閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

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2012-03-13 19:49:24 | 日記
毎日 書いてやろうと 言う意気込みだったのですが、前言訂正します。
なかなか書けない という現実に直面しました。時間的なことはもとより、
書くことに「責任」ありとなると いいかげんな事は書けない(当然ですが)
となると 引用も気をつけることになるし・・・・。という言い訳・・・。
 先日の昼下がり、とっても綺麗なお嬢さんが来店! 「こんにちは」と
言って後は黙って本を 見て、しばらく書棚を流してのち 「この本いくら
ですか? 何処に値段が書いてありますか?」と。  これはすばらしい
「古本屋のお客様」です。 何が言いたいか といえば、まず「黙って我が店の
本を見る」という態度なのです。これまでもお客さんの対応について色々
書いたし、これからも書くでしょう。でも四十年間の経験 足すに親父が
言っていたことを足すと60年にわたる店頭の経験から、店に入ってくるなり
「××は無いだろうね」と切り出す人は まず「ダメ」これは確信。
 反対に 黙って、まず書棚の品物を見る人、これは脈あり。大事な人です。
これも確信。双方とも、例はたくさんあります、あればこそ「確信」といえ
るのです。
 解りやすい人の例を紹介します。向坂逸郎さんです。同郷の方で、
江戸時代に我が家とある関係のあった家柄で、父とは大学は違っても地方の
数少ない「帝大卒」とあって、大牟田に帰るたびにわが店に立ち寄って
いただいたのですが、彼は「やあ元気かね」と言って入ってくるなり
外套などをお付の人に預けると、店の隅からスミまでまさに「舐める如く」
一冊一冊見た上で、やっと安心したという感じで、「古賀さんこのころ
古本はどうかね?」という具合。天下に名だたる経済学者にしてこの態度。
 其の背後に金魚のフンの如くついて回っている連中はただ 口を開いて
眺めるだけ、教授が手に取るごとに首を突っ込んで「一体なんだ?」
という事はあっても,彼等が其の本を手にすることはまず無い。
 本当に「本」を必要としている人たちは 店主といえども信頼していな
い。まったく自分の目で確かめなくては居れないものだということを
いいたかったのです。冒頭の彼女はそういう世界の人ではないが、それでも
見知らぬ古本屋に来て、まづは「店頭の品を見る」という、「古本屋での節度」
をわきまえてくれた人で 久しぶりに 安堵した次第。後の話も素敵な
 彼女でした。久々に さわやか気分。
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