晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

四獣士(1) 11/30

2013-11-30 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.30(土)快晴

 連日霜が降りて、初冬の雰囲気、いよいよ冬がやってきた。最近じょんの深夜の吠えが無くなってきた。動物たちが餌をあさることが無くなってきたということだろうか。熊のように冬眠する動物はそういうこともあろうかと思うが、猪や鹿などはどうなんだろう。里の食べ物が減ってきたことは確かだろうが、奴らがそんな簡単に諦めるとも思えない。
 一昨冬には「雪中八策」で獣害対策にご意見申し上げたが、その後予想通りさしたる動きも無く、あのみっともないワイヤメッシュの柵だけで事足れりとなっているようだ。予想以上に頑丈であったことも事実で、壊れたり倒れたりという現象は見えないのだが、ネットの下に無数の穴があけられ、自由に猪が出入りしている。柵の中を鹿が走り回っている光景もあり、ネットが最終手段で無い事は確かである。
P1010288

堀たての猪穴、こんな穴がいくつもあいている。



 農地の棒獣ネットには無関係のわたしたちの住環境ではじわじわと獣たちに侵されつつある。被害の一段落した今、記録した状況を残しておきたい。数年後に「あの頃はましやったなあ」なーんて言われるかも知れない。
 三銃士ならぬ三獣士とは佐々木さんの名言で、猪、鹿、猿のことである。佐々木さん自身もこの地に住まいするまで予想もされなかったことだろう。じょんのび村でも住み始めて一年ほどは現れなかった様に思うが、今や昼間でもその姿を見るほど出没しており、被害も多様になっている。
 今年の特徴は熊の出没で、三獣士ならぬ四獣士となったことである。今後は作物の被害はもちろん、人の被害も予想される。
 しかし、熊の出没については他人事と感じていたのだが実際に敷地内で目撃し、周囲にいくつも形跡があるとしたら真剣に考えなければいけない状況となっている。
 今年の目撃について
 じょんのび敷地内での目撃は猿のみだったのだが、今年は猪、鹿、熊まで目撃された。もちろん周囲での目撃や敷地内での形跡は以前からあったのだが、現実に生きている動物を見るのはなんとも衝撃である。

熊目撃 2013.7.8(月)18:35
 玄関の坂を上り、駐車場を横断ドッグランどの網に激突、隣家裏の山に逃げる。
 相手も相当慌てていた様子で、ネットに飛び込んでいた。ネット破れ、植木破損被害有。
P1040814P1040816



ネットに飛び込んで破れず、逃げ出した現場を捜索中のじょん。


鹿目撃 2013.11.7 4:06
 じょんの吠えで飛び起きて辺りを見ると、芝生広場の白樫の下にトナカイのような大きな鹿が立っている。ドアを開けるとすぐに逃げていった。食害有り。
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食害の痕、芝生広場はよく嗅いでいる。石が乱れているのは猪の仕業。 

猪目撃 2013.9.22 21時ごろ
 車庫のセンサライトが点いたので窓を覗くと数頭の猪、うり坊よりも少し大きいのが土を掘り起こしている。飛んで出たら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。これは後日も出てきて、敷地中掘り起こされたが、被害というほどでは無い。
P1010330P1010331

 


目撃現場、掘り起こされているのがおわかりだろうか。

【作業日誌 11/30】
木こり、玉切り、枝葉片付け
P1010879



4日間の収穫、十日分ぐらいか。

【今日のじょん】本文に登場。

 
 

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ありがたいことに貧乏で(2) 11/29

2013-11-29 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.29(金)快晴

 何で淳先生が来られたことと子供時分の盗みの話が関係あるのかというと、淳先生の好きな話に他所の貯金箱を盗んだ話があるのだ。とっくに時効となっているし、すぐにばれてこっぴどく叱られ、いたく反省したということだから公表してもいいだろう。というより、先生この話きっと気に入ってるみたいだし、、、。
 お祭りの夜店だったろうか、なにか凄く欲しいものがあって、他所の家の貯金箱を盗み出して、首尾良く欲しい物を買った。ところが貧乏なあいつがそんなもの買えるわけが無いと噂になって、親に知れることとなり、ぶん殴られて土下座して謝ったということである。もちろんお金は返すこととなったそうだ。
 さてわたしの方だが、本の購入だけにしておけばいいものを、みんなが立ち寄っている駄菓子屋、わたしたちは「あてもんや」と言っていたが、そこによって五円や十円のあてもんをしていたのだ。そこに運悪く母親が通り過ぎた、小遣いなんて持ってるはずの無い者が店に入っているのだからバレバレである。その晩はぶん殴られこそしなかったが、こっぴどく叱られた。それから二度と盗みはしなかったのだが、後日「子供時代に盗みをしなかった者に人生は語れない」という格言をどこかで見つけた。
 それがどういう意味かは判断に苦しむところだが、「幼いときに貧乏を体験し、自らの願望を果たすべく尋常でない行動に出ることがその人のその後の人生に大きな果実を残す」ということではないかと身勝手に思っている。
 そのためには悪事はバレルことが必要で、その者は二度と過ちを犯さないことが必要である。
 水上先生にそのようなことがあったとは思えないが、貧乏は一級品である。そして先生は「ありがたいことに貧乏で、そのことがその後の球根になっている」というようなことをビデオで話しておられた。
 確かに水上文学の根底には貧困であるが上に不幸に落ち込むというモチーフが多い。しかしその後はその人なりなんだよと言っておられるように感じる。幼いときが極貧だからって、それを肥やしにするも毒にするもその人次第である。だけど幼いときが裕福だったら、肥やしは得られない。そのことが「ありがたいことに貧乏で、、」という言葉になったのだと思う。
 水上先生も淳先生も幼いときの貧乏を充分に肥やしとしておられるのではないだろうか。終わり
P1010866



