晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ウッドデッキ奮戦記(2) 11/30

2012-11-30 | DIY

2012.11.30(金)雨

 水糸で長さを出すというのは無理があるようで、伸縮しない紐を探すと純綿の水糸が出て来た。これで再度やって見ようと思っていたら朝から雨である。諦めて残りの材料を購入し、経費を出してみる。今日現在で43,000円使用。
 ウッドデッキ部分の材料はほぼ購入済みだが、あとどのくらい塗料が必要かだ。
そして問題は段差部分とフェンス、床下ネットの経費である。できるだけあり合わせのものでやろうと思うが、塗料やボルトナットなど如何ともしがたいものが必要だ。
P1030272



左足下がり、前足上がりの歪んだ空間、これが予定地だ。(11.16)

 それと4年余り酷使してきたツールが段々壊れてきた。ドリルドライバーの充電池1個が使用不能になっているし、インパクトドライバーの着脱部分も怪しげになっている。メジャーも壊れて購入し、鋸の歯など消耗品も要る。こういうお金って馬鹿にならない。
 そして技術的な問題は、植木用のホールを作れということだ。しかも今植わっているコニファーを使うという複雑な問題だ。もう一本はシマトネリコを移植するという計画なのでこれも気を使う。人が乗って歩くものだから、単に穴だけ開ければいいってものじゃなさそうで、根太を入れて補強しなけりゃいけないだろう。P1030328
 



この木をデッキ内に入れるので大変。(11.21)

 そして予想外に高くなった段差、一段で済むと思っていたのがどうも二段要りそうだし、スロープもあった方がよいかななんて考えるとちと大変だ。
 そして床下、防草対策は前川さんのトラックの幌で完璧に片付いたが、小動物対策のネットが必要か否か。
 それと落とし物対策、かつて他所のウッドデッキでキーを落としてえらい目にあったことがある。竿かなんかで取れるように講じておかなければと、お客さまに使って頂く場合は気を遣う。もっともお札でも落とされたときは、「残念ですが取れませんね~」なーんちゃったりして、、。
 まっこんなこと考えてるうちが華のようだ。

【晴徨雨読】122日目(2006.11.30)焼津~御前崎
 焼津から太平洋自転車道を走る。実に浜松までこの道にお世話になった。おそらく日本一長い自転車道だろう。ところが道も案内も整備されているところもあるが、ほったらかしでえらいことになってるところもある。ルートファインディングが必要となる。自転車で走ることは楽しめるが、人々の暮らしや文化に触れるということは出来ない。自転車道とは一種の独立したというか隔離されたスペースであることには違いない。今日の場合は軽便鉄道の廃線跡を利用した自転車道なので面白いところもあった。Img_1950 Img_1952




景色は良いが退屈な自転車道。


【今日のじょん】:ジャンプの途中でボールを置いて、その辺を嗅ぎ回るのは実はパフォーマンスなのだ。何かをするのが嫌なとき、仕事してるんだぞっという感じで嗅ぎ回るわけ。見え透いたことすんじゃねえ。もっとも普通の者なら騙されてしまうけど、、、、。P1030378

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ウッドデッキ奮戦記(1) 11/29

2012-11-30 | DIY

2012.11.29(木)曇

 かみさんがウッドデッキが気に入って、年内に完成するようにとのお達しなんだが、連日の雨模様で一向に進まない。
 最大の理由は根太の塗装が進まないことだったのだがようやく予定の塗装を終えた。何しろクレオトップ2回と木部保護材2回の4回塗りだから大変である。
 9cm角3mを5本用意したのだが、グリーン材なのでしっかり曲がっている。一応芯材なので、真っ直ぐそうな面が上に来るようにして、下面に背割りを入れる。まあ気休めのようなものだ。
 そして塗装なんだが、やっぱり上林の湿気には相当の対策が必要だ。ましてや先年のような雪だと4ヶ月近く濡れて居るわけだから堪らない。
 床の部分も予算上上等な材は使えない。アイアンウッドなど使えば塗装も要らないほどと聞くが、SPFのふにゃふにゃ材だから堪らない。これも4回塗り、手間かかるぜ。P1030379
 



 
2×4、60本置き場所にも困る

 そして次の問題は予定地が予想外に傾斜があること、しかも斜め方向に下っており、端がどんと落ちているから始末が悪い。沓石も三種類買ってきて、一番高い所は最も小さいのを埋め込み、低いところは最大のものでも柱を足さなければならない。
 斜面が落ち込んでいるところは杉の丸太を埋め込んで柱にする、得意の掘っ立て工法だ。
 最も苦労が直角出しである。今までの小屋ぐらいならメジャーで対角線が測れていたけれど、今度の大きさではきっちり測量をしないととんでもないことになる。しかも斜面が歪んでいるので、目の錯覚が強烈である。
 3:4:5の比率で水糸を引けば直角が出るというのは納得で、幸い一辺は3mなので、長さを測って張ってみる。もちろん水盛りもして高さも出す。
 ところが水糸というのは高さの規準を作るもので、長さを合わせるものではないらしい。なぜって引っ張ったらいくらでも伸びるのだから。P1030380




アインシュタインの歪んだ空間での直線は歪んだように見えるが、、、、

 というわけで紐で直角を出すとしたら、伸び縮みしないものが必要なわけだ。その上で水糸を思い切り張ればいいのではないか。
 とまあ今日はここまで。明日紐探してこよう。

【晴徨雨読】121日目(2006.11.29)静岡~焼津
 石田徹也は31才の若さで急逝した、2005年、踏切事故と聞く。静岡を発とうというときふと彼の遺作展示会のポスターが眼に入った。どっかで見たような絵だと思い会場に入る、そして驚愕の作品の数々に驚く。彼の作品は一体どういうジャンルなのだろう、ビジュアルアート展などでグランプリを取っているからビジュアルアートなんだろうか。でもそんなことはどうでもよくて、彼の作品の一つひとつに恐ろしく引きつけられるのである。焼津の生まれという事なので、今日は焼津に行こうと決める。現地で買う勇気が出なかった石田徹也遺作集を帰宅後に購入する。P1030381




遺作集をじょんのびで展示しています。

【今日のじょん】:夕方じょんが妙にいぢけている。お豆腐やさんに吠えておかーに怒られたそうだ。お豆腐やさんは玄関の方から上がってくるので吠えるんだと思うが、いぢけている様子が何ともいえない。P1030374

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晴徨雨読の正しい見方 11/28

2012-11-29 | 日記・エッセイ・コラム

2012.11.28(木)曇

 お気づきの方もあろうかと思うが、最近コメントの受付を中止している。わけの解らんスパムなる迷惑コメントが入り始めたのだ。以前にも有ったのだが、一時止んでいてまたぞろ始まったので困っている。
 内容も下劣なものなんだが、読者に変なウィルスでも感染したらと心配になる。
 毎日チェックしてスパムとして登録し再度受け付けないように対策していたんだけど、敵もさるものでいろいろとアドレスを変えたりなんかしてるんだろう一向に止まない。そこで考えて、受付を中止し、二,三日経過した記事から受け付けるようにしてみた。旧い記事には入ってこないので有効かなと思っていたが、どうもコメントを受付して記事を登録した時点で送信するようにプログラムされているようだ。
 あとはコメント投稿者を登録制にするか、なんか文字や数字をいれてコメントするようなタイプにするしか無いようだ。これって投稿者にとっては面倒なんだが致し方ない。そういうことで当面受付を中止するので悪しからず。なお、どうしても言いたいことがある方は、旧い記事の欄にコメントしてください。

 「写真が小さくてわからん」という意見もあった。これは簡単、クリックすれば拡大されるのでよろしく。

 「バックナンバーが1年分しかない」というご意見もあった。バックナンバーのところをクリックすれば、総ての記事が出てくる、ちなみに開始は2006年6月かな。

 
 【晴徨雨読】120日目(2006.11.27)下部温泉~静岡
 下部温泉はぬる湯が有名で、宿でも普通の湯とぬる湯の二槽となっていた。信玄の隠し湯とも言われるが、信玄にとって大切だったのは湯ノ奥金山だろう。名のとおり下部温泉を奥に遡るのだが、温泉街でもえらく細い道なのにまだまだ奥に集落があるとは思えない。もっとも下流に湯ノ奥金山博物館というのがあって、そこは見学したのだが、その時はさしたる興味も沸かなかったのだ。今思うと、もう一泊して金山まで登れば良かったと思う。実は作日下ってきた本栖湖からの道沿いにもいくつかの金山跡があったようだ。Img_1905


このあたり金山地帯だったのだ。


【今日のじょん】:P1030367 P1030366 何を見てるのでしょうか?これでした。




何を見てるのでしょうか?これでした。P1030370 P1030369

 


本能的に鳥には反応するのでしょうか。

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続・富士山 東海道 11/27

2012-11-28 | 旅行記

2012.11.27(火)雨

 東海道五拾三次には思い入れがある。自転車日本一周に出る前に、なにか旅のテーマを模索していた。結局そんなものは持たずに彷徨したわけだが、それが正解だった。
 新聞に、広重は実際に東海道を旅しているのだろうか?という記事が載った。続いてNHKの番組でも現在の実際の影像と広重の図を比べて様々の矛盾点を出したり、元になっただろう絵図と比較したりして、広重の謎を紹介していた。これは初めて見聞きする者にとってはショッキングな話である。それなら実際の風景と広重の図を自分の目で見比べてみようなどと考えたこともある。Img_1845 Img_1849
 



保土谷、小田原(2006.11.24)


 どうやら東海道五拾三次には元になった絵があるようで、今回収集したものの説明文も「東海道名所図会」を参考にしているという視点で書かれている。
 2年間じっくりと五拾三次を見ていると、広重の江戸の粋というかしゃれっ気が見えてくる。絵の細かいところの矛盾や無理をとやかく言う説ややれ引用だ、盗作だという御仁もあるようだが、そういう次元では無い江戸の芸というものを感じる。
 今年の1月4日の讀賣新聞文化欄に(広重東海道の旅)「否定説の再考促す見解」という興味ある記事が載った。内容は略するが、「他人の絵を見て描いたことと、実際に景色を見た、見ないは別の話。云々」とある。
 ともあれ、収集した55枚の絵をファイルにして店に置いておきたいと思う。興味ある人は見て頂きたい。Img_1858 Img_1947




箱根(2006.11.25)大井川(2006.11.30)

 さらにもうひとつ、現在注文中なのだが「東海道書遊五十三次」種村秀弘著、朝日新聞社刊という本を新聞で見つけた。抱腹絶倒の道中記満載というキャッチフレーズだからこれも楽しみである。

 【晴徨雨読】119日目(2006.11.27)富士吉田~下部温泉
この日になっても天気は回復せず、霧雨の中を出発する。青木ヶ原や風穴はガスの中でかえって幻想的な雰囲気となっている。本栖湖の辺りでようやく青空が出始めて、身延へ下り始めるところでの南アルプスの雲海の風景は絶品であった。雲海といっても霧ではなく、ガスである。Img_1893 Img_1901
 



風穴、青木ヶ原

身延は初めて南アルプスに登ったときのスタート地点で懐かしい。奇しくも作日の朝刊に奈良田温泉の小さな記事が載っていた。行ったこともない温泉の名をなぜ憶えているのだろうといぶかしく思っていると、伝付峠に取り付く際のバスの行き先が
そうだったのか、5万図の表題がそうだったのかわからない。とにかく今日では登らないだろう伝付峠を越えて二軒小屋まで行ったのだ。それから2週間ほどの合宿となるのだが、新人のこととてどこをどういったのか憶えていない。とにかくあの峠だけは意識の中では日本一苦しい登りだった。そんな山々がガスが上がって見え始めたときは、なんとも懐かしい思いがしたのである。Img_1906




雨上がりの南ア

【今日のじょん】:毎日雨でいやんなっちゃうよ。P1030360 P1030364  
  



作日と今日、いっしょやないけ~。 

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富士山・東海道 11/26

2012-11-26 | 旅行記

    2012.11.26(月)雨

 作日、旧東海道、富士山などの記事を書いたが今少し書いておきたいことがあるので連続シリーズ【晴徨雨読】と併せて本日の記事に致したい。
 作日は小春日和の好天だったが今日はもうどしゃ降り、2006年の25,26日と同じ情況である。25日の箱根越えは最高の日和だったが26日の篭坂峠越えはすっかり雨、旅行中ベスト3に入る雨の走行となった。雨の日は下りがつらい、身体が冷えて、特に手指の感覚が無くなるのだ。ブレーキを掛けようと思っても手指がいうことを聞かない。これって結構恐怖なのだ。この日河口湖マラソンも行われていた、何とも気の毒な天候である。
 富士吉田は富士講の拠点である。郷土資料館などは富士講の資料で満載なんだが、じつはあまり興味が無かったためか、写真なども一枚も残っていない。Img_1877




雨の篭坂峠越え、視界50mってとこか

 とまあこれが2006年11月26日の印象なのだが、今年になってひょんな事で富士山への興味が沸く。それは讀賣新聞6月13日の記事である。「富士山旧道 信仰の跡次々」というもので、山梨県の埋文センターが2009年から3年間かけて発掘調査をされたものである。それは明治期に開発された現在の吉田口登山道とは違う、もっと古い登山道、信仰の道なのである。石碑や礎石、古銭や火打ち石などの遺物も発見されている。なんとロマンだろう。P1030362
 



 私自身富士山は何度も登っているがそれは御殿場口で、なんとも味気ない登山道である。一度だけ吉田口を登ったが、富士スバルラインをバスで上がり、五合目からの登山となる。もっともほとんどの登山客がそうするようで、現在の吉田口でさえ荒れているようだ。2006年には発掘調査も始まっていないのだが、今から思えば吉田口ルートを自転車で登り、スバルラインをダウンヒルするなんて面白そうだなあと思う。そんな気持にさせなかったのは悪天のせいである、なにしろ富士吉田からは一度も姿を見せなかったのだから、、、。つづくImg_1878




27日になっても富士山は姿を見せなかった。本来はこの鳥居の上に見えるはずなんだが、、、。


【晴徨雨読】118日目(2006.11.26)御殿場~富士吉田
本文に登場のためお休み。

 【今日のじょん】:いよいよ寒くなって、着るものが多くなってきた。朝の着替えも大変だが洗濯物も大変だ。じょんはえーわなあ、自動調節毛皮一枚で一年中間に合うのだから。毛の量と質が夏冬に変わるのだろう。それでも日中の気温差も激しいので、暑いときはうらめしじょんをしているが、寒いときはまーるくなっている。かみさんがアンモナイトじょんと言っていた。P1030361うまいこというなあ。

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今日という日 11/25 

2012-11-26 | 日記・エッセイ・コラム

2012.11.25(日)晴れ

 1970年の今日、三島由紀夫が自決した。富士山の宝永火口の傍のテントの中でそのニュースを聞いた。三島由紀夫に傾倒していたわけでなく、何の関心も無かったのだが、冬山の合宿中に起きた事件だけに余計衝撃的だった。
 そして36年後の2006年の今日、箱根の長尾峠から御殿場側の富士山を眺めている。富士山はどこから見てもいい山だが、この峠からは特に素晴らしい。36年前の今日はあの宝永火口の傍に居たんだなあと感動する。Img_1864
 



左の大穴が宝永火口、火口の右上辺りに八合目の幕場がある。

2006年11月25日は自転車日本一周旅行の117日目、箱根湯本のそば屋さんから箱根を越えて御殿場を目指す。折からの観光シーズンで車が多くとても1号線を登る気はしない。宿の女将が「自転車で来た人がここの坂は日本で一番きついと言ってましたよ」なーんて威かすのが、旧東海道である。やってやろうじゃないかと思うが、狭い道に1号線の迂回車が入ってきたら最悪だなと不安はある。
 結果は車も無く、急登も今日まで越えてきた峠に比べればどうって事無く、簡単に登り終えた。旧東海道ったって江戸時代の道がそのままあるわけで無く、所々に遺跡として残っているぐらいだ。道中で作日小田原で会った東海道歩き旅の若者を追い越す。車の多い東海道を自転車で走る気はしないが、歩き旅なら面白そうだなと思う。Img_1855
Img_1857 



こういった街道跡がいくつか横切っている。

 仙石原からはまた渋滞がはじまり、乙女峠のトンネルなどとても走る気がしないので、遠回りだが長尾峠に廻る。そして最高の富士山の光景に出合う。ご褒美もらったようでとても嬉しい。
 とまあ6年前の今日はこんなところだが、本当の今日はのんびりと新聞を読んでいる。すると今日は讀賣新聞の歌川広重東海道五十三次額絵シリーズの最終集が同封されていた。実に21ヶ月にわたって配布されてきたもので、石部や大津とともにあの有名な三条大橋の図が配布された。P1030358
 江戸の日本橋にはじまり、55枚の摺り絵が2年近くかかって送られてきたのだが、説明文を読みながら眺めていると自分自身が旅をしているような気分になって楽しい。今日はさしずめ長旅が終わって京の街で打ち上げでもしようかという日なのだろう。

【晴徨雨読】は本文に記載のためお休み。

【作業日誌 11/25】
ウッドデッキ、根太、床の材塗装

【今日のじょん】:久々の好天で朝の霧は深い、霧の中から朝日が出るところが一番好きな光景なんだけど、待ってられなかった。じょんは新しいイノシシの堀痕が気になるみたい。P1030355 P1030353  

 

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農地にも侵入 11/24

2012-11-24 | 違いのわからん農学士

2012.11.24(土)曇

 川向かいの耕地にイノシシが入っているのは聞いたが、今朝は強烈な堀痕を発見、一頭だけだと思うが防獣柵を破って入っていることは確かだ。P1030347 P1030348




イノシシの掘った痕が延々と続く。
 

 現在は農作物も無く、堤防や土手を荒らされるだけで被害には到らないのだろうけど獣が柵を破って、あるいは飛び越えて侵入していることには違いなく、いづれ農作物があるときに被害が出ることは確実に予想される。
 先日市議会報告のチラシが入っており、昨年の防獣柵の設置の件が記載されていた。何でも京都府全体の総事業費が2億1千万円だとか、その半分を綾部市でつかい、総延長400Kmの防獣柵を設置したそうだ。
 原発立地交付金を使って総事業費18億円、160Kmの防獣柵を作ろうというお隣のおおい町には比ぶべくも無いが、効果はそれなりにあったそうだ。P1020086
 




こんな感じで400Km設置されたわけ(2012.7、上林川)

 わたしは雪中八策防獣編で今年の2月20日から3月29日まで26回にわたって主に防獣柵について書いてきた。未読の方はバックナンバーで読んで頂ければ良いかと思うが、要は現在の防獣柵はあくまでも応急処置であって、この間に本格的な防獣対策を進めないと反って逆効果になるというものである。
 この議会報告を見ても、行政や農業者の様子を見ても、本格的な防獣対策を模索しようとする姿勢は見られない。今回の防獣柵設置で総てが解決済みという感じがして仕方がないのである。
 しかし本格的、恒久的な防獣対策を模索するには大きな条件がある。農業者だけでなく住民の総てがこの地で生きていこう、子々孫々にいたるまでこの地で生きていこうという気概が必要だということである。できるできないは別としてそういう気概が無い限り目先の対策でいいや、自分の代だけの効果でいいやということになるからである。
 そういう意味では市で行っている都市部からの流入、移住対策もいいけれど、この地に育った者が出ていかない、この地の出身者が帰ってこれる施策を考えなければならないのではと思う。
 こういう風に考えると雰囲気は絶望的になるのだが、長い目で見ながら追い求めていく課題だと思う。
 くしくも衆議院選挙が近づいている、こういう政策を持った候補者が居ればどこの党であれ投票しようとおもうのだが、今のところそのような候補者は見当たらない。
 
 さて現実に戻ってじょんのびファームだが、応急の鹿ネットで昨晩の被害は免れた。近所の畑では残っていた大根も総てやられていたので夕べも襲来していたことは確かである。あらためて”行儀が良い”と言ったことは撤回する。P1030349 P1030346

 


急遽張った鹿ネットのお蔭か被害は免れたが、近所の大根はすっかりやられた。
一昨日少し食べて、大丈夫と思い翌日全部食べたのか。どっかの国と同じやなあ。



【晴徨雨読】116日目(2006.11.24)横浜~箱根湯本
首都圏を脱出できると思うとやれやれという気持、国道1号線はすこぶる走りにくいが湘南海岸に出ると自転車道などもあって快適。正月の箱根駅伝で報道される辺りかと思うのだが、この防風林の中にテント生活を続けるホームレスのことがNHKで取りあげられていた。どういうテーマだったのか忘れたが、テント生活とは言え必要なものは揃っており、芸術家や文化人といった人が林の中に村を作り上げているというような内容だったと思う。その時は知らなかったので、のぞき見ることはなかったが、箱根駅伝を見る度にあの林の中を想像してしまうのである。Img_1846




茅ヶ崎で富士山が見えた。こういう感じの砂防林が続いている。


【作業日誌 11/24】
ウッドデッキ基礎作り

【今日のじょん】:本文に登場のためお休み。

 

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じょんのび領侵される 11/23

2012-11-24 | 違いのわからん農学士

2012.11.23(金・祝)雨

 天気予報が的中してしっかり雨になった。予定していた弥仙山登山はもちろん取りやめ、何をしようかなと考える朝であった。
 実は昨晩、真夜中にすぐ近くでピューっと鹿が啼いたのである。同時にじょんも飛び回り、吠えまくり大騒動であった。三基取り付けてあるセンサーライトも作動していないし、懐中電灯で照らしても姿は見えない。
 朝になって鹿の気配が残っていないかと見回るがそれらしいものも無い。ところがじょんのびガーデンのマルチの畦に妙に穴が多いのだ。あれ~っと思ってよく見ると、栽培用の穴で無くて、鹿が歩いて開けた穴だ。
 被害は白菜数本、ジャガイモの葉数本だけであるが、侵入されたことにショックを隠せない。P1030336
P1030337P1030339 



左:ちょいと見ただけでは解らない。
中:マルチの穴が増えている。ここの白菜はほとんど全滅。
右:ジャガイモの葉2本分やられる。


P1030342   
P1030345



左:侵入口はこのあたりらしい。
右:近所の畑も大根の葉をやられている。猿よりは行儀が良い。


 実はじょんのびガーデンに5年近く野菜などを作り始めて被害はいくつかあった。最初はアライグマに夏野菜を、冬には長芋をやられ、次は猿に大根をやられ、お次はカラスに胡瓜、トウモロコシをやられと軒並み続いているのだが、鹿だけは入ってこなかったのだ。
 かといって鹿が居ないわけで無く、当初からのり面を通路にしていたわけである。隣地には夜な夜な現れ、ミョウガの葉から水仙まで食べられている。我が家の北のかどには当初から鹿の糞があった。他のところに無いのは、定位置が決まっているのだろうか。
 前の府道ではこの間に二頭の鹿が交通事故で死んでいる。要するに鹿は最初から居たわけだが、食害は無かったのである。
 それが昨年初めてのり面の蔦の新芽を食べられていた。そして今年になってまた蔦をやられているなと思ったら、じょんの記念桜やユスラウメなどの皮や新芽をやられてしまった。これには参って、紐を巻いたり、ネットを引いたりして対策を取ってどうやらおさまったと思った矢先の侵入である。
 これってどっかの国の領土侵略と似てないかい。甘い顔してると少しずつ侵略を広げ、気づいたらすっかりやられてしまったりして、、、。
 てなわけで、買い置きの鹿ネットを雨の中で張り終える。100円200円で売ってる野菜を作るのにこの苦労は、、、、と思うと情けなくてやってられない。

【晴徨雨読】115日目(2006.11.23)横浜、明治大学など電車で廻る。
 是非行ってみたかった母校明治と神田界隈。校舎は高層の凄いビルになっており、趣のあった昔の建物は微塵も無い。ただ界隈の喫茶やレストランなどは結構残っておりなんとなく嬉しい。生田校舎も陸軍登戸研究所時代の木造の棟など残ってないか寄りたかったんだけど、体調が悪くなって帰ってしまった。Img_1838 Img_1837




神田の古本屋は減ったような気がするが、、、キッチンジローもここやったかな?


【作業日誌】【今日のじょん】は本文中にあり、お休み。

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雨読 再読・金属と地名 11/22

2012-11-23 | 雨読

2012.11.22(木)曇

 図書館で借りて既に読んでいるが(2012.7.7参照)今回購入して再読した。高価な本で、参考書的辞書的に使う本は図書館で借りて内容を吟味してから購入することにしている。そういう意味では、当初借りて読んでいるのはあまり深く読み込んでいない。購入して初めて落ち着いて読書が出来るものである。
 本書の内容については既に紹介済みなので略するが、気づいたところがいくつかあるので書いておこう。
P1030334  16名もの執筆者で書かれているので、内容の重軽がある。思いつくままに書かれたものもあれば、十数年研究を続けてこられた結果を書かれているものもある。
 地名研究というと言葉の探究ということになりがちだが、テーマが金属地名となっているだけに、生産加工現場と地名がリンクしており客観的、具体的な内容となってわかりやすい。
 特に考古学の専門家が地名をもとに遺跡を発見している現象というのは、地名研究という分野が考古学に認められ始めたということであろう。これは伝説伝承などの民俗学的な分野についても同じ事がいえる。
 逆を返すと「〇〇地名は△△のことを言う」と大上段に振りかざす地名学者ややたらと「〇〇氏は著書△△で述べている」と引用ばかりで自らの思考の無い学者の存在感が無くなりつつあると言うことだろう。引用だけでも、発想だけでも駄目であって、証拠根拠が必要である。
 本書の中で秀逸といえる論文は、羽場睦美氏の「「炭焼長者伝説」全国調査の概要」である。
 炭焼長者や芋掘り長者などの伝説は金属に関連する伝説として有名だが、この炭焼長者伝説について16年間全国を調査され、未だ調査中という大作である。この調査研究の最も偉大なところは、民俗学的な伝説を単に民俗学的な調査をされるだけでなく、実に多方面にわたる科学的なアプローチで調査されたことである。
 民俗学、文献史学、考古学、冶金学、地質・鉱物・鉱床学といった分野からアプローチされたということである。面白いのは地名学が入っていないことである。
 本書の元になっている第15回全国地名研究者大会に出席して、炭焼長者伝説が論議されていることに驚いたと表されている。
 青森から鹿児島まで炭焼長者伝説のあるところにおもむき、上記の各分野からのアプローチをされた結果(中間報告)が表になって示されているが、実に科学的な視点で調査されているかが理解できる。Img_3504
 



大分県の中津江町の鯛生金山にも炭焼長者伝説がある。写真はその南、上津江町笹野の黄金の滝と言われるところ。笹野、程野などの地名があり、こちらは鉄に関係ありか?(2007.3.23)


 結果、柳田国男氏の定説、炭焼長者伝説は鋳物師・鍛冶師にまつわる伝説であるというものを覆すことになるのである。
 これはとても重大なことで、多くの歴史学者が金属に関連して、伝説や伝承に登場する金(カネ)は鉄のことで、決して金(Au)ではないという風に言ってきたことが覆るということだ。実際羽場氏の一覧表では、炭焼長者伝説にまつわる鉱山、遺跡は金、銀、銅、鉛などが産出し、製鉄遺跡などは見当たらないのである。

