閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

新聞、雑誌の読書欄の読者は何処に

2012-01-23 10:13:13 | 日記
新聞や雑誌に 古書店めぐり や ある作家の「古書店は僕の教室」と言ったような
記事は結構 頻繁に出ているように思う。もっともこれらの記事は圧倒的に
「神田村」のもので、しかも掲載されることを嫌っているらしい、紹介されてもおか
しくない店が出ない といった 全般にみれば偏った記事が多いのだが。それは
置いてもその記事を見た人がどれだけ本屋へ、まして「古本屋」へ足を運んでいるだろうか。
 我が店の周辺にはそんな人はこのところ見かけたことが無い。
 雑誌の編集屋さん達の目線が何辺にあるやら、という感じ。
 というより「あそこへ行けば(自分の探し物は)何でもある」という錯覚を
起こさせてはしないかなあ と思われる。 かく言う我が店では来客数はめちゃ減、
其の数少ない お客の殆どが「○○はないでしょうね」(はじめから否定形)といって入ってきて、
 「ここにくればあると思ったのに!」という人がどんどん増えてきている。
有名人が「何処そこの店でこんなものを見つけた」というのは 自分で
見つけたのであって、店の者が探し出してきて「はいどうぞ」と出してくれた
とは何処にも書いてない。 ここを勘違いしている。
 本は自分で探すもの本は自分から「ここに居ります、買ってください」 
とは言わないもの。時々「書棚の本が自分を呼んでいる」というような記事があるが
これは相当な目利きの言うことで そこに至るまでの 投資たるやすごいものだろう。
 もとより 古本屋のお客は単位人口の0.05%位(大牟田はもっとひどくて0.01%
以下)なので はじめっからあれこれ言ううほどの 問題ではないか。
 しかし 古書の話のできるお客さんがいないのはさびしい。 ネットでは「対話・会話」は
 出来ない。「目線」「手元」をみることも出来ない。
   またしても ボヤキに終始した。何とか明るい話題を考えなければならない。
コメント
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