを徳島市内の某寺に寄進されたそうである。
 本寺の鐘は撞けば殷々たる響きは徳島市内にまで届いたという。あと一つの市内のものは少しも良い音を出さず、公は人を使わして本寺の鐘と替えたいと申されたという。然し鐘は「いなーん・いなーん」と鳴って、それは果たされなかったという。
 昭和16年大東亜戦争に供出の命下り青年多数によって山麓まで運ばれ、其処より馬車に積んだが、馬俄かに腹痛を訴え、もだえ苦しんだ。馬子は遂に鐘を運ぶことを断念して他の器物を運んだ。
 かくして戦争は終わり、県文化財として指定を受け、別の場所に保存し、今は二代目の鐘が響いている。

 本堂前に宝塔です

 北側から

 本堂左手の三面大黒天堂です

 本堂です

 右手に大師堂です
 
 右端には「十二番神社」です

 十二神社本殿です

 長く成ってしまいますので、続きとさせて頂いて、次回は境内の杉を2本見て行きます


 
 
 2024・6・8・15・50
 
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徳島県吉野川市、鴨島町飯尾「四国八十八ヶ所第11番・藤井寺(ふじいでら)」です!!

2024-07-11 18:39:29 | 四国八十八霊場
 鴨島町飯尾地区は、吉野川市役所の南西約2kmのところ

 吉野川市役所の西側の県道31号線を南へ進みます

 約900mの「⇐十一番札所藤井寺1.4km」の標識の裏面と「十二番札所焼山寺32.5km」の標識が有りますので右(西)へ
 約600mの「県営住宅鴨島呉郷団地」の手前を左(南)へ、約200mで「藤井寺⇒」の案内板を右(西)へ

 道成りに約600mで、有料駐車場に入って車を止めました

 駐車場脇の水路沿いの参道を進みます

 山門の仁王門です
 
 四国11番藤井寺です

 四国のみち(四国自然歩道)説明板です、第10番切幡寺から吉野川を南に10.2km、第13番焼山寺までは12.3kmの遍路道となっていますが、焼山寺まで車では30km以上の距離に成ります

 日本遺産のプレートです
    日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第11番札所 藤井寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第11番札所藤井寺は、金剛山(こんごうざん)と号する臨済宗寺院で、弘法大師が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したという。

 山門の西側に鐘楼です

 参道脇に藤棚が設置されています



 これが藤井寺の名前の元となった弘法大師が植えたフジでしょうか

 参道は右(西)へ曲がって石段を上がります

 手水舎です

 お地蔵様です

 本堂です

 説明版です
   藤井寺縁起
 当山の開創は、弘仁年間弘法大師が四国ご巡錫の砌、此の地へ立ち寄られ、三面を山に囲まれた渓流の水清き仙境に深くお心をひかれ、山上八畳岩にて17日間の御修法金剛不壊の道場とし、境内に五色のフジをお手植になった由緒から金剛山藤井寺の寺号がおこったと伝えられる。
 昔時は山上に七堂伽藍が立ち並び荘厳の美を極めていたが、天正年間長曾我部元親の兵火に遭い、更に、天保3年火災ににあい伽藍すべてを焼失したが、不思議にも弘法大師御作と伝えられる御本尊薬師如来像(国宝)だけは、その難をのがれられ、今日、四国霊場最古の仏像として奥殿に安置されている。

 弘法大師様です

 大師堂です

 弁財天の鳥居が有ります

 六角堂は白龍弁財天です

 では、納経所へ寄って次へ行きましょう



 

 2024・6・8・14・25
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徳島県阿波市、市場町切幡観音「四国八十八ヶ所第10番・切幡寺(きりはたじ)」です!!

