晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

残念ヒマラヤ杉 2/27

2009-02-27 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.27(金)雨

 朝起きると霙が降っている、気分はすっかり春になっているのに厳しいことだ。じょんにレインコートを着せて散歩に出る。気温は2度、寒いはずなのにそう感じない。寒さになれてしまったかな。それもあるがウォームビズが大きな原因だと思う。昨年3月末に越してきて思い切り寒い思いをした。4月を前にしてこんなことではどうなるのかと不安なほど寒かった。ストーブなどとっくに不要と思っていたが、連休前まで炊いていたようだ。それは身体が慣れていなかったせいもあるが、服装にも関係がある。今思えばずいぶん軽装だった。今は起きるなりパッチ、長袖シャツ、ポロシャツ、セーター、ズボン、靴下で室内、外に出るときは毛糸の帽子、ヤッケ、オーバーズボン、毛糸の手袋、マフラーと完全装備になる。冷え性のかみさんなどそれに輪を掛けて厚着するから、朝の支度が大変だ。冬山に行くようなスタイルで暮らしている。そんなおかげでそう寒くは感じない、秋口に気温が10度を割った頃が一番寒かった。本格的な冬は暖かく過ごしている。気密性の高い家と薪ストーブのおかげもある。朝の室内の気温は外気より10度暖かい。これは優れものである。
 名実共にありがたい薪ストーブだが、燃料の確保が大変である。幸い、皆さんのご厚意で材木屋さんほど集まったが大部分を占めるヒマラヤ杉が使用可能かどうかが問題となっている。ネットで調べる分にはあまりいい結果では無かったのだが、最終は京阪エンジニアリング川上社長の言を待つことにした。「問題ないっすよ」という答えを期待していたのだが、残念ながら油分がきつくストーブ、煙突共にススが大変ということだった。てなわけで広葉樹は勿論だが杉、桧までを燃料とし、ヒマラヤ杉は他の用途とすることにした。しかし山と積まれたヒマラヤ杉の枝葉をどうすべえ。
 3日間燃やし続けて一割ぐらいが減った。この手間と時間は大変つらい。Img_2126

どうする、このヒマラヤ杉の枝。



【作業日誌 2/27】
ヒマラヤ杉枝焼却
薪入れ箱作製(完成)

今日のじょん:連日の雨はじょんにもつらい。なぜって散歩の時レインコート着せられるから。相変わらず着せられては固まっているが、今日は足をクロスしたまま固まってしまった。Img_2131

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太陽現る 2/26

2009-02-27 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.26(木)曇

 雲量からいうと曇なのだが良いお天気で久々の太陽が現れた。いやあありがたいものだ。北欧の人々が短い夏に水着で日光浴をする気分がよく解る。色々と用事をしたいのだが、こういう日はお客さまも続くものだ、当然誰もが出かけたくなるような陽気だから。ところが明日はもう下り坂ということで、良い天気は続かないようだ。まあ山陰地方の冬といえば致し方ないかと諦める。
 綾部市が予てから水源の里(限界集落の新しい呼び名)に建設をしていた市営住宅二棟が完成し、いよいよ入居が始まるそうだ。上林では最もポピュラーな話題として広まっている。市の広報「ねっと」の表紙に家族の写真が載っている。一家族は6人の子どもさんがいるそうで、その地域は高齢化率が100%から60%に下がるそうである。高齢化率とは65才以上の人口が総人口に占める割合で、一気に40%下がるということは地域の総人口が20人ということか。いずれにしても上林広しといえどもこんな大家族は珍しいだろう。上林の期待は大きい。
 一区(じょんのび村は一区という自治会にある。二区、三区は無い)にも将来子どもさんのいる家族が入居するとかいう噂がある。都会では考えられないことだがビッグニュースなのだ。子どもの声が聞こえる地域になって欲しい。

【作業日誌 2/26】
芝生予定地土入れ(継続)

今日のじょん:じょん語録(37)お前のことが心配でのう
 どこかの葬儀屋さんのコマーシャルである。ここ二三日じょんの体調がおかしい。散歩中に吐いたり、朝ご飯を食べなかったり、夕方のうんこをしなかったり、、、、。ままあることと思うが、かみさんの心配のしようはひとかたでなく、お前のことが心配でのうと言うことになる。そうこうしているうちに元の体調に戻るのだが、やはり言葉で表せないだけに心配もひとしおというところか。Img_2115


「お前のことが心配でのう」 

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鹿現る 2/25

2009-02-25 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.25(水)雨

 連日の雨は地元の人も少し首をかしげる状態みたいだ。雪は一時にきつく降ったが全体的には少ないようで、季節が約一ヶ月先行しているという。そういえばもう梅はほころんでいる、昨年3月下旬に引っ越してきたとき満開であったから一ヶ月は無くとも数週間は先行してそうだ。フキノトウももう盛りで、これも例年より早いそうだ。
朝10時前、雨の中、いつものように開店のサインを出しに行こうかというとき、北側の森井さんの広場に三匹の鹿を発見、すぐにじょんのび谷の奥に逃げていった。自分と関係ない場所ではいくらでも鹿を見かけることがあったが、家のすぐ近くで発見したのは初めてである。東北側の古い切り株のあたりには鹿の糞らしきものを見つけていたし、隣の上田さんにも「鹿が来てるで」と聞いていた。しかし実際に目撃するとその衝撃は大きい、あの白い毛のお尻が焼き付いている。Img_2071

このドラム缶の奥に三匹の鹿が現れる。

鹿は何でも食うという、中でも若芽が大好きなようだが、じょんのび村の植物のほとんどは昨年植えたものばかりである。成長している木はじょんのびの木と桐の木とシラカシの木とシュロの木各一本のみである。若い木々がやられたら今までいったいなにやってきたのかということになる。ドッグランも作らんなん、木小屋も作らんなん、薪も切らんなん、看板も作らんなん、あれもせんなんこれもせんなんに先だって鹿除けネットを張らんなんとなると、もうパンク状態だ。

