ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県柏崎市、木澤神社の大杉群です!!

2015-10-16 06:38:23 | 巨樹・大木
木澤神社は、柏崎市役所の南約11kmのところ

柏崎市内より、国道353号線を南へ

県道25号線の野田交差点を西へ500mほど進み

南側への田圃道を進むと

こんもりとした森が見えて来ます

神社の前の道路脇に車を置いて見学しました

木澤神社です

鳥居です

木澤神社拝殿です

本殿です


鳥居の陰に杉の巨木が有ります

市指定文化財天然記念物 木沢神社の大杉群の標柱です




東側から見上げました


北側からです


境内南側の大杉です


社殿の直ぐ南側の大杉です


社殿北側の大杉です


本殿脇には二本の大杉が並びます

実測はしていませんが、幹回り9.6mが一番の巨木だそうです

同じくらいの見た目のスギが3本、一回り細いものが1本

二回り細いものが二本あるようです

次の機会には、メジャーで実測してみたいと思います

ネットで調べてみた内容です

[柏崎市指定文化財:記念物・天然記念物「木澤神社の大杉群」(昭和51年10月19日指定)

木沢神社の鳥居をくぐって左手から、1号杉・目通り7メートル、2号杉・目通り9.6メートル

3号杉・目通り8.4メートル、4号杉・目通り6.6メートル、5号杉・目通り3.8メートル

6号杉・目通り3.75メートルの大杉があり、高さはそれぞれ25メートルを越えています。

樹齢800年位のものもありますが、中でも2号杉と3号杉には数人が入れそうな洞があり、

風格のある大木となっています]


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新潟県柏崎市、多多神社(国指定重要文化財)です!!

2015-10-15 20:50:21 | 文化財・寺社
多多神社は柏崎市役所の北東約8kmのところ、

国道8号線と県道73号線の交差点曽地信号の南東側に在ります

駐車場は、参道前から東へ行ったところの集落センターを利用させていただきました。


多多神社参道です

式内多々神社の石碑です

国指定文化財の説明版です
    国指定文化財 有形文化財・建造物(昭和33年5月14日指定)
      多多神社本殿
       多多神社は大同元年(806)の創建と伝えられているが、現在の本殿は棟札によって
      永正16年(1519)に建てられたことが分かっている。度々修理がなされ、一部改変
      されているが、昭和52年に解体修理で、元に戻した。
       流れ造りの間口一間ほどで板葺き屋根の小さな社殿は、覆屋で保護されてきたため、創
      建当時の姿をよくとどめており、室町時代中期の神社建築の特徴をよく示している。向拝
      柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の
      特徴がよく見られる。

国指定・建造物の説明版です
      多多神社本殿  一棟
                  柏崎市大字曽地多多神社
       多多神社は、大同元年(806)の創立とつたえられるが現在の本殿は棟札によって
      永正十六年(1519)に建てられたことが明らかである。
       流れづくりの小さな社殿で、覆屋で保護されてきたため建立当時の姿が完全に残され
      ている。身舎野間口は1.7m奥行は1.06mで、正面と側面に縁と高欄をめぐらし
      ている。面大取りの向拝柱に頭貫をとおし、三斗を用いて桁をうけ、向拝柱とのつなぎ
      には海老虹梁をかけ、棰は二軒、身舎の正面と向拝の斗栱の間には彫刻蟇股をもちい、
      妻には大塀束に笈形をかけ、柱上部の頭貫やつなぎ虹梁の先端には木鼻をひどこしてい
      る。流れづくりの正統をふむ室町時代中期のすぐれた社殿であり、部分的に鎌倉時代の
      古調がのこり、宝珠や木鼻彫刻に地方色がうかがわれる点も注目される。
       昭和五十一年から三ヵ年にわたって、国費二千八百万円をかけて根本的解体修理とあ
      わせ防災工事も終えている。
        昭和三十三年五月十四日             柏崎市教育委員会

境内に入ります

手水です

拝殿です

掛額です

神楽殿です

本殿は堅固な覆屋の中に在ります


拝殿前の大きな松です、雰囲気があります

南東側からの多々神社社叢です

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新潟県刈羽村、枯木明神社の大ケヤキです!!

