底抜けに明るい営業・鈴木氏(左)と広報・松友氏(右)
しかしあの3.11の大震災を生き延び、今も闘ってる2人だ
宮城県は石巻市にある木の屋石巻水産。
金華さばを使ったサバ缶やクジラ須の子缶、漢方牛大和煮缶などで人気だった缶詰企業だ。
その社屋や工場は、一昨年の東日本大震災のときに、大津波で流されてしまった。
やがて海水が引いた後には、石巻港から押し寄せた大量のヘドロ、泥、がれきが堆積していたが...。
その合間に、きらりと光るものがあった。
それが、在庫の缶詰だったのであります。
震災後の5月の様子。強烈な臭気と刺激性ガスが発生していた
このヘドロまみれの缶詰を掘り出し、丁寧に洗って、中身が無事なものを販売しようと提案したのは、世田谷区経堂の人々だった。
「どうして経堂なの?」
こう思われる御仁も、いらっしゃると思う。
実は、経堂北口の外食店の一部では、09年頃からサバ缶を使ったメニューを提供し、「サバ缶の町」として話題になっていたのだ。
中でも木の屋の金華さば缶は、その味に心底惚れ込んだ店主や客が多かった。
だから
「今まで木の屋さんにお世話になった。今度は我々が助ける番だ」
この一念があったのであります。
毎週、経堂と石巻を往復する車を手配し、ボランティアの人々が往復した。
往路は冷蔵庫や水食料、ストーブなど寄付品を積み込んで。
復路はヘドロまみれの缶詰を満載して。
こうして東京に持ち帰った缶詰は、試行錯誤して作った洗剤で洗いあげた。
これは大変な作業だった。
重油や海水が混じり合ったヘドロは容易に落ちず、しかも異臭を放っている。
「なるべく匂いが発散しないように...」
周囲に気を配りながら、イベントカフェ[さばのゆ]を中心に洗浄を行った。
また、洗いあげたのはいいが、紙巻きだったラベルはもちろん、剥がれ落ちている。
ラベルには原材料名、販売者名などが書いてあり、これがないと商品として売ることは出来ない。
そこで方便として
「復興義援金をいただければ、この缶詰を差し上げます」
こういう形をとっての販売だった。
缶詰を洗ったボランティアの延べ人数、およそ4,000人。
この運動は、やがて「希望の缶詰」と呼ばれ、メディアでも話題になった。
さばのゆ店主の須田泰成氏によって、同じタイトルの絵本としても出版されているのであります。
ついに復活した木の屋さばみそ煮缶
さて、そんな木の屋さんは現在、新工場の建設が進んでいる。来春には竣工予定だという。
商品も少しずつ再販している。12月1日には、一番人気のあったさばみそ煮缶が販売されたのだ。
ただし現段階では、自社工場がないため、同じ石巻の缶詰企業(サンヨー食品)に製造を委託しての販売であります。
同じ缶詰企業同士、協力しあって前に進んでいるのだ。
サバ缶復活を祝う[さばのゆ]のイベント
缶詰deゆる薬膳著者・池田陽子さんもやって来た
今年は海水温が高かったこともあり、金華さばの水揚げがほとんどなかったという。
だから今回は「石巻港水揚げ、脂の乗った旬さば使用」というみそ煮缶だ。
久しぶりに開缶!
香ばしさと甘さを感じる味噌の匂いが立ち昇る。
生サバを使い、高砂長寿味噌と喜界島粗糖で仕上げるなど、基本的な作り方は金華さば缶と同じだそうだ。
かくのごとし。
缶汁を切って白髪ネギ、ゴマ油、白ゴマをトッピング
残った缶汁は、熱湯を注げば一人前の味噌汁になる。
ネギを散らすだけでもウマい。サバの出汁と脂が溶け出ているからだ。
かくのごとく...。
木の屋さんは、少しずつではあるが立ち上がっている。
その闘いはまだ続いている。しかし、まずは同社がサバ缶を再販できたことに快哉を叫ぼうではないか。
固形量:120g
内容総量:170g
原材料名:さば、砂糖、味噌、食塩、でん粉
生産国:日本(販売・宮城県石巻市/木の屋石巻水産 製造・宮城県石巻市/サンヨー食品)