【作業日誌 2/25】
薪入れ箱作製(つづく)

今日のじょん:じょん語録(36)腹巻きじょん
どこぞの犬がお腹が冷えるからって腹巻きするかいと思っていたら、いるんだねえ。かみさんが古くなった腹巻きを毎日掛けてやっている。もっとも寝ているときは暑いのだろう、すぐに蹴飛ばしてしまう。ただ、腹巻きで遊ぶのは大好きで、今日は腹巻きかぶって遊んでいる。Img_2129

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出た、警報の謎 2/24

2009-02-24 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.24(火)雨

 今日も雨なのでヒマラヤ杉の枝燃やしを続ける。枝は生で濡れているので燃えにくい、しかし葉は強烈に燃えて火の粉となって飛んで行く。こんな始末の悪いたき火は無い、火の粉が危ないのでドラム缶に蓋をすると信じられないほどの煙が上がる。結局そばに着きっきりで守をしなければならない。そのくせ一日中炊いても少しも減らない。一体どうすればいいのだ。
 1月31日のブログに綾部の波浪警報について文句を書いていたら、あやべ市民新聞にそこが知りたいという記事で回答があった。私だけでなく多くの人が疑問に感じていたのだなあとつくづく感じると共に、疑問に答えていただいたあやべ市民新聞さんに敬意を表したい。気象台の発表区域が二次細分区域「舞鶴・綾部」となっているそうだ。従って「舞鶴市・綾部市」ではなく、「舞鶴・綾部地方」と言うことである。波浪注意報や波浪警報が当てはまるのは舞鶴市の沿岸部のみであって綾部市にはまったく関係ないことである。というわけで綾部市の天気は舞鶴市と同じというわけだ。納得いく?
 もっと納得いかないのは全国の予報で日本海側の天気は最も近いのが金沢、次が松江なのである。これって意味無いんじゃないの。責任者出てこい。

【作業日誌 2/24】
ヒマラヤ杉の枝燃やし

今日のじょん:結構いるんだ上林犬
 都会と違って近所の犬はみんな解っている。隣のチコと兄弟犬のマーブル、チコの兄弟レイジと亡くなったまりい、女の子の名前も多いがみんな雄である。これだけがじょんの顔見知りってとこか。そんだけしかいないのかと思うが人数割にすると犬のいる割合は高いと思う。ところが散歩をしているとどこかで鳴き声が聞こえる。結構大きな犬のような鳴き声だ。以前に散歩中におばあちゃんに「上のポチかい」と言われたことがある。ポチというのだろうか。福井石油の上の方でも鳴き声を聞いたことがある。白い犬を散歩されているのを見たことがある。結構いるんだ近所にも、、、、。いづれはみんなお友達になれればいいのだがねえ。Img_0803


亡くなったまりい。

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いつまで降るねん 2/23

2009-02-24 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.23(月)雨

 夜来風雨の声、、、またしても雨の朝を迎えた。晴れと言う天気は2月7日以来無い、曇、雪、雨ばかりである。やっとこさ予告看板が出来上がって、据え付けできる状態になっているのだが、明日も雨の予報である。木小屋用の杉皮むきと防腐剤塗りも一向に進まない。物置周辺のコンクリート打ちもしようがない、えーかげん晴れてくれ。でもまあ雨だからできることもある。例のヒマラヤ杉の枝燃やしである。葉は油を含んでよく燃えるのだが、なにしろ生の上に濡れているから燃えるまでが大変、怖ろしいほど煙が出る。京都なら街中の消防車が寄ってきそうだ。やむなく昨日のパレットをバラして燃やす。いやーよく燃える。蓋をしないで燃やすと煙も出ず、しっかり燃えるが、そばに着いていないと危ないので蓋をしておく。そうすると煙がむんむん出る。そのくせすぐ燃え尽きてしまうので、しょっちゅうくべなければならない。煙で咽は痛いは、目は充血するは、服もズボンも真っ黒けになるは、雨が止んだら終わりにしようと思いつつ一日中燃やし続けた。少しは枝が減ったかなと思いきや、全然変わらない。参ったなあ。Img_2126_2

この枝の山、ちっとも減らない。

そうこうしているうちに高橋さんがダンプで超でかい杉を満載して持ってきてくれた。今年の雪で折れたり倒れたりしたものらしい、奥上林で停電を起こした張本人だ。こちらは幹のみで、枝などは捨ててもらっていたので大変助かる。Img_2125

芯の黒いのが今日もらった杉。

それにしてもこの枝の焼却と大木の処理にいつまでかかるだろう。ゲロゲロ。
薪割りしたい人はいつでも来じょんして頂戴、いくらでもあるからね。それと、木が欲しい人も好きなだけ持っていって頂戴、ただし杉とヒマラヤ杉だけね。
【作業日誌 2/23】
 枝焼却
 薪入れ箱作り(つづく)
 
今日のじょん:久々におとうがマーブルファイトに行く。最近体重差が大きくなって勝ち目が無いそうである。あのでかいのに乗っかかれたら流石に重いだろう。何度も何度も土間に追いつめられては、向かっていく姿はあしたのジョーみたいだ。ある程度するとマーブルが自分から寝っ転がる、以前からやってることだがこの意味は一体何なのだろう。休憩しているのか、わざと負けてやってるのか、疲れたのかわからないがこの時だけじょんが攻勢になる。だんだんエスカレートしていき変なうなり声しながら歯をむき出して暴れ回る。これってじゃれてるというものではない、真剣にやって血を見るんじゃないかと心配になる。「やめー」と思わず言ってしまう。第三者がみたら卒倒しそうだ。帰り道はちょろちょろしないでまっすぐ帰る。夜はひっくり返って寝てしまう。よっぽど疲れるんだろう。Img_2123

