晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大野 3/30

2011-03-31 | 歴史・民俗

2011.3.30(水)晴れ

 三和町大原の大原神社が元々鎮座していたのは、桑田郡野々村庄樫木原村(現南丹市美山町樫原)である。樫原を含め向山、小淵、肱谷、音海、三埜、萱野、大野
の八ヶ村が合併して昭和30年まで北桑田郡大野村であった。大野ダムのダム湖を取り囲む村々である。樫原の大原谷が決して広い原でないと同様、大野地区も大きな野原とは言えない。
 京北の山国にも大野がある。桜で有名な常照皇寺の南が京北大野町だが、旧の大野村はもっと広域の地域のようだ。いずれにしても大堰川上流域の山間の村である。
 丹後の大野は京丹後市大宮町に口大野、奥大野とある。ここは平安期には大野郷として見え、歴史のあるところのようだ。自動車でも自転車でも走ったことがあるが、内陸とはいえ広い感じのするところである。亀岡市東別院町にも大野がある。関西カントリーの東に当たる地域で、曽我谷川上流に位置して、ここも山間の村落である。
 丹波丹後の主な大野は上記のものだが、小字となるとどうだろう。
と書いて、綾部市を調べてみたら、大迫、大谷、大畑は沢山あるが、大野は上八田町に見つかっただけである。実は大野地名に興味を持ったのは、別所地名あるいはユリ地名について綾部市の小字を探っているとき、星原町におお野という地名を見つけたのが最初である。星原町には星宮神社というのもあり、とても魅力的な興味深い町なのだが、その最奥に別所がある。その手前におお野があり、向かいに岼﨑、岼蔭という小字がある。別所についてもユリについても既に書いてきたところだが、これほど研究対象になる地名が揃っているところは珍しい。おお野はグーグル地図で見ると「おお野」と書いてあり、大野ではないところが不思議な感がした。もちろん大きな野原ではなく尾根の末端のようなところである。これは古代の産鉄族オオ氏にかかわる地名かもと思い、「東国の古代 産鉄族オオ氏の軌跡」(柴田弘武著)を読んでみるが(2010.8.20参照)それらしいヒントは出てこない。角川日本地名大辞典で小字一覧を見てみると苧野というのがある。どうもこれがおお野らしい。苧とは麻の一種でからむしというそうだ。古くは布や縄となったそうだから、単純にそれがとれたところなのかも知れない。つづく
 オオ、オウの地名を追っているが、大津はこの地名が集まっている。近江、大津、逢坂、皇子山、大谷、粟津、大萱などなど、個別に由来を調べたらおもしろそう。Img_2572 Img_2574
 
春霞に霞む三上山と比良山系、ともに古代産鉄の地である。(大津なぎさ公園から)


今日のじょん:今日は久々に長いお留守番をいたしたじょん君、さぞかし淋しかったろうと思いきや、さっきまで寝てたような顔でお出迎えとなった。うーむ。

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何か変だぞ 3/29

2011-03-30 | 日記・エッセイ・コラム

2011.3.29(火)晴れ後曇

 私たちの年代は戦争を知らない年代である。しかし生きている間に二つの大きな地震災害を経験した。阪神淡路の震災は最大のものと思ったが、今回の震災ははるかにそれを上回っている。それ以外の震災も鳥取、新潟、北海道、伊豆や長野でもあったなあと思い出す。震災以外にも火山の爆発や水害など災害のない年はなく、日本という国はなんと災害の多い国だなあと思うのである。そんなことは分かり切ったことなんだから、いざというときのために国は貯えをしておき、一地方が壊滅状態になったとしても備えで賄えるようにすべきなのではないだろうか。それなのに国が儲かったときはぱかぱかとわけの解らんものに無駄遣いをし、いざとなったら何も貯えはないというのが現状である。調子よく無駄遣いをしている時が自民党政権で、いざ大惨事と言うときは他の政党党首が首相となっている。私は地元選出の谷垣氏が「こんな時だから一肌脱ぎましょう」と言っても良かったのでは無いかと思っている。今は国家の一大事だという認識が欲しい。
Img_3589Img_0358 
左:普賢岳の噴火で千本木地区は火砕流に埋まった。(普賢岳爆発1991年)
右:中越地震で山古志村は孤立、この道路は2年後に開通した。(中越地震2004年10月)

 統一地方選で綾部市では、府会議員の選挙を目前としている。連日各候補予定者の宣伝カーが街宣しているのだが、今回の震災に対する姿勢、政策を語る候補予定者はいまだにいない。お決まりの宣伝文句だけで街宣されても不信感がつのるばかりである。
 被災していない西日本のやるべきことは何だろう。「今あなたに出来る最も有効なことは義援金を送ることである」ラジオのアナウンサーが言っていた言葉が気にかかる。違うだろう。
 これだけ大きな災害の補償と復興資金は国家が賄うのだろうが、貯えがない以上被災していない地域の税や国債に頼るわけである。頑張るべきは被災していない地方の人間なのだ。そうでなくても支援物資や被災地が生産していた物資の生産で西日本は大わらわとなっている。フル操業して大儲けして、思いっきり税金を払うことが被災地を救うことである。義援金は眼に見える、タレントの某が何億円、大企業が何億円というのは頼もしい。しかし被災地を救い、復興させるために我々が出来る最も有効なことは、元気を出して経済活動にいそしむということではないだろうか。私が府会議員候補なら、こういう街宣をする。
 綾部山家の桜祭りが中止となったそうである。新聞では「震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表するため」とあった。福知山の同様の祭りも中止になったと聞く。いかにも丹波人らしい考え方だとは思うが、誠に残念である。前述の考え方をすると、おおいに働いて、おおいにリラクゼーションをすることが最善なんだが。
丹波の一地方で「哀悼の意を表して」一体誰が喜ぶだろう。それならば、祭りの収益金を寄付するなり、祭りで義援金を募る方がよほど被災地のためになろう。京都府に避難している人を招待してもいいだろう。こんな時だからこそ、元気に頑張らにゃあ。
 元気の出る駄洒落を一発。
「東京電力は被害の補償をするんかなあ」「そりゃー、とうでんやで」
「連舫さんは都知事選に出るんかなあ」「れんほうがええで」


