2018.6.19(火)雨 解明マヤゴ-1は2018.3.22
地名に関する辞典のたぐいは、「古代地名語源辞典」「民俗地名語彙事典上下巻」日本地名大辞典」「京都府の地名」「地名の語源」「日本地名ルーツ辞典」「地名アイヌ語小辞典」など多く所有しているが、それらを牽いて謂われが解る地名は数少ない。「マヤゴ」についてもどの辞書にも載っていない。「時代別国語大辞典上代編」はたまたま他の調べものをしたくて府立図書館からお借りしたのだが、そこに「真屋・まや」を見つけて驚いた。
上代語辞典とは口語で語られていた言葉が文字で表される様になったときの言葉を表しており、記紀をはじめ万葉集や新撰字鏡、名義抄、和名抄といった文献や辞書の中に出てくる言葉を表したものである。三省堂の国語辞典上代編に「まや」は真屋・両下とある。マは形状言、元来は屋をほめていったものだろうとある。つまり真の建物、本来の建物という意味である。本来の建物でなく付属的な建物が納屋、馬屋、木屋、小屋といえるのだろう。しかし両下とはなんだろう。屋根を棟の両側へ葺きおろした両流れ屋根・切妻造り、妻入りの家を指す。切妻造りとは神社建築に代表され、古墳時代には宮殿建築であり、最も立派な建築物だったのだろう。真の屋と言われる所以である。つまり聖神社の社殿こそが真屋である。
大唐内の聖神社、マヤの語源はこの社である。
では「ゴ」とはなにか。これも上代語辞典で解明した。こ・処で名詞、代名詞に付いてその場所を表す。ゴはその濁音の仮名とある。愛宕(あたご)綿子(わたご)勢古(せいご)など語尾にゴのつく地名は同様に処を表す接尾語なのかいつか調べてみたい。
老富町のマヤゴは将にそのとおりの場所にあり、聖神社の社のあるところと解していいだろう。何年も考え続け、解らなかった地名が一冊の辞書で解明できたことに驚きと喜びを感じているが、実はこの辞書大変高価で手が出ないので、当面府立図書館にお世話になりたいと思っている。
水田さんが朝鮮語で聖なるところと言われた真意はわからないが、神社のあるところなら意味は通じているかなと思っている。
2018.6.16(土)晴れ
昨年MAFの定期演奏会に行って大変よかったのでことしも出かける。ちなみにMAFとは舞鶴、綾部、福知山の頭文字で、MAF管弦楽団という。アマチュアといえどもその規模や取り組みはプロ並みで、少なくとも一生懸命さはプロにも負けないとおっしゃっている。わたしが好きなのは曲目構成が良くて、ステージが楽しいことである。今年はいきなりメインの演奏で、シューベルトの交響曲第8番ハ長調「ザ・グレート」から始まった。聴くのは初めてなんだが、相当に難しい曲だそうだ。最も気に入ったのは第二楽章で、メロディーもいいが管弦楽器の掛け合いがとても迫力があって大満足だった。一体これだけ大勢の楽団員がどこでどのように練習されているのか不思議に思える。いづれにしても相当練習を重ねられたことだろう、大熱演だった。
800円、家から15分でクラシックコンサートが楽しめるのは最高!
