晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

のび逃走始末記-4 12/29

2019-12-29 | Dog

2019.12.29(日)曇り
 逃走初日12月11日(水)
 8:30頃 おとうと上林川ロングコース約2Kmの散歩に出る。霧が濃く、寒い。

こんな感じの霧の深い朝
    帰宅後、のびが何かに驚いた際にリードのカラビナをぽとりと落とす。寒さで手がかじかんでいたこともあるが、最近物をよく落とすようになったこともある。すぐに拾おうとしたとき、その行為に驚いたかすっと逃げる。するとカラビナが砂利に当たってカラカラと音がする。その音が追いかけてくるもんだからどんどん逃げる。それでも落ち着いてリードをつかもうとするがどんどん逃げて「おうち入り、ごはんやで」というのも無視して散歩から帰ってきたコースへすたすたと戻る。通勤時間帯なので府道は車が多く、しかも霧が深いので車道に飛び出すと大変危険だ。府道に出るともう姿は見えず、とんでもないことになったという恐怖に襲われる。のびの行動範囲は上林川沿いの堤防と府道沿いの河牟奈備神社往復コースのみである。先ほど散歩した上林川沿いのコースを折り返した地点まで走って探す。どこにも姿が見えず、戻ってきたときに異変を感じたかみさんに会い、もう一度川沿いを見るように言って府道を小浜方面に探しに行く。
 すると上林川に向かう三叉路にのびがいるではないか。じょんのびから50m程度のところである。軽トラのおじさんが捕まえようとしている。そして軽ワゴンのおじさんも車を停めて加勢してくれて三人で捕獲することになった。ところがのびは犬が変わったようにすばしこく、簡単に包囲網を突破してしまった。
そして歩道を綾部方面に疾走し始めた。そこはじょんのびの下の道となる。「のび、おうちに帰り」と叫ぶが聞く耳持たずにまっしぐらに通り抜ける。

右手にはじょんのびに帰る道があるのだが、、
軽トラのおじさんとワゴン車に乗せてもらったわたしとで猛スピードで追いかけ、村田の農作業道入り口に追い詰める。のびの目の前まで近づいて、すんでの所でまたしても逃してしまう。その様相は我が家にいたのびではなくて、まさに野犬の様相で行動も信じられないぐらい素早かった。車二台が追いかけて、わたしは走って追いかける。車が追いついたと思ったら、河牟奈備神社の駐車広場のあたりに逃げ込み、車は立ち去ってしまった。河牟奈備神社の境内を探し回るが見当たらない。

のびの見ている方向が姿をくらました河牟奈備神社駐車場
 一旦家に帰り、車で府道1号~広域農道~R27~山家~府道1号~達田三町~自宅を回る。何の手がかりもない。かみさんは知り合いに連絡を取り情報を得られるよう手配していた。またSNSで情報収集をはじめたのもこの日からだと思う。軽く食事をとり、山に入る用意をしてバイクで出かける。河牟奈備神社の裏手の山を尾根まで上り、東に進むと200mぐらいで古い峠に出会う。この尾根はどんどん上っていくのでここで折り返す。佐々木さんの情報だっただろうか、犬は水のある方、つまり谷に向かって逃げるというのが気になったからだ。反対に尾根を下っていったら、歩きやすい尾根道が続く。そしてその尾根の末端は見覚えのある古気良谷のお墓のところとなる。ここで折り返し河牟奈備神社に戻り、周囲の藪を探す。どこにも姿は見えず、バイクで古気良谷に入る。もし神社裏山を登っていれば、先ほどの尾根を下りこの谷に来ていると予想したからだ。林道がずいぶん奥まで入っており、ぬかるみと草でバイクでも通行困難な感じだ。最奥は二股になっており、おおきなぬかるみとなっている。聞き耳を立てるが何の反応もない。明日はこの谷を探してみようと元来た道を下る。そこで奇跡が起こった。さきほどのお墓の下の草むらにのびがいるではないか。