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天気悪し 2/22

2009-02-22 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.22(日)曇、雨

 ぽかぽか陽気の後、夜から雨の予報であったが、ぽかぽか陽気になる前に雨になってしまった。上林の春はこんなもんなんだろうか。とにかく雨が多すぎる、昨年越してきたときも同様で、毎日毎日ビチビチと雨が降っていた。雪はそう憂鬱にはならないのだが雨は陰気で寒くていかん。こういう日はストーブをガンガン炊くと少しでも太陽の代わりになって気が安らぐ。充分な薪がそれを可能にする。大量のヒマラヤ杉には少々困惑気味だが、昨日建設会社の高橋さんが、「不要の木が出るから持っていってあげるで」と言ってくれた。ありがたいことである。処理には相当時間がかかるが何年分あってもいいものだから、この際とことん集めておこう。そのためには木小屋の建設が必要だが、いまいましい雨のため作業が進まない。イライラが募るばかりだが、この地方のこの天気に慣れることがまず必要かな。

 【作業日誌 2/22】
薪入れの箱作製(続き)
丸ノコ用治具作製(完成)

今日のじょん:かみさんの教え子のSちゃん達が来じょん、ぽんぽこぽんなどして遊んでくれたが、臆病者の癖は段々ひどくなり、ちっともなじめない。若い女性に対してはまだ友好的だが、それでもジャーキーもらうのが大変だ。もっと愛想を良くしてもらわないと看板犬になれないぞ。Img_2122

大好きなジャーキーもらうのにもこんなに腰が引けている。

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どうするこれ? 2/21

2009-02-22 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.21(土)曇、雨

 伐採林の搬入が終わったようだ、ダンプ6杯分、怖ろしい程の木だ。幹はともかく葉の付いた枝がしっかりあってぞっとする。9割方がヒマラヤ杉なので、果たして薪ストーブに適するかどうかが問題である。京阪エンジニアリングさんに電話してみるが、社長不在ですぐに結果が出ない。ネットで調べてみても賛否色々ありなんとも言えない。Img_2120 丁度雨なので枝を焼却しようとするが、ドラム缶のすぐそばに枝が山積みなので危険な感じである。やむなく溜まりに溜まった灰を掻き出して、畑の溝に入れる。畑は元々粘土質で畝の部分は畑土を入れているものの溝の部分は水はけがすこぶる悪い。灰は肥料として使われるぐらいだから、悪いことは無いと思う。これで水はけが良くなれば一石二鳥だ。
農作業は近所の畑を見るのが一番参考になるのだがどうもそのようなことをしている畑はない。よく考えれば、きょうび灰なんて出てこないのだ。今後も灰は際限なく出てくるので利用法を考えなければならない。Img_2119

こんな感じで撒いてみた。


少し離れたところで燃やし始めたが、生木の上に雨で濡れているから全然燃えない。イライラして放っておいたら一日中ぶすぶすくすぼっていた。こんなことでは何時になったら処理できるかと気が遠くなる。燃えへんわとぼやいていたら、井上さんが米松のパレットをくれた。これを焚き付けにするとよく燃えるということだ。(写真右端)あまりにもいいものなので燃やすのはもったいなく、犬小屋のデッキにしようかと思っている。

【作業日誌 2/21】
ドラム缶の灰撒き
杉皮むき
予告看板の屋根つくり(完成)
薪入れ箱つくり(続き)
2×4材買い出し

今日のじょん:続々見て見ぬ振り
じょん:「おとう、おいらのことブログに書いてるそうやなあ」
おとう:「そやで、見て見ぬ振り、聞いて聞かぬ振りのこと書いてんねん」
じょん:「おとう、朝早うオシッコに起きてるやろ」
おとう:「そやねん、歳いたらオシッコちかなるねん」
じょん:「そのときおいらのこと、見て見ぬ振りしてるやろ」
おとう:「・・・・・・」
じょん:「おいらがおすわりしてあくび語(*)で呼んでも聞いて聞こえないふりしてるやろ」
おとう:「・・・・・・」
(*)あくび語:じょんはワン語が使えないのであくび語でしゃべる。あくびのようなしゃべり方で「わうーん」なんて言っている。

Img_2117 Img_2118
「おすわり」言うても聞こえないふり。
ジャーキーがあるように見せると、いとも簡単。

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日曜大工 2/20

2009-02-21 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.20(金)雨

 十日に一度のじょんのシャンプー日は家中の掃除の日でもあるのであまり作業はできない。かみさんがストーブの薪入れに使っているオイル缶が格好悪いというので、端材を使って薪入れを作り始める。DIYで何かと作っているが、長いこと電動工具を使っていない。インパクトドリルとディスクグラインダーだけはしっかり使っているが、丸ノコもトリマーもジグソーももう一つ使いこなせていないのだ。久々に丸ノコを起動させたらばらばらっとカメムシが数匹出てきた。トリマーも電源を入れたらファンが回ってカメムシの臭いが充満した。なんとなく情けない。なぜこれらを使い始めたかというと、実は治具を作って使用したら、とても正確にスムーズに作業ができるようになって楽しくなってきたからだ。
 丸ノコは使い始め、真っすぐに切れないは、切断面は汚いは、やたら大きな音で怖ろしいはでやる気を無くしていた。DIYの本に治具の作り方が載っていて、だまされたつもりで作ってみた。Img_2113

上に乗っているのが直角に板を切断する治具、下の長いのは縦方向に切断する治具でこれは未完成。

治具というのはつくりと原理は単純なものですぐに作ることができる。いままで真っ直ぐ切ることが難しくて、肩にも腕にも力が入っていたが、治具で切るようになってとりあえず真っ直ぐに切れるようにはなったが、それでも力が入っていた。本に滑りをよくするため石鹸を塗ると書いてあったのだが、蝋燭があったのでそれをガイド板と刃の接触部分に塗った。すると見違えるほど楽に切断できるようになり、同時に作業がすこぶる楽しいのだ。というわけで電動工具が使いこなせたら日曜大工は楽しく、可能性を広げられるように思う。もっとも私の場合は火曜大工、金曜大工だが。