第二部は喜歌劇「ジプシー男爵」から「入場行進曲」、ドナウ川のさざなみ、ピチカートポルカ、スケーターズワルツ、ワルツ「金と銀」、ポルカ「雷鳴と稲妻」と多くがおなじみの曲で実に楽しい。指揮の奥村さんも「ウィーンでニューイヤーズコンサートを聴いている感じで聴いてください」とおっしゃっていたが、将にそんな雰囲気で楽しかった。でもなんか足りないなと思っていたら、アンコールでラデツキー行進曲が流れた。観客一同の手拍子でコンサートの楽しさを満喫させて頂いた。これこそMAFな時間といえよう。
楽しい時間の終わり、また来年もね。
来年も行きますぞ。次は大フィルと牛田智大のラフマニノフピアノ協奏曲第3番だ、楽しみですぞ。
2018.6.15(金)雨
山に行こうと決めていた日、朝からあいにくの雨で中止となる。ここぞとばかりに観たかった林典子写真展に行く。会場は立命館大国際平和ミュージアムで昨年7月にも写真展に訪れている。ヤズディとは独自の信仰を持つ少数民族で、2014年ダーシュ(イスラム過激派IS)の襲撃を受け約5,000人が殺害、6,000人の女性が性暴力を受けるという惨劇に見舞われた。フォトジャーナリストの林典子氏はそのヤズディの日常に寄り添って写真を撮り続け、写真集「ヤズディの祈り」を出版された。その一部の46点が今回展示されたものである。襲撃されて廃墟となった家や被害を受けた女性がその後どのようにして生きているかなど多くの写真が物語っているのだけど、林さんは「写真に写る一人ひとりについて何かを想像してもらえたら」と書いておられる。
ISの暴挙に対してわたしたちは「なんてひどい奴らだ、イスラムの名を借りてとんでもない暴挙を行う人間性のかけらも無い奴らだ」と思うだろうけど、果たしてそれでいいのだろうか。彼らだって生まれてすぐにそうだったわけではないし、家に帰れば優しいお父さんであったり、お兄さんなのではないだろうか。彼らのバックで戦争を繰っているやからこそが悪なのではないだろうか。銃だってそうだ、彼らが私財を投じて買っているわけでもなさそうだし、どこかでそれを供給して儲けているやつがいるはずだ。ひょっとしたら敵にも味方にも売っているかもしれない。
戦場の性暴力と言えば旧日本軍の従軍慰安婦の問題がある。韓国発で「花ばぁば」と言う絵本が刊行された。権力と暴力に踏みにじられた女性に寄り添う内容で「ヤズディの祈り」と同軸の趣旨を感じる。作家のクオン・ユンドクさんは「慰安所の女性を暴行した兵士も、一人一人は戦争に動員された被害者。真に裁かれるべきは国家権力だと気づいた」と書いておられる。この本の最後にはベトナムとイラクの女性が登場する。時代や国を問わない戦争と人権の問題であることを理解して欲しかったと言われている。
「ヤズディの祈り」は7月16日まで開催されている。
2018.6.7(木)晴れ
7月8日宮津で開催されるわらび座公演「北前ザンブリコ」に行けないのでがっくりしているところに、上林にわらび座が来ることになった。府教職員互助組合の支援事業ということで毎年参加している文化事業である。昨年は京響弦楽四重奏、その前は茂山一門の狂言で小中一貫校の子供たちと一緒に楽しめるものである。
今年はミュージカル「セロ弾きのゴーシュ」で一月前から楽しみに待っていた。わらび座は角館から田沢湖に向かう道中付近にあり、2006年に付近を通ったのだが当時はわらび座の存在をも知らなかったので、訪れることもなかった。
上演中は写真が撮れないので、開演前に、、、。
セロ弾きゴーシュはご存じ宮沢賢治の原作で、小学生の時に読んだがどんなストーリーだったかすっかり忘れていた。上手にミュージカルに仕立て上げられていて、子供も大人も楽しめる。年齢いったせいか涙腺が弱くなって、泣くとこでなかっても目に汗をかくようになった。出演は3人で一人何役もこなし、涙あり笑いありの大熱演だった。従前より観客も多くて劇団の方にもよかったと思う。帰り際の挨拶時にザンブリコの話も聞かせてもらったら、「私の同期の者も出ているので是非来てください」とのことだった。いやー、行きたいねえ。
ザンブリコは7月8日みやづ歴史の館文化ホールで
【今日のじょん】暑くなってきたのでお出かけできなくなってきたのだけど、プレート田村さんなら室内なのでたまに出かける。ルークは相変わらずやんちゃだが、マウイちゃんは16才とかで大変そう。6月5日
