閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

正月恒例(?)の・・・・

2025-01-04 20:28:36 | 日記

穏やかな新年の始まりでした。いつものことながら 特別にすることはなく、庭木の手入れと 書庫の普段やらない整理程度で時間は過ぎていく。

 2日はこゝ5・6年続いている「乗り物遠足」 まだいったことのない「線」が主眼だが地理的に限られていて、今やとにかくやったことのない、というのを潰す小旅行になっている。

 今回は水害でつぶれた宝珠山あたりの英彦山線に代替手段として動き出したBRTなる物に乗ってみようという事になった。

 夜明駅で列車を降り、待つこと10分ばかりで添田行のBTRがきた。日田から出てくるので先客あり、座席十数席の小型のバス。以前はタクシー会社のマイクロバスだったが、こんどは背が高く窓が広い可愛らしい姿。宝珠山までは旧線路時期ではなく一般道、ただし停留所はかなり増えていて住民の便を思ってのおことだろう。宝珠山からは鉄道敷きを舗装した一方通行の専用道路で電動バスという事もあって静かで快適な走行。ただし肝心の石造りのアーチ橋は自分自身がその上に乗っているので、ただ高さを実感するだけで当然ながら見ることはできない。大行司と筑前山屋の駅舎は山崩れで全壊したので建て替えられていた。筑前山屋、ここで二人の乗客あり。その先はすぐにトンネル、長い!かつて九州で一番長いトンネルであったのを実感。 すぐに英彦山駅につくが ここは以前の代替バスでも立ち寄ったところ、ここからはまた一般道を走る。添田に着いた。途中下車する人なしで乗客全員がこのBTRに乗るだけの目的であった。

 ところでBTRとは何ぞや?であるが、BusRapidTransitというものだそうだ。

何でわざわざ英語!? 言葉の本来の意味とは違うのではないか。何処がRapid?何がTransit?  何も英語でなく「代替交通(手段)」あるいは「新交通」などの方がわかりやすいと思う、なんでも英語のしかも略号で言うのが流行っているようだが、英語の方は綴りが長くなるので便法として使っているのであって何も日本でまねる必要はないと思う。NHKでもMCというから何かと思えばメインキャスター、要するにアナウンサーのこと、リスナーというのも聴取者で何がまずいのか。ほかにもたくさんあるけれどもまた別の機会に。

 ところで、このBRT以外の九大線、添田線、筑豊鉄道、ゆたか線そして鹿児島線、全部にアジア系の外国人が乗っている。たった1両で全部で十数人の乗客の中でも、また篠栗からはお参りから戻る人がかなり乗ってきたがわれらの周りに日本語は聞こえない。しかも見わたせば若者ばかり。正月とあって仕事や研修の連中が休みで出てきているのだろうが、そして白人を見かけないのも驚きであった。  JRとBRTにカンパする小旅行でした。

 今回は「本」とは関係ないのですがたまには趣向を変えて。

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  またしても暗い気持ちになってしまった。

2024-12-16 07:46:23 | 日記

 

先だっての「宅買い」の品の中に「日本航空燃料史・嘉納吉彦 1956刊」というのがあった。小生の興味をそそるもので、早速目を通した。 技術者の書いたほぼ専門的な本で数字数式やグラフ、化学物質の名前が詰め込まれていてちょっと手古摺ったけれども、内容は大変面白かった。

 普段なにげなく使っているガソリンもタダ重油から抽出しただけではなく、今のガソリン機関がうまく回転し力が安定して出るように色々な添加剤が入っていることは漠然と知っていて、いわゆる「ハイオク」という種類があることは常識なのだが ではその添加物が何であるかまでは考えない。 地上で、水平移動に使用されることしか想定されていない自動車用の燃料でこのような「加工」がされるなら、航空機とあれば条件はもっと過酷。輸送機・旅客機なら少なくとも逆さまになる巴返り等は想定されなくとも、相手が戦闘機となるとまるで条件が違ってくるであろうことは(普段は考えないだろうが)想像できる。気温だけでも地上のー15~45度、高空ではマイナスの25~35度。回転数も戦闘状態では一気にアイドリングの7・8倍、しかも天地がひっくり返ってもきちんと作動しなければならない。

