晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

高杉探訪-2 2/28

2017-02-28 | 歴史・民俗

2017.2.28(火)曇り

 薬師堂に盃状穴を見つけたことに気をよくして、春日神社にも見つからないか出かけてみる。もちろん何度も訪問して隅々まで調べていて見つかっていないのではあるが、、、。
 石材は新しいものやチャートの硬いものが多く、民家からも少し離れている。盃状穴の条件としてはすこぶる不利なところだが、拝殿右の20段あまりの石段は古い凝灰岩の石材であり、垣根や石垣にも古い石材が利用されている箇所もある。


 この石段は絶好なんだが、見つからない。
写真を撮りながら探していると、1台の軽トラが境内に入ってきた。作業服でカメラを覗きながらうろうろしている様子はどう見ても怪しい。
「写真撮ってるんですか?」
「いや、石にあけられた盃状穴という穴を探しているんです。」
「何ですかそりゃ」
てなわけで、ありのままを丁寧に説明する。
「そんなものを研究してノーベル賞でも狙ってるのか」
「いやあノーベル賞は無理ですけど、どうしても知りたいことがあるんです」
と言うわけで5年前の西山さんの件、縦穴坑跡や高杉郷土史の話をする。
「それならわたしのうちにあるからおいで」
探していた高杉村誌がいとも簡単に見つかった、軽トラの主はすぐ近所の清水さんといい、高杉の自治会長さんということだ。清水さん宅に伺うとずらりと資料が並んでいる。どうやら郷土の歴史、民俗に興味がありそうだ。「たかすぎ誌」と「高杉観光ガイド」をお借りすることができた。そして仏教大学歴史学部歴史文化学科の「歴史文化フィールドワーク」調査報告書なる冊子をいただき、例の坑跡に関する郷土新聞の記事を見せていただくことと相成った。(両丹日日新聞1991年7月17日号)

 新聞記事を見ながら感激していると、「よしっ、これから見に行こう」と坑跡に連れて行っていただくこととなった。予想外の展開にもう胸はバクバク、清水さんの軽トラに自転車でついていき、もとの薬師さんに立ち戻る。つづく

【今日のじょん】昨日からいくみちゃんが来てもうヒコヒコ。今日はシャンプーとお医者さんと大変な一日なんだけどいくみちゃんと一緒ならまあいいか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高杉探訪-1 2/27

2017-02-27 | 歴史・民俗

2017.2.27(月)曇り

 2012年10月、三和町菟原中の別所を調査している際に隣村高杉で西山さんというおじいさんに出合い興味深い史跡や伝説を聞いた。最も気になるのは、大師堂の脇に古い坑跡があると言うこと、保井谷にマンガン坑があったと言うこと、村のことを書いた冊子が各戸に配られたと言うことである。(2012.10.27参照)別所が鉄の産地だという柴田弘武氏の仮説に基づいて調査したこともあるが、高杉から友渕、草山温泉に向けての友渕川周辺に金属の匂いを感じていたところに絶好の情報だった。その後この方面を訪れることも無く、これらの情報も確かめる機会が無かったのだが、昨年渡りに船の水道検針のアルバイトが入ってきた。各戸を定期的に回るこの仕事は、その地の地理を知り、地元の方とも自然に話ができるという歴史民俗調査には格好の仕事なのだ。この間地理は憶え、歴史に詳しい人も紹介され、友渕の春日神社では盃状穴も発見した。例の坑跡の位置も聞き出したが現物は発見できていなかったし、かつて配られたという地誌の冊子も見つかっていなかった。そんな中、他の仕事が忙しくなり三和町での仕事が続けられなくなった。高杉も今日で最後という日(24日)坑跡の詳しい位置を聞き出そうとHさんを訪ねる。ところが不在で、やむなく薬師堂周辺の石仏や灯籠などに盃状穴がないものか見て回る。このあたりの石材はチャートの硬いものが多く期待薄の上、以前にも調査して見つけることはできなかったので期待もしていなかった。

高杉の薬師堂、元は藁葺きで趣のあるお堂である。
 薬師堂の南隣にある庚申様の石柱あたりを見ていたときである、半分壊れた手水鉢に盃状穴の跡がある。跡というほど旧いものでほとんどわからないままに穿たれているのだ。全身に悪寒が走り、震えが来るようだ。高杉にあれほど求めていた盃状穴が何度も見たはずの薬師堂に現れたのである。

つづく
【今日のじょん】積雪に埋もれていた景色が蘇ってきた。木々は折れ、芝はモグラに食いちぎられ、ネットや柱は雪の重みに押しつぶされてしまった。はげた塗装や折れ曲がった設備にどうしようかと途方に暮れていたときにお客様がいらした。やるっきゃないね、やるっきゃない。