2015-10-14 05:04:04 | 巨樹・大木
枯木明神社は、刈羽村役場の東南東約2kmのところ

国道8号線から県道73号線を北へ1.5km程

県道の西側に丘があり、神社があります

枯木主落の東側端にあたります

車を神社入口の道路脇に止めさせていただきました


南側に入口が有ります

手水です


立派な狛犬です

社殿です


大ケヤキは、境内の北側にありました



社殿の脇から見上げます

北側は斜面になっています


北側の道路から望みました

境内には、説明版等は有りませんでしたが、幹回り5.2mの巨木だそうです

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新潟県柏崎市、椎谷観音堂の大ケヤキと香取神社です!!

2015-10-13 09:13:31 | 巨樹・大木
椎谷観音堂は、柏崎市役所の北北東約13kmの所

日本海に突き出した観音岬の上に在ります

国道352号線を北上、椎谷地区を過ぎて椎谷岬トンネルの手前を旧道へ入ります

椎谷鼻灯台の手前を右へ、大きな駐車場が有ります

日本海の海岸線の南に東京電力柏崎刈羽原子力発電所を遠望します

観音堂へ行きます

石像やお地蔵様・宝篋印塔などがならびます

観音堂が見えて来ます

手水舎です


観音堂です

説明版です
   椎谷観音堂
     今より千二百余年の昔、嵯峨天皇の弘仁二年(811)のこと、当椎谷の海に毎夜不思議な光が
    現れました。村人達は何の光かと思い、網を下ろしますと聖観世音菩薩の御像が上がりました。
    村人達は山の上に立派な御堂を建て、御像を安置しました。
     それから八〇〇年余の寛永元年(1624)の冬、山伏がこの御堂に泊まり、暖を取るため仏像
    などを燃やし、本尊様をも燃やそうとしました。するとその瞬間轟然たる大音響、百雷が一時に落
    ちたかと思われる様な恐ろしい音がし、御堂は焼け落ちてしまいました。御堂に行き火を消し本尊
    様を探しましたが見当たりません。
     ちょうどこの時、佐渡の国羽茂軍宿根木村の丸山治久という人がありました。最早五十歳になる
    のに子どもがありません。そこで遥か海を隔てた椎谷の観音様のご利益を信仰し、何卒男の子を授
    け賜えと一心にお願いし、観音様のお告げを貰って可愛らしい男の子を授かりました。名前を忠三
    郎とし、それはそれは大切に育てました。この忠三郎さんは僅か二歳か三歳で最早立派に読み書き
    が出来る世にも稀な天才児でした。治久さん夫婦はいよいよ可愛がって育てる内に、寛永七年とな
    り忠三郎さんが七歳の正月十七日、別段苦しむ様子もなく眠るように息絶えて死んでしまいました
    葬儀を営むこととなり、時にお母さんが今一目と御棺の蓋を取ってみると、御棺の中には忠三郎さ
    んの影も形もありませんでした。
     お母さんが不思議なことに思われて
        玉手箱 両親ここに 置きながら 掛子は抜けて 何処なるらん
    と詠まれました。すると何処からともなく
        吹き散らす 風にうらみは 春の花 紅葉の秋に 一葉残らん
    と言う返歌がありました。
     忠三郎さんが死なれた前夜、椎谷観音堂の住職の夢に観音様が現れ「我は佐渡の丸山治久が切な
    る願いに答えて、彼が一子忠三郎となって生まれたが、今又帰る時節が来たので当山に帰るであろ
    う」というお告げがありました。翌日山に登り御堂を開いてみますと、昨日まで居られなかった本
    尊様がお帰りになられました。今この本尊様を秘仏として、住職一代に一回の御開帳としています
    現在の御堂は明和七年(1770)のものです。
       椎谷の馬市・馬市法要
     慶長五年(1600)関が原の戦い、慶長十九年(1614)大阪冬の陣、元和元(1615)
    年大阪夏の陣で功績nあった堀直之は元和二年に椎谷領を下知されました。直之公は大変馬好きな
    殿様で領内の人々に馬を飼うことを勧め、馬を貸し与えたりして品種改良、増産を図りました。毎
    年碑七月一日には領主が種馬、子馬の閲覧し駿馬を見つけると買い取っていました。この日は一般
    にも馬の売買が許可され、これが次第に盛んになり馬市と呼ばれるまでに発展しました。柏崎文庫
    (関甲子次郎著 柏崎市立図書館蔵)によれば安政年間(1854~60)には七〇〇〇余頭、明
    治十五・十六年(1882・1883)四千~六千頭の馬が集まったと書かれており、日本三代馬
    市(ほかに安芸の広島、奥州の白河)に数えられていました。今は七月一日に椎谷馬市法要が行わ
    れ、多くの絵馬が昔を思い起させます。
        平成二十二年十二月吉日         寄贈者   椎谷堀家二十二代  堀 光宗
                                  柏崎市尾崎家十八代 尾崎忠良