お向かいの波多野さんは淳先生のお弟子さん。何十年ぶりかに会えて両人大喜び、優しい先生なんだって。


【作業日誌 11/29】
木こり、玉切り、枝葉整理

【今日のじょん】冬来たりなば。
いまさら初霜ではないだろうけど、被害というか、変化の起きた霜は今日が初めてである。起きるのが遅かったが8:30の外気が2℃で初氷は確かである。
 ピーマンなどの夏野菜もしぶとく実を着けていたのだが、今朝の霜で全滅、ジャガイモ、ヤーコン、ノーゼンカズラは葉が真っ黒になり、落葉寸前。
 少しずつ落葉していた桐が、なんと一夜でごっそり落ちてしまった。気温が限界値になったのかな。
P1010871P1010872




 

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ありがたいことに貧乏で(1) 11/28

2013-11-28 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.28(木)曇り

 一滴文庫のパンフレットに、「たった一人の少年に」という水上勉先生の誌がある。
 ぼくはこの村に生まれたけれど、
 十才で京都に出たので
 村の小学校も卒業していない。
 家には電灯もなかったので、本もよめなかった。
とつづく。
P1010824



一滴文庫の中の藁葺屋。水上先生の生家は同じ岡田の谷筋にあると聞いたが、一軒家ではなくて納屋のような所を借りていたと淳さんはおっしゃっている。筋金入りの貧乏である。

 わたしも随分貧乏だったけれど、時代も違うし、水上先生や渡辺淳先生の貧乏には足下にも及ばない。しかも農家の家はみんな同じような貧乏で、貧乏で無い家は勤め人であった。農家でも昔は庄屋でもしていたのだろうか財産家の家もあって、分限者(ぶげんしゃ)と呼んでいた。
 そんなだから電灯も点いていたし、学校にも行けた。小学校の図書室の本は全部読んだ。それは乱読というもので、あまり内容は分かっていなかったように思う。     最も印象に残り、その後の自分に影響を与えただろう読み物は、ジュール・ベルヌの全集だった。十五少年漂流記、八十日間世界一周、地底旅行、月世界旅行、海底二万里など有名な物語である。探検冒険秘密基地など大好きな少年だった。
 本は図書室でなんでも読めたけれど、毎月学校に来る本屋さんから雑誌を購入することは出来なかった。小学何年生とかいう例の雑誌だと思うが、お金持ちの子は毎月購入していたのだ。今から思えばそれだって図書室で読むことが出来るが、子供心にも自分で所有したいという気持ちがあったのだろう。
 どうしても欲しいとなると、どんどん願望は膨らんでくる、遂に親のお金をくすねることとなる。財布のありかは知っていたし、昼間はいつも留守だから簡単なんだけど、こんなにドキドキしたことは無かった。
 本屋さんに注文をして、届いたときには嬉しくて、飛ぶようにして家に向かったが、まずいことに気づく。新しい本が家の中にあったらすぐに怪しまれてしまう、そこで近所の藁小屋で読むことにし、本は藁の中に隠して素知らぬ顔で家に帰る。
 これでばれることはなかったが、ひょんなことで悪事がばれることとなった。
 その顛末は明日につづく。
 なぜこんなことを書くのかって、それはくしくも渡辺淳先生が来じょんされたからである。
P1010864



淳さん今日は体調もよろしいようで、楽しいお話を聞かせていただいた。

【作業日誌 11/28】木こり、玉切り、枝整理
P1010862



これで十日分ぐらいあろうか、もっとも二年先だが、、、。

【今日のじょん】淳さんは上林の紅葉を見に来られたそうだが、あいにく今年は色が悪い、しかも終わりかけで茶色くなり始めている。ところが最近上林の汚い紅葉が好きになり始めた。テレビで流している寺院なんぞに植えられた紅葉にちっとも魅力を感じないのだ。P1010845


このときだけ広葉樹が存在を主張する。 

P1010846

じょんはそんなのカンケーねえ。

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雨読 続・「日本三景の謎」 11/27

2013-11-28 | 雨読

2013.11.27(水)曇り

 二、三章については凝った観光案内のようなもので、「謎」も出てこなければ「謎解き」もない。
 ただ宮島の弥山の「干満岩の謎」は本当の謎である。岩の表面にこぶし大の穴があいており、その水位が潮の満ち引きと連動しているというのである。水は塩分を含んでいるというが真偽のほどは分からない。
 ネット上で塩分濃度や水位のデータを探したが、はっきりしたものは無く、氏の言うように海水であって、潮の干満と連動しているとは言い切れない感じがする。まして「海と干満岩は535メートルのパイプでつながり、海水を吸い上げる仕掛けになっていることになる」という氏の想像は非科学的といわざるを得ない。
 実は同様の干満岩が高知県や姫路市にもあり、姫路市のものは窪みの水たまりが干満により上下するそうだ。となるとこれは海からつながっているというよりは何か他の自然現象が考えられる。わたしは地中深い割れ目に水が溜まり、干潮満潮つまり月の重力で地形が伸び縮みする際に水位を上げたり下げたりするのでは無いかと想像する。Img_5137

 


姫路は高岳神社の北の山の蛤岩という。高知は位置不明、ネットの地図では県道44号線薊野周辺を指しているのだが、書いてある住所は南国市となっており矛盾している。(示している地図は写真の道標の近くで、自転車旅行の際通過したところだ)

  また、第三章で「そもそも、田村麻呂が東北征服を命じられたのは、東北の方位が「鬼門」であり、鬼が出入りするとして忌み嫌われたからだという。」と言うような文章を見て、この著者の歴史に対する認識はどのようなものか疑問に感じる。
 日本三景をめぐる旅の資料としてうんちくを語るには適当な本かも知れないが、歴史や地史を研究する上での資料としては難がある。おわり

