先月の終わりまで 三池カルタ歴史資料館の 企画展示のなかに 中村不折が描いた百人一首(の複製)を
出していた。十分に面白いものではあるんだが、これだけでは地味で 少しわかりやすくなるようにと思っ
て小店架蔵の「我輩は猫である」の本物(ただし重版)
を一緒に置き、 漱石と橋口五葉と不折の関係を 説明して置いた。其のなかにこの「我輩は猫である」
は日本の書籍の歴史のなかで「装幀」ということが考えられた 最初の本であることも触れておいたのだが
来館者の 関心を得ることは出来なかった。幾人かに声をかけて 説明したのだが「我輩は猫である」に
は 「へえ これが本物!?」という反応はあっても 3人が協力して出来た「本」であることには
眼が向かない。 ちょうどこの時期北九州で 「五葉展」があっていたにも関わらずである。
昔の少し厚めの紙にしっかりと印字された「活版印刷」の本が大好きである。あわせてコロタイプの
挿絵でもあるとなお結構である。今の平版印刷は ただのプリントで 「本」らしい趣が無い。
潤一郎、荷風、龍之介、春夫、鏡花のさらに其の周辺の「作品」といえる「本」のよさをわかって
もっと大事にして欲しいものだ。
出していた。十分に面白いものではあるんだが、これだけでは地味で 少しわかりやすくなるようにと思っ
て小店架蔵の「我輩は猫である」の本物(ただし重版)
を一緒に置き、 漱石と橋口五葉と不折の関係を 説明して置いた。其のなかにこの「我輩は猫である」
は日本の書籍の歴史のなかで「装幀」ということが考えられた 最初の本であることも触れておいたのだが
来館者の 関心を得ることは出来なかった。幾人かに声をかけて 説明したのだが「我輩は猫である」に
は 「へえ これが本物!?」という反応はあっても 3人が協力して出来た「本」であることには
眼が向かない。 ちょうどこの時期北九州で 「五葉展」があっていたにも関わらずである。
昔の少し厚めの紙にしっかりと印字された「活版印刷」の本が大好きである。あわせてコロタイプの
挿絵でもあるとなお結構である。今の平版印刷は ただのプリントで 「本」らしい趣が無い。
潤一郎、荷風、龍之介、春夫、鏡花のさらに其の周辺の「作品」といえる「本」のよさをわかって
もっと大事にして欲しいものだ。