晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幻の改心の道ー3 12/28

2018-12-28 | 山・峠

2018.12.28(金)雪

 遊里からの道は簡単明瞭と高をくくっていた。地理院地図にも途中までルートが示されており、修験道として使わなくても、遊里以奥や田辺(舞鶴)方面からは光明寺にお参りする最も近い道として利用されたはずである。
 室谷神社の立派な鳥居をくぐり、真っ直ぐ進む。参道として使われたと仮定すればお地蔵様や道標などあっても良さそうと注意して歩くが一向に現れない。林道の脇に一宇の祠をみるがどの村にもある山の神などのものだろう。

 二つに分かれた林道の古い方、右側を進む。やがて堰堤に阻まれ、ドキリとする。左手を見上げると先ほどの林道が見え、斜面をよじ登る。林道は右岸を走っているが、登山道は左岸の谷を上っている様なので、見落とさないように歩いて行く。やがて二つ目の堰堤が現れ、やがて林道が山道となる。そのあたりで左岸の谷に道らしきものを見つけ登ることとする。やがて道らしきものは途絶え、谷は通行不能となる。いまさら戻る気にはならず、右手の尾根を無理やり登っていく。どこをどう登っても林道に突き当たるはずと気楽に登っていたが、いくら登っても林道が見えてこない。辺りは薄暗くなるし心細くなってくる。とんでもないところに迷い込んだんじゃないかと不安になってくる。現実にはたいした距離も時間も歩いていないのだろう、林道はいきなり目前に現れた。斜面の傾斜がきつかったと言うことだろうか。林道を歩きながら位置を確認するのだが、左に小ピークや睦志の集落の望めるところが出てきたので、本ルートより光明寺よりのところに出てきたのではなかろうか。しかし本当のところはよくわからない、今後調査をしてみたい。

君尾山林道から南方、この辺り雲海で人気のスポット
改心の道終点、石段は省略
 光明寺の石段は省略して、改修のすんだ二王門を見学する。改修中の見学会はすべて参加したのだが、その際に「このベンガラが塗り替えられたらさぞかしきれいだろうな」と思っていた。そして今その新しいベンガラの二王門を観て、予想通りであった。

改修なった二王門、参道から大タワ方面が望める。
 二王門からはあやべ温泉に向かう旧参道を下っていくのだが、道すがら多くの地蔵様や板碑を見る。ところが弥仙山から光明寺の間、つまり改心の道にはそういったものが一つも見つからない。改心の道は本当に修験道の道だったのだろうか。おわり

【今日のじょん】今年の初雪はいきなりの大雪となった。昔は喜んだ雪も今ではうっとうしそう。とにかくオシッコも大変なのだ。

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幻の改心の道ー2 12/26

2018-12-26 | 山・峠

2018.12.26(水)曇り
改心の道光明寺ルート、君尾山林道に出る部分は不明、調査中。
 日置谷から稜線の分岐までは慣れた道なので問題は無いが、足下は不安であった。夏から地下足袋での山行を続けてきたのだが、今回は高いところに雪も見え、昨日までの雨で地面もぬかるんでいる。

稜線の分岐で食事をとりいよいよ未知の世界に入り込む。490mピークまではジグザグに掘られた道跡らしきものが続いている。ただ灌木も生えているし、倒木や枯れ木が通行を妨げ、ところどころ道を見失う。永年人が歩いた形跡は無い。思ったより簡単に490mピークに着いた。北に向かう尾根は木住谷に下りてしまうので、東南に向かう尾根を下る。

490mピークは広くて気持ちいい。工忠君の指さし方向に進む。

 道はあるようでないようで心許ない。忠実に尾根を辿るのが最善かと思うが、本道なのか獣道なのか解らない。それでも照葉樹林の尾根道は気持ちよく、木々が葉を落としているこの時期は城山や瀬尾谷方面が望まれて安心である。

灌木の尾根は気持ちがいい。
 途中鹿の群れに出遭う。鹿の糞が多くなってきたと思ったら419,2mのピークに着く。このピークには三角点があるはずだが見つからなかった。おそらく槍ヶ嶽(やりがずく)と呼ばれるのがこのピークだと思う。このピークも北に向かう尾根と東に向かう尾根が出ている。どちらに行くか迷うところだが、遊里の村に向かうのなら東の尾根だと決めつけて下りはじめる。するとだ、小枝に赤のビニールテープを発見、このルートで初めて見る、人の気配だ。テープは新しく、巻き方から見ると登山者のような気がする。間隔は開いているがこの赤テープはいくつか着けてあった。道は怪しいけどきっと改心の道を辿っていると確信する。高度が下がるにつれて植林が多くなり、倒木が道をふさいでいる。

高度が下がると植林が増え、倒木も現れる。
 この部分を改修するのは相当苦労するだろう。赤テープが見当たらなくなったと思えば、今度は鉈で灌木が切られているところが出てきた。切り目はテープ同様新しそうだ。右手にチラチラ見えていた中上林の風景が見られなくなり、周囲は山ばかりになってきた。尾根が東から東北に向きを変えたためらしい。赤テープが見当たらなくなったと思いきや、黄色のテープが出てきた。巻き方が同じなので赤テープが無くなって黄テープに換えたのだろうか。やがて小さなピークに着いた。275mのピークだ。その後道とも判断の付かない斜面を無理やり下っていくと、孟宗竹の林となる。

275mのピークと遊里木住谷のお堂、ここが改心の道起点らしい。 
 人里が近いことを表しているが、はたして下方に建物が見えた。「あれがお堂だったらルートはあってるぞ」とつぶやいて下っていったら、まさしくお堂だった。お堂の下はすぐに木住谷の林道で、遊里の集落はすぐのところだった。つづく
 

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幻の改心の道ー1 12/25 

2018-12-25 | 山・峠

2018.12.25(火)晴れ

 「改心の道」の道とは君尾山光明寺に伝わる天狗が改心したという伝承に基づく光明寺と弥仙山を繋ぐ修験の道である。2010年に「改心の道」遊歩実行委員会の催しに参加し、日置谷コースを歩いた。(2010.11.23参照)於与岐から弥仙山に登り、元権現跡から日置谷に降りるもので、老若男女随分人気のあるイベントだった。数年前から熊の出没のおそれという理由で中止になっていて残念である。さて2010年の山行の際に奇妙に思ったのは、大タワを下ったところで光明寺への道と日置谷に下りる道が分かれていることだ。しかも光明寺に向かう道は相当荒れていそうな感じだったことだ。「改心の道」が光明寺の修験の道であるとしたら日置谷に下りるのは無意味であり、多くの人が日置谷に下りるのが「改心の道」だと思っているのも不思議なことだ。事の原因は1997年に制定された近畿自然歩道のコースによるものではないか。途中随所に近畿自然歩道の立派な道標があるのだが、このコースが弥仙山から日置谷に下りている。ところがこの自然歩道は日置谷から寺町、あやべ温泉、光明寺へと繋がっているのだ。なぜ改心の道を踏破しないのか、その方がよほど自然であると思えるのだが、、。考えられるのは当時既に大タワから光明寺への道が荒れていたか、或いは地権の問題があったか、小さな村といえども政治的な圧力があったのかなどと想像は広がるが本当のことを知っている方があれば教えて欲しい。
 いずれにしても光明寺に繋ぐ道を歩いてみたいと思いつつ8年の歳月が流れたのだがようやく実現することとなった。

今回の目的はこの道標の先、君尾山への道
 2018.12.18(火)曇り

 メンバー:小原英明 工忠照之
 タイム :観光センター出発  10:20
      日置谷道取り付き  10:40
      枝道分岐      11:00  10分休憩
      改心の道光明寺道分岐11:25  15分休憩
      490mピーク   11:55  15分休憩
      419.2mピーク 13:00  15分休憩
      木住谷お堂     14:05 
      室谷神社鳥居    14:20
      君尾山林道     15:10
      光明寺       15:40
      あやべ温泉到着   16:15
                       つづく