【作業日誌 2/20】
水回りの清掃
薪入れつくり(未完)

今日のじょん:見て見ない振り続編
本当は昨日書こうと思ったのだけど、話せば長くなるし、説明しきれない部分もあるかと、解りやすい過去の例を挙げて書いてみたわけである。パオパオさんのコメントで秀逸と言われたら昨日の事件を書かなければならない。それは朝のぽんぽこぽんで始まった。ぽんぽこぽんはじょんのびファンの方なら誰でもご存じのボール遊びだが、ラストのぽんぽこぽんの際にボールが村上さんにお借りしているプラ船のそばに止まったのである。人間にとってはなんでもないことだがじょんにとっては大騒動である。臆病者のじょんは箱物が大嫌いで、特に生協の発泡スチロールの箱など超恐怖なのだ。
Img_2116
丁度このプラ船の右端にボールが止まった。


ボールを取ってくればジャーキーがもらえるのだが箱に近づくのは怖い。そこでじょんが取った行動は、ボールが箱にくっついた瞬間、立ち止まったかと思うと少し考える風をしてその場を離れ、うんこをしたりオシッコをしたりする行動をする。ところがうんこもオシッコも出ないのだ。なぜってあの箱のそばに止まったボールを見て見ぬ振りをして他の行動をしているのだから、、、、。黙ってじっと見ているとその辺をボールを探している振りをしているのだ。お前なあ、ボールが箱のそばに止まっているのは知ってんだろう、見て見ぬ振りしやがって、、、、、。つづく


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バラのアーチ完成 2/19

2009-02-20 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.19(木)曇

 今日は店が暇で思い切り作業ができた。かみさんのご執心のバラのアーチがやっと完成した。思えばモリイのバーゲンで喜び勇んで買ってきたのが昨年の9月だから完成まで5ヶ月かかった。最もほとんど放ってあったからなのだが、その行程が一気にできるようなものでなかったので間延びしたということもある。まずアーチを組み立てる、これはすぐにやってしまった。バラはそのうち安いのを買ってきて、野菜用のプランタに植え付けたようだ。水やりなどの世話が大変なので地植えにすることにしたので、完成まで時間がかかったのである。
(1)まずバラスを取り除いて穴を掘る。バラスの下は粘土なのでできるだけ深く掘って、粘土は捨てる。
(2)杉丸太を40cmぐらいに切り、半分に割る。ディスクグラインダーで整形し、防腐剤を塗る。
(3)割木を連結する棒状の端材にペンキを塗る。割木の地上部分は再度ペイントする。
(4)割木を四辺の囲いとなるように連結する。
(5)苗床用の穴に腐葉土を混ぜた畑土、プランタのバラを土毎、バラ用の土、腐葉土と重ねて入れる。Img_2111 Img_2112なお、アーチそのものは既製品だが、風の強い場所なので足下に支柱を数本入れて補強した。

側ができた状態と完成写真


(2)、(3)の部分が間延びして結局数ヶ月かかったが、もちろん真面目に取り組めば一週間で出来上がる代物である。わざわざ行程を説明するほどのものではないが、あまりに長くかかったので、完成の喜びがひときわ大きいためである。最も自己満足だけのものであるが、、、、、。

今日のじょん:見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり
これって犬がすると思わないかい。例えばもういなくなった猪チビだが、「おい、イノシシだ」ってじょんに声を掛けると、反対方向を向いて臭いだりなんかしている。怖いものを真っ直ぐ見ないのだ。そのくせカラスや雀など怖くないものはめっちゃ遠くでも凝視している。
 マーブルと遊んでいる最中など大声で「おすわり」なーんていってもまるで聞こえない様子で遊び続けている。そのくせ美味しいものもらうときなど、超小声で「おすわり」といっても信じられないほど素直に聞いている。

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薪騒動 2/18

2009-02-20 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.18(水)曇

 小西町の伐採現場に取りに行けば2,3年分の薪が確保できるかなあと思っていたら、村上建設さんが工事現場の伐採の木を持っていってあげるでということでダンプで怖ろしくでかい木を持ってきてくれた。ところが続きがあって、今日はダンプ5台分搬入されたのだ。幹だけもらって枝などはいらんというわけにはいかないので、伐採分を総てもらったのだが、さすがにもの凄い量だ。これを片付けるのは数ヶ月かかるだろう。でもそれで数年分の燃料が確保できるのならまあいいか、と思っていたのだが、問題が起きてきた。樅の木と聞いていた大木が実はヒマラヤ杉ということが判明し、杉とはいえ松科の植物で果たして薪ストーブの燃料として使えるかどうかと言うことである。黒松や赤松なんかよりは幾分油分が少ないように見えるが、何とも言えない。ネットで調べてみるが、やはりあまり適していないようだ。でも使用している人もあるようで、ストーブの種類によっても可否があるようだ。怖ろしく大量に頂いた大木を眺めて憂鬱になってしまう。この整理に一月はかかるだろうし、枝の焼却もそれぐらいかかるだろう、それで薪として使えなかったらこれはつらい。とりあえずもう少し調べてみよう。それでもテーブルの脚、イス、溝蓋、サインの材料など他の使い道も工夫すればありそうだ。Img_2109 Img_2110
ダンプ5杯分のヒマラヤ杉等、右はヒマラヤ杉ぼっくり、松科というのがよくわかる。



【作業日誌 2/18】
搬入木材の整理
バラアーチの柵作り(組み立て、ペンキ塗り)

今日のじょん:久しぶりにマーブルファイトをした。体重差が7,8Kg開いてしまい、勝てなくなったようだ。こてんこてんにやられて帰ってきたら、なんとなく淋しそうだ。悔しいなんて思っているのだろうか。寝たらすぐにクゥクゥクゥクゥと寝言を言っている。負け戦の夢でも見ているのだろうか。明日はガンバレ。