【作業日誌 】木こり、伐採

【今日のじょん】じょんはおでんが好きなんだナ、目線はじっと鍋に向かっている。夕べは食い過ぎて吐いてしまった。チュウイチュウイ。P1010855
P1010856

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雨読 「日本三景の謎」 11/26

2013-11-27 | 雨読

2013.11.26(火)曇り

 文庫本なので古本なら安く手に入るが、試しに読んでみようと図書館で借りる。もし内容が面白ければ購入しようかなと思ったが残念ながらつまらなかった。

「日本三景の謎」宮元健次著 祥伝社黄金文庫 醍醐中央図書館借本

P1010859

 

 第一章 天橋立とおとぎばなし伝説
 第二章 武将たちに愛された宮島
 第三章 松島と独眼竜
 という構成で書かれているのだが、内容は圧倒的に第一章が多い。
 この本を読もうとしたきっかけは「天橋立を中心とした自然暦」という目次を見てのことである。それは宮津市日置に於ける自然暦、太陽観測にちょうど関心を持っていたからである。
 序章から一直線に並ぶ古代軍事拠点、という見出で松島、橋立、宮島が直線上に並ぶいわゆるレイライン上の地点であり、しかも橋立から見て松島は60度、宮島は240度のライン上にあり、これぞ自然暦だというのだ。本当にそうなるのか、地図上で確かめてみると、確かにそうなっている。橋立から見て、夏至の日の出は松島方面からあがり、冬至の日の入りは宮島方面となるのだ。
 「はたしてこの配地は偶然の一致だろうか」と宮元氏は書いておられるが、偶然の一致だろう。橋立から松島や宮島が見えるわけでなし、日本三景が近世に出来上がったものとすれば、自然暦としての三カ所が意味があるものとは考えられない。ただ個々の場所において自然暦の跡があったとしてもそれは別個の問題だと思う。
 天橋立、丹後を考える場合伝説やおとぎ話は重要な問題となる。麻呂子親王伝説、徐福伝説、羽衣伝説、かぐや姫伝説そして浦島伝説である。こういった中で聖徳太子、秦河勝の登場は大変興味深い。また、丹後、若狭の水銀と東大寺大仏の関係も納得のいくものだが、いずれも深く掘り下げたものでないのが残念な点である。つづく

【作業日誌 11/26】
じょんシャンプー&水回り掃除
木こり、枝落とし

【今日のじょん】今月のシャンプー日である。いつものように体重測定をすると、18.8Kg、この季節としては適正な体重か。それにしてもよく食べているけどな~
P1010849



シャンプーすると疲れるみたいで、自分で枕持ってきて昼寝してやがる。

 

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マッサン連続小説に 11/25

2013-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.25(月)雨

 連続テレビ小説に登場してほしい人物は、大島高任(おおしまたかとう)、麻田剛立(あさだごうりゅう)である。前者は近代製鉄の立役者であるし、後者は近世の天文学、暦学の先駆者でもあるわけだが、共に歴史の奔流の中で波瀾万丈な人生をおくっている。本来なら大河ドラマで、とも思うわけだがあまりに知名度が低いので無理な注文だろう。
 
Img_1245

 


大島高任の作った橋野高炉は洋式高炉による製鉄の最初の成功例である。
2006.10.17、岩手県の笛吹峠の高炉跡入口通過したが、当時興味が無かったので訪問しなかった。いつか再訪したいところである。ここから1Kmほど。


   そんなことを考えているとき、先日の新聞で2014年9月からの某国営放送の連続テレビ小説のヒロインが91作目にして初めて、外国人女性となるという記事をみつけた。タイトルは「マッサン」というそうで、竹鶴政孝さんが主人公といえば、どこかで聞いたことがあるぞと思われる方も多いだろう。そう、ニッカウヰスキー、余市蒸留所の創業者である。スコットランドに留学、滞在してウィスキーの製造法を身につけて帰国するのだが、その間にジェシー・ロバータ・カウンという女性と結婚することになる。彼女が通称リタであり、朝ドラ初の外国人女性のヒロインということだ。タイトルの「マッサン」というのは彼女が夫を呼んでいた愛称である。
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竹鶴翁、リタハウス、往時の机や夫妻の写真も残っている。

 生家は造り酒屋であり、経済的にも環境の面でも恵まれていたと思われるが、やはり国産の本格的ウィスキーを作り上げるには並々ならぬ苦労と障壁があったと思う。特に先駆者である壽屋(現サントリー)に請われ、山崎蒸留所の設計や稼働をてがけながら、納得のいくウィスキーが作れず、やがて独立して余市に蒸留所を作ることとなる。この辺のところをドラマで見たいと思うのだが、ストーリーはフィクションとして作り替えられるということだから、どこまで史実に忠実に再現されるかは不明である。
 2006年自転車旅行で北海道には2週間滞在したが、当初から予定していた訪問地はこの余市蒸留所であった。もちろんモルトをしっかりいただいて「マッサン」を偲んだわけである。

【今日のじょん】夕べからえらい風が吹いた。ススキの揺れる様を撮ったのだが臨場感が出ない。ススキの穂から種が飛んでいるのだろう、芝生に飛んできてもおかしくないね。P1010847

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食材偽装に思う 11/24

2013-11-25 | 食・レシピ

2013.11.24(日)晴れ

 11月8日に「食品偽装に思う」という記事を書いたが、今回問題になったのはやはり”食材偽装”だろう。
  偽装問題は個々の企業の犯罪というよりは食文化の問題だから、社長やトップが土下座したり退陣したところでなくならない。無くそうとすれば職人である料理人が勇気を持って進言しなければならないと辛辣なことを申し上げた。そんなことをしたら首になってしまうといわれるだろうが、それしかないと思っていたところ、同じ考えが新聞紙上に載った。読売新聞11月19日(火)の社会面で、食品や食材関連で著名な発酵学者、小泉武夫氏の「食材偽装 私の視点」という記事である。タイトルは「料理人の真心が衰退」「根底に食生活の激変」とある。
 