観音堂の前におおきな椎木が有ります



御堂の東側に大ケヤキが有ります




根元が柵で保護されています

市指文化財天然記念物 椎谷観音大欅の標柱です

欅の大木の石碑です
    樹令   約千年位
    周囲   約6m50cm
    直径   約2m余    だそうです



東側の根元には観音像がありました

怪しい天守閣です

文化財の倉庫の様です、文化財の案内板が有りました

直ぐ西側には、香取神社が有ります

拝殿です

本殿です

説明版が有ります
   香取神社の由緒
     香取神社の祭神は経津主命である。経津主命は剣を神格化した神といわれ、武勇の神として武家
    の崇敬も篤く天孫降臨に先立って芦原中国を平定したと日本書紀などは伝えている。
     椎谷香取神社は椎谷藩四代藩主 堀式部少輔直定候の元禄十一年(1698)に上総・下総・武                     蔵の地に領していた四千五百石が越後の蒲原・三島の地四千五百石へ替地になり、椎谷藩 堀家が
    既に越後に領していた五千五百石を合わせて一万石の全てが越後に集約された。
     この時、藩の領土鎮護・武運祈願の神として旧領内、下総の香取神宮を分祀して椎谷の産土の神
    と定めた。歴代藩主は勿論、近郷の崇敬も極めて篤く、藩主は江戸定府であるが椎谷に居られる祭
    礼の日には家臣を随えて藩主自ら参拝祈願をされ、毎年の祭礼には米二石を寄進、藩主からの奉納
    物のあり厚く保護されて来た。
     往古より香取立と称して、出陣の際や船出に際し香取の神に参拝して門出を祈願する風習があり
    戊辰の役(1868)五月には椎谷藩士一同が当社に参拝し武運長久を祈願して出陣した。西南の
    役(1887)には藩士二十七名が当社に祈願して出征し目出度く凱旋してその名を連ねた扁額を
    奉納した。
     寛政十二年(1800)には十二代藩主 堀近江守直起候が領内の庄屋に呼び掛け金十両の寄付
    を集め神殿(現在の神殿)を再築、天保十一年(1840)には拝殿(現在の拝殿)を増築し、そ
    の後、明治三十四年(1901)に幣殿並び拝殿の修復が成された。
     平成十九年(2007)七月一六日午前十時十三分震度六強の中越沖地震が発生し、震源地に最
    も近いこともあり震災の判定では「全壊」と云う甚大なる被害を受けたが幸いにも修復が可能と判
    断された。
     震災後二年余り風雪にさらされ椎谷住民も一時は修復再生をあきらめかけた。そんな中、新潟県
    の中越沖地震復興基金からの一部支援が決まった。椎谷住民は、香取神社は”心のよりどころであ
    り、貴重な文化遺産”である。どうしても後世に伝え残さなくてはいけない神社であると決意し、
    不足していた資金を苦労して調達した。
     平成二十一年十一月から修復工事を始め、翌二十二年(2010)九月十二日竣工式を迎えた。
                            寄贈者   椎谷堀家二十二代  堀 光宗
                                  柏崎市尾崎家十八代 尾崎忠良
少し長くなってしまいましたm(__)m

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新潟県柏崎市、後谷のタブの木です!!

