2020.12.31(木)雪
脱パンツ睡眠法の問題点ばかりを述べたが、その解決法を探る前にその利点を紹介しよう。わたしの場合は夏涼しく冬温かく眠れるようにと言う単純な発想で始めたが、「脱パンツ睡眠」丸山淳士著によると実はもっと重要な効果があったのである。もっとも重要なのはパンツのゴムによるストレスがなくなり、副交感神経が優位になり良質の睡眠が得られるということである。睡眠時は副交感神経が優位になるのだが、パンツのゴムによるストレスで交感神経が優位になり良質の睡眠が得られないという。自律神経のバランスや睡眠の善し悪しが健康に大きな影響を与えることは周知のことと思われるが、パンツのゴムが悪影響を及ぼしているというのは誰もが気づかないことである。まさかと思われる方は是非この二冊の冊子を読んでいただきたい。もちろん脱パンツによる産熱効果についても書かれていて、わたしの目論見は当を得ていた。これによって冷え性、腰痛、座骨神経痛などに効果がある。ぴっちりパンツが実は細菌の温床であって、婦人科系の病気の量産工場になっている。免疫力を高める、ダイエットに効果がある、認知症からがんまで様々な病気に効果があるといい、病気の6割が脱パンツで改善がみこまれるという。
ただウオーキングをすれば病気の9割は治ると言うのと一緒で、回り回って効果があるというものも多く、脱パンツが直接的に個々の病気に効くというものではないだろう。実際にやってみて効果があると感じたのは、熟睡できること、目覚めがよいこと、暑さ寒さに強くなったことであり、これだけでも心身ともに健康に大きく貢献していると思っている。ただ先ほど述べた問題点を解決しなければ続けて実行することはできない。つづく
【今日の”のびちゃん”】NO.50
二度目の大雪が降った。じょんのびの積雪は40cm、府道までかいてやらないと小さなのびは埋まってしまう。でも歩道は自治会でかいてくれているのでこのとおり、河牟奈備神社まで雪中行軍。
2020.12.30(水)晴れ、曇り、雪
問題1.同衾者の反感
夫婦で同時に脱パンツを始めた場合は問題ないが、片方だけが始めた場合は問題が起きるようだ。わたしの場合もかみさんが不満なようで、「いやらしい」「気持ち悪い」なんて感情を抱くようである。もともと夫婦なんて反目し合っている存在で、いいなと思ってもNoというのがふつうなのかもしれないが、、、。ただHBCのラジオキャンペーンでは、女がまず脱パンツを行い男が反発するケースの方が多いという驚くべき現象が起きている。それは北海道という地域性があるかもしれない。北海道の女性は行動的で肯定的である。三〇数年前北海道へ会議で出張し、トライアスロン関係者と宴席に及んだことがあるが、当初男性の方が多い宴席であったが、二次会三次会と進むと男性は一人また一人と消えていき、最後は北海道勢は女性ばかりになってしまった。これは関西圏では考えられないことである。
問題2.尿もれ
年をとってくると尿もれの問題はほとんどの人にあるそうだ。思わず漏れてしまう場合と小用の後残っていた尿が出る場合とがあり、後者は男性に多い症状だそうだが、わたしの場合はこれである。尿道周囲の筋肉の老化と言われているが、対処法があって小用の後絞り出すように尿道付近をさするとよいようだ。それで困ってはいないのだが、当初は日中の脱パンツで尿漏れしたもんだから困った。量はごく少量だが、パンツをはいていないと膝のあたりまで濡れる感じがしてすこぶる感じが悪い。
思わず漏れてしまうひとなら、就寝中にもあるわけだから、布団を汚してしまう。少量といえどもおねしょ状態だから大変である。
問題3.シーツの汚れ
人は寝ている間に180ccからの汗をかくという。普通はパンツやパジャマに求償されるのだろうが、裸で寝ていると汗はすべて布団やシーツに吸収される。毎日洗ったり乾燥させたりできる人はよかろうが、そんな人はまず居ないだろう。
問題4.裸で寝ると必ず温かい訳ではない。
秋、冬には、基本的にはパンツやパジャマを着ているときより温かいが、寝返りをうったときなどに布団に隙間ができて外気にさらされて寒くて目を覚ましたことがある。外気と処断されてこそ保温の効果があるのだ。
問題5.腹巻きはどうするのだ?
