閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

連綿体のこと

2012-02-03 15:58:13 | 日記
 昨年中野三敏氏と お会いすることがあった。和本に関する本を新書で出され平行して
「連綿体」を読もうとあちこちで盛んに言っておられる。其の例に引き出されるのが福沢諭吉の
「学問ノススメ」他の初期の著作で、これが今は皆活字で読まれており、そういうものだと
思っているが、本来は江戸の書物とおなじく「連綿体」で書かれた物で、それで読まなければ
本当のことはわからんのではないか、というのである。
 よく「崩し字辞典」というものを見かけるが、江戸期のくにゃくにゃ字は「続け字」であって「崩し」たもの
では無い。百人一首(和歌)をみればよくわかるが 「続け書き」であって「崩し」ではない。
 漢字の楷書を知り、仏書などで木活字を知っていた日本人が なんで平仮名の「つづけ字」にこだわって
使い続けたのか また「変体かな」まで生み出して余計に読みにくくしたか、は 大変興味深いことだが、
それは置くこととして、明治初期以前のことを調べる人、ことに
文学や思想に関して当時の本や著作を当時の形のままの姿でみることなく「読んだつもり」では困るのは当然。
 さて古本屋はここに「仕事」がある。わが店には100年以上たったもの、あるいはそれに近い本が結構
あるのだがここ数年来店者でこれらに興味を示してくださるのは皆無である。昨年は江戸中期の仏書を商ったが
一度も店頭に顔を出すことなくメールのやり取りで遠方の方にお買い上げいただいた。今後は
HPを活用していくと なおこの傾向が強くなることになりそうだが・・・。
 今読める本を「安く」買える「古本屋」ではなく「新刊店」ではお目にかかれない本を扱う「古本や」
 であり続けたいと思うのだが 食扶持を稼げなくては話にならない。「古書」にもっと関心を持って欲しい
と願うばかりである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする