2011.5.30(月)雨
小唐内の谷の奥に海坊主のように現れる山容を見ると、将に丸山という名がぴったりと来る。大唐内でも小唐内でもこの545mのピークは丸山と呼ばれている。最近「上林七里野」などで生守山(いもりやま)とかサンドラ山とか聞かされて、「こんな呼び名は知らなかった。わしらは昔から丸山としてしか呼んでなかった。」(家本さん談)という風である。この山をめぐる古文書の中には丸山という名前は見あたらない。唯一平凡社「京都府の地名」大唐内村の項に「現在地元にサントラ山とよぶ地名はないが、鬼の穴は三国岳東方の丸山とよぶ尾根にあると伝える」と記されている。伝えているの元が「丹波志」なのか「丹波負笈録」なのかこの文脈では解らないのだが、いずれにしても丸山と言う呼び方は丹波側に限定したものなのではないだろうか。
実は私はこの山を小唐内からしか眺めていない。大唐内も市茅野も行ったことはあるのだが、意識して眺めていないのだ。大唐内については聖神社のところから奥には行ってないので物理的に見ることも不可能である。市茅野については家本さんの奥さんが「市茅野からこの山を見た人が、えらい尖った山で丸山とは言えへんなあとゆうとっちゃたで」と話しておられた。両地とも是非この目で見たいものだと、先日老富に向かったのだが、途中で雨が降ってきて断念した。次の機会には是非カメラにおさめたいと思うが、市茅野でどのように呼ばれているかも確認したい。
丸山という山や地名は数知れずある。そして一般的に丸く盛り上がった地形だからそう呼ばれているようだ。ところがそういう山でもないところが丸山というところもあるという。つまり必ずしも丸い地形だから丸山とは限らないということだ。
このことについて詳しく書いているのが「日本山岳伝承の謎」(谷有二著)である。二部構成になっている第一部「「マル」地名の謎を追う」を私は何度読んだことだろうか。
谷有二氏三部作。
学生時代には丹沢山塊の麓に住み、夏場は毎週のように丹沢の沢登りに通っていた。目的は沢登り、滝登りだから遂に一度もそのピークを踏むことは無かったのだが、檜洞丸(ひのきぼらまる)、畔ガ丸、ヌタノ丸といった丸の付く山がごろごろあるのだ。関西地方では珍しいと思うのだが関東では何々丸といった山が沢山ある。この「マル」が一体何を示しているのか長々と書いているのが「日本山岳伝承の謎」である。つづく(大唐内のこと(55)は2011.5.29)
今日のじょん:昨日の答、「雨降ってじょん固まる」
台風2号くずれの大雨で越してきて以来の大水となった。じょん固まるを通り越してビビリ倒していた。
左:じょんのび谷もゴウゴウ 中:河原にも下りられない 右:畑も水の下