 
私はいつも、「食は心で始まる」と言っているが、その心が失われつつある。真心ではなく邪心だらけで、偽装はその象徴だ。(中略)心で料理をつくり、食べる側も五感を研ぎ澄ませて味わうことを大切にしたい。そうならないと偽装はなくならない。
P1010848


 
 食べる側の問題も提起している。日常の食生活が安易になり、本物の味がわからなくなっているからメニューの言葉に釣られるのだという。
 家庭に於ける食事は確かに安易になり、だしをとることもなくうま味調味料などが普及してきたがこれはやむを得ないことだろう。例えば野菜だって、本物の味を知ろうと思えば、自分で作るしかないだろう。
 そうなると消費者はどうすればいいのか、常々食べている味は実は本来の味ではないと言うことを認識しなければならないという困難なことになる。それでは本来の味はどこで味わえるのかといえば、やはりそれが一流ホテルのレストランか、高級料亭でということになるのだろう。そういった所が偽装をしているのだからもうこれは救いようが無い。食文化は崩壊といえるのだろう。
 連日偽装をしていたレストランや料亭のトップがお詫びをしているニュースが出てくるが、本来の食材を使って本来の味を守っているところもあるはずだから、マスコミもそういう所を取り上げてほしいし、店も名乗り出てほしい。そういう店で本来の味を知れば、家庭での食事も見直せようというものだ。
 古いジョークで、読売新聞の「編集手帳」にもとりあげられていたジョークをご紹介しよう。

客「この店のステーキ肉は、仔牛かね親牛かね?」
ボーイ「お客様は仔牛と親牛の違いがおわかりになるのですか」
客「いや、わからないよ」
ボーイ「それならどちらでもいいじゃないですか」


【今日のじょん】じょんの散歩でいつもオシッコする河原の原っぱに発見する。 17日~20日に芝生物語’13で紹介した、ススキ状の雑草である。周囲はススキの原で芽が出たところからちょいと育ち、大育ち各種揃っている。いや~こいつだ、ススキ状ではなくてススキそのものである。毎日散歩してしていて気づかなかったのが不思議だワン。
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小中大のススキ

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若州一滴文庫・続編 11/23

2013-11-24 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.23(土・祝)曇り

 なぜ一滴文庫なのか、という疑問は以前から持っていたのだけれど、それが由利滴水禅師の命名の由来に関するとは驚いた。
 由利滴水禅師は天竜寺の館長などつとめられた立派な禅僧なのだが、どこかで聞いた名前だなあと思っていたら、白道路村(はそうじむら 現綾部市白道路町)の出身で市史か何かで読んだものと思われる。
 滴水禅師が、備前の曹源寺の儀山善来禅師の下で修行しているとき、風呂に使う水を何気なく捨てたところ、善来禅師にもったいなことをするなと叱られたそうである。
P1010825P1010829


 

庭園の紅葉もイマイチかなあと思っていたら六角堂のガラス窓から眺めたらぐんと引き立った。限られた空間からの景色がいいようだ。

  そのようなことを二度としないよう戒めのために滴水という名を許してもらったということで、なるほど禅宗ならありそうな話だと思うのだが、水上氏の一滴の水に対する思いはただもったいない、粗末にしないというだけのことではないようだ。
 一滴文庫のホームページに水上氏の「一滴の水脈ー儀山善来」という文があり、「もったいないことをするな。朝から日照りで草や木が泣いている声が聞こえなんだかと。なぜ二、三歩歩いて草の根、木の根に水をかけてやらなんだ。まあ、そういうことをおっしゃったんですね」という風に書いてある。
 もったいないという事もあるけれど、草や木の声を聞けという点に水上氏は感動されたようだ。
 そういえば「ものの聲ひとの聲」という本がある。「ものにはものの声がある。人は黙っていてもものを言っている。その語る言葉がわかる人はしあわせである。」
 読んだことは無いのだけど帯にはそのように書いてあって、表紙は本館に掲げてある渡辺淳氏の大きな油絵が飾っている。きっと一滴の水に対する思いが書かれているのだろう。水上氏が渡辺氏の絵を使われたのは、ものの声がわかる人だと思われたからだろう。
P1010828



竹人形文楽の行われるくるま椅子劇場は舞台の背後に竹藪が拡がり、実に見事な配地となっている。いつか見に行きたいものだ。

 六角堂でかけうどんをいただいたり、竹人形を見たりして過ごすが、やはり今日の目的のひとつは水上文学風景写真展である。今年で4回目だそうだが、こういうテーマの写真展は大変ありがたい、水上文学信奉者にとっては堪らない写真ばかりだろう。そして最優秀の渡辺剛氏の伊根の舟屋の写真はさらに感激ものである。剛さんの写真は沢山見せてもらったが、この方には持って生まれた才能というかセンスがあるのだろう。実に素晴らしい、よくぞこの光景が現れたなという思いがする。
 様々な思いをあとに一滴文庫を出る。水上先生が、「読みたくても買えないこどもたちに、、」と言われた時代はすっかり変わって、豊かなそして原発マネーにあふれた町の光景がつづく。その付近には上林に見られる寂れゆく、廃れゆく村の光景はみじんも無い。
 だけど水上作品に共感を覚えるのは、わたしたちの年代の心証の根底に貧困というものが厳然と存在しているのだろう。おわり

【今日のじょん】じょんが吠えるので飛び起きたら、もう朝が明けていた。夜が明けてから吠えるのはサルの襲来しか無い。周囲を見渡し、鳴き声に耳を澄ますが見当たらない。それから一眠りして、本格的に起きてから散歩に出る。じょんが引っ張るので山の中に入っていくと、茂みの中でうごめく音とサルの鳴き声、やっぱりいたんだ。凄いなあじょんの感覚、それは嗅覚か聴覚かそれとも本能的な予感か。画像にはおさめられなかったけど、その感覚に脱帽である。P1010837