【作業日誌 3/29】
木樵7回目
引地谷にも雪で倒れた木を貰いに行った。この木何の木?Img_2571




 今日のじょん:かみさんが犬のアイコンタクトなどについて研究している先生の番組見てえらい感心している。犬は人間の目線を見て行動するんだって、、、。なるほどと思うことがいくつかあるが、眼を見て行動することもあるが、眼で訴えることもある。散歩の時、自分が行きたいところがあると、立ち止まって眼で訴えるのだ。そういうときはできるだけ従ってやるようにしてるんだけど、、、、。Img_2544


この目は何を訴えているでしょう?


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ガーデンシェッド(20) 3/28

2011-03-28 | DIY

2011.3.28(月)快晴

 余すところ、床の蓋、雨樋、フラワーポット、ドアの飾り、仕上げ塗装、ドア枠上部の隙間埋め、コーキング、太陽電池の台つくりを残すところである。予定になかったのが雨樋である。屋根から垂れ流しにしておこうと思っていたのだが、雨の時はともかく融雪時にはのべつ幕無し水が垂れて、出入りに支障があるとともに小屋の下部がびしょびしょになるのだ。これは防腐という意味でも汚れを無くす意味でも樋を付けなければということになった。ところが予算がオーバーしているものだからこれ以上購入は出来ない。やむなく竹を切ってきて樋にするが、洋風の建物に和風の竹はどうも似合わない。そのうえバーナーで油抜きしたところが、斑状に茶色くなってどーしようもなくみっともなくなってきた。1×4材で作った樋受けを塗装したついでに、同色で塗ってしまう。うーむなんとも言えない奇妙な感じになってきた。まあ、取り替えはいつでもきくし、村上さんにでも見て貰って意見を聞くことにしよう。Img_2478
Img_2569 竹塗ったけどどーかなあ?

 

もう一つ予定外なのが、ドア枠の上部の隙間である。当初は簡単に板を打ち付けてと考えていたのだが、通気と明かり採りの意味でアクリル板の扉にしようかなと迷っている。となると細かい仕事なのでまた一週間ほどかかってしまう。この際納得いくようにやってしまうかな。Img_2566

外からは見えないがドア枠の上部に高さ50mmほどの隙間がある。
肉球のワンポイント可愛いでしょ。


 てなわけで今日の仕事は、床の蓋完成、雨樋塗装、飾り物塗装である。床の蓋は小屋を見た人がいつも疑問に思われるようで、種明かしをしよう。写真のように浄化槽のジョイントがあり、年に一度ほど点検、掃除が必要だそうだ。床下収納庫ではないので念のため。Img_2568





 今日のじょん:いつものことながらそこらじゅう臭いで廻っておりやす。今日は特に念入りなので、昨日ジロやんが来たからかなあ。Img_2565  

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大唐内のこと(43) 鬼伝説

2011-03-28 | 歴史・民俗

2011.3.27(日)晴

 八岐大蛇は八つの頭があり、蜘蛛は八本の足がある。金属伝承には”八”がからんでいるという。これが製鉄の民「ヤ族」に関係するのかというのが「や神さま」の考察の始まりであったのだが、京北町に大鹿退治の伝説があるのを見つけた。
 甲賀三郎兼家にまつわる伝説で、八丁山に棲む八つの頭を持った大鹿を弓矢で退治するというものである。弓矢の準備をしたところが弓削、矢谷、鎧に着替えたところが衣掛坂などと地名由来となっている、もちろんこれらは付会であるが、、、。
 甲賀三郎兼家伝説とは元々信濃の諏訪明神の本地譚として語り継がれたものと言われている。(「山民と海人」)各地に共通の説話が多く、兄二人の悪意によって深い穴に落ち、何年も地底の国を遍歴する、やがて大蛇となって戻るが元の姿に立ち返り神となって祭られるというものである。鹿討の名人であるというところが京北の伝説となった所以だと思われるが、美山町の鶴ヶ岡にも同様の伝説があると聞く。
 鶴ヶ岡の伝説は確認していないが、あるとしたら弓削、鶴ヶ岡、古屋、草壁と続く京街道沿いの共通した伝説かもしれない。Img_3108