2015-10-12 16:00:17 | 巨樹・大木
後谷は、柏崎市役所の北東約12km、嘗ての西山町です

JR越後線にしやま駅の北西1.5kmの所です

国道116号線、JR越後線にしやま駅西側から県道373号線にはいります

大きな右カーブの先を西に入ります

山裾を回って、峠道を抜けると後谷地区です

谷地沿いに住宅が点在します


後谷公会堂が目印です

直ぐ北側に後谷神社が有ります、階段と鳥居は西側に在ります


社殿の前におおきなケヤキの木が有ります


社殿の脇にもケヤキの大木が有ります



社殿前のケヤキです、半分の枝が枯れてしまっています

南側の田んぼの向こうの丘の上です

傍に寄って観ました

市指定文化財天然記念物 タブの木の標柱です



根元ですが、登り口が見つかりません



約1時間後、少し明るく成りましたが、天気がはっきりしませんでした

幹回り5.1mの巨木です

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埼玉県桶川市、熊野神社古墳(国指定重要文化財出土地)です!!

2015-10-11 08:07:19 | 文化財・寺社
熊野神社古墳は、桶川市役所の南西約4kmのところ

荒川左岸の桶川市の南端に在ります

バス通り沿いから東へ少し入ります


熊野神社古墳の案内柱です

ここを入ります

右手に小山が見えて来ます


大きな円墳です


南側の階段の上、古墳の頂上に熊野神社が有ります

熊野神社御由緒です
  御縁起(歴史)                     桶川市川田谷348
    川田谷は荒川右岸の自然堤防上に位置し、地名は川の端の地であることに由来するという。中世の川田郷
   に比定される。古くから古墳が多く存在する所として知られ、その中の一つである熊野神社古墳と呼ばれる
   円墳(最大径30m、高さ6m)の上に当社は鎮座する。
    当社は「風土記稿」川田谷村の項に「熊野社 東光寺持」と載り、当寺は天台宗東光寺が別当であった。
   東光寺は村内泉福寺の末寺で、寺伝によれば天長6年(829)慈覚大師により開基されたという。
    また、かつての氏子区域の小字である「薬師堂」は地内の薬師堂の名にちなむものでる。「風土記稿」に
   薬師は慈覚大師の作にて座像長一尺余、東光寺の持」と記される。恐らくは、この薬師と共に当社は、東光
   寺の僧によりこの地に勧請されたのであろう。
    「明細帳」に「住古ハ東光寺持二日枝社、神明社アリシガイツノ頃カ(当社に)合祀シタリト言伝フ」と
   あり、現在の祭神はイザナミノミコトと並びオオヤマクイノミコト(日枝社)と天照大御神(神明社)とな
   っている。
    かつての当社は小さな木の祠で、周囲には杉や欅の大木が多数生え、盛り土の高さも現在の社殿の屋根位
   まであった。昭和3年にこの祠を改築するに当たり、盛り土を掘削したところ粘土槨が発見され、中から勾
   玉や紡錘車など多数の遺物が出土した。これは大変貴重な資料であるため昭和23年に国指定重要文化財と
   なっている。  

古墳の説明版です
  埼玉県指定史跡  熊野神社古墳             昭和42年3月28日指定)
    熊野神社古墳は、川田谷地域の荒川沿いに多く分布する古墳の1つで、河川交通上の重要な位置にありま
   す。
    墳形は円墳で、昭和59年度に行われた調査によって、直径38m、高さ6~6.5m、周濠の幅14~
   16mであることが確認されました。
    粘土槨(粘土で棺を覆って安置したもの)と想定されている埋葬施設は、昭和3年、墳頂部の社殿改修の
   際、偶然発見され、玉類、石製品類、筒型銅器など、畿内の古式古墳と共通する多くの副葬品が出土しまし
   た。当時の出土遺物は国の重要文化財に指定され、現在は埼玉県立歴史と民俗の博物館で保管展示されてい
   ます。また桶川市歴史民俗資料館では複製品を展示しています。
    出土した遺物などからみて、古墳の年代は4世紀後半ごろと推定され、埼玉県内では比較的古い時期に築
   造された古墳と考えられています。
      平成21年12月                 埼玉県教育委員会  桶川市教育委員会

南側斜面です

階段を上がると

社殿です

国宝出土品之碑があります

社殿脇のケヤキの大木です

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群馬県藤岡市、鷲宮神社の夫婦ケヤキです!!