【作業日誌 11/22】
ウッドデッキ基礎作製

【晴徨雨読】114日目(2006.11.22)大和~鎌倉~横浜
 東京は自転車で走る気がしないので、横浜を根城にして電車で廻ろうと思う。宿泊費の安いYHにしたら、横浜になったわけだ。大和から藤沢までは素晴らしい自転車道、境川自転車道があった。都市部だけあってもの凄く利用者が多い。自転車道もこのくらい使われれば値打ちがある。江ノ島、鎌倉は全然興味が無く通りすぎるだけ。Img_1824

都市部の自転車道はありがたい




【今日のじょん】:ダニ、猿、鹿
 随分気温が下がって、もうダニも居ないだろうと高を括っていたら、ケートクチンしながらでかいダニを見つける。もう長いこと見たことが無いのでショック、フロントラインまだ必要かな。
 夕方の散歩ではかみさんがすぐに帰ってきた。「猿がおるで」ってんで見に行くとこれまたでかいはぐれ猿が通路の真ん中にいる。これも長い間来ていなかったのでショック。
 そして深夜、ブログに「猟期が始まって鹿の鳴き声が無くなった」などと書いた途端に、家のすぐそばでピーと大声でやられたショック。P1030333 P1030332
 

 

潰されたでかいダニ、堤防でイノシシの痕にクンクンやってたから着いたのかな。

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今日自転車事情 11/21

2012-11-22 | 日記・エッセイ・コラム

2012.11.21(水)曇

  京都で自転車通勤しているときは、自転車乗りのマナーや法令遵守など関心もあり、そのひどい状況に憤りを感じていた。田舎に居ると自転車の絶対数は少なく、車や人の通行も都市とは全然違うのでまるで問題ない。
 飲酒してようが、歩道を走ろうが、右側通行しようが、ピストで走ろうが、信号無視しようがどうって事無いのだ。ただ無灯火だけは夜の場合真っ暗になるのでチト困る。
 車だって同じで、スピード違反、追い越し禁止違反、飲酒運転、無免許運転、携帯電話使用、シートベルト不着用なんて日常茶飯事で、当たり前のこととなっている。ただ、事故が無いわけでは無く、重大事故もしばしば起きている。その際の責任は田舎だからって酌量されるわけで無く、そのリスクを考えた上での運転が必要だとは思う。それはなによりも被害者の立場で考えたとき、気の毒な状況になるということだ。飲酒している運転手が勝手に田圃に突っ込んで怪我をしようが死亡しようが、それは自業自得だ。しかし善良な被害者が居た場合はそうはいかない。
 前置きが長くなったが、本日の新聞に自転車の事故や違反に関する記事が二件掲載されていたので、少し意見を述べてみたい。
 ひとつは、「自転車原因事故48件増、取り締まり強化1年、赤切符33件」という記事である。P1030335
 



 これは京都府警の数字であって、他県ではもっと凄い件数となっている。
 自転車と雖も車両であり、他人に危害を及ぼす危険性はあるので、道交法で取り締まるのは当然のことであるが、問題はあると思う。
 その一つは道交法を知る機会が無いと言うことだ。例えば府警が取り締まり強化している7違反の内、飲酒運転、制動装置不良、二人乗り、無灯火、通行禁止違反などはそれが違反になるかどうかを知らない人も多くあるのでは無いだろうか。本来は家庭で教えるべきものなんだろうが、親も知らない状態ではどうしようも無い。運転免許の無い自転車では、道交法を学ぶ機会は無いわけだ。
 もうひとつの問題は反則金制度、いわゆる行政処分の無い自転車では、いきなり赤切符、つまり前科者になってしまうわけだ。これは早急に法整備をすべきと思う。自転車より他人に危害を及ぼす自動車に反則金制度があり、自転車に無いのは事故の抑止という意味でも問題ありである。反則金で以て違反の抑止、安全マナーの啓蒙ができるのではないか。
 そしてもうひとつは自転車保険の充実である。これは不幸にして自転車による被害を受けた方のためにも必要である。民間の保険会社で難しいようなら、地方自治体が保険者になってすすめられないか。自転車に乗る人総てが加入することが肝要だからである。
 さてもうひとつの記事は、「自転車でひき逃げ→免停」という奈良県警の記事である。法的にこういうことが出来るのかと思うが、「車の運転でも危険を引き起こす恐れがある」という判断で可能なそうである。前例もあるそうだが、今ひとつ釈然としない。それならば運転免許を受ける際に自転車での道交法を教えることが前提だと思うのだが。

【晴徨雨読・自転車日本一周】113日目(2006.11.21)狭山~大和
自転車走行ワースト3は、狭山~町田、柏~松戸、横浜~藤沢であった。自転車走行ということなので、自動車は別である。とにかくこの日は、渡れない交差点、消える歩道、階段上り降りと最悪の走行であった。
 横田基地の横を走る、いやはや首都圏の一等地にあれほどでかい基地があろうとは驚きである。
 学生時代の4年間を過ごした南林間は、民家がビルになり空き地だったところに住宅が建ち、随分変わってしまった。当時主役だった駅やスーパーは寂れ、新築だった下宿も古くなり、大家さんも居ない様子だった。夕暮れのせいか妙に寂しくなり、逃げるように立ち去った。ワンディママのコメントが今更ながら心に響く。Img_1821 Img_1818




当時急行停車駅だったのに、中央林間に田園都市線が来て各停駅になっていた。食堂やクリーニング、荒物屋の並んでいた駅前もビルと変わった。


【作業日誌 11/21】
ウッドデッキ基礎造りP1030328_2


とりあえず東側の一辺を決めにかかる。



【今日のじょん】:違うコース散歩したら、イノシシの痕発見。防獣柵しても下を掘って入ってくるそうだ。大脱走なみである。P1030330_2
 

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雨読 続・白山信仰の源流 11/20

2012-11-21 | 雨読

2012.11.20(火)曇、雨

 さて本書の主旨とは無関係だが、白山神社にまつわる馬場についての記載があり、三和町菟原中(現福知山市)の別所について馬場の地名考証をしていたところなので興味深く思っている。
 馬場というのは一般的に武士が馬の調教をしたところを指し、各地に多くある馬場地名の由来はその意味となっている。「地名の語源」では馬の調練場以外に、崖、広場、山上の平坦地とある。崖というのはハバがハマとかババに転訛したものと思える。
 全国方言辞典ではババは通り、街道、前庭とある。つまり馬の調練場以外の意味があると言うことだ。
白山神社の場合は加賀、越前、美濃の三国に馬場が設けられ、参詣のための登山口という説明が成されている。馬を降りて繋いでおく所という意味で馬場と称されたということで、すこぶるわかりやすい命名だ。
 神社などの参道で下馬して馬を繋いでおく所、と理解すればなるほどという地名がいくつかある。
 「鳥垣のこと」で考証した馬場先(睦寄町鳥垣)などはまさにこの意味だろう。坂尾呂神社に参詣するための馬場、つまり入口、登山口が鳥居の下辺りで、そこに突き出た﨑という意味にとれば明解である。Img_4171 Img_4174
 