君尾山の麓の山内から草壁、古屋、頭巾山を望む。有安は左端あたり、山の向こうが鶴ヶ岡である。


 主人公は甲賀三郎兼家と藤元善右衛門と人物こそ違え、弓の名人ということは共通している。蜘蛛は八本足、大鹿は八つの頭があり、有安にや神さまがあり、下弓削には矢谷がある。藤姓、藤地名について以前に書いたが、この甲賀三郎伝説には地底の国に下りるところなどにやたら藤蔓が登場する。そしてこれは私の考えだがどちらも産鉄あるいは鉱山に関係がありそうだということである。
 海人族、ヤ族、藤元善右衛門、高句麗、聖徳太子についていまひとつ調査研究しないと見えてこない部分もあるのだが、大唐内大蜘蛛退治伝説に対する私の想像の現在時点での結論を紹介して鬼伝説シリーズを締めくくりたい。もちろん新たな発見もあろうかと思うので順次続いてゆくことは間違いない。つづく

【作業日誌 3/27】
ガーデンシェッド壁面ワンポイント等
薪片付けImg_2567

ヤーダさんにいただいた杉と檜の薪を片付ける。焚き付けにいいか。



 今日のじょん:久々にジロやんが来た。
「ドッグランができたら、じょんのび運動会をするで。短距離はじょんが一等賞やナア。持久走はチコが強そうやで」
「ジローはパン食い競争やナア」、、、、、で大笑い。Img_2561

 

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大唐内のこと(42) 鬼伝説 3/26

2011-03-27 | 歴史・民俗

2011.3.26(土)雪、曇

 君尾山光明寺は寺伝によると推古天皇七年(599年)聖徳太子によって建立されたとある。(綾部市史上巻)その仁王門が国宝に指定されており、有名な寺院であるが、聖徳太子の建立、あるいはその年代が史実であるとしたら、なぜその時代に上林なのかという大きな疑問が沸いてくる。仏教が伝来して半世紀あまり、この地に寺院を建立するということは単に信仰上の問題ではなく、政治的に重要な理由があろうことは想像が付く。Img_0943
 
念道橋から光明寺が見える。思わず念仏を唱えるので念道というという言い伝えもある。(2010、7月の写真)


 亡くなられた土井さんは「聖徳太子は上林で生まれたんやないやろか」とおっしゃっておられた。母方が丹後の間人(たいざ)に所縁があること、君尾山光明寺の建立などがそのような想像を生むのだろうが、残念ながらそのようなことはないようだ。ただ、大唐内の聖神社のあるところをマヤゴといい、”馬屋児”だったら事件だなあと思った。聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれていたからだ。上林が誕生の地では無かったとしても、それに匹敵する関係があったとしてもおかしくない。
 ここで大唐内の大蜘蛛退治伝説からたどり着いた私の想像は、大蜘蛛退治→藤元善右衛門→や神→ヤ族→高句麗ときた。ところがこの高句麗と聖徳太子が深く因縁があることが解ってきた。しかもこの高句麗の渡来系の民は産鉄の民であるという。このあたりの事情については今少し調査学習して御紹介したい。
 有安、草壁は光明寺と眼と鼻の先である、高句麗→産鉄技術者集団→飛鳥文化→聖徳太子→君尾山光明寺という図式が成り立つとしたら、大蜘蛛退治伝説は単なる一地方の物語に終わらない。つづく
(大唐内のこと(41)は2011.3.4)
【作業日誌 3/26】
薪割り、玉切り

今日のじょん:またしても雪が降った。といってもうっすら雪化粧という感じで、なごり雪の歌詞が浮かぶ程度である。じょん君はすこぶる元気で、最近はぽんぽこジャンプに凝っている。Img_25581


ぽんぽこジャーンプ。

 

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木樵 3/25

2011-03-26 | 日記・エッセイ・コラム

2011.3.25(金)曇

 今日も木を切り出しに山に行く。昨年に切り倒している櫟の大木を軽トラに乗るサイズに切って林道まで出す。傾斜のあるところはうまく行けば蹴飛ばすだけで林道まで転がるが、大抵の場合は出すのに苦労する。手ではびくとも動かないのでテコとコロをうまく利用する。3年目となると鳶の使い方もうまくなってきて、それなりに扱えるようになってきた。我が家の庭に置いてある丸太を見ていただいたら、これが重機にもウィンチにも頼らずに人力だけで運んだとは思えないだろう。
 積み込みも荷下ろしも慣れて来てスムーズに行くようになった。あと大木が4,5本残っているのだが、出しにくいところなので木馬道(きんまみち)など工夫してみようかなと思っている。Img_2554

4日間で運び出したクヌギ、これで3月分ぐらいかな。


 上達しているのがチエンソーの使い方である。危険な道具であると同時にこれほど便利な道具はない。安全にという考えが第一で、慣れてきたころが一番危険と戒めている。切断していないときは必ずブレーキを掛ける。バーの上に顔を持っていかないなど基本的なことなんだが、慣れてきたときに手を抜いてしまう。常に基本的な注意点を守ることが大切である。一番気をつけていることは、切り終わるときに木の動作をしっかり見極め、切り落とした木や元の木がどういう状態になるか見極めてからチエンソーを作動させることである。えーいと行ってしまうとキックバックを起こしたり、材木が自分の方に転がってきたり、あるいは割れてはねてしまったり、すこぶる危険である。先日宇野さんに楔の使い方を教えて貰った。楔は当初から持っていたが、チエンバーが咬んでしまった時などに使っていただけで、切断そのものにはあまり使っていなかった。これがすこぶる有効で、安全に効率よく作業出来るので気に入っている。Img_2553
 
