学生時代 まわりに 外国人、それも今のようにアジア系ではなく 英・独・仏語圏の人が割と多い大学でした。田舎なら長靴をすぐ引っ張りですところですが 都会ではちょっと格好悪い。傘だって今のように大きさの種類もなく女性用はいくらか色相の違うものもあったけれど、という頃 その「外国人」たちはほとんど傘を使わない。 帽子を(多くはウールの まれにレインハット)かぶってステンカラーの襟を立てて雨の中を足早に歩くのは(彼らはまず走らない) いかにもカッコよくって どこかでまねてみたいものだと 思っていた。 少しのち 憧れのバーバリーのコートを買ったとき早速まねてみたのだけれど、地方の都市では実に様にならない。 傘を持たないことを「カッコいい」どころか「この雨に傘の用意もしていないのか」と・・。
まったく私事ですが ちょっとした手術を受けました。 最初その話になった時、「簡単ですよ、すぐすみますよ、立ち合い?そんなもの要りません」ということだったのだけれど いざ「では」となったらなんと3泊4日の入院が必要 とのこと。びっくりしたもののそれは医者の方からしてみれば当たり前のことだそうで 「手術」の持つ意味を弁えていなかった 小生の認識不足なんだそうな。思えば心臓病の疑いありというので検査してもらった時もそうだった。「1日で済みます」というのは「手術」そのもののことであって、前後に検査と様子見 で結局2泊3日だった という「経験があったのに! で 当然ながら「閑中」何を読むかで迷ったわけだが ずっと前、そう35年くらい前に肝炎で入院させられた時は長帳場を覚悟して、漱石全集の書簡編を持ち込み 「読む」のではなく「筆写」しました。「候文」をものにしようという目的と、漱石は方々から借金の申し込みが多かったのだけれど、その断り方もうまかったと聞き及んでいたので その辺の文章の機微を少しでもうかがい知りたいと思ったからでした。もっとも、わが方には借金の申し込みをする人はこれまでになく、そのノウハウを生かす機会もなく もう忘れてしまいました。で 3日間何を読むか? 大きい本は寝てみるのに困る(まだ腕が痛い)ので手元にあった文庫から、谷沢永一「文豪たちの大喧嘩」 横井清「中世民衆の生活文化」上中下 それに変体かなの入門書。 2点の本は選んでよかった。大変面白く、かつ目から鱗的知見を得て いかに物を知らぬか 改めて知らされました。谷沢永一氏は 我店にとって長いお付き合いの よく買ってくださるかたでした。ただし面識はなく もっぱらはがきでの注文をいただき、品物をお送りしただけのこと、おそらく日本中の古本屋に付き合ってくださっていたはず。亡くなった後 手紙があったら という問い合わせがあったけれど わが店にいただいたのは葉書の それも「書籍注文」の後に目録番号と署名が書かれているだけ という実にそっけない「実用一点張り」の文面で しかもペン書きの字はお世辞にも達筆とは言い難く ほとんど保存していなかったし、ほかの店にも同じ用なものはいくらでもあると思って照会しませんでした。 ずけずけと物を言う人だとは聞こえていたけれど、渡辺某とウマが合って 共同で本を出すのが小生としては気にいらなくて ちょっと距離を置いていたのですが、この本を読んでよかった。鴎外を結構辛辣に論証・批判してあるのが 僭越ながら以前から小生ももやもやと感じていたとを吹き飛ばしてしまったのは快感でした。これ以上は別に機会あれば・・。 横井氏の方も 方面は違うけれど似たような感想です。10年も前に出ている本だけれど これに応える論証があっているのかどうか確かめなくてはいけないだろう。著者自身の研究のたどり来る筋もわかるし自身の不足の検証もなされて 良い本だと思った次第。 ことは京都奈良方面が主で これは残された資料の多寡によって仕方がないことかもしれないけれど このような視点で わが柳川・三池地方の中世以降の庶民生活を もっと知りたいし また もっと具体的に探査・精査すべきと 強く思った次第。江戸の中期まで下がっても 村や町の生活はほとんどわかっていない。
徳川幕府になって あてがわれて入り込んだ、いわばよそ者に過ぎない領主・大名 またその臣下を いまだに有難がり、武士だった士族だったなどということを自慢する輩が減らないのはどうしたことか。 明治維新以来150年たついまだにである。いい加減に目を覚ませ と言わざるを得ない。
徳川幕府になって あてがわれて入り込んだ、いわばよそ者に過ぎない領主・大名 またその臣下を いまだに有難がり、武士だった士族だったなどということを自慢する輩が減らないのはどうしたことか。 明治維新以来150年たついまだにである。いい加減に目を覚ませ と言わざるを得ない。