奇跡的にのびを見つけた地点、河牟奈備神社は右手の尾根の向こう。
最初は幻でも見たかと思ったが、本物だった。ところがこちらの姿を見たとたん、慌てて逃げ出した。無理もない、こちらはフルフェースのヘルメットで完全装備をしている姿だ。フルスピードで転びそうになりながらも、最奥の家の石垣のコーナーに追い詰める。もう逃げられないぞ、リードに手を伸ばした瞬間、のびの姿が消えた。あっという間に石垣をよじ登り、斜面から竹林の中に飛び込み、谷奥の方向に疾走している。倒れた竹に当たるカラビナの音がカンカンカンと響くだけで、姿はすぐに見えなくなった。嘘だろう、神が与えてくれた最後のチャンスを見事に見逃してしまったのだ。
 すぐに後を追うが斜面は急で、倒木の林はチョイと進めるものではなかった。這々の体で進むと、尾根に突き当たる、その尾根を上ったのか下ったのかわからない。まず上ってみる、どこかに引っかかってくれと祈るのだがそれらしき物は見当たらず、稜線近くまで来る。そこには名畑町の共同のテレビアンテナが壊れて残っていた。ここで折り返し尾根を下る。下りきったところは猛烈な藪で滑って転んで、とんだ藪漕ぎになる。
 帰り際に再度河牟奈備神社により、お参りする。これほど真剣に神頼みしたことは初めてだ。
 家に帰るとすぐにチラシの制作に取りかかる。山は自分で探すとして、人里に降りていたら、人の情報に頼るしかない。つらい夜が始まる、悔恨の念と見つかるかという不安、そしてのびがどう過ごしているかという心配で、眠れない。いやというほど疲れているのだが、一旦目が覚めたらもう眠れない。長い一日と長い夜の今日だった。つづく

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のび逃走始末記-3 12/28

2019-12-28 | Dog

2019.12.28(土)曇り

 この泥だらけ、草だらけの林道を何往復したことだろう、朝夕の点検、沢筋や尾根の捜索、餌置き、草場の捜索などで十数往復している。尾根や沢の地形や景色は脳裏に焼き付いている。谷奥に戻り、現場に向かう尾根を登る。暗闇の中を鳴き声を頼りに登った尾根がこんなにきつかったのかと実感する。これを走るように登ったのだから凄い。ヘルメットはのびを怖がらせてはいけないと途中に置いてきた。これを回収し、現場に行く。保護した現場は落ち葉の斜面なんだが、リードが一巻きしていた灌木の周囲が円状に剥げている。どうやらここをぐるぐる回ったのだろう。灌木のリードが巻き付いた部分も皮が剥がれていて壮絶さを思わせる。のびが動けなくなったのは、脱げたダウンがリードの先のカラビナに引っかかり、そのダウンが地面の枯れ枝に引っかかったものである。そのままでは枝毎引きずって行けるのだが、リードの途中で灌木を一回転したものだから固定されたようだ。ダウンにしても枯れ枝にしても、灌木にしても見事なタイミングでのびの命を助けることとなった。滅多に鳴くことのないのびが鳴き続けたのも助かった原因である。現場の写真を撮って、沢のところに置いた餌を回収し、バイクで帰路につく。途中、お世話になった仲林さんと河牟奈備神社にお礼を言ってじょんのびに帰る。
 のびは唯一安心できるだろうサークルの中で眠っている。「よかったなあ」極度の緊張が解け涙があふれ出る。かみさんとひとしきり泣いたら、のびが不安そうに見ている。「うれしーて泣いてるんやから心配ない出」 即日キャドックさんで念のため診察を受ける。脱水も外傷もなく、骨にも異常が無い。ただ山の中で4日間も過ごしたためダニが5匹居た。フロントラインが効いていて皮膚までには至っていなかったが、この寒さでもダニは居るんだと驚く。足は泥だらけで体重は1Kg減っていた。8Kg余りののびだから、人間にしたら7,8Kg減ったことになる。これはなかなかの消耗である。おそらく何も食べずに丸4日間放浪していたのだろう。

病院から帰ってきたところ。
 とまあ奇跡の救出劇はここまでなのだが、今回の逃走には色々反省しなければならないこともあり、捜索救出に関しても参考にしていただきたい。そのため逃走当日、捜索の日々の動向をまず客観的に記録しておきたい。つづく