 馬力を稼ぐために多気筒になり、星形になって燃料もだが潤滑油の配分にも大きな難題がある。  

 こういう記述がある「大豆油を加水分解して亜硫酸ガスと白土を触媒として290度だ融合し、モリブデン系触媒を用い、100㎏/cm、300~、その子尾を350°Cの下に分解水素添加して高級炭化水素油とし、圧減蒸留して航空潤滑油を約30%の収率で得る方法を完成し、陸軍用として工業化した」

 全篇こんな感じの本だが、この本でわかることは触媒や添加に使う材料のほとんどが外国に頼っていた、陸軍と海軍の仕様や要求の違いと無理強い、そして開戦後の原油の入手不足。

 これらはすべて開戦以前にわかっていたことである。松根を掘ったり、石炭油化にはっぱをかけたり(ドイツではズット以前から研究を続けていた、しかし今日に至るまでまだ成功していない)すでにすべてが「遅い・資金不足」で残るは精神論。  勝てるはずはない。

 戦後、紫電改や四式・疾風をUSに持っていって性能試験をしたら日本でよりズット高性能を発揮したことは知られている。それは燃料と滑油の性能が高く良かった結果であり、いかに日本の工業生産技術が貧弱であったかの証明の一コマである。

 で いつもの様に では「ナゼ!戦争を止められなかった」のだろう、という話になります。

 実は これは「過去」の話ではないのであって、今現在も事情は殆ど変わっておらず、果たして「国民」を守ってくれるかどうか大変疑わしいことを知っておかなければならない。大手のマスコミは決して書かない。

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書き込みが滞ってしまった。

2024-11-27 20:37:41 | 日記

書き込みが滞ってしまった。 ここ数日寒くなって「冬来たり」と体が実感している。若い時は「寒いの大好き」だったけれども 今や逆さま、寄る年波を否応なしに思わされている。

 このところ世界・日本・そして大牟田周辺に関心を持たざるを得ない事が大変多いのだが  特に紹介するような「本」とは結び付かないので書けないでいた。

 とはいっても、やはり「事の起こり」についての関心は依然ある。

 入手した色々な本の中から目についたのを拾って「眼を通す」ことは変わりはなく、問題は其速度が遅くなってきているのが顕著でいわゆる「積読」がかなりある。 関心の中でも「ナゼ1945.8.15」を迎えたか、いきさつの理解と、その後の責任についてどう云う事があったか、についてはもっとも大きい。

 昭和十年頃からの事に技術系、戦術系の中堅の中で「この戦争は勝てない」と相当の数の人たちが思っていたことが分かっている。 なのになぜ?戦争拡大を止められなかったのか。  これは歴史の問題ではなく 今の日本の現実の問題でもあるのがなお大きな問題なのだ。

 例示は幾らもあるが、近々では 宮古島に対空ロケットが配備された、その施設と隊員を守るために退避・避難の設備が(壕ではなく地上に置くものの様だ、詳しくはわからない)設置されたとの報道があった。早速島民から 「自分たちはどうなるのか」と疑問が上がった(当然のことである)。基地司令の答えは「我々の関与する事案ではない」というのだ。まさに「国を護る」の実態をあらわにしたと言えないか。 いざというときは島民を避難・退去させると言いながら其計画はまさに計画だけで何ら実態を伴っていない。飛行機では運べる数が少なく実効性は低い、されば船はと言っても今のところ全く何もされていない。 沖縄・奄美の人たちにとっては終戦直前の本土への避難が船を沈められて悲劇を生んだことを忘れてはいない。

 一方、本土についても北朝鮮のミサイルが来て、警報は出しても(それもお粗末だったことは周知の事)ではどこに逃げるか、については全く考えられていない。 中国・北朝鮮・ロシア・北欧などの地下鉄がいざというときの待避壕になっているのは殆どの人が知っている。当然政府や官庁の「偉いさん」たちも知っているはずであるが、日本中どこにもそんな施設は作られていない。民間だけではない、自衛隊だって その既知の周辺の安全・防衛・防御策はあきれるほどいいかげんである。日本は西洋社会と違って農地・山林と言えども無秩序に開発され、民家のすぐ隣が発射台や弾薬庫というのはザラ、海上自衛隊の基地も周辺から丸見え。 この点は戦前の軍隊から一歩も進歩しておらず、本土が戦場になることを全く考慮していない現れである。飛行場の戦闘機の掩体壕さえいくつもない。緒戦で航空基地が狙われるのはこの度のウクライナ侵略出はっきりと知らされた、では日本はそれに対応しているだろうか。なぜ日本は負けたのか、その反省は全方位にわたって全くなされていないと言わざるを得ず、このままでは本当に「戦闘」が始まり又「国民」の犠牲が強いられる。