2024-07-08 19:08:55 | 四国八十八霊場
 市場町切幡観音地区は、阿波市役所のすぐ東側の地区です、切幡寺は北東約1kmのところから山の上へ長い石段を上ります

 阿波市役所の東側道路を南へ、直ぐの信号を左(北東)へ、県道139号線です

 約400mで「⇐10番札所 切幡寺700m」の標識に従って左(北)へ

 道成りに約400m坂道を上っていくと

 仁王門です

 六地蔵様です

 仁王門の先に駐車場があります


 ここから本堂までは290mです

 参道を進みましょう

 ここから石段が始まります、これから333段を上ることになります

 約100段目で一休みです

 石像仏が並びます

 まだこれから234段の石段が残っています

 女やくよけ坂です

 要約最後の男やくよけ坂です

 手水舎です

 鐘楼です

 本堂へ向かいます

 本堂です

 本堂東側の大師堂です

 弘法大師様です

 本堂と大師堂の間に銀杏の古木です

 神聖視されているようです

 南西側から

 幹には焦げ跡が残っています

 西側から

 境内社の祠です、右側は弁財天ですが・・・

 はたきり観音です

 造像記です・・・昭和11年春、旧林町出身川端伝四郎居士、当山本尊の像を造立せしが、昭和19年第二次世界大戦に供出を余儀なくされ、しばらく寂漠の感に堪えざりし也。
 茲に大戦中はたきり観音の加護により一命を救われた一衆生あり、広島市在住平田雅美氏戦陣より還り来たりて、其の尊像を拝せんとするに御姿なし、悲しみに堪えず、依って自ら再興を発願して、好物の酒気を断つこと十有三年に及び、積年の願いを成就されたり。
 嗚呼、尊い哉其の志。
 此の信仰心真に観る可き也矣。
     昭和46年5月吉祥日
         彫刻 林健・製作 カキダ株式会社・現住 智叡謹識

 神社建築の本殿覆い屋の様な建物です



 2024・6・8・11・15
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徳島県阿波市、土成町土成「四国八十八ヶ所第9番・法輪寺(ほうりんじ)」です!!

2024-07-07 13:02:00 | 四国八十八霊場
 土成町土成地区は、阿波市役所の東約4km、阿波市役所土成支所の南南西約1.5kmのところ

 阿波市役所土成支所を南へ出ます、約1.5kmの横断歩道のある交差点を右(西)へ

 約400mで椙尾神社を右から巻くように進み、約200mで右(北)へ

 約300m道成りに進み、用水路を渡って右(北)へ進みと法輪寺駐車所です

 法輪寺山門です

 「四国霊場 第九番 正覚山 法輪寺」寺号標です

 日本遺産のプレートです
   日本遺産「四国遍路」 四国霊場第9番札所 法輪寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第9番札所の法輪寺は、正覚山と号する真言宗寺院で、もとは法地ヵ谷という山間にあり、弘法大師が釈迦如来の涅槃(ねはん)像を刻み、本尊としたと伝える。
 かつては、寺の周囲が田んぼであったので、田中の法輪寺ともよばれる。

 参道を進みます

 手水舎です

 鐘楼です

 本堂です

 お大師様です

 大師堂です

 納経所に寄って

 遍路宿の案内板の左上が第10番切畑寺です

 切畑寺へ行く前に巨木を見に行きましょう



 2024・6・8・10・00


 
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徳島県阿波市、土成町土成前田「四国八十八ヶ所第8番・熊谷寺(くまだにじ)」です!!

2024-07-07 06:30:00 | 四国八十八霊場
 土成町土成前田地区は、阿波市役所の東北東約5km、阿波市役所土成支所の北約1kmに第8番札所熊谷寺です

 阿波市役所土成支所の西側の県道139号船戸切畑上板線です

 約300mで徳島自動車道の高架を潜ると左手に熊谷寺の参道が出ています

 県道脇に車を止めさせて頂きて仁王門を見に行きましょう

 仁王門です

 説明版です




 仁王門を潜って本堂まで320mの石柱です、参道を進みますが、先に車を移動させましょう

 県道139号線を北東へ坂道を上って行きます、約200mで左(北西)へ


 約150mで、仁王門の上側に出ました、「四国霊場第八番」「高野山真言宗 熊谷寺」寺号標です

 ここを右へへ進むと駐車場です、納経所は駐車場に有ります

 では参道石段を上って行きましょう

 参道を進むと

 左手に多宝塔です

 多宝塔正面です

 説明版です




 お地蔵様です




 石段手前を左に入ると紫陽花が沢山咲いています

 参道を進みます

 中門(二天門)です

 手水舎です

 鐘楼です

 お大師様です

 本堂です

 大師堂はもう一段上です

 大師堂です

 では、戻りましょう

 多宝塔前を車道の方へ行くと「鎮守神」の石祠です


 「板碑」です

 では、納経所に寄って

 次は法輪寺へ行きましょう

   