2015-10-10 04:29:44 | 巨樹・大木
鷲宮神社は、藤岡市役所の南西約10kmのところ

県道175号線沿い中倉公会堂の隣にあります

県道脇に車を置くスペースが有ります




道路沿いの鳥居ごしに夫婦ケヤキです




ほぼ同じ大きさのケヤキが仲良く並びます

   藤岡市名木100選
     名称    鷲宮神社の夫婦ケヤキ(2本)
     種類    ケヤキ(ニレ科・ケヤキ属)
     樹齢    推定150年
     樹勢    高さ25m   幹回(高さ1.5mの位置)2.9m
             23m                2.85m
     由来特徴  鷲宮神社の御神木として敬われており、夫婦ケヤキと呼ばれている。
     所在地   藤岡市下日野
     所有者   鷲宮神社

巨木と呼ぶには遠く及びませんが、辛科神社からの帰りによりました

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群馬県藤岡市、辛科神社の大カヤです!!

2015-10-09 20:39:11 | 巨樹・大木
辛科神社は、藤岡市役所の南西約14kmのところ

県道175号線から県道71号線へ鮎川沿いを西へ進みます

田本集落の入口に神社は有ります



入口の鳥居脇に大きな杉の木が有ります

珍しい形の社殿です

本殿です



社殿の前に大カヤは有ります

藤岡市名木100選
  名称  辛科神社のカヤ
  種類  カヤ(いちい科・カヤ属)
  樹齢  推定600年
  樹勢  高さ24m  幹回(高さ1,5mの位置)5.56m
  由来特徴
      市指定天然記念物 辛科神社n御神木として人々から敬われている。
  所在地 藤岡市上日野1308
  所有者 辛科神社


説明版です
      辛科神社のカヤ
        所在地  藤岡市上日野字田本1308
        所有者  辛科神社
       カヤはイチイ科の常緑高木で自生または植栽され、神社林や屋敷林に大木巨樹が見られる。四月頃
      に開花し、翌年の秋に楕円形で茶褐色に熟した実をつける。
       指定されているカヤは、樹齢約600年と推定される巨樹で、目通り5.65m、根回り8m、枝
      張り東西15m、南北12m、樹高24mの大きさである。このカヤは、慶長三年(1598)の御
      用木帳に「榧二本からしなの宮にあり、二本共に目通り一丈廻り。杉檜十五本」と記されているカヤ
      の一本と言われている。
                                         藤岡市教育委員会



社殿脇西側から



北東側から



南側から

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群馬県藤岡市、地守神社の大杉です!!

2015-10-08 16:34:39 | 巨樹・大木
地守神社は、藤岡市役所の南西約10kmのところ

県道173号せんから県道175号線と藤岡市の南西部へ進みます



県道沿いに鳥居が有りますが、社殿は川の北側です

少し戻って、小学校跡地の縄文の里の脇を入ります


川の向かい側の地守神社の石碑です


拝殿です

神楽殿です

藤岡市指定天然記念物の標柱は読めなく成っています


大杉です


大杉は社殿の右手にあります


社殿前にも大杉が有ります、手前のスギは目通り実測4.10mでした


こちらのスギは、目通り実測5.06mでした、立派な巨木です

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群馬県藤岡市、大聖峯寺の大ケヤキです!!