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のび逃走始末記-2 12/24

2019-12-24 | Dog

2019.12.24(火)雨
 下で待つ二人は鳴き声が止んだので大層心配したそうだ。わたしは懐中電灯をグルグル回して無事を知らせたがそれが何の合図だったのか解らなかったようだ。
 のびが落ち着いてきたので、下降を開始する。抱いて降りるにはあまりに急斜面なのだ。リードがあるので同じ通路を下らないと降りられない。立木の向こうとこちらでは降りられないのだ。「そっち行ったらあかん、こっち廻り」「よしよしその調子、真っ直ぐ降りるんやで」などと人としゃべるように声を掛ける。するとわたしの言葉が解るように指示通りに降りてくる。不思議なのは逃走しているときのあの俊敏さはかき消えて、おっかなびっくりの腰引けになっている。お腹が空いている、体力気力が弱っているというよりも、神経の回路が切り替わったようだ。変な方向に行きそうになったら引っ張ってはいけない、散歩の時のように上向けにリードをツンツンとするとうまくついてくる。泥の平地に近づいて、もう転んでも大丈夫というところでそっと抱き上げる。嫌がらずに素直に抱かれたのは今回が初めてだ。予想どおり滑って転んだが、お尻が泥だらけになっただけでのびは大丈夫。

正面のお墓の丘陵の下が逃走日午後の発見地
保護したのはこの奥300mの地点。
 二人が迎えてくれたのだが、何と声を掛けたのか憶えていない。このあたりで夜は白々と明けてきた。のびを抱いたまま車を置いた府道まで歩く。再発見したお墓の下、追い詰めた石垣の前を通るとき何か反応するかなと思ったが、そのような事は無くただのびの体温だけが伝わってくる。ザックの中には常にバスタオルを用意していた。冷たくなったのびを覚悟していたからだ。のびの体温を感じながら、この奇跡的な幸運を味わっている。
 車の後部座席のボックスにのびを降ろし、リードのカラビナを身体から離す。四方さんにお礼の挨拶をし、のびをかみさんに任せて、現場に戻る。ヘルメットやバイクは置いたままなので取りに帰らねばならない。
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のび逃走始末記-1 12/20

2019-12-20 | Dog

2019.12.20(金)曇り雨  奇跡的救出12.15
※なぜかスマホの写真は横になる。いずれ修正したいがとりあえず横に観て。

19.12.11逃走15分前

 それは逃走から4日を過ぎ、5日目にさしかかろうという未明のことである。おとうもおかあもあの日以来眠れない夜を過ごしていた。その時突然にドアを叩く音がして、「こんばんは」というはっきりとした声が聞こえた。「のびの情報だ」、「はーい」と大きな返事をして玄関に降りていく。大末(おおずえ)の手前の家の方でのびが消えた日に初めてのびの逃走の話をした方だ。
おとうは「寒いですから店の方に入ってください」なんて悠長なことを言っていたのだが、「谷の奥でずっと鳴き声が聞こえるんです」ということ。
「のびです、すぐ行きます」
慌てて服を着替え、懐中電灯、フード、水と金剛杖を持ってバイクで急行する。かみさんは車であとから駆けつける。
 谷に入るとキャンキャンキャンと鳴き続ける悲壮な声が聞こえてくる。同じ場所から聞こえてくるので動けなくなっているに違いない。リードが何かに引っかかって動けないのは想像できるが、キツネに襲われていたらと気が焦る。草とぬかるみの林道を猛スピードで登っていく。この谷は最有力候補なので、毎日2回は通っている。だからこそ真っ暗闇でも猛スピードで走ることができる。もっとも何回か転倒しそうになったが、、、。
 古気良谷は最奥で二股になっており、広い泥沼になっている。右股にはイノシシの檻が備えられており、泥沼はヌタ場にはなっていないが無数の足跡がある。

右が右俣、のびは正面の尾根上にいた。
 犬の鳴き声(この時点ではのびと確認できているわけではない)は両股の間の尾根で、予想以上に高い所から聞こえてくる。真っ暗闇でルートは選んでられないので、声の方に向かってダイレクトに登る。狐に襲われている最中なら、戦おうと持ってきた金剛杖なんだが、這って登る斜面では使いようが無い。脈も呼吸もマックスで口から心臓が飛びでそうだ。無事でいて欲しいという思いだけで怖ろしいスピードで駆け上がる。声の主に近づいたときすぐにのびだと確認できる。最後に見たときには来ていたベージュのダウンが脱げてリードの端のカラビナに引っかかっている。どうやらこのダウンが引っかかったようだ。ここで離れたらもう二度と逢えない。慎重にダウンをはずし、カラビナをザックの背負い綱に掛ける。その間ものびは吠え続ける、近づくと「ウー」とうなり声を上げる。彼女にとってはおとうではなくて、ただの捕獲人なのだ。脅えて動き回る、ここで首輪が抜けたら水の泡だ。一気につかまえて抱き上げたい気持はあるが、噛みついて噛犬になるかもしれない。