向こうの茂みに居たんだけど逃げたあとだった。

 
 

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若州一滴文庫訪問 11/22

2013-11-23 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.22(金) 曇り

 水上文学風景写真展で渡辺剛さんの写真が最優秀賞を受賞され、一滴文庫で展示中というので見に行く。
 一滴文庫がおおいの地にあることは上林に住まいしてから知っていたのだがさしたる興味も無くて訪ねることは無かった。水上勉氏にゆかりの施設であることも知っていたが、「飢餓海峡」しか読んだことのないわたしにとって水上氏に強い関心があるわけでもなかった。
 渡辺淳(すなお)氏にお目にかかって、氏の作品や画文集を見て水上勉氏に関心を抱くこととなった。水上文学の挿絵が渡辺さんの画で描かれていることを聞いて、両氏の共通のモチーフがわかるような気がした。貧困、日本海側の暗くて寒い気候、(これをわたしはウラニシ気候と言ってるのだが、)そして草や木の声を聞くこと、ではないだろうか。
P1010819

 


長谷坂峠を越えた所は台風の影響で未だ一方通行となっている。渡辺淳さんは自転車でこの峠を越えて上林に来られていた。しかもママチャリで。

「飢餓海峡」しか読んでないで何を言うかと叱られそうだが、いかがだろうか。
 予期していなかったのだが一滴文庫では渡辺淳展を開催中だった。(~2014.2.3)特に挿絵となった画が出来上がった本と並んで展示されているのだが、渡辺氏は「足を引っ張った」と謙遜されているが、水上氏の作品には無くてはならない挿絵だと思う。それは多分作品に現れる風景を描かれたのでは無くて、水上氏の表現されようとするモチーフを画にされたのではないだろうか。
 角川文庫の水上作品全冊の表紙を渡辺氏が描いておられる、表紙とタイトルだけで読みたくなるばかりだ。
P1010840

 



  入館すると最初に水上氏のビデオを見ることとなる。「わたしはありがたいことに家が貧乏でしたので、そのことがその後の球根となりました」と言うようなことをおっしゃっており、かみさんが随分気に入ったようだ。貧困たって、現在の貧困とは比べものにならないのだが、何となく共感したのだろう。
 文学にしたって芸術にしたって貧困からは多くのものが生み出されるが、富貴な所からは退廃しか生まれないと思うのは貧者のひがみだろうか。
 水上氏は「生まれた村に小さな図書館を建てて、ぼくと同じように本を読みたくても買えない少年に開放することに決めた。」というようなことでこの文庫をつくられた。
P1010823

若州一滴文庫入り口。 



 70歳を越えたら無料になるので、毎日かよって読みたいななどと少年ではないけれど夢みるほど素晴らしい文庫なのである。つづく

【今日のじょん】今日はじょんも一緒に若狭に遊んだのでありまス。
P1010831

 
 
 
 

こんなに広い芝生があるのだワン。遠くに見えるのが青葉山。(うみんぴあで)

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雨読 「探訪 丹後半島の旅(中)」 11/21 

2013-11-21 | 雨読

2013.11.21(木)曇り

 澤潔氏の著書は「京都北山と丹波高原山旅の蠱惑」に続いて出版されたのが「探訪丹後半島の旅(上中下)」である。そして最後に出版されたのが「西丹波秘境の旅」なのだが、その間に出版された「京都北山を歩く1.2.3」に比して内容的に物足りなさと疑問を感じたので、「雨読」の中でも酷評している。
 ところがこの「探訪丹後半島の旅」は実に素晴らしい内容である。この差はなにかと考えるに、氏の年齢の問題かと思ったのだが、実に本書の発行は71歳の時なのである。「西丹波秘境の旅」が83歳の発行だから、その12年のギャップがあるのかなとも思う。しかしわたしの読解力、特に行間を読む力の無さのために「西丹波秘境の旅」に対する評価が低いのかも知れない。もう一度、いやもう数回「西丹波秘境の旅」を読んでみようと思っている。

「探訪丹後半島の旅(中)」澤潔著 文理閣 1983年12月第一版 綾部図書館借本P1010735

 



 こんな境地にわたしを追い込むほど「探訪丹後半島の旅」は素晴らしい。特にこの(中)版で感じるのはその文章の文学的、情緒的なことである。もともとそうだったのかも知れなくて、わたしが気づかなかっただけかも知れない。
 例えば「付ー丹後半島縦貫林道初乗りの記」の一節を紹介しよう。

 さて、この日、お山の春は下界より一足おそく、林道の両サイドを縁どる厚ものの八重桜は、車窓を去来し一行の白髪に映え感嘆久しくして若やぎの声やまず。嵐気に浄められた薄桃のその花色を眺めていると、なんだか磯砂山の天女の羽衣の上に、腰をおろしているような錯覚を覚えるのである。渓間を覗くと、少し闌けた彼岸桜の花の間に、点綴して鎮もるように咲く白い辛夷(こぶし)の花の風情も捨て難い。

 実はこれは極端な例で、ここまで来るとわたしも食傷気味であったことは確かである。文中に高尚すぎで意味のわからない言葉が登場するのは堪らない。
 しかし随所に文学作品が登場するのは好ましい。長々と引用されていても少しも苦にならない。むしろその本を買って全編を読みたくなるほどだ。対象が丹後だけに水上勉氏の作品も多く登場する。水上氏も澤氏も丹後のウラニシ気候が好きだという。文学作品はフィクションかも知れないが、登場する地域の様相やそこに生きる人々の思いを如実に表しているのは文学作品かも知れない。
 また、随所に蜷川民主府政の功績が紹介されている。もう府民の脳裏から消え去ろうとさえしているのだが、蜷川知事ほど民衆のため府民のために工夫を凝らした納得のいく行政を行った政治家は地方にも国にも居なかったと思うし今後も出てこないだろう。もっとも政治に己の利権だけを求める輩には疎ましい存在だったのだろうけど。P1010562

