2009年に土木遺産に認定された須花隧道は
佐野市下彦間と足利市名草の境、須花峠の下を貫いています
トンネルの歴史が掘られています
須花峠は、唐沢城城主佐野宗綱(28歳)の討死の地として知られています
戦国時代の軍記物に多く語られていますので、読んでください
このトンネルが土木遺産になったのは
明治トンネル、大正トンネル、現在のトンネルと
三世代のトンネルが並んで作られていることです
では、まず明治トンネルに行きます
写真は現在のトンネル、下彦間側入口です
直ぐ手前、左手に入口がありました
車止めがあっ駐車スペースになっています
トンネルまで200m足らず
手掘りの
明治トンネルです、トンネルの先に明かりが見えますが、崩れているようです
大正トンネルに行きます
現在のトンネルの右手になります
こちら側も車止めがあって車は入れませんが
今から30年以上前にバイクで通った記憶があります
ザゼン草の群生地があって、観光客も多いようです
これも古い馬頭観音がありました
こちも200m足らずのところに、大正トンネルがありました
金網が破れたりしています
入口の土木遺産のパネルは、心無い人のいたずらで
スプレーにより見えなくなっていました
大正トンネル入口の、右手に階段が出来ています
登ると、
ザゼン草群生地で、大きくなったザゼン草の葉が茂っていました
群生地の先で、大正トンネルの真上が、須花峠です
表示も朽ち果ててしまって、足利側は藪に覆われてしまっていました
佐野市下彦間と足利市名草の境、須花峠の下を貫いています
トンネルの歴史が掘られています
須花峠は、唐沢城城主佐野宗綱(28歳)の討死の地として知られています
戦国時代の軍記物に多く語られていますので、読んでください
このトンネルが土木遺産になったのは
明治トンネル、大正トンネル、現在のトンネルと
三世代のトンネルが並んで作られていることです
では、まず明治トンネルに行きます
写真は現在のトンネル、下彦間側入口です
直ぐ手前、左手に入口がありました
車止めがあっ駐車スペースになっています
トンネルまで200m足らず
手掘りの
明治トンネルです、トンネルの先に明かりが見えますが、崩れているようです
大正トンネルに行きます
現在のトンネルの右手になります
こちら側も車止めがあって車は入れませんが
今から30年以上前にバイクで通った記憶があります
ザゼン草の群生地があって、観光客も多いようです
これも古い馬頭観音がありました
こちも200m足らずのところに、大正トンネルがありました
金網が破れたりしています
入口の土木遺産のパネルは、心無い人のいたずらで
スプレーにより見えなくなっていました
大正トンネル入口の、右手に階段が出来ています
登ると、
ザゼン草群生地で、大きくなったザゼン草の葉が茂っていました
群生地の先で、大正トンネルの真上が、須花峠です
表示も朽ち果ててしまって、足利側は藪に覆われてしまっていました