 2024・6・8・9・30


 
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徳島県阿波市、土成町高尾法教田「四国八十八ヶ所第7番・十楽寺(じゅうらくじ)」です!!

2024-07-06 18:30:00 | 四国八十八霊場
 土成町高尾法教田地区は、阿波市役所の東約9km、阿波市役所土成支所の東約4kmのところ

 阿波市役所土成支所西側の県道139号船戸切幡上板線を北東へみちなりに進みます

 約3.7kmで「⇐十楽寺」の案内板を左(東)へ入ると

 約300mで十楽寺の駐車場です

 南向きに山門です

 四国第七番 十楽寺です

 水子地蔵様です

 日本遺産のプレートです、石段を上がりましょう

 楼門です

 手水舎です

 楼門を潜ると左手に本堂です

 お大師様です

 観音様です

 もう一つお大師様です

 大きなお不動様です

 祠の中には救歳地蔵です

 大師堂を更に西側一段上です

 大師堂です

 納経所に寄って、次へ行きましょう

 
 2024・6・8・9・05
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徳島県上板町、引野寺ノ西北「四国八十八ヶ所第6番・安楽寺」です!!

2024-07-06 06:53:03 | 四国八十八霊場
 引野寺ノ西北地区は、上板町役場の西南西約1.5kmのところ

 上板町役場の北西側道路を西南西へ、県道139号船戸切幡上板線です

 約1kmで「⇐三好・阿波県道12号線」の標識に従って左(南)へ

 約200mで宮川内谷川の宮川内谷橋の手前を斜め右の土手道へ入ります

 約200mの三叉路は右へ、約300mのゴミ集積所前交差点を右(北)へ

 約200mで道路南側の駐車場(写真の左側)に入りました

 向かい側(道路北側)には広い安楽寺駐車場と公衆トイレがあります

 山門の楼門です

 「四国6番 安楽寺」です

 裏面には・・・
 四国へんろ五百度福田祐峯先達は、当町阿波国板野郡上板町高瀬の生まれにして、平成10年より思うところありて、四国へんろを志ざさる。
 以来11年晴れの日ばかりにあらず、雨の日、風の日あるも一徹なるへんろ行を重ねらる、持ち前の気力と強い意志はすさまじく、一ヶ寺一ヶ寺一日一日の積み重ねで五百の回を数え、ついにへんろの道に生き、大師に行かされる心境とならる、ここに岡山市那須暉峰(テル子)先達を世話人となし、記念の石を建立す。
 小納今も過去にも五百の数を越えたるを聞かず、こい願わくば此の勝行をめぐらし、弘法大師の教えを現世にかざして、永く世を照す道しりべとならんことを。
   平成22年春 安楽寺貫主 畠田秀峰
 *凄い人がいるものです