今日もってった道具類。


 もう一つ、ソーチエンの研ぎ方がうまくなってきたことだ。当初は専門の研ぎ屋さんで研いで貰っていたが、たびたび研ぐわけに行かず、怪しげな研ぎ器を購入してやったのが間違い、チエンは減るばかりで一向に切れない。これも宇野さんに教えて貰って手で研いだら、なかなかの切れ味、切れると山仕事が楽しくなる。ここは一番平ヤスリも揃えて極めてやろうかという気にもなる。また、小道具も手作りで出来そうで、これも楽しみ。
 そして今回ロッククライミングのハーネスを使ったのが、これまた大正解。なにしろ楔、ハンマ(ロックハンマ)、鉈、鋸など沢山の道具を持ち運ぶためにはこれが一番である。山道具で置いておけば良かったと悔やむのが、ヘルメット、背負子、アイゼン。置いてあって役立つのが、ザイル、カラビナ、テープ、ヒラリカン、アイスピトン、そしてハーネス、ロックハンマである。ビレイシートも何か役立ちそう。まあ、おっくうな山仕事もこうやって楽しめばいいし、やっぱり薪ストーブを楽しむためには、木の切り出しからやらくっちゃ。

【作業日誌 3/25】
木樵7回目
薪割り

今日のじょん:部屋の中を自由に動けるようにして、風に対する恐怖心はやわらいだようだが、無垢の床板が傷だらけになるのはちとつらい。Img_2545

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ガーデンシェッド(19) 3/24

2011-03-24 | DIY

2011.3.24(木)晴

 今日の作業はドア枠の完成、内装、空気取り入れ口完成、フラワーポット掛け作りなどである。ドアについては最も苦労した部分であり、今後の製作にとっても参考とすべきなので後日まとめて書き留めておきたい。あと塗装仕上げと飾り物が取り付けられれば完成なので、その時に御紹介したい。
 内装はほとんど完成なのだが、ドアの上部の空間をどのように埋めるか考え中である。空気取り入れ口は換気扇に対応するもので、室内は基本的に密封構造となっている。湿度は朝の状態で80%、晴天時昼間は60%となっている。換気扇はソーラータイプなので晴れているときしか稼働しないのだが、乾燥した空気を取り入れると言う意味では良いのかなと思っている。Img_2549
Img_2548
空気取り入れ口は雨が降り込まないよう90度開閉とした。
ドアの外枠に杉板の釘隠を取り付ける。


コンセプト
 (3)装飾性
 立地している北側の壁面は洗い場、浄化槽ポンプ、ゴミ箱、ヒートポンプ給湯器、エアコン室外機が犬走りの上に並んでおりなんとも無愛想な景色となっている。将来的に北側の広場にはキャンプをしたりバーベキューをしたりできるスペースを作りたいと思っているのだが、この北面の壁はどこからも眼に入る。なんとかおしゃれな構造物が欲しいと思ったので必要以上に装飾性を重要視した。空気取り入れ口、小窓、ドアの飾り窓は白と緑でアクセントを付け、明かり取りもかねたので室内は結構明るい。窓以外にもフラワーポット、壁面アクセントドアの飾り物など現在は取り付けていないが最終的に取り付けたら紹介しよう。また、前面に柱材を埋め込んだのは実用をかねた装飾でもある。壁面も下部のみ杉板張りで上部はOSB合板むき出しとする予定だったが、見栄えを考えると前面杉板張りがよかろうと、変更した。
 (4)リーズナブルに
 あるものを使って出来るだけ安く作ることに心がけた。例えば土台の柱や前面に敷いた柱は廃材を貰ってきたもの、セメント、砂利、砂、塗料、建築用板材、アクリル板などは既にあるもの、あるいは貰ってきたものである。購入のものでも売れ残りの2×4材を安くして貰ったり、百均で間に合うものは間に合わせた。それでも予算の3万円はオーバーし4万円前後となっている。総てを購入していたら6万円ぐらいかかっていそうだ。Img_1987
 
製材所を取り壊すってんでしこたま貰ってきた建材。(2010.12)


(5)工具を使いこなすことと新たな作業を憶えること。
 溝切り、ほぞ切り、面取りなどいままでしたことのない作業を、使ったことのない工具で作ることとなった。トリマーのビットや電気カンナなど購入したが、ジグソー、糸鋸などと共に大活躍した。Img_2229

例えばこれトリマーのテンプレート、3年前に買って初めて使った。


 様々な便利な建材など販売しているが、大抵のものは木で自作ることが出来、安あがりで且つ楽しい。次の目標、玄関前室造りに大変参考となり、勉強になった。つづく

【作業日誌 3/24】
ガーデンシェッド、本文に記載済み
薪割り

今日のじょん:じょんとの散歩は恰好の宝探しである。ボテ箱2杯にもなってる磁鉄鉱や耳石、土師器などの土器も散歩時の発見である。最終的に見つけたいものは鉄滓と高師小僧である。今朝はイノシシの堀痕から妙な石を発見した。一瞬鉄滓かなと思ったが、どうも鉱物らしい。もちろん磁石には反応する。Img_2547


くっついてるのはネオジウム磁石、いかにも金糞という形状だが、、、。Img_2551


じょん君は水呑んでおりやす。


  

 