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今年最後のコンサート 12/15

2018-12-15 | 文化に触れよう

2018.12.15(土)曇り

 今年のクラシックコンサートは3回、MAF、大フィルそして佐渡裕とシエナウィンド・オーケストラということで、充実した一年だった。ミュージカルが3回、狂言が1回、シンポジウムが2回と地方に居ても文化に親しむ機会は充分にあるものだ。いつも一人で出かけているので最終のコンサートは店を休んでかみさんと二人で出かけた。二人だとS席は負担が大きく、劇団四季に続いて二階席で我慢する。プーさんが双眼鏡を貸してくれたのでよく見ることは出来たのだが、やっぱり近くで見えるところがいいようだ。

撮影禁止なのでいつものように開演前の舞台、こうやって待ってるときが楽しい。
 佐渡さんは京都の出身でかみさんと同じ堀川高校の出身なのでかみさんも行く気になったのだろう。吹奏楽というのは余り好きでなかったのだけど、さすがにプロの楽団は聴かせるところがあって、吹奏楽ってこんなにきれいな音が出るんだと感心した。佐渡さん特有の舞台の楽しさもあってあっという間の2時間だったが、アンコールのスーザマーチに観客が楽器を持って舞台に上がるのには驚いた。いつもこうなってるらしいが、シエナと一緒に佐渡さんの指揮で演奏できるのはアマチュアの演奏者にとってこんなに楽しいことは無いだろう。随分粋な計らいだと感心していたら、聴いてる方も結構感動するんだよね。今年最後のコンサート、満足したところで、次の予定が無いことに寂しさを感じる。2月にロームシアターにN響が来るんだけど、なんとかいけないかなー。
【今日のじょん】寒さが本格的になってきてじょんの装束も大変。ヒートテックのウェアにダウンのコート、襟巻きまでして、残るは靴下ぐらいか。

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雨読 「日翳の山 ひなたの山」 12/10

2018-12-10 | 雨読

2018.12.10(月)雨

 「死に山」の書評に載っていた1940年1月の朝日連峰の遭難事故の記事がこの本に載っているという情報を得た。
 「日翳の山 ひなたの山」上田哲農著 平凡社ライブラリー 借本
 上田哲農氏の本は多くを読んでいるので、蔵書の中にあるかなと思って探してみたが見つからない。やむなく図書館で借りてその部分を読んでみたのだが、「死に山」同様なんとも不気味な内容であった。氏の文章は情緒的なものが多く、傍らの絵とともに親しみやすいものなのだが、中にいくつか山の怪であったり、不思議な事件であったりが存在する。氏は第一次RCCの代表を務められた往年のクライマーで登攀の記録は先人の労を偲ばせるものがある。

