晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

改心の道ハーフコース-3 11/28

2018-11-28 | 山・峠

2018.11.28(水)曇り

 元権現跡で昼食を摂っている間にますます天気は怪しくなり、ついにぽつりぽつりと降ってきた。こうなるとゆっくり飯食ってる場合じゃない、早々に合羽を着て出発する。やがて急な下りとなる、これが大タワ峠への下りだろうか。日置谷方面から登るときはこの登りが最大の難所となるのではないだろうか。下りきったところで日置谷方面と君尾山方面への分岐が現れる。道標もしっかりしているが、君尾山方面への道はすっかり荒れていて、人の通った跡もない。実はここが今回の山行の目的だったのだ。

左:大タワ峠に向かう途中の紅葉、高雄のように一面の紅葉より唯一本の紅葉を独占して眺めるのも興だ。中:弥仙山、君尾山の道標はあるが、君尾山への道は無いに等しい。
右:君尾山への道はこの通り、、、。
 

 2010年に改心の道を歩いたとき以来、この分岐点から先はどうなっているのだろうと気に掛かっていた。日置氏について調べたときも、この先の槍が嶽(やりがづく)こそが太陽観測の拠点ではないかと予想した。(2013.10.16参照)
 日置氏のことはともかく、槍が嶽の山頂は、上林でもっとも広大な景色が望める地点だと予想している。何しろ上林のど真ん中で、飛び抜けた位置にあるのだから。ただし木々の繁茂が無かったらのことで、見晴らしがいいかどうかは別問題である。分岐点から槍が嶽北方を越えて遊里に下り、再度光明寺を目指すコースこそ、本当の改心の道なのである。日置谷に下るコースはあくまで近畿自然歩道で整備された簡便的なコースで、タイトルで示すとおりあくまでハーフコースなのである。
 次回にこの本コースを歩くために少し偵察をしてみた。何とか道の痕跡は残っているが、灌木が生え混んでいる。遊里に下りるまで果たしてコースが確定できるだろうか。不安はあるが、逆に燃えるものもある。楽しみを残して、日置谷道を下ることにする。
 やがて左に広い道が分岐する、そして道幅が広くなる。そして妙な二列道を発見、これは木住峠清水道と大栗峠弓削道で見つけたものと同一である。

単線の列車がすれ違うとき(列車交換)のレールのように左右に分かれている。
 荷車がすれ違うための道と解釈したのだが、そうすればここを荷車が通過したことになる。先ほどの左に分岐した道を通ったとしても一体何を運んだのだろう。まさか木住峠に繋がっているとは思えないし、改心の道は荷車の通れる道ではないし、肥刈り、炭焼き、木材搬出ぐらいしか考えられない。余裕があればあの左分岐の道を歩いてみたいとも思うが、その少し下の神谷道も歩いてみないと見えてこないような気がする。一筋縄でいかないなあと思いつつ下っていくと、日置谷に続く林道に飛び出た。おわり

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改心の道ハーフコースー2 11/25

2018-11-25 | 山・峠

2018.11.25(日)晴れ

 於与岐からの弥仙山登山道は北面にあるためかジメジメして陰気な道だ。ただよく歩かれているためか道は歩きやすい。時々紅葉が紅く黄葉していたりして嬉しい。すぐに於成神社に着く。

於成神社、左の大木は銀杏。
 於成神社の上方に於成平(おなるだいら)があると「西丹波秘境の旅」(澤潔著)にあるが本の中ではどこだか特定できない。於与岐の古老も神主も知らないと言うことだが、於成神社に詳しい釜師さんに聞いたという。澤氏は於成神社のオナルはオは美称、ナルは古代朝鮮語で太陽を表すナル、ナリ、ナとして、太陽信仰あるいは太陽の観測から日置氏などと結びつけて書いておられる。ただその内容は支離滅裂で矛盾も多く俄に信じられるものではない。於成平は斜面を登り切ったコル状の平地で、於与岐から眺めると丁度三角のピークから下った肩のところだと思う。そうすればナルは緩斜面を表すナルが語源だとすれば最もわかりやすい。そこから頂上まではもう一踏ん張りだ。

山頂の金峰神社
 頂上の金峰神社にお参りして、休憩する。西側は切り開かれていて眺めがいいのだが、東側は植林が育っていて見えない。上林の山々は二人で歩いてきただけに一望したいのは山々なんだけど。
 頂上を後にして急斜面を下る。途中に岸谷に下るルートがあるはずなんだけど気が着かなかった。光明寺を出て弥仙山に登り、岸谷から木住峠、遊里から光明寺にもどるコースができそうだ。

秋の稜線は見晴らしもよく、落ち葉を踏みしめて歩くのが心地よい。
やがて於与岐に向かう分岐に出る。
 小さなピークを登ったり降りたり、道中最近に整備された形跡がある。於与岐の方が整備されたのだろう。飽き飽きした頃に於与岐に向かう分岐が出てくる。ここは弥仙山回遊コースとされているところだ。ここから元権現跡までは未整備の部分が残っている。倒木があったり、迷いやすいところもあった。赤テープが随所に巻いてあるので、注意して歩けば問題はなさそうだ。特にはっきりとしたリッジ状で無いところはルートファインディングをしっかりすべきである。遭難騒ぎがあったのは今年のことだったろうか、こんな道でも迷ってしまうのだ。
 晴れていた空が暗くなってきて嫌な気分になってきた頃、元権現跡の広場に着く。今月の初めに上林側の整備が行われたのはここまでらしい。倒木がしっかり切り払われたところで昼食とする。つづく



元権現展望所に着く、ここからは中上林への展望が最高。
【今日のじょん】いよいよ前室が完成、大工さんに何かと無理を言ってあれこれ追加したが、気に入ったものになって大喜び。じょんはやっぱりカンケーなさそー。お前も喜べよなー

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改心の道ハーフコース 11/20

2018-11-20 | 山・峠

2018.11.20(火)晴れ時々曇りところによって雨
 工忠君が初めてというので改心の道ハーフコースを歩く。改心の道とは君尾山光明寺に伝わる「天狗の詫び証文」の話を元に命名された修験の道である。実際に修業僧がどういうコースを歩んだか不明なのだが、光明寺から弥仙山を往復したのだろう。単に往復するのではなく、水分(みまくり)神社、於成(おなる)神社を回ったのかもしれない。(弥仙山周遊コース)

登山口の案内看板、熊や猿が楽しそうに描かれているが、そんな陽気な話では無い。
 水分神社から弥仙山山頂までは地蔵や石造物があるのだが弥仙山から上林日置谷まではそれらしきものがひとつも無い。光明寺の参道には沢山の石仏があるのだが改心の道にそれらが見られないのは本当に修業の道として使われていたのだろうかといぶかしく思う。
 メンバー 小原、工忠
 タイム 2018.11.20(火)
     弥仙山登山口出発
   9:50
     於成者神社着    10:20
     弥仙山北方のコル着 11:00 
     弥仙山頂上金峰神社着11:10 11:20出発
     於与岐分岐着    12:10 12:15出発
     元権現跡着     12:35 13:00出発
     日置谷分岐着    13:25 13:35出発
     神谷分岐着     13:55
     日置谷着      14:10

 今回の目的は盛況だった「改心の道遊歩」のイベントが中止されて以来、コースがどのようになっているかを確認してみたいのと、改心の道フルコースの再開を目指して日置谷分岐から遊里に向かう道の可能性を偵察してみたいというものである。
 大栗峠同様なるべく公共交通を利用して山行したいのだが、於与岐に向かうみせんバスは一般には使えないそうで、やむなく工忠君の車で登山口まで行く。於与岐も今年の大雨で被害が出ており、随所で工事が行われている。特に水分神社前の林道は大きく谷が抉られていて、重機の間を無理やり通らせてもらう。谷を渡る橋も土の部分が流れてしまって、大きなパイプがむき出しになっている。谷を渡る手前に道標や「右みせんひだりやまみち」と書かれた地蔵様などが並んでいる。昭和の初めまでは女人結界で、女性は水分神社までと決まっていたそうだ。大峰山同様の修験の山であったことがわかる。

水分神社の先の分岐
 さてわたしの出で立ちといえばいつもと同様修験者スタイルで白地下足袋に金剛杖、ハチマキで望んでいる。信仰心はさらさら無いのだが、山を歩くにはこのスタイルが最もあっており、足も素足である。心配なのは雨で、防水が効かないので冷えないかということだ。雨雪以外は頑張れるんじゃないかと思っているのだが、、、。つづく

【今日のじょん】おとうの念願の玄関前室が完成に近づいているのだが、じょんはカンケーねえみたい。

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進化する寿命延ウォーク-4 11/17

2018-11-17 | 寿命延ウォーキング

2018.11.17(土)雨 地下足袋歩行の効用(1)正しい荷重が自然に出来る。

 三ヶ月間地下足袋で歩いて、一度ウオーキングシューズに戻してみた。天気が悪くて濡れた地下足袋が乾かなくてやむなくウオーキングシューズを履いてみたのだが、実に奇妙な感覚を足裏に感じた。かかとから足裏の外側、そして指のつけ根を小指側から親指にむかってのラインが沈み込むのだ。つまり寿命延ウォーキングの正しい着地と蹴り出しという項で足裏の荷重ラインを示したそのラインが沈み込むのだ。ただし現実に沈み込んでいるのではなくて足裏の感覚として沈むように感じている。ということは地下足袋で歩いているときはそのラインに沿って自然と荷重されているのだ。足に荷重しているというより地面から反作用として突き上げられていると言った方が理解しやすいかもしれない。それがショックを吸収する靴を履いた場合には地面からの突き上げが感じられなくて沈むように感じてしまうようだ。これは実は大発見なのである。

地下足袋でこのゴーロを歩くとウオーキングの本質が見えてくる。
 ウオーキングに関する数多くの本にもこの足裏の荷重ラインのことは書かれている。中にはこのラインに沿って荷重できる訓練法まで書かれている。しかしどの本にもなぜこのように荷重するのかは書かれていない。先生方もよくわかっていないのではないだろうか。わたし自身もウオーキングの講座では「アーチがあれば自然にそうなる」とか「この荷重がミルキングを効率よく起こすのでは」とか怪しげな解説をしていたのだがやっとその理由が解ったわけだ。「裸足で歩けば自然とそのラインに荷重される」というのが結論である。靴を履くことを前提にウオーキングを考えておられる先生方にはこのことが解らなかったのだろう。
 ではなぜそのラインに荷重されるのだろう。様々な理由があるのだろうが、歩いてみてはっきり言えることは、「足を守ること」である。つづく
【今日のじょん】うらにしな天気が続く上林にドッグランのお客さんがいらした。京丹波町のすずちゃんとベル君だ。どちらも毛が短いので寒そー。天気の良いときまた来てネ

鈴着けてるのがすずちゃん、ベル着けてるのがベル君。

 

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雨読 続「死に山」-3 11/13

2018-11-13 | 雨読

2018.11.13(火)曇り
 この奇妙なタイトルの本を読もうとした理由はおわかりかと思う。山岳遭難の元研究者としては是非ともこの不可解な事件を解決してみようという試みである。予想した結果は見事に外れ、結果は意外なものであった。これからの読者のために公表は控えるが実に見事な結果であった。
 特殊雪崩、強風、先住民の襲撃、武装集団の襲撃、兵器実験の巻き添え、隕石の落下、UFOなどが原因としてあげられたが、いずれもあり得ないこととして消去されてしまった。厳寒の野外に裸同然のスタイルで靴も履かずに飛び出さなければならない状況というのが最大の謎である。テントを裂いてまで急に飛び出すというのはなんだろう。本書の中で取り上げられなかったことがひとつある。獣の襲来である。厳寒のウラル山脈にどのような獣が居るのか、あるいは居ないのか知らないのだが、何か居てもおかしくはなさそうである。しかしそれは原因究明の候補にも挙がっていなかった。UFOや隕石よりも確率は高いと思うのだが。
 著者ドニー・アイカーが発見した原因は、そのことが本当に存在するとすれば納得のいくものである。山岳遭難の中にはこの事件以外にも原因が解らないものがあるようだ。読売新聞の書評を服部文祥氏が書いておられるがその末尾に興味深い文がある。
 「日本でも1940年1月に朝日連峰で似たような遭難が起こり迷宮入りしている。同じ原因なのだろうか?」
 実はこの文も本書を読むに至った原因のひとつでもある。本の中で、例え解説でもいいからこのことについて書かれているのではと期待した。しかしどこにもこの事件については書かれていなかった。とすればこの書評はなんと無責任ではないだろうか。讀賣新聞に電話し、朝日連峰の事件について問い合わせたが解らず、服部氏に問い合わせるよう依頼したが、出来ないということだった。しかし色々と検索してもらって、「日翳の山 ひなたの山」に掲載されているという情報を得た。上田哲農氏の名著で、学生時代に読んだことがある。ひょっとしたら書庫に眠っているかもしれない。また新たな楽しみが生まれた。おわり
【今日のじょん】
 プールの日は芝生広場の散歩が楽しみ。広い芝生をチマチマ歩いてんじゃねえよ。


好きなお姉さんはいないかな、プールのぞき魔。


 

 

 

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雨読 「死に山」ー2 11/11

2018-11-11 | 雨読

2018.11.11(日)晴れ

 わたしが18歳で本格的に山登りを始めた頃、登山ブームと言うこともあって大きな山岳遭難事故が相次いだ。山で死んではいけないということで遭難対策を徹底的に教え込まれた。過去の遭難事故を分析し、その原因を探り、対策を練るというものだ。雑誌社、出版社も遭難事例や遭難対策の本を沢山紹介していたのでそれらを読みあさった。インターネットの無い時代なので本や会報などしか情報は得られない。国内で起きた著名な山岳遭難事故はすべて調べて、その資料は書庫に眠っている。遭難事故の原因はほとんどが解明されているが、当時は解らなかったものもいくつかある。例えば小説「氷壁」のモデルとなった1955年の前穂東壁のナイロンザイル切断事故など、当時強度的に絶対視されていたナイロンザイル(現在はロープとよばれている)は切断の原因が分からず、クライマーの技術的な問題などとされていた。そのナイロンザイルが鋭角なリッジ状の岩に極端に弱いことが解り、ナイロンザイルの安全基準が制定されるのは実に事故から20年後ということになる。原因が分かってランニングビレイやダブルロープなどの安全対策が生まれてきたのである。
 また、厳冬期の登山では雪崩による事故が大量の死亡に繋がる事が多い。特に新雪表層雪崩は想像も付かない事象が沢山あり、謎とされていた事件も多くあったようだ。しかしそれらはやがて原因が究明され、雪崩についてのメカニズムも順次解明されることとなった。松本深志高校の西穂高岳落雷遭難事故(1967年11名死亡)など事件後に雷のメカニズムが解明され、退避方法などが確立されることとなった。谷川岳衝立岩のザイル宙づり事件(1960年)後には宙づりにならない確保法や脱出方法などが対策されるようになった。
 とまあこのように、遭難事件直後には謎であったものが、やがては原因が解明され対策が施されるのが常である。ところが本書の「ディアトロフ峠事件」は1959年以来、9名もの遭難者を出しながらその原因が謎だったのである。つづく

【今日のじょん】最近我が家では工事が行われてるのだワン。なんでも玄関の前室をこしらえているんだって。おとーが作るって言ってたけど手に負えないので大工さんに頼んだそうだ。楽しみだのー。


 

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雨読 「死に山」 11/10

2018-11-10 | 雨読

2011.11.10(土)晴れ

 読売新聞9月30日の「本 よみうり堂」書評で本書を見つけた。「死に山」というなんともおぞましいタイトルを見て、山を舞台としたフィクションかなと思ったが実はそうではなかった。「世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件の真相》」というサブタイトルを見るとどうやら本当にあった事件らしい。

 「死に山」ドニー・アイカー著 安原和見訳 河出書房新社発行 

 
 事件がおこったのは1959年2月、ソビエト時代のロシア、ウラル山脈でウラル工科大学のトレッキング部のチーム9名(女性2名)が下山予定日を過ぎても帰らなくなったことに始まる。捜索に向かった仲間は彼らのテントを発見するが、そこには遺体は無く、生活の跡が整然と残っていたのである。幽霊船につい先ほどまで食事をしていた痕跡が残されているようなものである。またテントの奥には刃物で切り裂かれたような跡が残されている。その後テントから1キロ半ほど離れたところで、いくつかのグループに分かれた遺体が発見されるのだが、ろくに衣服も着けておらず、靴も履いていない。厳寒の山中でなぜテントを逃げ出さなければならなかったのか。
 死因は低体温症、外傷などだが衣類から放射能が検出されたり、燃えた跡があったりで謎だらけである。
 雪崩、強風、先住民の襲撃、武装集団の襲撃、兵器実験の巻き添え、隕石落下、UFOなど様々な原因がささやかれ、その究明が行われたがかなわず、最終報告書は「未知の不可抗力による死」とされた。
 これは間違いなく本当に起こった遭難事件であり、何が何でも読んでみたくなった。さりとて座右に置いておくような種類の本でもないし、図書館で探してもらうこととした。そうこうしているうちに京都新聞の書評にも掲載され、どうやら関心度の高い本のようである。つづく

【今日のじょん】久しぶりにマウイちゃんとルークに会いに行く。まういちゃんは足も目も弱くなってきたけど、まだまだ頑張れそうだ。


 ルークは若いので体が軟らかいのか、面白い格好で寝そべっている。どっかで見たような格好と思ったらニューモモちゃんもこんな格好するんよね。じょんはしたっけなー。


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劇団四季が来たぞ 11/4

2018-11-04 | 文化に触れよう

2018.11.4(日)晴れ

 劇団四季が来た。創立65周年の節目にスタートした新しいスタイルのエンターテイメント、「SONG&DANCE」である。なにせ65年分のミュージカルのダイジェスト版ってところだから贅沢というか欲張りというか、とにかく素晴らしいステージだった。恋する頃に立ち戻れる数時間といったらちょっとキザかな。
 劇団四季って、「キャッツ」や「オペラ座の怪人」など観たい観たいと思いつつも観たことが無かったのよね。今回が初めてということで余計驚いたのかもしれないけど、舞鶴の文化会館が満席になるのは初めて見た。開演20分前に到着したのだが、あの広い駐車場が満杯で、入れなかったのでこれも初めての体験である。

 失敗は失敗は入場料をケチってB席にしたこと、大体文化会館に二階席があることも初めて知った。それだけいつも空いてる席で鑑賞しているという事なのだけど、7月の大フィルだって一階のいい席が確保できていたのである。歌だけならともかく、ダンスとかミュージカルなんてのはしっかり見られる席が必要である。かみさんの用意したオペラグラスを持って行ったのだが、それでもよく見えない。S席8,500円は厳しいがA席6,000円は確保すべきだった。俳優さんの顔が見えないこの席でも感動したのだから、かぶりつきならさぞかしかと思う。
 もっと驚いたのは、こんなに長時間の熱演が12月の23日まで各地で続くと言うことだ。舞鶴の後は6日に和歌山、7日にたつの、8日に鳥取と連日の公演だ。プロだから、若いからできるのかと思うが、ちょっと信じられない。移動はどうするんだろう、宿はどうするんだろうなどと下世話なことを考えてしまう。

例によって開演前の様子。
 

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じょんのび芋煮会 11/2

2018-11-02 | 日記・エッセイ・コラム

2018.11.2(金)曇り

 天気予報では秋晴れの好天のはずなんだが昨夜から時雨れている。朝起きてみると本降りの雨で、どうしたものかと悩む。10時に決定することにして、結局河原で行うのを止め、じょんのびの庭で行うことにする。

 東北を巡ったとき、おかずとしての芋煮は食べたが河原で頂く本格的な芋煮は経験が無い。小沼さんにいただいたレシピを参考に肉や野菜を買い付けて、適当に味付けする。ぶっつけ本番で大変不安だったのだが実においしく仕上がって大満足。参加の皆さんにも好評だった。小沼さんの小芋は軟らかくてきめが細かい、普段のとちょっと違うなと思っていたら、大野芋とかいったか特別な品種だそうだ。


こんな感じで盛り上がりやした。来年もやるのでこうご期待。

【今日のじょん】
 だんだん寒さが応える歳になってきて、出かけるときは服を忘れずに、、、
 

 

 

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