 
沖縄ノート(3)沖縄航路の船中で
その翌年、再度宮古島トライアスロンに挑戦、初回の印象が強かったせいかこの時のことはあまり憶えていない。その次はトライアスロン競技規則講習会講師で那覇を訪れる。そして急遽伊是名トライアスロン審判長として伊是名島に出張することとなる。リゾート地、観光地でない島を訪れ、初めて沖縄の文化、歴史に触れることとなった。今まで四回沖縄を訪れ、網膜には映っていたはずの亀甲墓が認識として目に映った。「みんな都会に出て行くのですが、長男だけはあの墓を守るために島に残ってるのですよ」というおばさんの言葉が耳に残った。家々にある石敢當、古い城(グスク)、御嶽信仰(ウタキシンコウ)の行事、ハブの話し等色んなことを見聞して、沖縄に深い興味を持つこととなった。実は前回の競技規則講習会の時に、清明際(シーミー)に遭遇し、沖縄に興味を持ち始め、沖縄の民俗と歴史などという本を買い読んではいたのだが、あまり深くは読んでいなかったようである。門中(ムンチュウ)のこと、亀甲墓のこと、洗骨のことなど沖縄の文化の根幹をなすと言ってもおかしくない葬祭、先祖崇拝などを研究してみよう。そして知っているようで知らない沖縄戦のことを調べてみよう。この二つが今回の沖縄の旅の目的である。

 船中で記した日記はここまでである。二つの目的を持って沖縄を旅する訳だが、そのためには、リゾート地に行っても意味がない。結局、伊江島、伊平屋島、久高島、奥武島を訪れたのだが、満足な旅となった。お墓というタブー的なものを調べるのだからあまりブログに写真や記事を載せるのは失礼かと思い、ほとんど公開はしていない。ブログ文中でいづれまとめて報告したいと記しているが、まとめておくことはともかく公開するのはどうかと思っている。

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雪の定休日 2/17

2009-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.17(火)雪

 覚悟はしていたものの、朝起きて真っ白な光景に愕然とする。すっかり春の気分になっているのにまたしても降り出しに戻るだ。Img_2102

 朝起きると白銀の世界。

 雪がつらいのはあらゆる作業が中断するのと、長靴を履いたり、服を着たりが面倒くさいのだ。寒さや雪そのものはあまり苦にならない。家の造りにおいて、信州、東北、北海道など雪国では雪と低温に対する対策が充分なされていて、暖かく便利に出来ている。近畿や以西の地方ではその辺のつくりは中途半端で、上林に住んで初めてああしとけば良かった、こうしとけば良かったと反省している。一つはじょんのび坂の舗装である。最初からしておけばどうってことないのに、後からやると大変であった。それでも完成したからまあいいか。
もう一つは玄関の前室である。雪国では常識の設備だが、上林では見たことがない。これが無いおかげで、雪の日は玄関が泥々、びしょびしょになる。特に我が家は玄関即居間だから堪らない。新しいものはポリカーボネイトで作られているのがほとんどだが、施工費とも合わせると大変な費用となる。やむなく自前で作る予定
だが、その前に予定がいっぱいあるので何年先になるか解らない。Img_2104

玄関前に前室が欲しい。
朱いタイルがよく滑る。軒下がない。

 次は玄関前のタイルである。これは晴れているときは問題ないが、雨、雪の時は怖ろしく滑る。危険きわまりないので今はマットで対処しているのだが、マット毎滑ることもあるので怖ろしい。前室が出来ればこれも解決できることなのだが。
もう一つは家の周りに庇が少ないこと。店の入口側はしっかり庇があり、雪の日も安心と言うところだが、その他北側、東側は庇の部分が短く、壁のそばまで雪が降り込む。これは対処のしようがない。屋根からの落雪、つららの落下など雪国ならではの注意が必要となる。家というものは一年間住んでみないと解らないものだ。

今日のじょん:久々の積雪で大喜び、樫の木の周りを超スピードでくるくる回る。ドッグランは出来てないけど勝手にドッグランをしている。走ることが出来る犬って幸せかなあ。Img_2107 Img_2105