 さて問題の文は、「岳妖 ー本当にあった話である」という項で、1940年1月に朝日岳周辺で起きた謎の遭難事故の顛末が書かれている。優秀な登山家O、M二人とガイドとしてトップクラスのUなる人物がさして天気も悪くない、危険地帯でも無い尾根で忽然と姿を消してしまうのだ。「死に山」同様、出発前の様子、捜索の様子、遺体発見時の様子、遺体収容後の原因究明など細かに書かれているのだが、遭難の原因が杳としてわからない。あらゆる可能性を消去法で消去していくと何も残らない。リングワンリングでもない、猛吹雪でもない、疲労死でもない、雪崩もありえない。「死に山」の遭難と違う点は、遺体に損傷が無いことだろう。結局通常考えにくい発狂説や妖怪説が出てくる。
 「死に山」の遭難原因がここで言えないので表現しにくいのだが、わたしは両遭難の原因は違うものと考えている。「死に山」の原因とされる現象が朝日岳の当日の様子では起きにくいからだ。両事件の原因探究に抜け落ちていることがある。それは毒ガスである。火山性ガスが人の命を奪うことはままあることで、実際の遭難も起きている。「死に山」という奇妙な山名の由来は、木や草が生えない山ということだ。寒さのせいかもしれないが火山性ガスの可能性は無いのだろうか。朝日岳だってそうだ、登山基地は朝日鉱泉小屋となっている。鉱泉の湧くところなら火山性ガスが発生する可能性はあり得るのではないか。よしんば
火山性ガスが発生しなくても、人を死に至らしめるガスの発生はあるのではないだろうか。「死に山」も「岳妖」も毒ガスについては何の言及も無い。ちろん毒ガスが原因と決めつけるわけではないが、可能性として検討する価値はあるのではないか。
 哲農氏の文中に、Mのキスリングの口紐が引き抜かれていたとある。山行中にキスリングの口紐を引き抜くということはあり得ない。氏は謎としているが、わたしは緊急に雪崩紐として利用したのではないかと想像している。雪崩紐とは、デブリに埋まった際に発見しやすくするための紐である。雪崩は起きえない地形と言われているが、雪崩と錯覚するような音などがした際に、慌ててキスリングの紐をなだれ紐代わりに取り出したとすればその奇妙な行動の謎が解ける。ただ、遺体発見時にはその紐は無かったようなので、やはり謎は謎である。「死に山」の遭難原因は一応究明されたとしても、朝日岳の原因はやっぱり謎である。おわり
【今日のじょん】12月6日にささやかにじょんのびの忘年会を催した。今年も大過なく暮れました、感謝感謝!じょんはって?まあるくなって寝てました。

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ザンブリコ 12/5

2018-12-05 | 文化に触れよう

2018.12.5(水)曇り
 6月に上林小中学校にわらび座が来た。(6月7日参照)「セロ弾きのゴーシュ」を観せてもらったのだが、その中のひとり、菊池結夢さんとお話をしていたところ、「北前ザンブリコには同期の子が出るので観に来てくださいね」とおっしゃっていた。7月6日に宮津市で開催されるザンブリコには都合で参加できず残念に思っていたところである。ところが幸か不幸か当日大雨警報が発令されて中止となってしまい、本日再度開催となったのだ。これはチャンスとばかりにプーさんと一緒に宮津に向かうこととなった。会場の宮津歴史の館文化ホールは5月に北前船寄港地シンポジウムが開催されて来たところである。(5月18日参照)開演1時間前に到着したが既にちらほら観客が集まり、開場の時間には長蛇の列となってしまった。
 わらび座はご承知のとおり、秋田の田沢湖に本拠を置き、和製ミュージカルを追求しておられる真面目な劇団で
とっても好きな劇団である。宮沢賢治の作品や「アテルイ」「男鹿の於仁丸」など東北を舞台にする作品が多く、今回の北前船も日本海を舞台にするだけに、はまり役と言った感がある。先月観た劇団四季は洗練されていて華やかなんだけどわたしとは別の世界って感がする。その点わらび座はとっても身近に感じられて嬉しい。

おふじさん役の遠田さん
 ザンブリコは北前船を舞台にした斬新なストーリーで、「どうなるんだろう、、、」とワクワクする。坂本龍馬が出てきたり、異国の難破船が出てきたりで盛りだくさんの楽しみがある。終了するといつものようにロビーでお見送りを受け、握手したり、写真を撮ったり、お話ししたりで楽しい時間がある。さっそくおふじさん役の遠田雅(えんだみやび)さんに「セロ弾きのゴーシュ」の時の話をしたら、「それ私です」ってんで大感激。一緒に写真撮ってもらったりしてすっかりファンになっちゃった。明日は宮津小で公演があり、その後秋田に帰ると言うことだったが、またわらび座が来たら観に行きたいものだ。

喜一(三重野さん)およし(丸山さん)、このポスターをいただいた。
【今日のじょん】暖冬の今年は遅かったが、ようやく朝の霧が美しい季節となってきた。
 
11月25日、ダウンの着用始まる。

 

 

 

 

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