先日 或る人が 「ブログというのはホボ毎日のように書くもので、一ヶ月も空けるなんて・・。」と行っているのが聞こえました。 確かに他の人はそういう「まめ」な方々のようですが、しかし「今日は何処へ」「何処で何を食べた」「だれそれと会った」なんぞという話題を(少なくとも小生が書いたとして)誰が面白がるだろうか? 作家の「人に読ませる日記」を気取っているのかな。 小生は事は「本」に関わることしか書かないつもりでいよう。
このところ一軒片付け がいくつか続いたけど前便の「蔵書二代」そのもの。 しかも
主人が買った時の価格が幾らであったか、については自分は触りもしないものなのに皆さん揃って熱心ですね。 本は自分の手元に来て さわって書棚に納めて安心して何ぼ。 初版本がまさしくそれに近い、「俺は持ってるぜ」という自己満足、それで十分のはず。残った遺族が「これは幾らした本」と言うのはちょっと筋違いではないかと思うが 納得してもらえるのは稀です。 近々の話では句集の
一山、二百冊くらい。 小生の評価は 先方に納得してもらえまいと思って 全部東京の市場に送ったのだが 結果は小生の評価より安かった。先様は厳しい表情だったが仕方がない。
それより 無理して自分で買わなくて良かったということです。句集の大方は自費出版に毛の生えたようなもので 或るグループの人たちがお互いに買って、あるいは御祝儀として買うのであって数年後 その本に古書価が付くなんてきわめて稀。署名もあって当たり前に過ぎない。 でも遺族の方々は納得はしない。困った。「そこにあるのは単なる紙の束、それからいくらかでも金額が出ればいいのではありませんか?」
又 繰言になりそうなので 今回は此れで 閉めることにしよう。もっと「本」の事を書くべきと思うが いざとなるといい加減なことはかけないという圧力があって止まってしまう。 勉強不足です。
このところ一軒片付け がいくつか続いたけど前便の「蔵書二代」そのもの。 しかも
主人が買った時の価格が幾らであったか、については自分は触りもしないものなのに皆さん揃って熱心ですね。 本は自分の手元に来て さわって書棚に納めて安心して何ぼ。 初版本がまさしくそれに近い、「俺は持ってるぜ」という自己満足、それで十分のはず。残った遺族が「これは幾らした本」と言うのはちょっと筋違いではないかと思うが 納得してもらえるのは稀です。 近々の話では句集の
一山、二百冊くらい。 小生の評価は 先方に納得してもらえまいと思って 全部東京の市場に送ったのだが 結果は小生の評価より安かった。先様は厳しい表情だったが仕方がない。
それより 無理して自分で買わなくて良かったということです。句集の大方は自費出版に毛の生えたようなもので 或るグループの人たちがお互いに買って、あるいは御祝儀として買うのであって数年後 その本に古書価が付くなんてきわめて稀。署名もあって当たり前に過ぎない。 でも遺族の方々は納得はしない。困った。「そこにあるのは単なる紙の束、それからいくらかでも金額が出ればいいのではありませんか?」
又 繰言になりそうなので 今回は此れで 閉めることにしよう。もっと「本」の事を書くべきと思うが いざとなるといい加減なことはかけないという圧力があって止まってしまう。 勉強不足です。