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ガーデンシェッド(18) 3/23 

2011-03-23 | DIY

2011.3.23(水)快晴

 完成が近づいてくると、早くやってしまいたいという気持とうらはらに、もう作業が無くなるのかという寂しさも沸いてくる。しかし次の作業がわんさかと待っているので悠長なことも言ってられない。今日は敷石ならぬ敷き木を敷く。本当は枕木を敷きたいのだが、高価で手に入らないので廃材の柱に防腐剤を塗って間に合わす。廃材は貰ってきたもの、防腐剤、かすがい、砂などはあり合わせのものを使ったので、経費としてはゼロである。ついでにドア止めの丸太を立て、アオリ止めを取り付ける。風が強いこの地ではこういうものが必須である。Img_2540 Img_2542

廃材の柱に防腐剤を塗って、かすがいで止める。杉丸太を埋め込みアオリ止めを付ける。強風対策。


 18回連載してきたガーデンシェッドも終わりに近づいてきたので作製の目的、コンセプト、工夫点、失敗例、経費などを順次書いておこう。
1.目的
 園芸部長のかみさんが体を壊し、入院してしまった。菊を残して花卉類はシーズンオフだったが、退院後元気にガーデニングに復帰できるよう、退院時のプレゼントとして作り始めた。結局退院後5ヶ月を経過しても完成していないのだが、彼女へのプレゼントであることに変わりない。Img_1453 Img_1888

当初の予定地と現在地


2.コンセプト
 (1)収納性
 ガーデニングとはおそろしく用具の多いものである。鍬、鎌、スコップ、草引き用具などガーデンに使用するもの、ホースリール、ジョウロ、バケツなど水関係、プランター、鉢、育苗床など容器関係、殺虫剤、防虫剤、忌避剤、殺菌剤など薬品関係、剪定鋏、植木鋏、高枝鋏、バリカンなど剪定用具、芝刈り機、ローンスパイクなど芝用品などきりがない。帽子、手袋、長靴など身につけるもの、草刈り機、専用土、肥料なども片付けたい。さすがに土、肥料、芝の目土などは別保管することにした。これだけのものを収納するには相当の大きさがいる。当初南側の窓の下に作る予定だったが、面積、高さとも制限があるので、北側にすることにした。
 (2)風、雪、湿気対策
 DIYの雑誌などに載ってるガーデンシェッドなどは温暖で自然条件の良好な地域を対象としているようだ。当地では特に春先にもの凄い突風が吹き荒れるし、冬は6,70cmの積雪がある。従ってしっかりアンカーをとった基礎、土台が必要だし屋根材も積雪に耐えるものが要る。湿気は相当高く、現在朝の湿度は80%台である。保管用具のカビや変質を避けるため常時作動のソーラー換気扇を設け、空気取り入れ口を設けて空気の循環を心がけた。また部材は外気にさらされるものはすべて防腐剤やペンキを塗装した。つづく

【作業日誌 3/23

ガーデンシェッド外回り
薪割り、昨年切り出し分あと3玉

今日のじょん:かみさんは夕方の散歩時、ほぼ完成したガーデンシェッドにじょんを入れようとしているが怖がって入らない。なぜ、無理に入れようとするのか聞いたら、地震で家が壊れたらここに住まわせるということだ。家が壊れる前にガーデンシェッドが壊れると思うけど、、、、。Img_2506


犬小屋にしてはチトでかくねいかい。(3/14現)


 
 

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ガーデンシェッド(17) 3/22

2011-03-22 | DIY

  2011.3.22(火)曇

 そろそろ完成が近づいてきた。3月中には完成したい、なにしろ昨年の10月から5ヶ月の月日がたっている。2週間ぐらいで出来るだろうというのが、この月日がかかり、3万円の予算でというのがもう4万円を超えている。あり合わせのもので作っているので、総てを購入していたら6万円ぐらいにはなろうか。経費については最後にまとめたいと思っている。2月16日以降の作業日は21日で、3日に2日のペースで作業しているが、もちろん店の合間なので一日中作業することはない。特に3月に入ってからは休みの日は木樵にいってるので、なかなか進まない。
 この間の作業は、内装(棚やフックなど)、センサライト取り付け、ソーラー換気扇取り付け、外壁化粧板仕上げ、ドア枠の調整、雨樋作製、敷き柱作製(枕木代わり)及びその付属作業である。写真で紹介しよう。Img_2430
Img_2431

大棚は圧迫感がないよう丸くした、小棚は薬剤置き場。


Img_2471Img_2478_2
 
雨雪の雫が堪らないので、青竹で雨樋を作る。色が落ちてみっともないので思案中。

Img_2505Img_2504   

フック類とセンサライト、換気扇はソーラーで稼働。


百均で温湿計を買ってきて取り付ける。温度はともかく、湿度は80~90%でかなり高い。種などの保管は無理な気がする。梅干しや漬け物なども置きたいがいかがなものか。北側にあるので西日しか当たらない、カビや腐蝕が心配。

【作業日誌 3/22】
木樵Img_2538

今日で4回目、段々増えてきた。


今日のじょん:明日はじょんのび村入植記念日。3年前の陰気な日だったが、梅の花だけは今日みたいに咲いていたなあ。もっともその頃じょんは信太の森で生まれたばっかしだったのだ。Img_2537