60余年慣れ親しんだパンツを捨てるのは容易だったが、同様に長年寝るときに使用した腹巻きは勇気がいった。昼夜使用している御仁ならなおさらだろう。お腹がスースーするのはなんとも心許なく、腹痛を起こさないか、下痢をしないかと不安である。健康本などでもお腹は冷やしてはいけないと腹巻きを勧めているものが多い。でも体全体が温かく眠れるのだから、お腹が冷えることはないだろうと腹巻きはやめてしまった。幸い下痢をすることもなく、腹痛も起こらなかった。時々腸や胃の部分が冷たくなっていることがある。どうもその部分の調子の悪いときらしい。そのときは両手のひらを当てるとすごく温まり調子が戻る。一応腹巻きも不要と考えている。
問題5.以外はどうしても解決しなければならない問題である。つづく
【今日の”のびちゃん”】NO.49
夕刻から雪が降り始めた。明日の朝はラッセルのびかな。おとうの布団でしっかり寝とけよ。
2020.12.27(日)曇り
最初は睡眠時のみの脱パンツであったが、夏場になってくるとウオーキングの時や日常でも脱パンツを始めた。暑さ寒さに対応できる体作りのため始めた脱パンツ睡眠だが、それ以外の効果が現れてきた。とにかく気持ちいいのだ。気持ちがいいからよく眠れる。寝付きは以前からいい方だったが、今では一分くらいで寝てしまう。そして寝起きも爽快でさっと起きられる。たまに本が読みたく、本を枕元に置いているが、まあ二,三行で眠ってしまう。とにかく布団に入ることが楽しいのである。
ここでお風呂の話をしよう。日帰り温泉によく行くが、そこで子供が騒いだり、泳いだりすると妙にイライラして大声で怒っていた。親を呼びつけて注意したこともよくあった。ところが最近ではちっとも腹が立たない、楽しく遊んでるなと思えるようになったのだ。あの子供たちはきっと普段はきちっと服を着て緊張した生活をしているのだろう。それが広くて温かい湯船で自分も兄弟たちも素裸で居ることが楽しくてしょうがないのだろう。大人はそれを表現することはできないけど、正直な子供たちは思わずキャッキャとはしゃいでしまうのだろう。そんな子供たちを大人の杓子で計って叱るのは無粋というものである。
わたしは登山の際はスポーツ用のピチッとしたパンツをはいていく。運動をするときはいつもそうで、ウオーキングの際も水着の古くなったのを短く切って利用していた。(現在は使っていないが)サポーターとしての効果もあるが、さあやるぞと言う気になり、気合いが入ってくる。どうやらこれは交感神経を刺激して戦闘態勢に入るようだ。運動が終わってシャワーを浴びるためにパンツを脱ぐとすこぶる気持ちいい。副交感神経が優位になって、疲労を回復するモードになるのだろう。脱パンツ睡眠の最大の効果は副交感神経を優位にして、質のよい睡眠をもたらすことである。それによって脳と身体の疲れを癒やし傷んだ細胞や消耗した機能の回復と調整をし、増強を図るということだ。(「脱パンツ睡眠」がなぜ健康にいいのか?より)ところが脱パンツを始めてから様々な問題が起きてきた。つづく
【今日の”のびちゃん”】NO. 48
12月22日(火)おとーとおかーは今年の泳ぎ納め、のびは芝生広場の散歩納め、この前の雪が嘘のようなよい天気。
2020.12.26(土)
クールビズではじめたと書いたが、裸なのでクールは当たり前で、実は逆のウオームビズ、特に就寝時に温かく眠れるようという目的でもあった。 それは40年ほど前、冬山にせっせと通っているころのことである。当時は衣類も装備も貧弱で、雪上でのテント生活、特に就寝は辛かった。それ以前も大変だったが、20代の頃はさほど気にならなかった。背中や足が冷えて眠れないのだ。疲れもあって最初は眠りにつくが一度目を覚ますともう眠れない。靴下から目出帽まで着られるだけ着込んでシュラフに入るのだが-20度にもなる冬山では耐えられない。シュラフの中で考えると、お腹側は温かくて背中側が冷たいのだ。それならばとヤッケとセーターを脱いで背中側に敷いてみる。これが正解で、背中と腰の冷えは解消できた。足も同様に靴下を脱いで下に敷くのだが、素足はやっぱり寒い。そこで首に巻いていた絹のスカーフで素足を風呂敷よろしく包んでみる。これまた大正解で、温かくしかも疲れがとれて、ぐっすりと眠れるのだ。
