2015.10.31(土)晴
御机神社、国中神社を訪ねる(2)
石段の登り口に「龍尾寺(りゅうびじ)」とあり、「龍尾というものがあり、寺宝とされています」などと書かれている。1m余りの渦状のもので末尾に剣のようなものがあるという、これはおもしろそうだ。急な石段が続き、盃状穴が無いものか目を皿のようにして歩く。石材は御机神社と同様の花崗岩質の黒っぽいものがほとんどで、盃状穴らしきものは見当たらない。お寺の建物が見え始めた頃、横長の石段の中央に泥の詰まった穴を発見、指で泥を払ってみるが、底は浅く凸凹としている。人工的に穿たれた穴のようだが盃状穴ではない。盃状にはなっていなくて、内側が滑らかでない。少し行くと同様の穴を発見、これも先ほどと同じで盃状穴ではない。ただ、どちらも横長の石材のほぼ中央に穿たれている。
人工のものだとすると一体何の目的で掘られたものか?この石段の幾つかに矢穴跡の残っているものがいくつか見られる。矢穴とは石の切り出しや加工の際にくさびを打ち込むための細長い穴のことである。丸い穴も加工する際に必要となる穴なのかなと昔の加工技術を調べてみるが、どうも丸い浅い穴は見つからない。丸くて浅くて底面の凸凹した穴は他のところでもちょくちょく見かけることがあるので、その正体がわかるまで記録だけは残しておこう。ひょっとしたら自然のものかもしれないのだ。
少し行くと四角い石に直径が12,3cmもあろうかという穴が見つかった。
これは明らかに人工のものだが、何かの転用と思われる。礎石であって柱を受ける穴ではないだろうか。このように盃状穴ではないがやたら大きな穴がひとつの石に一個あいているものもたまに見かける。西屋の八幡社で見つけた石垣の穴などもその例で、これも礎石の柱穴と考えればいいのだろうか。
西屋八幡社石垣。
本堂周辺には鐘楼や庭園があるがそのどこにも盃状穴は見つからなかった。かなり古い石仏や道祖神のようなものもあり、お寺の古さを感じる。
龍尾寺にも盃状穴は見当たらなかった。この付近に盃状穴を穿つ習慣は無かったようである。下りがけに右手林の中に朽ちた石垣を発見、お寺の遺構なのか、それとも飯盛城の出先なのか、城にしてはきれいに残りすぎだななどと勝手な想像をしながら降りてくる。
石材はいずれも同じものでこの付近に産するものだろう。
そして龍尾を見てくるのを忘れたことに気付く。後で調べたらちょっくらちょいと見せてもらえるものでもなかったそうだ。石造物を探しながら忍ヶ丘に向かうハイキング道を行く。つづく