閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

 お触書 について・・承前

2018-08-04 08:20:28 | 日記

「慶安のお触書」が諸事の発展を妨げた というようなことを書いたけれど、これこそ孫引きの根拠不足の妄言?でした。訂正します。今や「慶安のお触書」という用語も存続が怪しいことのようです。 そもそも「慶安のお触書」というものは存在しないようである。根拠になったのは甲府かどこかの天領支配地で出された百姓以下(武家以外)に出した「分際」をわきまえろという身分制度の徹底のための触書であったらしい。それがいつの間にか「お手本」のように見られほかの支配地や大名も真似るようになりのちに「お触書集成」にもくわえられることになったようである。下がって享保六年の触書に「新規に巧出し候こと自今以後堅く停止たり」と そして「新しい考案したものは役所へ届け出て許しを受けよ」と。続いて「古来の通にて事済候處近年色品を替え、物数寄にも仕出し候類は追って吟味と遂げ停止申しつくべく候間、兼々其の旨心得べき事」これらは基本的に衣類や諸道具・書物・菓子類の諸商売ものが対象で、要するに三都や大藩の城下などそのようなものの購買層が発生していたところの取り締まりではあるのだけれど、いわゆる「忖度」をして方々の支配地に広まったことは容易に想像がつく。
 一方で食料の安定供給は死活問題であり財政の維持のためにも、殖産興業もまたやかましく言われていた。こちらの方はうまくいかなかったことは江戸期を通じて人口が増えなかったことでよくわかる。で、産業考古学ないしは産業技術史の方から見たらどうなるだろう。前にも書いたけれど 鉄砲が外国では進歩していることは知っていた、バネが「鋼」であることも、雄ねじ・雌ねじも知っていた、なのに「なぜ!?」謎探りはまだまだ・・・。
 

コメント
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