動けなくなった現場、光っているのは途中に置いてきたヘルメット。
皮がむけている木はリードが1回転していた。傾斜はかなり急。
 落ち着いて横に座り込み、昨晩教えてもらった捕獲方法を実践する。懐中電灯を消し、椀にフードを入れてそっと差し出す。一瞬ぴくっとするが、食べることはない。今度は水を入れて差し出してみる。これも反応無し。吠えるのは少し止んだみたいだけど、ぐいぐい引っ張って逃げようとするのは変わらない。こうなったら持久戦だ、黙って横に座っている。するとかみさんと四方さんが下の方にやってきた。その灯りを気にしているようなので、消して欲しいが大声を出すとやばそうなので、黙っている。そっとフードを出して手でやってみる、するとこれは食べてくれた。よほどお腹が空いているらしい。もう一握りやると完全に落ち着いたようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 名犬チロリ 10/24

2019-10-24 | Dog

2019.10.24(木)雨

 讀賣新聞の連載記事「時代の証言者」に大木トオルさんの「犬とブルース」がこの夏連載された。変なタイトルだなあと思いつつちょい読みをしていたんだが、ブルースマンとしての歌手活動のところは大して面白くない。ところが犬の話になったら俄然気になる話題が出てくる。掲載される日を楽しみに読んでいたら10月14日に最終回となってしまった。捨て犬で雑種のチロリが優秀なセラピードッグになる話で、最終回になって寂しいなあと思っていたら、かみさんがこの本を探してきた。
 「名犬チロリ」 大木トオル著 岩崎書店 

切り抜きも一緒にじょんのびに有り、貸し出し可。
 読みながらぼろぼろ泣いているかみさんを見て、そんなに悲しい本なのかと思って読んでみたら、やっぱり泣いてしまった。でも一般的には泣くべき本ではないのだが、じょんとのびのことがあるから泣けてしまうのだろう。野犬の子であるじょんと飼育出来なくて保健所に保護されたのびも少し以前の時代なら、さっさと殺処分されて人の家で飼われることはなかった。あれほど人の心を癒やしてくれる犬たちが無情にも殺されていったのだ。
 チロリも動物愛護センター(この名称はどう考えても相応しくないのだが)で殺処分寸前までいくのだが、助けられて、日本初のセラピードッグとなるのである。
 チロリの一生を読んで、犬たちにも喜怒哀楽の感情があり、慈しむ心や愛する心があることに確信が持てた。そしてそれは飼い主の心に写し写され、ともに深まっていくものだろう。

じょんは心の中に、のびは手の中に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん信太山に帰るー3 9/20

2019-09-20 | Dog

2019.9.20(金)曇り

 じょんは血統書の着いた純粋種でもなく、ペットショップで高額で売買される人気種でもない。捨てられた野犬から生まれた超雑種である。でも生まれ落ちた場所も日にちも、母親もそしてわたしたちの元に来るまでの経緯もすべてわかっている。そして写真だって何千枚、動画も残っており、その生活の記録も本ブログの「今日のじょん」で逐一残っている。こんなワンコってそういないんじゃないか。信太山の野犬のこと、母親レンのことも少しは書いてきたが、永久に残るものとして童話にすることとした。場所、個人名などは一部架空のものとしているが、ストーリーは事実に基づいて書いている。特に今回Sさんにあって、じょんが生まれた頃の経緯などうかがって、より正確なお話が書けることとなった。挿絵もイワンの咲ちゃんにお願いして準備中である。童話大賞に応募するので、タイトルや内容は公表できないが、来春にでも発表できそうなので、その際は是非読んでちょうだいね。おわり

わたしの一番好きな写真、荒野にたたずむ野犬の群れ、右からサクラ、レン、りゅう、レンの子アクト、ゆき
自衛隊の演習地かと思っていたら、実は新たな住宅の造成地だった。
じょんの巣穴から50m余りのところにその住宅地が迫っている。

