毎日 書いてやろうと 言う意気込みだったのですが、前言訂正します。
なかなか書けない という現実に直面しました。時間的なことはもとより、
書くことに「責任」ありとなると いいかげんな事は書けない(当然ですが)
となると 引用も気をつけることになるし・・・・。という言い訳・・・。
先日の昼下がり、とっても綺麗なお嬢さんが来店! 「こんにちは」と
言って後は黙って本を 見て、しばらく書棚を流してのち 「この本いくら
ですか? 何処に値段が書いてありますか?」と。 これはすばらしい
「古本屋のお客様」です。 何が言いたいか といえば、まず「黙って我が店の
本を見る」という態度なのです。これまでもお客さんの対応について色々
書いたし、これからも書くでしょう。でも四十年間の経験 足すに親父が
言っていたことを足すと60年にわたる店頭の経験から、店に入ってくるなり
「××は無いだろうね」と切り出す人は まず「ダメ」これは確信。
反対に 黙って、まず書棚の品物を見る人、これは脈あり。大事な人です。
これも確信。双方とも、例はたくさんあります、あればこそ「確信」といえ
るのです。
解りやすい人の例を紹介します。向坂逸郎さんです。同郷の方で、
江戸時代に我が家とある関係のあった家柄で、父とは大学は違っても地方の
数少ない「帝大卒」とあって、大牟田に帰るたびにわが店に立ち寄って
いただいたのですが、彼は「やあ元気かね」と言って入ってくるなり
外套などをお付の人に預けると、店の隅からスミまでまさに「舐める如く」
一冊一冊見た上で、やっと安心したという感じで、「古賀さんこのころ
古本はどうかね?」という具合。天下に名だたる経済学者にしてこの態度。
其の背後に金魚のフンの如くついて回っている連中はただ 口を開いて
眺めるだけ、教授が手に取るごとに首を突っ込んで「一体なんだ?」
という事はあっても,彼等が其の本を手にすることはまず無い。
本当に「本」を必要としている人たちは 店主といえども信頼していな
い。まったく自分の目で確かめなくては居れないものだということを
いいたかったのです。冒頭の彼女はそういう世界の人ではないが、それでも
見知らぬ古本屋に来て、まづは「店頭の品を見る」という、「古本屋での節度」
をわきまえてくれた人で 久しぶりに 安堵した次第。後の話も素敵な
彼女でした。久々に さわやか気分。
なかなか書けない という現実に直面しました。時間的なことはもとより、
書くことに「責任」ありとなると いいかげんな事は書けない(当然ですが)
となると 引用も気をつけることになるし・・・・。という言い訳・・・。
先日の昼下がり、とっても綺麗なお嬢さんが来店! 「こんにちは」と
言って後は黙って本を 見て、しばらく書棚を流してのち 「この本いくら
ですか? 何処に値段が書いてありますか?」と。 これはすばらしい
「古本屋のお客様」です。 何が言いたいか といえば、まず「黙って我が店の
本を見る」という態度なのです。これまでもお客さんの対応について色々
書いたし、これからも書くでしょう。でも四十年間の経験 足すに親父が
言っていたことを足すと60年にわたる店頭の経験から、店に入ってくるなり
「××は無いだろうね」と切り出す人は まず「ダメ」これは確信。
反対に 黙って、まず書棚の品物を見る人、これは脈あり。大事な人です。
これも確信。双方とも、例はたくさんあります、あればこそ「確信」といえ
るのです。
解りやすい人の例を紹介します。向坂逸郎さんです。同郷の方で、
江戸時代に我が家とある関係のあった家柄で、父とは大学は違っても地方の
数少ない「帝大卒」とあって、大牟田に帰るたびにわが店に立ち寄って
いただいたのですが、彼は「やあ元気かね」と言って入ってくるなり
外套などをお付の人に預けると、店の隅からスミまでまさに「舐める如く」
一冊一冊見た上で、やっと安心したという感じで、「古賀さんこのころ
古本はどうかね?」という具合。天下に名だたる経済学者にしてこの態度。
其の背後に金魚のフンの如くついて回っている連中はただ 口を開いて
眺めるだけ、教授が手に取るごとに首を突っ込んで「一体なんだ?」
という事はあっても,彼等が其の本を手にすることはまず無い。
本当に「本」を必要としている人たちは 店主といえども信頼していな
い。まったく自分の目で確かめなくては居れないものだということを
いいたかったのです。冒頭の彼女はそういう世界の人ではないが、それでも
見知らぬ古本屋に来て、まづは「店頭の品を見る」という、「古本屋での節度」
をわきまえてくれた人で 久しぶりに 安堵した次第。後の話も素敵な
彼女でした。久々に さわやか気分。