こゆきちゃん(5
ヶ月)こはるちゃん(1才)西舞から来られました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

靴の話-1 2/22

2017-02-22 | 寿命延ウォーキング

2017.2.22(水)晴れ

 ウォーキングの効果を最大限出すには、人類が二足歩行を始めてから今日まで最も長い期間歩いていた方法で歩くのが道理だと思う。それは裸足である。
 人類は最初から二足歩行しているわけで、二足歩行が始まったのは人類の祖先である猿人に始まっているということだから、300万年から400万年前には歩いていたわけだ。その間二足歩行に関する進化を続けてきたわけだが、そのほとんどというかすべてが裸足であったといっていい。
アルプスで発見されたミイラのアイスマンは靴を履いており、5,300年前には靴が存在したということになる。昨年ルーブル美術館展があって、6世紀から8世紀頃の庶民の生活が描かれていたのだが、わたしは彼らの足下ばかり見ていた。聖職者、有力者などはサンダル、まれに靴を履いているが庶民はみんな裸足である。日本だってわらじは相当古くから有ったようだが、靴は庶民の間では百年の歴史もないだろう。いずれにしても人類の二足歩行の歴史のうち靴が登場するのはほんの一瞬である。
 裸足で歩くことで最高のパフォーマンスを得られると思うのだが、その一瞬の靴履きの習慣のために現代人は裸足で野外を歩くことができなくなった。裸足と言えば1964年の東京オリンピックを思い出す。マラソン優勝者のアベベ・ビキラは裸足のマラソンランナーと言われていたが、実は東京オリンピックでは靴を履いていたのである。その前のローマオリンピックでは裸足で走り、見事に優勝している。では1960年頃のエチオピアでは裸足が常であったのだろうか。否、彼は「歴史を作るために」裸足で走ったそうである。マラソンの起源は紀元前450年頃といわれている。当時はおそらく裸足であっただろう、アベベが裸足で走ったのはきっとそのあたりを意識していたのだろう。それにしても裸足で優勝するとはなんとも強靱な足である。

    ぼくらはいつも裸足やで、ウムそれもそうだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘の結婚式 2/18

2017-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

2017.2.18(土)京都は晴れ

 晴れがましいことは苦手なんだが、娘の挙式とあらばそうも言ってられない。ノーベル賞受賞の際は借りなあかんなと思っていたモーニングを借りて、馬子にも衣装の面持ちで駆けつける。新婦の父親ってえのは結構出番があって、エスコートやキャンドルの点灯などリハーサルまでして緊張する。上手な演出があってお涙ちょうだいと相成るのだが、笑顔で踏ん張る。自分の娘ながらきれいだなあと思うのは、衣装やロケーションのせいかと思うのだが、やっぱり幸せだときれいになるんだろう。とにかく先は長いので二人で頑張ってほしいと願うところである。


【今日のじょん】おおい町も35年ぶりの大雪となったそうだ。
芝生広場もこのとおり。(17日)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪かきくけこ’17 2/13

2017-02-13 | 寿命延ウォーキング

2017.2.13(月)曇り

 予想以上に降雪が続き、雪かきも3日目となった。ほとんどがバラス敷の庭なもんで機械を導入するのは難しい。やむなく雪ハネ一丁で三日間雪かきくけことなった。ご当地でも雪も少なくなり、機械力に頼るケースが増えてきて雪かきに慣れていない様子だ。多くの人が腰が痛い、肩が痛いという現状である。温度が高いため雪が重くなっているのも一因かもしれないが、やはり効率のよい雪かきができていないのではないだろうか。無駄な動作で筋肉を痛め、疲労しているようだ。

やったど~
 雪ハネというのは実によくできた道具だと思う。昔のように分厚い板でできているのは大変だと思うが、今のは軽くて楽である。その分雪が重いので、無理は禁物である。かいてハネる回数が無限なので、いかに筋肉を使わないで疲労をためないかである。肘を曲げないで腰の回転でハネる、骨盤を立てて背筋を伸ばして作業すれば腰痛になることもない。そして何よりも、じょんのびバンドが絶好のアイテムである。

雪かきの後は温泉が一番、昨晩はこんなサービスもしていたぞ。(綾部温泉)

【今日のじょん】屋根からの雪がにょ~んと下りてきた。これがどさっと落ちると妙に驚くのである。

うへ~




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寿命延ウォーキング 2/12

2017-02-12 | 寿命延ウォーキング

2017.2.12(日)雪

 寿命延ウォーキング 第一期生募集開始

【今日のじょん】いやはやまいったぜ、五年ぶりの大雪となった。何がまいったかって、おしっこうんPが大変なのよ。この日のために家の中で済ます訓練しているのに、、、。



車は半月ぶりに車庫に納まったのに、またしても立ち往生。

 