【今日の”のび”】NO.1
のびはじょんが落ち着いたら飼ってやろうと思っていたが、じょんだけで世話も経済的にも大変で飼えなかったのだ。じょんの忌明けがすんでじょんのびに来ることになった。

じょんが来た日(2008.6.19)、のびが来た日(2019.9.20)

じょんのび、気に入ってくれるかな?  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん信太山に帰る-2 9/19

2019-09-19 | Dog

2019.9.19(木)晴れ

 最初お願いしたときには「巣穴のあったところがわかるかしら」とおっしゃっていたのだが、今回出会うなり、巣穴のあった場所に連れていってくれた。フェンスのロープが張られた以外11年前と変わっていないということだ。開発の進む地域でこんなことって奇跡的なことだと思う。それは演習場から地道を挟んで灌木の林の中の平地であった。季節柄道ばたは草茫々となっており、ロープも張られて林の中には入れなかったが、道からはっきりと確認できる場所だった。レンが三匹の子犬を抱いてお乳をやっている姿が目に浮かんで涙がこみ上げてくる。レンの姿も子犬たちの様子もSさんに頂いた数多くの写真で脳裏に焼き付いている。
399115777_15
保護された左からくるみちゃん(ミント)、じょん(アポロ)、マーブル
 レンは賢い母犬である。おそらく野犬たちのリーダー的存在だったのだろう。野犬たちは、普段は演習場の森に住んでいるのだが、演習が始まると他の地域に移動し、人が近づくと巧みに姿をくらます。出産、子育ては道を挟んだ巣穴の森で行い、危険を感じるとすかさず巣穴の位置を変えたそうだ。Sさんはかれらの信頼を得るため少しずつ餌付けを始められたが、レンはなかなか人の餌に近づかなかったそうだ。
「レンは子煩悩だったんですよ」レンは賢いだけで無く優しい気持ちを持った母犬だったのだ。じょんの優しい性格はレン譲りかもしれない。
Sany5216
生前のレン、右は現在の撮影場所か?

 レンが巣穴をはなれるときは、ゆきという雌犬が子供たちに付き添っていたという。ゆきもレンの子なのかと思っていたがそうでもないそうだ。その子守をしていたゆきが、じょんと同じ日に亡くなった。マーブルもくるみちゃんも先に亡くなって、最後のじょんが亡くなった日に逝ってしまうなんてこんな偶然があるだろうか。
 巣穴の前の道端に遺骨と遺影、花と犬鳴山の聖水を供えて、遺骨の一部粉になったところを散骨する。
じょん、幸せな日々をありがとう
レン、じょんを預けてくれてありがとう
Sさん、Hさん、じょんを保護してくれてありがとう
そしてじょんのことを思ってくれた多くの人たちありがとう つづく

じょんたちのいた巣穴、遠望すると左手が巣穴

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん信太山に帰る 9/17

2019-09-17 | Dog

2019.9.17(火)晴れ

 じょんの忌明けを待って、信太山に行く。じょんは2008年信太山の自衛隊演習場で生まれた。住宅地の中にぽっかり残った演習場の森は飼い犬を捨てようという心ない人の格好の場となっていた。安倍晴明の母とされる白狐葛の葉を祀る信太森葛葉稲荷神社がすっかり住宅に囲まれている今、自然の森が残っている演習地周辺は、捨てられたかわいそうな犬たちが群れをなして野生化するにはこれまた格好の地であった。
 じょんはその野犬のレンの生んだ三兄妹の末っ子である。レンはマーブル、ミント、アポロの三びきの子を生んだが、アポロがじょんのびに来てじょんになったわけである。

自衛隊の演習場、今は野犬たちの姿は無い。
 Sさんという女性が信太山の野犬たちを救い出そうと保健所とも連携してまず子犬たちを保護されたようだ。餌付けして、少しずつかれらの信頼を得て保護されたそうで、その苦労は計り知れない。野犬たち一頭づつ名前を付けて呼んでおられたら、彼らはすぐに憶えたそうだ。そうして2012年には演習場の森にも野犬は一頭も居なくなったそうだ。Sさんの活動が無かったら彼らはもっと悲惨な眼に逢っているだろう。