坂尾呂神社と馬場先

京都市中京区の壬生に壬生馬場町という町名がある。壬生車庫の北に当たる地域だが、これは神社というより宮城に対する馬場なのではないだろうか。千本押小路辺りに朱雀門があったというからそのように思うのだが、如何だろう。
 比叡山の麓、坂本の松の馬場町というのは将に参詣道口の意味があるようだ。
 また、江戸期の町名で宇治橋東詰めにあった馬場町は宇治、宇治上神社の参詣道(馬場)という風に日本地名大辞典には明記している。
 ただ、馬場=参詣道、山岳仏教の登山口などという使い方は一般的ではないようであらゆる辞典などには出てこない。

 白山信仰と金属関連地との関係については、大己貴命、妙理大権現、十一面観音などかすかに感じるものがあるが、確たるものは得られなかった。末尾に書かれているゆかりの寺院というのが北陸地方を中心に書かれているのだが、実に金属に関係する地域が多く、山伏が金属の探査に関わっていたという仮説に合致しているように思える。
 本書の内容は科学的客観的だと書いたが、「飛倉」「飛鉢」についてもうひとつ紹介しておこう。説話に出てくるこれ等の現象は山上の寺院などが物資の輸送にケーブルいわゆる野猿(やえん)を使っていたことの表れではと書いておられるのだ。愛宕山の中腹の月輪寺のケーブルを思いだしてなるほどと感心した。
 ところが古代仏教で、宗教的にも政治的にも重要な天変地異や疫病平癒、特に天皇や貴族に対する病気平癒の祈祷については科学的なメスが入ってないのである。
 祈祷で病気が治るはずも無く、そこには治療法もさることながら、薬剤が大きく貢献したのではないだろうか。白山が薬草の宝庫であることももちろんだが、金属も当初は薬剤として探索されたのではないかと思うのである。おわり

【晴徨雨読】112日目(2006.11.20)
この日も雨模様だったが何日も居ると退屈するので出かけることにする。本当は雁坂峠を越えて山梨県から神奈川県に入ろうかと随分迷ったのだが、自転車がトンネルを通行できそうに無いので南下することにした。実際どうなのか未だに解らない。都市部の道は嫌なんだが、できるだけ裏道を走ることにする。何度も迷ってずぶ濡れで狭山に着く。狭山は学生時代に髙麗の日和田山ロックゲレンデに通っていたので憶えていたからだ。Img_1807




滑川町、武蔵丘森林公園、この辺だけがスイスイと走れる。

【作業日誌 11/20】
ウッドデッキ防草シート張り、支柱準備

【今日のじょん】:我が家のホートー息子にほうとううどんを食べさした。でかいうどんをなんとも上手に食べること。うどん大好きでおかーの横を離れない。P1030325 P1030326 P1030327

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雨読 白山信仰の源流 11/19

2012-11-20 | 雨読

2012.11.19(月)曇

 「白山信仰の源流」本郷真紹著、2001年12月初版、宝藏館発行、府立図書館借本
 サブタイトルが「泰澄の生涯と古代仏教」とある様に開祖泰澄の伝記「泰澄和尚伝記」の考察と古代の仏教が如何なるものであったかを論じている。
 わたしの読書の動機は「鉄と俘囚の古代史」(柴田弘武著)で、蝦夷の俘囚を移配したという別所に東光寺と白山神社が祀られているのが共通項だと述べられていることに関し、その理由がどうも納得ができないので、白山信仰とは如何なるものか知りたいというものである。P1030323
 



 泰澄の生涯については、謎が多く伝説的な部分が多いのだが、科学的客観的なアプローチがなされており好感がもたれる。
 例えば「飛鉢」や「飛倉」伝説について、津料(港湾の通行税)の徴収を踏まえたものとか、過酷な税に対する農民の反抗であるというふうな見方をされている。
 古代仏教についての考察も宮廷仏教の隆盛、天平期の動向という項を設けて詳しく分析されており、人々の信仰というよりは将に政治的な事情で仏教が導入され、各地に広まったということである。端的に言えば天皇家の支配を全国隅々にまで行き渡らせるには、各地にそれぞれの神が存在する神道では無理で、仏陀に統一された仏教でなければならなかったということだ。
 また、宗教的にいえばあり得ない情況としての神仏混淆についても的確に論じられている。また、神仏混淆のはじまりは白山信仰でもあるのだ。
 つまり天災、疫病や飢饉などの平癒、回復の祈祷は神道では出来なくて仏教の仕事だということらしい。
 古代の中国ではこれ等国家的に困難な事象は支配者天子の責任とされ、解決できない場合は殺されてしまうというような事を読んだことがあった。日本の古代にもこのような考え方は残っていたのではないだろうか。それによって卑弥呼は殺されたという説もあるらしい。
 そういうこともあって、支配者、為政者は諸問題を解決しなければならない。そこのところを僧による祈祷に頼らざるを得なくなり、僧尼が政界に進出してくるのである。弓削道鏡などはその最たるものであろう。つづく

【晴徨雨読】111日目(2006.11.19)本庄連泊
 11月というと好天の雰囲気があるのだが、実は案外雨の日も多いようだ。この日も昨晩からしっかり雨で連泊して休養ということにする。この機会に旅行中の体調のことを書いておこう。旅行中、お医者の世話になるような病気も怪我も無かったので、体調は良かったのだろうと思うが、思い起こすと結構困ったことがあった。
下痢腹痛は一回、過労二回、腰痛数回は突発的なもの。慢性的なものが、五十肩と更年期障害である。これは旅行中におき、旅行後も苦しんだ。五十肩は自転車走行には問題なくてよかったが、とにかく痛くて寝られない、更年期障害は男でも起きるのが解ったが、これも妙な熱感で汗びっしょりで寝られない。それでも寝られたのは疲労のせいだろうか。Img_1805

本庄は中山道の宿場町




【今日のじょん】:朝の散歩時に念道橋の上にカワウの大群発見。それが昼前に隊列を組んで、我が家の上空を飛んでいった。羽の音や息づかいまで聞こえるようでそりゃあ迫力ったら凄いものがあった。じょんはカンケーねえだって、じょんも居るんだけど一緒に写真に収まらんのよ。P1030317
  

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続々・じょんのびハイキング’12、秋  11/18 

2012-11-18 | 山・峠

2012.11.18(日)雨

 樹木の名札を付けて頂いて憶えたのがコシアブラである。山菜の王様コシアブラがこれかよって感じですっかり憶えてしまった。独特の白い木肌と枝、そして驚きはその大きさである。太さはさほどではないが高さは有に5mはあろうかというものだ。P1030290
 P1030300