 また 長くなるのでこれまでにして、事前見た本で付箋の付いたのがいくつもあって、見直しては認識を新たにしたり確認することも多いが

  このごろ目を通した本をいくつか記録しておこう。

   *イスラエルとは何か   Y.M.ラブキン菅野訳 平凡社新書

   *逆説の軍隊  戸部良一   日本の近代9  中央公論社

   *新技術の社会誌  鈴木淳  日本の近代15  中央公論社

  別して「東京の暮らし・川本三郎」潮出版 で 最後の章の「小さな古書店」

 の後ろの方に「本は古書になってはじめて価値がわかるという。ベストセラーになった本は古書店ではほとんど無視され、少部数の本こそ大事にされる。いい本というのは時間と共にゆっくりと味が出てくるものだろう。」

  というひとくさりにも出会った。

  

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シオニズム・イスラエル国家 について

2024-10-15 20:55:11 | 日記

  これから述べることは 単なる歴史好きの素人の現在の意見、空想です。

 結論・「イスラエルは解体・解消すべし

 イスラエルという国家は第二次大戦後西欧諸国の後押しで1948年に出来たことは知られている。 その思想根拠は「シオニズム」であり政治的にはバルフォア宣言に始まるのも周知のことだ。

 もともと住んでいたパレスチナの人々には何の断りもなく「国家外交」の為に

上部の連中の政治取引でまさに「勝手に建国」したことはあまねく知られている、今ウクライナにロシアが武力侵略し「ここはもともとロシアだ」と言っていることと同じである。

 一口に「シオニズム」と言っても 歴史あることでその発生後の様子はかなり変化に富み、幾つもの「派」があり一様ではないことも知られている。

 細かい事項はそれぞれ別に述べるとしてザっとした「私見」を述べよう。

 シオニズム自体の歴史は古い、古代ローマにパレスチナの地を追われてバビロニアに移住した話は有名。 そこで祖国復帰を目指したのがシオニズムの始まりだという。しかしながら「シオンの地」そのものは現実の物理的地上の「領土」を必ずしも指しているとは言えないのではないか。 乱暴な譬だが、それは仏教でいう「西方浄土」キリスト教の「エデンの園」あるいは「シャングリラ」?のようなもので、宗教上の「希望の先の理想の地」というものではないか。

 それになんといっても二千年以上前の出来事である。正直言って「何をいまさら」、しかも「伝説・神話的」な根拠でしかないではないか、というのが小生の意見。「それを言い出すなら・・」というのは世界中にいくつもあってイスラエルだけが特別に正当化されるものではないと思う。

 ユダヤ人への差別・迫害の歴史も古く(例えばベニスの商人を見よ)、またユダヤ人の拡がりに伴ってロシアを含む西洋社会のどの国でも起こっている。それは「ジプシー・ロマ」への偏見・迫害とそっくりなのだが、いずれも迫害者側の中心になったのは中間乃至貧困層であることを知るべきだ。同類相哀れむのではなく、少し違うかもしれないが近親憎悪のような、宗教・習慣の違い、ジプシーの場合は住居不定(要するに税金を取りにくい、素性が知れない)が大きな理由。世の中の何処にでもあるが、ある種の人たちにとっては自分たちより低く、踏みつけることのできる相手が必要なのだ。(日本のヘイト騒動も同じ)

 ユダヤ人の場合は宗教・習慣だけではなく、土地や権威を持たない彼らが自立の為に資産と教養の蓄積・向上に務め、それぞれの社会で上層部の地位を持った、 (全部ではない)それが周囲の特に中・下層の人々の怨嗟の対象になったことも知られている。上部階級の連中が差別した話は殆ど聞かない。

 前大戦時のナチスドイツの迫害は有名だが 有名すぎてほかの国や地域、階層での迫害・差別が知られていないのはおかしい。ナチの行為は確かに突出していて、間近の事で世間を驚かせたが、しかし 基督教、ことにカソリックが展開した、またロシヤ正教の元でも行われた差別・迫害は歴史的時間の長さと地域規模・しつこさは 大変なものだが ほとんど知られていない、また報道も教育もしない。

またユダヤ人の中で「シオニズム」に関心・共感をしても「イスラエル」への移住には不賛成という人たちは多く、ことにある程度の社会的地位・資産のある人たちは全く冷ややか、有名人ではアインシュタイン、ロックフェラー等がいる。

