閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

新刊屋と古本屋 続報

2013-10-03 23:13:57 | 日記

わが店は店の外から机でPCを操作しているのがその気で見ればわかります。少し前から、入ってくるなり「○◎ちゅう本ば取ってくれんね、アマゾンぎっと安かけん」あるいは「日本の古本屋」で取り寄せてくれ、という人がちらほら見えるようになってきました。「いいえ、うちはそんなことやっていません」というと、実に怪訝な顔をされるのです。吾店は「取り寄せてあげます」など決して言ったことはない のに 何でだろう? と思っていたのですが、先日この申し出をしたある方と話をすることができました。その人に「取り寄せてあげてもいいけど、手数料をいただきますがそれでは結局安くはなりませんよ」と言ったことに反応があったのです。彼曰く「本屋(新刊屋)で取り寄せてもらうと手数料など言わないのになぜこの店は要るのか」と聞いてきたからです。彼は新刊と同じく問屋(取次)があって、そこへ発注すれば卸値で出してくれる、当然ながら注文者の手数料など負担はない、という新刊のシステムが古本のAmazonや「日本の古本屋」でも同様であって、古本屋が注文すれば卸値というシステム(ルール?)があって、古本屋側は卸値で仕入れているので客は表示されている金額で受け取るのが当然と思って(信じて)いるのです。驚きましたね。

 これまでに「取り寄せてくれ」と言われた本はいずれもありきたりの高くもない新刊で、「より安く手に入れたい」というものでした。これが本当の古書で、長年のお客様の依頼というのであれば「探して取ってみましょうか」くらいのことは吾店でもやぶさかではない。しかし、「新刊本」で定価の半額以下というものを「ネットばしよっとなら、ちょっとしてくれたっちゃ良かやんね」と見も知らずの「お客様」に申し出られて「はい、わかりました」と出来る話ではない。

 新刊屋と古本屋の業態の違いを全く理解していない、只「安く買える」「売れ残りを扱う店」というしか思っていない証左ですね。新刊屋が「本屋」であって「古書店」は埒外ということのようです。吾店もズット以前は雑誌や漫画・エロ本も置いたことがあります、それをやめてすでに25年を超えるのですがいまだに、「先月の文藝春秋を買い損ねた、お宅ならあるでしょ、配達してくれ」「西村京太郎◎◎の文庫はあるか、あるなら買いにゆくが」というような電話も後をたたない。「ありません」「店頭で自分でお探しください」というと「ないのか!」とまず怒る。自身で「お探しください」というと「分類はしてあるか」というのがほとんどのパターン。「仏教美術」という本を「仏教」に置くか「美術」に置くか、がその店の「個性」なのだからせめて棚を見渡してみるくらいのことはあってもよいものではないか、吾店は新刊の文庫は一並び200冊も置いていないし、それも出版社別には分けてあるのですが、実はこれも気に入らないことらしい。作家別でないとわからん、と文句をつける人もいるのです。吾店はたった八坪強の「ぐるっと一目」の店なのです。それくらい自分でなんとかしてよ、本を読むのはあなたでしょ!という吾店の言い分は「傲慢」なでしょうか。

 小生は新刊屋には殆んど行かないが、新刊屋でこのように、入ってくるなり全くわき目も振らず「◎◎はないか」と店員に聞いて自分は一歩も動かないお客があるかしら?数少ない経験ではあるが、福岡などにある大型書店でそんなお客は見かけたことがないと思うけど如何だろう。

コメント
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