閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

音を立てるということ、音痴のこと

2011-11-24 19:56:59 | 日記
おととい夜、久々にある音が聞こえてきた。パタン、バタン、ゴー!パタン、バタン、ゴー!
お分かりと思う。言わずと知れた「スケボー」である。十数年前これがはやっていた頃は
毎晩毎晩「止めろ!」「うるさい!」と ある場面ではケンカにもなり、警察が来ることも・・・。
 このところ久しくこないと思っていたら やはりいたのだ。早速通りへ出て
「ちょっと待ってよ」ということになった。今回は紳士的な相手で、なんと熊本から
来た という。何でもスケボーの出来るところを探しているのだという。
 これまでの商店街の住民(主に私だが)の闘い、説得の説明をしてここでは止
めてくれるよう 頼んだら 彼は了解してくれた。
 しかし スケボーをする場所を求め手あちこち というのも変! 
 そんな努力をするなら自分達で開拓するなり自治体に圧力をかけて公認の
場所を作ればいいではないか。また 出来そうなところで 今なぜやっていないのか?
理由があるはず という周りに気を配る神経は 無い様子。やっていて文句を言
われなければ 儲けもの、という感じ。やっているご本人はパタパタゴー は快感
らしいが 関係の無いそこに住んでいて 昼間の喧騒からやっと静になって休んでいるところに
やられてはかなわん ということに配慮が無い。「他にするところが無いから
仕様が無いじゃないか、何処へ行けというのだ」と言うのが彼らの
反論の定番。 「我慢をさせられる、しなければならないのはどっちだ?」
 世の中 音痴が増えていると実感する。「音痴」とは歌が下手なことではない。
「音」に「痴」なのであって、大音量にも無頓着、うるさい放送にも平気 という
のを本当の「音痴」というのだ。子どもの大声も同断、「大声は無礼、不躾」ということを
もっと知るべき。
 つい百年前まで 肉声が当たりまえ だったのだ。「利器」は「利器」
 として使うべきで 使われてはならない。
コメント
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