 


丹後半島の山は深い、その真ん中を丹後半島縦貫林道が走っている。これも蜷川知事の功績だ。


  蜷川氏が力を入れた半島一周道路の経ヶ岬の東のトンネルは白南風(しらばえ)隧道といって、蜷川知事の命名と聞く、何と素晴らしい名前だろう。

【今日のじょん】きょうはおかーが出かけるってんで一時間早く散歩に出た。明るいけれど陽はまだ昇っていない。昨日の写真と比べると何か違う。P1010809

P1010808



 そう、いつも賑やかい鳥たちが一羽も居ないことだ。一時間違いでこんなに違うわけ。
 

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芝生物語’13(4) 11/20

2013-11-20 | 違いのわからん農学士

2013.11.20(水)曇り

 サッチを充分取り除き、砂入れをする。川砂3、真砂土1、それに肥料を入れて撒くのだが、量的には極少ない。大体砂入れの効果というのはよくわからないからだ。水はけの悪いところ、凹んだところに砂を入れるのはよくわかるのだが、ゴルフ場のグリーンのようにびっしりと砂入れをする理由はわからない。従って肥料を混ぜて、生育の悪いところ、傷んでいるところを重点的に入れている。
P1010787P1010788P1010789_2



川砂と真砂土を混ぜ肥料を入れる。スコップで撒く。熊手でならす。終了。

 現在南半分が終了で、約十日間かかっている、あと一週間もすれば芝生広場の秋の整備は終わるだろうけど、問題は来春以降もこれらの作業が続けられるか否かだ。
 今回登場した雑草も完全に駆除したわけでなし、来春には今以上に出てくるかも知れない。ましてやエノコログサやメヒシバなど一年草の雑草どもは今は枯れてしまって姿が見えないが、恐ろしいほどの種子をばらまいているはずだ。タンポポなどもそうだ、それらの種子が来春芽を出して来るとしたら、なんとも恐ろしい気がする。
 要するに完全に対処しようと思えば、専従の爺やを一人雇わなければならないということだ。働いている人なら面倒見切れるのは20㎡と考える。100㎡近い我が家の芝生をどう管理するかが、苦しみでもあり、楽しみでもある。
 きれいになった芝生を眺めるのは随分気持ちがいいし、そこでじょんが走り回ってくれるのはなお楽しい。
P1010806



今朝は白樫の刈りくずが散乱していて走れないワン。

  さて来春の課題だが、苔対策である。今年は苔を掻いてその跡に目砂を入れる段取りにしているが、雪の季節が終わってどうなっているかだ。おそらく苔の発生はまだ無いだろうが、芝が育つかは疑問だ。手っ取り早く張り替えとなるのだろうが、従前通り張り替えても結果は同じであろう。何か対策をしなくてはと考え、砂を入れる、傾斜を付けるなど思いを巡らせているが、どうも苔の生態について理解できていない。
 例えば今朝散歩していて堤防沿いの野芝の所にびっしり苔がはびこっているのを見つけた。よく見る光景なのだが、そこは南向きで水はけも良さそうなのだ。
P1010807



 苔の種類なのか芝の種類なのか、土壌のせいなのか、この冬の課題として苔の生態と対処法を勉強したいと思っている。おわり

【作業日誌 11/20】
じょんのびの木の刈りくず整理
ウッドデッキ塗装終了
P1010805



塗り終わったとたんに霜が降った、正解


【今日のじょん】本文に登場のためお休み

 

 

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芝生物語’13(3) 11/19

2013-11-20 | 違いのわからん農学士

2013.11.19(火)晴れのち曇り

 てなわけでやっかいなクローバーも手間さえかければやっつけられそうな気がしてきた。
 またクローバーと同じ頃に出現してきたのが、ヒメクグである。これは芝生広場よりもドッグランどに発生しており、注意して見ないと芝と見分けがつきにくいものだ。葉がやや黄緑でつやがあり、地下茎は赤っぽい。小さなぼんぼり状の花が着き、種子でも増えるのですこぶる繁殖力が強い。これも一時は絶望的な気がしたが、根気よく地下茎を抜けば退治出来そうだ。
P1010765

 


この黄緑っぽいのがヒメクグ、駆除はさほど困難ではないが繁殖力は強烈

  そして現在の強敵、前回イヌビエかなといったイネ科の草と苔が残った。画像など見ていくと、やっぱりイヌビエではなさそうなんて気になり、ススキ状の雑草としておこう。これが実にやっかいで、一本ずつ対処しなければならないこと、根が深くて抜きづらいこと、根を抜くと穴ぼこだらけになることなど厳しい条件だ。今のところ一部分だけの繁殖なので、とことん抜いて来年の様子を見ようという感じだ。
P1010766

 


ススキ状雑草の根、これをちぎらずに引き抜くのは難しい

  そして苔は芝にとってポピュラーな敵なので対処法もあろうかと思うのだが、数年前からの対処は掻き取って目土を入れるだけのものである。翌年になればしっかり苔が張り、まるで効果が無い。しかもそのたびに芝が減って地肌が増えてくる。
 苔が生えるから芝が減っていくのか、芝の生育が悪いところに苔が生えるのか、なんとも悩ましい関係である。苔が生えているところは、水はけは悪くはないが日当たりは悪い北側である。来春には張り替えの予定だが、多量の砂を入れて更に水はけを良くするとか、野芝を植えるとか考えなくては同じ結果になってしまいそうだ。
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苔の発生部分、北側で樹木のために日当たりが悪い。真ん中の少し元気な部分は昨秋張り替えたところ。