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猿のお泊まり 3/21

2011-03-22 | 日記・エッセイ・コラム

2011.3.21(月)雨

 2月19日の記事で猿が出没し夜中まで騒いだということを書いた。そして翌朝朝早くから騒いでいたのだ。猿は昼行性の動物で、昼間しか行動しないというのは常識である。出没しても追いかけると山中に逃げ込み、日没には必ずどこかに消えるものと思っていた。ところが夕方になってもしつこくうろついていて何か変だなと思っていた。それでも陽が落ちると静かになった。10時過ぎ風呂に入っていると山側でガサガサという音とともに多分小猿だろう、独特の鳴き声がする。慌てて服を着て飛び出し、暗闇の中を懐中電灯で追う。それで静かにはなったのだが、驚いたのは翌朝である。庭の桐の木にわんさかと猿がたかっている。つまり彼らは我が家の上の林で夜を明かしたようだ。これは初めての体験であり、且つまた不可解なことである。猿というのはどこかに巣があり、夜はそこに帰るものと思っていた。
 猿軍団は月一回ペースで現れる。これは地域を順繰りに廻っているわけだ。魚の回遊みたいなもんだ。そうなると巣があるというのはおかしい、群れで野営するのかなあと想像していた。地元のお客さまが来られたときにその話をしていたら、「猿のお泊まりゆうんやで」ということだった。幼稚園児じゃあるまいし、お泊まりがあるとは恐れ入った、やはりやつらは野営するのだ。Img_2386
 
ここで軍団が野営した。


 考えてみるに猿どもとて危険な場所には野営はしないはずである。皆が安心して眠れるところにするはずだ。となると、我が家の上の林は彼らにとって安心な場所なのだろうか。猿の被害を防ぐ最善の方法は、その場所が猿にとって危険な場所と悟らせることだそうだ。野菜畑に出没した場合などに、徹底的に花火などで脅して追い、「ここはやばいぞ」と思わせることが肝要である。
 我が家の上の林が安心な地域と思われた日にはこちとら浮かばれない。なんとかやつらが怖がる方法を考えなければならない。それにしても我々は猿について知らなすぎる。イノシシ、シカ、アライグマ、アナグマ、テン、ヌートリア、イタチなど獣害はますます激しくなるが、今後最も深刻となるのは猿被害だと思う。それは駆除がしにくいことと賢いことである。やはり猿の生態について我々が熟知しないといけない。ここに「サル学の現在」というおそろしく高くて分厚いほんがある。ひょんなことで我が家にあるのだが、未だに読んでいない。そろそろ勉強すべしかな。Img_2539




 今日のじょん:風恐怖症のせいで居間中がじょんのテリトリーとなった。部屋を汚したり、ものを食べたりするわけでないのでまあいいかということになっている。お客さまも直接面とむかうので、吠えられてびっくりしたり、犬好きのお客さまには喜んでもらえたりしている。Img_2533


「おーい、めしまだか~」と言ってるところ。


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大原(3) 3/20

2011-03-21 | 歴史・民俗

2011.3.20(日)曇

 2月2日の京都新聞に「ふる里の呼び名」という連載記事があり、福知山市堀の蛇ヶ端(じゃがはな)についての伝説が載っていた。蛇ヶ端は福知山市街の東の入口的な地域で、由良川、土師川の合流地点の西側に拡がる地域である。私が高校時代小遣いが貯まると福高から歩いて蛇ヶ端を通り福知山の新町商店街に急いだ。本屋さんやレコード店に行くためだ。蛇ヶ端は今でこそ新しい店が建ち並び、新進の街という感じだがその当時は一部工場などがあるだけで、寂しいところだった。Img_0285 
 
土師川の向こう岸が蛇ヶ端。


 さてその伝説とは、大原の大蛇退治伝説である。時は応仁年間(1467~68年)というから伝説にしては具体的だ。大原の奥に妖怪が出るというので大江の若武者が駆けつけると、妖怪は大蛇であった。弓矢で退治したのだが、その一の矢を放ったのが、大原神社北の蛇ヶ谷で二の矢が蛇ヶ端だというものである。蛇ヶ端には大蛇の髭が落ちており、「蛇の髭」として大原神社に保存されている。この髭というのは1.4mの長さがあり、表面が棘に覆われているという。もちろん蛇に髭があろうはずもなく、何かの別物だろうが、大原神社には民俗学的に興味ある伝説、俗説、付会の説、慣習などが多いと福知山市史にも記されている。Img_2536
 
村上さんにもらった大蛇伝説の切り抜き。


 蛇、特に大蛇伝説は八岐大蛇伝説をはじめ、比良の小女郎ヶ池伝説など金属、産鉄にからむものが多い。大原の大蛇伝説について考察する資料を持たないので何とも言えないが、蛇ヶ谷が何鹿郡和木村(現綾部市和木町)からの出戸であるという(角川日本地名大辞典)のが気にかかる。出戸というのがどういう意味か確認できていないが、和木村から移り住んだとか和木村から山を越えて耕作していたとかの意味だろうか。
 大原神社が野々村庄堅木原村(美山町樫原)から遷宮したとか、蛇ヶ谷が和木村の出戸であったとか、大原が土師川支流の川合川下流地域よりも峠越えの由良川地域と深いつながりがあったのではないかと考える。つづく

【作業日誌 3/20】
ガーデンシェッドドア枠調整

今日のじょん:今日はじょんの三歳の誕生日である。昨年はマーブルママと一緒に飲みに行ったり、ケーキにロウソク灯して祝ったりしたが、今年は緊縮財政のため特別なことは止めて、ちょっとおいしい晩ご飯にして祝った。おめでとー。Img_2534