2015-10-07 20:42:43 | 巨樹・大木
大聖峯寺は、藤岡市役所の南西約5kmのところ

国道254号線を西へ進みます

白石信号を南へ、上信越自動車道の高架を出て直ぐ南側を西へ

また、直ぐの道を南へ進むと直ぐです


お寺なのに鳥居からご案内です、不動尊とあります

鳥居脇には、良い松ノ木があります

大ケヤキが見えます

真言宗 大聖峰寺です



大ケヤキです

道路脇に大ケヤキの一部が・・・キノコが生えています、キノコのために切り取られたようです


切り取られた部分がはっきりとわかりますね

階段を上がります

説明版が有ります
    藤岡市名木百選  指定第   号
      名称 大聖峯寺の板倉不動尊大ケヤキ
      種類 ケヤキ(ニレ科ケヤキ属)
      樹齢 推定500年
      樹勢 高さ18m  幹回り(高さ1.5mの位置)8m
      由来特徴
         落雷により樹心部が空洞となっており、いかにも古木らしい姿で、又その枝振りがみごとな
        奇形巨木である
      所在地 藤岡市緑埜534
      所有者 大聖峯寺
            藤岡市




南西側から
.
南側駐車場から


大きなイチョウが有ります



不動堂参道の両脇です

本堂です

不動堂へ行きます


不動堂です

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埼玉県ときがわ町、大カヤです!!

2015-10-06 06:04:50 | 巨樹・大木
大カヤは、ときがわ町役場の西南西5kmのところ

県道172号線を西へ進み

西平で南の林道へ入ります



平小学校脇に案内石柱があります、ここから500mの文字があります

先日紹介した、萩日吉神社の子持杉(2015年9月3日このブログで紹介)の脇を登って行きます

大カヤ入口です

岩盤のむき出しの山道をのぼります

杉林の向こうに大カヤが見えて来ました

トレニックワールド越生の山歩きコースになっているようです


大カヤです

埼玉県指定天然記念物 カヤ の石碑です

説明の石碑です
    天然記念物 カヤ
       イチイ科の常緑樹である、都幾山慈光寺の七木の一つに数えられ、現存する唯一本のものであり
      当地方の名木である。
       樹齢 推定 1000年
       周囲     6.6m
       樹高    16.0m
       枝張り 東西 25m
           南北 26m
              昭和50年七月建立・・・40年でもっと大きくなっているかも




左手から




左手上から


大枝が伸びています





右手上から




右手下から




正面です

2002年の計測では、幹回りが7mになっていたようです

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栃木県佐野市、野上岩嶽神社の大杉です!!

2015-10-05 21:08:27 | 巨樹・大木
岩嶽神社は、佐野市役所の西北西約16kmのところ

旧田沼の奥、旗川(野上川)の左岸にあります

県道201号線を北上します

JA野上を過ぎて約2kmほどの右手丘の上です

車で社殿前の広場まで入ることが出来ます

鳥居です


大杉が見えます


社殿の前に大杉は有ります

手水舎です

社殿です、大杉が邪魔をしています

本殿です

天然記念物 岩嶽神社のスギの標柱です

説明版です
    佐野市天然記念物                      作原町261 岩嶽神社
          岩嶽神社のスギ           一本
                               平成元年3月20日指定
          樹   高      30m
          目通り周囲      6.05m
          枝 張 り      東西15m     南北19m
          推定 樹齢      600年
      スギ(学名:Cryptomeria japonica)はスギ科スギ属の常緑高木で、日本特産
     の樹木であり、建築用材などに広く用いられている。
      この地域はスギの生育に適しており、明治の末までは境内に30数本の大木があったが、この木を残
     して他は伐採された。昭和40年(1965)頃に、この木を伐採する話が持ち上がったが、氏子たち
     によって守られ、今日に至っている。幹の中央部分に落雷の跡や一部空洞化した所が認められる。
      旧田沼町内に現存する最大級のスギであり、本県内でも太郎杉(日光)に匹敵する数少ない巨木であ
     る。
                       平成18年1月       佐野市教育委員会




南東側から

社殿前の階段に根が食い込んでいます




大杉の南側のスギの大木です



北西側からは、落雷の跡がはっきりと解かります

落雷の傷跡から小杉が生えています



西側から

では、次へ行きましょう
      
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栃木県佐野市、熊野神社の大カヤです!!