【作業日誌 2/17】
木々の雪下ろし
薪用木材の整理
芝用地の土入れ替え(未完)
木小屋の設計
不要木材焼却


沖縄ノート(2)沖縄航路の船中で
最初の沖縄行は8日間ぐらいか、見るもの聞くもの文化の違いに強烈な印象を受けた旅であった。しかし今から思えば沖縄の表面しか見ていない旅であったことも確かだ。
 その次の沖縄行は宮古島トライアスロン第3回大会であった。21年前のことである。リゾートなんて経験したことがなかったのが、初めてリゾートライフを楽しみ、そしてレースを楽しませてもらった。レースに行ってるわけであまり周囲のことを憶えていない。東平安名崎のあたりきれいだなあとか、応援凄いなあとかぐらいでレースに集中していた。京都の前田君が優勝したレースであって、私自身もロングのレースは初体験だった。バイクで落車し、大転倒しながらも完走し、まあ満足のいく印象深いレースだった(確か119位)。ところがそこで沖縄らしい特異な事件が起こったのである。東急リゾートに宿泊していた私は滋賀県の若い選手と同室であった。彼は初めてのレース出場で大変緊張していた。私自身も2回目の大会出場でそう慣れてはいないのだがそれでも先輩は先輩である。彼の不安を取り除くために色々とアドバイスした。例えば彼はレース着なんて持っておらずTシャツのみであった。暑すぎるので袖を切り落とし、裾も上げて涼しくしてレースに臨んだ。レースに完走し、ホテルで満足の夕食をとり、ビールもしこたま飲んでいた。さて部屋に帰って眠ろうとするが、同室の彼の姿がない、その内帰ってくるだろうと、酔いもあって眠ってしまった。
 翌朝隣のベッドを見て驚いた。彼は帰ってきていないのだ。大会本部にそのことを連絡に行くと、レースには出場したが水泳で途中棄権し医療テントで治療を受けていることが解った。しかしすぐに回復したので解放され、その後は解らないということであった。海で行方不明なら大騒ぎで捜索するだろうが、海から上がっているのが確認されているので大会本部もそれ以上動けないという。彼は単独で参加しているので連絡する者も居ない。その内帰ってくるだろうとアワードバンケットを楽しみホテルに帰る。空のベッドが不気味である。大会本部に再度連絡してその日も酔っぱらって寝る。次の日は帰京する日である。荷物をまとめながらどうしたものかと思案する。そこへ彼がレースの時の姿でひょっこり帰ってきた、神隠しから蘇った様なものだ。「おい、一体どうしたんだ」人の心配も知らないで二日二晩、彼はどうしていたのだろう。その答えは信じられないものだった。
 水泳でリタイヤし、救護所で回復した彼はスゴスゴと自転車などを片付けていたのだろう。そこへ応援かボランティアスタッフのウチナーンチュが駆けつけ、彼を自宅に連れて行きその晩は飲めや歌えのドンチャン騒ぎ、次の日はジェットスキーだかウィンドサーフィンだか知らないがマリンスポーツに連れて行ってもらい夜はまたドンチャン騒ぎと言うことだった。信じられないような話だ。ウチナーンチュは外部の人を暖かくもてなしてくれるとは聞いていたし、宮古島大会そのものがもの凄い歓迎であることは実感している。しかし、見知らぬ人を招いて二日二晩ドンチャン騒ぎでもてなすというのは理解を超えている。折角宮古まで来てもらって、水泳でリタイヤするのはかわいそうと思われたのだろうか。「イチャリバチョーディ」てのがこれなんだろうか。それにしてもヤマトッチュの彼はあまりにもテーゲーなんじゃねえか。連絡ぐらいせーよなあ。後日彼とは滋賀県のマラソン大会などで顔を見ることもあったが、声を掛ける気もしなかった。つづく
 

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冬将軍の逆襲 2/16

2009-02-17 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.16(月)曇、雪

 春の息吹なんて書いた途端に寒気が襲来し、3日間ほど寒くなるそうだ。石田君の薪のおかげで安心してストーブを炊けるし、塩見さんの木材のおかげで来年も大丈夫だ。そうこうしていたら、村上建設さんが材木を切り出してるので持ってってあげると言ってダンプで運んでくれた。樅、桧、ナラの大木を一気に運んでいただいて大感激である。Img_2101
あまりに立派な木なので、薪にするのはもったいなく、何か他に利用出来ないかと考えている。薪にするには生木の間に玉切りをし、薪割りをしないといけない、そしてその保管用に木小屋を建てなければならない。今日までの木の集まりようを見ると、そこそこ大きな小屋が必要だ。材料はほとんど集まっているが時間がない。かみさんにはあれもしてこれもしてとせかされるのだが、決してさぼっているわけではないのだが、やることが多すぎる。作業日誌をノートに書いているが、これが実に面倒なので今日からブログに書くこととする。
【作業日誌・2月16日】
 ばらアーチの床作り(未完)
 予告看板の防腐剤塗り
 物置の基礎石型作り(完成)
 丸ノコの治具作り(未完)
 砕石の雑草抜き

 沖縄航路の日記を2日間続けたが、実は日記の他に沖縄に関する文章をノートに書いていた。なにしろ2泊3日の船旅で何もすることがないのだから仕方がない。その間本も2冊読破した。文章は長いので何日かに渡って御紹介したい。

今日のじょん:雪降ってじょん固まる。
久々のじょん君、これまた久々の雪が降って散歩はレインコートが必要となった。私が転んでからイージーウォークというアメリカ製の引っ張らないハーネスを利用しているが、いずれも嫌がって、着けると固まり状態となる。どちらも着けたらどうなるか興味もあったが、予想通りカチンカチンになってしまった。Img_2099


レインコートとイージーウォークのダブルパンチ。




沖縄ノート(1)沖縄航路の船中で
 沖縄は今回で7回目の渡航である。初めての沖縄旅行は昭和48年、返還翌年の春休み、村上君との二人旅である。もちろんそれ以前から行きたかったのだが、パスポートなどの証明書が必要で外国に行くのと同様の煩わしさを感じていた。返還によってそれらが無くなり、自分自身就職したら長期の旅行など出来ないと思い、今しかないという気で船に乗った。到着後の宿泊先も行き先も決めていなくて、その当時としては度胸があったようだ。
 那覇は車も右側通行で、看板は英語ばかり、タクシーは料金の規定が無く交渉次第でまるで外国だった。那覇に安宿をとり、次の日は戦時中の大本営?跡を見に行く。非情に印象深いところだったのだが、その後の沖縄旅行では気付かない場所であった。確かに訪れたはずなのに、果たして今でもあるのだろうか。あれば必ず再訪してみたい。Img_2975_2 Img_2972

旧海軍司令部跡と壕の内部(2007.3.4)
実はこれだった。

 南部戦跡、首里城なども訪れた。首里城は今のように再建されておらず、荒れ果てた公園のような所であった。宿のかみさんから「基地などの写真は撮ったりしないよう」と言われた。行方が解らなくなったり、海に遺体が揚がったりということがあったそうだ。
 次の日はバスで北部に向かう。恩納ビーチ、万座毛など見て名護の街に泊まる。名護の街は今とは全然違う、バスターミナルも街中も板張りの淋しげな建物が並んでいた。本部半島を巡るが、海洋博の開かれるずっと以前のことで、未舗装の細い道が続いているだけで家もなく淋しげな風景であった。今帰仁城も行ったけど誰にも合わない様な所だった。Img_2464 Img_2465


恩納村のビーチと万座毛(2007.2.18)