  とまあ次から次へ難題が出てくるのだが、なんとかクリアして維持するのが楽しいのであって、芝の育て甲斐でもあるわけだ。
 雑草処理をして伸びすぎているところは少し刈り込んでサッチ(刈りかす)をしっかり取る。そしていよいよエアレーションである。
 エアレーションとはローンスパイクなどで地面に穴開けをすることだ。これは固まった土をほぐし、通気性を良くすることで芝の生育を助けるものだが、根切り効果もあって芝の分けつが良くなる。
P1010786

 


ローンスパイクには刃が先に出ており、体重をかけて穴あけ、根切りを行う優れもの。

 ローンスパイクは4年前に買ったのだが、実はエアレーションするのは今年が初めてなのだ。何でって、面倒だからよ。まあじょんのびの芝生なんぞ、ゴルフ場じゃあるまいしそんなに踏み固まっていないからよいんでないの。つづく

【作業日誌&今日のじょん 11/19】しまだやさんがじょんのびの木の剪定にやってきた。ガサガサゴソゴソパッチンパッチン音はすれども姿は見えず。首かしげながら見ていたのだが、姿が見えたとたんにワンワンワンワンと大騒ぎ、笑ってしまった。

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おとーは刈りくず始末のお手伝い。
 

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芝生物語’13(2) 11/18

2013-11-19 | 違いのわからん農学士

2013.11.18(月)晴れのち曇り

 前回登場した三角鍬というのは商品名を見ると、両刃鎌と書いてあった。三角鍬の方がわかりやすいのだが、両刃鎌と呼ぶようにしよう。また同じく登場のススキは図鑑などで調べるとどうもイヌビエかなあという気がする。とりあえずイヌビエということにしておこう。
 このイヌビエらしき草と苔が現在芝の大敵となっている。というのは当初から雑草の主役は代替わりしているのだ。
 芝を張った時の大敵はイタドリであり、根付いてない時期にはマットごと持ち上げたり、根付いてからは分厚いマットを突き破って出てくるのだ。もともと芝生広場はイタドリの野原で、整地の際にも根が残っていたものと思われる。とにかくあの木の根のような長大な根を見たら闘争心も萎えてしまう。それでも芽が出てきたら引っこ抜き、起こせる根は起こしていたら3年ほどで芝生広場からは消えてしまった。
Img_0524Img_0650



整地の際に出てきた根っこ、ほとんどがイタドリのもの。(左 2008.4)
張った矢先ににょきにょき伸びてきた。(右 2008.5)

Img_0651Img_0654



エイリアンイタドリ、マットをめくるとこんなに芽が

 次に現れた大敵はスギナである。これは地獄草といわれるほどたちが悪い。駆除のしようが無いのだ。茎がちぎれるので根を引っこ抜くのは不可能だし、根を抜こうと思えばそこいら中を掘り起こさなければならない。スギナというのはつくしんぼうのようにかわいらしいイメージがあるのだが、育つと2,30cmとなり不気味この上ない。このスギナが南側一面にはびこった。出来ることといえば刈り取ることだけだ。一時期は芝刈りをすると出てくる刈りくずは芝よりスギナの方が多かった。
 しかしスギナの許せるところは、刈れば全然目立たないことと芝に悪い影響を与えていないことだ。特段駆除をしていないけれど現在では随分少なくなって気にならないほどだ。
 次の主役はクローバーの類いだ。赤いのと緑のとあるんだが、こいつには絶望的となった。とにかく繁殖力が凄い、葉を摘んだところで地下茎が残って駆除にならない。結局刈り払い機で葉の部分を刈り取るだけの対策となり、蔓延してしまった。
 昨年あたりから強烈にはびこった部分を剥がして植え替えることにした。既に6㎡ぐらいを植え替えているのだが、剥がした際に実に簡単に地下茎を取り除けることを発見する。剥がさなくても芝面を浮かせば駆除できる理屈だ。調べると、フォークで浮かせて手で地下茎を引き抜くという方法が有効だそうだ。
P1010770


 

日当たりの悪い北側は雑草の宝庫、赤いクローバーが主役。

  今回は5本爪の熊手でそうっと表面を掻いて、切れて浮き出た地下茎を手で抜いていく方法をとった。完全に抜くことは出来ないが、結構長い地下茎も抜けるし、とにかく目前のクローバーは無くなる。つづく

【作業日誌 11/18】
薪とり(武吉町)

【今日のじょん】いよいよ寒くなってきた、あちこちで雪のニュースも出始めた。
じょんのいる所は我が家でも一等地で、南向きで日当たりもいい。こんなところでひなたぼっこ出来るなんて最高だぜ。P1010797

すくなかぼちゃじょん。

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芝生物語‘13(1)  11/17 

2013-11-17 | 日記・エッセイ・コラム


2013.11.17(日)晴れ

 今年はドッグランどの整備が多忙で芝生広場の管理がまるで出来なかった。芝刈り機による芝刈りも無し、施肥も無し、除草も無し、やったことといえば草刈り機による芝刈りならぬ草刈りが5回程度か。ただ、夏の暑さに対してスプリンクラーの水やりだけはしっかり行ってきた。
 ドッグランどの目処がついて、改めて芝生を見ると何とも無残に雑草が拡がっている。苔が拡がったり、芝が薄くなって地肌が出ているところも散見される。
 ここではっきり言おう、100㎡もの芝生をきっちり管理しようと思えば、専門の爺やが一人は必要だということだ。しかも我が家のように、除草剤や殺虫剤を使えない場合なおさらである。無農薬だってなにも天然指向になっているわけではない、単にワンちゃんが走り回るからだ。
 一年間放っておいたお詫びに、秋の管理は徹底してやることにする。
 まずどうしようもない状態の部分、2㎡を植え替えする。これは毎秋やっていることで、古い芝はドッグランどに植え付ける。クローバーがびっしり生えて、こりゃあひどいと思った部分を植え替えたが、実はクローバーは最大の敵ではないことが判明した。剥がした芝からは完全に除草できるのである。やはり最大の敵は苔のようである。苔が芝を駆逐するのではなく、苔が生えるような環境が芝の生育に問題なのだと思う。次回からの植え替えは、苔にやられた部分で、植え替えたあとの地の整備が肝心かと思う。
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北側部分は日当たりが悪く、生育が悪いので雑草が元気。
P1010635