2018.6.4(月)晴れ
野球に連敗は付きものだがあまりにも内容が悪いのでテレビ見るのやめていたら快勝していたのは2日のことである。しかも巨人も広島もDeNAも負けている。3日の朝刊は久々にスポーツ欄から開いてみる。するとだ、なななんと!巨人が3位になって阪神が4位となっている。確か1日の時点では阪神が3位で巨人が4位だったのに、なんで負けたチームが勝ったチームより上に行くんだよ?。
2日と3日の読売新聞
不安になり2日の新聞を見ると阪神23勝24敗で3位、巨人23勝25敗で4位なのだ。以前にもこのようなことがあり、なぜ読売新聞はこんな間違いを犯すのかと不思議に思っていた。間違いならば多くの問い合わせがあり、翌日にはお詫び記事が出るはずなんだがそのような記事は一向に出ない。ひいきチームが負けた時はスポーツ欄を見る気もしないが、この変な順位表で巨人ファンが喜ぶはずもないのに、、、と訝しがっていた。「それはきっとナベツネに対する忖度やで、、」とかみさんが言う。なるほど彼なら喜びそうだ。
ところがこの記事を書くために順位表と試合結果をつぶさに調べてみると、両者にタイムラグがあることに気づく。2日の新聞には1日の試合結果と31日の順位表が掲載されており、3日の新聞には2日の試合結果と1日の順位表が載っている。これは地方の新聞に限ったことで輸送に時間のかかる地方には早く印刷をする必要があるためだと聞いたことがある。
まあそういうわけで、地方の読売新聞ではこのような現象が年に一二度起こるわけで、ナベツネ忖度ではなさそうだ。天下の読売新聞が間抜け政府みたいなまねしねえわなあ。
でも試合結果が印刷できるんなら順位表も最新情報を載せろよなあ。同じ3日の京都新聞では糸井の満塁弾逆転の見出しの下に2日の順位表がきちっと掲載されているのである。
3日の京都新聞、これでいいのだ。
2018.6.2(土)晴れ
8020運動というのがある。80才で20本以上の歯を持っているという運動だ。20本どころか今持っている歯は一本たりとも減らさないぞと心に誓い、口腔衛生に気を遣ってきた矢先に悲劇が起こった。
昨年末から妙に歯が滲みるので歯科医にかかり、かみ合わせ調整で治って名医だと喜んでいたのだが(2018.2.28参照)ものの1ヶ月でまた痛くなり、そのうち歯の間に穴が開いてきた。ひょっとしたら詰めてあってそれが取れたのかと再度歯医者に行く。「これは歯が割れてますねえ、抜くしか無いですがどうします?」「えっ!?、抜く以外に無いのなら抜いてください」「予約が詰まってますので、3週間後に来てください」え゛~3週間このままでいるわけ????
そういえば1月にひょっとしたらひびが入ってるかもしれないということだったが、それって確実にひびが入っていたわけだろう。そこでなんとか対処法がなかったのだろうか?かみ合わせ調整なんて悠長なことやってて滲みるのが止まったもんだから名医?なんて言うのは大間違い、そんときそれなりの処置をしていればそれは名医だけど。ここに至って抜くしか無いってのも納得のいかない話だけど、3週間後ってえのもなんともやるせない話だ。
その歯は虫歯でもなく、治療した歯でもなく健康な歯なのだ。だからこそ納得がいかない、ヒビが入っているという時点でなんか対処法は無いのだろうか。いずれにしても歯医者さんには逆らえない、まな板の上の鯉そのものだから、、、。待っている間に歯の隙間は日に日に開いていく、まるで大地状態で溝帯のようだ。ところがその部分には傷みは無い。虫歯と同じ状態で神経むき出しのはずなんだけど、、、。
いよいよその日が来た。「先生なんで痛くないのですか?」「う~ん、なじんできたのですかねえ」
あの強烈な歯の神経がなじむもんですかねえ???もう諦めて鯉を決め込む。抜歯は実に見事な手際だった、傷みもなければ出血も無い、しかも超短時間、そろそろ始まるかなと思ったら、終わりましたよ~なーんて。口の中で土木工事が始まるかと思っていただけに拍子抜け。見せてもらった歯は見事に真二つに割れている、なんでこんなことが起きるのだろうか。40数年前御池通の有名な歯医者で親知らずを抜いたときは、痛いは、血は出るはで一晩苦しんだのが嘘のようだ。そういう意味で先生は抜歯に関しては名医としておこう。でもこの歯一本で半年近く苦しんだのはいったい何だったのだろう。なにか釈然としない抜歯事件であった。