 那覇に帰り、八重山に向かうことにする。石垣島行きの船に乗り一晩で石垣島に着いた。今でこそ大観光地だが、当時は人影も少なく、川平湾など誰もいなくて独り占めであった。あまりの美しさに、水パンを持たない私たちもTシャツ・短パンで泳いでしまった。熱帯の魚たちが集まってきて気味が悪いくらいだった。海岸にテントを発見、天理大の学生さんが、気に入ってテント生活をしているという。その辺の魚や貝を捕って食べているという。鍋がないのでアコヤ貝の貝殻を鍋代わりにしている。時折見かける大きなトカゲも焼いて食っており、勧められたがこれは遠慮した。竹富島にはホバークラフトで渡る。とある民宿に泊まるが、宿泊費が数百円で驚いた。食事など心配したが凄いごちそうで恐縮する。ただし島には水が無く、風呂もシャワーもなく、バケツ一杯の水があるだけだった。(きっと雨水を溜めたものだろう)景色は今と変わらず南国の素晴らしいものだったが、島は婿不足だから婿に来ないかと真剣に言われるのには参った。本島に帰り、内地に帰る手続きをするが船も飛行機も満杯で帰れない。やむなく船で鹿児島に渡り、夜行で京都に帰ることにする。つづく
 
 

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春の息吹 2/15

2009-02-16 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.15(日)曇

 先日薪用の栗の木の下からいくつかのフキノトウを見つけ、この調子じゃあいくらでもありそうと思っていたが意外と見つからない。お客さんにフキ味噌の作り方を教えていただき、是非作ってみようと思ったら、全然見つからない。もう少しまつべかと思っていたら、植物の名人山田さんがあちこちに見つけてくれた。なんだあるんじゃないかと探したら、あるわ、あるわいくらでもある。フキ味噌、佃煮、てんぷらと春の息吹を充分に感じることが出来る。Img_2097 Img_2096

見つけると嬉しいものだ。


さて、昨日に続き2年前の日記を披露する。

2007.2.15(日)晴れ

9:30起床 一日中沖縄航路の船の中

夜はよく眠ることが出来た。船体の軋む音と時折のドーンという波の音、でも薬のおかげか12時間ぐっすり眠れた。ペットボトルに入れたブラックニッカのおかげかな。沖縄航路というと大学4年の村上君との二人旅を思い出す。大阪から船に乗り(あの時も雨だったと思うが)翌々日の朝に那覇に着いた。えらい揺れようで、皆トイレでゲエゲエ吐いていた。横になっているときは平気だが起きると気持ち悪くなる。沖縄復帰後初の春休みで、船は満員でレストランも大賑わいだった。今回の自販機対応とえらい違いだ。何しろ今回は事前の買い出しが出来なかったせいで、五食を自販機の食べ物でまかなったのだ。ところがそのレストランに行くのが一苦労であった。それほど船酔いがきつかったのだ。船内放送で「この船はスタビライザーを設けていますので大丈夫です」と盛んに放送していたが、乗客全員悲惨な状態で、スタビライザーどころの話ではなかった。ところが那覇に着いて陸地に降り立つとケロッと治り、大地というものはありがたいものだと妙に感心した。後日先島航路でもっとひどい揺れに合い、身体が転がって寝られないような状態だったが、もう酔うことはなかった。人間の順応性とは素晴らしい。大阪から那覇、那覇から石垣島往復、そして鹿児島まで総て船で旅をし、飛行機で済ましてしまう現在とは隔世の感がある。その当時の船の出航は大勢の人が見送り、手に手に紙テープを持ち蛍の光とドラの音で見送られるという風情のあるものだった。船旅の途中も豪華なレストランの他に大きな風呂もあり、甲板では赤道祭なんて余興もあったものだ。もう一つ忘れられないのは先島航路で、2等船室はいかにも船底という部屋で、すぐそばにエンジンルームがありドンドンドンというエンジン音が四六時中鳴り響いていた。夜に出航して午前中に着くのだが、2食付きというふれこみで、えらい安いなあと思っていたら、2回とも黒い大きなヤカンにコーヒーが入っており、菓子パンが2個配られるだけのものであった。それって2食付きというか?。
 さて現在に戻って、12:00、左に種子島右に大隅半島の放送がある。おい、まだそんなとこかい、出航から24時間たってるんだぜ。とりあえず写真を撮りに甲板に出る。冬型が強く西風が強烈だ。Img_2368 Img_2373
左:種子島
右:大隅半島、アップにすると開聞岳が見える。



今回客数が少なく、2等船室は一カ所にまとめられ、亀徳、和泊、沖縄と方面別に寝ることとなっている。ざっと30名ぐらいの乗船者だ。船は琉球エクスプレス、6,300t、自転車共で22,650円は高い運賃だが客も少なく、うまくすれば楽しい船旅である。Img_2385


 

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旅立ち記念日 2/14

2009-02-15 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.14(土)曇

 第二土曜日を定休にしたのは、自営をしていると定休日といえども何か用事をしてしまって休養が取れないからである。FHG(福知山東ゴルフ)の例会も同日にあるので、天気が良ければそちらに行くことにしている。月に一回のゴルフだからまともにプレーできない。真剣にやると、ストレス解消のはずがストレスを溜めることになる。それでまあいいかっという感じでやるとそれなりに楽しく一日が過ぎる。
 今日は全国で高温となり、夏日となっている地域もあったそうだ。また、地球温暖化論者が鬼の首でも取ったようにやかましくいいそうだが、ここまで暖かくなくとも結構暖かい日が2月にはあるものだ。よくバイクパンツと半袖のジャージでトレーニングに出たことを憶えている。自転車旅行中は沖縄だったが、本州も暖かい2月だったようだ。
   2年前の今日は自転車日本一周後半戦(独立編)の出発記念日である。ところがバックナンバーを開いてみても2006.2.14は出てこない。後半戦は16日に始まっているのだ。14,15は沖縄に向かう船中がほとんどで、日記は書いていたが沖縄上陸後ブログに書き込む暇がなかったものである。いつか書き込もうと思っていたが2年後の今日になってしまった。というより今書かないと永遠に書けなくなってしまいそうなのだ。てなわけで今日明日は2年前にワープしていただきたい。