 

 前段・考証は書き出すともっと長くなるので ここで小生の全く空想に基づくイスラエル再構築案・結論を 先に述べておこう。

 それは 今のイスラエルの沖合(地中海)に大規模な人口の大地を新たに作り、そこを新天地・イスラエルの大地とするのだ。

今の国土は二万二千平方キロだという。それを一気に作れ、というわけではない。初めは数平方キロから始めて徐々に拡大すればよい。 石と砂と土は対岸のパレスチナ本土にまず無尽蔵にある。それを削って沖へ運べば済むことである。建国以来75年、これからさらに75年かけ(あるいは百年もかかるかもしれないが)軍事・戦争での出費・血と汗と涙の努力を考え、その熱量をもってすれば、そして世界中のユダヤ人の資金・智慧・汗を注力すればできないことではない。 水深が多少深くとも相当な面積の陸地が造成可能だし、陸地ができたところへ順次そこへ本土から移転し、少しずつでもパレスチナの人々に返せば世界の世論も 歓迎するだろう。そして、先でたとえ今の国土と同じ二万二千平方キロの土地を完成させたとしても地中海の自然への影響はあまりないはずと思われる。それはキプロスやマルタ島程度の面積の規模だから。

 さらに希望的空想を重ねると、できた土地は概ね平坦であろうから、数年たてばまず草が生えるし地面の緑化に励み、初めは牧畜でしばらくすれば耕作・野菜造りも可能。 水は太陽光・風力発電で、また数多くのランビキでの海水からの淡水製造。自然の水をためるためには低い山を築き緑化してため池を設置する。あるいはイスラエルの事だから原発で電源を作るかもしれないし工場・飛行場等はもちろん建設可能。 百年かければある程度の国土ができる。バビロンの捕囚以来の時間を考えればできないことでは無かろう。   

  いったんここまで を 公表しよう。 まだまだ精査しなければならないことは多い。 しかしイスラエルを支持することにはならないだろう。

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大変面白かった。 「羊と鋼の森」・宮下奈都

2024-09-18 07:40:06 | 日記

普段は近々の小説は読まないのだけれど、店にだそうと思って手にしてパラパラ捲ったらピアノの話と分かって読んでみようか、という事になった。 2015年初版で例によって我店では「新刊」は殆ど無いのでこれはやむなし。

 ピアノの音・音色・あるいは演奏について 言葉でこんな表現ができるのだと正直驚きました。ちょっと思い入れが過ぎるのではないかと思わぬこともないけれど、特に硬い言葉を使うことなく、また北海道の自然の描写も綺麗な表現だと思う。 

 たまにマニアックな評論家の変な思い入れの「誉め言葉」の文章を見受けるがこの小説の表現は素人目にもすなおに受け入れられる表現ではないかと思う。 天板の開閉具合や本体の置く位置で聞え方、響きが変わるのまではわかるけど、支えの足の車の向きが云々というのまでは小生にはわからない。 会場毎の、あるいは観客の要り具合で響きが変わるのは小生も経験済み、小さな部屋に防音のためあれこれ詰め込むのも善し悪しという事もわかる。

 ピアノが弾けず擦弦楽器しか知らない小生はなぜピアノがこんなに全能であり続けるかいまだに納得はしていない。擦弦楽器は弾き出した後も音は持続し大小・強弱を変えられるが(管楽器も同じ)ピアノはいったん叩いたら減衰するしかない、ペダルはあってもその効果は限定される。長い音は同じ鍵を何度もたたくしかない。確かに今は鍵数も多く半音はきちんと出る、よって作曲する時には便利であることはわかる。大変有能な機械であることは間違いないが、しかも他と違って「自分の楽器」を持つことはあり得なく、演奏の度毎に会場にある楽器を使う。それで「楽器の王者」というのはどういう事なのか、わからんなあ!

 この小説には原民喜の言葉が引用されている、一般的にこの頃の小説には引用はあまり見ないようであるが小生には作家を見る一つの目安でもある。すそ野が広くなくては山は高くはなれない、小説・詩に限らず西洋系の文の多くは文中の引用だけでなく扉などに箴言のように詩の一節が置かれたりというのが多い。それは読者としては作家の教養の幅を、深さを知る一つの手がかりになる。引用のない自分なりの言葉でしか書かれていないのはそれだけしかないという事でもある。

 作家の教養についてはこれまでにも触れたことがあるが、また別の機会があるだろう。

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