2014.6.30(月)
角川日本地名辞典奈良県には小字一覧が載っていない。ところが二上山博物館の資料に「大和国条理復元図」という橿原考古学研究所の編による地図が掲載されていた。どうやら小字が表示されているようで、博物館で聞くと香芝市の図書館にあると言うことだった。
ようやく探しあてた「大和国条理復元図」で目的の大坂山口神社から谷を遡って、ゴボ山の脇をとおり神社参道の鳥居に至る地域を見て驚いた。そこには何か葬地を表す地名を期待していたのだが、何と「別所ヶ谷」であった。
マキノ町の穴虫を訪問した際に、穴虫と別所が隣接しており他の穴虫についても近隣に別所地名があるということを書いた矢先であるから驚いたわけだ。
マキノ町では別所と穴虫が隣接しており、香芝市では穴虫の中に別所ヶ谷が存在している。(写真はマキノ町別所、穴虫は右方向)
別所とは「別所探訪」の項で書き続けているところだが、柴田弘武氏が蝦夷俘囚の移配地で産鉄の地という説を出しておられる。しかし往生地説も有力な説となっており、この「別所ヶ谷」は葬地、墓地の往生地と見るのが妥当と思われた。
ところが「大和国条理復元図」で周辺の地域を見た時、別所ヶ谷の東南に金谷、カナヤ、西カナヤ、ヨキノクチなどの小字地名が見える。カナヤは一般的な金属地名であるが、ヨキについてはマキノ町の古代製鉄遺跡の斧研川(ヨキトギガワ)があっただけにインパクトがある。
マキノスキー場の端を知内川に注ぐ斧研川には幾つかの製鉄遺跡が存在する。
しかもゴボ山周辺から発見されたという威奈真人大村骨蔵器にある墓誌銘に「慶雲二年命兼田太政官 左小弁越後北疆衝接蝦慮柔懐鎮撫允属其人同」の一文があり、蝦夷との接触があった旨読み取れる。
威奈大村骨蔵器には391文字の漢語による墓誌銘が刻まれている。写真は複製のもの。
別所ヶ谷が単に往生地というだけでなく、産鉄、蝦夷俘囚との係わりも匂わせており、地名というものの奥深さに、ただ驚くばかりである。
それでは威奈真人大村骨蔵器とは如何なるものか、その発見のいきさつとこの地域の地名を重ねて考察してみよう。つづく
【作業日誌 6/30】
南京ハゼ8本植え付け
【今日のじょん】じょんの散歩コースになっていた野芝のあぜ道に除草剤が撒かれ、すっかり茶色に変色していたのだが、新たに雑草が生えてきて汚い風景となってしまった。わたしはこの地方の農業をやっている方の美的感覚が解らない。