  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極の歯磨き 2/10

2017-02-09 | 健康

2017.2.10(金)雪

 年に一回の歯科検診の日がやってきた。歯並びの悪いわたしは凹んだところにコーヒーの色素だろうか茶色いのがこびりついてとれないのだ。検診と言ってもその程度にしか考えていなかったのだが、今回は違う。マスコミでも歯周病と成人病の関係などが言われはじめ、今日の讀賣新聞にも「虫歯菌で認知機能低下」などという記事が載っていた。そんなことで歯の健康について真剣に取り組み始め、食後の歯磨きの他に歯間ブラシやフロスを使うようになった。そういう努力が検査結果にどう現れているかという期待もあったわけだ。
 
 おかげさまでプラーク付着率は43.75%から21.43%に下がり、出血率も0%となった。検査結果もあらためてみることもなかったのだが、今回はしっかり分析し、どの部分にプラークが付いているのかなど今後の歯磨きに活かしたいと思うのである。わたしの場合、上あご奥歯の内側、下あご内側にプラークが多い。ここを重点的に掃除して歯の健康を増進しよう。

さて本題の究極の歯磨きとは、昨年12月26日京都新聞に掲載された厚労省の推奨する磨き方である。
1.歯ブラシに2cm程度の歯磨き剤を付ける。
2.歯磨き剤を歯面全体に広げる。
3.2~3分間泡立ちを保つように磨く。
4.歯磨き剤を吐き出す。
5.10~15㎖の水を口に含む。
6.5秒程度1回うがいする。
7.1~2時間程度は飲食を避ける。
 な~んだ大して変わらないと思われる方は、時計とメジャーと計量カップを持って上記の通りにやってもらいたい、もっとも計量カップで10~15㎖は計れないので、これはペットボトルのキャップ2~3杯程度とされている。実際にやってみるといつもの歯磨きと違うことがわかるだろう。大切なことは有効成分を口中にまんべんなく、長く残すことである。
 もちろん歯間ブラシやフロスを上手に使うことはもっと大切である。

【今日のじょん】またしても積雪となった。今朝の積雪は5cm程度だが今後も降雪が予想されている。じょんのペットシート躾けも雪の時は大変。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「ヒトラーの娘たち」-(5) 2/8

2017-02-08 | 雨読

2017.2.8(水)晴れ

 アウシュビッツなどのホロコースト現場の映像がはっきりと脳裏に浮かぶのはなぜだろう。もちろん現地に行ったことはないし、本の中に当時の写真があるわけではない。よくよく考えるとドキュメント「映像の世紀」、映画「シンドラーのリスト」で観た映像を憶えているようだ。その「シンドラーのリスト」のいわゆる「命のビザ」の真実は巷間言われていることと違うようだという新聞記事が掲載されたのだ。杉原千畝の研究者でもあるシモナス・ストレルツォーバスという歴史学者によって書かれた記事である。映画のストーリーでは、杉原千畝の「命のビザ」はリトアニアにいたユダヤ人をナチス・ドイツのホロコースト(大量虐殺)から救ったものとされているが、歴史の真実はどうもそうではないようだ。考えてみれば、いかに同盟国の大使とはいえナチスがそのようなことを見逃すはずはないだろう。杉原千畝は1940年の6月から8月下旬まで2千通を超えるビザを発給したとされている。ビザは一家族一枚で足りるので、約6千人のユダヤ人が救われたとされている。ところが事実は1940年の夏にはナチスによるユダヤ人の大量虐殺はまだ始まっていなかったということである。占領地の絶滅収容所が機能するのは41年以降だということだ。それでは杉原氏はいったい何のために大量のビザを発給したのだろうか。それはユダヤ教のソ連による迫害を逃れるためのものであったようだ。欧州では既にユダヤ人に対する迫害が始まっていただけに、彼らはソ連極東から日本を経由し中米を目指したというものである。宗教を否定するソ連がなぜ彼らの通過を認めたかというと、在米のユダヤ人による旅費の支払いが、外貨の不足していたソ連にとって容認する理由となったという説が出ている。
 結果として多くのユダヤ人をホロコーストから救うことになるのだが、杉原千畝の大量ビザ発給の理由について歴史的に語られていることと真実とは違うということである。
 このことは「ヒトラーの娘たち」にもいえることだ。彼女たちの罪について断罪するということはさておいても、その具体的な行状を膨大な資料から拾い出し、整理し記録することは歴史的にとても大きな意義があると思うのだ。そうしなければいつかは歴史の闇に消えていくことばかりなのである。おわり