名札の着いたコシアブラと稜線にいくらでもあるコシアブラの大木。

  そしてそれがこの稜線上に次々と出てくる。季節になれば相当採れるなと考えがちだが、あの高さの芽をどうやって取るかだ。タラの木のように細くて柔らかければシュリンゲ方式でとれるだろうが、この木はどうだろう。
 そんな事を考えながら稜線を歩いて行くとやがて大栗峠に着く。この間の稜線は最高のプロムナードコースだ。地蔵さまの前で手を合わす。いつ見てもこの二つの地蔵さまは可愛い顔をしておられる。気になるのは石室の石が崩れていることだ。この石室の修復と倒れた道標の復元は是非ともやりたいことである。それが大栗峠への恩返しかなと思っている。P1030303
 



2012年秋のお地蔵さま


 大栗峠からは志古田道を下りる予定だったが初めての方もおられるので弓削道を下ることにする。
 弓削道は金久昌業氏が街道の大道と言われるとおり、その道巾といいしっかりした造りが素晴らしい。人が入らなくなって半世紀は経っているだろうが、道に迷うことは無い。しっかりと残っているのだ。ただ、水にえぐられているところ、倒木のため通行が出来ないところがあり、小さな倒木はいたるところにあり、整備の必要性を感じる。建物や仏像だけでなく、街道も立派な歴史遺産だと思うのだが、、、。P1030305P1030307 
 



山田道の分岐と弓削道お気に入りの場所

 さてこの弓削道を巡る歴史というのは色々とあるのだろうが、最も気になるのは瀬尾谷の分岐を過ぎ、弓削の集落に近づいたところにある地滑り跡である。何時の時代に起きたものか解らないがかなり大きな地滑りで、巾100m程度はあろうか、その間人一人が通行できる道となっていて、崩れた後には松が生えている。
 つまり弓削道自慢の荷車の通れる道はこの地点で完全に塞がれているのだ。
この地滑りが弓削道が現役で活躍している間に起きたのか、もう使われなくなってから起きたのか知りたい気はするのだけど、かなり困難な気がする。それだけ峠の道なんぞ人々の気持ちから遠ざかっているのだ。P1010745
 



大規模地滑りの跡、人一人の巾となっている。(2012.5.18)

 前回弓削道を下ったとき、志古田との間の尾根に道があるのを見つけて下ってみた。すると弓削道と変わらないほどの巾の道が続いているのだ。その道はやがて弓削の方に斜面を下って行き、我々は尾根をそのまま下ったので、その広い道の行き先を辿ってはいない。思えば本道が崩れて荷車の通過が困難になったとき迂回路として使われたのでは無いかと想像する。いつかこのみちも踏破してみたいと思っている。
 さて弓削道に戻り、問題は最後の集落に出る所の橋である。従前の橋はもう腐りかけて通行はかなり危険である。もしわたしが弓削に住んでいたら、その辺の杉でも切ってきてポンポンとこしらえるのにと思うのだが、誰も使わない峠道のことなど脳裏に浮かばないのだろう。
 前回来たときにもそのまま岸を下っていったらどうなのだろうと考えていたのだが、果たして簡単にネット部分を通過でき、そのまま公民館まで道が続いていた。もっともこれは私道なので、峠道を復活させようと思えば、橋を架けるべきと思う。P1030309 P1030310
 



橋は渡らずに真っ直ぐ左岸を下りてくる。
仰ぎ見る弓削道(右の尾根、弓削公民館から)



 好天を感謝しふりかえる山々を仰ぎ見ていると、行く度に謎が湧いてくる愛おしい峠だなあと感じられるのである。おわり

【晴徨雨読】110日目(2006.11.18)相馬山登山~高崎~本庄
 榛名富士から相馬山の岩峰を見て是非登りたくなった。一応クライマーの端くれで、名の通った山よりこんな岩峰が好みなのである。沖縄の黄金山、武雄の御船山、黒髪山など誰も知らないような山だけど、総て岩峰であり、今回の旅で登ってきた山である。
相馬山は将に天空のマチュピチュのような風貌だが、登ってもなかなか面白い山だった。Img_1785 Img_1783 Img_1794




左:天空のマチュピチュ相馬山、左の肩から登る。
中:国民宿舎上の岩峰も魅力
右:榛名山下りにある黒岩ゲレンデ、土曜日でクライマーの声が聞こえる。



【今日のじょん】:今日はアミちゃんエミちゃん、モモ姉さん、ゆきちゃんと多くのワン客があり、じょんは大興奮なんだが、接客が忙しくて出してもらえない。「出してくれ~」と叫んでいるところ。

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YouTube: 出してくれ~

 

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続・じょんのびハイキング’12.11  11/17

2012-11-18 | 山・峠

2012.11.17(土)雨・風

 よくぞまあ前後の嵐に挟まれて好天に恵まれたかと思う。
さて、岩壁をのぞき込んでいる間に皆はやすみとに到着して休んでいる。ここではいつも河原に降りて岩石の採集をする。そして気になる石を発見、赤っぽくてお椀形をしている。何が気になるかって、その色と断面の様子である。
 「土器・鉄滓」(2012.11.14参照)で紹介したあの赤い物体とよく似ているのだ。試しに付近にあったチャートで割ってみる。P1030283




 色は今回の物が黒っぽいが、切断面の様子はよく似ている。もし同一のものだとすると、前回紹介のものは自然物ということになり、土器だの炉壁というのはあり得ないということになる。
 この赤い石はみとにも郡境稜線にも見つけることができる。とりあえず持ち帰って分類保管することとする。P1030312_2
 



赤色の岩石、色は黒っぽいが、形状は念道のものと同じみたいだ。
左はマンガン試掘跡かという岩の破片、焦げ茶色でマンガン焼けとはいえない、かすかに磁性がある。


 もうひとつやすみとの先で常々不思議に思っているものがある。やすみとからおおだんに向かう谷沿いの道に、一片2m程度のコの字、あるいは鉤形とも見える石組みの跡だ。炭窯の跡にしては規模が小さく、小屋掛けの一部かもしれない。なにしろこのやすみとの二股には炭焼の親子が常駐して炭を焼いていたと言うから、何かしらの建造物があっても不思議では無い。P1030284




 山間部に多く風呂の付く地名がある。何を意味するのか調べたが未だ納得のいく答が無い。少なくとも現在の風呂とは無関係であろう事は解る。
 その中に石風呂という地名について書かれたものがあった。何に書かれていたか解らなくて、現在調べているところだが、未だ見つからない。
 冬の山仕事で暖をとるために石で囲いを作り、火を焚いたところ、という説明がしてあって記憶に残っている。なんとなく信憑性が薄いなと感じて記憶に残っているのだが、果たしてそんなものが作られたのかと疑問に思うのである。
 今回写真に納めただけなのだが、火のあとがあるか、建造物のあとがあるかなど次回調べてみたい。
 水戸に向かって歩いている間にも例の赤い石は落ちているし、みとの広場にも転がっていた。
 好天に恵まれ、みとからの景色は素晴らしい。桐の木が整理されてずいぶんと見晴らしがよくなった。特に秋の澄んだ空気で遠くまで見えて、山の向こうに若狭湾も見える。
 当初登ったときは、一体どこがどの山やら解らないのだが、何度も登っていると解ってくるのだ。別に調べたわけでも地図を広げたわけでもないのに面白いことだ。きっと脳の中に地形図が出来上がって行くのだと思う。
P1030286
 
