閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

書き続けるのは難しい。

2019-10-14 23:15:59 | 日記

このブログは商売柄、本に関することを書き続けようと思って始めたのですが・・。
なかなか難しいです。まず第一に自分自身が本を読まなくなったことが大きいです。それはいくつかの原因があります。まずは寄る年波で読み続ける根気が薄れてきたこと、それの輪をかけているのが「眼」です。右目が緑内障の進行中、左がこれも白内障の進行中。
眼鏡のレンズでは対応が難しく、とにかく車の運転を続けられる状態を維持しようという段階で 本を読むという目に神経・感覚を集中させるのが長続きしない。また、まだ日常生活や業務にひどく触ることではないにしても記憶力の、あるいは集中力の低下・散漫化も侮れない。まだまだ稼がなくては生きていけない状況なのにこれは困った。
 ところでまた来客の批評になるのだけれど、昨日ある作家の「全集」を買ってくれという持ち込みがあった。物は前の全集で今や「ゴミ」程度の品。「これはお金になりません」といっても納得しない、というより「意味が分からない」らしい。数万円を支払ったのだからいくらかになるとい思っていたらしい、「ブックオフへ行ってごらんなさい一冊百円で売っていますよ」「売値が一冊百円にしかならないのだからわが店はいらないし、どうしてもというのならほかの数冊を加えて引き取りましょう」というと気色ばんで「そんなら持って帰る」でした。一見落着かと思っていたら本日再来、「家では嫁さんが、持って帰るな」というから引き取ってくれ」「そうですか、では運び賃として千円」というと「「それはなんだ、昨日一冊百円といったじゃないか、35冊あるから3500円だろう」と。「それは売値であって買取価格ではない」というと「売値」というのが「自分への売値」であると思っていたらしい。「飛んでもない!といっても納得しない、自分が(読みもしないで)持っていたものだから「高くなる」と信じている様子、「ブックオフへもっていってみてください」と言ったら「どこにあるか知らん、俺は本屋など行ったことがない」と。本に縁のない方々には書物と言うのはある意味で「宝物」なのですね、おそらく何かの拍子で買ったその全集も本当に読みたいのではなく、おそらく応接間の飾り物であったと思われる。30年くらいたって「これは金になる」と思ったのでしょう。「本は財産ではない、あなたが読んで自身の栄養にするものです」といっても全くわからない様子。結局中の一冊だけ「これは頂ける」といった品も含め「もうよか!持って帰る」と憤然として帰っていった。そもそも一旦断った取引を先方からまた持ち出してくるのがルール違反だと思うけれどそんなこともお構いなしで「俺の大事なものを売ってやるぞ」という権幕で困った一幕でした。問題はこのようなことは決して例外ではなのです。「本・書物」の世間一般での評価、認識がいかなるものか思い知らされます。
コメント
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