山の本か何かで「雪国の女の子は素裸で眠る」というのを読んだことがある。勿論昔の話だろうが、そうすると温かく眠れるそうだ。ただなんで女の子なんだと思った、男はどうなんだよと思うが、男だって温かいはずだ。最近読んだ「追われゆく坑夫たち」(上野英信著)の中に、寒い蛸部屋で男が二人ずつ裸で布団に入って眠る話がでてきた。頭と足を互い違いにして寝たそうだが、暖房具がなくても温かく眠る苦肉の策だそうだ。
いずれにしても衣服を着けて寝るより素裸の方が温かく、しかも疲れがとれるのは確かなようである。それがどらほー健康法(脱パンツ睡眠法)を始めた大きな理由である。つづく
【今日の”のびちゃん”】NO.48
17日今年初めての雪が降った、じょんのびで30cm久々の大雪だ。もちろんのびにとっても初めての体験なので心配したが、それなりに歩いていた。じょんのように楽しんでいるとは思えない。
2020.12.15(火)雪
どらほー→Dragon Horse→竜馬→脱藩→脱パンツ、とまあ複雑怪奇な命名なのだが実は気に入っているわけではなく、おしゃれな名称があれば改名したいと思っている。要はパンツをはかない健康法で、世間ではノーパン健康法とも言われている。クールビズの一環で2018年に始めたものだが、そのときは世間にそのような健康法があるものとは知らなかった。2013年から毎年クールビズを紹介しているが、2018年のお勧めはウオーキングサンダルとこのノーパンスタイルだ。今日まで続いているクールビズ用品はこの二つと汗知らず、ダイコーの作業ズボン、麦わら帽子とセンスぐらいだろうか。
とにかくクールビズと言うことでノーパンを実行していたのだが、ある朝モーニングショーを見ていて驚いた。どういうわけか話題がノーパン健康法(そう呼んでいた)になって、有名なニュースキャスターやアナウンサー連中が「やってる?」って聞いたらなんとスタッフを含め多くの方がやってるというのだ。あの美しい女子アナも「やってますよ」って言うもんだから、思わずその寝姿を想像してしまった。(失礼)自分一人のオリジナル健康法と思っていたのが放送界の多くが実行しているとは、なんとも奇妙な現象であると思い、ネットで検索してみる。「ノーパン健康法」で検索してみるとあるわあるわ、体験談や講座の案内などわんさか出てきた。じっくり読める本がないかと見ていると、どうやら「脱パンツ健康法」というのが正統派らしく、その中の二冊の本を買ってみる。
そこでこの健康法が北海道のHBCラジオのワイド番組で取り上げられ大反響を呼んだことが解った。「夜にパンツを脱ぐべきか、否か」なんて論争が何年も続いたようである。それでテレビ局のスタッフがこぞって実行していたことが理解できた。わたしの発明ではなくて、世間では多くの人が実行している健康法だったのだ。つづく
【今日の”のびちゃん”】NO.47
15日はのびの生還記念日である。昨年12月11日の朝から山に逃亡し、15日の朝奇跡的に救出されたのである。逃げ出した日は気温が低く、濃い霧の朝で河添いの堤防を散歩した後おとうの手が離れ逃げ出したのだが、ちょうど同じような気候の朝があったので、写真を撮ってみた。のびの服装はそのときと同じだが、首輪が増えていること、リードが二重になっていることが改良点となっている。
2020.12.11(土)晴れ
三島が国の現状を憂い、元の天皇を中心とした美しい日本を再現すべく自衛隊員に決起を促したが、誰一人決起するものはなく、逆に罵声をあびる結果となった。はたして三島は檄文の内容を自衛隊員が受け入れると思っていたのだろうか。演説を終えて総監室に戻った三島は盾の会の森田とともに割腹自殺するわけだが、それはもちろん突発的なことではなく前もって計画されたことであろう。つまり日本の現状にも未来にも、政治にも自衛隊にも絶望していたのではないかとわたしは思う。演説を聴いた自衛隊員の誰かが決起に同意したとしても三島は自決しただろう。それは三島の唯一の道であり、割腹は三島美学の集大成であったのだろう。肉体改造をし、盾の会を結成し、自衛隊青年幹部と会ったり、東大全共闘との討論会などまるで小説を書いているようで、市ヶ谷駐屯地での割腹自殺はそのエピローグなのだろう。それ以外にこの小説は終えることができなかったのだろう。
三島事件の3ヶ月後、劇団浪漫劇場によってサロメが公演された。演出は三島自身がしていたという。そこまで準備していたのかと、生首の映像を見るたびに驚いてしまう。三島の美学については、六年前に「金閣寺の燃やし方」(2014.12.13参照)で書いたことが参考になるが、泥まみれになっても生きようとする水上勉と対照的である。ただ三島の虚弱体質と水上の貧困と形は違ってもコンプレックスから派生していることは見逃せない。「金閣寺」の中で、主人公溝口が金閣寺を燃やした後自殺しようとするが、思いとどまって生きようとするのは見逃せない。三島美学には反するのだが、事実犯人の林養賢は生きて逮捕されているからだろうか。
多くの論評に、三島は政治というものが解っていなくて、人一人が命を賭して訴えたところで変わるものではないという論が出てくる。三島はそんなことは重々解っていて、自分の美学の完成のためにことに及んだのではないかと思う。また彼が絶対性を求める天皇だって、この世に存在したことはなく、彼自身の中に存在している理想の天皇像なのではないだろうか。古代からの権力を持った天皇がいかに無慈悲で残虐であったか、権力闘争に明け暮れて、とても神とあがめるようなものではない。明治以降の立憲君主制の天皇も、まして今日の象徴天皇も彼の求める天皇ではなかったはずだ。だからこそ日本男児として、武士として美しく散る以外に方法がなかったのではないだろうか。
美しいと思っていた金閣寺がなんとも汚く醜かった、それは存在してはならないと火をつけると、見事に美しい金閣がよみがえった。「金閣寺」の主人公溝口の思いは、三島由紀夫と実に一致することに気づいた。終い方が違うだけである。
嘘か誠か解らないが、事件当日市ヶ谷の陸自の本体は富士の演習場へ訓練に出かけており、広場に集まって演説を聴いていたのは後方部隊であるという情報があった。わたしが宝永火口のそばで夜な夜な聞いていた砲声はその本体の発するものであったのだろうか。おわり
2020.12.10(木)曇り
今日まで記事が書けなかったのは、三島由紀夫の死について考えていたからである。当初はその時富士山に居た事だけを書こうと思っていたのだが、その死について考え始めたら段々深みにはまって描くことが出来なくなってしまった。結論を出そうとしたからかもしれない、でも結論なんて出るはずも無いと言うことが解ってやっと書き始めることができた。
1970年、確かに学生運動は激しかったが、その頃はセクト対立の内ゲバ状態が主になっていて、大衆の支持もなく、三島が自衛隊を使ってまで鎮圧しようとすべきものではなかったようだ。また、盾の会はいったい何だったのだろう。自衛隊の体験入隊で心身を鍛える様子や洒落た制服で統一された姿は週刊誌を賑わせたが彼らが国家の秩序を乱すデモ隊と衝突したというニュースは聞いたことはない。三島の肉体改造などと同様のナルシズムの一環なのだろうか。
三島事件の数年前に三島は自衛隊の青年幹部と会っている。その際には拡大する学生運動を鎮圧できるよう憲法改正のための決起、クーデターを打診したというが、それは見事に断られた。その時の幹部は、国民に銃を向けることはできないと語っていたが、実際には鎮圧の訓練は行われていたそうである。その当時は学生運動の鎮圧が三島の喫緊の問題だったのだろうが、三島事件の1970年には学生運動の鎮圧は彼にとって重要な問題とはなっていなかったと思われる。死を賭してまで訴えたかったことはいったい何だったのだろう、少なくともわたしがかみさんに答えた”学生運動の鎮圧”なんてのは的が外れているのだろう。
11月25日に前後して新聞紙上などで三島事件についての論評が多く書かれ、読者の投稿欄でもいくつかの投稿を見ることがあった。実に様々な見解があり、これだという真相は見つからない。テレビなどで事件前後の動きは詳しく報道されており、真相に近づくヒントは与えられているのだが、一番大切な檄文については、その内容が報道されることはなかった。そして自分自身も檄文を読んでないことに気づく。もちろん内容の一部は聞き及んでいたが、全文を読んだことはなかった。改めて全文を読むと新聞紙上を賑わした思想家の論評がよく理解できてくる。その中で11月23日に讀賣新聞に掲載された先崎彰容日大教授らの論評が的を得ているように思える。
「平凡な生活に満足し、どっぷり漬かっている戦後の雰囲気に耐えられなかった」と平易な言葉で語っておられるが、1960年代は新安保条約、東京オリンピック、学生紛争など三島にとっては耐えられない時勢だったのだろう。
檄文の中に、「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」とある部分を見てもそのことがうかがえる。
しかしそういう考えを持ったとしても自決しなければならないというのは理解できない。つづく
2020.11.23讀賣新聞