みとの広場。


 林道を離れて郡境稜線に向かう。気味の悪いシダの原を避け、左の灌木帯をつめる。こちらの方がずっと気持ちいい。稜線に出るとあとは大栗峠まで上林の山を満喫できる灌木とチャートの岩の稜線が続く。
 山頂までの途中にエビネの群生があり、落ち葉から出ている葉の先を鹿に食われている。桜井さんが用意した鹿ネットを張って一応の防御とするが、雪で破損する可能性があるので、雪解け時には点検が必要だろう。P1030289
 




 頂上は枝が切り払われ360度とはいかないが300度ぐらいの眺望となっている。北は大浦半島、丹後半島、若狭湾まで望め、南は多紀アルプス辺りまで望める。ここまで展望のよい山は上林には無いだろう。つづくP1030292 P1030296




左:シデ山頂から北は丹後半島、若狭湾まで見える。
右:南西方面は笹山辺りの山まで望める。


【晴徨雨読】109日目(2006.11.17)伊香保温泉~榛名山
今回の旅行中で最も豪華な宿泊が伊香保グランドホテルだ。道中の看板で見つけ、一泊二食7,800円で朝夕バイキングだったが、部屋はツインの上等な部屋だった。 榛名山は将に天空の街である、榛名富士に登り対岸に相馬山というマチュピチュのような山を見つける。明日登ろう。Img_1765

きれいな部屋も旅行の用具でぐちゃぐちゃ。


Img_1775

天空の湖




【今日のじょん】:「雨降ってじょん固まる」の動画バージョン、それって意味ないんじゃないの、動かないんだから、、、。

</object>
YouTube: じょん固まる



 
 

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じょんのびハイキング’12.秋 11/16

2012-11-16 | 山・峠

2012.11.16(金)晴れ

 雨だらけの週間天気予報の中にぽっかりとお日様マークの出た今日、久々のじょんのびハイキングを実施する。桜井さんが心血を注いで整備された鳥垣渓谷も確認したいし、はやり大栗峠の地蔵さまは恋人に会う様な感じで定期的に通わなくてはと思うのである。当初鳥垣渓谷~大栗峠~志古田道を予定していたのだが、初めての方もあり弓削道を下ることとする。
参加者 桜井か、桜井よ、井上、山田、岩鼻そしてわたしの6名。

 9:00  小野田橋集合、軽トラで獅子鼻、おりとへ
 9:18  おりと出発~鳥垣渓谷
 9:34  第三の滝着、5分休憩
10:15  やすみと着、15分休憩
10:53  みと着、10分休憩
12:00  シデ山着、昼食40分
13:13  大栗峠着、15分休憩
13:45  山田道分岐着、5分休憩
15:09  弓削公民館着

 弓削公民館に送迎用の車を置いて軽トラで小野田橋に向かう。妙なもので山道ならどんなに遠くても歩くくせに車の走る道はついそこまででも歩く気がしない。
 小野田橋で集合し、桜井さんの獅子鼻公園を見学する。自らの地所の植林を伐採し、遊歩道やベンチ、案内板を設置されて、素晴らしい公園になった。いままで見向きもしなかった渓谷が、こんなに美しいものだったのかと思われる。ここで焼き肉パーイや流し素麺などしたらさぞかし楽しかろうと想像する。P1030274_2 P1030275

桜井ガーデン



 おりとまで軽トラで入り、いつもの様に自己紹介してスタートする。連日の雨で増水しており、スリップ注意だ。冬にはまだ早いとは言え、濡れるとちとやばい。
 滑る岩におっかなびっくりで第三の滝に着く。滝にかかる葉が黄色く色づき、それなりの美しさを見せている。京都の観光地の紅葉の美しさは無いが、人混みを見ないで良いだけこちらの方が値打ちがある。P1030276 P1030277_2
 



おりとの滝、第三の滝

第五の滝を登山道から眺めると水量が多いのでいつもより迫力がある。
 その先に用材として伐採された欅(けやき)の根元から沢山幹の出ているのがある。今日は何時になく森の王様みたいな感じがして、写真に納める。
 まるっきりの自然より、昔の人が生活のために手を入れた物に郷愁を感じるのはなぜだろう。
 このけやきを始め、あらゆる樹木に名札が下がっている。今夏、府の振興局の協力のもと取り付けられたということである。木の名前にうといので、大変ありがたいことなのだが、とにかく沢山の種類があって一向に記憶に残らない。一回来たら一つだけ憶えて帰ろうぐらいな気持でよいのだろう。P1030278 P1030279
 



第五の滝、ケヤキ

さて今回山行の一つの目標でもあった、いわゆるマンガン坑試掘跡の探索である。これはやすみとの手前の山側斜面にある小さな岩の窪みのことであるが、果たして本当にそうなんだろうかと常々思っているところである。P1030282
 

謎の窪み


 言い出しっぺのわたしとしては、あくまで試掘跡ではないかという予想で書いているのだが(2012.6.8参照)こういった話は断定されたものとして一人歩きする傾向があるので困っているところである。
 この岩のスプーンカットが自然のものであるか、人工のものであるかだ。人工のものであったら試掘跡という確率は高くなるだろうが、さてどちらとも言えない。他に同様のものが発見できれば人工とみて良いだろう。そんなわけで岩があると注意深く見ているのだが、いまだ発見できない。
 従っていまのところ謎ということにしておいて欲しい。つづく

【晴徨雨読】108日目(2006.11.16)桐生~伊香保温泉
足尾銅山に行こうか、赤城山に行こうか迷ってどちらも行かなかった。足尾に行かなかったのは、とんでもない勘違いをしていて、群馬県のパンフレットばかり見ていて、足尾銅山はみどり市にあるのだと思っていたことだ。鉱山の記念館や博物館など見当たらないし、足尾という地名さえ消えている。こりゃあきっと過去の忌まわしい事件を払拭するために鉱山のことは総て無くしているのかと勘違いしたのだ。足尾銅山はみどり市の先、日光市にあることを最近知って、早とちりの後悔をしている。桐生市からすぐの所にあったのだ。というわけで伊香保温泉で陽気に過ごしてしまった。Img_1759




赤城山に行かなかった理由は、泊まりたい宿がやたらと高い所にあり登る気しなかったから。もっとも赤城山という山は無いのである。


【今日のじょん】:カメムシが少ないったって、ストーブ焚いて暖かくなるとぶ~んと出てくる。じょんはこれに異常に反応する、カメムシじょんと呼ばれるゆえんである。匂いに反応するのか羽音に反応するのかかさこそと足音に反応するのか知らないが、人の枕元だろうが飯時だろうがお構いなしで吠えまくるので憂鬱になる。P1030269
 

 

写真は記事とは関係ありません。朝が早かったもので、霧が幻想的ではありました。

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