2007.2.14(水)雨
10:00京都発~阪急電車池田~キャファ
11:30キャファ発~13:45フェリー乗り場着~14:10出航

 後半戦に向けて自転車を整備していたので出発は池田市のキャファとなる。そこまでは阪急電車で行ったのだが、その途中で雨となり折角の旅立ちなのに憂鬱となる。キャファから六甲アイランドまでの30Kmの街中走行が不安で堪らない、思えば昨年12月20日の帰京以来あまりに間延びしすぎた。キャファで暖かいコーヒーを頂いて出発、ものの数分でフロントバッグにカバーを掛けていないことに気付く。中身は防水してあるので問題はないが、旅を続けている間なら決して忘れないことだ。風雨の171号線を南下し西宮に向かう。跨線橋のたびに歩道は無くなり、下の道へ誘導される。何個かは元の国道に戻ることができたが遂に元に戻れず、住宅街の中に迷い込む。以前なら大慌てしたが、こういう状況は慣れたもので風を頼りに南下する。雨で太陽の位置も解らないし、六甲の山並みも見えない。天気図では日本海に低気圧が発達していたので、今は南風のはずだ。予想通り2号線にたどり着く。しかし時刻は既に12:30、果たして14:00の出航に間に合うのだろうか。
 汗びっしょりでひたすらに漕ぐ、岡本を左折と聞いていたが一向に岡本の地名が出てこない。知らない間に中御影の地名板、行き過ぎだ、すぐに左折すると六甲アイランドの道標に出合う。道標に従って東進するとやがて自転車通行不可の看板、時間がないのでそのまま進入しようと思うが周りは大型のトレーラーばかり、危険を感じ歩道を探す。船に遅れたら再度京都に帰って出直すか、そのまま九州まで南下し鹿児島から沖縄に渡るか、なんてもうあきらめかけていたら六甲大橋の歩道に入る道を発見、これで間に合いそうだ。大橋は海上の相当高いところを走っており、折からの強風で吹き飛ばされそうだ。六甲アイランドに降り立ち、またしても落胆、フェリーの乗り場は島の最も端で相当かかりそうだ。もう歩道なんて悠長に走ってられない、トレーラーの間をガンガン飛ばす。長い船旅にそなえて、買い出しをしようと思っていたコンビニを横目に見ながら乗り場に急ぐ。ターミナルに着いたのが13:45、間に合った。
 自動車のフロアも船室もガラガラ、これでやっていけんのかよ。嵐は続き、大阪へ向かう間も揺れ続けた。外海に出たら強烈かなと酔い止め(センパア)を買う。予定外の出費で手痛いが30数年前の沖縄航路の船酔いを思い出したのだ。何がつらいかって船酔いほどつらいものはない、今後も小さな船にも乗るだろうし、まあいいか。

Img_2361 Img_2365
サヨナラ神戸、旅立ちは緊張するもの。

走行距離34Km
経費24,970円(船代22,650円)



今日明日、今日のじょんおやすみ。

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チベットの7年 2/13

2009-02-14 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.13(金)曇、雨

 オバマ大統領の「失われた10年」発言があった矢先だが、「チベット、失われた50年」という記事が今日の読売新聞に掲載された。北京オリンピックでチベット問題もマスコミの表舞台に出てきたが、オリンピックの終了と共に、また忘れられてしまった感がある。
 私がチベットに関心を持ったのはハインリヒ・ハラーの「チベットの七年」を読んでからだ。世界のあらゆる冒険探検の中でこれほど強烈な冒険探検は無かろう。ハインリヒ・ハラーはオーストリアの登山家で、あのアイガー北壁の初登攀者である。「白い蜘蛛・アイガーの北壁」は彼の著になる。これだけでも大冒険なのに、「チベットの七年」はそれを遙かに上回る大冒険である。なぜならば、それは希望したわけでなく、予定したわけでなく、戦争という大きな歴史の中で、やむにやまれず始まった冒険だからである。ナンガパルバッドというジャイアントに挑み、下山してきたら戦争が始まった。たちまち捕虜となり、収容所を脱走し、ヒマラヤの峠を越え鎖国をしていたチベットを横断して、首都ラサにたどり着く。そしてダライラマに仕えることとなり、親交を深める。世にこんな冒険があろうか。そう、ブラッドピッド主演の同名の映画はこのハインリヒ・ハラーの史実を元にしている。
 本の最終稿には中国の侵攻の様子、ダライラマの亡命の様子なども事細かに出てくる。著書は、中国の侵攻が解放という名の侵略であると言っている。中国の主張の一つに旧チベットが政教合一体制であったという件がある。チベットにおける仏教が如何にチベット民衆の間に定着していたかはこの書物でも理解できるが、今日の紙上の文面でもよく理解できるのではないか。
 「昔のチベットには『信教の自由』だけがあり、『宗教を信じない自由』はなかった。民主改革後、『宗教を信じない自由』はたっぷりあるが、『信教の自由』はなくなったか、かけらしかない」

今日のじょん:忠犬は存在するか?(7)
 忠犬という幻がなぜ存在するのか。それは犬が牛や馬のような家畜、鶏などの家禽などと同様、人間と近しい生活をしてきて、それらにぬきんでて訓練や学習の効果が犬にあったからではないか。教えれば教えるほどに最高の行動をする、盲導犬やレスキュー犬などを見ればすぐに理解できることである。
 いずれにしても人類にとって最も近しい動物は犬である。名犬になるか駄犬になるかは飼い主次第だし、如何に優れた能力を持った犬でも飼い主以上にはならない。もちろん名犬でなくてもいいのが犬の良いところなんだろう。解らないけれども解り合おうとする生き物同士、そんな関係が一番良いのではないだろうか。完Img_2080

仲犬じょんってとこか。


 

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