Sさんから当時のお話を伺う。
 じょんたちはSさんからHさんに預けられ大切に育ててもらい、三か月めにじょんのびに来て、11年と1ヶ月あまり暮らした。幸せな犬生であったと思うが、その影には母親レンの葛藤とSさんの活動が無くてはならないものだと思う。じょんの生まれたところへ少しの散骨をして、レンの元に行かせてあげたいという気持ちからSさんに頼んで、信太山を訪ねたのである。つづく
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん語録 8/8

2019-08-08 | Dog

2019.8.8(木)快晴

 「じょん捨離」
 じょんが亡くなって十日余り、多くの方が弔問に来られたりお花を送ってくださったり、本当にじょんは幸せ者だったと思う。

じょんのまわりはお花で一杯、モモちゃんも来てくれたけどじょんがいないので淋しそう。
 じょんの遺品は、使えるものはすべてボランティア活動をされている方に使ってもらった。そのために洗ったり消毒したりする作業がこれがまたつらい。ひとつひとつのものに思いでがあり、涙が流れてくる。特にじょんが来た日から使っていたサークルはつらかった。
 じょんが来る前、かみさんと二人でサークルやら食器やらペットシートやらつぐらやらありとあらゆる店を回って見つけてきた。サークルには入ってくれるかなあと心配だったけど、自分からさっさと入ってくれて大喜び、それから11年ここがじょんのねぐらになった。亡くなった日も、このサークルまで連れて帰ってやりたかったが、かなわず道中で亡くなってしまった。
 11年間使い続けたサークルだから、柵の隅なんかにこびりついた油脂や埃がなかなか大変、洗剤を使ってブラシでゴシゴシ。かみさんも洋服やシーツ、クッション、おやつ、フードなどなどあらゆるものをかたづけている。「じょん捨離やなあ」う~む、これが最後のじょん語録となりそうだ。

 サークル最後の写真(今年1月)いっぱい暖かいものを入れてもらってる。
それをじょん捨離するのはいかにも辛い。

 「じょんゲル係数」
かつてこのブログで、じょん語録を紹介していたがどうやら途中で止まってしまって多くが未紹介のようである。ダブるかもしれないが思い出すままに紹介したい。じょんゲル係数は言わずと知れたエンゲル係数のしゃれなんだが、「おとうさん、じょんの前でじょんゲル係数じょんゲル係数っていうからじょんが気にして逝ってしもたん違うか」なんて責められている。うむ困ったなあ。

 現在「おきつね山のじょん」という童話を執筆中で、このブログも途切れ途切れになろうかと思うが悪しからず。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょんのこと 7/30

2019-07-30 | Dog

2019.7.30(火)晴れ
 じょんが11歳4ヶ月生きたことは実は奇跡的なことなのだ。兄妹のマーブルとくるみちゃんが亡くなったのは5歳だったろうか、マーブルの時始めて自己免疫性溶血性貧血という病名を知った。ところがしばらくしてくるみちゃんが同じ病気で亡くなって恐怖が走った。どうやら遺伝的な因子があるようだ。
 胃腸が弱く、皮膚もアレルギー症状で病院はかかっていたが、何の症状も無いこの病気で病院にかかったときはショックだった。子犬の時の血液のデータが残っていたのだが心から、赤血球の値がうんと下がっていたのだ。発症すればおそらく死に至るのだから、定期的に検査して様子を見ようと言うことになった。
 一度ぐったりして、舌も真っ白になったときがあって検査すると赤血球の値がうんと下がっていた。絶望的な感が感がしたが、幸い発症したわけではなかった。顕微鏡で血液を見れば、赤血球が破壊されているか否かがわかるのだ。このときステロイドを投与したのだったろうか。そのうち副腎から副腎皮質ホルモンの分泌が少ないことが分かりステロイドを連続投与することとなった。実際この子は10歳は生きられないだろうと感じていたが、かみさんの「10歳まで生かせてやろう」という涙ぐましい挑戦が始まった。薬、食事の管理、ストレスを与えない生活の管理、全身全霊で生活のすべてがじょんのためだった。わたしは手伝いするだけだったが、そんな様子を見ていてどんなことでも出来た。優しさというより使命感だったのかもしれない。
 それだけに10歳の誕生日を迎えたときは本当に嬉しかった。(2018.3.20参照)