今回4冊も借りてしまって、完読したのはこれだけ。

【今日のじょん】雪に埋もれて運動不足になりがちなので、出かけられる日にはおおいの芝生広場に連れて行こうと思う。とても寒い日だったけれど、歩くこと、走ること、こんな元気なじょんは久々だ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「ヒトラーの娘たち」-(4) 2/6

2017-02-06 | 雨読

2017.2.6(月)雨

 長々と書いてきたことは実は本書の主題ではない。「ホロコーストに加担したドイツ女性」という副題のとおり、ホロコーストの加害者としての女性に焦点を当ててその行状と裁判の行方を示している。東部に赴いた教師、看護師、秘書、妻などの立場の女性が登場し、強奪や殺人を繰り返したにもかかわらずそのほとんどが裁かれることはなかった。その行状は凄まじく、読み進めるのもはばかれるほどであるが、本来非力で無垢な女性というイメージで罪に問われることは無かった。
 世界中の女性が社会の表舞台に出ることは無かった時代に、重要な仕事をまかされ、小さいながらも権力も得られるようになったのが戦争だったのではないだろうか。そこへもってナチスのプロパガンダだから、彼女たちが殺人者となったとしても当然という考え方もあるだろう。しかし本書の中では良心からナチスの命令に従えず処刑された看護師なども紹介している。ドイツの戦後の復興と民主主義が反ナチズムを軸として行われたことを思えば、ホロコーストに加担した女性たちを断罪するのは必要なことなのかも知れない。
 考えさせられることが多すぎてこの場では書き切れないのだが、戦争というのは不思議なものだ。ユダヤ人や捕虜を殺すと殺人者として裁かれるのだが、戦場で兵士を殺した場合はその数が多いほど勲章ものになるわけだ。兵士でなくて民間人を殺したことが犯罪なのなら、東京大空襲や原爆は一体どうなるのだ。戦争裁判は勝者が敗者を裁くものであって勝者がなした重大な犯罪にはなんのお咎めも無い、貝になりたい一兵卒でさえ死刑になったのに、、、。「それが戦争なのよ」ディタのお母さんの言葉が思い起こされる。 
 そんな時驚くべき新聞記事が現れた。つづく

【今日のじょん】雪に閉ざされた上林でゴンはどうしているかなーと通りがかりに覗いてみた。いやー雪の中で元気に走り回っていた。やれやれ、じょんは車の中でぬくぬくとしているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「ヒトラーの娘たち」-(3) 2/5

2017-02-05 | 雨読

2017.2.5(日)雨

 1月末、トランプ大統領の入国制限規制に抗議するニュース写真に「REMEMBER ANNE FRANK 1929-1945」と大書きし、アンネの写真を掲げているのがトップに載せられていた。大統領令とアンネは直接の脈絡はないと思うのだが、トランプ大統領にナチスの影を見ているカメラマンの手になる写真なのだろう。事ほど左様に翌日の新聞に「米大統領令に黒幕 影響力増すバノン氏」「反移民の新興右翼に勢い」(ドイツ)の記事が掲載されていた。前者は白人至上主義、差別的論調の「オルト・ライト」に関連する人物、ニュースでナチス式の敬礼をしていたのはこの団体ではなかったか。後者はドイツのための選択肢(AfD)で実に第3党に躍進している。代表は女性のペトリ代表ということだが、「ヒトラーの娘たち」に登場するエルナ・キュルプス・ペトリとは無関係であって欲しい。
  トランプ大統領に関する記事には事欠かない。
 さて、話を相模原殺傷事件に戻して、検証相模原殺傷事件という京都新聞の記事(2017.1.26)に東大准教授の熊谷晋一郎さんが書いておられることがある。
 動機とされる「障害者を排除する」という優生思想は、有用性を規準とする能力主義と分かち難く結び付いている、というものだ。中間層といわれる多くの人々が、企業の中では「役に立たない奴、能力の無い奴」と差別を受け排除されているのだ。これは一つのヒントかもしれない。
 五木寛之氏の「嫌老社会」も老人は生産性が無いと云うことで排除されるかもしれないという主旨である。これらが実に戦前のドイツに似かよっているということだ。もちろん大なり小なり日本の戦争前夜だって似たような情況があったわけだ。
 相模原殺傷事件、その動機、その動機に共鳴する若者が増えることはこれも一種のポピュリズムなのかも知れない。つづく

 ※相模原殺傷事件に関するシンポジウムが3月18日(土)11:00~京都テルサ(南区)で行われる。
  東大准教授の熊谷晋一郎さんも来られるので是非参加いただきたい。参加費500円

【今日のじょん】なんとか無事に節分を迎えられた。豆の数も8個となった。6年前の節分の写真をみると、あまり顔変わっていない。よーするに老け顔やったわけネ。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする