三、上林の盃状穴、その十 善福寺④
古の人の祈りの形態として盃状穴があるとしたらいったい何を祈ったのだろう。記録も言い伝えも残っていない盃状穴のこととて想像するしかないのだが、安産祈願としたらどうだろう。実は盃状穴は諸外国にも存在していて、性シンボルとされている場合が多く、子孫繁栄、男子出産祈願などの言い伝えのある国が多い。縄文期以降の石棒が男性シンボルとして子孫繁栄、五穀豊穣を祈られたと同様に、石盤に穴の穿たれた女性シンボルも存在しているのだ。盃状穴がそれらを引き継いだものだとしたら、安産祈願の対象となることは考えられることである。安産祈願とすればそれは女性の手になるもので、盃状穴が居住地の近くに多いこと、善福寺の石段の極下段に集中していることも納得がいく。あの急な石段の上部には妊婦が上がるのは危険きわまり
ない。
上林には確認していないが、手水鉢の縁に穿たれた盃状穴は異質なものを感じる。石質は堅く、穴は異様に大きく深いのだ。これは妊婦が安産祈願のために祈る行為とはとても思えない。どう考えても男手の仕業と思われるのだ。男衆が公認で盃状穴を穿つとすれば、手水鉢という特殊性も考慮すると、雨乞いの祈願、神事とすればどうだろう。
龍の口からほとばしる水を満々とたたえた手水鉢の縁を、降水を願い必死に穿っている若者を想像してみよう。手水鉢の力強い盃状穴を見るとき、そういう光景が目に浮かんでくる。
(園部町内林町の八幡・厄神社、八木町鳥羽の八幡社)
そんなとき引地の方からうれしい情報が入った。地元のお年寄りが「善福寺の石段の穴は子供のいたずらだ、私も穴をあけて遊んだ」というものだ。盃状穴の製作方法について関心を持っていたわたしにはこの上ない貴重な情報だ。というのは数ある文献にも盃状穴で遊んだという人はあるのだが、盃状穴を穿ったという情報は無いのだ。この聞き取りは未だ行っていない。いずれ整理してご紹介したい。つづく
上林たんけん隊(カフェじょんのび内)