10歳達成
努力すれば奇跡は起こるんだ、献身的に努力したかみさんとそれに応えたじょんの生命力の賜である。かみさんとじょんには心から感謝したい。

11歳誕生日の前日(久美浜空牧場)
 そうなると欲が出る。15歳まで生かせてあげたい、このままの状態で進めば15歳まで生きられるんじゃないかという希望が湧いてくるのは当然である。そんな矢先の事だからショックは大きい。日常が永遠に続かないことはわかっているのだけど、それが突然変わってしまうことは、歳を重ねるほどつらくなってくる。
 でも5歳で終わっていてもおかしくない命を11歳まで頑張ったのだから、じょんとそれを支えたかみさんにじょんのび栄誉賞を贈りたい。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん君逝く 7/29

2019-07-29 | Dog

2019.7.29(月)晴れ

 一昨日様子が変でじょんのびを出たじょんが、昨日遺体で帰ってきた。今日遺体で出て行ったじょんが骨になって帰ってきた。たった3日で生身のじょんが骨になるなんて、考えられないよね。病院に行く前の夕だっていつも通りおねだりして、その朝だって自分で歩いておしっこうんPして、、、ただそのうんPが真っ黒だったことが気に掛かっていた。
 火葬炉は非情である。あの扉が閉まるまでは身近に存在したものが、いきなり違った空間に連れ去られるような気がする。そして出てきたものが乾いた白い骨なんだからやるせない。炉に入る前は生きてはいなくても確かにじょんなんだが、あの白い骨はそれも確かにじょんなんだけど、なにかわたしたちとは異空間の存在のようだ。骨壺に収まってきれいな覆袋に包まれたらなおその感が強い。それが神なのだろうか。沖縄の古い葬法は遺体をグソー(海岸の岩穴など)に安置し、数年たって骨になったところを泡盛で洗って祀る洗骨(シンクチ)であり、洗骨されると神になるとされる。じょんも骨になって神様になったのだろうか。いづれにしても遠い所へ行ってしまった感がある。
 収骨の際に、これがどこの骨なんて説明してくれるのだが、肝臓の部位が茶色く残り、薬剤が青緑色にひろがっている。「肝臓が悪かったのですか、骨も老化していますね」長年のステロイド投与の影響が出ているようだ。

キャドックさんお世話になりました。
 
お世話になったキャドックさんに立ち寄り、支払いを済ませてお礼のあいさつをする。長年通った病院に、もう来ることがないのかと思うとそれはそれで寂しくなってくる。うちに帰ると悲しさは倍加する。どの景色にもじょんが登場する。11年4か月いつも一緒にいて、朝から晩までじょんのことばかりかまっていたのだから仕方がない。じょんはしゃべらないけどこちらは普通にしゃべっていたのだから、、、。今日からは骨に向かってしゃべるわけ。
「じょんじょん依存症やったんやな」かみさんの言葉がぴったりだ。もう少し距離を置いて付き合っていればこんなに悲しまなくてよかったのだろうか。

マウイちゃん(16
歳)を目標にしていたんだけど、、、。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のじょん 最終回 7/28

2019-07-28 | Dog

2019.7.28(日)晴れ

 2008年6月26日(じょん記事は6月20日から)から始まった「今日のじょん」は本日をもって最終回とします。主人公のじょん君11歳4ヶ月が本日永眠しました。長期間のご愛読ありがとうございました。

 昨日吐き戻したり、様子が変でキャドックさん(動物病院)へ連れて行ったら様態が悪く緊急入院となった。病院からの連絡もかんばしくなく、眠れない夜を過ごし、朝を待って見舞いに行くと苦しそうに息をしているがとにかくまだ生きている。一瞬安堵するが、先生は「かなり危険な状態なので、好きな家で過ごされたらどうですか」の言。ここに来て始めて状況が切迫していると感じ引き取ることにする。生きてじょんのびに帰して
あげたい。焦る気持ちを抑えて運転をしていると、時々血を吐いたりしながらかみさんの腕の中で昇天してしまった。車を止めてのぞき込むと、生きてるようには見えるんだが、目の焦点が合ってないような感じ、死んでしまったのかなと思うと涙がとどめなく流れる。慟哭しながら運転をし、センタラインも潤んで見えない。とにかく早くうちに連れて行ってやりたい。11年前に来て以来ずっと過ごしたじょんのびのあの部屋に帰してあげたい。昨日おとうに抱かれて出た部屋に、今日は二人に運ばれて帰ってきた。それにしてもおとうとおかあに会えるまで頑張っていたじょんが凄い。会ったとたんに1時間もせずに逝ってしまった。あっけないといえば余りにあっけないけど、よくぞ待っていてくれた。
 11年ずっと一緒に居たから思い出が一杯、じょんのびのどの景色を見てもじょんが現れる。今は何を思いだしても悲しいが、きっと嬉しい、よかった思い出になると思う。じょんはわたしの命が終わるまでわたしの心の中に生きている。
 今夜は大好物のレバーを炊いてあげよう。明日は骨になっちゃうけど、じょんは不滅です。
何千枚も撮ったじょん写真の最後の写真(7.25)

