2011.3.30(水)晴れ
三和町大原の大原神社が元々鎮座していたのは、桑田郡野々村庄樫木原村(現南丹市美山町樫原)である。樫原を含め向山、小淵、肱谷、音海、三埜、萱野、大野
の八ヶ村が合併して昭和30年まで北桑田郡大野村であった。大野ダムのダム湖を取り囲む村々である。樫原の大原谷が決して広い原でないと同様、大野地区も大きな野原とは言えない。
京北の山国にも大野がある。桜で有名な常照皇寺の南が京北大野町だが、旧の大野村はもっと広域の地域のようだ。いずれにしても大堰川上流域の山間の村である。
丹後の大野は京丹後市大宮町に口大野、奥大野とある。ここは平安期には大野郷として見え、歴史のあるところのようだ。自動車でも自転車でも走ったことがあるが、内陸とはいえ広い感じのするところである。亀岡市東別院町にも大野がある。関西カントリーの東に当たる地域で、曽我谷川上流に位置して、ここも山間の村落である。
丹波丹後の主な大野は上記のものだが、小字となるとどうだろう。
と書いて、綾部市を調べてみたら、大迫、大谷、大畑は沢山あるが、大野は上八田町に見つかっただけである。実は大野地名に興味を持ったのは、別所地名あるいはユリ地名について綾部市の小字を探っているとき、星原町におお野という地名を見つけたのが最初である。星原町には星宮神社というのもあり、とても魅力的な興味深い町なのだが、その最奥に別所がある。その手前におお野があり、向かいに岼﨑、岼蔭という小字がある。別所についてもユリについても既に書いてきたところだが、これほど研究対象になる地名が揃っているところは珍しい。おお野はグーグル地図で見ると「おお野」と書いてあり、大野ではないところが不思議な感がした。もちろん大きな野原ではなく尾根の末端のようなところである。これは古代の産鉄族オオ氏にかかわる地名かもと思い、「東国の古代 産鉄族オオ氏の軌跡」(柴田弘武著)を読んでみるが(2010.8.20参照)それらしいヒントは出てこない。角川日本地名大辞典で小字一覧を見てみると苧野というのがある。どうもこれがおお野らしい。苧とは麻の一種でからむしというそうだ。古くは布や縄となったそうだから、単純にそれがとれたところなのかも知れない。つづく
オオ、オウの地名を追っているが、大津はこの地名が集まっている。近江、大津、逢坂、皇子山、大谷、粟津、大萱などなど、個別に由来を調べたらおもしろそう。
春霞に霞む三上山と比良山系、ともに古代産鉄の地である。(大津なぎさ公園から)
今日のじょん:今日は久々に長いお留守番をいたしたじょん君、さぞかし淋しかったろうと思いきや、さっきまで寝てたような顔でお出迎えとなった。うーむ。