剥がした芝はドッグランどに植え替える。


 さて本番の秋の整備だが、最終目標はエアベンチレーションと施肥と砂入れである。
 しかしその前の除草が難題である。やる気が萎えるほどに雑草が生えそろっているのだ。
 いやいや除草を始めると、絶望的に思えていた雑草が工夫次第でなんとか除草でき、実に楽しくなってくる。タンポポを含めて広葉の草は三角鍬を根元の脇に打ち込んで手で抜けば根から抜ける。多いのはタンポポ、アレチノギク、ウラジロチチコグサでウラジロチチコグサなどは一撃で除草できる。
P1010769P1010768


 

ウラジロチチコグサは除草が簡単(左)、ヒメクグ(右)は地下茎が発達しており、完全除去は難しい。

  問題はイネ科の雑草で、エノコログサなどは既に枯れていて、茎を掴んで引き抜けば根から抜けるが、ススキの類いが4㎡ほど拡がってしまい、この処理には参った。値がしっかり張っているので三角鍬でがんがん掘って、根ごと掘り起こす感じだ。葉や茎をもって引いてもちぎれてしまう。芝の中に少し生えているだけのように見えるが、根から掘り起こしたら、その場所の芝は無いに等しくなってしまった。手強い雑草である。つづく
P1010767


この部分にススキがはびこった。根を取ったら穴ぼこだらけになる。


【作業日誌 11/17】
芝生広場1/4、砂入れ完了。
P1010788

これをならして終了。


【今日のじょん】ゆきちゃんはしょっちゅう遊びに来ているが、じょんと遊んだのはお久しぶり。ドッグランでRUNしてくれると嬉しいものだ。
P1010784


ゆきちゃんは体重も軽いが身も軽い。

 

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日置のこと(61) 阿比地神社-5 11/16

2013-11-17 | 上林地名考

2013.11.16(土)晴れ

 「西丹波秘境の旅」(澤潔著)で「幻想あふれる於成平」というタイトルで書かれた文章「夏至の太陽の移りゆく真下あたりに、天火明命を祀る石原の興に鎮座する阿比知神社が云々」と「アヒチ(夏至の太陽が会うところ)」の部分に惹かれて阿毘地神社を調べたが結果は興は日置ではなさそうということとなった。(文章は日置のこと(57)2013.11.12参照)
 なぜなら、長々と書いてきたように元々阿毘地神社は興の地には無くて、観音寺の境内にあったようだからだ。於成平がどこにあるか分からないのだが、地図上では弥仙山から南西240度の方向に現在の阿毘地神社があるのは確かである。
P1010749

 


夏至の朝日はこの方向からあがる、弥仙山が見えるか否かは悪天のため確認できなかった。中央に私市丸山古墳が見える。

  しかしそれ以前に観音寺周辺に存在したとしたら、弥仙山からのラインはやや南に寄ることとなる。従って弥仙山からの冬至の日没のラインをもって興を日置とする澤氏の説は氏ができすぎと言われている偶然の一致と言わざるを得ない。
 また、阿毘地神社の語源についても、澤氏の説よりも志賀剛氏の「アユチ」説の方が妥当性がある。
 興の語源について、斉藤喜一氏は「創作 青い花」(丹波文庫15号)の中でヒオキのヒがとれてオキとなったのではという風に書かれているが、氏は土(つち)も日置だと言っておられ、日置という村の性格上、隣接して存在するとは思えないのである。(土と興は約1.5Km離れている)
 従って両村のいずれかもしくは両方が日置ではないと考えるのである。
 興の語源について、他にも説があるのだろうが未見なので考えてみることにする。
 観音寺村の出戸として新しくおきた村なので興(おき)なのかなと思ったが、単なる語呂合わせのような気がする。
 「丹波志」に興村のことを奥村と書いてあり、江戸時代には興村を奥村と書いたそうである。(福知山市史注)どちらもオキと読んだようだが、興の意味は沖だと思う。ただし、海の沖のような意味ではなくて、海辺とか海寄りの干拓地という意味ととる。(地名の語源 鏡味完二)
 ではなぜこの内陸で海の地名が付くのかというと、それは由良川流域の船運に由来するのだろう。古代から近世に至るまで由良川の船運は物資輸送として重要なウェイトがあっただろう。由良川を遡っていくと津、江、浦などの海に関する地名がいくつも見られる。津だけみても藤津、高津江、常津、天津、秋津、高津など目白押しで、おそらくその多くは重要な寄港地であったのだろう。古代においてはこれら船運は丹後海人あるいはその末裔が担っていたものと思われる。彼らは海で活躍していたと同じように由良川の流域に海の地名を付けていったに違いない。
 そう考えると興はちょうど海辺、海寄りの干拓地という意味にぴったりではないか。そしてその興の沖に戸田の浦嶋神社があるのもうなずける事なのである。
おわりP1010214


この向こうに浦嶋神社があるのだが、台風の爪痕が酷くて行けなかった。(2013.9.17)


【作業日誌 11/16】
薪拾い、武吉町
芝生草抜き(九日目)西半分、砂入れ準備

【今日のじょん】ゲンタが来じょん、出せ出せとの催促、しゃーないなあ出したろかとなると大はしゃぎで部屋中走り回る。そうこうしているうちにモモ姉さんも来て、いやはやよく遊びました。P1010780

 
おやつの時間ですよ~ 
 

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