じょんの大好きな場所、でもこれおとうのソファーなんだけど。
おとうがのいたらすぐに来てこーなるのよね。
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん来記念日 6/20

2018-06-20 | Dog

2018.6.20(水)曇り

 2008.6.19(木)にじょんがじょんのび村に来た。その前はアポロと言う名で、その日からじょんになったわけだが、、、。あれから10年いろんなことがあったけど家族としていつも一緒に暮らしてきたことはなんとも感慨深いものである。いくみちゃんがお土産にかわいいタイを持ってきてくれた。

かっこいいでしょう、右はイワンさん前菜のサラダ。
 そんなこんなで19日はイワンさんで夕食会して、スナックマウイちゃんでカラオケを楽しむ。もっともじょんは家でお留守番してるのだけど。
 10年前、じょんが来た日の写真一挙公開。


京田辺からきたもんだから車に酔ってたのよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10歳はめでたい 3/20

2018-03-20 | Dog

2018.3.20(火)雨

 じょん君10歳の誕生日おめでとう
 じょんが信太山で生まれて10年になる、普通のワンコならどうってこと無いのだがじょんは別物だ。兄妹のマーブルとくるみちゃんが同じ病で5歳で亡くなった。自己免疫性貧血という恐ろしい病である。ワクチン接種を契機に発症しているのだが、じょんは幸い発症しなかった。
 ところが赤血球の値は極端に低く、いつ発症してもおかしくない状態で、これは恐怖である。当面の目標を10歳において、かみさんの並々ならぬ努力が始まった。

 今朝はは無い時で元気が無い、じょん桜は2歳の誕生日に買った物。
貧血に対する特効薬は無いようだが、ビタミンCを奨められて飲ませたら、胃腸障害を起こしてしまった。定期的に血液検査をするも赤血球の値は芳しくなく、いつ発症するかという恐怖はなんともつらいもである。
 遊びに来るワンコの赤い舌を見るとじょんの白っぽい舌が実に悲しい。あるときから鶏のレバーをフードに混ぜることにした。人間の貧血には効果があるのだが犬にはどうだか解らない。動物病院の先生たちも奨める様子は見られなかったが本犬は喜ぶので続けている。するとどうだ、心なしか舌も赤くなってきて、血液の数値も上がってきた。

 誕生祝いにいくみちゃんにもらったクッションと首飾り
 ところが治療の過程でどうやら副腎皮質ホルモン低下症ではないかということが解ってきた。ステロイドを投与すると元気に暮らしているのだが、切れるとぐったりしてしまう。このことと貧血が関連があるのかは解らないが、とにかくステロイドを投与し続けなければならない。副作用のことも気になり、どんどんやることも出来ない、出来るだけ少量を間をおいてやってるのだがその間元気になったりぐったりしたりで、ある時無い時現象だ。そのほかサーモンオイルとか色々食べ物にも気を遣い、定期的な検診と併せてじょんゲル係数は相当なものである。それだけに10歳の誕生日は実に嬉しい。次の目標は15歳やで、と言ってるが犬の平均寿命が13歳余りなので病弱なじょんが15歳まで生きるのには強い生命力と愛情が必要かなと思っている。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のじょん 10/29

2017-10-29 | Dog

2017.10.29(日)雨、台風22号

 台風の後遺症と悪天候で盛り上がりに欠けるじょん君、もう体調は戻ってそうだけどイマイチって感じね。
テナわけで来じょんされた元気なわんこたちを一挙公開。

 10月9日  ライム、小次郎、蒼一郎君にサンちゃんが加わって大騒動。(9
.3も見てね)



10月18日 Qちゃん、親子で来じょん、カーイーですね。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする