晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

小浜食べ歩き 8/28

2015-08-28 | グルメ

2015.8.28(金)晴れ

 平均寿命が延びたと言ったってあと15年余りとなってしまった。それ以上生きるかもしれないけど健康でいられるのはそれ以下かもしれない。となるとあくせく日々を送っているのがヤバイナということになる。やはり好きな事して、好きなもの食べてということになる。特に文化に触れたいという欲求はあるのだけど、文化的行事は土日に集中しており商売をしている身にはつらいものがある。不定休にして適当に休もうか、以前のように第2土曜を休みにしようかなど思案もあるのだが、売り上げどうのというよりそんな日に来店されたお客様の失望感とか落胆を考えるとなかなか決断できない。じょんのび以降にたくさんできたお店が気安く休んでおられるのを見ると余計、店舗の社会的責任なんてことも気に掛けてしまう。これって世代の違いというモンかなあ?
 そんなわけでせめてスイムトレーニングの際には美味しい昼食を探している。おおい町、高浜町では本郷のポータルサイト食堂のラーメン、金刀比羅うどんの定食が気に入っているが、小浜に足を伸ばして魚の美味しいところを探している。
 先日テコちゃんが京都から食べに行くという「ごえん」さんに行ったのだが夏休みと昼食時が重なって数人の待ち時間が出ていて、やむなくフィッシャーマンズワーフ近所の「響」(ひびき)さんで刺身定食を頂く。1300円と昼食にしてはちとお高いが、ボリューム満点で味も最高、満足のメニューであった。お隣で食べておられた日替わり定食が八百幾らでこれまた美味しそうだったので、次回はそれにしよう。さて本日は時間も手頃なので「ごえん」さんに再チャレンジ。一組待ちだったがすぐにあき、お刺身定食は1,100円で新鮮で美味しい。ボリュームは響さんに劣るが200円の差もあり、比べにくい。駐車場や店内、周辺のロケーションはこちらが随分といい。そんなわけで甲乙つけがたいのだが、次どちらに行くかと言えば「響」さんに軍配が上がる。次回は「響」さんの日替わり定食にしよう。

「ごえん」は人魚像の真ん前にあり、座敷席はロケーション抜群。原発憎しの方にはつらいものがあるカナ。

【今日のじょん】ゲンタに妹が出来た。こむぎちゃん、3ヶ月だって。じょんは小さい子が苦手で、ゲンタと遊んでおるのだ。

 

 

 

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上林の盃状穴(47) 8/25

2015-08-25 | 盃状穴

2015.8.25(火)晴れ 上林の盃状穴(46)は2015.8.20  「盃状穴考」を再読する(3)

 記事の投稿が遅れているのは、幾つかの記事を取り消したからである。「盃状穴考」を再読して、盃状穴研究の問題点、弱点を本書の中から指摘しようということで書き始めたのだが、言わんとしていることをうまく表現できなかったり、記事を書きながら何度も読み返していると本書の内容が当を得ているように思えるという事態になったりして先に進まないのだ。細かいことを省いてわかりやすい事例を挙げて問題を提起したいと思う。
 それは盃状穴の作り方、穿穴法に関する記述である。本の内容に沿って記述のあるものを提示してみよう。
(国分直一氏)「穴の底には丁寧な調整磨痕が留められている場合が多い。」P18

(三浦孝一氏)「穿穴(せんけつ)の方法は、その形状から推考する以外に無く、石棒状の把握に手頃な石、または先端を丸く調整した鉄棒等の廻転による加工であろうことを窺うことができる。」(穿穴法について、P68)「例えば、加工の行い易さから金属のノミの如きものを廻転させた場合を考慮してみても、摺鉢・盃状の穴の形成は不可能であろう。穿穴加工に際して、水があるから穴があけ易かったという聴取例もあるが、手洗石への加工の場合のみで常夜灯の基壇石や石段等の場合は水との関連は無さそうである。」P69
「大門周辺の敷石に穿たれており、観光ガイドの説明によると「雨だれの跡」とのことであるが、納得し兼ねる思いを禁じ得ない。勿論水の持つ力の偉大さや、永年の特異な流水作用による甌穴(おうけつ)なるものの存在も承知しているが、如何に屋根庇が高く何百年間の水滴といえども毎日休みなく雨がふっていた訳ででもないし、第一同じ場所を選んで雨だれなるものが落点したためしはない。」P83

(松岡睦彦氏)(神田山石棺の事例報告に際して)「盃状穴は、どのような工具で刻まれたかはわからないが、穴の状態から見て、一端が紡錘状に尖った形の硬い岩質の石棒を用いたのではないかと考えられる。」P129
「最後に、盃状穴を刻む方法についてであるが、現時点ではその方法は明白でない。しかし、現在までのところ、二一例の盃状穴板石について調査し、盃状穴の形状を観察したかぎりでは、板石の石質がすべて結晶片岩であり、緑色片岩もしくは黒色片岩と呼ばれる石材に盃状穴が刻まれていることから、たとえば石英質の硬い岩石の一方の端部が紡錘状に尖った石棒により、突きもしくは回転によって刻まれたものと考えられる。」P132

(黄龍渾ホアンヨンオン教授)(韓半島先史時代の「性穴」考)「この形式の性穴は、その製作方法において、とくに区別できるちがった方式がしようされているのではなく、石または円棒などを使ってこすりながら、穴を彫っているだけである。深さが浅い性穴は、大部分が小石でこすって作ったものがほとんどであるが、深い性穴の場合は、ふつう円棒などの円筒形の道具を使って、砂などを使い、円くこすりながら円形の竪穴をつくっている。このような事実は、性穴の内部自体をこまかく調べてみると、性穴の中心から直角に連結できる内径の表面が、同一の深さで回転錬磨されていることからもわかる。」P161


 盃状穴の民俗調査では盃状穴の無い神社等をも分布を調べるべきである。写真は左から三和町岼常楽寺跡、綾部市下原町齋神社、東山町若宮荒神宮(2015.8.4)   つづく
 
【今日のじょん】そろそろシーズンかなと思い先日ドッグランどを清掃したらいきなりモモ姉さんが来た。17才に近い高齢なのにじょんより元気だ。(8月23日)

 

 

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「山椒庵日記」 8/21

2015-08-22 | 雨読

2015.8.21(金)曇り

 「山椒庵日記」については「渡辺淳展を見に行く 8/11」で紹介しているのだが、すぐに購入したにもかかわらずトラブルがあって今日やっと届いたものである。「日本の古本屋」で検索して購入したので、今までさしたるトラブルもなく購入できていたのだが今回はめずらしいことが起こったので紹介しておこう。
 8月11日(火)小浜の若狭図書学習センター渡辺淳展で「山椒庵日記」を見る。日本の古本屋でT書房に1,400円の「山椒庵日記」を注文。
 8月12日(水)購入が確定、送料等のメールが送られてくる。本体1,400円、送料300円、前金の場合200円。
 8月14日(金)ゆうちょ口座から1,400円+200円=1,600円を送金。
        同日、商品を発送、振替用紙を入れ忘れました、料金1,700円のメールを受信。(このメールを見たのは17日以降)
 8月17日(月)ゆうメール到着、開封するとたいそう立派な写真集で納品書の値段も高価、納品書の宛先も別人であった。
       送付間違いと気づき、書店に電話、着払いで返送するよう指示を受ける。同日郵便局から返送する。
 8月19日(水)その後音沙汰がないので気になっていたが、14日のメールを覗いてびっくり、慌ててどうなっているかメールで確認。
       同日、間違った先方から返送次第すぐ送る旨メールあり。
 8月21日(金)本書到着、納品書には1,700円の金額あり。

「山椒庵日記」絵と文渡辺淳(すなお) 古書
 とまあすったもんだで10日かかって手に入ったいわくつきの本なんだが、手にとって開いてみると装幀も内容も挿絵も最高にいい。欲を言えばしおり紐が欲しいところである。実はまだ数ページしか読んでないのだが、実に楽しい本である。一滴文庫や図書学習センター、先制のアトリエで見せてもらった憶えのある絵が随所に織り込んであって、それにまつわるエピソードが淳先生のあの軽快なタッチで書かれている。この絵の裏にはこんな苦労話があったんだなどと思い浮かべながら絵を見るとより親近感が湧いてくる。絵画の鑑賞としては正攻法ではないのかも知れないが、巨匠の絵だって「日曜美術館」で裏話を聞いて観ると何か公のものであったものが自分の独占物になったような気がして楽しい。
 目次を見るといつか先生から直接聞いた話がいくつかあるようだ。先生は絵画展の期間中によくトークショーをやっておられる。これが大概土日なので聞く機会が無くて残念なんだが、この本を読むとトークショーの臨場感は味わえる。読み終わったら再度雨読に登場するので楽しみにして頂きたい。

【今日のじょん】雨降りにはうんPしないので困るんだが、しなきゃしないで済むというのが素晴らしい。夕方には2回したというので律儀なところもあるようだ。
  
 

 
 
 

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上林の盃状穴(46) 8/20

2015-08-20 | あなしら上林

2015.8.20(木)曇り 上林の盃状穴(45)は2015.8.14
  「盃状穴考」を再読する(2)

 国分直一博士は盃状穴の第一人者であるが、「序にかえて」の最後に次の一文がある、これこそ博士の苦悩を端的に表しているのではないか。
 盃状穴をめぐる問題は、考古学の立場からも、民俗学・民族学の立場からも、アプローチを必要とする問題であろうと考えている。そればかりでなく、文献史学的にも探りをいれたいものである。しかしながら今日、この呪術的象徴を常に秘めているように思われる盃状穴をめぐる問題に、強い関心を注いで下さっているのは、むしろ野にあって、それ故にかえって、新鮮な問題意識をもっておられる研究者の方々であるように思われる。これらの方々は何んらの権威意識をもおもちでないから、そんなものに妨げられない、新たな発見を引き出すこともあるのだと思うのである。しかしながら筆者は、アカデミックな立場の方々にも、我々の提示する問題への関心をもっていただきたいとお願いしたいと思う。
 
 アカデミックな立場の方々に関心を持ってもらえないとしたら、それは問題の提示の仕方、研究に対する姿勢に問題があるのではないかとふと思うのである。
 その国分博士が「盃状穴の系統とその象徴的意味」という論文を書いておられるのだが、いくつか納得のいかない部分がある。
 山口県の神田山(こうだやま)古墳の第一号石棺に発見された盃状穴(注1)は古墳時代の盃状穴として有名なものであるが、この石棺が発掘された経緯がどこにも書かれていないし、それを問題にしておられないのである。つまり盃状穴というのは石造物に人為的に穿たれた穴なので、穴そのものに時代を確定する要素は無いのである。石造物の製作年代が解るものについては一応それ以降という風に考えられるが、それとて石造物の素材に既に穿たれていた可能性もあるので、年代を語るのは極慎重にしなければならないことである。
 神田山石棺の発掘は松岡睦彦「神田山石棺と山口盆地の盃状穴」(P123~)に詳しい。はっきりとは確認できないが、土中から発掘されたようで、古墳が造営された時には穿たれていたと考えていいようだ。ただ松岡氏も書いておられるように蓋石を設置した後に刻まれたものかそれ以前に刻まれたものかは解らない。
 国分氏は発掘の状況については重々知っておられた事と思うが、盃状穴の穿たれた時代を語るにはその盃状穴の発見された状況を第一に公表するのが科学的な考察ではないだろうか。つづく
(注1)昭和55年に山口県神田山石棺群の発掘が行われ、第1号石棺墓の蓋石6枚の内最も北側の1枚(遺体でいえば脚部)に盃状穴21個が発見された。墳墓の石材に刻まれた盃状穴の確認は我が国では最初である。この確認は国分博士によってなされたものである。なお、この盃状穴は山口市歴史民俗資料館で公開されていると、「盃状穴考」にはある。

「盃状穴考」に掲載されている神田山石棺の盃状穴。


これは引地善福寺の盃状穴だが、穴と穴、穴と石材の端を結ぶ溝が一部存在する。神田山のものにも一部あるようで、興味深いところである。

【今日のじょん】犬の写真を上手に撮るには、好きなものをファインダーの上に置くと嬉しい顔をするそうだ。大好きなカボジャー(かぼちゃジャーキー)で試してみるとこんな感じ。

いかがかな?

 

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戦後70年 8/17

2015-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

2015.8.17(月) 曇り
 戦後70年の節目だろうかそれとも国会で安保法制が審議されているためだろうか今夏は新聞、テレビでの戦争に対する記事や報道が多かった。戦地の実際や終戦の裏側など普段は見聞することのないことが報道され、知らなかったことや知らされていなかったことが明らかにされている。口を閉ざしていた元軍人や軍の幹部なども語り始める傾向も顕著だった。年齢も90才を超え、今語っておかないとという思いがあるのだろう。その総てが、戦争は間違いだった、戦争は起こしてはならないというもので、聖戦であったとか他国の侵略に備えたなどという者はいなかった。
 14日の京都新聞に野坂昭如氏の「ぼんやりするな。再び破滅へ向かっているぞ」という安保法制に関する思いが掲載されていた。最近テレビなどに出てこられないので、病気でもされているのかあるいは既に亡くなられたのだろうかと失礼なことまで考えていた。写真を見るとそうお元気そうではないが、生きてこの記事を書いておられるのだから嬉しく思う。あの歯に衣着せぬしゃべりを是非また聞きたいと思うのである。 
 
 中略、豊かさに邁進。戦争について立ち止まり、ふり返ることのないまま、70年を経た。気がつけば、かつて大日本帝国が急速に軍国化の一途をたどった時と同じ、世間がぼんやりしているうち、安保法案が衆議院を通過、国民に説明不足といいながら、破滅への道を突っ走っている。
 中略 言っておく。国は国民の生命、財産について保障などしない。国が守るのは国家、国体である。かつて愚鈍なリーダーの下、大日本帝国は崩壊していった。戦後70年、今再び日本は破滅に向かって突き進んでいる。

容貌は元気じゃないみたい 
 この夜、「火垂るの墓」の放映があった。わたしの涙腺はすっかり弱くなってまともに見ることは出来なかった。
【今日のじょん】雨が上がったら草が大変で、参ってしまうぜ。

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腰痛’15    8/16

2015-08-16 | 日記・エッセイ・コラム

2015.8.16(日)曇り

 じょんのびは14~16まで夏休み、あれもしようこれもしようと期待していた休みに腰痛になってしまった。本格的な腰痛は昨年春のぎっくり腰以来なのだが、貴重な休みだけに悔しいこと。
 ただ腰痛もベテランになると上手に諦めることができるようになり、「休養せいということかな」っと安静にしている。気になるのは従来の腰痛と少し様子が違う点である。従来は腰が痛いだけだったのだが今回は右腰から右臀部そして大腿部へと痛みが拡大していることである。これは昨冬から始まった臀部の冷えと関連しているようで、座骨神経痛と自分で判断している。明治鍼灸でMRIを撮り、「変なものは出来てませんね」と診断を受けた。腫瘍のようなものは出来ていないけど神経痛という診断はされず、ロキソニンゲルを一本もらっただけである。わたしとしては漢方などによる神経痛の治療をいたしたいと思っているのだが、、、、。
 今回はお盆のことでもあるので、入浴、灸、湿布、投薬(メチコバール、アリナミン),腰痛ベルト着用
で急場をしのいでいる。将来のことも考えて経過を記録しておく。

12日午前、車の車内掃除をしていて腰に違和感を感じる。すぐに治るものか経過観察、灸、湿布する。夜には軽い体操も可能で明るい兆しが、、。
13日朝起きると痛みがあり、作業は苦痛。
14日、一日中寝たきり、立ち居振る舞いが苦痛。
15日、痛みは腰から右臀部、大腿部あたりまで伝わる。どうやら座骨神経痛か?
16日、上記治療続けるが、午後に至りようやく改善の兆し。椅子から立ち上がるのが少し楽になってきた。


腰痛で草刈りが出来ないのが辛いが、イノシシが掘ってくれた。複雑***

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上林の盃状穴(45) 8/14

2015-08-14 | 盃状穴

2015.8.14(金)曇り  上林の盃状穴(44)は2013.9.20

 「盃状穴考」を再読する。(1)
 盃状穴に関する専門的な書籍はわたしの知る限りではこれ一冊ではないかと思っている。府立図書館にあって取り寄せられるのだが、館内閲覧図書なので借りることが出来ない。毎日綾部図書館に通って読んだのだが、実に新鮮であった。古書の販売で調べるとやたら高価で手が出ないのだが、少し安い値で出ていたので清水舞台で購入、それでも5,400円の高値だが、裏表紙に前回取引の200円のメモ書きが残っており淋しくなる。それでもじっくり読めるのでありがたいのだが、前回とは違った目線で読んでいけるのでその感想も随分違ったものになる。つまりこの間多くの盃状穴を見てきたし、盃状穴に関する考察も芽生えてきたので、本の内容を無条件に受け入れるのではなく、客観的、批判的に考えられるようになったということである。そこで盃状穴の研究を進めるに当たって改めて本書の内容について思いを述べておきたい。(なお、「盃状穴考」を始めて読んだのは2013年1月のことで、雨読では2013年1月22日から紹介している)

「盃状穴考」その呪術的造形の追跡 国分直一監修 国領駿・小早川成博編集 慶文社 1990年5月30日第1刷 古書
 本書の発行から4半世紀が経っている。それ以降新たな出版は無さそうだし、考古学者や民俗学者による研究発表やシンポジウムの開催なども見当たらない。それは本書で熱く語っている方々が一線を退かれたためか、あるいは亡くなられたためなのだろうか。つまり後継者が育っていないのではないだろうか。そして盃状穴そのものが考古学者にも民俗学者にも見すてられた、あるいは相手にされなかったという気がしてならない。再読をして特にそういった傾向の萌芽が本書の中の論説中にあるのではないかという思いがするのである。
 本書は多くの研究者によって書かれたものを編集されているのであって、総てがそうではないのだが、中には盃状穴を科学的に解明しようという姿勢が窺われないものが散見する。わたしのような若輩者がこのようなことを言うのはおこがましい限りなのだが、盃状穴という歴史的民俗学的に素晴らしく、それでいていくらでも存在する資料についてなんとか少しでも真相に近づきたいという思いがそうさせるものとご容赦願いたい。つづく

 【今日のじょん】この春ぐらいからだろうか、じょんは散歩コースに自分の意志を表示し始めた。行きたい所へ行こうとするし行きたくないところへは頑として動かない。行けるとこへは行ってやることにしている。

高橋さんの小屋の通路には行きたがるので通ってるが、畑の方にも行きたがるので困る。探検したいのかな? 

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渡辺淳展を見に行く 8/11

2015-08-12 | 日記・エッセイ・コラム

2015.8.11(火)晴れ

 先日紹介した渡辺淳先生の展示を見に行く。小浜の若狭図書学習センターは南川の左岸にあり、じょんのびからは1時間程度で到着する。小浜の市立図書館は以前に行ったことがあるが、こちらはずいぶんと立派で、同じ市内に立派な施設が二ヶ所もあるというのはうらやましい。

 その一階で展示されているのだが、「山椒庵から見た若狭の風景」というタイトルで日展に入選した大作の他記念になったときの絵、例えば水上先生が始めて尋ねてこられた時に描いた絵とかが展示されていて興味深い。水上作品の挿絵はストーリーの概略も書いてあって、読書欲をそそる。一番気に入ったのは新聞に掲載された、若狭の風景で、わたしが行ったところや、行こうとしているところの風景が先生のエッセイと共に掲載されている。
 じっかんさんと先生のアトリエを訪ねた時、その奥に小さな古民家があるのに気付いた。空き家のようで草が茂っている。「先生あのうちは何ですか?」「あそこに住んどったんやがな、林道がでけるゆうてこっちに移ったんや」北向の寒そうな家なんだが、何とも言えない風情がある。じっかんさんはあの家が気にいったみたいだ。じつはそれが山椒庵だったのである。その時に写真を撮ったように思うのだが見当たらない。その後聞けば壊されたという、なんとも残念な気持ちである。先生のエッセイの詰まった「山椒庵日記」という本も一緒に展示されていた。早速古本屋で購入してしまった。
「山椒庵から見た若狭の風景」ー水上勉に大山椒魚と呼ばれた画家 渡辺淳の半生ーは若狭図書学習センターで23日まで。



【今日のじょん】先日猛暑の中を来じょんされたワン客様があった。

ヨーキーのボーちゃん(耳が寝てる9才)フーガ(耳が立ってる10才)整備してないドッグランどへようこそ。

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経済走行-4 8/12

2015-08-12 | 日記・エッセイ・コラム

2015.8.12(水)曇り 経済走行-3は2015.6.3

<colgroup> <col style="width: 54pt;" span="7" width="72" /></colgroup>
給油日 給油量(ℓ) 金額 走行距離 Km/ℓ 単価 備考
5月1日 21.41 2,762 307 14.34 129  
5月7日 19.13 2,468 270.3 14.13 130  
5月14日 21.64 2,795 306.4 14.16 130  
5月19日 17.67 2,297 294.0 16.64 130 京都往復
6月1日 26.82 3,487 421 15.70 130 丹後
5月計 106.67 13,809 1598.8 14.99 129.5  
             
6月8日 17.66 2,313 271.2 15.36 131  
6月15日 20.83 2,770 343.5 16.49 133  
6月22日 20.86 2,816 354.7 17.00 135 氷上往復
6月29日 22.62 3,008 333.5 14.74 133 氷上往復
6月計 81.97 10,907 1302.9 15.89 133.1  
             
7月10日 20.63 2,682 318.2 15.42 130 冷房駐車
7月15日 29.78 3,871 417.5 14.02 130 冷房
7月23日 16.98 2,173 274.2 16.15 128 京都往復
7月29日 25.49 3,263 399.8 15.68 128 冷房
7月計 92.88 11,989 1409.7 15.18 129.1  

7月までの計測結果が出たのでご紹介しよう。経済走行をすればガソリン消費が減ることははっきりしているが、一回毎の給油で見てみると、今回上手に走ったなあというときでも燃費が悪いときがある。上手に走ったかどうかは燃料計の目盛りと走行距離でわかる。これは一体何のだろう、どうも満タンにしたときの給油量の差があるのではないだろうか。つまり満タン時に給油が止まるのはセンサーで操作していて、給油機の違いやノズルの入れ方によって満タンといえども同じ位置で止まるとは限らないのではないだろうか。従って給油毎に一喜一憂しても意味が無く、ある程度長いスパンで見る必要がありそうだ。一月ごとに見ると14.99、15.89、15.18Km/ℓと変化している。6月に伸びた燃費が7月に下がったのは冷房のせいかと思うが、我慢してまで燃費を下げるのは主旨では無いのでいたしかたないかと思う。
 経済走行の中身については次回以降お知らせいたしたい。つづく

【今日のじょん】ゆうべ何者かが向かいの家に来てゴソゴソガサガサやってたので、じょんもわたしもまともに寝られない。みてくれこの眠そうな目を。
 

よしず立てて、散水桶を置いて、スプリンクラー設置して暑さ対策した途端曇って涼しくなりやがった。

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大火勢に行く 8/8

2015-08-08 | 日記・エッセイ・コラム

2015.8.8(土)快晴

 佐々木さんと21st Super 大火勢(おおがせ)に行く。大火勢とは5段の横木にアシやススキをくくりつけ点火し回転する豪壮な火祭りなのだが、かつては佐分利のどの村でも行われていたという伝統行事である。福谷の大火勢は今日でも行われていて、お盆に開催されるそうだ。スーパー大火勢は花火大会や多くのイベントと合わせてうみんぴあ大飯の周辺で行われるもので、大火勢をより規模の大きいものにしている。花火大会も盛大で、数年前上林の山中にも花火の音が聞こえ、ふと東の空を見るとピンポン球のような花火が見えたことがある。後で調べると大火勢の花火だったのだ。
 車の出入りが大変だということで躊躇していたのだが、きのこの森からシャトルバスが準備されるということで、急遽行くことにした。
 花火大会というと多くの人で嫌気がさすのだが、このうみんぴあ周辺はじょんの散歩の写真で紹介しているとおりずいぶんと広いので、ゆったりと見物することが出来る。

シャトルバスで楽ちん

大火勢を起こすところから始まり、しっかり火がつくと回転を始める、もの凄い火の粉だ。
 大屋台村で簡単に食事を済まし、いつも行ってるプールの裏手、桟橋のところに陣取る。大火勢には少し遠いかと思われるが、花火には絶好の位置だ。画像では臨場感が出ないが、大火勢も花火も大満足であった。来年はシートや飲み物食べ物を準備して楽しもうかと思っている。

大火勢が倒されると花火が始まる。

 

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原田正義の世界 8/7

2015-08-07 | 日記・エッセイ・コラム

2015.8.7(金)晴れ

 その場に似つかわしくない暗くて、威厳のある100号もあろうかという油絵に出会ったのはこの春である。奇妙な絵だなあと思いつつ過ごしていたある日、あやべ市民新聞に「原田正義遺作展」という大見出しの記事が掲載された。そこに載っている鎧の絵を見たときに「あっこの人の絵だ」と気付いた。鎧の他、枕木や絵馬をテーマに多くの作品を描かれているという。絵というものは不思議なもので作者の人となりがわかってくると段々好きになってしまうのである。浜田地明さん、石田哲也さんもそうであり、もちろん渡辺淳先生もそうである。

ポスターとパンフレット
 さて「油絵一筋60年 画家原田正義の世界」は8月7日~9日までグンゼ博物苑 集蔵で開催され、初日の今日、わくわくしながら行ったのである。
いやあ迫力がありましたなあ、風景画も静物画もあるんだが何と言っても鎧と枕木がよろしい。鎧はどこのものを描かれたのかわからないのだけど、枕木は山陰線の山家や和知の駅構内に積まれていたものだろうと想像する。ついこないだまで積んであったものだ。かつては時代の覇者であった武士の着た鎧、鉄道の基礎ともなった枕木をどうしてテーマに選ばれたのか知りたかったのだが、2013年の夏に逝去されており知るよしもないようだ。

やっぱ鎧なのだ
 この夏は渡辺淳先生の展示も二ヶ所であり楽しみだ。
 「山椒庵から見た若狭の風景」~水上勉に大山椒魚と呼ばれた画家 渡辺淳の半生~
  8月1日~23日 福井県立若狭図書学習センター(小浜市南川町6-11 0770-52-2705)

 「渡辺淳展」~佐分利川~
  8月12日~11月9日 若州一滴文庫(0770-77-2445)

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あなしら上林-11 8/3

2015-08-03 | あなしら上林

2015.8.3(月)快晴 あなしら上林-10は2015.6.27

  あなしら上林、生守山最終回を紹介します。掲載のかんばやし里山新聞(第10号)じょんのびで配布しています。(無料)
 

 あなしら上林 小原英明
二、生守山 その八

 サンドラ岩は柱状節理であるという結論が出た。枕状溶岩にみられる外周の殻が見られない、断面には放射状の気泡や割れ目が見られなく、材質が均一である。海底で流れ出たときに出来る縦の皺が見られない、輪切りとなる冷却節理がある。外周は六角形の直線的な形をしているなどの多くの証拠で柱状節理と言えるのだ。玄武洞や夜久野玄武岩公園の玄武岩と同じ仲間なのである。

(写真1)サンドラ岩核心部 

 どちらも溶岩が急激に冷えて固まった玄武岩なのだが、小滝先生は「枕状溶岩だったらよかったんですけどねえ」と奇妙なことをつぶやいておられた。海底火山の可能性があるからだろう。45億年前の地球誕生から丹波山地は陸地であったり、海底であったりを繰り返している。上林の赤石と言われるチャートだって海中の放散虫の死骸が堆積して出来たものである。質志(しづし)や大原の石灰岩だって海底で出来たものである。
 気の遠くなるような地球の歴史を頭の中で整理することは出来ていないのだけど、サンドラ岩はその歴史のエポックを示す貴重な標本として上林の宝である。
 小滝先生は「サンドラ岩が柱状節理だと解明できた今、あの河原石の方が興味がありますね」という風なことを言っておられた。それは鼻峠周辺に存在する拳大の河原石のことである。

(写真2)鼻峠、生守山間の稜線に散在する河原石

 最初に生守山に来たときから気になっていたし、老富町の人々もその存在は知っておられて、「一体誰が何の目的で持ち上がったんやろ」とおっしゃっておられた。山稜上に河原石があることは誠に奇異な感がするのだが、もちろんそれらは人によって持ってこられたのではなく、地殻の変動によってその場所に存在するものである。 河原や海岸にある風化して丸くなった石が地殻変動で隆起して山稜上に持ち上がったものと考えていたが、まだ山や谷が形成されていない原地形に初期の川が出来、そこでつくられた河原石が残ったのではないかとする方が妥当性があるように思う。やがて浸食がすすみ上林川が形成されるとしたら、鼻峠は原上林川ということになり、なんともロマンである。 
 サンドラ岩、鬼の岩屋、「飯の山」、廃村生守村などの数多くの謎とロマンを含んだ生守山(地元では丸山と呼ばれる)はあなしら上林の筆頭である。おわり
 次回から「上林の盃状穴(はいじょうけつ)」をご紹介いたしたい。
             上林たんけんたい(カフェじょんのび内)

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旅立ち記念日 8/1

2015-08-01 | 日記・エッセイ・コラム

2015.8.1(土)快晴

 2006年8月1日(火)京都を旅立ち、比良の民宿田沼さんまで67Kmを走った。比良なんてすぐだろうと昼過ぎの一番暑いときに出発したのが大間違いで、とにかく暑くて、重い。日本一周の長い旅に出る初日だった。比良の宿に着く頃には疲労困憊、道中でビールを買うことさえ忘れていた。そしたらだ、家にあるビールを分けてあげましょうといわれるのと、自炊のはずのご飯もあまりの疲労の姿を見てつくってくれて、温かいお風呂と冷房の効いた部屋と、清潔な寝具、この宿に泊まれたからこそあとの数百日の度が続けられたんだと思う。その後高島、余呉と幕営自炊生活が続く、真夏の走行後の幕営と自炊は手間がかかり疲労が溜まるばかり、旅を楽しむという雰囲気にはならない。

旅立ち、その晩のご飯(2006.8.1)
 まあとにかく夕立として雨が降ったのが12日、本格的な雨は8月の末だった。それ以外はカンカン照りというあんばいで、まったく灼熱地獄とはこのことかと思った。一番暑かったのが8月19日の長野市で38℃、昨今の高温記録から言うとたいしたことないようだけど、風も日陰も無い千曲川沿いの走行は悲惨だった。まあそんな暑さの旅立ちが今日なんだけど、同じ日に川合(福知山市)でアルバイトして9年前のことを思いだしたのである。用意したお茶がボトル2本、あっという間に無くなって1本購入、お寺で冷茶をいただき、給水させてもらってボトル2本、都合4リットル近くを給水、それでも熱中症寸前であった。

川合小学校はこの春跡地になってしまった。この建物も知らないのだけど校庭は昔のままだ。
 でもいつも思うのは、肉体的な苦しみは栄養とってよく休めばすぐに癒えるけど、精神的な苦しみはどうしようもないって事だ。
【今日のじょん】じょんがやたら嗅ぐと思ったら、いっぱい犬に近づいてきたから、、。

これは盛市っちゃんとこの。名前は知らない。

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