 日本遺産プレートです

 山門を入ると手水舎です

 池の畔にお大師様のです

 多宝塔の屋根が見えました

 参道を進みます

 説明版です
   四国霊場第六番札所温泉山安楽寺の由来
 平安時代前期・宏仁6年(815)弘法大師四国霊場御開創のみぎり、大師当地において42才の大厄のがれられ(さかまつの由来)自ら薬師如来の尊像を刻み、精藍を建立、安楽寺と命名だれた。
 山号を温泉山と号し、弘法大師が我が国に温泉湯治の利益を伝えた全国でも珍し旧跡である。
 「四国遍礼霊場記」元禄2年(1689)〈寂本著〉には「相遂来て医王の神化を人みな仰ぎ、寺院繁栄に至り、十二宇門甍を接し、鈴鐘のひびき絶る時なし。」と記され、安楽寺谷川の滝の行場や瓦が出土する古代寺院跡、雨宝堂とよばれている庵、神社、平安時代の線刻仏等、周辺に史跡が点在し、当時の広大な寺域が想像できる。
 この地は安楽寺谷川の水源と辺りの森を神とし、早くから開けた土地で「日置の荘」(引野)と呼ばれる広大な荘園であった。
 南北朝時代・天授5年(1379)熊野新宮に寄進され、熊野の山伏(六坊)が熊野権現を祀った。
 近世となり、仏式の葬式等丁寧に先祖を祀る習慣が定着すると、安楽寺はこの荘域に檀家を持つようになる。
 安土桃山時代・慶長3年(1598)蜂須賀家政公の御信仰篤く、阿波の国主として入国するや、当山を駅路寺(官寺)と定め庇護された。茅葺の方丈(登録有形文化財)が当時を物語っている。
 神仏分離、廃仏毀釈の歴史を経ても信徒の恩顧深く四国霊場六番札所、温泉のある宿坊として現在に至っている。
 当寺は灌頂窟という道場を有す。願わくば参籠し、くす供養を以て先祖を廻向し自らも仏道を成ぜんことを。

 本堂です

温泉山の額が懸かります

 右手に登録有形文化財の方丈です

 方丈の西側(本堂の北側)大師堂ですが写真を撮り漏れていました
 

 納経所に寄って、次へ行きましょう

 
 2024・6・8・8・50
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徳島県板野町、羅漢林東「四国八十八ヶ所第5番・地蔵寺」です!!

2024-06-30 06:30:13 | 四国八十八霊場
 羅漢林東地区は、板野町役場の西約3kmのところ

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です

 JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ

 約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です

 道成りに約2.9kmの「地蔵寺⇒」の標識に従って信号を右(北)へ

 約300mで左手に地蔵寺の駐車場が見えて来ます

 駐車場に車を止めさせて頂きました

 南向きの参道の先の門前町北端から

 山門の仁王門です

 四国霊場 第5番 地蔵寺寺号標です

 日本遺産プレートです


 手水舎です

 山門を入ると左手に本堂ですが、現在屋根の修理中のようで防風ネットで覆われています、お参りは出来ました

 本堂北側の六角堂は観音堂でしょうか

 本堂に対面するように大師堂です、お参りしましょう

 修行大師御尊像です

 説明石碑です
   修行大師様御縁起之碑
 都に上り一人の沙門に虚空蔵救聞持法を教わった空海様は、四国の地で厳しい山野修行に若き情熱を傾けられました。
 こちらの修行大師様はそのお姿にあやかり、まさにこれから人々のために御慈悲の道を志されんとする若き人間大師の御尊影でございます。
 台座の向かって左は高野山御縁起でございます。狩場明神伝説、奥の院御廟、燈籠堂が描かれ、根本大塔の大日如来を御本尊とし、阿弥陀如来の御座より若き僧が四国の方に手を合わせ、遍路の無事と衆生の救済を願っておられます。
 台座の右は修行大師様御縁起でございます。2001年3月18日、まるでお大師様が使わされたかのように一匹の猫が現われ、大切な長男を亡くし悲しみにくれる私どもを導き、2002年5月3日、イチョウから舞い降りるように弘法大師様が御来降されました。
 この時、自らに厳しく、人に優しく、星を愛し、ひたすら輝き続けた子は、同じ志を持つ若者達とともにお大師様の元で永遠の命を授かったのでございます。
 心をこめ念ずれば、必ずお大師様は皆様にも救いの手を延べられることでしょう。
 なお台座の中には、高野山、四国八十八ケ所をはじめお大師様に御縁の深いお寺の御石を納めております。
 本日はようお参りなされました。
   南無大師遍照金剛     願主敬白
 

 山門東側に鐘楼です

 淡路堂です

 では、境内のイチョウを見て行きましょう 

 
 2024・6・7・15・00
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