2015-10-04 06:06:11 | 巨樹・大木
r熊野神社は、佐野市役所の北約11kmのところ

旧葛生町から旧田沼町へ古越道トンネルを越えます

旗川(野上川)の船越橋を渡る手前を南へ

直ぐ東側に集落の奥にあります

鳥居前の道路に車を止めさせていただきました


熊野神社入口です

社殿前の階段ですが階段下の境内へ


階段の左手に大カヤが有ります


階段下から見上げますが良く見えませんね~

手水舎です

拝殿です

立派な本殿です



本殿脇から

長い枝がのびています

天然記念物 熊野神社のカヤの標柱です

説明版です
    佐野市指定天然記念物                 船越町309 熊野神社
        熊野神社のカヤ  1本
                               平成元年3月20日
      樹   高   20m
      目通り周囲   5.23m
      枝 張 り   東西17m    南北16m
      推定樹齢    500年

      カヤ(学名:Torreya nucifera)はイチイ科カヤ属の常緑高木で、本州北部から
     南の山地に分布し、庭木としても植えられる。樹高20m以上の大木になるが、樹齢500年以上の
     巨木は、県内でも数少ない。
      カヤの木のある所は平坦となっているが、すぐ南側の境外が低くなっているため、元の地形は傾斜
     面で約0.5m、幹の部分が土中に埋められたと思われる。
                               平成18年1月   佐野市教育委員会


カヤの実が沢山落ちていました

では、次へ行きましょう
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栃木県佐野市、常盤神社の大ケヤキです!!

2015-10-03 06:58:04 | 巨樹・大木
常盤神社は、佐野市役所の北約13kmのところ

東武佐野線くずう駅から、北西約5kmの

秋山側氾濫原の田んぼの中にあります

国道293号線から、県道200号線を北上します

常盤中学校を過ぎて1kmほどの西側奥に緑の島のようにみえてきます

細い田圃道(舗装されています)を入って行くと

常盤神社の隣に佐野市下牧農村生活センターが有りますので、車を置かせていただきました

鳥居です



社殿を覆うように、二本の大銀杏が有ります

社殿です



大ケヤキは社殿の右側後ろに在ります



西側から

北西側根元です


社殿後ろ側には、スギの大木?もあります

大ケヤキ
   目通り幹回り  5.2m
   樹    高  30mだそうです

では、次へ行きましょう
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栃木県佐野市、(葛生)八坂神社の大ケヤキです!!

2015-10-02 19:48:53 | 巨樹・大木
国道293号線を北へ、葛生の町の中に八坂神社があります

入口には、農協施設が有ります

八坂神社の前には、農協施設の駐車場にななっていますので

ここを利用させていただきました

八坂神社の入口です

手水舎です

神楽殿です

拝殿です



拝殿前の御神木のケヤキです



大ケヤキは境内の西端に在ります



南から



根元です、中央が傷んでいます



大きな根張りです


こちらは、大銀杏です

境内社です

八坂神社由来記です
  土御門天皇の建仁二年(1202年)のころ本部いたるところに悪疫が流行して厄除五穀成就のため、
    葛生町大字牧の地に一社を勧請し牛頭天王を祀った。
     暦応二年(1339年)大雨で洪水となり、家屋の流失するのがあった、その時に社殿も漂流して神幣
    神橋も流失したが、旧葛生町大字葛生の地にとどまった。
     この時石川某なる者がこれを拾い、現在の地に一社を創立して神幣・神橋を祀ったと言い伝えられてお
    ります。
     明治五年に神号を八坂神社と改称し、明治十年七月二十一日葛生町ほか九宿村の郷社に定められました。
     なお、本殿は土御門天皇建仁元年の創建と言われており、拝殿は昭和三年新造営されたものであります。
     主祭神に素戔嗚命、配神に櫛稲田姫命(素戔嗚の妻)、大名持命(大国主命の別名で大黒様として崇め
    られている)が祭られております。




本殿の彫刻が見事です

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