お気に入りのヒョウ柄のマットは早く買った誕プレである。 

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椎茸を植菌する 3/19

2011-03-20 | 違いのわからん農学士

2011.3.19(土)快晴

 春らしく暖かく快晴の日和となった。15日に9本の原木に椎茸菌を植菌したが、少し木が余っていたので、再度100駒入りのものを買ってきた。前回のは250駒で9本の原木に植え込んだのだがコメリで780円、今回は100駒でジュンテンドーで448円と割高である。というのは原木に穴を開けるキリをコーナンで以前に買ったのだが、これが森産業種駒専用キリというので あって径が9.2mmなのである。ところがコメリで買った駒は径が小さく、打ち込まないでも指でスポンと入るのだ。幸い抜け落ちるほどではなかったのだが、そういうものってサイズを統一しとけよなあと思うのである。今日打ち込んだのは森産業の種駒で径は合っているのだが、値段が高いのが気にくわない。それでも何となく上等で美味しそうなのでまあいいかという感じだ。Img_2530

左のが上等そうだろ。


 気になるのは原木の状態で、3年前に澤田さんに頂いた原木は見るからに立派な原木で太さも樹皮の状態も最高のものであった。ところが今回は自分で木ってきたもので、樹皮は痛んでいるわ、太さはないわ、苔は生えているわでどうも怪しい。Img_2527
Img_2528
左が今回のホダ木、右は3年前植えたもの。


 人によってはそんなの問題ないという意見だが、すぐに結果が分かるものではないので不安な気がする。
 もう一つ困ったことは、充分な猿対策をしておられた近所の椎茸がすっかり猿にやられたという話である。なんでもネットの繋ぎ目の隙間から侵入されて根こそぎ食べられたそうである。一昨年の猿被害を思い出す。ネットをしていても小さな隙間があれば、小猿を手先に使って侵入するという話も聞く。三年前に植え付けた椎茸が丁度猿が好む大きさとなっている。雪で崩壊した椎茸小屋のネットは、応急的に補修したものの、小さなほころびはあるようだし、もしかしてネットを破ることを学習したらなどときりがない。まあとりあえず今回植菌したものは、きのこが出てくるまでは安心だ。檜の林の中に仮伏せしている。梅雨明け頃に本伏せにして、うまくすればこの秋、遅くとも来年の秋には食べられそうだ。

【作業日誌 3/19】
ガーデンシェッド、ドア枠調整

今日のじょん:3月16,17日と降った雪はこの時期としては積雪が多かったが、あやべ市民新聞によると、18日朝の積雪量が睦寄町11cm、五泉町24cm、老富町67cmというのだ。老富の雪の多さは俄に信じられない多さだ。ちなみに最も積雪の多かった17日朝の念道周辺はじょんの写真の通りである。Img_2520  

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大原(2) 3/18

2011-03-18 | 歴史・民俗

2011.3.18(金) 晴

 暑さ寒さも彼岸まで、ということなんだけどいつまでも寒く、雪もまだ降りそうだ。この寒さが地震被害で避難している方々には如何ばかりかと思いやる。
 さて大原についてだが、今回はその地名についての考察であるが、今後はその歴史や文化についても調べてみたい。それは連載中の奥上林大唐内とあまりにも酷似した集落と思われるからだ。前回の記事を(1)として今回を(2)という風に継続していきたい。
 由緒ある大原神社がどういう訳で桑田郡の野々村庄樫木原村(現在南丹市美山町樫原)から遷宮したのかは解らない。福知山市史第一巻に「丹波志」に基づく大原神社の詳しい内容が書いてあるが、樫原(かしはら)にも大原神社があり、大原ではそこを『元社』(もとやしろ)と呼んでいるそうだ。地図で樫原を見てみると、大野ダムの右岸にあり、大原谷という小字がある。大原神社もその付近にあるのだろうが、訪ねてみないと解らない。Img_0271

大野ダムの近くに移転されたみちしるべ。


  ここで読みについて整理しておこう。
福知山市三和町の大原は(おおばら)
三和町の大原神社は(おおはらじんじゃ)
南丹市美山町樫原は(かしはら)旧名は野々村庄樫原村(かたぎはら)
美山町樫原の大原谷は(おおはらだに)
樫原の大原神社は不明
以上角川日本地名大辞典によるが京都市周辺にもある地名なので間違いやすい。
三和町の大原が美山町の大原(谷)に由来するものかどうかは確証がないが、どちらも決して大きな野原でないことは確かだ。
 大原神社に参詣することを「大原指」(オバラザシ)といい、3月の春指(ハルザシ)、9月の秋指(アキザシ)には遠近の参詣者で賑わったとある。(角川日本地名大辞典)京都市の大原が大原女(オハラメ)のごとく小原であったというのと似ている。大原の大がことの大小を指しているのでは無いようだ。つづく

【作業日誌 3/18】
薪割り

今日のじょん:彼岸というのにこの寒々とした景色はなんだ。オリーブもこのとおり氷漬け。Img_2523 Img_2526

 

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薪情況 3/17

2011-03-17 | 日記・エッセイ・コラム

2011.3.17(木)雪

 東北関東大震災後に予想した好ましくない事象が現実となっている。ひとつは義援金詐欺で今ひとつは物資の買い占めである。今ひとつ重大な予測をしておこう。
 福島原発の事故がどのように解決されるか今のところ不明であるが、いずれにしても今後の原発の新設は困難な情況となるだろう。その場合国のエネルギー対策が原発を見限ったら、二酸化炭素を悪玉とする環境問題、地球温暖化問題は姿を消すだろう。逆にあらゆる困難をも顧みず原発を推進しようという方向になれば地球温暖化を阻止するため二酸化炭素排出を減らそうと言う運動は国家的規模で活発となるだろう。
 地球温暖化と二酸化炭素排出の関係は無いとは言えないがそれほど重要なファクターではない。ただ原発容認の世論造りには抜群の効果があるというだけだ。前述の予言が的中すればそのことが証明されるだろう。
 さて今朝の積雪は16cm、気温は3℃であった。Img_2522 日中も降り続き3月としては異例の積雪である。じょんのび村のエネルギー事情は暖房は9割が薪、1割が灯油、炊事、風呂は電気に頼っている。薪ストーブは3年目の使用であるが、薪の調達に四苦八苦している。
 初年度は3月からの使用だったので、森林組合の工場から貰ってきた杉の木っ端でしのいだ。2年目は山から切り出した栗の枯れ木、冬の雪で倒れた木、木材やさんに貰った枝木でしのいだ。Img_0487

佃の山で切ってきた枯れ木。櫟かと思ったら栗だった。(08.4)


Img_2431
小西町で貰ってきた櫟の枝。(09.5)


 ここまでは使用量も分からないし、乾燥も足りないでヒヤヒヤものであった。いざとなったら購入するしかないなと腹をくくっていたのだが、幸い購入することもなく、節約して保ってきた。さて今年の冬だが粒々屋さんのお陰で安定供給出来ることとなり、昨年の4月頃まで櫟を切り出した。薪小屋二棟に四列積み上げて、一冬プラス一ヶ月分とよんだが逆に一ヶ月分不足した。Img_2329

今年の2月9日で右の小屋はからっぽ、左の小屋も半分となった。現在は玉切りしてあるのを割って使っている。


  これは厳冬による長時間使用とやはり惜しみなく使ったせいである。現在は昨年切った櫟を割ながら燃やしているので、すこぶる火付きが悪い。一冬で二棟満杯は必要だし、備蓄しようと思えばもう一棟薪小屋が必要である。今回近所に雑木林を切らせて貰うところもできたが、木を倒すところからやってると年がら年中薪づくりをしていなければならない。店が終わってから一時間を薪づくりに当てている。こうやってコツコツやっていかないと一気には片づかない仕事だ。

【作業日誌 3/17】
椎茸小屋補修(雪でまたしても壊れた)
太陽電池スタンド作製

今日のじょん:昨日朝、昨日夕、今朝の写真、雪の様子がよく解る。Img_2513 Img_2515 Img_2517

 

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大原(1) 3/16

2011-03-16 | 歴史・民俗

2011.3.16(水)雪

 大原、大野という地名には以前から疑問を感じていた。ちっとも大きくない、広くないのに大原、大野というところが結構あるのだ。 
 京都市には東の大原と西の大原野がある。どちらも観光地や寺社めぐりで多くの人が訪れるところで、誰でも周知のところである。大原野は開けた地形で字のとおり大きな原との解釈もできよう。しかし大原は谷間の町で大きな野原とは言えない。「日本地名ルーツ辞典」に澤潔氏が書いているのだが、もともとは小原(おはら)であったそうだ。大原女はおはらめと言うし、頭上に乗せて売り歩く薪のことをおはらぎというそうだ。小原の小は美称で、小さいという意味ではないそうだ。となると、大原は単なる原、いわゆる山間に開けた平坦地や緩傾斜地を示す言葉といえる。
 大原の文化について詳しくは知らないのだが、例えば大原女の頭上運搬などは海人族の文化でもあるので、途中越を通じた近江や安曇川からの海人族の文化の流入は考えられるのでは無かろうか。大原は小野とも呼ばれていた。愛宕郡十二郷のうちの小野郷である。途中越を東にとり近江に出ると小野がある。小野一族はここから大原に入りやがて北山方面に進出したと思われる。北山にも小野郷があるが小野氏所縁の地なのであろう。大原には木地師の祖といわれる小野宮惟喬親王の墓といわれるものがある。 
 丹波丹後地方の大原は、福知山市三和町の大原(おおばら)、伊根町の大原がある。どちらも大きな原ではない。特に三和町の大原など、谷間に細長く拓けた里で、両側に山の迫った土地柄である。大原については「大唐内のこと(32)(2011.1.27)」で少し書いたが、やはり海人族文化のひとつの特徴である産屋が残っていることが著名な土地だろう。その後大原について調べた事柄もあるのだけれど、今回は大原という地名についての考察なので文化や民俗については機会を譲りたい。
Img_0291
大原の産屋、川側の低地なのに水に浸かったことがないという。この日も洪水警報の出た大雨の後だったのだが、、(2006,7,19)


 さてその大原で有名なのは産屋と大原神社である。角川日本地名大辞典京都府上巻によるとその大原神社は仁寿2年創建、北桑田郡野々村に鎮座したが、弘安2年当地へ遷宮とある。仁寿2年は852年、弘安2年は1279年になるようだ。つづく

今日のじょん:またしても雪が降った。降雪中はおしっこうんこだけでぽんぽこぽんとかしてもらえないので欲求不満みたい。その上屋根から落ちる雪が恐怖なので結構神経疲れるみたい。おとーの居場所で寝てしまった。Img_2511 Img_2514

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